45 ロンドンに戻り、そして帰国 2012年6月17日(日)
翌日の5月12日にはロンドンに戻りました。といってもロンドンの街中に戻ったのではなくて、ヒースロー空港構内のホテルに泊まったのです。僕たちが日本に帰る飛行機は格安便で、朝早くにでますから、なるべく空港に近いホテルにしたのです。
エディンバラからロンドンまでは電車で5時間。長くて何事もない乗車でした。このころになると体調のよくない美紗さんは「早く帰りたい」とばかり言っていました。つわりの影響が大きかったようです。
空港ターミナルのなかにあるホテルに泊まったのは正解でした。「これで移動の心配がない」という解放感で、予想以上に気が楽になったのです。ここに着いて、美紗さんもだいぶ安心したようでした。
さて翌日は非常時のための予備日として取ってありました。帰りの飛行機に乗るのは翌翌日の5月14日です。つまり丸1日予定が空白の日を作っておいたのです。
どこにも出かけずにホテルの部屋で過ごしてもよかったのですが、メールで連絡を取っているうちに、ピーターさんがヒースロー空港から比較的近い植物園「キュー・ガーデンズ(Kew Gardens)」に行くことを勧めてくれました。また以前ロンドンで会ったピーターさんの友人のヘイゾルさんもやはりキュー・ガーデンズを勧めていました。なので僕たちは翌日に行ってみることにしました。
ホテルの案内係の人に聞いて、乗るべき地下鉄とバスはわかりました。さらにヘイゾルさんの友人であるダイアンさんが、行き方をより細かく教えてくれました。例えば「地下鉄の駅を出てから、道路の向かい側のバス停に行き、バスに乗る」とか「『キュー・ガーデンズ何々』というバス停がいくつかあるから、下りるバス停は運転手に聞いた方がいい」といったことなのですが、こういう細かいアドバイスが実際の移動にはとても役に立ちます。土地勘のない場所では些細なことがきっかけとなって迷いやすいのです。ダイアンさんには感謝です。
さてキュー・ガーデンズは1759年に始まったとても古い植物園で、しかも大きさは世界最大です。相当広大であり、僕たちはぐるりと歩いて回るのに約3時間半を要しました。それも全てのエリアに行ったわけではなくて、プラプラと散歩したような感じです。ちょっとやそっとの庭でないことがわかっていただけると思います。
天然の森のようにいろんな植物が植わっているところもあれば、鳥たちのいる池、芝生のグラウンド、果樹園、熱帯植物の温室などもあります。また一角には公園もあって、たくさんの子どもたちが遊んでいます。道を歩いている人たちも全体にとてもくつろいで晴れ晴れした表情です。ここはロンドン近郊の癒しどころと言えそうです。
唯一の難点は、ヒースロー空港のすぐそばなので、しょっちゅう轟音をたてて飛行機が頭上を飛んでいくことです。正直言ってかなりうるさいです。でもそれにも十分目をつぶることができるくらい、美しく人をのびのびさせる場所でした。
さあ、これで僕たちの全ての観光が終わりました。またバスと地下鉄を使ってヒースロー空港ターミナル5に戻りました。そしてロンドンの公共交通プリペイドカードである「オイスター・カード」も処分しました。もうあとは飛行機に乗り込むことだけです。
翌朝は5時に起きて荷造りをし、ホテルを7時前には出ました。飛行機は9:05発でしたから、時間的なゆとりはあまりありませんでした。空港内で検査もありますし、地下鉄を使って別のターミナルまで移動しないといけませんでした。空港が巨大なだけに、出発ゲートまで行くのにも時間がかかります。
手持ちのポンドをまた日本円に戻しても、高い両替手数料を取られるだけですので、美紗さんが空港内の免税店で化粧品など友人たちへのお土産をたくさん買いました。ポンドの現金は完全になくなり、いよいよあとは帰るだけになりました。
さあ、飛行機に乗りました。20分ほどして動き出しました。滑走路へ向かうというそのとき、美紗さんが言いました。「あれ? 滑走路から離れていく…」。たしかに飛行機は建物の方へ戻っていくようです。
機内アナウンスが入りました。だいたいしか内容はわからないのですが、どうも「天気レーダー」がうまく作動しないので交換しないといけない、それには1時間ほどかかる、ということのようです。機内で待っていないといけなくなったのです。
携帯電話は使えるとのことでしたが、美紗さんも僕も「海外パケット放題」は利用しませんでしたので、メールや電話もできません。ただボーッと飛行機が出るのを待っていました。1時間で終わる工事のはずがさらに延びて、結局出発までに2時間以上待たないといけませんでした。
