お休みどころ

こころの相談活動を作り続ける
<< March 2024 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>

45 ロンドンに戻り、そして帰国 2012年6月17日(日)

 翌日の5月12日にはロンドンに戻りました。といってもロンドンの街中に戻ったのではなくて、ヒースロー空港構内のホテルに泊まったのです。僕たちが日本に帰る飛行機は格安便で、朝早くにでますから、なるべく空港に近いホテルにしたのです。 
 エディンバラからロンドンまでは電車で5時間。長くて何事もない乗車でした。このころになると体調のよくない美紗さんは「早く帰りたい」とばかり言っていました。つわりの影響が大きかったようです。 
 空港ターミナルのなかにあるホテルに泊まったのは正解でした。「これで移動の心配がない」という解放感で、予想以上に気が楽になったのです。ここに着いて、美紗さんもだいぶ安心したようでした。 
 さて翌日は非常時のための予備日として取ってありました。帰りの飛行機に乗るのは翌翌日の5月14日です。つまり丸1日予定が空白の日を作っておいたのです。 
 どこにも出かけずにホテルの部屋で過ごしてもよかったのですが、メールで連絡を取っているうちに、ピーターさんがヒースロー空港から比較的近い植物園「キュー・ガーデンズ(Kew Gardens)」に行くことを勧めてくれました。また以前ロンドンで会ったピーターさんの友人のヘイゾルさんもやはりキュー・ガーデンズを勧めていました。なので僕たちは翌日に行ってみることにしました。
 ホテルの案内係の人に聞いて、乗るべき地下鉄とバスはわかりました。さらにヘイゾルさんの友人であるダイアンさんが、行き方をより細かく教えてくれました。例えば「地下鉄の駅を出てから、道路の向かい側のバス停に行き、バスに乗る」とか「『キュー・ガーデンズ何々』というバス停がいくつかあるから、下りるバス停は運転手に聞いた方がいい」といったことなのですが、こういう細かいアドバイスが実際の移動にはとても役に立ちます。土地勘のない場所では些細なことがきっかけとなって迷いやすいのです。ダイアンさんには感謝です。
 さてキュー・ガーデンズは1759年に始まったとても古い植物園で、しかも大きさは世界最大です。相当広大であり、僕たちはぐるりと歩いて回るのに約3時間半を要しました。それも全てのエリアに行ったわけではなくて、プラプラと散歩したような感じです。ちょっとやそっとの庭でないことがわかっていただけると思います。
 天然の森のようにいろんな植物が植わっているところもあれば、鳥たちのいる池、芝生のグラウンド、果樹園、熱帯植物の温室などもあります。また一角には公園もあって、たくさんの子どもたちが遊んでいます。道を歩いている人たちも全体にとてもくつろいで晴れ晴れした表情です。ここはロンドン近郊の癒しどころと言えそうです。 
 唯一の難点は、ヒースロー空港のすぐそばなので、しょっちゅう轟音をたてて飛行機が頭上を飛んでいくことです。正直言ってかなりうるさいです。でもそれにも十分目をつぶることができるくらい、美しく人をのびのびさせる場所でした。
 さあ、これで僕たちの全ての観光が終わりました。またバスと地下鉄を使ってヒースロー空港ターミナル5に戻りました。そしてロンドンの公共交通プリペイドカードである「オイスター・カード」も処分しました。もうあとは飛行機に乗り込むことだけです。 
 翌朝は5時に起きて荷造りをし、ホテルを7時前には出ました。飛行機は9:05発でしたから、時間的なゆとりはあまりありませんでした。空港内で検査もありますし、地下鉄を使って別のターミナルまで移動しないといけませんでした。空港が巨大なだけに、出発ゲートまで行くのにも時間がかかります。
 手持ちのポンドをまた日本円に戻しても、高い両替手数料を取られるだけですので、美紗さんが空港内の免税店で化粧品など友人たちへのお土産をたくさん買いました。ポンドの現金は完全になくなり、いよいよあとは帰るだけになりました。 
 さあ、飛行機に乗りました。20分ほどして動き出しました。滑走路へ向かうというそのとき、美紗さんが言いました。「あれ? 滑走路から離れていく…」。たしかに飛行機は建物の方へ戻っていくようです。 
 機内アナウンスが入りました。だいたいしか内容はわからないのですが、どうも「天気レーダー」がうまく作動しないので交換しないといけない、それには1時間ほどかかる、ということのようです。機内で待っていないといけなくなったのです。 
 携帯電話は使えるとのことでしたが、美紗さんも僕も「海外パケット放題」は利用しませんでしたので、メールや電話もできません。ただボーッと飛行機が出るのを待っていました。1時間で終わる工事のはずがさらに延びて、結局出発までに2時間以上待たないといけませんでした。 
 それから続いて12時間のフライトです。帰りもやはりほとんど眠れませんでした。機内で映画を3本見ました。そのうちの1本がイギリスのホラー映画である『黒い服の女(The Woman in Black)』でした。とても後味の悪いエンディングで、映画を見てしまったことにがっかりして、より一層眠れなくなりました。
 美紗さんもほとんど眠れていませんでした。疲労のためか、羽田空港に着く直前に美紗さんは機内で吐いてしまいました。このとき僕はビニール袋を用意はしたのですが、背中をさすってあげたりしなかったので、後で「医療者なのに冷たいね」と言われました。日頃患者たちと直接接している美紗さんのような看護師と違い、僕はいざとなったら体が動かないので反省しました。 
 羽田空港に着いたのは朝の6時くらいでした。12時過ぎの鹿児島行きの乗り継ぎ便までには長い待ち時間があります。空港内のベンチなどで休んだあと、うどん屋で朝ごはんを食べました。卵雑炊とうどんのセットでしたが、「やっぱり日本料理はだしがうまい」と思いました。海産物の微妙複雑な味わいを利用して、いろんな料理の奥行きある味わいが組み立てられているんですね。 
 あとはその日のことをあまり覚えていません。とにかくやっとの思いで人吉市の部屋にたどり着きました。そして寝ました。 
 さて帰国後まずしたことといえば、美紗さんの妊娠の確認でした。市販の検査キットで陽性。産婦人科でエコー検査をして、赤ちゃんの存在が確認されました。このとき知ったのですが、美紗さんは実は出発前にすでに妊娠していたのだそうです。ということは旅の間中、ずっと赤ちゃんといっしょだったということですね。 
 このことをメールで伝えると、Bさんもピーターさんもわがことのように喜んでくれました。友人たちから祝福を受けられるということはありがたいことですね。分かち合えば喜びは何倍にも増えます。
 それから1ヶ月後のいまに至るまで、この旅の記録の作成を続けています。すでに書いた部分は整理してメールで送り、楢木祐司さんの手でお休みどころのブログに掲載してもらいます。また書けていなかった部分(主にイギリスの記録)は空いた時間を利用してちょこちょこ書き続けていきました。 
 「今回は英語バージョンの記録も書くんだろう?」とピーターさんから勧められていましたが、ここまで日本語で書くだけで精一杯でした。友人たちに読んでもらえないのが残念ですが、仕方ないですね。せめて友人たちの写った写真だけでも見てもらいたいと思い、ごくごく一部の写真をFacebookに掲載して英語で解説を書きました。 
 旅の記録を書き終えたら、Bさんとピーターさんからもらった写真データを整理して、そのなかから一部の写真をブログに追加するつもりです。Bさんはウィーン滞在の最後の2日間を撮ってくれましたし、ピーターさんはブライトン滞在の最初から最後まで撮ってくれました。素敵な写真もたくさんあるはずです。 
 それができたら、今度は旅のあいだにもらった資料を読むつもりです。Bさんからいただいた『Wittgenstein's Nephew(ウィットゲンシュタインの甥)』という小説だけは大半を読みましたが、他にも本や漫画やDVDがあります。自分で買ったE・M・フォースターの小説もあります。ずいぶん読むのに時間がかかりそうです。
 今回の旅は、終わったようでいて全然終わっていない気がします。まだまだやるべきことがたくさんあります。出会った友人たちともメールやFacebookを使って連絡を取っています。直接会えないのは残念なことですが、こうして言葉や写真をやり取りできるだけでもありがたいことです。
 今回の旅が僕にもたらしてくれたものは何なのでしょうか?一言で表せないくらいいろんな経験をすることができました。でも一番よかったことは、Bさんとピーターさんという2人の人に、じっくり接することができたことです。「2人にもう一度会いたい」という気持ちから始まった新婚旅行でしたが、やはり2人と時間をいっしょに過ごせたことが一番味わい深かったと思います。
 結局今回の旅行は、人の出会いの不思議さと、友情のありがたみを感じるための旅だったのです。そして僕はそれを旅のあいだだけにとどめておきたくありません。これから生きていく日々のなかでずっと、今回の旅のように、不思議な出会いを重ねて新たな友情を育て続けていくこと。それが僕の人生の目標です。本来、人生そのものが旅なのです。

写真1〜4はエディンバラからロンドンまでの電車の車中から見えた風景です。美紗さんが撮影しました。4時間半の長い乗車で疲れましたが、景色は綺麗でした。
写真45−1
写真1  羊たちがいる牧場。

写真45−2
写真2  古い町並み。

写真45−3
写真3  海辺の家。

写真45−4
写真4  菜の花畑。

写真45−5
写真5  手持ちのグミ(緑色の袋)に加えてミネラルウォーターとポテトチップス(手前の赤の袋)を車内で買う。このポテトチップス「ウォーカーズ(Walkers)」にもお酢風味や玉ねぎ風味など味にいくつか種類があるが、この赤色の「レディ・ソルティド(Ready Salted)」味が塩味がきいていて美紗さんのお気に入りだった。

写真45−6
写真6  やっとロンドンの「キングズ・クロス(King's Cross)」駅に着いた。おもしろい形の建物。

写真45−7
写真7  キングズ・クロス駅から地下鉄に乗る。いくつもの路線が入り組んでいて非常にわかりずらい。今回は2回目なので路線図を見て「こっち方向だからこっちののプラットフォームだ」と進んでいけたが、初めてのときは完全に混乱した。

写真45−8
写真8  地下鉄の車内。強く揺れるし、短時間とはいえすぐに停電する。率直に言ってロンドンの地下鉄の乗り心地はよくない。

写真45−9
写真9  ヒースロー空港ターミナル5に隣接するホテル「ソフィテル(Sofitel London Heathrow)」 に着いた。やれやれこれで無事に帰れそうだ。

写真45−10
写真10  ホテルからまずは地下鉄「ピカディリー線(Piccadilly Line)」で移動。やっと地下鉄の乗り方や路線図の見方にも慣れてきた。

写真45−11
写真11  次にバス65番に乗り換え。2階席に座る。運転がかなり荒い。 

写真12〜28は植物園「キュー・ガーデンズ(Kew Gardens)」で撮った写真です。1759年開園というとても古い植物園です。
写真45−12
写真12  キュー・ガーデンズの入り口。4つ入り口があるが、僕たちは「ヴィクトリァ入り口(Victoria Gate)」から入った。

写真45−13
写真13  なかは広大な庭園になっている。右手には池が見える。

写真45−14
写真14  熱帯植物が育てられている温室。

写真45−15
写真45−16
写真15〜16  温室のなかはすごく蒸し暑い。シュロや熱帯の花などがたくさん植えられている。

写真45−17
写真17  池で鳥たちにエサをあげる人たち。鳥たちも人を恐れずのんびりと過ごしている。 

写真45−18
写真18  森のなかを歩くような散歩道もある。両脇には様々な植物や木々が植えられている。 

写真45−19
写真19  また別の温室。砂漠の植物などを見ることができる。 

写真45−20
写真20  蓮池にはピラニアの仲間やナマズがいる。 

写真45−21
写真21  庭園を散歩していると気持ちがいい。

写真45−22
写真22  オリンピックの五輪マークに植えられた花々。 

写真45−23
写真23  キュー・ガーデンズにはあちこちにカフェがある。ケーキ、クッキー、ポップコーンを食べて一休み。

写真45−24
写真24  シャクナゲ(Rhododendron)の花の前で。シャクナゲがたくさん植えられたエリアがあり、花々でいっぱいだった。イギリスではたくさんの種類のシャクナゲが育つようだ。

写真45−25
写真25  緑が鮮やか。

写真45−26
写真26  なぜか日本の古民家があった(Minka House)。日本の民家の再生を進める会の力で移築されたという。もとは愛知県岡崎市に建っていたそうだ。古民家はリサイクル・リユースの思想にかなっていたと書いてあるが納得。

写真45−27
写真27  林の合間のベンチで休憩。飛行機がしょっちゅう上を飛んでうるさいのが残念だが、それを除けばほんとうにリラックスできる場所だった。

写真45−28
写真28  日本庭園もある。1910年にロンドンの万国博覧会に出品された門と庭園を再生したという(Japanese Gateway)。日本の庭園文化が評価されたのだとすればうれしい。

写真45−29
写真29  またバスと地下鉄で帰る。ロンドンの地下鉄に乗るのもこれで最後。ロンドンのバス・地下鉄を利用するための料金支払いカードである「オィスター・カード(Oyster Card)」を返却する。返却すれば残額と預入れ金5ポンド(約600円)が返ってくる。残額がもうほとんど残っていなかった。今日の移動費にぎりぎり間に合ってよかった。

写真45−30
写真45−31
写真30〜31  ヒースロー空港ターミナル5のなかでも、さらに地下鉄で移動。とにかく大きな空港だ。

写真45−32
写真32  飛行機に乗って「もう日本に着ける」と安心したら甘かった。飛行機はなぜか滑走路の手前で引き返した。 

写真45−33
写真33  「天気レーダーの異常が見つかりました。エンジニアに相談します」とのことでしばらく待つようにパイロットから指示がある。結局レーダーを付け変えることになり、2時間まつことになった。疲れる〜(美紗さん撮影)。

写真45−34
写真34  機中で美紗さんが吐いたものの、なんとか羽田空港に着いた。意外なことに羽田空港の国際線→国内線乗り継ぎは、ヒースロー空港よりもさらにややこしかった。写真は国内線ターミナルの一角のベンチで休憩しているときに撮ったもの。

