お休みどころ

こころの相談活動を作り続ける
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2019年4月日録3

4/14(日) 子どもたちを連れて「宮崎市フェニックス自然動物園」に出かけた。動物園と遊園地が一体になっており、子どもたちは両方を楽しめる。幼児に乗りやすい遊具が多いので助かる。園内で感じたのだが、やすみが小学生になってから急成長している。下の子たちを乗せたカートを引っ張ってくれたり、ある程度面倒を見てくれる。響も言葉が上手になり活発になったので、やすみと響で遊具に乗ったりできる。しずくも上の子たちを真似している。いままでよりも子どもたちに手がかからなくなったのを感じる(少しさみしいような気もする)。響はウンチもほとんどできるようになったので、あとはしずくのオムツが外れれば、家族で出かけるのもずっと楽になるだろう。
   社会福祉士のYさんから連絡があった。Yさんは総合病院で働いているが、精神保健福祉士の資格も持っている。一般科と精神科をつなぐ橋渡しのような存在だ。以前困難事例の支援をいっしょにしたことから仲良くなった。僕のように精神科だけの病院で働いていると、患者さんが身体面の不調をきたしたときに困ってしまいやすい。Yさんがいてくださることで、困ったときにも助けてもらえる安心感がある。Yさんとのつながりから発展して、病院どおしのつながりも強まってきている。いい仲間が見つかることは、支援をしやすくしてくれる。
4/16(火) 人吉市の健康推進員の方たちから地域住民への健康教室で講演をするように依頼を受けた。その打ち合わせに3人の方が来られた。皆さん活発でとても楽しかった。「現代は地域のつながりが求められている」「そのための新しい仕組みが必要である」との意見で一致した。いい地域でないと、いい医療もできない。コミュニティーのために働こうという気持ちのある人をどう集めるかが大切だと思う。
4/17(水) 水俣市にある児童擁護施設「光明童園(ひかりどうえん)」の施設見学に出かけた。僕は児童擁護施設を見たことがなかったので、どんなところに子どもたちが入所しているのかに関心があった。ところが施設の職員さんたちが僕を囲んでの研修会を開いてくださり、それだけで時間が過ぎてしまった。非常に熱心な職員さんが多く、やりがいを持って仕事されているのがわかった。その一方で非常に難しい分野であり、精神科の医療機関(特に児童思春期の入院を受け入れている病院)の助けを切実に求めておられるのもわかった。熊本県の南部には児童思春期の入院施設がほとんどないこともあり、困っておられる。僕も応援していきたい。

 

写真5〜7は宮崎県宮崎市にある「宮崎市フェニックス自然動物園」で撮った写真です。


写真5 やすみがカートを引っ張ってくれるようになった。

 

写真6 怖い乗り物にも子どもたちだけで乗れる。

 

写真7 3人でウサギをなでることができた。

 

写真8〜9は水上村の古屋敷郵便局で撮った写真です。


写真8 古屋敷郵便局。やすみの入学祝いをくださるとのことで、やすみを連れて久しぶりに出かけた。

 

写真9 古屋敷。懐かしい風景だが、過疎化の波が押し寄せている。

 

写真10 多良木町にある公園「ファミリーパーク宇宙ランド」にて。クルクル回る遊具に乗るやすみとしずく。僕は見ているだけで目が回りそうだが、子どもは強い。

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2019年4月日録4

4/23(火) 娘のやすみはお世話係の小学6年生の女の子に先導してもらって登校している。その子が体調不良になったので、僕がやすみといっしょに登校した。僕はいままで通学路を知らなかったので、知ってみたい気持ちもあった。実際に歩いてみると、行きが35分、帰りが25分かかった。約2キロの道のりで、大人でも大変だ。よく歩いているなぁと感心した。お休みどころは人吉市のはずれにあり、他の子どもたちはあまりいないのではと思っていたのに、通学路を歩く子どもの数がとても多かった。やすみが終始1人で歩くわけではないので、そこは安心できた。通学路は車通りを避けて裏道が多く、分かりにくかった。たまにはいっしょに登校してみないといけないとわからないことがあると思う。
4/28(日) やすみの保育園時代の同級生が遊びに来てくれた。ちょうど息子の響が「日本百名城 人吉お城祭り」でダンスに参加するので、みんなで見に行った。去年もお城祭りには来たが、参加者がずっと増えていた。お祭りは人の密集感があってこそ盛り上がるので、うれしく思った。子どもが遊べるブースもたくさんあり、地域の高校生が乗馬体験や機械体験のコーナーをもうけていた。やすみは保育園時代の同級生たちに何人も会えて喜んでいた。僕自身は引っ越しをしたこともあって幼稚園時代の友人はいないが、やすみにとっては自分を支える仲間たちなのだろう。
   やすみが小学生になったのに伴い、地域の子ども会に入ることになった。総会があったので、僕が行ってみた。正直言ってつまらない集まりではと予想していたが、かなり熱気のある場で驚いた。当たり前かも知れないが子どもの養育に強い関心があり、なおかつヴォランティア精神もある方たちがそろっている。行事も多く、皆さん休みを都合して参加されているそうだ。あとで聞いたところでは、子ども会活動にはかなり地域差があるが、この町では盛り上がっているのだそうだ。メンバーが多彩なので、まとまっていくのは大変だと思う。懇親会にも参加したが、話していて勉強になる方が何人もおられた。美紗さんや僕も関わっていけそうだと感じた。
4/29(月) 「ジブリの大博覧会」と「恐竜キングダム」という2つの人気イヴェントに子どもたちを連れていった。すごい数の人たちが集まるので行列していて、入場するまでに2時間かかったり大変だった。でも子どもたちはよく待っていた。というか普段よりもずっと忍耐強く待てていた。価値あるもののためなら、子どもたちはがんばれるんだとわかった。子どもの人生にとって、目標があるかないかは大きい。僕が診療している子どもたちには前向きな目標を持てていない子どもたちも多く、そのためにがまんできなかったり感情が不安定になっているのかもしれない。虐待のいちばんの後遺症が前向きな未来を思い描けないことだと聞いたことがある。人間にとって目指すべきものを心に持てることは人生を左右するくらい大事なことなのだろう。

