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映画『モンド』をめぐって 2014年9月8日(月)

 友人の藤田裕一さんは大の映画好きです。そして思いやりのある裕一さんはなぜか僕の「誕生日祝いに」と映画DVDを贈ってくれます。僕の方から裕一さんの誕生日祝いを贈ったことがないものですから、いつも恐縮するばかりですが、映画を観るのが楽しみですからワクワクするのです。
 その裕一さんが今回は「2番目の赤ちゃんのお祝いと遅い誕生祝いに」とDVDを贈ってくれました。それが 映画『モンド』(トニー・ガトリフ監督、フランス、1995年)です。DVDのパッケージには爽やかであってどこか寂しそうな男の子が写っています。これが主人公の少年モンドです。この映画を観て、僕は以下のブログ記事を書きました。

 友人の藤田裕一さんが映画DVD『モンド』(トニー・ガトリフ監督、フランス、1995年)を贈ってくれた。叙事詩のような映画だ。ストーリーではなく、社会から排除され続ける少年モンドの存在そのものが映画の主題だ。モンドは奔放で型にはまった生き方ができないが、世界のなにげないところに転がっている美に気付ける感受性と無垢さを持つ。僕たちは「多数派と合わないから」というだけで、少数派の人たちを「社会から追い出して」いないだろうか?映画が僕たちを直接糾弾しない分、より一層考えさせられる。

 これに対して、裕一さんから以下のメールが来ました。

 早速のご返事ありがとうございます。この映画の原作者ル・クレジオは、1978年に子供の為に短編集『海を見たことのなかった少年』を書きました。その中の一編が「モンド」です。モンドはフランス語で世界という意味で、恐らく興野さんのおっしゃる無垢なる者、大人になって忘れてしまったもの、特に現代社会において希薄になった人間関係を、自由人として、そして子供特有の視点から思い出させる存在として描いたのだと思います。だから当時のフランスの子供たちの心を掴んだのだと思います。
 ル・クレジオ自身もこの本がきっかけとなって社会的弱者への視点に立った小説を書くようになったようです。確かに少数派の問題も含まれているとは思いますが、この話はもっぱら現代の問題を描いたものと私は思っています。その点につきましては集英社文庫の原作本は600円程度で手頃ですし、岩波書店から出ている『モモ』もお勧めです(ミヒャエル・エンデ著)。

 さらに次のメールも届きました。

 先ほどのメールの補足です。ご存知の通り、監督のトニー・ガトリフはロマ(ジプシー)をルーツに持ち、彼らはヨーロッパでは差別されているのです。
 ル・クレジオもこの本を切っ掛けにして社会的弱者をテーマにすることが多くなり、多分それで映画化権を与えたのだと思います。
 もちろん子供も社会的弱者たる面があり、また原書でも鳩使いの老人の話も出てきます。
 しかし、モンドは皆に夢や希望を与える存在だったと思うのです。彼と話すうちに皆子供の頃描いていた世界(モンド)を思い出すのだろう。
 自由に考え、自由に行動し、人々の感性を刺激する面白い子なのです。だから彼がいなくなった時、皆が喪失感を持ったのです。
 原書は1978年で映画化されたのは1992年ですから社会の情勢もル・クレジオも変わっていたのかもしれません。だからトニー・ガトリフの
映画を見て喜んだのでしょうし、私も映画を10年以上前に見たのにもかかわらず印象に残っているのはそのせいかもしれません。
 そして、別の面では『モモ』の様なファンタジーではなく現実世界の昔からある浮浪児への偏見と不当な扱いを描いている事で子供たちへの
感性の学習を試みているのかもしれません。 

 僕にとって印象的だったのは、裕一さんがモンドの希望の側面を強調していることです。僕自身には「失われたもの」や「取り戻せないもの」を描いている映画と思えたのに、裕一さんには「世界を明るく照らすもの」としてのモンドが見えているのです。こんなに人間の感覚って違うんだなぁと驚かされます。そしていろいろ違った角度から眺められるところが芸術作品のおもしろさだと思うのです。
 モンドという「異質な存在」を登場させることによって、この世界の「普段は目にとめない側面」を浮かび上がらせるというのが、映画の創作意図なのかも知れません。ただ僕にとって少しだけ不満なのは、モンドという存在が「人類のモンド」になっていない気がするところです。「伝統の枠に縛られている」「作為的に作られたもの」という感じがどこか少ししてしまうのです。
 とはいえ映像の美しさ、音楽の深み、世界を見る視点の特異性など、この映画ならではの良さがあります。そしてなぜか1歳のやすみが「モンモン」と言って、これを見たいと1日に何度もDVDを持ってきます。そして音楽を聞いたりモンドの行動を見たりして喜んでいます。色の鮮やかさなのか、それとも音楽のおもしろさなのか?どこが赤ちゃんにとっておもしろいのか、よくわかりませんが、小さい子どもにも楽しめる何かがこの映画にはあるのでしょう。
 モンドとつながる人たちも、それぞれ独特な雰囲気を持っています。社会的に「成功」しているような人は誰もいませんが、自分のペースで生きることができる人たちです。1人1人が「自分の世界」を持っていると言えます。
 ともかく1度観ると何らかの印象を残す映画なのは間違いありません。機会があれば皆さんもごらんください。そしてこの映画のおもしろさをいっしょに議論できればいいですね。