写真45−35
写真35  うどんと卵雑炊の朝食セットを食べる。「こんな旨味の効いた味はイギリス食にはなかったね。ホッとする」と吐き気のある美紗さんも完食。

写真45−36
写真36  疲れ果ててベンチで寝る。 

写真45−37
写真37  人吉市の部屋に帰ってきた。また引っ越しの片付けを再開しないと。

写真45ー38
写真38  美紗さんと僕のスーツケース。僕のは車輪の走りが悪くなっている。旅の間がんばってくれた。

写真45−39
写真39  Bさんからいただいた資料。左から漫画『マウス(Maus)』、トーマス・ベルンハルトの小説『ウィットゲンシュタインの甥』、そしてモーツァルトのフリーメイソン音楽を集めたCD。これから少しずつ勉強していかないと。

写真40
写真40 ピーターさんが加工して作ってくれた写真。ロンドンのブルームズベリーで撮った写真だが、青い丸のなかが変えてある。内容は「興野康也、1976年7月14日生まれ、よい人々に囲まれて2012年4月にここを訪問する」。ちなみに僕の誕生日は7月15日だ(笑)。


オーストリア・イギリスへの新婚旅行 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | - | -

44 エディンバラへ 2012年6月14日(木)

 翌日の5月9日にはヨークからエディンバラ(Edinburgh)へ向かいました。2つの重いスーツケースがあるので、宿から駅まで歩くのは大変です。市内巡回バスを使って駅へ、と思ったのですが、駅の200mほど手前までしかバスは行かないそうです。不便でしたが運転手さんは親切で、最寄りのバス停を教えてくれました。 
 下りたあと、どちらに歩いていいかよくわかりません。迷っていると、「あ!」と美紗さんが言います。さっきの運転手さんが信号待ちをしている間に、「駅はこっちだよ」と手で示してくれていたのです。こちらも「ありがとう!」と手を振り返しました。何度も書いてきた通り、こういうちょっとした親切さがとてもありがたいです。 
 ヨーク駅で電車が来るまでに1時間以上あったのですが、僕たちにはこれ以上観光をする気力はありませんでした。美紗さんが「果汁グミ」のようなジェリービーンズを駅の売店で買った他は、駅のベンチで座って過ごしました。じっと座っていると寒いです。
 そばでは5、6人のおじいちゃんおばあちゃんたちがビートルズの曲をシンセサイザーで演奏し、ケニアの子どもたちのための寄附を募っていました。ちょっと音程の外れたのんびりした「イエスタデイ」や「ヘイ・ジュード」を聞きながら、僕たちは駅構内を見ていました。乗客へのアンケート調査が行われているようで、スタッフが通りがかる人に声をかけ、用紙に記入してもらっています。壁にはヨークの博物館などのポスターがいっぱいに張ってあります。どこにでもありそうな駅の光景です。 
 エディンバラへは電車1本で行けます。乗り換えがないので少し気が楽です。とはいえやっぱり「万が一乗りそこねたら…」と心配になります。何度も何度も電光掲示板を見直して、プラットフォームの番号を確認して、電車を待ちました。幸いなことに、今回は大きなトラブルなく電車に乗ることができました。
 2時間ほどの車中の時間、窓の外に黄色いお花畑がたくさん見えました。今回の旅の間中、イギリスの各地でずっとこの黄色いお花畑といっしょでした。「この花って何なんだろうね?」と美紗さんが言います。
 そこでまた例によって、美紗さんの制止を振り切って、隣に座った人に僕は尋ねてみることにしました。若い男性でうつむきかげんにiPodで音楽を聴いています。シャイで温厚そうな雰囲気です。
 余談ですが、道を尋ねるときには相手の雰囲気をよく見て尋ねるのが重要です。親切な人に話しかければ、情報も正確なうえにその他のことまで教えてもらえたりします。不親切な人であれば、情報も得られないばかりか後味の悪い思いが残ります。旅先では何よりも直感的に相手の人柄をつかむ能力が必要だと、何度も感じました。また人選びの勘は、繰り返し尋ねるうちにうちに上達(?)するようです。
 話を戻すと、このとき隣の若い男性に話しかけたのは正解でした。彼の名前はクレイグ・ユールさんといい、エディンバラよりさらに北にあるアバディーンの郊外で、農夫として働いています。「あの黄色い花はアブラナ(rapeseed)だよ。僕は農業をしているからわかるんだ」とクレイグさんは教えてくれました。菜種から食用油を作ったり、ディーゼルエンジンのオイルを取ったりするのだそうです。
 クレイグさんは大麦(barley)を育てる仕事をしています。大麦はビールを作るのに使われるのだそうです。農夫といっても日本の農業のような手仕事の要素は少なく、ほとんどの仕事が機械化されているようです。クレイグさんは方言が強くて、話の数分の一しかわからなかったのですが、聞きながら浮かんだ彼の仕事風景は、「どこまでも続くような広大な畑をトラクターで耕している」といったものです。 
 またクレイグさんが言うには、アバディーンの名前を取った「アバディーン・アンガス(Aberdeen Angus)」という高級な肉牛の品種があるそうです。どうやら畜産業も盛んな地域のようです。またウィスキー製造もあちこちで行われているみたいです。スコットランド(イギリスの北部)といえば、スコッチウィスキーが有名ですね。 
 クレイグさんのiPodには2000曲以上の歌が入っているそうです。"ア・デイ・トゥ・リメンバー(A Day to Remember)"というアメリカのロックバンドが好みらしいです。そんなことを、手帳を使って図を書いたり文字を書いたりしてやり取りしているうちに、目的地の「エディンバラ・ヘイマーケット(Edinburgh Haymarket)駅」に着いてしまいました。誰かと話すと電車の時間もずいぶん短く感じますね。 
 宿の「レァーグ・ホテル(The Lairg Hotel)」は駅から徒歩5分ほどですぐに見つかりました。石造りの民家が通り沿いにズラーッと通りに並んでおり、そのなかの一軒です。雨のせいでしょうか、それとも埃のせいでしょうか、石の家はどれも黒っぽく染まっています。通りも石畳であり、歴史のある町であることを感じさせます。
 電車での移動と宿探しが無事に終わるとほんとうにホッとします。美紗さんも僕も移動ですでに疲れていましたから、ベッドでしばらく休みました。そしてちょこっと街の様子を見てから夕食店に入るつもりで出かけました。 
 ところが宿から街の中心部までは徒歩で20分近くかかります。登り道であることもあり、けっこう遠かったでした。「きついね」と美紗さんはぼやいています。エディンバラはスコットランド(一時は独立王国だったそうです)の首都だっただけあって、ヨークなどよりはるかに規模が大きいです。歩いて簡単に観光、というわけにはいかなさそうです。
 翌日と翌々日に分けて、この大きな街のあちこちを見て歩こうと考えました。ところが、僕たちがエディンバラにいる間には、悪運が重なりました。まずは2日ともひどい雨だったことです。イギリス北部だけあって寒いうえに、1日中シトシトシトシト雨が降っています。これではあまり出歩く気になれません。
 またエディンバラで会いたいと思っていたデイビッド・シムくんにも会えませんでした。デイビッドくんはアバディーンに住んでいて、仕事が休めなかったのです。アバディーンがエディンバラから電車で2時間以上もかかるほど遠いとは知りませんでした。
 さらに残念ながら僕たちはエディンバラでは誰も知り合いができませんでした。いままで行った町では不思議なくらい未知の人との出会いがあったのです。でもよく考えてみれば、そっちの方がおかしかったのでしょう。知り合いができないと、町の良さを深く味わうことが難しくなります。
 そういうわけであまりパッとしないエディンバラ観光になりました。1日目は雨と疲れのために、僕たちは丸1日宿の部屋で過ごしました。食事は近くのスーパーで買ったサンドイッチとミネラルウォーターとポテトチップス。健康的とは言えませんが、一番手軽な食事です。そしてテレビを見たりしていました。美紗さんは体調がすぐれず、歩き回って観光する意欲を無くしています。
 翌日もずっと雨。とても出歩けるような天気ではなかったのですが、何も見ないまま帰るのもバカらしいので、カッパを着て出かけました。ジットリと濡れて寒かったです。
 最初に行ったのが「エディンバラ城(Edinburgh Castle)」です。丘のうえにそびえていて見た目はとてもいいのですが、ここは何度も実際に戦闘に使われたお城なようです。美術品なども少なく、僕は綺麗と思いませんでした。おまけに内部の展示が、いかにスコットランド軍がいろいろな戦争で活躍したかという趣旨のものです。僕の気に入るはずもありません。軍事に興味のある人ならおもしろいかと思いますが、僕にはつまらなかったでした。 
 また美紗さんが楽しみにしていたもう1つの観光名所が「ホリルードハウス宮殿(The Palace of Holyroodhouse)」でした。ところがたまたま王室メンバーが滞在中とのことでなかには入れませんでした。僕たちはよくよく運がないようです。 
 観光名所のなかで唯一おもしろかったのが「スコットランド国立博物館(National Museum of Scotland)」です。ここは無料なうえに展示の質も素晴らしいです。古代から現代までのスコットランドの生活、歴史、産業、文化などに関わるさまざまなものが展示されています。ただいかんせん僕たちはすでに歩き疲れていて、じっくり見て回る体力はありませんでした。 
 僕が個人的に好きだったのは「スコットランドの詩の図書館(Scottish Poetry Library)」です。これはもちろん観光名所などではなく、ガイドブックの地図の片隅に英語名が小さく載っていただけの場所です。どんなところなのか興味を持っていたのですが、実際に行ってみると小さいけどとても綺麗な図書館でした。本棚には日本も含めて世界各国の詩集がたくさん並んでいます。しかも無料です。時間がなかったので本の中味までは見れませんでしたが、「ゆっくりテーブルに座って本を読んでみたいなぁ」と思う場所でした。
 そういうわけでエディンバラでの僕たちの時間は全体に低調に終わりました。ほんとうはエディンバラの町を離れて、郊外の荒野に行くべきでした。そこにこそスコットランドの風景の原点と呼べるような場所があるはずです。また誰か現地の人にこの場所の楽しみ方を教えてもらえたらよかったでした。ですが美紗さんのつわりもひどくなっていましたし、あれこれ試みる体力もありませんでした。やっぱり旅は体調と体力です。そして運も関係するんだなぁと思いました。

写真44−1
写真1  電車の出発までに時間があったので、ヨーク駅のベンチで休憩。そばではおじいちゃんおばあちゃんたちがビートルズの曲を演奏し、ケニアの子どもたちのための寄付金を募っていた。

写真44−2
写真2  駅のプラットフォーム。次に僕たちの電車が来る。 

写真44−3
写真3  美紗さんが撮影した電車の車窓の風景。イギリス旅行の間中、この黄色い花が広大な畑を埋めつくしている景色を何度となく見た。いったい何の花だろうと思い、電車で隣に座った若い男性に尋ねてみた。すると「レイプスィード(rapeseed)」すなわち菜の花なのだという。「僕は農夫だから花の名前を知っているんです」というその男性クレイグ・ユールさんによれば、食用油やディーゼルオイルを作るために菜の花を育てているのだそうだ。クレイグさんはエディンバラのさらに北にあるアバディーン(Aberdeen)に住んでいて、大麦(barley)などを育てる農園に勤務している。口下手ではにかみながら話すクレイグさんと車中で接していて、これからのエディンバラでの日々が楽しみになった。

写真44−4
写真4  疲れきった美紗さんは車中で熟睡。 

写真44−5
写真5  「エディンバラ・ヘイマーケット(Edinburgh Haymarket)」駅から徒歩5分ほどの「レァーグ・ホテル(The Lairg Hotel)」へ。とても古い町並みの一角にホテルがある。民家のような建物なので「ほんとにここかな?」と最初感じた。

写真44−6
写真6  「他より大きな部屋だけど追加料金なしです」とリトアニア出身の愉快なオーナーが言ってくれたが、ほんとうに大きな部屋で感激。ただオーナーが愉快だったのはこのときだけで、あとはムッツリとした様子だった(ちょっと怖い?)。

写真44−7
写真7  エディンバラの町を歩く。あちこちで路面電車復活のための工事をしている。宿から中心街まで徒歩20分ほどあるので、僕たちが行く前に復活しておいてほしかった。

写真44−8
写真8  大きな都市なのに古い町並みがよく保存されていて驚く。 

写真44−9
写真9  町のあちこちから「エディンバラ城(Edinburgh Castle)」がよく見える。 

写真44−10
写真10  観光の中心である「ロィヤル・マイル(The Royal Mile)」と呼ばれる通りの入り口。両側にたくさんの土産物屋が並ぶ。

写真11〜12はイタリア料理店「ラ・ランテルナ(La Lanterna)」で撮った写真です。 
写真44−11
写真11  ガイドブックに載っていたお店だが、たしかにおいしかった。 

写真44−12
写真12  オーナーのトニ(Toni)さん(右)と。陽気でおしゃべり上手なトニさんと話していると、ついいろいろ食べたくなってしまう。 

写真44−13
写真13  翌日、美紗さんは疲れで1日ダウン。僕も下痢をした。

写真44−14
写真14  宿の近くのコンビニのような店でサンドイッチとチップスと水を買って夕食。

写真44−15
写真15  ロンドンで数万人のデモがあったというニュース。年金の切り下げや失業などに反対する行進だったようだ。

写真44−16
写真16  エディンバラは今日も雨。

写真17〜21は「エディンバラ城(Edinburgh Castle)」で撮った写真です。
写真44−17
写真17  城の前ではスタディアムを作る工事が行われていた。景観を損なう気がするが…。

写真44−18
写真44−19
写真18〜19  城の様子。

写真44−20
写真20  城の高い部分から見える景色。街の向こうに海が見える。どの城もそうかも知れないが、非常に見晴らしがいい。 

写真44−21
写真21  建物のなかの様子。展示内容は軍隊と戦争についてばかりであり、しかも国粋主義的傾向が強く感じられて好きになれなかった。 

写真44−22
写真22  中心街の町並み。

写真44−23
写真23  経済学者アダム・スミス(Adam Smith、1723〜1790)の像の前で。彼の著書『国富論』はまだ最初のちょっとしか読んでいないので、また読まないといけない(美紗さん撮影)。

写真24〜26は博物館「ピープルズ・ストーリー(People's Story、“人々の物語”という意味)」で撮った写真です。 
写真44−24
写真24  王や貴族についての歴史と違い、一般市民が中心の歴史館である。ほとんどの人が貧しい暮らしをしてきたことがよくわかる。