 

写真11 やすみの通学路の一部。車を避けるためにこういう細い路地を通る。

 

写真12 あさぎり町にある美容室「レッドヘア」にて。しずくの髪がモシャモシャになっていたので切ってもらう。

 

写真13 やすみが蒔いたアサガオの種から芽が出た。

 

写真14 「日本百名城 人吉お城祭り」。子どもが遊べるコーナーがたくさんあった。写真はくま川鉄道の方たちがされていたミニトレインに乗るやすみたち。

 

写真15 福岡市博物館で開かれていた「ジブリの大博覧会」。大変な混雑だったが、展示品の質が高くて満足した。優れた芸術作品は時間が経つとともにますます価値が高まっていく。

 

写真16 熊本県上益城郡で開かれていた「恐竜キングダム」。こちらも大変な人混みだったが、展示の質が高いので、待たされても子どもたちは満足していた。

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精神科スタッフの雰囲気について 2019年3月6日(水)

   精神科の医療機関にはさまざまな問題や悩みを抱えた方が来られます。幸せな方は少なく、多くは不幸や苦しみの渦中にいる方です。なので受診者は何らかの癒しを求めている方が多く、スタッフは癒しの雰囲気を作ることが求められます。
   これはいたって当たり前なようですが、実は当たり前ではありません。僕が精神科病院に勤務し出した当初の疑問は、「なんで癒しを提供する施設なのに、比較的きついスタッフが多いんだろう?」でした。その後15年目のいまに至るまで、癒しの雰囲気についてスタッフと話すことはあまりありませんでした。
   なぜそうなるのでしょうか? 1つの答えは、「診療の対象としている疾患の種類による」というものです。従来の精神科では、統合失調症の診療が中心でした。統合失調症では、状態が悪化した際には幻覚・妄想・不眠・興奮といった症状がみられることが多く、スタッフに求められることは「まずは余計な脳の刺激を減らすこと」です。脳機能の不調なときには、淡々とした関わりの方が、与える負担が少ないです。親しみや暖かみを中心とした関係をスタッフが提供しようとしても、かえって混乱を招きやすいのです。
   また統合失調症では悪化を繰り返すうちに、人間関係がおっくうになって引きこもりがちになったり、活気が低下してぼんやりしてしまったりすることがあります。その際には、スタッフに求められるのは、「少し背中を押して活動を促してあげること」になります。ただ単に癒しの雰囲気を提供するばかりでは、患者さんが何もせずに時間を過ごしてしまうことにつながりやすいのです。
   さらにごく一部の方ですが、イライラや攻撃性・暴力といった症状がなかなかおさまらない方がいます。精神科病院に長期に渡って入院される方は、どうしてもこのような安定しにくい方が多くなります。するとスタッフも優しく接するだけではダメなことが多く、場合によっては厳しくお話することが求められるのです。
   統合失調症だけでなく、従来の精神科医療で重視されてきた双極性障害・アルコール使用障害・てんかんに伴う精神症状といった疾患でも、似たような状況がありました。そういうわけで、従来の精神科医療のなかでは、緊急時に対処できるピリッとした雰囲気の方が、ゆったりした穏やかな雰囲気よりも重視されてきたきらいがあります。
   では現在はどうでしょうか? 現在では精神科スタッフが統合失調症の治療に悩むことはだいぶ減っていると言えます。理由ははっきりしませんが、世界的な軽症化がみられています。また薬剤の進歩により、昔よりも副作用の少ない飲みやすい薬が多くなり、状態が安定される方が多くなりました。統合失調症に関しては、病状の安定だけではなく、いかにして充実した社会生活(就労・経済的自立・結婚・育児など)を送っていただくかという社会的リハビリテーションの分野に重点が移ってきています。双極性障害についても状況は似ています。
   そして統合失調症については、なぜかはわかりませんが、新規の患者さんが減っています。これは病院の外来にいると顕著に感じられます。幻覚・妄想・興奮などを主訴とする新規受診者が不思議なくらい少ないのです。代わりに多くなっているのが、認知症、うつ病や不安症、発達症です。そしてこれらの疾患は脳の病気でありながらも、対人緊張・不安・ストレスなどに影響される部分が大きく、精神科スタッフは不安の軽減や安心感の提供をより求められるのです。
   ですので現在はスタッフが癒しの雰囲気を持って診療する機運が高まってきています。ですが癒しの雰囲気を持って診療することを妨げるもう1つの問題があります。それは共感の問題です。