それから続いて12時間のフライトです。帰りもやはりほとんど眠れませんでした。機内で映画を3本見ました。そのうちの1本がイギリスのホラー映画である『黒い服の女(The Woman in Black)』でした。とても後味の悪いエンディングで、映画を見てしまったことにがっかりして、より一層眠れなくなりました。
美紗さんもほとんど眠れていませんでした。疲労のためか、羽田空港に着く直前に美紗さんは機内で吐いてしまいました。このとき僕はビニール袋を用意はしたのですが、背中をさすってあげたりしなかったので、後で「医療者なのに冷たいね」と言われました。日頃患者たちと直接接している美紗さんのような看護師と違い、僕はいざとなったら体が動かないので反省しました。
羽田空港に着いたのは朝の6時くらいでした。12時過ぎの鹿児島行きの乗り継ぎ便までには長い待ち時間があります。空港内のベンチなどで休んだあと、うどん屋で朝ごはんを食べました。卵雑炊とうどんのセットでしたが、「やっぱり日本料理はだしがうまい」と思いました。海産物の微妙複雑な味わいを利用して、いろんな料理の奥行きある味わいが組み立てられているんですね。
あとはその日のことをあまり覚えていません。とにかくやっとの思いで人吉市の部屋にたどり着きました。そして寝ました。
さて帰国後まずしたことといえば、美紗さんの妊娠の確認でした。市販の検査キットで陽性。産婦人科でエコー検査をして、赤ちゃんの存在が確認されました。このとき知ったのですが、美紗さんは実は出発前にすでに妊娠していたのだそうです。ということは旅の間中、ずっと赤ちゃんといっしょだったということですね。
このことをメールで伝えると、Bさんもピーターさんもわがことのように喜んでくれました。友人たちから祝福を受けられるということはありがたいことですね。分かち合えば喜びは何倍にも増えます。
それから1ヶ月後のいまに至るまで、この旅の記録の作成を続けています。すでに書いた部分は整理してメールで送り、楢木祐司さんの手でお休みどころのブログに掲載してもらいます。また書けていなかった部分(主にイギリスの記録)は空いた時間を利用してちょこちょこ書き続けていきました。
「今回は英語バージョンの記録も書くんだろう?」とピーターさんから勧められていましたが、ここまで日本語で書くだけで精一杯でした。友人たちに読んでもらえないのが残念ですが、仕方ないですね。せめて友人たちの写った写真だけでも見てもらいたいと思い、ごくごく一部の写真をFacebookに掲載して英語で解説を書きました。
旅の記録を書き終えたら、Bさんとピーターさんからもらった写真データを整理して、そのなかから一部の写真をブログに追加するつもりです。Bさんはウィーン滞在の最後の2日間を撮ってくれましたし、ピーターさんはブライトン滞在の最初から最後まで撮ってくれました。素敵な写真もたくさんあるはずです。
それができたら、今度は旅のあいだにもらった資料を読むつもりです。Bさんからいただいた『Wittgenstein's Nephew(ウィットゲンシュタインの甥)』という小説だけは大半を読みましたが、他にも本や漫画やDVDがあります。自分で買ったE・M・フォースターの小説もあります。ずいぶん読むのに時間がかかりそうです。
今回の旅は、終わったようでいて全然終わっていない気がします。まだまだやるべきことがたくさんあります。出会った友人たちともメールやFacebookを使って連絡を取っています。直接会えないのは残念なことですが、こうして言葉や写真をやり取りできるだけでもありがたいことです。
今回の旅が僕にもたらしてくれたものは何なのでしょうか?一言で表せないくらいいろんな経験をすることができました。でも一番よかったことは、Bさんとピーターさんという2人の人に、じっくり接することができたことです。「2人にもう一度会いたい」という気持ちから始まった新婚旅行でしたが、やはり2人と時間をいっしょに過ごせたことが一番味わい深かったと思います。
結局今回の旅行は、人の出会いの不思議さと、友情のありがたみを感じるための旅だったのです。そして僕はそれを旅のあいだだけにとどめておきたくありません。これから生きていく日々のなかでずっと、今回の旅のように、不思議な出会いを重ねて新たな友情を育て続けていくこと。それが僕の人生の目標です。本来、人生そのものが旅なのです。
写真1〜4はエディンバラからロンドンまでの電車の車中から見えた風景です。美紗さんが撮影しました。4時間半の長い乗車で疲れましたが、景色は綺麗でした。
写真1 羊たちがいる牧場。
写真2 古い町並み。
写真3 海辺の家。
