お休みどころ

こころの相談活動を作り続ける
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お休みどころ 2011年2月27日(日)

 「認知行動療法」という言葉を皆さんは聞いたことがあるでしょうか?カウンセリング技法の1つで、うつ病治療に端を発して発展してきました。治療の有効性を示すデータがたくさん得られたことから、精神科診療のみならず精神保健や産業カウンセリングなどに幅広く応用されています。
 僕が勤務している伊敷病院では元来はフロイト以降の流れを汲む精神分析的なカウンセリングが盛んでした。しかし時代の趨勢に応じて認知行動療法も取り入れようとしています。ちょうどそこに2月に全国3ヶ所で厚生労働省主催の「認知療法・認知行動療法研修会」が開かれる、との案内が舞い込みました。それで僕が大阪会場に参加することになりました。 
 仙台、東京、大阪の3会場のなかでなぜ大阪を選んだかといえば、会場の住所が友人の藤川知佳子さんの住所とよく似ていたからです。藤川さんは僕が京都の論楽社(ろんがくしゃ、私塾・出版・講座開催など)に出入りしていたころからの知り合いで、もう10年以上、主として手紙でやり取りしている方です。時々宅急便で食糧(うどん、ピーナツ、ふりかけ、イカナゴの釘煮など)や色鉛筆やお香などを送ってくださいます。いままで1度しかお宅を訪ねたことがないので、これを機にお訪ねできたらと思ったのでした。 
 それからもう1ヶ所訪ねたいところがありました。Mさんのお宅です。Mさんもやはり京都時代からの友人で、もう10年以上のお付き合いです。洋裁・和裁のプロであったMさんには、故・上島聖好(うえじましょうこう、文筆家、お休みどころの創設時代表)さんの衣類の大半を着物からのリフォームで作っていただいたり、お休みどころのタペストリーやカーテンや座布団カバーを作っていただいたりしました。国立ハンセン病療養所・長島愛生園へいっしょに旅したこともあります。 
 しかしながら多発性の脳梗塞になられて以来、針を持てないのはもちろんのこと、言葉でのコミュニケーションがしづらくなられました。さらに親しかった上島さんが亡くなってからは、こちらもなんとなく行きづらくなり、この3年間はお訪ねしていなかったのです。そんなときにカリフォルニアのグレッグさん(歴史家、お休みどころ創設メンバーの1人)から「Mさんの具合はどう?」と書いたメールをもらいました。これはなんとか機会を見つけてお訪ねしないと、と思っていたのでした。 
 さっそく藤川知佳子さんに電話してみると、残念ながら用事があり、会えないことになりました。次にMさんの夫に電話すると、「満智子は室内を杖で歩くのが精一杯。言葉も出ない。会いに来られてもお話できないのでは…」とこちらのことを心配されていましたが、「短時間でいいです。お話できなくてもいいです。ただお顔を見るだけで…」とお伝えしてなんとかお訪ねすることにOKをもらいました。
 そうこうしているうちに、関西方面の懐かしい友人たちの顔が次々浮かんできました。連絡を取り合ううちに、2/12(土)〜2/14(月)の2泊3日、計10人に会う旅行プランができあがりました(もちろん研修会にも参加します)。ちょっと体力的に無茶な計画ですが、「こんな機会はめったにない」と思うと、会えるだけの友人たちに会っておきたいと思ってしまうのです。
 2/12(土)の病院勤務を終え、鹿児島空港から伊丹空港まで飛行機で移動。その後モノレールと京阪電車を乗り継いで、夜の8時半ごろに京阪「枚方市(ひらかたし)」駅に着くと、親友の渡辺詩美(うたみ)さんが車で待ってくれていました。
 詩美さんもやはり京都時代からの15年近い友人です。僕と歳も近く、上島聖好さんは娘のようにかわいがっていました。大学卒業後、詩美さんは介護のエキスパートになる道を選びました。「(看護師である母の典子さんとは違って)資格を持たずに人を援助したい」と言っていたのが心に残っています。苦労の多い道だろうに、意志の強い人だなと思ったのです。
