お休みどころ

こころの相談活動を作り続ける
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お休みどころについての説明文1 2013年10月10日(木)

 今回掲載する12本の文章は2011年の6月ごろに書いたものです。このブログにも書いたのですが、「お休みどころの活動を本にしてみませんか?」という話が舞い込み、友人たちの力も借りて文章を書きました
。ところがしばらくしてその誘いかけてくれた出版社が、自費出版を持ちかけて高い制作費を取る会社だとわかったのでした。友人たちが教えてくれたのです。ありがたいですね。 
 僕は本が大好きで、たくさんの本を読むことで育てられてきました。だから本を作りませんかと言われるとうれしくて、すぐに飛び付いてしまったのです。でも世の中はそう甘くはありませんでした。あとで考えてみれば、出版社からの本の計画はとても大ざっぱなものでした。本当なら何をテーマにしてどんな構成にするか、入念に話し合われるはずです。 
 この1件で感じたのは、目先の新しい誘惑につられずに、じっくりと自分の活動を続けていかないといけないということでした。相談業務にしても、精神科の仕事にしても、このブログに記録を書くことにしても、いま僕がしていることには何らかの必要性があるのでしょう。といっても初めから「相談業務をしよう」とか狙ってしたというわけではありません。他のこともいろいろしようとしたのですが、続かなかっただけなのです。
 思い返せばこのブログという形式も、僕が自分から望んで始めたわけではなく、故・上島聖好さんが導入したものです。もともとは手書きでお休みどころの通信を作り、そのコピーを友人たちへの近況報告として郵送していただけでした。そして通信文を僕が書くのも上島さんに「そろそろ書こうよ」と言われて書き始めることがほとんどだったのです。書くことに積極的だったわけではなく、「書かされて」いるうちに、だんだん書くことが自分の一部になってきたのでした。 
 僕が自分の人生の行動で純粋に自分だけで望んで始めたことなどほとんどありません。たいていは人からの勧めでやってみたということが多いのです。でもこうして続けているというのにはきっと何かの意味があるのでしょうし、意味がないとしても、あると信じて生きていくしかありません(笑)。
 そういうわけでこの後に掲載する文章は本作り計画の残骸のようなものです。それでも友人たちの力を借りてあちこち手を入れたものなので愛着があります。今回掲載できて、宿題が1つ片付いたような気になりホッとしています。文章たちも1人でも多くの人に読まれた方が幸せなのではと思います。

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お休みどころについての説明文2 心の水飲み場を求めて

 僕は35歳です。自分が人生で何をしていけばいいのかわからないまま手探りをしてきました。多くの人との出会いがあり、「こんなことをしてみたら」という勧めに従って行動してきた結果、いまは精神科医をしながら「お休みどころ」というボランティア活動をしています。人のお話をじっくり聞いて、何か援助できることはないか考えるという点では、どちらも共通しています。 
 お休みどころを友人たち2人と始めて9年目、精神科医の仕事を始めて7年目になります。その間いろんな出来事がありました。この本ではここ4年ほどの活動に焦点を当てています。 
 「心の水飲み場」というイメージは僕のなかに以前からありました。そこには人間も含めていろんな生き物たちが集まれるのです。そしてくつろぐことができる。漠然としていますが、そんな場所を作ろうと模索してきたのだと思います。 
 その無意識的な願いを引き出して育ててくれたのは多くの「人生の師」や友人たちです。この本ではそうした「先生」たちについて書きながら、お休みどころのいまの在り様と僕自身の歩みについてつづってみたいと思います。
 現在精神障害に苦しむ人は増加の一途をたどり、また病院に行かずとも心の悩みを抱える人は多いです。医療施設以外にも、人が疲れたときや人生の危機に直面したとき、あるいはただのんびりしたくてでも、自然のなかでゆっくり語りながらほっとくつろぐような場所は必要になるでしょう。「お休みどころ」がそういう活動のひとつのモデルになればと思います。
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お休みどころについての説明文3 お休みどころって何?

1 お休みどころって何?

