お休みどころ

こころの相談活動を作り続ける
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2018年6月日録4

6/24(日) 子どもたちが遊べるように「霧島神話の里公園」(〒8994201鹿児島県霧島市霧島田口2583-22、電話0995571711)に連れて行った。公園自体がかなり標高の高いところにあるうえに、さらに園内バスやロープウェイを使って登っていく。霧島連山を含めて周囲が一望できるので、迫力がある。景色を見ながら、古代にはどんなにか森が深かったんだろうと想像した。現在でも山また山で緑が深いのだから、太古はすごかったことだろう。残念ながら人間が活動すればするほど天然の森林が減っていく状況がある。現代の世界は「いかにして人間が活動しながら森林を増やしていくか?」という難問に直面しているのだと思った。
  次にレストラン・販売所である「キッチンガーデン夢見が丘」(〒8850223宮崎県都城市吉之元町5265-51、電話0986332773)に行った。中にボルダリングがあり、子どもたちがやりたがった。驚いたことには、普段は少し歩くと「抱っこして」と言う息子の響が、必死に取っ手につかまって、壁を登りきった。姉のやすみも高いところまで何度も登ることができた。その場にいた他の子どもたちも夢中になって次々と壁を登っていた。
  ボルダリングを見て思うのは、人間には「障害物を乗り越えて進みたい」という本能があるということだ。冷静に見れば壁を登るだけのことなのだが、子どもたちは全力以上の力を出し切って挑んでいる。その姿を見るとこちらの心も動く。人間が生きているのには困難が付き物であり、それを乗り越えていけるように僕たちには自然と力が備わっているのだろう。虐待を受けた子どもたちには自分の力を信じれなくて苦しんでいる子が多いが、「ちゃんと力は備わっているんだよ」と信じて見守ってあげる存在が必要なのではないかと思った。
  日本精神神経学会のeラーニングで「差別の論理と精神科医療」(岡田靖雄)を見た。演者の独特な屈折した人柄も感じられたが、指摘されていることは鋭く、また丹念な歴史調査に基づくものなので反論が難しいと思われた。衝撃的だったのは、精神科の患者さんたちを差別から守るのが精神科医の第一の使命なのに、学会は負の歴史がたくさんあるということだった。差別を促進するような優性保護法などに対して反対の声をあげた人は少なかったことがわかる。現代においては社会における精神科医療の位置付けもずいぶん変わったと思うが、差別的な法制度は存在する。現場で格闘しながら、より公正な法制度を夢見ていくのを自分の仕事と考えないといけないと思った。
6/26(火) 上球磨地域の認知症初期集中支援チームの会議に参加した。このチームは参加者に熱意ある方が多く、具体的なケースの支援に努力するだけではなくて、より効果的な支援体制作りも話題になる。介護保険など大きな仕組みは国レベルの話になるが、市町村の支援担当者の工夫で変えられることもたくさんある。優秀な人は目の前の個別の案件に取り組むだけでなく、より大きな視点でシステムを作り変えていく。結果的にはそれがいちばん地域住民のためになるからだ。
6/27(水) 病院スタッフと地域の中学校に訪問した。通院したり入院したりしている子どもたちのケアについて話し合うのが目的だったが、他にも子ども支援全般の話し合いができた。特に情報共有や意見交換の仕組みについて話せたのがありがたかった。子どもの治療をする場合、学校から情報をいただいたり、学校に教育面での配慮をお願いする機会が多い。継続的に学校と連携できる体制が作れれば、それだけで状態が改善するケースがたくさん出てくるだろう。

 

写真2〜5は鹿児島県にある「霧島神話の里公園」で撮った写真です。


写真2 かなり標高が高い所にあり、周囲が一望できる。古代の風景を想像させる。

 

写真3 ロープウェイを使ってさらり高い所に登る。

 

写真4 スライダーを使って降りてこられる。けっこうスピードが出る。

 

写真5 落書きしていいバスの置き物。海外の人の書き込みもたくさんある。

 

写真6 鹿児島県の高千穂牧場にて。子羊へのエサやりができる。

 

写真7 レストラン・販売所「キッチンガーデン夢見が丘」。ボルダリングが子どもたちに大人気だった。やすみも響も通常では考えられないような力を出して登っていた。

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種子島への旅 2018年5月2日(水)