 それから10年近くになります。詩美さんは認知症高齢者の施設や身体障害者の施設のあちこちで研鑽を積み、熊本県にある国立ハンセン病療養所・菊池恵楓園でも働きました(詩美さんは小さいころからハンセン病療養所に通っていました)。そんな詩美さんから最近「ケアマネージャーの資格を取った」と連絡を受け、驚いていたところでした。たしかに医療・介護・福祉などの分野では資格がものを言いますから、やりたい仕事をするためには資格もある程度必要なんでしょうね。
 枚方市駅から自宅までの30分ほどを運転してくれる詩美さんと話しながら、僕はなんとなく詩美さんの様子が違うなと感じていました。以前はもうちょっと気の強さや角張った感じがあったのですが、いまは丸くて気配りの雰囲気なのです。年月のせいかも知れませんし、詩美さんの恋のせいかも知れません。恋は人の雰囲気を変えますよね。
 住宅地の一角にある直方体のようなお宅で、詩美さんの母の渡邉典子さんが待っていてくれました。典子さんは去年の9月にお休みどころを訪ねてくださったばかり。会えばいつでも懐かしい人です。通信制の看護学校の先生で、在宅看護学を指導されています。お宅のキッチン兼リビングのお部屋には、典子さんのグリーフケア(残された遺族の心のケア)講習会終了証などが飾ってあります。看取りは典子さんのライフワークなのだなぁとつくづく思いました。
 看護学校の生徒さんには70歳の方もおられ、しかも現役で働いておられるそうです。僕の勤める伊敷病院でも通信制の看護学校で勉強している看護師さんたちがいます。働きながら仕事のあとに分厚い資料を見たりレポートを書いたりされている姿を見ると頭が下がります。
もうすぐ看護師の国家試験です。でも典子さんは「けっこう通るよ」と泰然たる構えです。生徒さんたちの秘めた力を信頼しておられるのでしょう。こんな先生がいたら生徒さんたちも落ち着いて受験できるでしょうね。
 そんな典子さんにも定年が近づいてきているそうです。看護大好き、教えるの大好き、人のお世話大好きの典子さんは今後どんな道を選んでいかれるのでしょう。ひょっとしてボランティア訪問看護師になられるかも知れませんね。なんらかの形で在宅医療を続けられるのだろうと思います。
 典子さんと詩美さんがたっぷりと用意してくださっていたカニ鍋をいただきながら、「まさに“家族"ってこんな感じだなぁ…」と僕は思っていました。そうしょっちゅう会うわけでない。でも会えばいつでも打ち解ける。そんな人生の準「家族」の人たちがあちこちに住んでいれば、波乱に揺れながらも人生を乗り切っていけるのではないか。そんな夢想が湧いてくるのです。 
 「京都にいる頃は興野くんは人間に興味なかったよね」と典子さんに言われて気づきました。たしかに僕は「自分の使命(人生の中心)が何なのか」といったことに集中していて、周りの人のことには興味がなかったのです。それがいまでは「人生の家族」を持つ幸せを味わっている。ずいぶん変わったんですよね。 
 世話好きの典子さんは夕食後も梅酒、お茶、お菓子、しょうが湯と次々すすめてくださいます。アルコールに弱いのに典子さんの上手なリードでついつい飲んで酔っ払ったこともあり、すっかりいい気分になってしまいました。詩美さんとストーブの前で夜1時まで話したのち、3年前に亡くなられた典子さんの夫の尚武さんのお仏間に寝させていただきました。尚武さんとは遺影でお会いするのが初めてでした。残念です。
 よく眠れました。翌朝にもごちそうをいただき、さらに昼のお弁当(菜めしのおにぎり、佃煮、卵焼き、みかん)まで作っていただきました。すっかり「母」のもとに甘えに帰ってきたような形になりました。「いつでも帰ってきて」。そんな典子さんの言葉を耳に残しながら、京阪電車とモノレールを乗り継いで研修会の会場に向かいました。
 大阪大学病院の隣にある学友会館での研修会には150人ほどの人が集まっていました。講師は認知療法の日本での草分けの1人である大野裕さんです。著書もたくさんある大野さんはわかりやすく行き届いた語り口の持ち主です。なめらかな言葉と優しい雰囲気でまたたくまに聴衆の心をとらえてしまいました。内容は認知行動療法を活かした診療の流れでしたが、質問も多く、活発な会になりました。 