   われわれには大なり小なり共感する能力が備わっており、それが患者さんと関わりを作る土台になります。共感できることが、患者さんの脳や心の状態を把握するためのいちばん大事な手段にもなるのです。ですが同じ共感能力のために、スタッフが患者さんの苦悩を、部分的にであれ引き受けてしまうという問題が出てきます。疲れや辛さや不安緊張を含んだ気持ちを、少しずつではあっても受け取ってしまいやすいのです。
   精神科で仕事をし始めて何年かすれば、スタッフには「患者さんとの心の距離を保って、引き受けすぎない」という心構えができてきます。それでも全く共感しないというわけにはいきませんので、徐々に不安・緊張・イライラ・焦り・絶望感・孤独といった苦しさが蓄積していく面があります。ですのでスタッフも知らず知らずピリピリした雰囲気を持ってしまいやすいのです。
   このことは、特に虐待を受けた子どもの治療で顕著になります。虐待を受けた子どもは、関わる人たちを振り回したり、心理的に巻き込んだりすることが多いです。そのなかで支援スタッフも絶望感・人間不信・無意味感などをいつの間にか持ってしまいやすいです。その子を叱っているようで、実は巻き込まれているだけということが多いのです。
   ですので虐待を受けた子どもの治療に関わる際には、こちらがゆったりとした穏やかな気持ちでいることが、決定的に重要になります。子どものことを心配したり、叱ったりしてもいいのですが、我を忘れて感情に振り回されてしまってはいけません。あくまでも穏やかさや安定感がベースにある必要があるのです。
   ですので精神科スタッフは治療のためにもゆったりした穏やかさを持たないといけません。そして自分をリラックスさせることを普段から意識的にしていく必要があります。精神科スタッフは社会を照らす明かりであるべきで、あくまでも明るい雰囲気を持つべきです。僕はいままでがんばることはしてきましたが、自分をくつろがせることは不十分でした。いまからはいかにして自分自身がくつろいで過ごせるかに注目していこうと思います。それが自他双方のためになるからです。

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2019年3月日録1

3/2(土) 美紗さんの弟一家が泊まりがけで遊びに来てくれた。子どもたちは大興奮だ。特に甥のそうちゃんは、なついてくれているのでかわいい。僕たちがよく出かけるボウリング場に行ったり、よく食べに行くネパール料理店「エベレストキッチン」に行ったりした。普段行く場所でも、違ったメンバーで行くと、全く新しい経験になる。心を許せる親族や友だちがいることは、なんと大きな財産なのだろう。一方で精神科に来られる方には孤独に苦しむ方も多く、とても気の毒に思った。
3/3(日) 美紗さんの弟一家といっしょに、観光列車「田園シンフォニー」に乗った。これは「くま川鉄道」の特別便なのだが、車内や到着する駅でいろんなイベントやサービスがある。以前くま川鉄道で通勤していたときにも、ゆったりした田園風景をぼんやり眺めるのが癒しの時間だった。人吉駅から湯前駅まで、不思議なくらいに農村風景ばかりが続いている。人吉球磨は癒しの里に向く地域だと改めて思った。
   やすみの保育園の同級生2人が遊びに来てくれた。同級生が自宅に来てくれるのは初めてで、やすみは異常なくらいにはしゃいでいた。まもなく保育園を卒園するので、やすみはさみしそうだ。人生には別れが多く、なかなかずっと続く友情は少ない。やすみもいまから苦労していくのだろう。
3/5(火) 療育を行う通所施設である児童発達支援センター「スイスイなかま」の健診に出かけた。通所する子どもたち(保育園年中や年長)の簡単な診察をしたあとに、保護者の方たちとお話した。心配として多いのは、「この先どうなっていくんだろう?」とか「将来自立できるようになるんだろうか?」などだ。僕は学生時代に起こりうる課題や成人後に起こりうる課題などについてお話した。また将来に備えるためにいちばん大切なのは、その子の得意なところや強みをできるだけ探していくことだ。発達症の子どもは得意不得意が激しいことが多く、進路選択がうまくいくかが通常以上に大事になる。その子がどんな分野に向いているのかをいっしょに探してあげるのが、親の大事な役割だと思う。
3/7(水) 吉田病院の子ども支援チームの例会で、看護師さんたちが研修会の内容を復講してくださった。「児童精神分野で働くスタッフとしての心得」(大嶋正浩)という講演だ。僕も子ども支援に関わっているので、うなずける内容が多かった。僕が受け取ったポイントは以下の通りだ。‖真種での支援が基本。∪鍵蚓鬚箍搬歌鬚鮟纏襪垢襦ケースカンファレンスを繰り返して、医師だけでなく全てのスタッフがケースの見立てを持てるようにする。ぐ緡鼎畔〇磴鯤けずに一体のものとしてとらえる。