写真44−25
写真25  庶民のファッションについての展示。

写真44−26
写真26  職人仕事についての展示。左側は樽を作る職人の模型。 

写真44−27
写真44−28
写真27〜28  「スコットランドの詩の図書館(Scottish Poetry Library)」で撮った写真。とても綺麗な図書館で、世界各国の詩集がたくさん並んでおり、しかも無料である。日本語の詩集もあった。時間がなくて残念だったが、ゆっくりテーブルに座って本を読んでみたいスペースだった。


写真44−31
写真29  「ホリルードハウス宮殿(The Palace of Holyroodhouse)」の入り口。運悪く王室メンバーが滞在中とのことでなかには入れなかった。 

写真44−30
写真30  仕方がないので宮殿の隣の宝物館だけを見て、そばのカフェで休憩。ジュースとスコーンを食べたが、「まわりの人たちはみんなスープを飲んでるね」と美紗さんが気づく。たしかにほぼ全員が飲んでいる。ためしに僕たちも「マッシュルームのスープ」を飲んでみたところ、とても暖まり味わいがあった。

写真44−29
写真31  街のすぐ向こうに荒れ野の丘が見える。時間があったらスコットランド(イギリス北部)の荒野を歩いてみたかった。

写真44−32
写真32  エディンバラ中心街のあちこちにある石畳の細い道。メインストリートから外れてこういう脇道を自由に歩いていると、街への親しみが湧いてくる。

写真44−33
写真44−34
写真33〜34  「ダンバー路地の庭園(Dunbar's Close Garden)」で撮った写真。小さいが見事に手入れされた庭だった。花の様子が高山植物のようで、「ここは寒い土地なんだなぁ…」と感じる。

写真35〜37は「スコットランド国立博物館(National Museum of Scotland)」で撮った写真です。
写真44−35
写真35  内部の様子。古代から現代まで時代順に、スコットランド(イギリス北部、かつては独立国だった)の歴史・生活・文化について展示してある。説明を読まなくても見て歩くだけで非常におもしろく、しかも無料!ぜひお勧めしたい博物館である。

写真44−36
写真36  井戸水を汲み上げる機械。蒸気機関の実用機械を開発したニューコメン(Thomas Newcomen、1663〜1729)が作った機械のようだ。

写真44−37
写真37  スコッチウィスキーの蒸留機。 

写真44−38
写真38  写真ではわかりにくいが、かなり強い雨が降っている。濡れて寒く疲労する。

オーストリア・イギリスへの新婚旅行 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | - | -

43 ヨーク散策3 2012年6月7日(木)

 5月8日、ヨーク観光の2日目です。この日は昨日回れなかったヨークの主要観光スポットを巡ることにしました。すでに書いた通り、城壁に囲まれたヨーク中心街は20分も歩けば横断できるほどの小ささです。そのなかに10ヶ所を超える主要な観光名所が収まっているのです。
 ただこの日も美紗さんは疲れていました。いまにして思えばつわりだったのですが、このときは「旅の疲れだね〜」ぐらいにしか思っていませんでした。なのでちょこちょこベンチで休んだりしながら観光を続けることにしました。 
 行った場所それぞれの感想を簡単に書きます。まずはオリさんに勧めてもらった「博物館公園(Museum Gardens)」。ここは無料の美しい庭園で、リスや鳥たちもいます。川沿いに散歩することもできます。おそらくローマ人たちが2000年前に作った城壁の跡じゃないかと思えるものすごく古くて大きな壁もあります。ベンチもあって助かります。ほんとうはこういうところでのんびりと半日ぐらい過ごせるゆとりを持って観光したいところです。
 次に「ヨーヴィック・ヴァイキング・センター(Jorvik Viking Center)」。1000年以上前に北欧からやって来てイギリスに侵略定住したヴァイキングの人たちが、どんな暮らしぶりをしていたかがよくわかります。ブライトンでジャッキーさんからも聞いていたのですが、従来は単に侵略者・文化破壊者ととらえられがちだったヴァイキングが、実は文化をもたらした人々だったと近年再評価されているそうです。館内の展示もその観点から作られています。ただ何より僕たちにとってありがたかったのは、乗り物(4人乗りのリフト)に乗って館内を見れることと、日本語オーディオガイドがあったことです。足の疲れた旅人に優しい博物館だと思いました。
 さらに豪邸「フェアファックス・ハウス(Fairfax House)」。それからお城の塔「クリフォーズ・タワー(Clifford's Tower)」と回ったのですが、美紗さんが一番喜んだのは「ヨーク城博物館(York Castle Museum)」でした。
 まずよかったのはカフェとトイレ(重要!)が館内にあったことでした。一休みできました。それから展示の内容です。昔の兵隊の鎧などかと思っていましたが、実は400年ほど前から現代に至るまでのこの地方(ヨークシャー地方)の人々の生活全般についての博物館でした。金持ちの部屋もあれば庶民の部屋もあります。当時の町並み、服装、馬車、農機具、食事、洗濯、結婚、出産、葬儀、その他暮らしの何でもが再現されて展示されています。昔のウェディングドレスや赤ちゃんの産着を美紗さんは特に熱心に見ていました。 
 ですが僕たちは疲れていましたので、15時ぐらいには宿に引き上げました。夜のイベントに備えて休憩しておくことにしたのです。
 実は今夜、昨日出会ったオリさんと再度会えることになったのです。メールで連絡がつきました。ですがヨーク大学物理学科2年生のオリさんはこの日も研究室で勉強でした。なので会える時間は夜の8時から1時間ほど。それでもその1時間を取ってくれたことをうれしく思いました。 
 夜8時というと暗そうな気がしますが、まだまだ明るいです。緯度の高いヨークでは春から夏にかけて日照時間がとても長く、なかなか日が沈みません。8時でもまだ夕方といった感じでした。 
 待ち合わせ場所の喫茶店「ベティーズ」に行くと、手を振ってくれる人がいました。昨日の店員姿よりもずっとくつろいで自由そうなオリさんです。ベティーズでビールを飲みながら話すのかと思っていたのですが、「よく行くパブ(居酒屋)に案内するよ」とオリさんが言ってくれたので、ついて行くことにしました。
 着いたのが「トゥレンブリング・メッドネス(Trembling Madness)」というパブ。黒い柱としっくいでできた日本の古民家に似た雰囲気の建物です。そのロフトのような部屋が居酒屋になっているのでした。「屋根の感じがおもしろいでしょ」とオリさんは言います。昔は藁葺きだったのでしょうか。日本の茅葺き古民家と同じく急勾配の屋根です。
 僕は「イチゴビール(Strawberry Beer)」というのがあったので試してみました。イチゴの風味が意外とビールと合っていました。それからおつまみにと思って一品、よくわからないままに注文したのですが、オリーヴの実のピクルスのようなものが出てきました。こちらは塩っぽくていまいちでした。 
 僕は知らなかったのですが、物理学科に関してはヨーク大学はイギリスで3番目に優れた大学なのだそうです。それでオックスフォード出身のオリさんはヨークに来ました。大学では磁気の勉強をしているそうです。「液体磁石を応用してがん細胞を殺す研究がされているけど、知ってる?」と聞かれて、僕は全く知らなかったので、ちょっと恥ずかしかったです。夏季講座のようなもので、オリさんはその研究プロジェクトに参加したそうです。
 またボクシング部とフェンシング部にも所属しているそうで、学生生活も忙しそうです。今日はルームメイトと夕食に「シェパーズ・パイ(Shepard's Pie、肉やマッシュポテトの入ったおかずのパイ)」を作ってきたそうです。さらに土日の休みには宝物館の地下の喫茶店でアルバイトをしているそうですから多忙ですね。ちなみに宝物館の前にオリさんが働いたバイト先が、レストラン「ザ・リヴィング・ルーム(The Living Room)」で、味の良さをよく知っているからこそ僕たちに行くことを勧めたのだそうです。たしかにおいしかったです。
 この店でずっと話すのかと思ったら、30分ほどして「さあ、次のパブへ行こう」とオリさんは言います。飲み歩くようです。びっくりしました。あとでわかったのですが、僕たちにいろんなおもしろいパブを見せようとしてくれたんですね。 
 次に着いたのが「ガイ・フォークス・イン(Guy Fawkes Inn)」。宿屋の一角がパブになっています。そしてここが「ガイ・フォークス」という人の生まれた家なのだそうです。
 オリさんの説明によれば、ガイ・フォークスとは、1605年11月5日にイギリスの国会を爆破しようと企てた一味の1人です。いまでいうテロリストですが、事前に見つかり、首吊り・火あぶり・八つ裂き(!)の刑に処されたそうです。そのガイ・フォークスが生まれたのがこの旅館だったそうで、この旅館の入り口には彼の顔と説明が書いてあります。ただそんな不名誉なことがなんでいまでは名物になっているのか、よくわからないところでした。
 あとで調べたところでは、イギリスでは11月5日はいまでもガイ・フォークス一味の計画が失敗に終わったことを祝う祝日なのだそうです。だから彼の名はイギリスではよく知られているようです。またこのテロリズムが計画される背景にはカトリック教徒を弾圧する当時の王の圧政があったと言います。つまりガイ・フォークス事件の背景には宗教・政治上の対立があったようです。
 いずれにしても恐ろしいことですね。ヨーク・ダンジョンでもガイ・フォークスがさらし者になり見せしめとして残虐に殺された話が出ていました。宗教対立と殺し合いとは、物語よりも恐ろしい現実です。
 さてパブの話に戻ると、明かりはかなり暗く、それでいて妙に落ち着くおいしい飲み屋でした。オリさんは僕には「エルダービール(Elder beer、ニワトコのビール?)」、美紗さんには「ダンディリオン・バードック(Dandelion Burdock、たんぽぽとゴボウ?)」というジュースを頼んでくれました。いずれもイギリスでないと飲めない変わった飲み物なのだそうです。またおつまみには「ポーク・スクラッチング(Pork Scratching、豚肉の剥がし取り?)」。薄い豚肉をカリカリに揚げたチップスのようなものでした。
 高校を卒業したあと1年間の時間を取り、オリさんは世界のあちこちを旅したそうです。ヨーロッパ全域はもちろん、アフリカのタンザニアやエチオピア、オーストラリアやシンガポール。そしておばさんのいる日本の帯広にもきて3ヶ月滞在したそうです。「日本では行く先々で人々の親切さに感動した」とオリさんは言います。その恩返しの気持ちもあって僕たちに声をかけてくれたそうです。「観光名所だけでなく、こちらでの日常生活の一部を味わってほしい」とオリさんは言います。ありがたいことですね。 
 「もう一軒連れて行きたいところがある」とオリさんはまた席を立ちました。活動的な人ですね。あとで知ったのですが、オリさんはFacebook上にもたくさん友人がいます。どんどん出かけてどんどん人と知り合うキャラクターなのがよくわかりました。 
 21時を過ぎるとさすがに暗くなっています。昼間は人の絶えることのない古い商店街「シャンブルズ(Shambles)」にも、いまでは人一人いません。シーンとしたシャンブルズを歩きます。 
 「ちょっと待って!シャンブルズを手をつないで歩くと幸運がある。戻って手をつないで歩いて」とオリさんが言います。引き返してまた最初から歩き直しました。通ったあと、「よかった。2人は赤ちゃんを授かるかもね」とオリさんが言いました。このときドキッとし、「ほんとうに妊娠したかもね」と美紗さんと話しました。 
 3軒目のパブ「ゴゥルドン・フリース(Golden Fleece、金の羊毛?)」では、オリさんはマスターと交渉して地ビール5種類をそれぞれ小さなコップに入れて飲ませてくれました。お酒好きではない僕にとって味の違いを飲み比べるのは難しかったですが、発酵食ならではの微妙で複雑な味わいがあることがわかりました。さらにオリさんは「ミード(Mead)」というハチミツのワイン(?)も頼んでくれました。飲酒文化も奥が深いですね。
 1時間いっしょに過ごすはずが2時間になってしまいました。もうオリさんは帰らないといけません。「ほんとうにありがとう。いつか日本に来てください」と言って、暗い街中でオリさんと別れました。喫茶店で出会ったのも不思議でしたが、パブ巡りをさせてくれたのも不思議でした。人と人の出会いには、未知の可能性がある。そのことを再度感じていました。そんな出会いを求めて、人は旅に出るのかも知れません。 

写真43−1
写真1  ヨークの町並み。

写真2〜4は「博物館公園(Museum Gardens)」で撮った写真です。「ヨークシャー博物館(Yorkshire Museum)」の回りに大きな庭園が広がっています。僕たちは時間の関係で入れませんでしたが、ヨークシャー博物館もおもしろそうでした。
写真43−2
写真2  公園内には散歩を楽しむ人たちがたくさん。

写真43−3
写真3  足が疲れたので博物館前のベンチで一休み。観光は足が疲れる。

写真43−4
写真4  かなり古そうな遺跡。2000年前のローマ時代の城壁か?