  偶然なのですが、5月の連休に休みが取れました。休みは取れてもどう使うかが難しいのですが、美紗さんの案で僕の両親を誘って旅行に行くことにしました。実は僕たちが両親を旅行に誘うのは初めてです。いままでは僕たちが実家に行ったときに、両親があちこち連れていってくれる形だったのでした。今年は両親が共に喜寿になることもあり、お祝いをかねて旅にご招待することにしたのです。
  子連れでの移動は大変なので、行き先は九州から近いところにしようと両親が言ってくれました。当初は屋久島を考えたのですが、連休には大混雑するそうです。そこで種子島(たねがしま)にすることにしました。美紗さんも僕も両親も、鹿児島県の離島には行ったことがなかったのです。
  父は長年エンジニアとして働いてきました。父は宇宙船の開発にも関心が深いです。なのでロケット発射施設「種子島宇宙センター」には前から行きたかったそうです。またあとからわかったのですが、種子島には日本最古の遺跡もあるそうです(約3万年前のもの)。考古学にも父は関心があるので、ちょうど良かったのでした。
  鹿児島空港で両親と待ち合わせて、飛行機で種子島に向かいました。所要時間は40分と短いのですが、小さなプロペラ機ですのですぐに揺れます。僕たちが出かけた日は悪天候で出発が大幅に遅れるぐらいでしたので、かなり揺れました。飛行場で数時間待たされたのと、揺れたことで、いきなり美紗さんは参ってしまいました。
  ですが着いてみた種子島はすばらしく自然度の高い場所でした。天然に近い森が一面に覆っていて、海岸はどこでもヴューポイントになりそうなほど広々としています。海の色はエメラルドグリーンで、非常に澄んでいます。北から順に「西之表市(にしのおもてし)」「中種子町(なかたねまち)」「南種子町(みなみたねまち)」という3つの市町村でできているのですが、町の中心部以外は林の合間に人家があるような感じです。わかりやすく言えば田舎なのですが、人間が少ないというだけではなくて、自然の景観を活かしながら地域の人々が生活しているのを感じました。すごくゆったりした時間の流れがあるのです。
  僕の感覚に過ぎませんが、都市部に行くほど時間の流れが速く、お金で消費することが思考の中心に出てくる気がします。逆に自然度の高い場所ではゆったりした感覚があり、人とのつながりが前面に出てきやすい気がします。もちろん田舎に住んでみると田舎の嫌らしさもあるのですが、都市部からたまに来るぶんには田舎の良さを味わいやすいです。だからこそ自然度の高い場所には休養場所としての役割が求められると思うのです。
  子どもたちは毎日海に入って遊びました。「風が強いので足先をつけるだけだよ」と何度も言ったのですが、ちょっとずつ海に入るうちに、やがてしゃがみだし、そのうちに寝そべって波が打ち寄せるのを楽しむようになります。サンゴのかけらが集まった白いサラサラの砂浜ですし、海水があまりにも透明ですから、入りたくなるのもわかるのです。そして波遊びは何の道具も要らないいちばんシンプルな遊びなのでした。五感を総動員するので教育効果も高いと思うのです。
  自然に近いと不便な点がたくさんあります。虫や獣が出たり、天候に振り回されたり、草刈りに終われたり、などです。自然を管理するのは難しく、そこがいちばん面倒な点です。ですが自然が刻々と変化するからこそ時間の流れを感じられるのだと思うのです。その意味では僕たちは生活のなかにある程度「自分の思い通りにならない抵抗」がないと、充実できないのかもしれません。
  さて種子島に戻ると、滞在中に風が非常に強くて寒かった以外には、大きな問題なく過ごせました。種子島にいると、普段の僕のセカセカした生活が、何かにとりつかれていたように感じられます。そして普段は予定を詰め込んで充実させようとし過ぎていると思いました。とりたてて何もしないような時間の方が、かえって豊かになるから不思議でした。子どもたちも僕の両親とたくさん過ごせました。
  結果的にですが、種子島は家族旅行に最適の地でした。家族旅行の目的は、結局のところ家族で過ごすことだけです。いかに濃密な時間のなかで家族と過ごすかが問題なのですが、種子島にはその濃密さがありました。両親が元気なうちに「子や孫と過ごす時間」を提供できて良かったです。両親にもいままで走り続けてきたぶん、ときにはゆっくりしてもらいたいです。僕自身も空白の時間をときどき持てるようでありたいと思いました。

 

写真1 飛行機にかなり揺られてやっと種子島空港に着いた。

 

写真2 宿泊した民宿「珊瑚礁」の前にはアコウの大樹があった。

 

写真3 子どもたちは全身ビショビショになって海で遊んだ。

 

写真4 写真ではわかりにくいが、滞在中にはかなりの突風が吹いていて寒かった。

 

写真5 種子島にはマングローブの北限の自生地がある。水際には陸地と海という異なる環境の両面があるので、多様な生き物が生息できる。

 

写真6 種子島空港センターの案内ツァーでは、ロケットの実物を間近で見ることができる。

 

写真7 宇宙センターのそばの海でも子どもたちは遊んだ。

 

写真8 子どもの公園である「あっぽーらんど」。「あっぽー」は方言で「遊ぼう」の意味。海賊船など凝った遊具があり大人気だった。

 

写真9 観光名所である「千倉の岩屋(ちくらのいわや)」へ。この洞窟は満潮のときは海に沈み、干潮のときのみ入ることができる。

 

写真10 洞窟のなかは意外に広い。

 

写真11 ここでも子どもたちは海に入った。

 

写真12 ハマヒルガオの花。故・島田等さんが書いてくださった詩を思い出した。自然の方を見なくなると人間はどこかおかしくなってしまう。

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Kくんとのやり取り2 2018年5月6日(日)