 

写真1 人吉市にあるボウリング場「人吉スターレーン」にて。美紗さんの弟一家とボウリングをした。子どもたちも甥や姪といっしょにボウリングをしたのだが、普段よりもずっと集中が続いていた。

 

写真2〜3は観光列車「田園シンフォニー」に乗った際の写真です。

写真2 地域の電車である「くま川鉄道」の特別便になる。止まる駅で次々とイベントがある。

 

写真3 電車のいちばん前には子どもが座れる座席がある。

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2019年3月日録2

3/9(土) しずくが急に泣き出したと美紗さんから電話があった。顎が痛いようだという。僕はちょうど夜勤が終わるところだったので、かかりつけの小児科に連れていった。耳下腺の腫れはあったが、おたふく風邪ではないとのことだった。小さい子どもは急に状態が悪化しやすいから、ハラハラさせられる。
   「かかりつけ医等発達障がい対応力向上研修」に主催者側で参加した。専門医が診療してある程度状態が落ち着いた方などを、かかりつけ医にフォローしていただけるようにしたいというのが研修会の趣旨だ。背景には発達症の問題に関われる小児科や児童精神科が圧倒的に不足している現実がある。専門機関だけではパンクしてしまうので、もっと幅広い医療機関に関わっていただく必要がある。専門的な医療機関は都市部に集中していることが多いので、特に地方では診療できる医療機関を増やしていくことが必要だ。県単位で見た場合、医師の配置は大学病院の事情に左右されやすく、人々のニーズとずれてしまいやすい。僕自身はあくまでも人吉球磨の人々のニーズを優先して考えていきたい。
3/10(日) 熊本市にある「水の科学館」に出かけた。一般的な水の科学よりも、「熊本市の人たちが飲んだり使ったりする水」についての情報にしぼって展示してある。熊本市は地理的に阿蘇山に近い。阿蘇に降った雨が地下水になって、数十年後に井戸水として利用されていることがよくわかる。生活排水を川や海に戻すのにも、莫大な量の水が必要なこともわかる。水は生活にもっとも必要なもので、水の貴重さをもっと意識しないといけないのだろう。
   やすみの希望で映画『ドラえもん  のび太の月面探査記』(八鍬新之介監督、2019年、日本)を観た。「ドラえもん」と言えば、僕が小さい頃からズッと続いているアニメだ。映画もたくさんあり、僕も以前にも観たことがあるが、おもしろかった記憶がある。今回もそう感じたが、ドラえもんの映画はアニメの延長というよりも、普遍的な英雄神話になっている。ただ主人公の「のび太」が強い英雄ではなくて、「みんなが助けたくなる存在」であるところが、おもしろいところだ。人から応援されるということが、もっとも強いことなのだろう。
3/12(火) お休みどころで子どもと成人の発達症の相談を受けた。どちらももう少し早く特性がわかっていたら、もっと対策を打てただろうにと思わせるケースだった。特性を正しく把握しないと、対人職(特に営業職)など自分に向かない進路や職業を選んでしまいやすい。発達症の人は一般の人以上に得意不得意の差が激しいので、進路選択が通常以上に重要になる。人の向き不向きを考えたり、潜在力を見抜いたりする役割が、ますます重要になると思う。