写真43−5
写真5  ウーズ川(River Ouse)に沿って歩く。 

写真43−6
写真6  ヨーク中心街の石畳。

写真43−7
写真7  市場が開かれていた。なんでもありそう。

写真8〜10は「ヨーヴィック・ヴァイキング・センター(Jorvik Viking Center)」で撮った写真です。1000年以上前、北欧から海を渡ってヴァイキングの人々がイギリスを侵略したとき、この町がヨーヴィックと呼ばれ、それがヨークという名前の由来になったそうです。この展示館ではヴァイキングを侵略者としてだけ捉えずに、いろいろな文化をもたらした人々としても見ています。館内を見ると当時の人々の暮らしぶりがかなり細かくわかります。
写真43−8
写真8  小さなケーブルカーのようなリフトに乗って館内を巡る。暗くてわかりにくいが、写真に写っているのはその座席。日本語ガイドがあることと、歩かなくていいことの2点で非常に助かった。

写真43−9
写真9  ヴァイキングの人々の装飾品についての展示。

写真43−10
写真10  このような当時の人骨が多数発掘されたそうだ。戦闘の際に負傷した骨折の跡もみられるという。 

写真43−11
写真11  18世紀の豪邸である「フェアファックス・ハウス(Fairfax House)」へ。驚いたのは各部屋にいるヴォランティアのスタッフたちの親切さ。向こうから話しかけてくれるので教えてもらいやすい。写真は当時の台所。美紗さんは台所に一番興味を持って見ている。 

写真12〜18は「クリフォーズ・タワー(Clifford's Tower)」で撮った写真です。昔のヨーク城の一部だった塔です。
写真43−12
写真12  円形の塔が見えてきた。

写真43−13
写真13  階段がきつい。

写真43−14
写真14  屋上からは周囲が見渡せる。昔はこの塔に屋根があったそうだ。 

写真43−15
写真43−16
写真43−17
写真15〜17  塔の上から見るヨークの町並み。どこを見ても昔の雰囲気があって素敵である。

写真43−18
写真18  塔の内部の様子。 

写真19〜23は「ヨーク城博物館(York Castle Museum)」で撮った写真です。お城についての博物館かと思ったのですが、400年ほど前から現代までのヨークシャー地方の人々の暮らしぶりについての民俗博物館でした。
写真43−19
写真19  塔を下りて写真奥に見える博物館の建物に向かう。

写真43−20
写真20  疲れたのでまずは入り口そばのカフェで休憩。

写真43−21
写真21  昔の便器についての展示。便器のなかにはウンコの模型やネズミの模型があり、細かく作られていておもしろい。

写真43−22
写真22  昔の赤ちゃんの服についての展示。美紗さんは熱心に見ている。 

写真43−23
写真23  農機具についての展示。説明が細かい。 

写真43−24
写真24  旅に疲れた美紗さんは「うどんが食べたい」とよく言うようになった。ウィーンやロンドンでも見かけた日本食レストラン「Wagamama(ワガママ)」に入ってみる。「ワガママラーメン」と「ヤキソバ」を注文。楽しみにしていたが、日本の「ラーメン」や「焼きそば」との味の違いにショックを受ける。

写真25〜32はオリ・ウィーァ(Oli Whear)さんにヨークのパブ(Pub、居酒屋)を案内してもらった際に撮った写真です。
写真43−25
写真25  オリさんとの待ち合わせの場所へ出かける。19時40分でもこんなに明るい。

写真43−26
写真26  オリさんお勧めのパブ「トゥレンブリング・メッドネス(Trembling Madness)」へ。天井の木の柱組みに古さを感じさせる建物だった。

写真43−27
写真27  オリさん(左)と。21歳のオリさんはヨーク大学物理学科の2年生。磁力に関係した学問をしているそうだ。ボクシング部とフェンシング部に所属している。

写真43−28
写真28  2軒目のパブ「ガイ・フォークス・イン(Guy Fawkes Inn)」へ。古い旅館の一角がパブになっている。オリさんの説明によれば、ガイ・フォークスとは1605年11月5日にイギリスの国会を爆破しようと企てた一味の1人。事前に見つかり、首吊り・火あぶり・八つ裂きの刑に処されたそうだ。そのガイ・フォークスが生まれたのがこの旅館だった。そんな不名誉なことがなんでいまでは名物になっているのかよくわからないが、この旅館の入り口には彼の顔と説明が書いてある。あとで調べたところでは、イギリスでは11月5日はいまでもガイ・フォークス一味の計画が失敗に終わったことを祝う祝日なのだそうだ。またこのテロリズムが計画される背景にはカトリック教徒を弾圧する当時の王の圧政があったそうだ。

写真43−29
写真29  注文するオリさん。僕には「エルダービール(Elder beer、ニワトコのビール?)」、美紗さんには「ダンディリオン・バードック(Dandelion Burdock、たんぽぽとゴボウ?)」というジュースを頼んでくれた。いずれもイギリスでないと飲めない変わった飲み物なのだそうだ。おつまみには「ポーク・スクラッチング(Pork Scratching、豚肉の剥がし取り?)」。薄い豚肉をカリカリに揚げたチップスのようなものだった。

写真43−30
写真30  夜のヨークの町を次のパブまで歩く。

写真43−31
写真31  3つ目のパブ「ゴゥルドン・フリース(Golden Fleece、金の羊毛?)」。金色の羊の人形が軒先に吊してあった。

写真43−32
写真32  店内が暗くてほとんど写真では見えないが、オリさんはマスターと交渉して地ビール5種類をそれぞれ小さなコップに入れて飲ませてくれた。お酒を飲まない僕にとって微妙なビールの味の違いを飲み比べるのは難しかったが、発酵させて作るビールには漬物や味噌のように複雑な味わいがあることがわかった。さらにオリさんは「ミード(Mead)」というハチミツのワイン(?)も頼んでくれた。飲酒文化は奥が深いと思った。

オーストリア・イギリスへの新婚旅行 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | - | -

42 ヨーク散策2 2012年6月5日(火)

 開館時間の10時になったので、「宝物館」に行きました。実はこの建物はガイドブックには載っていませんでした。ブライトンで出会ったダロルさんが「ぜひ行ったらいい」と勧めてくれた場所だったのです。 
 かつてはヨーク・ミンスターの宝物館だったという建物は、いまは市民団体「ナショナル・トラスト(National Trust)」によって保有され、一般公開されています。「ナショナル・トラスト」が歴史的な建物や自然環境を後世に残すことを目的とする団体で、ダロルさんがそのメンバーであることは以前書いた通りです。 
 このかなり大きな古い建物はヨーク観光のなかでも最も楽しい場所の1つでした。内装や家具や飾ってある絵画や庭園の美しさはもちろんですが、各部屋にいるスタッフの人たちがものすごく親切なのです。向こうから笑顔で話しかけてくれたりしますし、とても詳しく教えてくれます。いままでにも何度か書いてきた通り、異国を旅する場合、ちょっとした親切さが何よりもありがたいものです。スタッフの人たちがおそらくヴォランティアだからでしょうが、この建物は「おもてなし精神」に溢れていました。ぜひ皆さんにもおすすめしたいです。 
 館内も庭園もよかったのですが、もう一つよかったのが地下の喫茶店です。ここで僕たちはウィーンのBさんから勧められていたお菓子の「アップル・クランブル(Apple Crumble)」を食べてみました。「クランブル(ボロボロにする)」との名前通り、アップルパイのパイ皮だけをポロポロカリカリにして中身のアップルに振りかけたようなお菓子で、カスタードクリームをかけて食べると甘酸っぱくてとても美味でした。
 またこの喫茶店で予期せぬ出会いがありました。アルバイトで店員をしているオリ・ウィーァ(Oli Whear)さんです。おばさんが日本にいるそうで、おばさん一家を訪ねて北海道の帯広に3ヶ月滞在したことがあるそうです。僕たちがメニューをどれにしようか迷っているときにオリさんから話しかけてくれて知り合いました。僕たちがこの喫茶店で見かけた最初の日本人だったそうです。お勧めの観光スポットやレストランを教えてもらえました。 
 未知の人との出会いがあると、がぜん観光がおもしろくなってきます。計画を変更して、オリさんのおすすめスポットに行ってみることにしました。 
 最初に行ったのがチョコレートの博物館「チョコレート ヨークの甘いお話(Chocolate  York's Sweet Story)」です。世界的な人気チョコレート「キットカット」などを製造している会社が、そもそもは1軒のヨークの食品雑貨店から始まったのだそうです。案内人の英語が速過ぎて聞き取れなかったのが難点でしたが、マヤ文明の人たちが飲んでいたという元祖チョコレートのドリンクを味わえたり(全く甘くないココアのような感じ)、カカオの実からチョコレートができるまでの工程体験コーナーがあったり、工夫を凝らした参加型の展示がしてあって楽しかったでした。
 次に向かったのが徒歩5分ほど(ヨークの街中は20分もあれば端から端へ歩けるので便利です)のところにある「キルト博物館(Quilt Museum)」です。1軒の古民家を改装して作った小さな博物館で、主な展示スペースは2階のホール1つ。でも斬新な「現代キルト(Contemporary Quilt)」が展示されていておもしろかったです。
 現代キルトは、いわゆるキルト(「古典的キルト」)とは見た目が全然違います。四角い枠のなかに模様があって、それをたくさん集めて作ったものではないのです。ちょっと想像しにくいかと思いますが、布で作った1枚の絵のようなものです。基本的に画面に仕切りはありません。
 テーマも実にさまざまで、食卓や港の風景など具象的な作品もありますが、紫一色に近い抽象絵画のようなものもあります。複雑なマンダラのようなものもありました。まさにこの展示会のタイトルである「多様性は素晴らしい(Celebrating Diversity)」という言葉の通り、自由な世界ですね。僕の頭のなかにある「キルト」というイメージとは大きく違ったので、驚きでした。
 さてこの日の観光のなかで一番インパクトがあったのが「ヨーク・ダンジョン(The York Dungeon、“ヨークの地下牢”の意味)」です。これはいわゆるお化け屋敷なのですが、恐ろしいのは全てが歴史の事実に基づいている、というところです。出てくるのはお化けではなく、歴史上の人物たちなのです。
 地下の真っ暗ななかを部屋から部屋へ10数人のグループで進んでいきます。各部屋はそれぞれ歴史的事件に対応しています。海賊ヴァイキングによるイギリス侵略と殺戮。ヨークの住人たちによるユダヤ人の集団虐殺(丘に追い詰めて死に追いやった)。昔の拷問部屋(指をつぶす器具や男性陰部を切り取るペンチなどが使われた)。魔女裁判(女性が火あぶりに)…。中世の裁判所の部屋もあって、参加者の2人が言いがかりを付けられて変な判決を言い渡されたりします。また鏡だらけの部屋もあって、どう進んでいいかわからなくなったりもしました。
 恐さだけでいえば一般のお化け屋敷の方が恐いと思います。でもここはただ恐いだけではなく、教育的な面もあるように感じました。人間の歴史であるからです。残念ながら英語はめちゃくちゃ速くて方言も強いので、ほとんどわかりませんでした。「言葉がわかったらもっと楽しめるだろうになぁ…」とちょっと悔しかった。もちろん十分にスリリングだったのですが。
 夕食は当初はガイドブックに勧めてあるお店に行こうと思ったのですが、せっかくなのでオリさんに教えてもらったお店に行くことにしました。川のほとりにあるレストラン「ザ・リヴィング・ルーム(The Living Room)」です。オリさんの説明通り、伝統料理と今風の料理をミックスしている感じでおいしかったです。「ウーズ川(River Ouse)」の風景も合わせて楽しむことができました。 
 ガイドブックだけを読んで観光するのと、現地の人に教えてもらって歩くのとでは、全然楽しみが違いますね。その地域により深く触れることができます。宿への道を帰りながら、「旅をするなら友人のいる町が一番いいなぁ…」と思っていました。

写真1〜6は「宝物館(Treasure's House)」で撮った写真です。宝物館は現在、市民団体「ナショナル・トラスト(National Trust)」が保有し、一般公開しています。なお「ナショナル・トラスト」は歴史的な建物や自然環境を後世に残すことを目的とする団体です。
写真42−1
写真1  絵などを飾った大きな部屋がたくさんある。 

写真42−2
写真2  2階にも部屋が。 

写真42−3
写真3  この建物を買い取り整備したうえでナショナル・トラストに寄附した人フランク・グリーン(Frank Green)はいつも蝶ネクタイ(bow tie)をしていたそうだ。なので2階の一角に蝶ネクタイ体験コーナーがあった。でも付け方がとても難しかった。

写真42−4
写真4  地下にある喫茶店で。ウィーンのブルーノさんから勧められていたお菓子「アップル・クランブル(Apple Crumble)」を食べてみる。「クランブル(ボロボロにする)」との名前通りアップルパイのパイ皮だけをポロポロにして中身のアップルに振りかけたようなお菓子で、カスタードクリームをかけて食べると甘酸っぱくて美味。

写真42ー5
写真5  喫茶店の店員であるオリ・ウィーァさん。帯広に3ヶ月間滞在していたことがあり、親戚が日本にいるそうだ。オリさんから話しかけてくれて知り合った。お勧めのお店を教えてくれたり親切だった。あとで連絡を取り、翌日にも会うことになった。 

写真42−6
写真6  「宝物の家」の外観。

写真7〜9はチョコレートの博物館「チョコレート  ヨークの甘いお話(Chocolate  York's Sweet Story)」で撮った写真です。オリさんに勧めてもらって行きました。
写真42−7
写真7  入り口の様子。今年オープンしたばかりなのだそうだ。 

写真42−8
写真8  カカオの実からチョコレートができるまでの工程体験コーナー。

写真42−9
写真9  工場でのチョコレートの仕上げについて説明するスタッフ。

写真10〜11は「キルト博物館(Quilt Museum)」で撮った写真です。 
写真42−10
写真10  入り口。古い建物を使ってある。 

写真42−11
写真11  2階の展示室へ。この日は「多様性は素晴らしい(Celebrating Diversity)」という展示だった。ヨーロッパ各国からさまざまな「現代キルト(Contemporary Quilt)」が出品されている。現代キルトはいわゆるキルトと違い、小さな四角の模様を組み合わせたものではなく、現代絵画のようだった。色使いや構図の斬新さにびっくり。

写真42−12
写真12  ヨークの中心部の一角。この辺りは住宅街らしい。 

写真42−13
写真42−14
写真13〜14  とても古い商店街「シャンブルズ(Shambles)」の狭い道には、いつも人がいっぱい。

写真15〜17は「マーチャント・アドベンチャラーズ・ホール(Merchant Adventurer's Hall、"冒険商人組合のホール"の意味)」で撮った写真です。
写真42−15
写真15  建物の外観。1357〜61年に作られたそうだ。上の方は木造であり、日本の古い建物にどこか似ている。

写真42−16
写真16  大ホール。当時のヨークは海外貿易の拠点で、ロンドンに次ぐ豊かな都市だったそうだ。その貿易を独占していた組合メンバーの集会場だけあって、建物が大きい。古いので床や柱は傾いている。

写真42−17
写真17  この建物は集会場の他にも貧民医療の場として使われたそうだ。地下にはヨーロッパ中世の医療の展示があり興味深い。写真は当時行われた「瀉血療法(体から血を出して病気を治す治療法)」のために使われたヒル(leech)の展示コーナー。美紗さんは気持ち悪がっている。

写真18〜19は「ヨーク・ダンジョン(The York Dungeon、“ヨークの地下牢”の意味)」で撮った写真です。ヨーク・ダンジョンはお化け屋敷ですが、内容は歴史上の出来事に基づいています。
写真42−18
写真18  入り口。ここから暗い地下に入っていく。英語が速すぎてほとんどわからなかったが、海賊ヴァイキングによる殺戮、残虐事件、拷問部屋(指をつぶす器具や男性陰部を切り取るペンチ)、魔女裁判(女性が火あぶりに)などの部屋があり、かなり長く恐ろしい。史実に基づいているだけ余計に怖い。