 僕にとってうれしかったのは、グループワークで隣席のカウンセラーの方と仲良くなれたことです。一人ぼっちと思って来ていた講演会場に1人知り合いができると、それだけでどこか安心感が湧くからふしぎです。僕は子どもの精神医学に詳しくないので、悩む子どもたちとたくさん接しているカウンセラーの方と知り合えたのは殊の外ありがたかったのです。これからわからないことがあったら質問できるからです(僕はこのような医療者ネットワークを作っていきたいです)。
 朝の9時半から夕方の5時半まであった研修会を終え、次に向かう目的地は神戸です。今夜は神戸のS夫妻のお宅に泊めてもらうのです。ですがその前に阪神電車の駅で、幼なじみの成田泰士くんと合流しました。成田くんはいつもながらスラッとしたいでたちで、さっそうと道路を歩いてきます。ルックスよし、人柄よし、行動力もありの万能人です。 
 さすが成田くんはS夫妻のマンションの場所の見当をすでに付けていて、いっしょに夜道を歩こうと誘ってくれました。いま大学の事務をしている成田くんはコンピューターにも強く、歩きながら僕にメールのいろんな使い方を説明してくれました。説明も手際よく的を得たものです。
 成田くんはふしぎな人で、自分でなんでもできるのに、人を裏方から支えるのが好きなのです。目立つ立場になれるのに、黒子として動く方を好むのですね。学生時代から友人間のトラブルの仲裁役などをしていました。企業向けカウンセリングの会社にいたこともあり、認知行動療法のこともよく知っています。「成ちゃんはなんらかの形で目立たずに人を援助する仕事を生涯続けるんだろうなぁ…」と僕は感じていました。
 御影駅から20分ほど住宅街を歩くとS夫妻のマンションです。Sさんが1階まで下りて出迎えてくれました。お会いするのは3年ぶりですが、「ちょっとあごひげが濃くなったかな?」と思う以外はいつものSさんです。あいかわらず温和で、人を責めず、ちょっとぼそぼそしゃべる、ゆったりした雰囲気の方です。
 部屋には妻のYさんともうすぐ3歳のEくんが待ってくれていました。Yさんとはほぼ5年ぶりです。すっかり2児の母としての貫禄がついています。子育てに関する迷いももはやないようです。
 以前お会いしたときには、長男のRくんがまだ小さくて陽子さんのそばを離れなかったのに、いまではRくんはお母さんの背を追い抜いています。「よその子はあっという間に育つでしょ」と笑いながら陽子さんは言いますが、ほんとうに僕は時間の流れを感じていました。4年間。それだけ僕も老けたってことですよね。 
 電車が好きなEくんは電車図鑑を持ってきて、「これなあに?」と写真を指差しながら何度も聞いています。E502といった感じで細かい名前までSさんが答えているのでびっくりしてしまいましたが、いやでも覚えるくらいに何度もEくんが聞くのだそうです。子どもの好奇心と持続力(飽きない!)はおそるべしですね。この集中力で学べばどんなことだって身につかないものはないはずです。
 新聞記者であるSさんもいまではもうデスクだそうです。「新聞記者が現場を走り回れる期間は案外短い」とSさんは言います。僕が論楽社でSさんと知り合った15年ほど前は、ちょうど貞三郎さんが第一線で働いていた後半期だったそうです。新聞記者といってもずっと取材に出れるわけではないんですね。
 Sさんは「論楽社の小さな旅」で岡山県にある国立ハンセン病療養所・長島愛生園に行って以来、ハンセン病問題をライフワークとするようになりました。長島愛生園の入所者であった故・伊奈教勝さん(いなきょうしょう、僧侶、1922〜1995)を師と慕い、伊奈さんの人生史についての立派な連載記事も書かれています。その後Sさんは日本各地はもとより韓国や台湾のハンセン病療養所にも足を伸ばされています。いつも穏やかで激することのないSさんのどこに、こんな激しい差別への怒りと持続力があるのかとふしぎなほどです。