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2019年3月日録3

3/14(木) 息子の響はなかなかオムツが取れない状態が続いている。オシッコはトイレでできるが、ウンチが難しい。この朝、自分から「ウンチをしたい」と言って、トイレでウンチをできた。美紗さんや僕はもちろんほめたのだが、響は非常にうれしそうな顔をした。いままで人に頼らないといけなかったことを自分でできるようになる。それは子どもにとってすごく自信になることなのだ。
3/16(土) 美紗さんの同級生2人が家族連れで1泊で遊びに来てくれた。3家族で子どもが合計8人になるので、特別な遊びがなくてもお祭り騒ぎになる。僕は初日の夜から参加したのだが、他の2人が子煩悩なパパたちなことが印象的だった。2日間ずっと子どもたちを楽しませるために行動されていた。僕なら少しぐらいは大人のためのスケジュールも取りたいと思うが、結局最後まで公園などで子どもたちを遊ばせることに終始した。それだけ大人が精神的に満たされているのだろう。
3/18(月) 「精神科スタッフの第一の仕事は、患者さんを偏見から守ることだ」。この教えは精神科で働きだしたときから胸にあった。しかし現代は精神科への理解が進んできている時代であり、この15年であまり偏見と直接にぶつかるようなことはなかった。
   ところが強い偏見に基づく排除行動をした教育機関があり、僕も抗議の電話をしてやり合うことがあった。とてもモヤモヤした嫌な気持ちが残ったが、わかったことが1つある。それは「偏見のもとには、よくわからない物事への過剰な恐怖心や拒否感がある」ということだ。あまりにも恐れるために、独断に基づく極端な排除に走ってしまうことになる。
  逆に言えば、精神疾患の特徴や対応法を人々に知ってもらえば、偏見は減ることになる。特に知識だけでなくて具体的な精神科スタッフの人柄を知ってもらうことが効果的だ。結局のところ、人々が困ったときにどの程度精神科スタッフに相談してくださるかが鍵を握っている。専門家に相談しながら対応する文化があれば、大きな偏見の発生する余地がない。僕自身は地域での啓発活動にもよく参加しているが、その大事さを改めて感じた。
3/19(火)相良村の「こころの相談」で発達症の相談を2件受けた。若い成人と高齢者のケースだった。子どもの場合と違って、成人の場合は就労・金銭管理・結婚や育児・近隣との関係・家族関係などが問題になる。うまく乗りきっていくためには、ー分の得意・不得意をよく知る、∈い辰燭箸に人にSOSを出せる、といったことが大切だ。早めに生活全体を見て支援に入る人がいれば、こうはならなかったのにと思うことが多い。
   相良村の中学1年生に授業をした。もう5年目になり、僕の話は内容が固まってきている。一方でグループワークはまだ2年目なこともあり、内容は保健師さんや学校の先生とやり取りしながら決まったものだ。うまくいくのかはわからない面があった。休日の時間をさいて参加してくださった病院スタッフが各グループに入り、生徒さんたちが議論するのをうまく促進してくれた。ストレス対処や苦しんでいる子への接し方がテーマだったが、深く掘り下げて考えてくれていた。「思いやりをもって人に接するためには、相手がどうしてほしいのかを見抜く必要がある。それはとても難しい」ということが、グループごとの発表をとおして明らかになった。中学生たちの考えが深くて、感銘を受けた。

 

写真4〜6は美紗さんの同級生2人が家族連れで遊びに来てくれたときの写真です。


写真4 ゆのまえグリーンパレス。子どもたちは草スキーをした。

 

写真5 水上村にある市房ダム湖。噴水の舞い上がった水が霧雨のようになって降り注ぐ。このあと風向きが変わって、子どもたちに水がかかった。

 

写真6 人吉市の石野公園。クモの巣を登るような遊具で、ユラユラ揺れるので子どもたちがこわがっていた。

 

写真7 春になり庭に咲く花が増えてきた。

 