  昔出会った友人のKくんが21年ぶりに連絡をくれ、やり取りが始まりました。Kくんはフランスの詩人による芸術批評を専門的に学んできた人ですので、僕へも深い問いかけを与えてくれました。以下は僕の応答の続きです。Kくんとやり取りしていると、複雑な物事の核心を射抜くのが批評なのだとわかります。

  K君、すばらしいメールをありがとうございました。一生かかって返事をしないといけない問いかけですが、とりあえずいま浮かんできたことを書いてみますね。
  すっかり忘れていたのですが、僕もずっと自分の中心を探していたことを思い出しました。「原点」「自分のなかにある太古的な記憶」「余分なものを切り落とす」「野性的な直観」といったことをいつも考えていたと思います。別の言葉で言えば、自分の生きていく方向性を見つけようとしていました。外的な手さぐりよりも、自分の内部に沈潜し、大事なものを探すことを優先していたように思います。
  ただ難しいのは、自分の内部というのはあってないようなものなので、はっきりとは見えないということです。内的探求には客観的な指標がないため、方向性を見失ったり、実生活とのつながりが切れてしまったり、感情に流され過ぎたりします。実際に内的探求が神秘主義的になりすぎたり、快楽主義的になってしまったり、暴力的になってしまった例もたくさんあるのではないでしょうか?
  僕自身もいろいろありましたが、手応えのある答えはなかなか得られませんでした。ですが転機がありました。イギリスのハワースに行ったのです。これも強く望んだわけではなく、他に計画していたことが全部ダメになって、仕方なく行ったような感じでした。期待も、自分の支えとなるような概念もないまま出かけたのです。
  ところが行った先では非常に豊かな体験が待っていました。この旅で得られた自分の中心は以下の3つです。
(婉の荒れ野に立つ。
⊃佑暴于颪ぢ海韻襦
自然や人がもたらしてくれたものを言葉で記録する。
  振り返ってみれば、この旅以前も 銑をしていたし、いまもしています。その都度出会う自然や人は移り変わっていくのですが、していることはあまり変わっていないです。ある意味では進歩がないですね(苦笑)。
  K君も僕のもとに、先生として現れてくれました。これだけ深い語りかけをしてくれる人は長らくなかったです。ありがとう。K君は人を育てる才能がありますよ。

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2018年5月日録1

5/1(火) 美紗さんが家でする用事があったので、娘のしずくを連れて「ほっとステーション九ちゃんクラブ」、〒8680004熊本県人吉市九日町16 1F、電話0966329566)に出かけた。3歳以下の子どもと親が集まれる場所で、遊びのスペースとおもちゃがあり、保育士などのスタッフがいてくださる。親にとってはありがたい施設だ。
  しずくはあまり人見知りせず、他の子どもにも関心を示すので、安心して見ていられる。スタッフの方たちと話していると、「子育てが大変なのは自分だけじゃないんだな」と思えてホッとする。子どもを遊ばせるために来るのだが、安らげるのは親の方だと感じた。
  お昼を食べにカフェレストラン「Farmer's Cafe Sakuri 咲莉(さくり)」(〒8680302熊本県球磨郡錦町一武4018、電話0966380390)に出かけた。何度も行ったことがあるが、何度来てもすてきな場所だ。レンガづくりの大きなピザ窯が美しいし、実際に焼いたピザも非常においしい。空間自体に落ち着いた明るさがあって、座っているだけで落ち着く。運営されているご夫婦の飾らない人柄もすばらしい。食事どころなのだが、瞑想的な場所でもあると思う。
  精神疾患の背景にトラウマの問題があると、病状が複雑化してつかみどころがなくなりやすい。しかもトラウマの問題があるということを患者さんもなかなか話せないし、治療者もなかなか気づきにくい。何年も経ってから、偶然のきっかけで「トラウマの問題があったんだ」とわかることがある。それはまるで推理小説のようで、あとから見るといたるところに「犯人はトラウマだ」というヒントがあったはずなのに、気づけていなかった。あるいは気づいているようでいて、目をそらしていたというようなこともある。つらすぎる体験を消化して自分の一部にするには年月がかかるし、回復の過程に終わりはないのかもしれない。でも何かのきっかけで回復の過程が動き始めると、あとはゆっくりとであっても進んでいくのだと思う。 
5/5(土) たまたま宮崎市に行くことがあり、たまたま「みやざきナイトマーケット」を通りがかった。専門店でない市民の方たちが食べもの・小物類・衣類・植物などさまざまな出店を出していた。ダンスなどのパフォーマンスもあった。行政と民間が連携しての「手づくりのお祭り」だ。現代は地域の交流というのがほとんどない。なのでこのようなイヴェントをとおして地域の凝集性を高めていくことが必要なのだと思う。
5/7(月) 娘のしずくは1歳になったばかりだ。つかまり立ちは以前からしていたが、数日前からひとりで立つ練習を急にするようになった。何度も何度も繰り返して、とうとう支えなしで数秒だが立てるようになった。まるでスイッチが入ったように、子どもは時期がくれば成長していく。シマウマの赤ちゃんが生まれてすぐに立とうとするように、人間にも成長への促しが内的にセットされているのだろう。僕たちは自分で考えて行動しているように思うが、実際のところ自由意思は案外少ないんではないかと思った。
5/8(火) 多良木町に家族で出かける機会があった。「どこか新しいお店がないかな?」と思ってインターネットを検索して、出てきたのが「カフェ ロージー」(〒8680501 熊本県球磨郡多良木町 多良木96-1、電話0966328478)だ。行ってみると倉庫風の建物で、なかに美的な空間が作られている。食事も良かったが、空間の雰囲気が好きでお客さんたちも集まっているようだった。人々は「芸術的なもの」に触れたいと感じている。カフェやレストランもいままで以上に空間作りが求められるのだろう。
  上球磨地域の認知症初期集中支援チームの懇親会に参加した。普段は専門職を中心に認知症の困難事例対応を議論しているチームだが、懇親会にはさらに行政や関連職の方も参加した。チームから離れていく人の送別会もあった。「連携して多角的に支援策を探る」という姿勢を持った方が行政のいろんな分野にいてくださると、生き生きした地域に確実に近づく。認知症初期集中支援チームは教育的な意義が大きいと思った。