 一方のYさんは「教育」が人生のキーワードになる方です。結婚前も会社で社員教育をされていましたし、結婚後も2人の子育てを通してネットワークを作ってこられました。子育てをしているお母さんたちの悩み相談にもずいぶん乗っておられるようです。相手が誰であれ、その人がよりよい人生を送れるように、何かできることがあればする。というのがYさんの基本スタンスです。 
 Yさんの手料理(ポテトコロッケ、キムチ風サラダ、切り干し大根の煮つけ、豚汁など)をみんなでいただきながら、ゆるやかに時間が流れていました。Sさんはハンセン病問題について語っています。成田くんはEくんの電車遊びに応じています。Rくんは夏休みの自由研究にハンセン病療養所・長島愛生園を取り上げたことを教えてくれます。Yさんは手料理の合間に育児ネットワークの話をしてくれます。みんながそれぞれなにげなく自分の天性を発揮しているのです。 
 長島愛生園への「論楽社の小さな旅」のキーコンセプトは「パートタイムの家族」でした。そこからの連想でしょうが、僕は長らく「束の間の天国」を作りたいと漠然と思ってきました。僕にとっての「天国」とは、1人1人が自分の生まれ持った素質を生き生きと発揮している場所です。図らずもこの斉藤家での夕食の時間はまさにそんな感じでした。みんなの才能がうまく組み合わさって、とても自然で無理がないのです。 
 いつしか時間がたち、10時過ぎになって成田くんは帰っていきました。遅くまで残りすぎて帰りのバスの最終便を逃してしまったそうです。自宅までのタクシー代がかかってしまいましたが、きっと成田くんも満足してくれたと思います。束の間ではあっても、たしかにのびのびできる時間があったのですから。 
 昨夜に続いて、S家でもよく眠れました。8時過ぎに小学校に出かけるRくんを見送り、しばらくしてからYさんとEくんと3人でMさん宅に出発しました。最寄りの「香櫨園(こうろえん)」駅まで阪神電車で数駅です。
 そこからの徒歩15分ほどの道は通い慣れた道です。いままで何度Mさんのお宅を訪ね、ごちそうしていただいたことでしょう。料理上手だったMさんは、お好み焼きや黒豆煮やいかなごの釘煮や、その他いろんな食事を作って待っていてくださいました。いまでは懐かしい思い出です。住宅街の変わり映えしない家並みの間を歩きながら、僕は複雑な気持ちでいました。 
 ところがお宅に入ってみると、言葉の出るYさんがいました。4年前に見舞ったときより、明らかによく話せるのです。「一人じゃなんもでけへん」「じーっとしてます」「もう来はらへんと思ってました」などなど、断片的ではありますが会話できます。
 「興野さん元気にしてた?」と僕の名前も覚えておられて驚きました。Mさんの言葉を手帳に書き取る僕を見て、「(以前も)よう書いてはった」とおっしゃいます。そうでした。たしかに上島聖好さんが生きていたころには、上島さんの勧めで会った人たちの言葉をよくノートに記録していました(そしていまも同じことを続けているわけです)。ただ残念なことに、その上島さんのことを満智子さんは思い出せません。記憶を取り出せるのは直接目の前の人に限定されているのかも知れないなと思いました。
 とはいえ、全体としては4年前より病状が進行している感じはありません。脳梗塞後遺症は時間と共にある程度回復すると聞いていましたが、それが満智子さんにも当てはまってくれてよかったでした。歩行は杖を使って片足を引きずりながらゆっくりとではありますが、家のなかは歩けます。週2回のデイサービスと週2回のホームヘルパー導入で、なんとか生活しておられるそうです。着替えやトイレなども一人でできます。 
 むしろ心配だったのは夫の方でした。最近足腰が弱られて、要介護1の認定を受けたそうです。「老々介護の夫は早く悪くなるから」と週1回のデイサービスでボール運動や体操をされています。「二人とも何もできなくなったら困る。Mに迷惑かけんようにしないと」とおっしゃいます。二人で支え合って日々をしのいでいる感じです。
 MさんはEくんの来訪をことのほか喜んでくれました。小さな子どもの存在ほど、高齢の人の生命力を燃え立たせるものはないですね。20〜30分ほどお宅にいたでしょうか。Eくんをお連れできたのが一番よかったことでした。 
