お休みどころ 2011年9月15日(木)
八木義人さん(精神科医)は僕が勤める伊敷病院の医局長です。僕の上司にあたる方ですので、普通ならこうして文章を書くのにも大変気を遣うはずですが、義人さんに関してはむしろ何を書いても大丈夫(?)といった安心感が湧くから不思議です。多少めちゃくちゃなことを書いても、柔和な義人さんはいつものとおりニコニコされているでしょう。
義人さんとの出会いは5年5ヶ月前の2006年4月です。僕が伊敷病院で働きだして丸1年経った次の4月に関東から移ってこられたのです。いま告白しますが、会ってしばらくの頃は義人さんがあまりにもにこやかなので「この人は偽善者か八方美人ではないだろうか…」といった気持ちも少し持ちました。ですがその穏やかさはこの5年間少しも変わらず、むしろますますすごく(?)なっています。新しい職場で最初の頃だけ愛想をふりまく表面的な作り笑いではなく、相手を心からもてなす義人さんの本質であるのでしょう。
大学病院や大小さまざまな病院で臨床に励んでこられた義人さんですが、いろいろな本を読まれたなかで伊敷病院の神田橋條治さんの精神科診療技術についての本に特に惹かれたそうです。そして神田橋さんのもとで学びたいとの思いでやって来られたのです。僕も神田橋さんの著書に惹かれて伊敷病院に来た人間ですのでその点同じで、兄弟弟子ということになります。ただ神田橋さんに対していろいろ異論を唱えたりする僕とは違って、義人さんはずっと神田橋さんに熱い愛情を持ちつづけておられ、神田橋さんの言動の全てに魅力を感じるといったふうです。正真正銘のファンと言えるでしょう。
さて、義人さんとのこの5年間の楽しい思い出といえば無数にありますが、最も印象深いのは読書会です。義人さんの提唱で、水曜日の昼休みにドクター4、5人での読書会が始まったのです。おもしろいのは読む本を精神科領域に限らないところで、歴史書、仏教書、小説、思想書、教育、占星術や地理に関する本までいろいろ読んできました。持ち回りで読みたい本を提案するのですが、他の方の提案する本はおよそ僕が手にしないようなものばかりで、ずいぶん自分の世界が広がった気がします。
ちなみに僕が提案した本はお休みどころの本棚にありながら読めていなかった本ばかりで、『生きがいについて』(神谷美恵子著、みすず書房、神谷美恵子さんはハンセン病療養所・長島愛生園に勤務した精神科医)、『論語』上・下(吉川幸次郎著、朝日新聞社、高校時代の国語の恩師・寺井治夫さんにいただいたもの)、『アンナ・カレーニナ』上・下(レフ・トルストイ著、北御門二郎訳、東海大学出版会、お休みどころの恩人である北御門二郎さんが訳されたもの)などです。いずれもお休みどころに関連する重要な本ばかりで、読まないといけなかったのですが、大部なこともあり放置したままだったのです。読書会で毎週ページを決めて読みつづけるといつかは読み終える。当たり前のようですが、いい仲間に恵まれないと最後まで続けられないと思います。義人さんの温厚な人柄と学びへの意欲がなければ、読めない本ばかりでした。
また同じ本でも興味を持ったり何かを感じるところは人によって全然違うのだということも学びました。意見の割れ具合が印象深かったのは『古今和歌集』(片桐洋一訳・注、笠間書院)で、こういう甘ったるい世界(女たらしの歌が多い!)は好かんという人から、含蓄がある、言葉のうまさに脱帽という人までさまざまでした。それでも古典は古典ですね。みんなそれぞれなりに結局「(読まないよりは)読んでよかった」という感慨を持つに至るのでした。
また、水曜日の夜の医局の勉強会も義人さんの提案で始まったものです。こちらは読むのは医学書ですが、読書会の意義は同じです。1人では絶対に読めない本を何冊も読めましたし、意見交換を通じて個々のドクターの信念のようなものも感じ取ることができました。もちろん仕事の上での多くの知識を得たことは言うまでもありません。