 

写真1 「ほっとステーション九ちゃんクラブ」で遊ぶしずく。広い空間があるので子どもはのびのびできる。

 

写真2 カフェレストラン「Farmer's Cafe Sakuri 咲莉(さくり)」。レンガづくりのピザ窯で焼いたピザはモッチリしている。

 

写真3〜4は多良木町にある「カフェ ロージー」で撮った写真です。

写真3 大きな倉庫のような店内で、美的な日用品も販売されている。

 

写真4 ランチは野菜中心でおいしいが、店内の雰囲気もおいしい。

 

写真5 湯前町にある創作ケーキ屋さん「おかしのいえ」。ここで娘のしずくの誕生日ケーキを依頼した。

 

写真6 しずくが好きな子供番組のキャラクター「わんわん」のケーキで、1歳をお祝いできた。

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2018年5月日録2

5/9(水) 最近力を抜くということを考えることが多くなった。自分の成長の方向が、いままでは「より新しいことをできる」だったのが、「よりリラックスして振る舞える」に変わってきたのかもしれない。ひとたびそう思ってみると、「いままでの自分は何にとりつかれていたのだろう?」と思えてくる。生活や仕事で僕に求められるものも、「ガンガン進む」から「ゆったりと見渡して進む方向を探す」に変わってきたのだろう。子育てについても、「なんでも指示して手取り足取り助ける」から、「話しながら必要に応じて助ける」に変わってきている。人生のステージが変わると求められる行動も変わるので、ついていくのが大変だ。
5/12(土) 僕が仕事で美紗さんも出かけないといけない時間が発生したので、市のファミリーサポート事業を利用させていただいた。毎回子どもたちを預かっていただくHさん一家に今回もお願いし、僕が仕事のあとに子どもたちを引き取りに行った。驚いたのはHさん夫妻は共に保育士であり、さらに薬剤師や学校支援員などとしても活動されているということだ。ファミリーサポート事業はそもそも営利とは縁遠いものなので、参加されている方はよほど子どもが好きだったり、親のサポートを通して社会貢献をしたいと考えている方たちなのだろう。地域にはさまざまなヴォランティア精神を持った方たちがおられるのだと知って、うれしくなった。
  夜に美紗さんは家族の女性陣とともに、ヘアメイクアップアーティストのIKKOさんのディナーショーに出かけた。帰ってきての感想は「サービス精神がすごい」。美容師の修行から出発し、下積み時代があった方だそうだから、客席への配慮も行き届くのだろう。ハグまでさせてくれて非常に楽しかったそうだ。明るく多彩なキャラクターで、性の多様性の理解促進にも貢献しているし、ネット上の情報によれば日韓関係の改善にまで貢献しているそうだ。僕はほとんど知らない人だが、美紗さんと家族(母、姉、義妹)を大喜びさせてくださったことに感謝した。
5/13(日) 美紗さんの実家に行った際に、甥の加藤颯馬くんがどこか温泉に行きたいと言った。近くて行きやすく、家族風呂のある温泉を調べてみると、「中山(ちゅうざん)温泉」(〒8910105鹿児島県鹿児島市中山町1390、電話0992601126)が見つかった。設備の面などは行ってみないとわからないので賭けだったが、実際に行ってみると非常にきれいで大人気の温泉だった。颯馬くんといっしょに温泉に入れて子どもたちは大喜びだった。さらに座敷でのランチバイキングがあった。地域の野菜を豊富に使った料理で、手作り感がある。子どものためのお菓子までバイキングに含んでくださっているところがありがたかった。
  最近「自分で自分がわからない」と感じることが増えた。思わぬ暴言(?)を会話の流れで言ってしまい、びっくりすることがよくある。自分の真実の気持ちでもあり言い放てることでストレス解消になるのだが、「理性で抑制している感じ」は減っている。一から十まで頭でコントロールするよりも、あまり心身を絞めつけずに、その場の流れで行動することが多い。以前よりもリラックスできていて健康にはいいと感じるのだが、頭が悪くなったような感じもする。もともと僕は理屈の構築には向いていないし、ハチャメチャな方が好きなので、自分を型にはめない方が居心地がいいのだろう。感覚的には頭にあった司令塔が溶けて、胸に降りてきたような感じだ。「人間の心が胸にある」という古代の人の感覚には違和感があったが、やっぱり感覚的には頭よりも胸に人間の中心がある方が自然なのだと感じるようになった。