写真42−19
写真19  マグネットとキーホルダーを記念に買った。

写真42−20
写真20  ヨークを流れるウーズ川(River Ouse)沿いの風景。

写真42−21
写真21  オリさんに勧めてもらったレストラン「リヴィング・ルーム(The Living Room)」で夕食。写真は美紗さんがチキンカレーを食べようとしているところ。「こちらのビールは味が違うのでぜひ飲んだらいい」とオリさんに勧められたので、アルコールが好きではない僕も伝統的なビールを注文してみた(写真手前のグラス)。たしかにまったりとしていて麦を発酵させたような味わいがあって、日本のビールより飲みやすかった。

写真42−22
写真22  帰り道の橋の上で。水鳥がたくさん遊んでいる。 
オーストリア・イギリスへの新婚旅行 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | - | -

41 ヨーク散策1 2012年5月31日(木)

 翌朝、宿の食堂で「イングリッシュ・ブレックファースト(English breakfast、“イギリス式朝ごはん”の意味)」を食べました。内容の豪華さで有名な朝食です。店の人におかずを注文する前に、まずは自分たちでシリアル、フルーツ、ヨーグルト、紅茶などを自由に食べられます。僕はヨーグルトもシリアルも大好きなので、いっぱい取って、それだけですでにお腹がいっぱいになってしまいました。
 そこにさらに焼いた小さな食パン4枚と、ソーセージやハムや目玉焼き、そして煮豆まで出てきます。残念でしたが、とても食べ切れませんでした。「明日からはもっと少ないメニューを頼もう」と美紗さんと話しました。こちらでは食べ物の量も平均的に多いようです。
 食べ終わった9時ごろから町の観光に出かけました。昨日は迷ったのですごく遠く感じた道のりです。でも今朝、まっすぐ歩いてみればわずか10分ほど。簡単だと思いました。人の心理って不思議ですね。
 最寄りの城門(僧侶の門[Monk Bar])が見えてきました。ヨークは非常に古い町で、昔はぐるっと丸く壁に囲まれた城塞都市でした。さすがに2000年ほどまえにローマ人たちが築いた城壁はほとんど残っていないようですが、12〜14世紀に築かれた「城壁(City Wall)」は半分ほど残っていて、いまでも町を取り巻いています。かつては城壁のところどころにある城門からしか町のなかには入れなかったのです。 
 城門をくぐろうとすると、城門の脇の階段を登って行く人たちが見えました。「どこに行くのかな?」。好奇心が湧いたのでついて行ってみると、なんと城壁の上に出ました。すれ違うのもやっとというような細い幅ですが、城壁の上を歩けるのです。
 僧侶の門から次の「ブーサム門(Bootham Bar)」まで15分ほどでしょうか。城壁の上から見ると実に綺麗な町です。巨大な大聖堂「ヨーク・ミンスター(York Minster、“ヨークの大寺院”という意味) 」の建築も素晴らしいですが、取り巻く石造りの古い家々の屋根や庭園も風情があります。そして全体が、いまとは違う時代の1つの雰囲気で統一されているのです。
 ヨークが観光客に人気の町である理由がわかる気がしました。数百年前の町並みがそのままタイムカプセルに入れられて現代に現れたような町なのです。一軒一軒の昔の家は他の町に移すこともできるでしょう。でも町全体が作り出すこの「別世界な感じ」を他の場所で再現するのは困難だと思いました。ヨークには中世の人々が生きて働いていた息吹きのようなものがあるのです。 
 またヨークのもう一つのいい点は、大き過ぎないことです。主要な観光スポットのほとんどが全長4.5キロと言われる城壁のなかにあるのですから、簡単に歩いて回れます。しかも城壁内の至るところに古風な細い商店街があり、いろいろなオシャレなお店がひしめいているのですから、歩いて移動している時間にも見るものがあって無駄になりません。とても観光しやすい町だと思いました。
 さて城壁の端にあるブーサム門をくぐると、ヨーク・ミンスターまですぐです。さっそく入ってみることにしました。大聖堂のなかはたしかに巨大ですが、あまりに大きすぎてどの程度大きいのかよくわかりません。「よくこんな大きなものを作ったなぁ」と思うばかりです。 
 ちょうどそのとき、「塔のツァーに行きませんか?」という呼びかけがありました。塔の上からの見晴らしがいいと書いてあったので、僕たちも参加することにしました。ところが「チケットがない人はダメです」と言われてしまいました。なんと周遊券「ヨーク・パス」とはまた別に、塔に登るためのチケットが必要なのだそうです。
 「えっ?ヨーク・パスで大聖堂に入場できたのに…」。これは不親切ですね。また入場受付の人も別料金なことを教えてくれてもよさそうなものです。ツァーの案内人に「ぜひ参加したい」と言ってみたのですが、「受付で切符を買って45分後のツァー」に来てくださいと言われただけでした。きめ細かいサービスは期待できないようです。がっかりでした。 
 45分待っているのは無駄なので、外に出ました。次はすぐそばにある「宝物館(Treasure's House)」ですが、10時の開館までまだ15分あります。美紗さんも疲れていましたので、ちょうど見つけたベンチで一休みすることにしました。 
 ずっと歩き回る観光を続けてきたので足も重くクタクタです。またこのところ美紗さんが下腹部の痛みを訴えたり、疲れやすかったり、食事があまり入らなかったりしていまいち調子がよくありません。「生理もないし、もしかして妊娠かなぁ…」、などと期待半分・冗談半分で美紗さんも言っていました。
 帰国後わかったのですが、実は旅に出る前から妊娠していたのです。なのであとから考えると、美紗さんの不調はつわりの初期だったのでした。ヨーク、そして次の滞在先であるエディンバラにかけて、美紗さんの疲れやすさと胸のムカムカ感が目立ってきました。でも僕はあまり深刻にとらえていませんでした。
 いまになって考えると、もし妊娠やつわりだとわかっていたら、とても観光などする気にはなれなかったでしょう。歩くのは最小限にしてどこかのカフェで時間をつぶす程度だったのではないでしょうか。またもし状態がひどくなれば途中帰国していたかも知れません。
 なのでもし今後新婚旅行などで海外に行こうとしている方がおられたら、旅行まではちゃんと避妊することをぜひおすすめしたいです。僕たちも「旅行までは…」と言っていたのですが、(特に美紗さんが)子どもがほしくなったり、避妊が面倒になったりして旅の2ヶ月くらい前から怠っていました。そのときに美紗さんが妊娠していたのですね。
 妊娠自体はたいへんうれしいことですが、新婚旅行に行くにはよくありません。移動も観光も食事も言葉の不自由さも妊婦の負担になります。なによりやる気が減るというか旅行を楽しむことに集中できなくなります。「旅の後半はきつかった〜」と美紗さんはいまでもブツブツ言っています。そういうわけですので、くれぐれもご注意ください。
 話が逸れました。元に戻します。僕たちは運悪くヨーク・ミンスターの塔に登れなかったのです。でもベンチで休憩できたことは、疲れていた美紗さんにとって高い塔の階段を登るよりもよかったのです。
 何が幸いして何が災いするか、あとになって振り返るまでさっぱりわかりませんね。失敗だと思ったことが、意外な形でうまく作用したりします。ハプニングや不思議な成り行きの多いところも旅のおもしろさの1つです。

写真41−1
写真1  宿の朝ごはん。ライ麦パン、シリアル、ヨーグルト、ソーセージ、スクランブルエッグ、煮豆、紅茶などを含む「イングリッシュ・ブレックファースト(English breakfast)」は食べきれないほど多い。

写真41−2
写真2  宿からヨークの中心街へと歩く。 

写真41−3
写真3  かつてヨークは城壁にぐるりと囲まれた城塞都市だった。町のなかに入るには門をくぐらないといけなかった。写真は門の1つ「僧侶の門(Monk Bar)」。ここが宿から最寄りの門。

写真41−4
写真4  他の人が僧侶の門の階段を登って行ったのでついて行ってみると、城壁の上に登ることができた。城壁に沿って歩く。 

写真41−5
写真5  城壁の上から綺麗な庭園と建物、そして奥に大聖堂「ヨーク・ミンスター(York Minster、"ヨークの大寺院"という意味)」が見える。

写真6〜8はヨーク・ミンスターで撮った写真です。
写真41−6
写真41−7
写真6〜7  あまりに巨大で大きさがよくわからないほど。

写真41−8
写真8  ステンドグラスがたくさんある。高い塔も有名なので「塔を登るツァー」に参加しようかと思ったが、タイミングを逃し残念。僕たちの使った周遊券「ヨーク・パス」には塔の料金は含まれていないのだそうだ。またツァーは45分に1回しかない。不便だと思った。

写真41−9
写真9  次に行く建物の開館時間まで近くの公園で一休み。ベンチに座ってのんびりしていると日の光りが温かく感じられる。
オーストリア・イギリスへの新婚旅行 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | - | -

40 ブライトンからヨークへ 2012年5月31日(木)

 いよいよブライトンを発つ朝です。僕たちは早めの6時に起きて、部屋で荷造りをしました。ピーターさんはいつものように9時から10時まで近くの体育館へバドミントンをしに行きました。僕たちは電車が出る11:34の1時間ほど前に家を出て、ブライトン駅まで歩こうかと思いました。 
 ジャッキーさんにそれを伝えると、「ピーターと車で駅まで送ります。彼の留守中にあなたたちが出かけたら、彼は絶対に怒るでしょう!!」とのことでした。最後の最後までお世話になりっぱなしです。
 10時半頃に帰ってきたピーターさんはシャワーも浴びずに、そのまま僕たちをブライトン駅まで送ってくれました。駅周辺では駐車できないので、ピーターさんと僕たちだけが車を降りました。そして車中のジャッキーさんと別れました。病気になってずっと伏せっていたジャッキーさん。早く元気になってもらいたいです。
 実はイギリスの電車に関して僕は1つ心配がありました。チケットはインターネットで予約したんですが、駅構内の券売機で購入しないといけないのです。「うまくできるかなあ…」。でもそれもピーターさんがやり方を教えてくれました。最初の1回さえ教えてもらえばあとはできます。初めてのときにはとまどう旅行者も多いはずです。ありがたかったです。 
 いよいよ駅の改札口に来ました。ピーターさんともここでお別れです。「ほんとうにありがとう。いつか必ず日本にも来てください」と言って抱き合って別れました。ピーターさんは最後まで親切でしたし、気の張らない時間をいっしょに過ごせました。相手をくつろがせる人です。 
 さあ、ここからは美紗さんと2人だけです。ブライトンから次の目的地ヨーク(York)までの直行便はないので、まずは電車でロンドンのヴィクトリア(Victoria)駅まで移動。そこからロンドンの地下鉄に乗り換え、キングスクロス(King's Cross)駅まで行き、さらに電車に乗り換えてヨークに向かわないといけません。乗り換えがちょっとややこしいですが、「地下鉄は数分しかかからないよ」とピーターさんから聞いていたので、あまり心配していませんでした。ロンドンでは移動時間が1時間も取ってあります。
 ところがです。ヴィクトリア駅に着いてみると、すごい人ごみで構内が混雑しています。表示もわかりづらく、どの地下鉄に乗ったらいいのかさっぱりわかりません。乗り方を4、5人の人に次々と尋ねてみましたが、「観光客なのでわかりません」といった返事ばかり。胸のなかで少し焦ってきました。
 ようやくドイツ訛りのある親切な女性が、「運行表で調べてみましょう」と言ってくれました。その方の説明では、僕たちが乗るはずだった地下鉄ヴィクトリア線(Victoria Line)がなぜか今日は運行していない(!)のだそうです。だから遠回りだけど2つか3つの路線を乗り継いで、キングスクロス駅に行かないといけないということです。大丈夫かなぁ…。
 その方が教えてくれた方向に進み、人混みにもまれながら改札をくぐりました。そこに立っていた駅員に行き方を聞いても、人混みの騒音と早口なせいで返事が聞き取れません。とりあえず、着いた電車に乗りました。 
 わけもわからず乗ってしまいました。当たり前ですが、どの駅で降りていいのかわかりません。近くにいた若いカップルに聞くと、幸いにも丁寧に説明してくれました。次の次のサウス・ケンジントン(South Kensington)駅でピカディリー線(Piccadilly Line)に乗り換えればいいそうです。少しほっとしました。 
 ただやはり遠回りなのでしょうか。時間がもうあと20分ほどしかありません。「場合によったらヨーク行きに乗れないかも知れないな」と思いました。「駅に着いたら走らないとね」と美紗さんに確認しました。もう残り10分ほどです。 
 さあ着きました。僕たちはキングスクロス駅の地下鉄ホームから電車乗り場を目指して走りました。ところが巨大な駅のせいか、「もうここだろう」と思うことは何度もあったのに、なかなか乗り場に着かないのです。階段をいくつか登り、通路を走りました。必死です。そしてやっと電車乗り場のインフォメーションに着きました。
 運よくインフォメーションはすいていて、待つ人の行列はありませんでした。ヨーク行きのプラットフォームを尋ねると、「あちらです」と指差してくれます。そこからまた数分走ってやっと電車を見つけました。なんと発車の4分前でした。 
 ロンドン散策の部分でも書いたように、ロンドンの公共交通はシステムが複雑で乗りにくく、バス運転手や電車の駅員もあまり親切ではありません。もし今後皆さんがロンドンに行かれるときは、十分時間に余裕を取って行ってくださいね。初めて行く場合、「想定外」のことが起こる可能性が大です。
 電車は指定席ですが、車両の端にあるスーツケース置き場はすでにいっぱいで置けません。スーツケース2個のうち小さい方を強引に座席上の荷物棚に乗せ(はみ出していてちょっと危ない)、もう1個を足元に置いて、ヨークに向かいました。2時間ほどで着きました。 
 ホテルの場所がわからないので、まずは街中のインフォメーション・センターに行ってみることにしました。ヨークには石畳の道が多いです。昔の雰囲気があって綺麗なのですが、スーツケースがガタゴトいってなかなか進めません。けっこう時間がかかりました。15分ほどでしょうか。
 着いたのは16時前で、もうインフォメーション・センターが閉まる直前でした。ぎりぎり間に合ってラッキーでした。「いろんな施設に入れるヨーク・パス(York Pass)を買っておいた方がお得ですよ」とのスタッフの説明でヨーク・パスを2枚買いました。後で知ったのですが、めちゃくちゃお得です!。
 スタッフによれば、僕たちの泊まる「ヨーク・ハウス(York House)」はB&B(日本の民宿のような感じの安めの宿)で、駅からは中心街を越えた向こう側に位置するのだそうです。行き方を聞いてインフォメーション・センターを出ました。 
 ところがです。ヨークの中心街はものすごく美しい古い町並みなこともあり、あちこちに目を取られているうちに道に迷ってしまいました。地図をもらってはいたのですが、地図上のこの長さがどのくらいの歩きに相当するのか、という感覚がつかめていないので、どうも一筋早めに曲がってしまったようです。
 居酒屋の入り口に立っている店員さんに道を聞きました。親切だったのですが、言葉がうまく聞き取れません。ヨークあたりでもすでに、スコットランド方言(わかりにくくて有名なイギリス北部の方言)の片鱗があるようです。 
 結局僕たちは目的地に向けて大きくジクザグに歩くような形になってしまいました。またお土産がいっぱいに詰まったスーツケースもかなり重いです。肉体的にも精神的にも、そろそろ疲れてきました。
 町外れの住宅街の道路を歩いて行きました。「この道で合ってるはずだけど、ほんとに大丈夫かな…」という思いが心をよぎります。またこういうときに限って宿がなかなか見つかりません。
 必死な顔をしていたのでしょうか。歩いてきた女性が「大丈夫ですか?」と声をかけてくれました。宿の名前を言いましたが、その人も知りません。「でも番地からすれば、もう近くですよ」と言ってくれました。こういうときの親切な言葉は、砂漠の水のように貴重に思えます。 
 先に歩いて行ったその人が、しばらくすると戻ってきて、右側を指差しました。やっとホテルにたどり着いたのです。このときはほんとうにほっとしました。 
 女将さんから生活上の注意点を聞きます。部屋はとてもきれいで、しっかりした宿のようです。「道に迷ってとても遠かったです」と言うと、「大変でしたね。でもとりあえず着いたんです。さあ、休んでください」と女将さんは言ってくれました。 
 この日はすでに美紗さんも疲れきっていて、もう外出する気力はありませんでした。部屋にクッキーと紅茶が用意してあったので、それを夜ごはんにして、シャワーをあびて寝ました。とにかく無事に着けて何よりでした。全てはまた明日からです。 