写真8 響が自分なりに勉強するようになった。

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2019年3月日録4

3/20(水) 水上村のこころの相談を受けに行くために、朝に車を運転していた。ガガガッと急に音がして、気がつくと左のサイドミラーが壊れていた。電柱にぶつかってしまった。そのまま運転して仕事には行けたが、家に帰ったあとに美紗さんが確認すると、車の左側面を前から後ろまでこすっていた。もしもう少し左に寄っていたら、電柱に衝突していただろう。最近眠かったり、ボーッとしていたりすることが多い。自動車はすぐに大事故につながるので、危険を背負っているのを忘れてはならないと思った。
   少年院の見学をできる機会があった。最近は少年犯罪が激減していることや、少年院に入る子には発達症の子どもや虐待を受けた子が多いことは学会で聞いていた。まさにその通りで、非行の子どもが減っていて、発達症の子どもは増えているとのことだった。少年院でも児童精神科の視点も必要になっている。勉強会をするなど僕にできる形でか関わっていきたい。
3/21(木) 美紗さんが見ていた時代劇のようなテレビ番組を、たまたま僕も見た。小さな橋が何度も出てきて、橋を渡って共同体から出ていく人と、自由になりたいと思いながらも橋を渡りきれない人が出てくる。しがらみのなかでしか生きれない悲しみの余韻が残った。調べてみると作家の藤沢周平さんの作品をドラマ化したものだった。
   それで思い出したのだが、うちには藤沢周平さんの作品が1冊ある。『新装版  春秋の檻』(藤沢周平、講談社、2002年)だ。以前僕が働いていた伊敷病院のドクターの読書会に、Kさんが出してくださって読んだものだ。Kさんがのちに亡くなられてしまい、悲しい思い出がある。
   江戸時代の牢獄の医師を主人公にした物語なのだが、読み始めるとスルスルと読み進んでしまう。江戸時代の暮らしぶりの細部がたくさん出てくるので普通なら理解が難しいはずだが、それでもわかったような感じになってしまうのは、文体の力だと思う。文章なのに絵巻物のように場面が浮かぶ。そして人の運命や恋愛の不思議などが提示されるが、不思議さをますます感じる形で終わっていく。この世界の謎に向かってポンと投げ出される感じだが、世界の複雑さを味わった方が生きやすくなるのだろう。 
3/23(土) やすみの卒園式に参加した。保育園に入ったのがそんな昔ではない気がするが、3年も経っていた。もうやすみがさざなみ保育園に行けるも今日までなのだ。
   僕は自分自身の卒園式や卒業式について思い出がほとんどない。人生のなかでそれほど大事な時だとは思ってこなかったし、堅苦しい儀式も性に合わない。でも娘の卒園式となると話は別で、やはり人生の1つの節目だと感じる。美紗さんと相談して、仕事を午前中だけ休ませてもらうように事前から準備してきた。
   自分が親になったときに卒園式をどう感じるのかは予想できなかったが、おそらくめでたいことなのだろうと思っていた。ところが実際に卒園式が近づいてくると、意外なことに心細いような気持ちになった。やすみはせっかくできた友人たちと別れるのをさみしがっている。僕もせっかくできた保育園や保護者との関わりがなくなり、また関係作りがゼロから始まることに不安を感じる。卒園とは、新たなチャレンジなのだ。
   娘のしずくが外で遊びたくて騒いだために、式の様子は一部しか見れなかったが、やすみは発表したり歌ったり堂々としていた。クラス全体のまとまりも強かった。親よりも子どもたちの方がしっかりしている。子どもには揺るがない成長への勢いがある。それは未来を作っていく力とも言うべきもので、僕たち大人はなるべくその勢いを妨げずに、できれば追い風になることが大事だ。教育は聖職だと思う。 
3/26(火) フリースクールの生徒さんとご家族と面談をした。不登校になりフリースクールに来る子どもたちには発達症や精神疾患の治療を受けている人も多い。いままでの経験から言えるのは、不登校の子どもを受け入れる機関は児童精神科のかかりつけ医療機関を持っておくべきだということだ。フリースクールは教育機関と医療機関の間にある存在なのだと思う。
3/30(土) 仕事を変える人の送別会に参加したり、以前いっしょに働いた人と再会する機会があった。立場や肩書きは変わっても、自分なりの目指すものがある人は、目標に近づいていることがわかる。あせって成果を出そうとしている人よりも、迷いながら進んでいる人に魅力を感じる。飽きのこない大きな目標を持ち続けられること自体が才能なのだろう。

 

写真9 『新装版  春秋の檻』(藤沢周平、講談社、2002年)。江戸時代の牢医を主人公にした成長物語なのだが、現代の人間ドラマなのだと感じさせる。

写真10 さざなみ保育園の卒園式。娘のやすみは巣だっていく。

 

写真11 フリースクール「学びの杜学園」。幅広く不登校の子どもたちを受け入れている。

 

写真12 鹿児島市にある「鹿児島ふれあいスポーツランド」にて。広々とした敷地に広場やスポーツ施設がたくさんある。

 

写真13 お休みどころのそばの桜が咲き始めた。

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休息とリラックス法 2019年2月10日(日)