 

 

写真7〜8は鹿児島市にある「中山(ちゅうざん)温泉」で撮った写真です。

写真7 家族風呂には座敷が付いており、快適だ。

 

写真8 ランチバイキングがあった。地域の素材を活用した料理であり、甥の加藤颯馬くんもいっぱい食べた。

 

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2018年5月日録3

5/15(火) 「保育士キャリアアップ研修」で講師をした。ご近所の本村さん(保育園長)が企画運営され、球磨郡の保育士さん60人ほどが集まっていた。講義だけでなく、90分かけて2ケースのグループワークをできたのが良かった。参加している保育士さんは、保育園スタッフのなかで発達症支援のリーダーになることを求められている。難しいケースを早めに見つけて、ケース会議を開いたり、他機関と連携しながら支援に当たる調整力が必要だ。そのためには_歛蠅鮴依して、緊急性の優先順位をつけられる能力、△匹了抉腓ら優先的に取り組んでいくのかを決める判断力、どの支援機関を巻き込んでいくかを考えられる能力、などがないといけない。力を付けていただくために、毎回違ったメンバーとのグループワークをしてもらおうと思う。実践力を高めるにはグループワークは最良の方法だ。
5/16(水) 娘のしずくは同年代の子どもと遊ぶ機会がなかなかない。親子で参加できるさざなみ保育園地域子育て支援センター「さざなみ☆うぉ〜むはあと」(連絡先はさざなみ保育園、〒8680077熊本県人吉市下戸超町1632-1、電話0966227177)に出かけた。音楽遊び、屋外での遊び、手形押しなどがあった。しずくは普段から姉や兄と遊んでいるせいか、違和感なくほかの親子と混じっていた。
  保育園の様子を見ていて気づいたのだが、子どもたちがしていることは大半が芸術的な活動(絵・歌・工作など)と体を動かす活動(外遊び・農園など)だ。つまり机に座っての学問よりも、芸術やスポーツの方が人間の原初的な活動だということになる。芸術は一部の特殊な人たちが関わることではなく、人間の基本的な活動の1つと考えないといけない。教育のなかでももっと大きく取り上げないといけないのではと思った。
  午後は教育事務所のサポートチームの皆さんと話したり、ケース会議をしたりした。子どもの支援は関わる機関が多いので、どうやって情報を共有し、共通の方向に支援していけるかが問題になる。どこかがコーディネート役をして、情報を集約したうえで関連機関に伝える必要がある。いまはまだそのシステムができあがっていないが、夢を描くことは大切だ。その夢にやがて現実が近づいていく。
5/20(日) 子どもたちが虫取りをしたいと言った。網やカゴは買ってある。虫取りをできそうな場所はどこがあるのか?美紗さんと話しているうちに五木村の公園が思い浮かんだ。そこで家族で出かけてみた。
  五木村に入るためには手前の相良村を川辺川沿いに進むのだが、五木村に近づくにつれ川の水面からはるか高くに道路が上がっていく。ダム建設のために人工的に作られた道路なので、本来道があるはずがないような高みにある。結果として遠くまで延々と続く山並みが見渡せる。すさまじいほどの山・山・山だ。その隙間にある谷間に人間が住んでいる。五木村が「五木谷」と呼ばれていたのもうなづける。
  公園「五木源(ごきげん)パーク」につくと、まだ春のせいかバッタやセミなどの虫はあまりいなかった。でもウマオイやてんとう虫、てんとう虫の幼虫、カタツムリなどを見つけることができた。美紗さんは網を振ってチョウを何匹かつかまえた。
  つかまえてカゴに入れるたびに子どもたちが歓声をあげる。しだいに僕と美紗さんの方が夢中になった。僕は小さいときに虫取りが好きだったが、いまやっても虫取りはおもしろい。自然に溶け込んで、五感をフルに使って、獲物を探すからだ。まるで狩りのようだ。未知の分野に分け入って大事なものがないか探す活動は、虫取りと似ていると思う。
  友人に勧められた映画『グラン・ブルー』(原題Le Grand Bleu、監督:リュック・ベッソン、フランス・イタリア、1988年)を観た。実生活の視点から観ると、生活力のないバカな人の話になり、全くおもしろくない。ところがこれを精神的な探求の象徴として観ると、深い意味が出てくる。ある原理に忠実であることと、現実に折り合いを付けることの、葛藤が主題として見えてくる。
  僕たちは知らないうちに「絶対に〜である」「〜以外ではいけない」といった固い考えを持つ。持たないことは不可能であり、なんらかの偏りは避けがたい。無自覚の考えにとらわれすぎると無理が来るのだが、軌道修正するのはとても難しい。生き方において柔軟であることがいかに難しいかということを映画を観ながら考えた。

 