写真40−1
写真1  下の階に住むアンさんともお別れ。

写真40−2
写真2  ジャッキーさんとピーターさんがブライトン駅まで送ってくれた。駅の外でジャッキーさんとお別れする。 

写真40−3
写真3  駅のなかのゲートで。いよいよピーターさんともお別れしないといけない。

写真40−4
写真4  ピーターさんは最後まで見送ってくれた。電車の方に歩きながら手を振ってお別れをする。

写真40−5
写真5  電車でロンドンのキングス・クロス(Kings's Cross)駅からヨーク(York)駅へ。なぜかこの日はロンドンの地下鉄ヴィクトリア線が運行休止だったので、別の地下鉄2つを乗り継いで駅構内で走ってやっと時間ギリギリでこの電車に飛び乗った。

写真40−6
写真6  ヨークの道で。インフォメーションで宿の場所を聞くと、町の郊外だった。宿の場所がわからず20〜30分迷って歩く。 

写真40−7
写真7  民宿「ヨーク・ハウス(B&B York House)」に着いた。やれやれ。

オーストリア・イギリスへの新婚旅行 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | - | -

39 ブライトン散策5 2012年5月31日(木)

 ダロルさんの車中で次の目的地をどこにしようという話になりました。案は2つありました。1つはブルームズベリー・グループの代表的な女流作家であったヴァージニア・ウルフ(Virginia Woolf、1882〜1941)が住み、のちに近くの川で入水自殺した家。もう1つは観光用の蒸気機関車「ブルーベル鉄道(Bluebell Railway)」です。家好きのダロルさんはヴァージニア・ウルフの家を提案しましたが、ピーターさんが「そろそろミサ(美紗さん)も疲れているだろうし、蒸気機関車に行こう」と言ってそちらに決まりました。実際美紗さんはブルームズベリー・グループよりも蒸気機関車の方が良かったそうです(笑)。
 ピーターさんがスマートフォンで調べてくれたところ、最終の蒸気機関車に間に合いそうでした。なので僕たちは車で20分ほど移動し、「シェフィールド・パーク(Sheffield Park)」駅に向かいました。 
 ところが駅に着いてみると、入り口からぞろぞろと人々が出てきます。いまから帰宅するという雰囲気です。「もしかして遅れた…?」。その通りでした。数分前に最終便が出発してしまっていたのです。
 このときは正直言ってけっこうがっかりしました。ただピーターさんが駅員に聞いてくれたところによれば、15分ほどで蒸気機関車が帰ってくるそうです。なので駅を見ながら待つことにしました。
 この駅はけっこう楽しくできています。駅員のおじさんたちも地域のボランティアの方で親切ですし、車庫にはいくつもの蒸気機関車が止まっています。ピーターさんが「乗ってみよう」というので、乗っていいのかわかりませんが客車にも入ってみました。木でできた昔の電車なのですが、車内の上品な雰囲気といい、椅子のクッションといい、いまの電車よりも高級に見えました。
 駅には売店もあります。蒸気機関車グッズはもちろん、「機関車トーマス」のおもちゃや日本の「トミカ」のプラレールまで置いてあります。ここで美紗さんは電車好きの2人の甥たち(美紗さんの甥の颯馬[そうま]くんと僕の甥の公一くん)のためにお土産(マグカップとミニカー)を買いました。
 さて20分ほどして遠くから蒸気機関車が帰って来ました。「ボッ!ボッ!」と爆発を繰り返すような感じで、煙突から煙が溢れ出てきます。そして速度を落としながらゆっくりと駅のプラットフォームのところに入ってきます。実際に間近に見ると想像以上にすごい大きさと迫力です。
 ピーターさんもダロルさんもすっかり子どもに帰って写真をたくさん撮っています。エンジンのパワーの躍動が目で見えるので、いまの電車よりもずっとおもしろいです。ダロルさんは7歳のとき以来40数年ぶりだそうです。「僕が小さい頃には蒸気機関車がまだ走ってた」と横ではピーターさんが言っています。
 駅のそばには青い小さな花がたくさん咲いています。「この青い鈴型の花が『ブルーベル(Bluebell)』だから『ブルーベル鉄道(Bluebell Railway)』なんだよ」とダロルさんが教えてくれました。蒸気機関車の周りには大人も子どももたくさんいて、みんな見入っています。地域の人たちのボランティアでこういう保存鉄道が残されているのは素晴らしいことだなぁと思いました。 
 さあ、今日やることはみんなやりました。あとは帰るだけです。帰り道でも運転しているダロルさんと助手席のピーターさんは、なにかと口論をしていました。よっぽど2人は仲がいいんですね。 
 夕方、ブライトンの町に着きました。アパートに住む多くの人は自宅に駐車場を持たず、道路脇の駐車スペースに車を止めるのですが、この日はどこもいっぱいです。ダロルさんは僕たちだけを家の前で降ろしてから、駐車できる場所を探しに行きました。「駐車しにくくて不便だね」と美紗さんは驚いています。
 ダロルさんが僕たちにお土産をくれるというので、僕たちも日本土産を持って夕食後にもう一度お宅に行きました。ダロルさんは僕たちに映画DVD『Wilde』(Brian Gilbert監督、1997年、イギリス)をくれました。僕は主人公である作家のオスカー・ワイルドが好きなのです。美紗さんは日本の布をダロルさんにあげました。 
 これでダロルさんともお別れです。僕たちは明日ブライトンを発つのです。「もっと時間があったらよかったね」と互いに言って別れました。優しい人でした。 
 ピーター&ジャッキー家に帰ったあと、最後にピーターさんは自分の仕事部屋を見せてくれました。屋根裏部屋なのでハシゴで登って行きます。かなり散らかっているだろうと僕は予想していたのですが、意外なことに整然としていました。ピーターさんはマメなところもあるんですね(笑)。
 部屋の隅には机とコンピュータがあります。画像のレイアウトや合成など、このコンピュータを使って仕事をすることが多いそうです。「試しにやってみようか」と言って、美紗さんの写真に細工をしてくれました。
 またロンドンなどあちこちで撮った写真も見せてくれました。ピーターさんはロンドンの建物やイベントやパントマイムや道行く人やその他何にでも興味があるんですね。 
 仕事部屋から下りると、ジャッキーさんが「明日はあわただしいだろうから」と僕たちにお土産をくれました。ブライトンの名所が模様に入ったお茶碗と、ブライトンの簡単な歴史の本です。これにはびっくりしました。ずっと泊めていただいた上に、お土産までもらったのです。
 友人ってほんとにありがたいなぁと思いながら、明日の出発に備えて早めにベッドにつきました。ブライトンに来れてよかったでした。 

写真1〜10は「ブルーベル鉄道(Bluebell Railway)」の「シェフィールド・パーク(Sheffield Park)」駅で撮った写真です。廃線になった鉄道路線を利用して観光用の蒸気機関車が走っています。
写真39−1
写真1  最終の蒸気機関車に間に合うように急いで駅へ。でも数分前に出発したところだった。

写真39−2
写真2  仕方がないので戻ってくる蒸気機関車を待つことにする。駅員さんと「はい、チーズ(Smile!)」。

写真39−3
写真3  この駅は始発駅であり、何台も蒸気機関車が止まっている。

写真39−4
写真4  車両の内部。古いが、むしろ現代の列車より上等な感じだ。

写真39−5
写真5  蒸気機関車が帰ってきた。

写真39−6
写真6  そばに寄ってみると車輪だけで背丈ほどもある。大きな鉄の車輪がぐんぐん回るのはすごい迫力。

写真39−7
写真7  機関車の写真を撮るピーターさん。ピーターさんが子どもの頃には、まだ現役の蒸気機関車が走っていたそうだ。

写真39−8
写真8  蒸気機関車は前後どちらにでも走れるのを初めて知った。いったん客車と離れた機関車が、反対側の客車と連結する場面。ガッチと連結部がつながった。 

写真39−9
写真9  足元の青い花を指さすダロルさん。この花の名前が「ブルーベル(Bluebell)」で、路線沿いにこの花が咲いているから「ブルーベル鉄道」なのだそうだ。

写真39−10
写真10  機関車を眺めるダロルさんとピーターさん。ダロルさんは40年前にここで蒸気機関車に乗って以来初めて来たのだそうだ。

写真39−11
写真11  夕食のハム・玉ねぎ入りオムレツを作るピーターさん。調理はピーターさんの担当だ。

写真39−12
写真12  夕食後に近所のダロルさん宅へ。ダロルさんはサッカーや映画が好きで、ものすごい量のDVDコレクションを持っている。 

写真39−13
写真13  屋根裏の仕事部屋を見せてくれるピーターさん。ここで外務省関係のポスターや冊子や資料を作っている。遊びで美紗さんの写真を加工してくれた。 

写真39−14
写真14  ダロルさんがくれた作家オスカー・ワイルドについての映画DVD『Wilde』(Brian Gilbert監督、1997年、イギリス)。

写真39−15
写真15  ジャッキーさんとピーターさんがくれたお椀とブライトンの歴史についての本。お椀にはブライトンの文化財などが描かれている。 

以下はピーター・デュポンさんが撮ってくれた写真です。
 
写真16
写真16 駅員さんと。
 
写真17
写真17 陸橋の上から。写真を撮るのが好きなピーターさんはいろいろ変わった角度から撮影する。
 
写真18
写真18 アップで。

写真19
写真19 車庫にある昔の蒸気機関車。
 
写真20
写真20 車両のなかから。
 
写真21
写真21 「シェフィールド・パーク駅」の看板。7歳の時以来初めて来たというダロルさんも楽しそう。

写真22
写真22 いよいよ蒸気機関車が帰ってきた。
 
写真23
写真23 ボッ、ボッとリズミカルに煙を吐きながら前進してくる。
 
写真24
写真24 間近で見ると大きい。

写真25
写真25 車輪はすごい迫力。
 
写真26
写真26 水蒸気が立ち上って熱そう。
 
写真27
写真27 客車を切り離して移動。

写真28
写真28 バックしてきた。蒸気機関車が後ろ向きにも走れるとは知らなかったのでビックリ。
 
写真29
写真29 鉄道のマーク。昔は蒸気機関車が現役だった。
 
写真30
写真30 パイプが血管のように走っている。現代の電車よりも生き物に近い(?)感じがする。

写真31
写真31 最後にみんなで記念撮影。左から僕、ピーターさん、ダロルさん、美紗さん。
オーストリア・イギリスへの新婚旅行 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | - | -

38 ブライトン散策4 2012年5月30日(水)

