お休みどころ

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職人肌?それとも?

 2011年5月21日(土)

 僕はおもしろい人と出会ったりおもしろい話を聞いたりすると、すぐに記録に残したいと思ってしまいます。5月10日に鳥原真琴さん(お菓子職人、お休みどころから車で40分のあさぎり町に在住)がお休みどころに来られたときの会話もそうでした。普段は自分自身のことを語らずにじっと人の話を聞いている真琴さんが、珍しくいままでの人生の歩みを語られたものだから、さっそく記録に残したいと思ったのです。
 ただ、ここが問題なのですが、真琴さんは超シャイなのです。おまけに若干あまのじゃくなところ(?)もあります。なのでブログへの掲載の許可をもらうのにも一苦労です。僕が「〜したい」と思ったからといって、その流れに素直に乗ってくださるような方ではないのです。 
 5月10日の会話については僕がお話を聞きながらメモを取っていました。それを聞き書き文として再構成したところ、真琴さんがありがたいことに大幅加筆してくださいました。そして真琴さんがどんなことを考えてきたのかがありありとわかるとてもいい文章ができあがりました。会話風の文章です(以下では「真琴さんの聞き書き文」と呼びます)。
 あとはそれをこのブログに掲載できれば万事めでたしめでたしだったのですが、残念ながら掲載の許可はもらえませんでした。「あくまでも個人的な記録」とのことです。やっぱり真琴さんはシャイなのでしょうね。 
 そういうわけで、最終的に僕が手元にあるほんの少しの資料と「真琴さんの聞き書き文」の部分的な引用をもとに、僕の見た真琴さん像を新たに作り直さないといけなくなりました。わざわざ消極的な真琴さんを説得してまでブログ原稿を作ってどうするのか?と思われる読者の方もおられると思います。実際自分でも強引だしちょっとばかげているとも思うのですが、やはり真琴さんのお話と人間性は人々に共有してもらう価値のあるものだと思いますし、現代を生きるひとつの人間像としての普遍性を持つと思うのです。資料が乏しいので真琴さんの全体像を提示することはとてもできませんが、一断片だけでも残せたらと思います。

 さて、真琴さんの幼少期ですが、僕はほとんど知りません。知っていることといえば、2人姉妹の妹だということと、脳科学に興味を持っておられた、ということです。 
 真琴さんにとっての最初の人生の大きな転機は、大学に進学して社会学を学び始めたことです。そのときの衝撃については、「真琴さんの聞き書き文」から以下に直接引用します。 

 私が「生まれ変わった」と自覚できる程の大きな変化が訪れたのは、とりあえず入れた大学で「社会学」という学問と出会った時だった。
 人との出会いではなく、学問との出会い。それは予想外な出会いであり、また予想外な「生まれ変わり」のきっかけだった。
 社会学がどういう学問なのかを簡単に説明することは難しいが、最初の講義で先生が、「社会学とは、世の中の自明性(当たり前とか常識と思われていること)を疑う学問であり、正直なところ、役に立たない学問だ」とおっしゃったことに、私は驚くと同時に、とても魅力を感じた。
 そんな社会学を学んでいくと、今までの自分の価値観が音をたてて崩れていくのがわかった。それは、今までの自分を否定しかねないほどのショッキングな出来事であると同時に、自分の価値観を新たに築きあげていく面白い作業でもあった。
 普段私たちは、刷り込まれた考え方(例えば、女性は〜でなければならないという固定観念や、〜しない人は普通じゃないという偏見を助長するような考え方など)になかなか疑問を持つことはない。社会学は、そういうことが幻想だよ、仕組まれたものだよと気づかせてくれる学問である。
 私にとって、心理学や精神分析学のように、個人の人生史を振り返り、どこに今の苦しさや生きづらさの原因があるのかを見つけていくというやり方ではなく、個人を越えて、より大きな視点から、客観的に、社会システムの罠を解き明かすことによって、自分の苦しさを説明していくという社会学的なやり方のほうが、しっくりきたし、結果的に今までの自分を振り返り、向き合いなおす、つまり、生まれ変わるきっかけになったように思う。