[追記1] いま裕一さんから「自由人であるモンドとモモ、そして時間をそんなにせっかちに生きるのかと言った事がテーマだと思います」とのメッセージが届きました。たしかに「自由な精神で生きること」と「せかせかした時間ではない“時間”を生きること」にはつながりがあるのでしょう。どちらも「余裕」「ゆとり」「遊び」といったことに関連しています。さらに「創造」や「美」といったことも関わってくるでしょう。つまり周りの世界に振り回されるだけではなくて、自分なりの「時間」や「世界」を生み出しながら生きていくということです。
 モンドの真のテーマは「創造的な人間のありよう」ということかも知れません。「自分なりの役割を見つけ、それを淡々と大胆に果たしていくこと」とも言い換えられるでしょう。考えれば考えるほど奥が深いですね。それにしても1つの映画のなかから人類の普遍的な問題を取り出してくる裕一さんの感性には驚かされるばかりです。

[追記2] しばらくして裕一さんが映画の原作である「モンド」を含む短編集『海を見たことがなかった少年』(ル・クレジオ著、豊崎光一・佐藤領時訳、集英社、1995年)を送ってくれました。さっそく「モンド」を読んでみました。原書なので映画と基本的な流れは同じなのですが、こちらの方が読み手にわかりやすく書いてあり、映画を見ていて「?」と思った場面について「なるほど、そうだったのか」と思うことができました。ただ映画を見たときの「よくわからない感じ」を含む感動以上の強い感情は湧かず、むしろわかりやす過ぎてちょっともの寂しい気がしました。
 原作を読んで一層はっきりわかったのですが、映画『モンド』の素晴らしさは音楽だと思います。映画のなかで「風変わりだけど、1度聞くと耳に残る音楽」がいくつも使われています。特に人々が教会のなかで歌っている聖歌(?)は印象が強いです。ゆっくり歌われる、悲しいけれど美しさも含んだ呪文のような歌です。
 その主旋律を歌う女性が、モンドがいなくなってしまったとき、歌を続けられなくなるのです。この場面で僕は涙が出てしまいました。社会のすみっこにいて、気付く人しか気付かないモンドでしたが、世界を生き生きさせるうえでとても大切な存在だったのです。「ほんとうに大切な存在はなかなか目に入らない。権力からは遠く、弱くて小さな存在であることが多い」。そんな感慨を改めて抱きました。

写真1
写真1 友人の藤田裕一さんが贈ってくれた映画DVD『モンド』(トニー・ガトリフ監督、フランス、1995年)。詩人の魂を形にしたような少年だ。

写真2
写真2 映画の原作である「モンド」を含む短編集『海を見たことがなかった少年』(ル・クレジオ著、豊崎光一・佐藤領時訳、集英社、1995年)。

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この記事に対するコメント

ご無沙汰してます。
モンド は、エスペラント語でも 世界という単語です。
このDVD見てみたいです。

ももじろう | 2014/10/10 12:36 PM
そうなんですね。モンドという言葉は響きがいいですね。モンドのDVDは残念ながら絶版で、贈ってくれた裕一さんは中古のものを探してくれたそうです。やすみはいまも1日1回以上見てますよ。3回見るときもあるそうです。
興野康也 | 2014/10/10 7:02 PM
はじめまして。
私はこの映画を20年ほど前に岡山のミニシアターで観ました。
それ以来1番大好きな映画となりました。

この映画の贈りものにまつわるエピソードが読めて嬉しく思います
りょうこ | 2016/09/26 12:35 AM
りょうこさん、そうなんですね。一度見ると忘れがたい印象を残す映画ですよね。最近もまた娘がモンドを見ていますよ。独特な音楽、個性的な人たち、一枚の絵になるような場面、どれをとっても詩的です。好きな人と嫌いな人がハッキリ別れる作品だと思いますが、好きになると自分の日頃の感じ方や考え方にまで影響を受けることができますよね。「映画っていいな」と思わされます。
興野康也 | 2016/09/26 6:50 AM
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