 Mさんの人生は決して平坦なものではありませんでした。悩み苦しみも多く、いろんな悲しいことをこの部屋で聞かせていただきました。でもいまは体は不十分でも気持ちの上ではYさんはリラックスしていそうです。夫と力を合わせてのいまの生活は、大変だけれど幸せとも言えるかも知れない。そんな気がしました。
 「元気でね」とMさんは玄関まで見送りに来てくれます。外には粉雪が舞っています。うれしいような寂しいような複雑な気持ちでお別れしました。お世話になった友です。「ありがとうございました」と念じながら、帰りの道を歩いていきました。 
 ほんとうはここでYさんたちと別れるはずでしたが、「まだ時間があるから」と言ってくださり、大阪の梅田まで同行してくださることになりました。梅田マルビルの地下2階にある和食と魚料理の店「魚魚屋(ととや)」(営業時間 昼11:30〜14:15、夜17:30〜23:00、ただし祝日は17:00〜)で、僕の幼なじみの三島宗彦くんが板前をしているのです。そこにお昼を食べに行きました。
 梅田はさすが大都会。地下1階の駅を出ると、高層ビル群のまっただなかです。200メートルほど先にあるマルビルを見つけるのに、階段を上ったり百貨店のフロアを移動したり一苦労。都会では田舎と別の運動感覚が必要ですね。
 三島宗彦くんとは小学校2年から中学校時代を通じて、ずっといっしょにいたと言っていいほど仲がよかったでした。いっしょにザリガニ取りにも行きましたし、同じ軟式テニス部でもありました。高校は別々になり、それほど頻繁に会うことはなくなりましたが、それでも僕のなかで最高の親友の位置を占めつづけています。といっても会ってもそれほど話すわけでもないのですが。親しさってふしぎですね。 
 店に入るとカウンターの奥から調理服姿の三島くんが出てきてくれました。もうキャリア15年。堂々たる風格です。軟式テニス部で鍛えた彼の体は、いまもがっしりしています(彼はインターハイに出場しました)。運動から離れてしまった僕とはえらい違いです。 
 この日は1日10食限定の「ととや弁当」(1050円)を食べました。品数も多くおいしかったのですが、僕の心は久しぶりに三島くんと会えた喜びでいっぱいでした。特に話さなくてもただ会えるだけでうれしい。そういう友だちと人生で出会えたことは幸いだと思いました。学生時代に孤独感にさいなまれずにすんだのも、三島くんのおかげです(皆さんも機会があったらぜひ「魚魚屋」に行ってあげてください)。 
 さあ、これでやるべきことはすべてやりました。あとはお休みどころに帰るだけです。陽子さんたちと地下街で別れ、空港バスで伊丹空港に向かいました。飛行機で鹿児島空港に移動し、バス・電車・タクシーと乗り継いで夜8時には帰り着くことができました。 
 今回の旅を通じて論楽社時代からの長年の友人たちに会うことができました。上島聖好さんが亡くなって以来、なんとなく会いづらくなっていたのですが、時がすべてを癒してくれました。皆さんも変わらぬ温かさで迎えてくれました。そして幼なじみの親友2人とも再会することができました。みんな時間をかけて熟成してきた友情関係です。 
 僕は連絡を取るのにまめであったとは言えませんし、人間関係でもいろんな失敗をしてきました。それでも付き合い続けてくれている人たちですから、たいていのことがあっても関係が切れないだろうと信じることができます。その意味で僕の心のセーフティーネットになってくれている人たちなのです。 
 僕の旅行はたいていはなんらかの相談業務とか仕事と関わっています。ですが今回の旅は行く先々で温かいもてなしを受け、自分が休ませてもらいに行く旅でした。ありがたいことですね。
 僕の心のなかにはなんとなく「楽をすると罰せられる」といった怖さがあり、「こんなに楽をしていていいのか」といった気持ちにもなるのですが、ほっこりくつろがせていただくことも、お休みどころの活動を続けていく上で必要でしょう。まず自分が休めるようにならないと、人にほんとうの意味で休んでもらえるようにはなれないと思うのです。