 僕は精神科医の職業癖として、個人の人生史を聞き取り、1つの物語として再構成していく共同作業のなかで、その人を理解しようとします。でも真琴さんの学んだ社会学の場合は、社会の仕組みの点から個人を理解しようとつとめるようです。1人の人間を見るときにも、いろんな切り口があるのですね。 
 次の真琴さんの大きな転機は、大学を卒業して郷里に帰り、仕事を探したときに、お菓子作りの仕事と出会ったことです。このことについての真琴さん自身の文章がなくて残念ですが、それまで特にお菓子作りが好きで、自宅で作っていたわけでもなく、たまたま職があり、お菓子作りの経験はないけど、やってみようかな?と思って始めた、というような聞いたことがあります。人が「天職」と出会うとき、必ずしもいきなりすごい感動を覚えるとは限らないみたいですね。 
 その後、かなり仕事に打ち込まれたようです。「かつての自分はまさに『仕事の鬼』でした」と聞いたことがあります。会話のスタイルからして非常に緻密で論理的で粘り強い真琴さんです。かなり完璧主義的に「自分に厳しく、人にも厳しく」お菓子作りをされたことは容易に想像できます。
 8年ほど激しく仕事をした真琴さんに次の転機がやってきます。いろんな疑問が膨らんで、一旦仕事を辞められたのです。どんな疑問だったのかをあまり詳しく聞いたことはありませんし、真琴さん自身としても完璧に説明はできないのかも知れません。きっと自分がやってきたお菓子作りの仕事を、いったんちょっと距離を置いて、いままでとは違った角度から眺めて見たかったのではないでしょうか? 
 このときに真琴さんは鶴上うしをさん(うしをさんについては以下ををご参照ください)と深く出会われることになります。このときの衝撃についても、「真琴さんの聞き書き文」から以下に引用します。


 社会学という学問と出会った衝撃とは違うけれども、私にも自分の人生に影響を及ぼすほどの人との出会いがようやく訪れたのが、昨年しばらく仕事から離れていた時に交流することが多くなった鶴上うしをさんと、うしをさんを介して出会った人達である(興野くんもその中のひとり)。
 私にとって、うしをさんは、尊敬する人であり、理想の人である。興野くんにたくさんの恩師と呼べる人がいるように、私にもようやくそう呼べる人が現れたことがとても嬉しい。
 うしをさんとは「だんだんなの会」〔注:うしをさんが運営する無農薬野菜の会〕に、父が作った野菜を提供することになったのがきっかけで、徐々に交流が増え、講演会に誘ってくださったり、スローライフの本を貸してくださったり、だんだんなの会の総会やイベントに参加させて頂いたりした。
 うしをさんは、いろんな人と交流しながら、自分の人生を楽しんでるというのがよくわかる。うしをさんと接した人たちは皆、うしをさんにつられるかのようにその時々を楽しんでいるように見える。私自身もそういうことが多々あった。
 先月、うしをさんが「だんだんなの会」の会員を集めて、シイタケ原木の森の石がまを使ってピザパーティーを開いたら楽しそうと思いつき、呼びかけた時も、大勢の人が集まった。子どもから年輩の方まで、幅広い年齢層の人達が一同に集い、皆がその場をとても楽しんでいた。大勢の人が集まるイベントが苦手な私も、最初は少し戸惑ってはいたけれども、結果的にとても楽しい時間を共有することができた。でもそれはうしをさんが意図したことではなく、私が参加して勝手に楽しんでいただけである。さまざまな人達が交流し、楽しめる場を、うしをさんは最初から狙って作ろうと思ったのではなく、ただ自分がそうしたい、楽しみをみんなと共有したいという自然な気持ちから、軽々と無理なくやってしまう。結果として、うしをさんも参加した人達も、皆が楽しく、幸せな気持ちになる。そんなうしをさんの影響力はすごいなぁと改めて感じた1日だった。