写真9 「保育士キャリアアップ研修」が行われたあさぎり町の「せきれい館」。参加者が熱心で話していて楽しかった。

 

写真10 さざなみ保育園地域子育て支援センター「さざなみ☆うぉ〜むはあと」の様子。遊び道具がたくさんあり、しずくは楽しんでいた。

 

写真11 ボウリング場での様子。響はなぜかボウリングが好きだ。

 

写真12〜14は五木村の公園「五木源(ごきげん)パーク」で撮った写真です。


写真12 草むらで虫取りをした。

 

写真13と14 遊具で遊ぶ子どもたち。

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2018年5月日録4

5/22(火) 美紗さんが熊本市で開催されている影絵作者の藤城清治さんの作品展に行きたいと言った。子ども3人といっしょでは、美術館で作品をゆっくり見るのは難しい。でもやすみと響が日中は保育園に行っているので、その間なら可能だ。それで娘のしずくを連れて、3人で熊本県立美術館に出かけた。
  僕は藤城さんについて知らなかったが、若い頃から94歳の現在の作品までが時系列に沿って配置されていて、生き方がよくわかった。必ずしも完成された作品ばかりでなく、習作のような絵もあり、それがいっそう発想の流れをよく伝える。藤城さんの原点は大学の同級生が特攻隊で死んでしまったことにあり、平和のイメージを探すことが創作の柱になっている。また技法上の工夫は創作の必要性のなかから生まれてきていると思われた。影絵というライフワークを見つけられてからは、ひたすらそれに打ち込むことで、世界がどんどん広がっていっている。
  それにしても影絵作品の1つ1つを作り上げるためには非常に強い根気がいるはずだ。精密な工芸品を作る職人さんを思い浮かべた。多くの職人は名前が知られることもなく、黙々と作品を作り続ける。藤城さんは例外的に有名だが、生き方は同じだと思う。手を動かして作業するなかから知恵が湧く。はじめに理屈ありきの学問的な世界ではなく、美を追求することで表現できる世界がある。
5/23(水) 支援学校の健診に行った。子どもたち全員と短い時間で面談するので大変だが、学校全体の様子がわかる。さまざまな課題を持つ子どもがいるので、支援が大変だろうと思うが、個別に近い対応ができている。発達症の支援の理想形があると感じた。教育は未来を変えることのできる分野だ。教育にこそ人手を投入すべきだと思う。
5/24(木) 久しぶりに同僚と職場訪問に出かけた。復職支援チームに参加していて楽しいのが、支援している人の職場に行けるときだ。病院ではわからないその人の働く様子が、職場に行くとはっきりと見えてくる。また職場の人たちの意見が聞けたり、職場環境の課題がつかめたりもする。「復職支援は病院内だけでできるものではない」という基本に立ち返って、機会を見つけて出かけたい。
5/27(日) 子どもたちを連れて、宮崎市の「宮崎市フェニックス自然動物園」(〒8800122宮崎県宮崎市塩路浜山3083-42、電話0985391306)に出かけた。動物園と遊園地が一体になっており、子どもから高齢の人たちまでが集まっていた。日曜日は特に人が多くて活気がある。ひとつのコミュニティー・センターになっていると感じた。豊かな地域とは、このような「集いの場」があちこちに多種存在することを指すのではないか?人口の多い少ないではないと思う。
5/29(火) ケース会議のあとに、地域の総合病院の人たちとの懇親会に参加した。その総合病院には精神科がないこともあり、吉田病院との連携が必須なのだが、なかなか治療のペースなど「文化の違い」のようなものがあって難しい。でもスタッフ間で直接会って交流しておくと、いざ連携が必要な案件があったときにもスムースに動ける。大きく見れば国家の政府どおしのやり取りにも共通するところだと思うが、普段からの交流が大事なのだろう。
  娘のしずくは最近は自分で立ち上がれるようになっていた。いまにも歩き出しそうで、いつ一歩目がでるか期待していた。残念ながら僕は見れなかったが、美紗さんから最初の一歩が出たよと連絡があった。自分のペースで足を踏みしめながら育っていってほしい。
5/30(水) 病院の同僚から「ホタルを見に行ったことありますか?」と尋ねられた。相良村や山江村にはホタルの名所があるそうだ。またホタルが飛び交うのもちょうどいまの時期なのだそうだ。僕は子どもたちを連れて見に行きたくなった。美紗さんに相談して、この日の夜に行くことにした。
  20時ごろがよく見れる時間とのことなので、7時 40分ごろに着くようにした。ホタルの名所は特別な場所かと思ったら、川辺川の川原に田畑がある普通な場所だった。驚いたことには、写真機を持った人など観賞客が何人もいた。話してみると、この時期にはあちこちのホタルの名所に見に行くそうだ。
  肝心のホタルだが、「今日は非常に少ない」と詳しい人が話していたとおり、めちゃくちゃ多くはなかった。でも一般的なホタル観賞よりはたくさん飛んでいた。ふんわりと、「あるような、ないような」感じで、漂っている。人間の魂が、死んだあとに抜け出して、天国に行くような感じだとぼんやりと思った。ホタルを見ながら、古代の人は哲学的な思索をしたのかもしれない。

