お休みどころ

こころの相談活動を作り続ける
<< October 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
<< 齋藤たきち・幸子さんとの再会3 2015年1月18(日) | main | 齋藤たきち・幸子さんとの再会1 2015年1月12(火) >>

齋藤たきち・幸子さんとの再会2 2015年1月12(火)

 今回は妻の美紗さんと娘のやすみを連れての初めての山形市への旅です。たきちさんと幸子さんに、美紗さんとやすみを見てほしいとの思いもありました。それにしても、九州から山形市は遠いです。僕たちは飛行機で羽田空港まで移動してから、東京駅に行き、新幹線に乗りました。飛行機1時間半、新幹線2時間45分です。前日は祝日で混んでいて遅い出発の飛行機しか取れなかったこともあり、着いたのは夜の22時でした。ホテルが駅のなかにあって助かりました。
 山形市に行った目的の1つは、南国育ちで雪を見ることがなかなかない美紗さんに、たくさんの雪を見せてあげたいということでした。それは新幹線の車内で最初に達成されました。山形県南部の米沢市(よねざわし)辺りになったとき、「“なんだこりゃ”ってくらい、雪がたくさんあるよ!」と美紗さんが声を上げました。見てみると家も道路も雪に包まれていて、駅のホームまで雪に埋もれています。さらに家や道路の脇に雪かきで積み上げられた雪の山があります。「雪国だね」と僕たちは話しました。僕自身も1回スキーに行ったことがあるだけで、たくさんの雪を見たことはないのです。
 ところが山形駅が近づくにつれ、雪の量が少なくなっていることに美紗さんが気付きました。着いてみるとホームに雪がないのはもちろん、道路もきれいで、脇に雪が少し残っているだけです。あとで幸子さんに聞いたところでは、山形市は比較的雪が少ないのだそうです。そして山形市から離れて山形県の南部や北部に向かうと、場所によっては2mくらいの大雪が降るそうです。雪のなかで暮らしていくのは大変そうですね。
 さてお2人に会いに行く当日です。お宅は山形駅でタクシーに乗って20分ほど行ったところでした。山形駅の周辺部はビル街ですが、郊外は一転して農園や果樹園が多そうです。タクシーの運転手さんからも聞いたのですが、山形県は洋なし、さくらんぼ、ブドウ、リンゴ、柿、スイカ、メロン、アケビなどがよく採れる「果樹王国」なのだそうです。たきちさんたちだけではなく、全体に果物が何でもよく取れるところなんですね。気候や土質が適しているようです。
 タクシーの運転手さんが「たぶんこの辺りだよ」と言って下ろしてくれました。川が流れていて、小さな橋のうえからは三角形の山が見えます。どこか見覚えのある風景です。前回来てからもう10年くらい経っているので、はっきり思い出せませんが、たしか川沿いのお家だった気がします。
 やっぱりそうでした。齋藤たきちさんが玄関で迎えてくれました。長年の農業で鍛え抜かれたがっちりとした体格です。口数は多くはないけれど、冗談やユーモァが多く飛び出します。以前よりも気楽な、にこやかな感じがします。認知症になられてもの忘れが出ていると聞いていましたが、そのせいでしょうか。
 奥から幸子さんが出てこられました。幸子さんは「腰が曲がってしまった」と電話で嘆いておられましたが、たしかに曲がっています。でもそれは長年働きづめに働いてきた労働の証です。幸子さんの表情には「芯の強い明るさ」のようなものがあります。いままでに無数の人たちを励ましてこられたのです。
 たきちさんと幸子さんはそれから僕たちを居間でもてなしてくれました。ちょうどたきちさんの友人の方も来られていたので、いっしょにお話をお聞きしました。内容は_畫族修斑楼茲旅喃僉↓∋碍糎で編まれた文集『山びこ学校』のこと、たきちさんの“人生の師”である真壁仁(まかべじん)さんのこと、の3点が中心でした。そこで以下で『山びこ学校』と真壁仁さんについて書いてみたいと思います。
 『山びこ学校』(無着成恭編、岩波書店、1995年)は山形県の山元村の中学校で社会科の教師をしていた無着成恭(むちゃくせいきょう、1927〜)が編集した子どもたちの文集です。初版は1951年に出版されました。その特徴は、きわめて日常的な出来事について日記のように書かれていながら、そこに含まれる問題について大局的・学問的に考える探求が含まれていることです。子どもたちの目と手と足とで作り上げた「社会と生活の研究」と言えます。
 驚異的なのは、子どもたちの生活場面が映像のようにありありと浮かんでくるところです。ウサギの罠をかけた様子、雀のヒナを放課後に見に行く楽しみ、炭焼きの釜を作る厳しい労働、お金が足りない両親の苦労、家族の病気、進路が決まらない心配、労働のために学校に行けない現実、などなど。雪国の生活の苦しさと共に、自然を相手に生きる知恵深さやたくましさが、芳香のように言葉の奥から湧き上がってきます。
 文章がうまい子も苦手そうな子もいますが、それぞれが生活の一場面を鮮やかに切り出しています。そして不思議なことに、言葉が苦手な子の方が、いっそう物事をナマのままに取り出しているような気がしてくるのです。ここには「文字で整然と整理・体系化された社会」と「文字の出現以前の口承文化の社会」の接点があります。山人の世界はシステム化されていないのです。
 文章も詩も難しい言葉で書かれてはいないのに、読んでいると人生の根元的な問題に行き当たる。生きるってこんなに難しく大変なことなんだ、と感じました。当時の山元村の中学生たちは、卒業と共に社会人として仕事や家業の手伝いに従事する人が多かったのです。家族のためや社会のために自分はどう生きるのがいいのか?という彼らの悩みの真剣さに打たれます。その迫力と比べると、僕自身も含めて現代社会に生きる人は、よりのんびりとした贅沢な悩みを生きているように思えてきます。
 たきちさんたちのお話では、山元村はいまは過疎化で荒廃してしまっているそうです。当時の子どもたちももう80歳近くです。彼らは時代の変化をどうとらえているのだろう?お会いしてお話を聞いてみたくなりました。 
 次に真壁仁さん(まかべじん、1907〜1984)についてです。真壁さんはたきちさんの「人生の師」である農民詩人でした。農業をしながら文章を書き、教育活動にも参加し、地域文化の発掘などにも従事する。そんな生きる姿勢を、たきちさんは真壁さんから受け継いだそうです。
 たきちさんは高校卒業後に真壁さんと出会って以来、ずっと変わらず真壁さんの仕事を手伝ってきました。真壁さんの死後にも、友人たちと協力して『真壁仁研究 1〜7号』(真壁仁研究編集委員会)の発行に尽力し、真壁さんの仕事と人柄を人々に伝えることをライフワークとしてきました。たきちさんのお話のなかにも真壁さんのことが繰り返し出てきます。
 今回聞かせていただいた、真壁さんについてのたきちさんの言葉を列挙してみます。「世の中の全てに関心を持って生きること、全てから学ぶことを教わった」。「真壁さんは高等小学校しか出ていない。いまで言う中学2年。全て独学だった」。「『黒川能』(山形県庄内地方の郷土芸能、参考ウェブページ)なんかも真壁さんが紹介し続けたからこそ、みんなが見に来るようになった」。「強烈な魅力があった。あんなにモテた人もなかった」。 
 僕の手元にはたきちさんから以前いただいた真壁さんの詩集『冬の鹿』(真壁仁著、潮流社、1983年)があります。装丁の豪華な500部限定の特装版で、真壁さんのサイン入りです。真壁さんの最後の詩集だそうです。
 なかの詩を読んでいると、真壁さんを突き動かしていた問題意識にありありと触れることができます。第一章は、農業や稲作の起源について。第二章は、科学技術の進展に覆われた現代社会とそれが喪失したもの、そして本来の生命世界が宿していた豊かさについて。第三章は、旅への憧れと独裁のむなしさ、民主化のうねりとそれを形にした詩人について。それぞれが呪文のような言葉の連なりのなかに封じ込められています。
 これらの問題はそのままたきちさんの問題でもあります。たきちさんは果樹農家として、より具体的な形でこれらの問題に関わってきました。真壁さんが思想家なら、たきちさんは思想の実践者という感じです。師匠と弟子は、同じ問題をはさんで対照的な存在なのかも知れません。たきちさんがコツコツとおいしい果実を作り続けたからこそ、真壁さんのスケールの大きさが生きたのではないか。そんなことも考えさせられるのです。