 この鶴上うしをさんからの紹介で、僕も2010年の12月に谷口博文さんと共に真琴さんのお宅を訪ねたのでした。それから、僕が1度真琴さん宅に行き、真琴さんが3度お休みどころにこられて、いまでは気楽にやり取りをする友人どうしになっています。
 さて、僕にとって楽しかった真琴さんとのやり取りの1つに、オリジナルお菓子セットの製作を依頼したことがあります。僕が初めて真琴さんと会った2010年12月には真琴さんが仕事を辞めておられたので、僕の友人たち10数人にプレゼントやお土産としてのお菓子セットを作ってもらうことにしたのです。それも友人がどんな人か僕が手紙に書き、あとは真琴さんにイメージを膨らませてもらって自由にお菓子を作ってもらうというやり方でした。
 結果としてお菓子自体はもちろん、包装・内容・付属の郷土品まで凝りに凝ったうえに、真琴さんの手紙まで付いた豪華なスイーツセットができあがり、友人たちに大喜びされました。その様子を伝えてくれる手紙を以下に引用します。共に大阪府在住の渡邉典子さんと三島宗彦くんが真琴さんに書いてくれた礼状です。


●渡邉典子さんから真琴さんへの礼状

鳥原真琴様 

 お菓子届きました。明日興野さんがわが家に泊まりに来られるので楽しみにしています。昨年秋に鶴上夫妻にお寺をいくつか案内していただきました。同封していただいたパンフレットを見るとそちらに行きたくなります。
 さっそく湯山の紅茶を入れてチョコレートケーキをいただきました。「おいしい!!」。いちごジャムもおいしそうですね。興野さんを訪ねる時にお住まいのあさぎり町を通りました。
 去る1月17日に神戸のライブハウスで鶴上さんの娘さんのだんなさんに出会いました。その時、錦町の石橋さん御夫妻とも出会い、鶴上さんの教え子さんの歌を聞いていました。なにか人吉・球磨をすぐ近くに感じています。毎日、石橋さんが作ったお米をいただいているのですョ。
 私はお休みどころのあの水が大好きです。あの辺のお水は私の身体と心に合っているのですね。 
 お菓子作りはたくさんの工程があるので大変でしょうね。私にはとても作れません。あたたかい味のケーキですね。手間と時間をかけて作って下さりありがとうございます。
 今日、大阪はこの冬初めての雪です。早く春が来て欲しいですね。そうだ!!紅茶にいちごジャムを入れて、ひと足先に春をいただきます。同封のおひな様はテレビの前にかざって興野さんに紹介しますね。もちろんお菓子もいっしょにいただきます。
 もし鶴上さんとお会いになったらよろしくお伝えください。本当に心のあたたかい方ですね。私も知り合えたことを感謝しています。
 楽しく、おいしく、いただきます。
       渡邉典子 

追伸 紅茶のいちごジャム、ツブツブまでおいしかったです。春をありがとうございます。 


●三島宗彦くんから真琴さんへの礼状 

鳥原真琴様

 先日は素敵なお菓子をいただきありがとうございます。友人達と共に非常に美味しくいただきました。
 私は興野氏とは小学生時代からの付き合いで、子供の頃は毎日一緒に行動しておりました。昔から現在に至るまで、1番の親友であります。 
 確かに興野氏は変わり者ですが、とても純粋で、真っ直ぐな男です。今では会う機会も減ってしまいましたが、たまに会うと彼のあったかい雰囲気に私のよごれきった心も洗われ、あたためられる気持ちになります。 
 お聞きになったように私は板前をしております。休日も知り合いの店に飲みに行き、気付いたらなぜか調理場に入り、顔見知りの常連さんに料理を出しているくらい、料理ばかりやっています。
 そんな三流料理人の私ですが、鳥原さんのお菓子には大変愛情が込められてあり、素敵な仕事をなさると感じました。これからも、人を幸せにする、素晴らしいお菓子を作り続けて下さい。 
 同じ食に携わる人間として私も負けないように、人に感動と幸せを与えられる仕事ができるように頑張りたいと思います。
 この度は本当にありがとうございました。 
       三島宗彦 