 

写真15と16は熊本県立美術館で撮った写真です。


写真15 影絵作者の藤城清治さんの作品展があった。

 

写真16 館内のカフェでランチをした。

 

写真17〜18は宮崎市フェニックス自然動物園で撮った写真です。

写真17 カメに見いる響。

 

 

写真18 響は3歳になったので、やすみが乗っているこの遊具に、初めて1人で乗ることができた。  

 

写真19 人吉市の球磨川ぞい。街の中心に川がある。

 

写真20 相良村の上園のホタル観賞。写真には写らないがたくさんホタルが飛んでいた。

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フリースクール「学びの杜学園」5周年記念の集まりに参加する 2018年4月3日(火)

  僕がフリースクール「学びの杜学園」を応援していることは以前から書いているとおりです。その「学びの杜学園」がもう5周年だそうで、お祝いの集まりを開くことになりました。校長の江口直美さんがわざわざ事前にご連絡くださり、誘ってくださいました。最近「学びの杜学園」に行く機会が少なかったですので、僕も喜んで参加しました。江口さんのありがたいところは、妻も子どもたちもいっしょでいいですよと言ってくださることです。
  学園の在校生や卒業生、保護者、関係者が集まる小さな集まりを僕は想像していました。ところが行ってみると、豪華なホテルのレストランが会場で、参加者には議員や教育長や大学教授の方もいたりするなど、かなり大規模なものでした。いささか面食らいましたが、江口さんと学びの杜学園を応援する人の輪が広がっているのがわかりました。
会場にはいつも見なれた顧問の方たち(経済学教授だった山田さん、活け花の師範である野辺さんなど)もおられます。初期からの中心的な生徒さんたち(大半が卒業生)や親の会の皆さんもおられます。こちらにはいたって気さくで親しいつながりがあります。フリースクールの形がないなかをゼロから手づくりしてきた「不確定なものを追う自由さ」があるのでした。
  記念式典があり、そのあと祝宴がありました。スピーチも来賓からだけではなく生徒や保護者の立場からのお話がありました。ダンス・三味線・ピアノなどの発表もありました。いろいろあって大変充実した内容の集まりだったのですが、僕自身にはちょっと寂しいような気持ちもありました。フリースクールの形や組織ができあがり、固まってしまったような印象も少しですが受けたのです。それこそがより安定した次の段階に入ることなのですが、移行するのは寂しいものでもありますよね。
  考えてみると、僕自身は不安定なものや手さぐり的なものに惹かれます。自分たちが何をしているのかはっきりとはわからないけど、でも未知の可能性を追っている。そんな状態が好きなのです。「学びの杜学園」も初期の生徒さんたちがほぼ巣立っていったいまから、新しいチャレンジが始まります。いままでの活動を継続することに加えて、自分たちの限界のちょっと向こうまで踏み出そうとするような、そんな「学びの杜学園」であり続けてほしいなと思いました。

 

写真1 5周年記念の集まりの会場。

 

写真2 卒業生による獅子舞いの発表もあった。

 

写真3 顧問である山田さん。全然学者らしくない(?)気さくさがある。

 

写真4 「学びの杜学園」校長である江口直美さんと。強い信念の方だ。

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宇佐美治さんについて 2018年4月11日(水)

  4月11日に友人の泉谷さんからメールが来ました。宇佐美(うさみ)治(おさむ)さんが前日に亡くなったそうです。泉谷さんは僕の20年以上になる友達で、互いに大学生であるころに京都にある社会問題を考えるサークル「論楽社」に通っていました。そのメンバーで岡山県の小さな島にある国立ハンセン病療養所「長島愛生園」に何度も旅行に行っていたのです。宇佐美治さんはその愛生園の入所者だったのでした。
  宇佐美さんと僕が初めてお会いしたのは、1994年(高校3年生)のときでした。宇佐美さんは論楽社のメンバーを受け入れて案内してくださった方の1人で、歴史家でした。歴史家と言っても大学などの研究者ではなく、愛生園の歴史を記録するための手作り資料館を作っておられたのです。いまでは立派な展示になっていましたが、もとは宇佐美さんがコツコツと物品を集め続けたものでした。宇佐美さんは精神的にも歴史的で、自分が学んだたくさんのことをワーッと次々話し続けるような方でした。お話が多岐にわたっていて博学なことに、僕たちは圧倒されたのでした。
  その一方で宇佐美さんにはどこかすねたような、世の中に絶望した世捨て人のような面がありました。ハンセン病の方は昔は厳しい差別にさらされ、警察が強制的に療養所に収容したり、家族に戸籍から抜かれたり、「死んだこと」にして名前を変えざるをえなかったり、といった壮絶な体験をしてきています。その後遺症(複雑性PTSD)なのだといまでは理解できるのですが、当時は不思議な気がしました。せっかく仲良くなっても、どこか心を開かれないような感じが残るのです。「人間は信じられない」「この世はいくら努力してもよくならない」といったあきらめのような感触が、少しではあっても感じられるのでした。
  そんな宇佐美さんが変わったのは、ハンセン病国家賠償請求訴訟を通してです。第1期の原告ではないものの、宇佐美さんは長島愛生園の原告団長になられ、裁判の証言台に立たれました。証言するためには人生の傷をあらいざらい話さないといけないのですが、それをすることで、宇佐美さんは誇りを取り戻されたと思います。最終的に裁判が勝訴となり、首相と面会して謝罪を受けたことは、宇佐美さんだけでなく、全国のハンセン病療養所の人たちを勇気づけました。
  それからの時期に僕が愛生園に行かないままになってしまいました。宇佐美さんは自分の家族や親族とのつながりも回復され、満足されていたと思います。僕の子どもたちをお見せできなかったのが残念でした。
  宇佐美さんから学ぶことは、どんなにささやかでも、自分が大事と思ったことをやり続けていくことです。宇佐美さんの手作りの資料館づくりが、最終的にはハンセン病の歴史を変える裁判の勝利にまで結びついたのです。それはたまたまかもしれませんが、宇佐美さんがコツコツと活動されていなかったら、僕たちと出会うこともなかったでしょう。自分にとっての大事なことを見つけると、それをたぐっていくことで、結果的には大きな事柄につながっていくのだと思います。
  僕は若いころに宇佐美さんによくしていただきましたが、あまり恩返しできませんでした。でも宇佐美さんに直接ではなく、宇佐美さんと同じように若い方の応援をすることで、間接的に恩返しできればと思っています。宇佐美さんはいつもおでんなどの食べ物をたくさん用意して、食べろ食べろと言ってくださいました。僕も誰かに生きていく元気を提供できればと思います。