 認知行動療法の本には自分の思考・行動パターンを知るための性格テストのようなものがあります。僕もやってみたところ、仕事中毒の項目と、「自分ががんばれば結果が出るはずだ」という報酬期待の項目が高得点でした。つまりお休みどころをやっているのに実は「働きすぎ」で「休み下手」なのです。
 自分が休むことをもっと真剣に考えなさい。今回会えた「人生の家族」の人たちは、そんなことを教えてくださっているのかも知れません。
[追記] この文章は友人の泉谷龍(いずみやりょう)さんにコメントしてもらい、書き直してできあがったものです。泉谷さんとも本文中の友人たち同様、15年以上の付き合いです。変わらぬ友情に感謝します。
2011年2月のお休みどころ
2/1(火) 委託の郵便配達人である金崎三重子さんと立ち話をする。三重子さんは水上村湯山の地域の方たち(主におばあちゃんたち)を組織し、「おたけさん会」を運営している。名物の「おたけさんまんじゅう」の他にも、からいももち、山菜おこわ、赤飯など郷土の食品を生産。9人の人たちと始めたおたけさん会もその後4人が亡くなり、いまは5人の人たちと働いているという。非常にさりげなく、地域おこし・人おこしの活動をされている三重子さんへの敬意を新たにする。 
2/2(水) 屋内でも0度を切る日々が続き、台所以外の家中の水道が凍ってしまい困る。 
2/4(金) ホットメールのアカウントに"Emergency(緊急事態)"というスパム(迷惑メール)が届く。そのうえ僕の知人たちにかってに転送されている。コンピューターウィルスも含まれていたらしく、以後3週間ほど携帯電話からホットメールにアクセスできなくなる。
2/5(土) 友人4人が泊まりがけで来訪。この日は水上村の民宿「いろり」で夕食をいただく。名物の巨大ないろりが大規模改修中で、食堂の様子が様変わりしていてびっくりする。翌日は太宰府の九州国立博物館で開催されていた「ゴッホ展」に出かける。 
2/7(月) お風呂の湯わかしバーナーが壊れ、浴槽の水がバーナーの焚き口からあふれてくる。いつも灯油を運んでもらっている井上石油に電話し、翌日に山田さんに調査に来てもらう。バーナー内を循環する水が凍結し、クラック(ひび)が入ったとのこと。購入して7年10ヶ月目にして、バーナー本体を取り替えることになる。水抜きをしていれば防げたとのことで、残念に思う。 
 あわせて灯油ファンヒーターまで動かなくなる。97年12月に購入してから13年働いてくれたもの。こちらは灯油フィルターの目詰まりが原因だったので、数日後にはまた使えるようになる。しかし買い替えの時期が近づいているのは確かだ。
2/8(火) 柔道家の谷口博文さんが来訪。 
2/12(土)〜2/14(月) 関西への旅 
2/12(土) 鹿児島から伊丹空港まで飛行機で行き、そこからモノレールと京阪電車で枚方市の渡邉典子、渡辺詩美さん宅を訪ねる。看護教員の典子さんは根っからのお世話好き。かに鍋をごちそうになり、翌朝にはお弁当まで作ってもらう。詩美さんはケアマネージャーとして働きながら人生模索中。 
2/13(日) 大阪府吹田市で厚生労働省主催の「認知療法・認知行動療法研修会」に参加。9時半〜5時半。その後神戸に移動し、親友の成田泰士くんと合流してS夫妻宅へ。手作りのポテトコロッケや切り干し大根の煮付けなどをいただく。電車好きの2歳のEくんがにぎやかである。 
2/14(月) Yさん、Eくんと3人で西宮市にあるMさん宅を訪ねる。Mさんは言葉が全く出ないと聞いていたが、「一人じゃなんにもでけへん」「興野さん元気?」などとおっしゃり喜ぶ。その後3人で梅田に移動し、同級生の三島宗彦くん(板前。マルビル地下2階の「魚魚屋(ととや)」で働く)の作ってくれた昼食に満足する。夜、お休みどころに帰り着く。
2/20(日) 台所の水道の蛇口が老朽化し、折れる。 
2/21(月) 郵便配達に来られた木嶋幸利さん(59)と話す。水上村に住んでおられ、郵便局を早期退職して民宿を開いて2年目だという。民宿の名前は「瓢鰻亭」(ひょうまんてい、868−0703球磨郡水上村湯山1822 電話09010813653)。定員10人、1泊4000円とのこと。体験型の宿で、畑の野菜で調理したり、かまどでごはんを炊いたり自由に過ごせるという。木嶋さんが大事にしているのは「空間、静けさ、緑」。1度泊まりに行ってみたい。 