1
写真1 やすみにお菓子をくださる幸子さん。

2
写真2 ニワトリ小屋を見に行く。

3
写真3 ニワトリをそばで見させてくださるたきちさん。

4
写真4 雪がいっぱいでやすみは大喜び。

5
写真5 果樹園。大半の樹は切られてしまった。

6
写真6 小さな雪だるまを作った。

7
写真7 『山びこ学校』(無着成恭編、岩波書店、1995年)。小さな本のなかに驚異的に厚みのある世界が生きている。子どもたちの目から見た世界だからこそこんなに生き生きしているのかも知れない。

8
写真8 『冬の鹿』(真壁仁著、潮流社、1983年)。たきちさんの師である真壁仁さんの詩集。真壁さんの問題意識が言葉のうねりのなかに刻み込まれている。

『お休みどころ』通信 | permalink | comments(2) | trackbacks(0) | - | -

この記事に対するコメント

私は大学の推薦課題で真壁仁の調査をしている高校三年生です。真壁仁研究を拝読したところ斎藤たきちさんの名前を何度かお見かけしました。そこで検索をかけさせて頂きこちらのブログに辿り着きました。そこでぜひ斎藤たきちさんについて情報をお尋ねしたくコメントさせて頂きました。メールにてお返事を頂戴したい所存です。宜しくお願い致します。
N.M | 2016/10/24 8:53 AM
コメントをありがとうございます。ぜひご連絡ください。僕のメールアドレスはyasunari-o@hotmail.co.jpです。ご連絡お待ちしています。
興野康也 | 2016/10/24 8:05 PM
コメントする









この記事のトラックバックURL
http://oyasumidokoro.rongakusha.com/trackback/1424627
この記事に対するトラックバック