 さて、30〜40分ほどダロルさんが運転して着いたのがバーウィック(Berwick)という小さな集落です。ここには「セント・マイケル教会(St.Micheal Church)」というこじんまりとした教会があります。この内装をブルームズベリー・グループのメンバーの誰かが担当したそうです。ブルームズベリー・グループが芸術・学問・文学サークルであったことと、そこに僕の好きな作家であるE・M・フォースター(Edward Morgan Forster、1879〜1970)が所属していたことは、以前ロンドン散策の箇所で書いた通りです。
 こんな小さな教会でも有名なようで、見学者が5、6人います。ですが皆さん足早に帰って行きます。「教会が開いてなくて残念だねぇ…」と1人のおじいちゃんが帰り際に言いました。そう。実は教会が閉まっているのです。
 「あれ?今日は閉館日じゃないはずだけどなぁ…?」とダロルさんは首をかしげています。実はこの日の夕方に判明したのですが、守衛さんが単に開け忘れていた(!)そうです。遠方から来たお客さんもいたかも知れないのに、まったくいい加減なものですね。 
 さて、教会の次に向かったのが「オーフリストン(Alfriston)」という小さな町です。ここは有名な観光地ではないはずですが、数百年前の田舎の町に入ったような錯覚を覚えるほど、町並みがよく保存されています。昔の郵便局、レストラン、雑貨屋、宿屋。一軒のレストランは1397年まで歴史をさかのぼれるそうです。日本で言えばなんと室町時代ですね。古い! 
 この町にダロルさんが僕たちを連れて来たのには理由があります。ダロルさんは古い建物を見て歩くのが好きですが、そのきっかけとなった建物がこの町に残されているのです。それが「オーフリストン牧師の家(Alfriston Clergy House)」です。
 7歳の少年だったダロルさんはある休日に両親とロンドンから観光に来ました。そして始めて好きになった古い家が、この牧師館だったのです。また牧師館は、自然や歴史を保存する団体「ナショナル・トラスト(National Trust)」によって買い取られ、保存・展示されています。この牧師館を好きになったことがきっかけで、ダロルさんはナショナル・トラストの会員となり、もう21年間も参加し続けているのだそうです。つまりこの牧師館がダロルさんの生きがいの1つを形作るきっかけとなったのです。 
 みんなで牧師館に入ろうとしましたが、ダロルさんの会員証で無料で入れるのは3人まででした。「僕はいままでに何回も見てるからいいよ。外で待ってるから」とダロルさんが言ってくれました。ダロルさんに感謝して、ピーターさんと僕たちは3人で建物のなかを見学しました。
 1350年に建てられたというこの家は、意外なことに日本の古民家とよく似ています。藁葺きの屋根、煙でいぶして黒くなった木の柱、囲炉裏のような焚き火の場所。土間もあったりけっこう細かいところまで似ています。場所はずいぶん遠くても、同じような建築スタイルに行き着くことがあるのでしょうか。 
 牧師館のそばには「聖アンドリュー教会(St.Andrew's Church)」があります。いままで大聖堂ばかり見てきたので、ずいぶん小さいなぁと感じます。おそらく地域の昔の人たちが自力で建てた教会なのでしょう。
 ですがなかに入ると、地域の人たちが長年維持してきた「手作りのぬくもり」のような雰囲気があり、なぜか僕は感動してしまいました。この教会には宗教嫌いのピーターさんも文句を言いませんでした。思想と教義で押さえ付けるような大聖堂ではなく、こういう素朴な建物なら宗教嫌いの彼もいいと思うのでしょう。 
 どこかにカフェがないかな、と探していたら、教会の近くでバザーのような集まりがあるのをピーターさんが見つけました。もう皆さん片付け始めていますが、チョコレートケーキを買うことができました。これは動物愛護グループのバザーだったそうです。やっているのは地域の人たちです。僕はブラームスのCD1枚を買って、おつりを寄附してきました。
 さて、次に向かったのが芸術館「チャールストゥン(Charleston)」です。ここはブラームスベリー・グループの別荘、あるいは合宿所と言えるような家で、メンバーがたびたび訪れて共同生活をしたり、創作をしたりしていた場所です。 
 建物の前には池があり、池のほとりにはいくつも彫刻が置いてあります。周りには庭園が広がっています。とても優雅で美しいです。眺めを楽しめるベンチも置いてあります。「ここでどんな風にメンバーが考えたり書いたりしていたかが想像できるよね」とピーターさんが言います。まったくその通りです。ここで僕の好きな作家のE・M・フォースターもエッセイを書いたりしていたのかなぁなどと考えるとワクワクしてきます。
 庭園には色とりどりの花が植えられています。庭師の男性がいたので話しかけてみました。夫婦で長年手入れをしているというその方はとても親切で、「ブルームズベリー・グループの最後の1人だった女性(アンジェリカさん?)が昨日亡くなった」と教えてくれました。かなり昔のグループと思っていたんですが、つい昨日まで生きていた人がいたんですね。 
 建物のなかを巡るガイド付きツァーにも参加しました。かなり人気があって、ツァーにも20人弱が参加していました。始めに女性のガイドさんに「できるだけ聞き取りたいし、美紗さんにも翻訳したいので、ゆっくり英語を話してください」とお願いしました。その人は「今日の夕方、新しい日本人のガイドが到着するんです。残念でしたね」と言ってくれました。そしてやっぱり英語は速いまま(!)でした。ゆっくり話すのはよほど難しいようです。 
 この建物はかなり大きく、1階と2階にそれぞれ5、6室はあったと思います。そしてそのそれぞれがまさに芸術の部屋でした。壁も扉も家具も机も、明るく美しく彩色されたり絵が描かれたりしています。ほとんどは画家・インテリアデザイナーであったヴァネッサ・ベル(Vanessa Bell、1879〜1961)と画家のダンカン・グラント(Duncan Grant、1885〜1978)の2人によって描かれたそうです。
 ここは多分野の芸術家と研究者が交流するところだったのですね。雰囲気は違いますが、ウィーンのカフェを思い出しました。そこでは自分の専門分野とは別の仕事をしている人たちと出会うことができます。そしてこの世界の全体について考えながら、専門分野で創造していけるのです。
 以前にも書いた通り、僕はE・M・フォースターのエッセイが大好きで、この15年ほどずっと自分の生きる指針にしてきました。いま考えてみるとフォースターのエッセイの魅力は、何について書いていても、世界と人間生活の全体を見渡せるような広い視野を感じさせることです。そういう幅の広さも、きっとこの多分野交流のなかから生まれてきたものなのでしょう。
 僕は自分でも多分野交流の場所を作ってみたいなぁと思っていました。いろんな分野で活動している友人・仲間たちが集まれる場所です。お休みどころをそんな人間交流場にゆっくり育てていけたらと思います。 
 あとガイドさんの話で印象的だったのは、ブルームズベリー・グループの性的な側面です。ほとんど「乱交」と言っていいほどメンバー相互は複雑な愛人関係にあったそうです。特に前日に亡くなったというアンジェリカさんの生い立ちとその後の人生は複雑そうでした。僕もはっきり覚えていないので詳しく書けませんが、成人した彼女は事実を知らないまま、かつて実の父親と同性愛関係にあった男性と、恋することになったのだそうです。
 これは僕の偏見かも知れませんが、斬新な文化を作り出すような実験的なグループは、性的にも実験的であることが多いようです。ブルームズベリー・グループのメンバーたちも、新しい生き方を模索して実験したのでしょう。ただそれぞれのメンバーが才能豊かだったことを除けば、ブルームズベリー・グループも単なるエロ仲間の集まりと言われても仕方のない面がありそうです。
 ヨーロッパの文学の古典を読んでいると、実に猥雑な面があって驚きます。基本的には性的な活発さが賛美されているといっても間違いではないでしょう。性的な面も含めて、愛は、ヨーロッパ文化の巨大なテーマであり続けてきたのだと思います。
 不思議なことには、長い歴史のなかでさまざまな人がさまざまな性的生活の実験をしてきたにも関わらず、現代でも性的な結び付きの基本形は1人と1人の共同生活のままです。その他の形式はどれも不安定さをはらんでいて、なかなか長続きしないのでしょう。恋愛に関して、人類は大昔からあまり変わっていないのかも知れませんね。
 1時間ほど館内をガイドツァーでじっくり見て回ったあと、一角にあるカフェで紅茶を飲みました。E・M・フォースターに関わりのあるこの建物に来れて、僕はとても満足でした。上品で下品な、僕にとっての「聖地」です。そして僕たち4人は、ダロルさんの運転で次の目的地に向かいました。

写真1〜4はバーウィック(Berwick)にある「セント・マイケル教会(St.Micheal Church)」で撮った写真です。
写真38−1
写真1  古い建物を見るのが趣味のダロルさんは地理や歴史に詳しい。小さな集落のなかにある、車一台がやっとの、かなり細い道を通って教会に着いた。

写真38−2
写真2  お墓の奥にある教会の建物へ。

写真38−3
写真3  残念ながらこの日は入れなかった(後で知ったところでは担当者が鍵を開け忘れていたそうだ!)。ダロルさんが僕たちに見せたかったのはこの内装。僕が興味を持っている「ブルームズベリー・グループ」の誰かが手がけたそうだ。

写真38−4
写真4  教会の建物。素朴な味わいがある。

写真38−5
写真5  次にダロルさんの案内で近くの「オーフリストン(Alfriston)」の町へ。小さい町だが昔の町並みがよく保存されていて、別世界に入った感がある。

写真38−6
写真6  このレストランの歴史はなんと1397年にさかのぼるという。古い! 

写真7〜9は「オーフリストン牧師の家(Alfriston Clergy House)」で撮った写真です。現在は自然や歴史を保存する団体「ナショナル・トラスト(National Trust)」が管理しており、ダロルさんはナショナル・トラストの会員です。7歳の少年であったダロルさんが初めて好きになった古い建物なのだそうです。 
写真38−7
写真7  1350年に建てられたこの「牧師の家」の屋根は、草葺きである。材料となる草はサッチ(thatch)と呼ばれ、ワラや葦などだそうだ。日本の「茅葺きの屋根」とそっくり。

写真38−8
写真8  牧師の家の部屋。柱が黒くて日本の古民家を思わせる。 

写真38−9
写真9  火を焚いていた部屋。囲炉裏のある天井の高い部屋とよく似ている。 

写真38−10
写真10  「牧師の家」の隣にある「聖アンドリュー教会(St.Andrew's Church)」。小さな教会だが、地域の人たちが建設して維持してきた「手作りのぬくもり」のようなものが感じられる。

写真38−11
写真11  そばで動物愛護グループのバザーがあった。バザーでケーキを買って一休み。左から美紗さん、ダロルさん、ピーターさん。

写真12〜17は芸術館「チャールストゥン(Charleston)」で撮った写真です。チャールストゥンは芸術家や学者たちのサークル「ブルームズベリー・グループ(Bloomsbury Set)」のメンバーの集まる家でした。僕の好きな作家E・M・フォースターもそのメンバーでした。 
写真38−12
写真12  駐車場から入り口へ。たくさんの人が訪れていたのでびっくり。

写真38−13
写真38−14
写真13〜14  庭園。池の回りには彫刻やオブジェが置いてある。ここで何人もの人たちが学問や芸術に励んだ様子が感じ取れる。 

写真38−15
写真15  庭園の一角。色とりどりの花でいっぱいである。 

写真38−16
写真16  庭師の方。夫婦で長年手入れをしているという。とても親切な人で「ブルームズベリー・グループの最後の1人だった女性(アンジェリカさん?)が昨日亡くなった」ということも教えてもらえた。

写真38−17
写真17  建物のなかを巡るツァーに参加した。それぞれの部屋が画家のアトリエのような感じで、壁も家具も何もかもがメンバーの芸術家たちによって色鮮やかに塗られていた(写真が撮れなかったので残念)。写真は1時間ほどの詳しい説明を聞いたあとに、ティールームで一息ついたところ。左から美紗さん、ピーターさん、ダロルさん。

以下はピーター・デュポンさんが撮ってくれた写真です。
 
写真18
写真18 「セント・マイケル教会」にて。残念ながらなかには入れなかった。左から美紗さん、ダロルさん、ピーターさん、僕。
 
写真19
写真19 オーフリストンの町の掲示板に張ってあった「ユニオン・ジャック求む」の掲示。イギリス国旗であるユニオン・ジャックをサイズと状態は問わないから急いで買いたいと書いてある。それにしてもピーターさんはよくこんなものにまで興味を持てると思う。
 
写真20
写真20 オーフリストンのメイン・ストリートにて。昔の小さな村がそのまま現代に残っている感じで味わいがある。

写真21
写真21 赤い竜のようなものは昔は船に積まれていたそうだ(お守り?)。ダロルさんから説明を聞く。 

写真22
写真22 町の一角にて。
 
写真23
写真23 「オーフリストン牧師の家」に入る美紗さん。ピーターさんがなかから撮っている。

写真24
写真24 いつも愉快なピーターさん。
 
写真25
写真25 オーフリストンの看板の下で。左から美紗さん、ダロルさん、僕。
 
写真26
写真26 町の一角で。王室が好きなダロルさんは窓の奥にある王室メンバーの写真について説明している。

写真27
写真27 お菓子のスコーンが売られている。
 
写真28
写真29
写真30
写真28~30 芸術館「チャールストン」の売店で、帽子を3人で試着する。誰が一番似合うかな?

写真31
写真31 チャールストンの庭は緑がいっぱい。
 
写真32
写真32 お花が咲いている。向こうでは美紗さんと僕が庭師さんの話を聞いている。
 
写真33
写真33 庭師さんは親切にいろいろ教えてくれた。
オーストリア・イギリスへの新婚旅行 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | - | -

37 ブライトン散策3 2012年5月30日(水)

 ロンドンから戻った翌日の5月4日、美紗さんと僕は完全にダウンしていました。1日のほとんどを部屋で寝て過ごし、活動と言えば午後に近くの生協スーパーに行ったくらいです。僕たちが買ったものは、自分たちが消費したピーター&ジャッキー家の食料などです。朝食用のミルク(2リットル強のプラスチックケースに入っている)やフルーツ(青リンゴ、パイナップル、みかん)、シリアル、トイレットペーパー、ライ麦食パン…。ピーターさんは自由に使ってくれと言いますが、律儀な美紗さんは補充していかないと落ち着かないのです。 
 夜にはピーターさんの姪のエミーさんがボーイフレンドと同級生2人と総勢4人で泊まりにやって来ました。マンチェスター大学の医学部生であるエミーさんは、同級生たちといっしょに明日から近くの会議場で行われる小児科医のためのセミナーに出席するのだそうです。ピーター家には僕たちも含めて6人が滞在したことになります。僕たちが客室を占拠していたので、居間に4人ぎゅうぎゅうで寝ないといけなかったエミーさんたちには申し訳なかったことでした。 
 翌日の5月5日はピーターさんの友人のダロルさんが案内してくれる予定になっていました。ピーターさんからの前情報では、ダロルさんは少し悲観的というかクヨクヨと気に病みやすいタイプの人のようです。またSFテレビ番組の「ドクター・フー("Doctor Who")」の熱烈なファン。そして古い家が好きで、ブライトン近郊にあるブルームズベリー・グループ関連の家を案内してもらえるとのことでした。いまいちよくわからない前情報ですね(笑)。とにかく2人は仲が良さそうです。 
 ダロルさんの家はピーター家から徒歩5分もかからない距離にあります。十字路を2つ越えるともう見えます。ところがこの日、ダロルさんの道路向かいの家に警察官が何人かいました。なんと殺人事件(!)があったそうです。ピーターさんによれば、すでに容疑者の若者は逮捕されたのですが、証拠調べなどのために警察官が来ているのではないかとのことでした。美紗さんは「怖いね…」とつぶやいています。
 さて、実際会ったダロルさんはピーターさんの前情報よりはるかに話しやすい人でした(笑)。とても気さくでしたし、また英語の単語を区切ってはっきり話してくれるところが何よりありがたかったです。これは外国語として英語を勉強した人には簡単なことですが、ピーターさんやダロルさんのようなネイティブの人にとってはかなり難しいことのようです。たしかに僕の場合でも、日本語をゆっくり話そうとしても、イライラしてしまってついつい速く話してしまうでしょう。
 ダロルさんの家のなかは、一面と言っていいほど映画DVDが並んでいます。かなりの映画好きなんですね。またサッカーも熱烈に好きなようで、サポートするチームのユニフォームやポスターやグッズがこれまたたくさんあります。ダロルさんは一度何かにハマると熱中するタイプのようです。
 バーミンガム大学の同級生だった2人は、30年来の親友です。ロンドンで公務員として働いているダロルさんは「海のそばで住んでみたい」と1年ほど前にロンドンからブライトンへ引っ越してきました。偶然だとダロルさんは言いますが、親友のそばで住みたかったのかも知れませんね。  
 ダロルさんは自宅から僕たちを車に乗せて案内してくれました。運転もとても丁寧でピーターさんよりずっと上手です。ただ車中でなんでピーターさんの前情報が当たらなかったかがわかってきました。2人はささいなことでずっと口論しているのです。 
 例えば目的地に行くためのルートをどう取るかといったことが口論の内容です。速くてうまく聞き取れませんが、おそらくどっちでもいいようなどうでもいいことで延々と議論しているのでしょう。こうしてああでないこうでないと言い合うことが2人の楽しみのようです。 
 仲がいい友だちどうしって不思議ですね。互いに褒めあうこともあるけど逆にけなしあったりします。それでいて互いの大事さをよくよく意識しているのです。互いに誤解しあっていて、チグハグな会話をしているはずなのに、それでいて友情が崩れない。親友ってそんなものなのかなと2人を見ていて思いました。 