   病院で発達症を持つ子どもたちの診療をしていて最近よく感じるのが、「リラックスが苦手な子どもが多いのでは?」ということです。病院を受診するのは何かの問題(イライラ・対人トラブル・不登校・ゲーム依存など)があるからであり、病状が落ち着かないうちは過度に緊張していたりストレスを抱えていたりして当たり前です。ですが問題を解消しようと1つ1つ関わっていき、最後に現れてくるのが緊張の問題であることがよくあるのです。
   同じことは僕が処方する薬にも表れています。かんしゃくや衝動的な行動が問題になっている子どもが受診したとき、はじめはイライラ止めの薬を出します。それでかなり効果の出る場合も多いのですが、うまくいかないケースもあります。何がうまくいかないのかを調べていくと、結局のところ普段から過度に緊張していて、その蓄積のうえで感情の爆発が起こっていたということが多いのです。
   不安・緊張・ストレスといったものはうつや身体愁訴に関連しやすく、なかなか治りにくい大人のうつ病の方がおられたときには、背景にあるストレス(対人関係・家族背景・職場など)を掘り下げてみるのが一般的です。ですが子どもの場合にはイライラやかんしゃく・衝動行為などがおさまらない場合にも、背景にあるストレスを掘り下げてみる必要がありそうです。ゲーム依存についても似たようなことがあり、生活や学習においての不安や緊張のために、ゲームにひたってしまっていることがよくあります。
   そうすると、治療は必然的に不安や緊張をどう緩和させるかを含みます。ゲームやネット・動画などは依存しやすいですから、それ以外にもリラックス法を探してもらっています。ですがおもしろいのは、リラックス法は人それぞれであり、一律に決められないのです。音楽が好きな人もいれば、漫画がいい人もいます。折り紙、絵を描くこと、散歩、スポーツ、小物作り、おしゃべりなどさまざまです。その子に合ったやり方を、その子と家族と支援者が、いっしょにていねいに探していくしかないのです。
   自分に合ったリラックス法をなるべくたくさん見つけてもらうことが、大人になってからのストレス対処に役立ちます。発達症の子どもたちがかわいそうなのは、対人交流を苦手とする子が多いことです。一般的にはちょっとした家族や同僚・友人・近隣などとの交流で、ホッとしたり慰められたりすることが多いと思います。ですが対人交流が苦手な子どもの場合、人との関わりでくつろげることがほとんどないのです。特に引きこもりの子どもの場合、人との関わりの経験自体がきわめて少なくなってしまっています。
   ではどうしていけばいいのでしょうか?僕としては、現代がストレスの時代であることや、ストレス対処が生活上の重要な技術であることを、学校で子どもたちに伝えることが大切だと思います。現代はストレス対処を学習しないといけない社会状況にあると思うのです。
   インターネットを代表とする科学技術の進展で、人間が知識を頭に詰め込む必要性は軽減しています。機械の導入で肉体労働の負担も以前よりは減ってきているでしょう。ですがそのぶん対人サービスやマネジメント業務が増え、心理的ストレスにさらされる機会は増えていると思うのです。ピリピリしたりイライラしたり、精神的に追い詰められる機会は珍しくなく、それが精神科受診者の増加につながっているのではと推測されます。
   現代における富とは何かと考えると、リラックスできたり、無心になれたり、芯からくつろげる体験にあるのかもしれません。精神科の病院に求められる役割のなかでも、「ホッとできる場の提供」が大きくなってきている気がします。自分に合った「お休みどころ」を見つけたいというのが、おそらく現代人のニーズなのでしょう。出会った人にくつろいでもらえる技術を僕も探していきたいと思います。

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『自閉症 過去・現在・未来』を読んで 2019年2月23日(土)