 

写真1 長島愛生園の納骨堂。亡くなった人たちのお骨が納められている。友人の泉谷さん撮影。

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K君とのやり取り 2018年4月22日(日)

  4月18日に1通のメールが届きました。それは僕が大学時代におそらく数回だけしか会ったことのないK君からのものでした。21年ぶりに連絡をくれたことにも驚きましたが、さらにおどろいたのはメールの内容のすばらしさでした。K君は文学作品、特に詩人による絵画批評について研究してこられたそうで、芸術の仕組みについてずっと考えてきたというのです。僕もうれしくなって以下のメールを送りました。

 

  K君、すばらしく深いメールをありがとうございました。K君のように専門的に研究する立場とはかけ離れていますが、芸術の起源や創造性については僕もずっと関心を持ち続けてきました。僕の勘にもとづく考えに過ぎませんが、芸術も含めた創造的な活動には以下の要素があるのではと考えています。
,海寮こΔ龍然に居ついた場所に深く根を張り、偶然をきっかけとしながら創造していく。
⊃∧の成長のように幹を伸ばして枝を張り、葉を茂らせて果実を生む。台風で枝の大部分を折られたりしながら、それでも成長を続ける。
B人佑奮萋阿鬚靴覆ら徐々にテーマのようなものが見えてくる。成長しながら姿を変えていくので、全体像が見えてくるのはだいぶ後になってからである。
ち和だが高い作品ほど多様な姿を内包しており、加工したり編集したりすることで、さまざまな意味を持つ。
チ和だの高い作品は、見る人にも創造への衝動を起こさせることがある。
α和い離廛蹈札垢蓮△△覦嫐では「まだ見えないもの」に憑りつかれるようなものである。
  僕は医師になる前からこころの相談ヴォランティアをしたかったでした。ですのでいまでもほそぼそながら相談の窓口は開いています。ですので僕は地域で人々が困っていることに関わることが多く、できればそれを病院での仕事のなかでも支援できないかと考えてきました。
いままでに僕が関わってきた地域の課題には大きく3つあります。
ゝ埖圓篝鎖声栖宜臺算案など、認知症の困難事例の支援
⊃場のメンタルヘルス問題の支援
子どもや成人の発達症の支援
  ,砲弔い討話楼茲稜知症初期集中支援チームに入って活動しています。△砲弔い討六唆醗紊粒萋阿鬚靴燭蝓¬鮠貎Πなどのこころの相談担当をしています。そしてについてのニーズが圧倒的に高く、ここ3年ほどはその支援活動に忙殺されていました。
  ですので結局「なんで発達症なのか?」という問いへの答えは、支援システムができておらず地域での支援が手薄であり、住民のニーズがもっとも高かったからというのが答えになります。ただ別の側面もあり、僕自身が発達症の特性を持っているから、自己理解につながるという側面もあると思うのです。自分の長所や短所などの特徴を知ることができれば、自分を最も社会に役立つ形で使うことができます。僕にとってはその生き方のヒントをいちばんくれるのが発達症支援の活動なのです。結局は「人の役にも立ち、自分の役にも立つ」ような活動を、僕たちは求めるところがあるのではないでしょうか。

 

  K君が自分の長年の努力の核心に関わる問いかけをしてくれたことがうれしかったです。それはこちらを触発し、普段は考えないようなことを考えさせます。僕はこうしていつも新しく出会う人からの刺激を受けて成長してきたように思います。できれば今後は僕も出会う人に対して深く刺激できるようにあれたらと願いました。

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