こうして義人さんとの思い出には「いっしょに勉強した」というのが多いのですが、「いっしょに飲み会に行った」というのもあります。医局に出入りするいろんなドクターや研修医の歓送迎会から数人での夕食会まで、幹事をつとめるのはたいてい義人さんです。とある転機があって数年前に完全断酒をされてしまった義人さんですが、人と食べながら談笑するのはいまもお好きで、帰りも車で送ってくださったりします。ご自分ではさほど食べたり飲んだりされないのに、人がワイワイしているのを見るのがうれしいというのですから、面倒見がいいですね。
宴会好きでお酒も好きだった義人さんを断酒に至らせたその転機とは何なのか。意外なことに仏教への興味なのです。皆さんはアルボムッレ・スマナサーラという名前をご存知でしょうか?スリランカから日本に来られた仏教僧で、日本語での著作がたくさんありますからどこかで皆さんも目にされたかも知れませんね。
そのスマナサーラ長老の『怒らないこと』(サンガ新書)を数年前に自宅近くのスーパーの本屋で何気なく手にされて以来、義人さんはスマナサーラ長老の初期仏教のファンになったのです。そして仏教的な観点からも飲み過ぎはよくないとのことでほんとうに断酒されてしまったのです。僕たちは「いつまで続くのかな…?」といった感じで一時的な現象だろうと見なしていたのですが、その後義人さんの思いが変わる様子は全然ありません。一度何かを好きになるとずっと続ける、というのが義人さんの生き方のようです。
たしかに精神科臨床への愛情も、神田橋條治さんへの愛情も、初期仏教への愛情もみんな強力にずっと続いています。どれも人に対して優しく接することの大切さを強調するものばかりです。僕にとっていつも不思議なのは、このように優しい義人さんがさらに優しさを磨く必要があるのだろうかということです。どちらかというともっと怒ることを勉強(?)された方がいいのでは?と思ってしまいます。どうなのでしょうか…。
そうそう、大事なことを書き忘れていました。義人さんの診療スタイルです。想像がつくかも知れませんが、キーワードは「傾聴」です。とことんまで相手の方の語りに耳を傾けるのです。これは簡単そうでいて実際にやるのは大変です。まず時間とエネルギーが要ります。他の患者さんたちも診察を待っているわけですから、よほど「傾聴」に対する信念を持っていないと、ついつい「速く雑な」診療になってしまいます。「件数をこなせればいい」という発想についなってしまうのです。
かつては「対話療法」に憧れを持っていた僕も、最近では「診療はパッパとこなす」といった発想に染まってしまっています。それを省みる(かえりみる)度に、いまでもある意味で頑固に人間の精神の奥深さを追求し続けている義人さんはすごいと感じるのです。ずっと初心に忠実に診療をされています。
これからの義人さんはどうなっていかれるのでしょう?なぜか「悲しみ」がキーワードではないかと感じてしまいます。仏教に「慈悲」という概念がありますが、生きていることに本質的に伴っている悲しみを分かち合っていくような、そんな思いやりを持たれる気がします。漠然とした予感なのですが…。
そして優しさと思いやりを持った人の周りには自然と人が集まってきて、やがてサークルのような人の輪ができてくる。その集まりは病む人や疲れた人たちを受け入れて癒す集団である。そんな未来を実現していくのが義人さんの追求されている教えなのではないのかな、と勝手な想像を膨らませてしまうのです。
僕が伊敷病院に勤務するのもあと半年強です。義人さんと週に2日、定期的にお会いできるいまのうちに精神科の診療技術と人間としての生き方について、できるだけ教えを受けたいと思っています。いっしょに仕事をしながら、いつのまにか染みこんでくる教えというものがあるはずですから。
[付記] この文章について友人の成田泰士さん、泉谷龍さん、加藤令紗さんのアドバイスをいただきました。ここに感謝いたします。
八木義人さん。八木さん自身に撮っていただいた写真なのでちょっと緊張されているが、いつもは超にこやかに迎えてくださる。
この記事に対するコメント
八木義人先生や伊敷病院に興味が湧いて、勤めてみたいと思いました。
天冲殺が開けたら、伊敷病院病院に面接に行きたいです。