 谷口博文さんと弟の英明さん、母の睦代さんが来訪。いっしょに夕食を作り楽しむ(豚肉と白菜の炒めもの、アジの刺し身、生ガキ、豆腐、キュウリの塩もみ、みそ汁、麦ごはん)。博文さんが1992年にイギリスで買った絵「ウェストミンスター通りとビッグ・ベン」をプレゼントしてくださる。さっそく「ひだまりルーム」に飾る。 
2/22(火) 茨城県水戸市在住の平早勲さんの手作り論説通信「私たちの課題53」が届く。「私たちの課題」シリーズは今回で終了。平早さんが説いてきた民主主義、つまり1、左右に合わせるばかりでなく個人としての意見を持ち行動すること 2、他者(少数派)の意見を尊重すること、をお休みどころでもささやかに実践していけたらと願う。
2/26(土) 谷口博文さんと湯前町のレストラン「徳丸」で夕食。ちゃんぽん大盛り850円を食べる。野菜たっぷりでボリュームがあり、2人とも満足する。 
2/27(日) 犬たちの毛が抜けはじめたので、散歩のときに櫛ですくようにする。
2/28(月) 山のカエル(カジカガエル?)が母屋の裏の貯水池でキュルキュル〜クルクル〜と鳴きはじめる。透きとおるようなかわいい声に、春の到来を感じる。
渡辺典子さんと興野
写真1 渡邉典子さんと興野。渡辺さん宅にて。 
渡辺詩美さん
写真2 Uさん。 
写真3 S夫妻宅にて。
写真4 S夫妻宅にて。
成田泰士さん
写真5 成田泰士さん。
山下満智子さんと敏久さん
写真6 Mさん宅にて。 
山下満智子さん
写真7 Mさん。 
写真8 Mさん宅にて。
三島宗彦くん
写真9 三島宗彦くん。大阪梅田マルビル地下2階にある魚料理の「魚魚屋(ととや)」にて。 
ととや弁当
写真10 この日食べた「ととや弁当」(1050円)。
三島宗彦くんと興野
写真11 三島宗彦くんと興野。
山下満智子さんの作品
写真12 お休みどころにあるMさんの作品の例。カーテンとタペストリー。
タペストリー
写真13 山下満智子さんのタペストリー。 
座布団カバー
写真14 山下満智子さんの座布団カバー。
木嶋幸利さん
写真15 水上村で民宿「瓢鰻亭(ひょうまんてい)」を運営している木嶋幸利さん。お休みどころにて。
金崎三重子さん
写真16 お休みどころに郵便物を届けてくださる金崎三重子さん。
谷口英明、谷口睦代さん、興野
写真17 左から谷口英明、谷口睦代さん、興野。あっという間にごちそうがテーブルいっぱいに並んだ。お休みどころのひだまりルームにて。 
谷口博文さん
写真18 谷口博文さんとプレゼントしてくださった絵。
[追記2] 「2011年2月のお休みどころ」の部分と写真の一部が、『週刊ひとよし』656号(2011年4月24日発行、人吉中央出版社)に掲載された。タイトルは「球磨郡水上村 標高600mの心の保養所 『お休みどころ』通信4」。
『お休みどころ』通信 | permalink | comments(2) | trackbacks(0) | - | -

この記事に対するコメント

初めまして、

私は 渡辺詩美さんのいとこの

ままだ つよしと申します。

アメリカに20年以上住み、

連絡が途絶えてしまいました。

まもなく アメリカに帰国し、

又 十年以上 帰ってこれなくなりますので、

恐れ入りますが、私のメールアドレスをお伝えいただけますでしょうか。 メールでかまいませんので お待ちしていますとお伝えください。

ままだ つよし 
Tsuyoshi Mamada | 2018/04/19 5:31 AM
ままださん、ありがとうございます。ままださんのアドレスがわかりませんので、すみませんが僕のアドレスyasunari-o@hotmail.co.jpまでメールをいただけませんでしょうか?詩美さんに連絡しますね。
興野康也 | 2018/08/05 4:51 PM
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