 「お休みどころ」は来られた方にほっとしていただくための場所です。自然のなかでのんびりくつろいでいただけることを目指したボランティア活動です。精神科的な健康増進・予防のための場所でもあります。自然や景観を楽しみたい人、もっと活き活きと生きたい人、あるいは悩みのある人、その他いろんな人たちが来られたとき、お茶や湧き水を飲みながら語り合えればと思っています。
 僕は精神科医ですので、必要に応じてカウンセリング的な対話も行っています。当初は精神的に苦しむ人や病気の人を想定して始めた活動でしたが、実際に来られたのは元気な人たちやちょっと悩みがある人たちが大半でした。つまり主として健康な人がより生き生きできるようにお手伝いするための場所です。予防医学よりもさらに前段階の保養活動と言えます。なお、宗教活動や政治活動ではなく、あくまでも1つのボランティア活動です。

2 場所と建物

 お休みどころの位置ですが、九州南部の山地の一角です。熊本県球磨郡(くまぐん)水上村(みずかみむら)にある江代山(えじろやま)という山の裾野の、標高は500メートル台のところです。もちろんまわりは一面森と山ばかり。敷地のなかに泉があり、湧きでる地下水を飲料水としています。
 建物としては築100年以上の母屋と、納屋を改装した離れがあります(借家)。母屋の明るい一室を人とお話する場所に使っています。

3 設立と場所の整備

 2003年5月1日に3人で設立しました。他の2人は上島聖好さん(うえじましょうこう、文筆家、ネットワーク組織者)とグレッグさん(歴史家)です(上島さんとグレッグさんはお休みどころのメンバーですが、以下「さん」付けで統一します)。当初は上島聖好さんが思想面でも行動面でもリーダーでした。
 「水がおいしく森が豊かなところで、疲れた人が心身の休養をできる」という理念で設立のための場所を探しました。いろんな方の協力のもとに見つかったのがいまの古民家です。眺めがよく、湧き水があり、空気や森の緑を味わうには最適の場所です。 
 ただなんといっても山中ですので、実際に住み続けて場所の整備をするのは楽ではありませんでした。戸惑うことばかりでした。
 まずは梅雨のすさまじい雨量(平地よりずっと雨が多く激しいです)、次に雑草の伸びる勢い、ダニなどの害虫、台風(九州南部です!)、秋はあっという間に過ぎて日照時間の短い冬、そして古民家ならではのすきま風の冷え込み(体力を奪います!)。さらには年に2、3度雪まで積もったりして、イメージしていた南国の「癒しの里」とは全然違ったのでした。
 それに加えて何年も空き家となっていた家を再生するのには大変な労力が要ります。多量のゴミ、雨漏り、白蟻でボロボロの柱、枚数の合わない障子、などなど問題だらけでした。
 また地縁血縁の全然ない地ですから、人脈作りも大変です。地元での定職があるわけでもなく、なんだかわかりにくい活動をしている人たちだと地域の方たちも思われたでしょう。地域の草刈りに参加したり、知人が増えたりして触れ合ううちに、次第に理解の輪が広がってきました。 
 今年(2011年)でお休みどころの活動も9年目を迎えました。2007年に上島さんは亡くなり、グレッグさんはアメリカに帰りました。いまでは僕が1人で運営しています。

4 現在の活動

 次にお休みどころの活動ですが、来られた人とお話しながらくつろいでいただくことが中心です。お話といっても診察室での対話のような硬いスタイルではなくて、いっしょに食事をしながら話したり、散歩をしながら話したり、相手に応じて遊びを持ちながら自由に進めています。濃厚な自然のなかで緩やかな時間の流れに身を置くと、普段なら考えないようなことを考えたり、日常生活からちょっと距離を置いて自分を眺め直したりしやすいようです。
 お話の内容に決まりはありませんが、来られた方の人生の歴史やいまの暮らしぶり、興味関心のある物事、人間関係、悩みや心配、そしてこれからやろうとしていることなどをお聞きすることが多いように思います。人には適性があり、本来やりたいことをしていけば生き生きとする、ということを、僕は精神医学の師である神田橋条治さんから学びました。相手の方がどんなことを喜びとするのか、できればその手がかりをつかめるようにお話を聞いています。
 あとこれは僕の仮説なのですが、人生の転機の前後には、ちょっと普段行かない場所に行っていろいろ話して、自分を振り返ることか有用なようです。人生の苦しい節目を前にした人たちや渦中の人たちに利用していただきたいと思ってきましたし、実際そういう方が多いように思います。

5 この本の構成

 お休みどころでどんなことをしているのかを示すには対話の様子を記録すればいいのですが、相談業務の場合プライバシーに触れることが多く、記録はできません。ですのでこの本にはあまり相談や対話の場面は出てきません。
 この本の主な素材は設立以来毎月書き続けてきた通信「お休みどころ」です。遠方に住んでいて直接来れない友人たちに、お休みどころの様子を伝えたくて書き始めたものです(2006年からはお休みどころのブログに掲載しています)。ですので話題は新しい友人との出会いやおもしろい出来事が中心となっています。
 具体的には、第1章「これまでの道のり 」は主にお休みどころの歴史についての記述です。第2章「いまの活動と友人たち」は現在のお休みどころと仲間たちについて。第3章「イギリスへの旅」は話題を転じて僕のイギリス旅行の記録。そして第4章「これからの展望」は将来に向けての方向性、という構成になっています。
 各文章は可能な限り独立して読めるものにしました。一方1冊全体の流れを通じて「お休みどころ」という実験的な活動のこれまでの成果と失敗、そして今後の課題を提示しようとしました。風変わりな活動の記録ですが、そこから皆様が現代および未来を生き抜いていく上での何らかのヒントを汲み取っていただけたら幸いです。
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お休みどころについての説明文4 誕生のいきさつ

 お休みどころを始めるうえで多くの方のお世話になったと書きましたが、もう少し詳しく誕生のいきさつについて書きたいと思います。まず「お休みどころ」という名称ですが、これは詩人の故・茨木のり子さん(1926〜2006)の詩のタイトルです。この詩を読んだ上島聖好さんが、「これを作ってみたい」とひらめいたのです。以下に詩「お休みどころ」の一部分を引用します。 


白っぽい街道すじに
<お休みどころ>という
色褪せた煉瓦いろの幟(のぼり)がはためいていた
バス停に屋根をつけたぐらいの
ささやかな  たたずまい
無人なのに
茶碗が数箇伏せられていて
夏は麦茶
冬は番茶の用意があるらしかった

あきんど  農夫  薬売り
重たい荷を背負ったひとびとに
ここで一休みして
のどをうるおし
さあ  それから町にお入りなさい
と言っているようだった
誰が世話をしているのかもわからずに
自動販売機のそらぞらしさではなく
どこかに人の気配の漂う無人である
かつての宿場や遍路みちには
いまだに名残りをとどめている跡がある

「お休みどころ……やりたいのはこれかもしれない」

ぼんやり考えている十五歳の
セーラー服の私がいた

  詩集『倚りかからず』(茨木のり子著、筑摩書房)より

 ささやかに、そっと、がんばっている人たちを応援するようなイメージですね。目立たない形で、シンプルに。
 もちろんこの詩は起爆剤になったということであって、これだけで急にゼロから上島さんが考えついたというわけではありません。上島さんは京都で「論楽社(ろんがくしゃ)」という活動を共同運営し、現代のいろいろな問題に取り組んでいる人の話を聞いたり、互いに問題を持ち寄って話し合ったりしていたのです。そのなかでもう少し自然のなかで人が癒されるような活動をしたいとの夢を長年かけてふくらませていたのでした。 
 茨木のり子さんは「お休みどころ」という名前を使うことを許可してくださったばかりでなく、食料を送ってくださったり電話をくださったり、助けてくださいました。もう亡くなられてしまいましたが、「お休みどころ」が生まれたのはのり子さんのおかげです。
 グレッグさんや僕は論楽社の活動をとおして上島さんと知り合った仲間でした。上島さんの人柄とアイデアに感銘を受け、協力してお休みどころの場所探しを始めました。京都府内や周辺の県にも行きましたし、和歌山県の熊野にも行きました。何カ所か行ってみたのですが、なかなか「ここだ」という場所がなかったのです。
 そうこうしているうちに、熊本県の水上村に住むトルストイ翻訳家、故・北御門二郎さん(きたみかどじろう、1913〜2004)を訪ねる機会がありました。北御門二郎さんは17歳でトルストイの作品に出会い、その思想に惹かれるあまり単身で徴兵拒否をしたという気骨のある人物です。このときはすでに認知症となり施設に入退所を繰り返しておられたのですが、やはりおっしゃることとたたずまいには特異な人格の無垢さと高貴さが表れていました。
 二郎さんの人柄に惹かれたことと、水上村の風景が美しかったことから、僕たちはこの村にいい場所がないかなと思い始めたのでした。そして二郎さんの長男の北御門すすぐさんとたえ子さんご夫妻が動いてくださり、二転三転したのですが、最後にいまの古民家が見つかったのでした。そして上島さんと僕が2003年5月1日に移り住んだのです。

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お休みどころについての説明文5 場所作りと恩人たち

 家は見つかったものの、住める状態にするのはかなり大変でした。特に最初の3ヶ月は家のなかの暗さ(窓がほとんどない!)、周囲にたまった多量のゴミ、あちこちでの雨漏り、腐って折れそうな柱などそれまで体験したことのない状況が相次ぎました。梅雨のとんでもない大雨(平地の台風並みです!)と湿度(常時80%以上)など、山の気候にも驚くばかりでした。
 関西から論楽社関係の友人たちが何人も手伝いに来てくれました。関口香奈恵さん(書家)は破れた障子を書道の反古紙で張り直してくださいました。虫賀宗博さん、川村幸司さん、一之瀬博美さん、グレッグさんは場所整備のための「合宿」に来てくださり、川村くんとグレッグさんはレンタルの軽トラックで大型ゴミ(冷蔵庫3台、アイスクリームボックス、壊れた脱穀機その他)を13台分運び出してくださいました。江藤由喜治さんは大工の技を活かして母屋の玄関の扉を新しく作ったり、天井板を張ったりしてくださいました。木工・漆職人の大益牧雄さんは欅の一枚板でお休みどころの看板を作ってくださいました。 
 一方、球磨地方の方たちとのつながりですが、2003年9月にお休みどころを訪ねてくださった故・吉本友子さん(1953〜2007)が起点となり、仲間がたくさんできました。友子さんの連れ合いの吉本健三さん、田嶋順子・譲治夫妻、阿部勤子・雅弘夫妻、鶴上うしを・寛治夫妻。これらの方々はさらに多くの友人たちを紹介してくださり、お休みどころが地域に根を下ろしていくことを大きく助けてくださいました。
 近所の方々とも紆余曲折ありましたが、草刈り作業や飲み方(宴会のこと)を共にするうちに次第に受け入れてきてくださっています。皆さん山仕事をしてきた方が多く、都市生活では考えられない苦労をされてきています。さまざまな体験談を聞かせていただくことは僕の楽しみの1つです。
 同じ水上村の湯山地区から郵便配達に来てくださる金崎三重子さんには物資調達、よろず相談、犬の世話などいろいろ助けていただいています。地縁血縁のない土地で生きるにあたって、地域の友人ほどありがたい存在はないですね。
 大工の浦松眞さんと阿部雅弘さんたちは、ボロボロの納屋をきれいなゲストハウスに改装するのを破格の安さで引き受けてくださいました。マックさん(ログビルダー)、吉本健三さん(山林業)、有村建冶さん(造園、重機)も改装を助けてくださいました。電気工事技師の堀田雄次さんは電気配線やスイッチを整備してくださいました。そして2006年7月に無事にゲストハウス(現在では自分がすんでいるのですが…)が完成。故・岡部伊都子さん(、エッセイスト)の著書のタイトルをいただいて「花の寺」と命名しました。
 また2006年11月には友人の林洋子さん(女優、宮沢賢治作品の一人語り芝居)の九州公演ツァーを主催しました。仲間の田嶋順子さん(太極拳、農業)や阿部勤子さん(ヘルパー)と実行委員会を立ち上げ、福岡・熊本・鹿児島3県で13ヶ所の公演を実現させたのです。この際に水俣をはじめ九州各地に出かけて共同で準備をしたことで、友人が多くできました。
 後に阿部雅弘さんたちは母屋の一部を改装し、 板張りの洋室を作ってくださいました。当初はキッチンにする予定だったこの部屋を、内装の美しさから応接室に転用。現在もこの「ひだまりルーム」が接客・カウンセリング用の部屋となっています。窓が多くて明るいです。
 他にもたくさんの方の有形無形の援助のもと、いまのお休みどころができてきています。受けてきた多数の恩恵を、細々ながらでも悩んでいる人や疲れている人、その他訪ねてくださった方々に寄り添う形で社会にお返ししていければと思っています。
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お休みどころについての説明文6 なんでそんな山奥で?

 お休みどころは多少風変わりなので、いろんな人から質問や批判を受けます。それらのなかでももっともポピュラーであり、かつ反論しにくいのが、「なんでそんな山奥でやってるの?町中でやった方が人も行きやすいし、効率もいいじゃない?」というものです。これは読者の皆さんの多くも普通に持つ疑問ではないでしょうか?
 僕のいままでの答えは「なかなか場所が見つからず、たくさんの方の助けでやっと見つかった。古民家の整備や納屋の改装にも大勢の人に助けていただいた。だからあの場所が大事なんです」とか「僕はあの場所が好きなんです」とか「やり始めた責任があります」とかいったことでした。お休みどころを必死になって続けている立場上、ムキになって「価値ある活動なんです」と主張したり、「なんでこんなに説明してもわかってもらえないのか」とイライラすることもありました。でも冷静に考えると、これでは答えになっていませんよね(笑)。 
 頭のなかで推論する分にはカウンセリングだけならどの場所でやってもよさそうに思えますし、何も不便な山中でやらなくてもよさそうです。お客さんは来づらい、自分たちは住みづらい、まわりに知り合いもいない、と苦しいばかりで全く無益な徒労ということになります…。
 ただ、やはり自然が人の心身にもたらす療養効果というものがあるのだと実体験をとおして思います。まず山の雰囲気は人をすこし「子ども返り」させたり、心のガードを緩めたりする作用があるようです。お休みどころでお話すると、なぜかプライベートな悩みや心配事までも初対面でも話してくださることがよくあります。濃密な対話になることが多いのですが、それでいて僕の方は疲れにくいのです。自然が主たる「治療者」になってくれているので、僕が無理にがんばらなくてもいいという感じです。
 また「時間の流れが違う」とか「時間を忘れる」と言ってくださる方もあります。山深い場所の雰囲気や静けさが、人の時間感覚を変えるのかも知れません。普段と別の時間と空間に身を置くことで、日常生活を離れて自分の人生全体を振り返ったり、元来やりたかったことを思い出したり、悲しみをかみしめたり、楽しいことを思いついたり、いろいろ普段と違うことを考える効果があるようです。
 それから、お休みどころへの行き返りの道中にもなにがしかの効果があるのではないかと感じています。インターチェンジのある人吉市からの道路に沿って、果樹園や茶畑が広がり、球磨盆地の山々が一望できます。水上村に入るとだんだん登りの山道となり、市房ダム湖を越えると平谷川の清流に沿って走ります。山はかつて植林されていまは荒れている杉林が大半ですが、所々に残っている照葉樹林の景観も楽しめます。古屋敷(ふるやしき)という最寄りの民家数十戸の集落を過ぎると残りの4キロほどは人家もほとんどなく、離合もギリギリでするような細くて曲がりくねった道路となります。こうやって徐々に山に分け入っていき、また帰ってくる道中で、周囲の自然に心が引き付けられ、日常世界を離れて物事を考えたりリラックスしたりできるようになるのではないかと考えられるのです。非日常の世界で心を遊ばせるということですね。
 さらにきれいな空気と湧き水があります。少し散歩をすれば山また山の景観を一望できる見晴らしスポットがありますし、4キロ上には「白水の滝」と吊り橋もあります。こういう場所なら、日常のストレスから距離を置いて生活を見直してみたり、くつろいだりしやすいのではないかと思うのですが、どうでしょうか?
 自然が豊かで水のきれいなところを古来人々は癒しの地としてきました。京都で僕が下宿していた岩倉も、平安時代から泉のまわりに精神障害を持った人たちが集まって治療していた精神医療発祥の地です。しかし残念ながら僕が学んだ現代精神医学にはこのような「自然療養」についての記載があまりありませんでした。
 自然療養はコストもほとんどかからない保養法ですし、医療経済的にも無理がないと思います。自然のなかでちょっと一休みしたりのんびりしたりしながら、相談もできる。そういう「お休みどころ」が将来各地に今後少しずつ増えていくんじゃないかなと、僕はひそかに夢想しています。

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お休みどころについての説明文7 精神科医としての仕事

 僕の活動のもうひとつの大きな柱である精神科医としての仕事のことも書いてみたいと思います。現在僕は週の半分から3分の2を鹿児島市内で過ごし、精神科病院である伊敷病院(210床)で働いています。伊敷病院は精神科の急性期・慢性期の病棟に加えて認知症病棟やデイケアもある病院です。働き始めて7年目になります。
 入院や外来の診察もしていますが、仕事の中心は往診です。精神科ソーシャルワーカーや看護師の方たちと2〜3人で車1台に乗りこみ、患者さんたちのお宅やグループホーム、老健施設、他科の病院などを回るのです。 
 病院内での診察では場所の性格上、病気の症状や薬の効き具合が話題になることが多いです。ですが往診で訪問するのは患者さんの生活の場であり、おのずと日常の暮らしぶり全般について話すことが多くなります。どんなことをしているか、どんなことに興味を持っているか、困ったことはないか、人間関係はどうか、どんなものを食べているか、眠れるか、排泄の具合はどうか、精神症状はないか、薬は飲めているか、副作用はないか。こういったことはいつも診察室で尋ねていることですが、患者さんの自宅などで話せばより具体的に細かく話していただけることが多いのです。 
 病院で薬をお渡しするだけなら(治療の必要性について納得されていない、あるいは意欲がわかないために)服薬を続けられない人でも、週に1、2回お訪ねするだけで内服できたり病状コントロールへの自覚が高まったりすることがあります。生活リズムが整ったり、室内を片付けたり、食事をきちんと摂れたりするきっかけになることもあるようです。ゆったりした気持ちで話せるという患者さんもいます。皆さん一般に病院よりもずっと緊張しないで話せるようです。 
 このようにいいことがたくさんある往診ですが、メリットばかりではありません。医療スタッフにとっての最大のデメリットは、移動に時間がかかることだと思います。半日で5、6ヶ所行けばけっこう多く、7、8ヶ所では分刻みで時間に追われることになります。病院にいれば半日で数十人の方とできる診察が、あまりできないのです(ただ実際にはこの移動時間も僕にとっては同僚といろいろ話せる貴重な時間なのですが…)。 
 僕がしている精神科の仕事の大部分は、再発予防とリハビリテーションです。精神科の病気というのは、短期間で完全に治すというよりも、長期間にわたってじっくりと付き合っていくような病気が多いのです。僕たちは患者さんの病状悪化のサインを早期に見つけ、進展を防ごうとします。また患者さんの社会復帰を妨げる要因を見つけ、軽減しようとします。そして患者さんたちの持っている能力を最大限に伸ばしていただこうとします。
 そのためには薬による治療だけでなく、なるべくストレスの少ない生き方を探していくことや対人関係の調整、さらに趣味などの楽しみごとを見つけるお手伝いをすることなども必要になるのです。病気を治していくだけでなく、人生の楽しみや喜びも共に探していこうとするのです。
 精神科医としての活動とお休みどころの運営は車の両輪のようです。相手に少しでも生き生き元気になってもらおうとするところは同じ。でも方法は対照的です。病院では現代の医療技術を活用しながら診療をします。お休みどころではほとんど医療技術を使わずに相手により元気になってもらおうとします。病院に来られるのは比較的重症の患者さんが多いのに対して、お休みどころに来られる方の大半は健康な方です。僕の勤める病院は都市部にありますが、お休みどころは山のなかです。病院での仕事は大きな医療システムの一環としての活動ですが、お休みどころは個人で運営しています。病院ではたくさんの患者さんを診療しますが、お休みどころでは1日に1人とか2人とかの方とゆっくりお話します。
 しかしこうして比較しながら気づいたのですが、相手の自然治癒力に働きかけて活性化しようとする点では同じです。やり方は違っても、相手の精神的健康に貢献しようとする点では同じなのです。より豊かに生きるとはどういうことなのか。実践しながら日々考えています。そして生の豊かさというのが、今後の大きな社会的課題になると思うのです。

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お休みどころについての説明文8 上島聖好さんとグレッグさん

 創設時のリーダーの上島聖好さんはとてもクリエイティブな人で、お休みどころにいろんな夢を盛り込み、多方面の活動に手を付けました。たとえば「球磨川源流であるこの地に木を植えて、球磨川が注ぎ込む有明海(水俣の海)を少しでも美しくする」ことや、「リサイクルをなるべく暮らしに取り入れゴミを少なくし、自家用車やクーラーを使わず電気を使い過ぎない」ことで「原発に依存し過ぎないライフスタイルを作ろう」とすること。「過疎で人が減りつつある山の民の暮らしぶりを記録する」ことや、さらには「北御門二郎さんのように平和を作る活動をした人たちの資料館を作ること」。これらの夢を見ると、上島さんがいかに未来的な夢想家であったかがおわかりいただけると思います。 
 一方で上島さんにはジャーナリスティックな才能もあり、人と会うのが好きで、誰とでも生き生きした会話を作りだし、膨大な手紙を書き、あちこちに旅して情報収集す能力もありました。そしてそれを言葉で記録することにも情熱を傾けました。お休みどころを始めて以来毎月1つ以上通信「お休みどころ」を書いてきていますが、これは上島さんが始めたものです。また2006年にお休みどころのブログを始めたのも上島さんの力です。
 さらに場所作りの才能もありました。家のあちこちに各地の手作り民芸品や芸術品を飾り、掃除には異常なほどの執着を示しました。暮らしそのものを芸術作品にしようとしていました。まさにマルチな人ですね。
 上島さんは人を鼓舞する人でした。ただ才能ある人によくあることですか、エキセントリックなところもあり、気分は不安定でした。対人関係にも多くの波乱がありました。人を精神的に「お休み」させるタイプではなく、温和でもありませんでした。これでは「お疲れどころ」ではないかと文句を言った人がいましたが、いまにして思えば当たっている面があると思います。 
 一方、もう1人の創設メンバーであるグレッグさんは日本近代史の研究者です。「ユートピアを作り出す」という夢を持ち、差別や戦争をなくしていくための学問への志を持ち、多方面にわたる知識を有していました。世界中の多くの国を旅し、膨大な本の収集家で、人と会って話すことも好きな人です。人気者である彼の周りには自然と人が集まりました。お休みどころに知の力と活力をもたらしてくれた人でした。 
 さて、この2人と僕の3人のチームワークを土台に、多くの人の助けでお休みどころの場所と活動を作ってきていたのでしたが、それも長くは続きませんでした。僕自身の行動で、始めて4年目にして3人のチームワークが崩れてしまったのです。さらに2007年10月にはいろんな意味で疲れきった上島さんが、自殺で亡くなってしまいました。グレッグさんは僕の言動に失望してアメリカに去ってしまいました。このときがお休みどころの8年のなかで最大の存続の危機でした。集まっていた友人たちにも離れてしまった方がたくさんいました。 
 そのとき以来お休みどころは僕1人で運営していくことになってしまったのですが、どうにかこうにか続けていまに至っています。3人で運営していた時代のお休みどころについては、上島聖好さんの遺稿集『お休みどころ−−上島聖好の世界』(上島聖好遺稿集編集委員会編、ぱんたか発行)にまとめました。この本ではそれ以降のお休みどころの歩みを中心にまとめたいと思います。ですが、いま1人でこの本を作らないといけないことをとても悲しく思います。
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お休みどころについての説明文9 お休みどころの集い

 「お休みどころの集い」も上島聖好さんが始めた活動の1つです。お世話になっている「人生の師」たちを講師として招き、参加者ともども車座に近い形で語り合う会です。以下では2010年までの10回の内容を簡単にまとめてみました。これらの会の内容を見ると、お休みどころの方向性をわかっていただけるかと思います。


●第1回 お休みどころの集い
2005年9月10・11日
講師:神田橋條治(精神科医)
 神田橋さんは対話療法の名手として名高く、僕の精神医学の師である人です。縦横無尽に参加者の質問に答えを出す姿は魔法使いのようにも見えます。相手が生き生きとできるライフスタイルを探索していく手際がすばらしいです。

●第2回 お休みどころの集い
2005年10月30日 
講師:林洋子(女優、宮澤賢治作品の一人語り芝居)
 「なめとこ山の熊」「賢治文語詩朗唱」を林洋子さんに薩摩琵琶を弾きながら語っていただきました。発するエネルギーは圧倒的です。また洋子さんは人柄も魅力的で、多くの人をつなげていきます。洋子さんのおかげでお休みどころの仲間もずいぶん増えました。

●第3・4回 お休みどころの集い 
2006年7月15〜17日
第3回講師:神田橋條治(精神科医)
第4回講師:金泰九(キムテグ、国立ハンセン病療養所・長島愛生園に在住)
 納屋を改装したゲストハウス「花の寺」の完成祝いの祭りでした。2階の20畳の部屋が会場です。大工の浦松眞棟梁たちに感謝しました。
 お休みどころの3人は皆、ハンセン病療養所・長島愛生園にたびたび通い、金さんの苦しみを突き抜けた朗らかさに励まされてきました。多くの人に知っていただきたい、すばらしく活気のある方です。こういうふうに年齢を重ねたいと思わずにいられません。

●第5回 お休みどころの集い
2006年11月11・12日 
講師:緒方正人(漁師、水俣病を患う)
 林洋子(女優、宮澤賢治作品の一人語り芝居)
 緒方正人さんは水俣病事件の「被害者対加害者」という図式を乗り越え、水俣病を現代文面そのものの問題として考察することを提唱している方です。言葉の深みと広がりがすばらしいです。林洋子さんには「よだかの星」「いちょうの実」を公演していただきました。

●第6回 お休みどころの集い
2007年5月26・27日
講師:玉木光(フォートウェイン・フィルハーモニー首席チェロ奏者)
 神田橋條治(精神科医)
 バッハの無伴奏チェロ組曲第3番と第5番、そしてパブロ・カザルス編「鳥の歌」などを玉木光さんに演奏していただきました。小さな空間で聞くチェロの音は、全身で感じる響きのシャワーでした。深くてうねるような音の波動。 

●第7回 お休みどころの集い 
2007年7月15・16日 
講師:宇佐美治(らい予防法違憲国家賠償請求訴訟の瀬戸内地区原告団長)
高木久仁子(高木仁三郎市民科学基金理事・事務局長)
林洋子(女優、宮澤賢治作品の一人語り芝居)
 タゴールの詩「渡り飛ぶ白鳥」を林洋子さんが朗読してくださいました。
 宇佐美治さんもハンセン病療養所・長島愛生園の方で、僕にとってはおじいちゃんのような方です。深い悲しみを経てきた人はさりげなく優しいです。高木久仁子さんは反原発運動の中心的人物であった故・高木仁三郎さんの連れ合いです。福島原発の事故後の現在では、お2人の活動の正しさは誰の目にも明らかだと思います。

●上島聖好さんの一周忌(第8回お休みどころの集い) 
2008年11月3日 
講師:齋藤たきち(果樹中心の農業) 
 林洋子(女優、宮澤賢治作品の一人語り芝居) 
 齋藤たきちさんは上品で滋養ある果物を作る一方、作詩、教育、地域史などさまざまな文化活動をされています。派手でない言葉からかえって多くのメッセージが伝わります。素朴なお人柄ですが、権力者と対峙する姿勢には鋭いものがあります。

●『お休みどころ−−上島聖好の世界』出版記念会(第9回お休みどころの集い)
2010年4月4日
講師:篠原鋭一(僧侶、自殺予防活動を行う)
 神田橋條治(精神科医)
 篠原鋭一さんの運営する出版社「ぱんたか」から上島聖好さんの遺稿集を出させていただきました。お寺を開放して多彩な活動をされています。現代社会の問題をえぐり出すジャーナリストとしての才能もお持ちです。

●第10回お休みどころの集い 
2011年7月17日 
講師:八木義人(精神科医)。傾聴を中心とした精神療法に定評がある。
 増山博之(カイロプラクティックの施術者)。鹿児島市内で「あいかカイロプラクティックセンター 愛香院(あいかいん)」を開業して27年になる。
 渡邉典子(看護学校教員[在宅看護学])在宅での看取り支援を続けている。
 人が生き生きと生きるとはどういうことなのか、多方面から照らし出す会になりました。参加者の方々がそれぞれの分野でされている活動を語ってくださり、うれしく思いました。

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お休みどころについての説明文10 お休みどころのこれから

 お休みどころの活動を始めて9年目に入りました。この間、いろんな方から応援をいただくと共に、ときには疑問をいただくこともありました。さすがにいまでは「そんなことして何になるの?」と聞く人はいなくなりました。でも「単なる自分の遊びではないか」とか「自己満足に終わっていないか」という疑問は、僕自身も常々感じているのです。「人のために」と言いながら、一番楽しんでいるのは実は僕自身なのかも知れません。 
 お休みどころを始めた当初、お休みどころのイメージはいまよりもさらに混沌としていました。メンバーの上島聖好さん、グレッグさん、そして僕が3人3様の夢を持っていたのです。いま振り返ると、上島さんの夢は「悲しみを絆としてつながりあう共同体」、グレッグさんの夢は「社会正義を実現するユートピア」、僕の夢は「山奥での静かな暮らし」だったのかなと思います。
 これらの夢は部分的には実現しましたが、大部分は実現しませんでした。その後僕が精神科医となり、結果的に僕1人で運営していくことになったので、「心の保養所」としての側面が中心になってきました。そして美紗さんを迎えてもう一度振り出しに戻り、名前のとおりの「お休みする場所」に少しずつ近づいてきている気がします。
 何事もそうだと思いますが、新しく始めるときにはいろんな思いを持ち寄ることが必要です。そしていろんな出来事を経ながら、実際に人々に必要とされる側面だけが生き残り、育っていくのだと思います。
 もう1つよく質問を受けるのが、お休みどころの経済的な基盤についてです。僕の方針はお休みどころを完全にボランティアで運営することです。つまり、料金は一切いただかないということです。これがいいのかどうかもいまはわかりませんが、ビジネスではない運営スタイルを取ることで、普通の社会の価値基準の外にある場所を作ってみたいのです。現時点では、生活費は精神科病院で働くことで得て、お休みどころは非経済的な活動としてやっていくつもりです。
 またお休みどころは何らかの宗教施設とも間違えられることがしばしばです。たしかに無料で運営というと、宗教施設を連想する方が多いのもわかります。ですがお休みどころは特定の教派や政党とはつながりを持っていません。あくまでも悩み、疲れた人と悲しみを分かち合うための保養施設として運営していきます。
 あと、どこまでお客さんの範囲を広げるのかという問題もあります。現在は僕の顔見知りの人やその友人といった方の利用が多いです。毎月の通信などをお休みどころのブログに掲載する以外、特に宣伝もしていません。口コミで知った方が直接電話してこられたり、友人と遊びに来られたりして知り合うことが多いです。少し曖昧なやり方ですが、いまのままでいいのかも知れません。あまりお客さんが増えても、僕たちでできる対応に限りがありますから。
 お休みどころは独創的かといえば、全然そうではありません。僕の知る限りでも、自宅の離れなどを利用してボランティアで人の悩み相談所をしている人はたくさんいます。また特定のスペースを作らなくても、いろんな人生経験をして強くなった人が、まわりの人たちを励ましていることはしばしば見かけることです。 
 山のなかで保養施設を運営することも珍しくありません。自然のもたらすくつろぎを利用して人を元気にする施設自体は大昔からあるものです。古い神社やお寺などもその例だと思います。多くの観光施設も自然の癒しの力を利用しています。
 曖昧で活動の焦点が絞りきれていないお休みどころですが、逆にそこがいいところなのかも知れません。急いで「わかりやすい」施設にしようとするのではなく、どんな方法で人々の精神的健康に貢献できるのか、ゆっくり探していきたいと思います。運営はいつも試行錯誤です。お休みどころのような小さな規模の活動は、小回りがきく分、大きな団体には難しいチャレンジをいろいろすることが使命なのだと思います。

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