   先月自宅に1冊の本が届きました。『自閉症 過去・現在・未来』(編集・発行:日本自閉症協会、2019年)です。大変興味あるテーマですが、なんで僕の家に届いたのか不思議でした。読みながら思い出しました。僕は2018年10月に熊本市で開かれた講演会(「自閉症を正しく理解すること 〜自閉症の支援でもっとも大切なこと〜」、演者:ゲイリー・メジボフ)に参加しました。感銘を受けましたので、主催団体の1つである「熊本県自閉症協会」の会員になりました。日本の各県に自閉症協会があり、その全国組織が「日本自閉症協会」なのです。熊本の協会員なので本を送ってくださったのだとわかりました。
   本は協会の創立50年誌です。「○○年誌」というと一般的には資料集的な感じで、あまりおもしろくない本が多いです。僕も正直言って期待せずに読み始めたのですが、内容が非常によく、しかも広範にわたっているので、読むのをやめられませんでした。そのうちに「これは最後まで読み通さないといけないぞ」と思うようになりました。いい本には読み手をつかまえて離さない魅力があります。
   もっともためになったのは、僕が当たり前と考えている自閉スペクトラム症(自閉症の現代的な診断名)の支援が、1つ1つ先人の努力によって勝ち取られたものだとわかったことです。例えば僕の住んでいる人吉球磨地域にも、自閉スペクトラム症の人や知的発達症の人が入所できる施設が3つあります。ですが50年前には入所施設が全然なく、家族や当事者が声を上げ続けて、自分たちの手で施設を1つ1つ作っていったのです。また学校にも居場所がなく、入学を拒否されてしまうこともしばしばだったそうです。特別支援学級や特別支援学校が普通にある現在からは想像できないことです。
   創設当時の保護者の方たちの記録を読むと、とにかく「いっしょに悩んで語れる仲間がほしい」という思いに突き動かされていたことがよくわかります。自分の子どもに与えられた社会的な居場所がない、また治療や支援もほとんどない。そんななかから団体を作り上げていかれたのだからすごいです。そして政治的な陳情なども続けた結果、強度行動障害の支援充実から発達障害者支援法の成立に至るまで社会制度が改良され、さまざまな医療・教育・福祉サービスが増えていったのでした。
   いま現在は50年前の保護者の方たちの目指したものはある程度形になっています。そしてより軽度の方へのよりきめ細かい支援が目指されています。この本から浮き出てくる問いは、「今後はどんな支援を目指すべきか?」です。その答えは多分野による統合的な支援だと思います。そしてそのことが本の編集のなかに表れています。
   本の内容を順番に要約すると以下のようになります。50年間における医療面の変化。∋碧〔未諒儔宗6軌虧未諒儔宗た討硫颪料論澆砲弔い董ナ〇礇機璽咼垢諒儔宗α蠱婿業について。保険事業について。╋┣颪亮損椹業について。当事者からはどう見えるか。各県の協会より。資料・年表。このように自閉スペクトラム症の人たちの支援には多様な側面があり、1つの分野だけには収まりきらないものがあります。ですので医療・保健・教育・福祉・司法・行政などの専門職と、当事者や家族が協力して、支援ネットワークを作りながら動いていくことがもっとも大切なのです。
   ではこのように努力することは、社会全体にとってどんな意味があるのでしょうか?この答えも本の中にヒントが出てきます。僕なりにまとめると以下のようになります。仝朕邑朕佑梁人佑弊犬方が尊重される(型にはめ過ぎない)。病気や障がいがあっても身近な地域でより安心して暮らせる(多方面からのていねいなアセスメントと支援)。I袖い箴磴いがあっても自信や誇りを持ちながら自分が目指すものを追求できる(当事者のエンパワメント)。ど袖い箴磴いを持つ経験をとおして得た知恵が、社会に伝わる(当事者発信の新たな文化)。ジ渋紊鮴犬るうえでの人間的な豊かさとは何か?という問いが深まる(幸せの探求)。
   「社会的弱者」の支援というのは深みを持ちます。それは「弱者」といえど強みがあり、「強者」といえど弱みがあるという発見に行きつきます。人間はもろく不確実で、いつもリスクにさらされています。どんなに個人で生きていけるように見える社会であっても、中核には助け合いの精神がなければ成り立たないはずです。いまどんな人たちが困っていて、どんな支援が必要で、そのためにはどんな社会的なサービスが必要なのか?いつも課題を発見していく精神が大切なのだと思います。

 

写真1 『自閉症 過去・現在・未来』(編集・発行:日本自閉症協会、2019年)。協会の活動史にとどまらず、さらに深くて広い内容がある。

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2019年2月日録1

2/3(日) 子どもたちを連れて、映画『メリー・ポピンズ リターンズ』(ロブ・マーシャル監督、2018年、アメリカ)を観に行った。前作である『メリー・ポピンズ』はかなり古い映画だが、古さを感じさせない想像力の噴出がある。リターンズは映像技術の点では比較にならないほど前作よりもすばらしいが、想像力という点では前作に及ばないと感じた。現代は特殊な画像の加工などで見せる映画が多いが、やはりストーリーが大事という意味では白黒映画の時代と変わらないのではないかと思った。
   精神科と司法と両方が関わるケースについて、友人の相談を受けた。司法領域というのは精神科の仕事に含まれているのだが、実際にはつながりが薄い面がある。基本的には保健所を中心に警察や精神科病院が関わるのだが、どの程度連携しているかは地域によって大きな差がある。司法領域の問題について関係者がいっしょに勉強できる場があればというのが僕の念願だった。人吉球磨地域では最近進展があるので、うれしく思っている。
2/5(火) 産業医として衛生委員会に参加したり、地域の事業所を訪問した。産業医の仕事には病気になった職員さんへの対応も含まれるが、ほとんどは予防的な活動だ。快適な職場環境作りや、人間関係の面へのアプローチなど、「いかに病気になる前に支援できるか?」と考えながらの仕事が多い。従業員が50人以上の職場なら衛生委員会に参加して活性化することがもっとも大事になる。50人以下の小規模の事業所にも地域産業保健センターの産業医として無料で訪問や支援ができるのだが、ほとんど知られていない。すごくいい仕組みだと思うので、地域の事業所にもっと活用していただきたいと思う。
2/6(水) 学校現場の支援職向けの研修会で、発達症の困難事例の支援についてお話した。グループワークではさまざまな意見が出るが、どの論点からでも掘り下げていけるのが困難事例のよいところだ。それほど多問題でないケースの場合、支援策もパターン的に決まってしまうが、問題が多岐にわたるケースほど自由に支援を進めていける。多角的に議論できるような雰囲気作りや、支援職どおしが励まし合える信頼関係などが、成功と失敗を分ける。難しいケースほど、専門的な知識だけではなく、ネットワーク形成能力が問われるのがおもしろいところだ。

 

 

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