 この2通の手紙が真琴さんの作るお菓子について語り尽くしてくれていますね。興味深いのは、これらの手紙を書いた2人が、渡邉典子さんは看護師、三島宗彦くんは板前で、共に身体を動かして人を楽にしたり楽しませたり元気にしたりする仕事をされているということです。2人共、真琴さんの仕事や生き方に重なる理想や目標を持っているのでしょうね。
 さて、5月23日にたまたま真琴さんの仕事場である「パンとお菓子の工房  ナチュラル 多良木店」(〒868−0501熊本県球磨郡多良木町1042−2、電話ファックス0966422262、営業8:00〜19:30、水曜日定休[水曜が祝日なら木曜日])を訪ねることができました。友人の谷口博文さんと2人でお昼ごはん用のパンを買いに行ったのですが、店内に素敵なテラスがありそこで食べられるとのことでしたので、途中真琴さんも加わりながら3人で昼食を楽しみました。真琴さんがケーキの新製品を2種類持ってきてくださったのですが、残念ながら谷口博文さんに2つとも食べられてしまいました(笑)。
 その後真琴さんの仕事風景も初めて見たのですが、厨房は思ったより狭く、銀一色です。2人ほどの同僚たちと共に、卵を割ったり材料をかき混ぜたりされています。みんな黙々と働いています。正直言って、この厨房に朝から晩までいたら、僕は息が詰まるだろうなと感じました。お菓子を作ることに没頭できる人、そして肉体的にも立ちっぱなしの重労働に耐えられる人でないと勤まらないと思います。ただ、もし真琴さんが僕の病院の診察室を見たら、やっぱり「こんなところに1日いたらウンザリ」って感じるのでしょう。どんな仕事も、適性が合わないとできませんね。
 さて、僕は人が自分の天職を見つけることにずっと興味がありました。またその援助ができればいいなと思ってきました。前にも書きましたように、僕が真琴さんと初めて出会ったときには真琴さんは仕事を辞めていました。ですが、明らかに真琴さんはお菓子作りに向いているし、生涯縁は切れないんじゃないかと直感したのでした。そして実際にその後復職されました。
 なので理屈で考えると、「これこそ私の天職です!!」って真琴さんが言ってくれそうなものですが、お菓子作りへの真琴さんの気持ちはあっさりしたものです。以下に再度「真琴さんの聞き書き文」から引用します。


 お菓子作りは天職です!と興野くんは言うけれども、私の中ではしっくりこない。たしかに、今の私からお菓子作り(仕事)をとったら何も残らないかもしれない。しかし、だからといって、お菓子作りが私の人生の全てだと言っていいのか?とも思う。
 最初のきっかけがどうであれ、長い間続けてきたことに意味があるようで、一旦仕事から離れたけれども、また同じ仕事を続けることになってしまったことにもまた意味があるようで…。
 今の段階では、まだぼんやりとしているこれからの自分の生き方、仕事に対する考え方も、おそらく徐々にわかっていくのだろう。
 とりあえず、今、目の前にある仕事において、“すべきこと”をし、その中でいくつか見えてきた“やってみたいこと”にも挑戦しながら、私はこれからもお菓子作りを続けていくのだろう。


 こういう感じです。まあ、シンプルでないところが真琴さんらしいと言えば真琴さんらしいですね。せめてお菓子職人として目指すものとか理想像とかないですか?としつこく聞いてみても、やはり「うーん。そういうことをあんまり考えたことがないというか、言葉にしたことがないので、よくわからないな。…『安くておいしいものを』とか『妥協せずに高水準のものを』というのは、当たり前のことなので、私の理想となるとよけいにわからない」といった回答でした。 
 というわけで、真琴さんは言葉としては言ってくださいませんが、求道者的なお菓子職人として生きていかれるのだと思います。言葉で真琴さんをつかもうとすると複雑というか安易な「理解」を拒否されてしまうのですが、実際会った人柄とか行動とかは大変シンプルです。真琴さんを知るには言葉よりも行動を見た方がよさそうです。
 それなのに僕はやはり言葉で相手をとらえようとしてしまうからどうしようもありません。これでは真琴さんとのやり取りは「理解のズレ」ばかりということになってしまいます。いつも僕としてはスッキリしない気持ちが若干残るわけですが、これでいいのかも知れませんね。「わかった」と思えばそこで終わり。「わからない」と思うからこそ、探求や工夫が続くと思うのです。 
 その意味では、真琴さんは僕に「妥協せずに発展し続けよ!」とメッセージをくださっているのかも知れません。そしてそこに真琴さんの本質もある気がします。絶えざる挑戦と精進と前進。真琴さんはやはりプロフェッショナルな技術者、すなわち「職人」なのでした。 