写真37−1
写真1  ピーターさんが鍋で炊いたインド米をお皿に盛りつける美紗さん。

写真37−2
写真2  カレーで夕ごはん。左からピーターさん、ジャッキーさん、美紗さん。

写真37−3
写真3  ピーターさんの近所に住むダロルさんの家に行く。ダロルさんはピーターさんの大学同級生で30年来の友人。この日はダロルさんに1日案内していただいた。

写真37−4
写真4  ダロルさんの車でドライブ。ピーターさんと違ってダロルさんは安全運転だった(笑)。 

オーストリア・イギリスへの新婚旅行 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | - | -

36 ロンドン散策6 2012年5月29日(火)

 しょっぱなの大英図書館でいきなりハイライトを迎えたロンドン散策2日目でしたが、その後は割と一般的な観光が続きました。巨大な教会「セント・ポール大聖堂(St.Paul's Cathedral)」、新しくできた橋「ミレニアム・ブリッジ(Millennium Bridge)」、テムズ河(River Thames)に沿っての散策、現代アートの美術館「テート・モダン(Tate Modern)」。
 どれもおもしろかったですが、ひときわおもしろかったのが「ナイティンゲィル博物館(Florence Nightingale Museum)」です。ナイティンゲィル(Florence Nightingale、1820〜1910)は近代看護の開祖と言える女性ですが、他にも多面的に活躍しました。
 主な業績だけでも以下のようにたくさんあります。クリミア戦争(1853〜1856)の負傷兵の看護にあたり、看護によって死亡率が激減することを実証したこと。看護の理論書を膨大に書いて、当時家政婦の仕事と思われていた看護が技術と経験と学習を要する専門職であることを広く普及させたこと。世界初の看護学校を開き数多くの看護師を育成したことなどです。
 ですが彼女の業績はそれににとどまりません。統計学を医療研究に先駆的に応用し、看護の有用性をいろんな角度から実証したこと。公衆衛生学の観点を駆使してイギリス軍の衛生管理改善を成し遂げたこと。さらに当時イギリス植民地だったインドの公衆衛生を改善させたことも彼女の大きな仕事でした。
 また当時は女性が政治家になれなかったので、ナイティンゲィルは男性政治家と組み、さまざまな法案を起草して国家レベルの公衆衛生改善を実現していきました。ほとんどの法案は彼女が自分で書いたそうです。その意味では女性政治家の先駆者とも言えます。
 ところでなぜ僕がナイティンゲィルについて知っているかというと、看護学校で精神科の講義をするために看護の歴史を少し勉強したからです。そのなかで一番おもしろかったのが『フロレンス・ナイチンゲールの生涯(全2巻)』(C.ウーダム=スミス著、武山満智子・小南吉彦訳、現代社)でした。上記のナイティンゲィルについての知識はほとんどこの本から得たものです。
 ナイティンゲィル博物館はナイティンゲィルが世界最初の看護学校を開いた「聖トマス病院」の建物の一角(わかりにくい)にありました。博物館は小さく、また僕たちには20分ほどしか時間がなかったので、サッとしか見れませんでした。それでもクリミア戦争のときに使った帳簿や看護学校で使った白衣などが見れて、美紗さんも満足そうでした。 
 正直言って一般の人が来ておもしろい博物館とは思えません。多くの人にとってはすぐそばにある「国会議事堂(Houses of Parliament)」の巨大な建物を一目見る方がずっと印象的でしょう。ですが僕にとっても美紗さんにとってもナイティンゲィル博物館の方がずっと記憶に残りました。「一般的な観光よりも個人的な興味の方が強く心に刻まれる」という旅の原則を確認することができました。
 ナイティンゲィル博物館のあと、今度はピーターさんにとって個人的に重要な場所に行きました。以前ピーターさんが働いていた「外務省(Foreign Office)」の建物です。通常内部の見学はできませんが、ピーターさんの友人でいまも外務省で働くヘイゾルさんの協力で特別になかを案内してもらえました。 
 ピーターさんがわざわざ連れて来るだけあって、内部は宮殿のような豪華さです。大理石の凝った建築と彫刻や壁画が目を引きます。こんな古くて壮麗な建物のなかで現代の国際関係業務が行われているとは信じがたいです。
 ですがここはあくまでも外務省であり、イギリスが国際情勢を見ながら他国と駆け引きをするために建てられた場所です。なので以前にも書いた大英帝国の世界制覇の野望がひときわ如実に表されているのです。世界各国の神がイギリスを中心に集まっている天井画が象徴的だと思います。世界の中心はイギリスなのです。
 ですのでせっかく連れてきてもらったのですが、正直言って僕はあまり好きにはなれませんでした。ピーターさんの働いていたオフィスを見れたことだけがよかったです。僕はピーターさんの人生史には興味がありますから。 
 そのあと近くのパブで、ヘイゾルさんも含めて4人で夕食をとりました。職場での雰囲気と打って変わって気さくになったヘイゾルさんは、今後僕たちが行くヨークの町の観光のことなどを詳しく教えてくれました。ヘイゾルさんはヨークシャー地方の出身なのだそうです。
 また、僕がヘイゾルさんの勧めてくれたビールを注文しなかったので、ヘイゾルさんはちょっとがっかりしていました。「こちらのビールはサッポロビールの味と大きく違う」からぜひ飲んでほしかったのだそうです。そんなことならジョッキ1杯くらい飲めばよかったでした。なんでも好奇心を持たないといけませんね。
 そのあとピーターさんの車でブライトンへの帰路につきました。夜だったこともあって、帰りは比較的スムーズに車が進みました。僕は疲れて眠かったのですが、隣で運転しているピーターさんが精神分析についていろいろ難しい質問をするので、ボンヤリと答えていました。運転があまり好きでないピーターさんは、多分ストレスのせいで運転中にいっそう早口になるのです。それでさらに僕はこんがらがるのでした。 
 ブライトンに帰ったのはもう夜中近かったです。ジャッキーさんはまだ調子がよくなく、ベッドに寝て過ごしている状態でした。ジャッキーさんにこの3日間を簡単に報告して、僕たちも寝ました。ロンドンのあちこちを歩き回ったので、もうクタクタでした。

写真36−1
写真1  比較的新しいビルの多い地域を歩く。 

写真2〜4はピーターさんの大学同級生のロバートさんと会ったときの写真です。ロバートさんは保険会社で働いています。トライアスロンをするなどスポーツマンです。
写真36−2
写真2  ロバートさんが働いているビルで待ち合わせ。

写真36−3
写真3  「EAT.(食べる)」という変わった名前のお店でサンドイッチを買う。僕はチキンとクランベリーのサンドイッチだったが、この意外な取り合わせがうまく合っていておいしかった。

写真36−4
写真4  左から美紗さん、ロバートさん、ピーターさん。ロバートさんとピーターさんは懐かしい同級生たちのことを話して楽しそう。

写真36−5
写真36−6
写真5〜6  「セント・ポール大聖堂(St.Paul's Cathedral)」の外観と入り口。お金が高いので入らなかった。 

写真36−7
写真7  地球環境に配慮した社会を作ろうというデモ。デモの人たちの足元にはゴミが落ちていた。「環境には配慮してもゴミには配慮しないのかなぁ…」とピーターさんはやや疑問符をつけていた。

写真8〜9は「ミレニアム・ブリッジ(Millennium Bridge)」で撮った写真です。
写真36−8
写真8  大きなテムズ河(River Thames)を歩いて渡る。 

写真36−9
写真9  建築中の新しいビルについて説明するピーターさん。ヨーロッパで一番高いビルになるという。 

写真36−10
写真10  テムズ河に沿って歩くとたくさんの高層ビルが見える。「ロンドンを見渡すにはいいよ」とピーターさんの友人のボブさんからも勧められていた。 

写真36−11
写真11  「シェイクスピア・グローブ・シアター(Shakespeare's Globe Theatre)」。シェイクスピア(William Shakespeare、1564〜1616)の劇が上演された「グローブ座」を再現したもの。5〜9月は毎日いろいろな国のいろんな劇団がシェイクスピア劇を上演しているそうだ。

写真12〜14は「サザーク大聖堂(Southwark Cathedral)」で撮った写真です。 
写真36−12
写真36−13
写真12〜13  大きな内部。こんな大聖堂がロンドンにはたくさんあるそうだ。 

写真36−14
写真14  シェイクスピアの記念碑。シェイクスピアの弟もここの墓地に葬られたそうだ。 

写真15〜16は「ボロー市場(Borough Market)」で撮った写真です。
写真36−15
写真15  屋台がたくさんあり賑わっている。 

写真36−16
写真16  イノシシ肉のコロッケ(なかに卵が入っている)を買ったが、しょっぱすぎないサラミのようで美味だった。

写真17〜19は現代アートの美術館である「テート・モダン(Tate Modern)」で撮った写真です。
写真36−17
写真17  時価60億円に相当する芸術作品(たくさんのダイヤでびっしり覆った頭蓋骨)が話題になっていた。流行好きのピーターさんは見に行こうという。写真は展示室への入場を待っているところ。馬鹿げた作品だろうと思っていたが、実際に見るとたしかに美しかった。ただわざわざ数百個(?)のダイヤを使わなくても、他にも美しいものを作る方法はあるのではないかと疑問が残った。

写真36−18
写真18  美術館のなかのカフェで一休み。眺めがいい。

写真36−19
写真19  環境問題を意識したという作品の前で。「(作品の意義が)私にはようわからん…」と美紗さんはつぶやいている。

写真36−20
写真20  テムズ河の向こうに「国会議事堂(Houses of Parliament)」が見える。 

写真21〜25は「ナイティンゲィル博物館(Florence Nightingale Museum)」で撮った写真です。ナイティンゲィル(Florence Nightingale、1820〜1910)は看護師の仕事や学問の土台を作った人です。
写真36−21写真36−22写真36−23
写真21〜23  ナイティンゲィルが世界で初めて看護学校を作った「聖トマス病院」のなかに博物館はある。博物館は小さいが、ナイティンゲィルが使った白衣やノートなどがあり興味深い。

写真36−24
写真24  ナイティンゲィルに求婚した3人の人たち。ナイティンゲィルに想いを寄せる人は多かったが、結局生涯独身だった。

写真36−25
写真25  入り口の前で。

写真36−26
写真26  「国会議事堂(Houses of Parliament)」の横を通って歩く。 

写真36−27
写真27  ピーターさんが以前働いていた「外務省(Foreign Office)」の建物。ピーターさんの元同僚のヘイゾルさんの協力で、許可証がないと入れないこの建物のなかを案内してもらえた。宮殿のように豪華な造りであったが、「大英帝国の世界制覇」といった雰囲気も強く感じさせる建物だった。

写真36−28
写真28  近くのパブで。チキンマサラカレーがおいしかった。左から美紗さん、ピーターさん、ヘイゾルさん。

写真36−29
写真29  作家のオスカー・ワイルドの追悼に誰かが建てた記念碑。ピーターさんが最後にロンドンで連れて行ってくれたのがここだった。

以下はピーター・デュポンさんが撮ってくれた写真です。
 
写真30
写真30 「キングズ・クロス駅」のそばの建物。模様がおもしろい。
 
写真31
写真31 ピーターさんの友人のロバートさんが働いているビルの前には釘のモニュメントがあった。芸術的?
 
写真32
写真32 みんなでサンドウィッチを食べる。手前のテーブル、左から美紗さん、ロバートさん、ピーターさん。

写真33
写真33 「セント・ポール大聖堂」の入り口にて。
 
写真34
写真34 同じ場所で、別の角度から。
 
写真35
写真35 「ミレニアム・ブリッジ」を渡る。

写真36
写真36 橋のうえにはカモメがいた。
 
写真37
写真37 「シェイクスピア・グローブ・シアター」では毎日世界各地の劇団によってシェイクスピア劇が上演されていた。この日(TURS 3 MAY、つまり5月3日木曜日)の演目の前で。
 
写真38
写真38 「シェイクスピア・グローブ・シアター」の門の前で。「文様がおもしろいからここで写真を撮ろう」とピーターさんが言う。

写真39
写真39 「サザーク大聖堂」の内装。
 
写真40
写真40 大聖堂にて。左からピーターさん、美紗さん、僕。
 
写真41
写真41 大聖堂は造形に工夫が凝らされている。

写真42
写真42 現代美術館「テート・モダン」のカフェの外にあった像。常に水が振りかけられていて、そこから湯気が立っていた。像は熱いようだ。
 
写真43
写真43 向こうに国会議事堂が見える。
 
写真44
写真44 「さらにアップで」と言ってピーターさんは写真を撮る。

写真45
写真45 「ナイティンゲイル博物館」の受付にぶら下がっていた聴診器。僕たちは聴診器としか思っていなかったが、ピーターさんがスタッフに尋ねてみるとなんとオーディオガイドだったそうだ。
 
写真46
写真46 ピーターさんの元同僚で友人であるヘイゾルさんと。
オーストリア・イギリスへの新婚旅行 | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | - | -