岡部伊都子さんからの手紙 2013年1月2日(水)
お休みどころの棚を整理していたら、故・岡部伊都子(いつこ)さん(1923〜2008、エッセイスト)からの手紙が出てきました。 岡部さんはお休みどころを立ち上げるときに応援してくださった方で、著書や資料をたくさんいただきました。京都のお宅を何度も訪ねさせていただいたのが、ついこの前のような気がします。
とても筆まめな方で、お休みどころのリーダーだった故・上島聖好さんとは頻繁に手紙のやり取りがありました。いただいた手紙も多数残されていますが、内容の大半は岡部さんがどこかに発表した文章のコピーです。「こんな仕事をしました」とまめに知らせてくださっていたのです。それらのほとんどは岡部さんの残した100冊を超えるエッセイ集に収められていますから、このブログで改めて掲載する必要はないと考えます。
今回掲載する3通の手紙は、2003年5月のお休みどころ開設後にいただいたものです。岡部さんの人柄や優しさ、また2003年当時の暮らしぶりを彷彿とさせるものです。80歳でこれほど活動的に生きておられたのですから驚異的ですね。
岡部さんは何よりもまず「書いて暮らす人」だったことがよくわかります。「自分も含めたこの世界を記録したい」という本能のようなものが岡部さんを動かす原動力だったのでしょう。
いつも「病気がち」とおっしゃっていましたが、気力も根気も人一倍ある方でした。どこか「不死身(?)」なような方でしたから、亡くなられたというのが嘘のようです。友人を大切にする方だったので、支えるファンが大勢でした。寂しい思いをしておられる方も多いと思います。「人気者でいたい」という思いもまた、岡部さんの大きな原動力だったのでしょう(笑)。
なお句読点や人名表記などに若干の修正を加えてあります。またカッコして注を加えてあるところもあります。読みやすくするための処置ですのでご理解ください。もちろん内容は一切変更していません。 (興野)
●手紙1
2003年5月24日付け
お元気ですか。何もする力が無くて、申し訳ありません。私も次々と客人多く、うれしいけれど、仕事ができなくて、疲れ果てています。
今夜は眠って、明日は何とか原稿を書かなきゃ。何にも食べられない。ほしくないのが助かります。
こちらも蚊に吸われる季節になりました。何よりお身体大切にして下さい。そればかり祈っています。
●手紙2
2003年6月19日付け
お元気でしょうか。グレゴリィさんからのおでんわうれしく存じました。(お休みどころは)いいところだけど大変なご様子。心配しています。
今、台風のニュース。京都はまだ、そよとも風吹きませんが、そちらはひどい風ではないでしょうか。猛雨ではないでしょうか。心配。こればっかりは、どうしようもなくて。
何や彼や、もう忘れてしまって、京都の暮らしもこんな形になってきました。老婆とはこういうモンやねんな。
覚悟の恥をさらけだしながら、人前での話や、うちでの応対につとめています。
昨日は、6月7日の東京での集まり(「原発やめよう全国集会2003」)に来ておられた新聞記者の方がインタビューにカメラマンと一緒にこられました。
友人のTさんが足首骨折されたので、ソウル行きは2ヶ月ほど先にのびました。
どうかお元気で。無事でいて下さい。そればかり祈っています。お大切に。
●手紙3
2003年7月13日付け
さっき、沖縄から戻ってきました。11日の夜は『琉球文化圏とは何か』(藤原書店)の出版記念会。たくさんの書く人びとが集まってこられてなつかしい方々とも再会しました。こちらはもうよろめいて誰かに支えられないと歩けないし、Tさんが足首の骨折でとても行けないので、Aさんが東京から来て連れていって下さいました。
12日は「平和の礎(いしじ)」(沖縄戦などで亡くなったすべての人々の氏名を刻んだ記念碑)へ行ってきました。夜は海勢頭(うみせど)豊さんの書『眞振(まぶい、魂のこと)』の出版記念会。どちらも藤原書店の刊行なので、ほとんどのスタッフが来て連日大変でした。Kさんの琉球舞踊があったり、私も(自作詩の)「売ったらあかん」を朗読して。ひとり芝居の女優さんもみえてこれまた歌ったり踊ったり。
さすがに弱り果てて牛乳とバナナ1本食べるだけ。これから明日ファクスを約束している仕事にかかります。うちにはファクスもケイタイもないので、叱られました。
ごめんなさい。励まして下さってありがとうございます。