[追記]この文章は友人の成田泰士くんと泉谷龍さんにコメントをいただきながら書きました。2人に感謝します。

写真1〜3は5月10日の鳥原真琴さん来訪時の写真です。

鳥原さんのお菓子
写真1 鳥原真琴さんが(一部を)作ったお菓子たち。後列左から、チーズケーキ、ガナッシュショコラ、杏仁豆腐。前列左から、いちごタルト、チョコレートと抹茶のムース。 

ひだまりルーム
写真2 鳥原真琴さんと話したお休みどころの「ひだまりルーム」。

外の風景
写真3 そのときの外の風景。

写真4〜6は鳥原真琴さんが勤務している「パンとお菓子の工房 ナチュラル 多良木店」の様子です。 

写真4〜5  ナチュラルの店内。

店内1
写真4

店内2
写真5

テラス
写真6 食事を取れるテラス。 
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この記事に対するコメント


お店の周辺についてのコメント

くま川鉄道多良木駅前には町が税金で作った温泉と元?ブルートレインの宿泊施設がありますね。線路を挟んだ向かい側には地元産のお野菜が新鮮で安い物産館、その前には文化財の石倉があり、なかでいろんなイベントがあるようです。(まだ、なかには入ったことがない?)
球磨川を背にして山の方を向いたら国道 219号線です。信号を渡ったら(余談ですが…右側にモモジロウをいつもお世話いただいている和泉さん、車のお世話もしていただけますが)左の道路沿いには小さな鍛冶屋さん、次に見える点滅信号の右の角が多良木郵便局で左が ナチュラルのお店ですね。

まだ、私には今の店名よりも『世界パン』『ワールドベーカリー』だった先代の店名のほうが馴染みがあります。お名前が世界さんだったみたい。
多良木町の学校給食として卸されているみたいなので、町の人には懐かしい味じゃなかったのかな?
最近、行ってないけど、おちちプリンはあるのかな?
ももじろう | 2011/06/08 12:52 PM
ももじろうさんへ

コメントをありがとうございます。
世界パンの時代から、当店を知っていらっしゃるようですね。

私は学校給食用のパンを卸していたワールドベーカリー時代に、社会科見学に行き、パンをお土産に貰って帰ったことをなんとなく覚えています。
でも、そのお店に自分が勤めていると知ったのは、入社してしばらくたった時でしたが(苦笑)
数年前に、世界パンからワールドベーカリー、そしてナチュラルまでの歴史を振り返る「レトロフェア」を企画したことがあります。今は世界さんも他界され、二代目の親さんも裏方にまわられ、昔を知るももじろうさんのような方には、ちょっとさみしく感じられるかもしれませんが、三代目の店長も、この人吉球磨を大切にしながら、新たな挑戦をしていくようですので、今後とも、よろしくお願い致します。

“おちちぷりん”も販売しています。
今後は、私が担当する新しい焼き菓子も登場予定ですので、お楽しみに。
鳥原真琴 | 2011/06/08 2:08 PM
真琴さんの大学時代の旧友です。この記事を読んで微笑ましく懐かしい気持ちになりました。今でも彼女の作品の世界観を懐かしく思い起こしたりします。
真琴さんがお元気であることがわかってホッとしました。
真琴さんと連絡を取りたいのですが、連絡先を知らないのでコメント欄にご挨拶にうかがいました。真琴さんによろしくお伝えください。
ハヂメ | 2019/11/02 7:22 PM
ハヂメさん、コメントをありがとうございます。真琴さんにはお伝えしました。真琴さんは才能のある方ですので、今後どんな活動をされるか楽しみですね。
興野康也 | 2019/11/03 4:44 PM
興野さん、ありがとうございます。
興野さんの詩も大好きで何度も繰り返し、読ませていただきました。
これからも更新を楽しみにしています。
ハヂメ | 2019/11/04 8:20 AM
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