お休みどころ

こころの相談活動を作り続ける
<< March 2019 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
<< K君とのやり取り 2018年4月22日(日) | main | フリースクール「学びの杜学園」5周年記念の集まりに参加する 2018年4月3日(火) >>

宇佐美治さんについて 2018年4月11日(水)

  4月11日に友人の泉谷さんからメールが来ました。宇佐美(うさみ)治(おさむ)さんが前日に亡くなったそうです。泉谷さんは僕の20年以上になる友達で、互いに大学生であるころに京都にある社会問題を考えるサークル「論楽社」に通っていました。そのメンバーで岡山県の小さな島にある国立ハンセン病療養所「長島愛生園」に何度も旅行に行っていたのです。宇佐美治さんはその愛生園の入所者だったのでした。
  宇佐美さんと僕が初めてお会いしたのは、1994年(高校3年生)のときでした。宇佐美さんは論楽社のメンバーを受け入れて案内してくださった方の1人で、歴史家でした。歴史家と言っても大学などの研究者ではなく、愛生園の歴史を記録するための手作り資料館を作っておられたのです。いまでは立派な展示になっていましたが、もとは宇佐美さんがコツコツと物品を集め続けたものでした。宇佐美さんは精神的にも歴史的で、自分が学んだたくさんのことをワーッと次々話し続けるような方でした。お話が多岐にわたっていて博学なことに、僕たちは圧倒されたのでした。
  その一方で宇佐美さんにはどこかすねたような、世の中に絶望した世捨て人のような面がありました。ハンセン病の方は昔は厳しい差別にさらされ、警察が強制的に療養所に収容したり、家族に戸籍から抜かれたり、「死んだこと」にして名前を変えざるをえなかったり、といった壮絶な体験をしてきています。その後遺症(複雑性PTSD)なのだといまでは理解できるのですが、当時は不思議な気がしました。せっかく仲良くなっても、どこか心を開かれないような感じが残るのです。「人間は信じられない」「この世はいくら努力してもよくならない」といったあきらめのような感触が、少しではあっても感じられるのでした。
  そんな宇佐美さんが変わったのは、ハンセン病国家賠償請求訴訟を通してです。第1期の原告ではないものの、宇佐美さんは長島愛生園の原告団長になられ、裁判の証言台に立たれました。証言するためには人生の傷をあらいざらい話さないといけないのですが、それをすることで、宇佐美さんは誇りを取り戻されたと思います。最終的に裁判が勝訴となり、首相と面会して謝罪を受けたことは、宇佐美さんだけでなく、全国のハンセン病療養所の人たちを勇気づけました。
  それからの時期に僕が愛生園に行かないままになってしまいました。宇佐美さんは自分の家族や親族とのつながりも回復され、満足されていたと思います。僕の子どもたちをお見せできなかったのが残念でした。
  宇佐美さんから学ぶことは、どんなにささやかでも、自分が大事と思ったことをやり続けていくことです。宇佐美さんの手作りの資料館づくりが、最終的にはハンセン病の歴史を変える裁判の勝利にまで結びついたのです。それはたまたまかもしれませんが、宇佐美さんがコツコツと活動されていなかったら、僕たちと出会うこともなかったでしょう。自分にとっての大事なことを見つけると、それをたぐっていくことで、結果的には大きな事柄につながっていくのだと思います。
  僕は若いころに宇佐美さんによくしていただきましたが、あまり恩返しできませんでした。でも宇佐美さんに直接ではなく、宇佐美さんと同じように若い方の応援をすることで、間接的に恩返しできればと思っています。宇佐美さんはいつもおでんなどの食べ物をたくさん用意して、食べろ食べろと言ってくださいました。僕も誰かに生きていく元気を提供できればと思います。

 

写真1 長島愛生園の納骨堂。亡くなった人たちのお骨が納められている。友人の泉谷さん撮影。

『お休みどころ』通信 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | - | -

この記事に対するコメント

コメントする









この記事のトラックバックURL
http://oyasumidokoro.rongakusha.com/trackback/1424929
この記事に対するトラックバック