写真1 阿蘇の道の駅で、阿蘇高校の生徒のプロデュースした「あか牛のトーストサンド」を食べた。
写真1 『小学館の図鑑 NEOアート 図解 はじめての絵画』(小学館、2023年)。絵画表現の歴史や技法や、さらには自分で創作する楽しみまで含んだ広大な内容で、美しい写真で作品に見入ってしまう。やすみが以前買って好んでいるものだ。
写真2 『パンダ銭湯』(作:tupera tupera、絵本館、2013年)。パンダがお風呂に入る様子が意外過ぎてびっくりする。まさに絵本ならではの世界だ。
写真3 『なぞなぞMAXチャレンジ!3000問』(著者:嵩瀬ひろし、新星出版社、2017年)。響がだいぶ以前になぞなぞにハマっていた時期があり、そのときに買ったものだ。ほとんどの問題を響が出してきたり、僕が出したりした。頭の固い僕には難しいものが多い。
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写真1 「ケアワーカー部会」の会場である「熊本県総合福祉センター」。
写真2 講師控え室まで用意してくださっていた。
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[注1] たぶん中沢新一さんの「みちのく男の世界」(『哲学の東北』(発行:青土社)に所収)という文章だと思い、本棚から取り出して読んでみました。図書館で借りた本のなかにあった文章で、感動したので、コピーしておいたものです。内容はものすごく深くて、信仰や生命の神秘に触れ得ているものだと思います。ですが、残念ながら、「ヴィジョン・クエスト」の話は出てきませんでした。おそらく『神話の力』(語り:ジョーゼフ・キャンベルとビル・モイヤーズ。訳:飛田茂雄、早川書房)で読んだのでしょう。
[注2] ゲド戦記はシリーズ化されているが、そのうちの第1作『影との戦い』が、自縄自縛をテーマとしている。ほとんど覚えていないが、たしか偉大な魔法使いになる資質のあるゲドが、秘密の魔法を使って、影の存在を呼び覚ましてしまうところから、物語が始まる。
写真1 宗教学者である中沢新一さんの「みちのく男の世界」(『哲学の東北』(発行:青土社)に所収)。修験道についての講演録で、わかりやすい言葉で語られているが、すさまじい深みがある。「自分と異なるものを、受け入れて、育てる」という産みの神秘が、宗教的な深みにも位置していることがよくわかる。
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写真1 美紗さんに手作りの誕生日プレゼントを渡すしずく。
写真2 まだ寒いが、庭の梅の木のつぼみが開いてきた。
写真3〜12は、鹿児島市への旅行の際に撮った写真です。
写真3 鹿児島市にある「かごしま環境未来館」。地球環境の保全のためにできることを学べる。
写真4 鹿児島市の「中央公園」。四角が3つ組み合わさったオブジェが印象的だ。
写真5 鹿児島市にある「天文館図書館」。子どものエリアでは、好きな格好をして、本を読むことができる。
写真6 『未来のきみを変える読書術』(著:苫野一徳、筑摩書房、2021年)。こころ優しい先生による、読書案内だ。
写真7 『スティーブ・ジョブズ』(著:パム・ポラック&メグ・ベルヴィソ、訳:伊藤菜摘子、ポプラ社、2012年)。ジョブズの人間的な弱みについての記載が興味深い。
写真8 桜島フェリー。わずか10分ほどの航海だが、景色がすばらしい。
写真9 桜島フェリーで食べるうどんがおいしく、子どもたちは取り合って食べていた。
写真10 「桜島自然恐竜公園」。レトロ感がかえって人気のもとになっている。
写真11 「湯之平展望所」。観光名所だが、すぐ目の前に活火山があるのは、異様な光景だ。
写真12 帰りの桜島フェリー。夜景がきれいだ。
写真13 娘のやすみと息子の響と、3人でサイクリングに出かけた。
写真14 向かった先の村山公園でピクニックをした。
写真15 村山公園で娘のしずくが、アマガエルを捕まえた。飼いたいというので、飼育ケースを用意した。しずくは「あんこちゃん」と命名した。写真では、水の入った器のへりに座っている。
写真16 水俣市の湯出地区にある「食処かしわぎ」。初めて入ったが、100年以上の歴史のあるお店で、気楽でおいしく食べられた。
写真17 娘のしずくが、ウサギのコアラに服を着せた。
写真18 しずくがペットボトルで作ったもの。
[追記1]
翌日1月3日の午前の便に欠航が多いのはネットで知っていましたが、午後は予定としては飛ぶようでした。安心していたのですが、やはり空港に着いてみると、事情が違います。実際には、僕の乗る18時5分発の鹿児島行きの便が飛ぶのかどうかは、なかなか決まりませんでした。羽田空港には出発予定の3時間前には着いたのですが、出発予定の表示は、ほとんどの便が「遅延」になっています。なかには3時間の遅れという便もあり、時間と共に、1便1便の遅れが積み重なって、どんどんひどくなっているのがわかります。さらには欠航の便も次々と出てきました。出発ロビーのある空港2階は騒然とした雰囲気です。欠航がすでに決まった人たちの長蛇の列もあります。
はじめのうちは屋上デッキに行ったりお店を見回ったりしていたのですが、そのうちに歩き疲れて、空港6階の廊下の一角に座ることにしました。18時台の出発便も欠航が多くなっていましたから、「もうダメだろう」と思いました。「飛ばないならこのあたりで廊下に雑魚寝だな」と思っていました。避難所の人たちもこんな「自分たちではどうしようもない」という気持ちなのかと想像しました。放送で「〜便は欠航が決まりました」と流れるたびに、「急所を突かれるはずが、なぜかそうならなかった」ような気持ちでした。ところがどういうわけか、子どもたちはけっこうご機嫌で、ボール遊びをしたり、普段はそんなに人に関心のない響がロビーの人間観察をしたり、活気があったのでした。大人たちが困っているときの方が、子どもは生き生きするのかもしれません。
たぶん今日は帰れないので、「明日は仕事に行けません」と、職場に連絡しようとした、まさにそのときに放送があり、予定の1時間25分後の19時半に搭乗開始されるとのことでした。ですが放送のわずか25分後の搭乗開始でありますし、出発ロビーに着いても「宮崎行き」と表示されていたり、かなりの混乱がうかがわれました。案の定、搭乗を開始しても遅れる人が続出し、さらに荷物の積み込みも遅れて、結局飛行機が動き出したのは、その55分後でした。最終的に鹿児島空港に着いたのは、22時20分でした。クタクタでしたが、何時であっても、「着いたら丸儲け」といった気持ちだったのです。ですが空港に着いてみると、出発を待っている人がいっぱいいました。3時間45分遅れで、いまから真夜中の12時前に東京に出る便もあったのです。自分たちよりも、もっと大変な人たちがいたのでした。
[追記2]
友人は事故があった次の日の3日に18時間羽田空港にいましたが、予約変更をしても、また欠航になり、の繰り返しだったそうです。何度も何度も予約変更して、やっと6日に飛行機が飛びました。航空ダイヤというものは、ひとたび乱れると、ものすごい影響が続くのだとわかります。友人は最初は空港にばかりいたけど、あきらめて途中からは東京観光をしたそうです。非常時にはあきらめも大切なようです。
写真1 羽田空港の屋上デッキで見る限りは、異常はわからなかった(美紗さんによれば、見えないところに事故の起きた滑走路があったとのこと)。
写真2 遅延が重なって欠航が増えてくると、出発ロビーはこの写真よりも、もっと騒然とした雰囲気になっていった。
写真3 なぜか子どもたちはご機嫌で、買ってきたボールを投げあって遊んでいた。
写真4 搭乗開始後も、なかなか出発できなかった。
写真5 出発待機中の機内。「ほんとうに飛べるのか?」という気持ちが残っていた。
写真6 鹿児島空港に着いて。空港はガラガラかと思っていたら、人がいっぱいでびっくりした。
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写真1 『宗教の行方』(著:八木誠一、法蔵館、2022年)。古典を生き生きと甦らせることに鋭さやキレがある。
写真2 『詩という仕事について』(著:J・L・ボルヘス、岩波文庫、2011年)。小さな文庫本だが、内容は広大で、読み終えると、世界の果てまで旅してきたかのような気持ちになる。
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[追記] 赤ちゃんは男の子であることがわかりました。名前は「息吹(いぶき)」にすることにしました。他の子どもたちの名前と同様に、美紗さんが案を出して、すぐに決まりました。僕の職業病で、「発達症ではないか?」など心配してしまいます。ですが何はともあれ、元気に産まれてきてほしいです。
写真1 『Winnie-the-Pooh』(著:A・A・Milne、挿し絵:Ernest・H・Shepard、発行:Puffin Books)。親子のかけあいから、物語が始まる、その飛翔がすばらしい。また語呂合わせやジョークも多く、口で語られている即興感が生きている。
写真2 『パンどろぼうとほっかほっカー』(作:柴田ケイコ、発行:KADOKAWA、2023年)。絵のアート感がすばらしく、また内容もおもしろい。型にはまらないアーティストならではの発想だ。
写真3 『秘伝 自然発酵種のパンづくり』(著:林弘子、発行:晶文社、2002年)。同じ著者の発酵食づくりの本とセットになっている。パンづくりの原点にさかのぼり、パン種から手作りする内容だ。京都の論楽社にいるときに、たしか故・上島聖好さんが買ったものだと思う。イーストでのパン焼きでも続かない僕にはレベルが高かったが、発酵というプロセスについてよくわかる。また著者の掘り下げる実践もすごい。
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未知の状況に飛び込むような生き方だと、どうしても決断は直感的なものが多くなり、人に説明するのが難しいです。また場合によっては、まわりを混乱させたり、戸惑わせたりするかもしれません。本人自身にもよくわからないのですから、どうしようもないのです。ですが、10年20年と経ってくると、だんだん人生のまとまりが出てきて、当時はわからなかった自分の本来の意図が、見えてくるのです。ゆっくりと自分の願いを結晶化させていくような作業です。
ブッダの語ったこととは、ズレているのかもしれませんが、いまの僕にわかることは、これくらいです。人がいままでの生き方を変えるように迫られるときには、当たり前ですが、怖くなり、抵抗します。何か後押しをしてくれる存在が必要なのです。そんなときに、ささやかでも、追い風になれればと思います。生き方を変えることは、哲学や人生観の変更までも含み、言葉の質も変わることなのです。どんなに小さなレベルであっても、未知の状況に飛び込む苦労は変わりません。そして人生のなかで、いままでのやり方では通用しなくなることが、少ないながらも襲ってくることがあるのです。
そんなときには、手探りで進んでみないといけません。そして誰かと話すのは、足場を見つける助けになるのです。精神科スタッフも、場合によっては助けになることがあります。人生のギアチェンジに寄り添うのも、精神科の役割なのです。ですがおそらく大部分の人は、精神科スタッフではなく、身近な誰かの存在を頼りに、人生観を変革する作業をしているのでしょう。自然災害が起きたときや、身近な存在が亡くなったとき、急に新しい課題に取り組まないといけなくなったとき、大切な人に裏切られたとき、自分が大きな病気をしたとき、などです。人生の緊急事態において、一から考え直さないといけなくなるのです。
こういった、組み立て直しの作業にとって役立つのは、小さいころにした遊びの経験です。それは「意味はなく、ただ無心に遊んだ」ということなのですが、意味がないというところがミソで、人生が崩壊して意味が崩れたようなときに、生きてくるのです。意味以前のものですので、逆に強いのです。僕で言えば、虫取りをしたことや、ザリガニを泥川で捕まえたこと、ヒキガエルやブルドーザーの絵本、レゴブロックを組み立てたこと、などです。これらが実は、のちのちになって、僕の生きる哲学(?)の土台になったのです。
いまからを生きる子どもたちに、精神科スタッフの立場から、何かメッセージを伝えるとするなら、「小さいうちにいっぱい遊んでください」になります。遊びのなかには、将来に芽生える夢のもとがあり、また人生の転機で生き方を組み直す土台があります。遊びには意味がないのに、実はその意味は深いのです。自然のなかで、いっぱい遊んでほしいですね。
[追記]
手元にあった『ブッダのことば スッタニパータ』(訳:中村元、岩波書店、1984年)を見てみると、僕が書いた言葉はありませんでした。自分で合成した記憶であり、正しい引用ではありません。第一章の三が「犀(サイ)の角」となっており、「・・・。犀の角のようにただ独り歩め」というフレーズが集められています。修行僧に向けたすばらしい言葉ばかりです。例えば以下のようなものがあります。
「四方のどこにでも赴き、害心あることなく、何でも得たもので満足し、諸々(もろもろ)の苦難に堪(た)えて、恐れることなく、犀の角のようにただ独り歩め」(18ページ)。
写真1 えびの高原スケートリンク。気温が高いので、昼前にはリンクの端から氷が溶けだした。
写真2〜3は、娘のしずくの保育園の発表会で撮った写真です。
写真2 人吉市の文化会館(カルチャーパレス)であった。
写真3 『青い鳥』(作:メーテルリンク)の音楽劇があり、しずくは光の妖精の役だった。
写真4 大雪の予報だったが、人吉市では、雪は少しだけだった。大人は助かったが、子どもはさみしそうだ。
写真5〜6は、「地域の学習支援プロジェクト@大信寺」(主催:放課後のこどもの居場所・こどもプレイスつなぐ)の白玉団子作り体験の際に、撮った写真です。
写真5 白玉粉を練って丸める。
写真6 ゆでて、浮き上がってきたら、引き上げる。