写真4 菜の花畑。
写真5 手持ちのグミ(緑色の袋)に加えてミネラルウォーターとポテトチップス(手前の赤の袋)を車内で買う。このポテトチップス「ウォーカーズ(Walkers)」にもお酢風味や玉ねぎ風味など味にいくつか種類があるが、この赤色の「レディ・ソルティド(Ready Salted)」味が塩味がきいていて美紗さんのお気に入りだった。
写真6 やっとロンドンの「キングズ・クロス(King's Cross)」駅に着いた。おもしろい形の建物。
写真7 キングズ・クロス駅から地下鉄に乗る。いくつもの路線が入り組んでいて非常にわかりずらい。今回は2回目なので路線図を見て「こっち方向だからこっちののプラットフォームだ」と進んでいけたが、初めてのときは完全に混乱した。
写真8 地下鉄の車内。強く揺れるし、短時間とはいえすぐに停電する。率直に言ってロンドンの地下鉄の乗り心地はよくない。
写真9 ヒースロー空港ターミナル5に隣接するホテル「ソフィテル(Sofitel London Heathrow)」 に着いた。やれやれこれで無事に帰れそうだ。
写真10 ホテルからまずは地下鉄「ピカディリー線(Piccadilly Line)」で移動。やっと地下鉄の乗り方や路線図の見方にも慣れてきた。
写真11 次にバス65番に乗り換え。2階席に座る。運転がかなり荒い。
写真12〜28は植物園「キュー・ガーデンズ(Kew Gardens)」で撮った写真です。1759年開園というとても古い植物園です。
写真12 キュー・ガーデンズの入り口。4つ入り口があるが、僕たちは「ヴィクトリァ入り口(Victoria Gate)」から入った。
写真13 なかは広大な庭園になっている。右手には池が見える。
写真14 熱帯植物が育てられている温室。
写真15〜16 温室のなかはすごく蒸し暑い。シュロや熱帯の花などがたくさん植えられている。
写真17 池で鳥たちにエサをあげる人たち。鳥たちも人を恐れずのんびりと過ごしている。
写真18 森のなかを歩くような散歩道もある。両脇には様々な植物や木々が植えられている。
写真19 また別の温室。砂漠の植物などを見ることができる。
写真20 蓮池にはピラニアの仲間やナマズがいる。
写真21 庭園を散歩していると気持ちがいい。
写真22 オリンピックの五輪マークに植えられた花々。
写真23 キュー・ガーデンズにはあちこちにカフェがある。ケーキ、クッキー、ポップコーンを食べて一休み。
写真24 シャクナゲ(Rhododendron)の花の前で。シャクナゲがたくさん植えられたエリアがあり、花々でいっぱいだった。イギリスではたくさんの種類のシャクナゲが育つようだ。
写真25 緑が鮮やか。
写真26 なぜか日本の古民家があった(Minka House)。日本の民家の再生を進める会の力で移築されたという。もとは愛知県岡崎市に建っていたそうだ。古民家はリサイクル・リユースの思想にかなっていたと書いてあるが納得。
写真27 林の合間のベンチで休憩。飛行機がしょっちゅう上を飛んでうるさいのが残念だが、それを除けばほんとうにリラックスできる場所だった。
写真28 日本庭園もある。1910年にロンドンの万国博覧会に出品された門と庭園を再生したという(Japanese Gateway)。日本の庭園文化が評価されたのだとすればうれしい。
写真29 またバスと地下鉄で帰る。ロンドンの地下鉄に乗るのもこれで最後。ロンドンのバス・地下鉄を利用するための料金支払いカードである「オィスター・カード(Oyster Card)」を返却する。返却すれば残額と預入れ金5ポンド(約600円)が返ってくる。残額がもうほとんど残っていなかった。今日の移動費にぎりぎり間に合ってよかった。
写真30〜31 ヒースロー空港ターミナル5のなかでも、さらに地下鉄で移動。とにかく大きな空港だ。
写真32 飛行機に乗って「もう日本に着ける」と安心したら甘かった。飛行機はなぜか滑走路の手前で引き返した。
写真33 「天気レーダーの異常が見つかりました。エンジニアに相談します」とのことでしばらく待つようにパイロットから指示がある。結局レーダーを付け変えることになり、2時間まつことになった。疲れる〜(美紗さん撮影)。
写真34 機中で美紗さんが吐いたものの、なんとか羽田空港に着いた。意外なことに羽田空港の国際線→国内線乗り継ぎは、ヒースロー空港よりもさらにややこしかった。写真は国内線ターミナルの一角のベンチで休憩しているときに撮ったもの。
写真35 うどんと卵雑炊の朝食セットを食べる。「こんな旨味の効いた味はイギリス食にはなかったね。ホッとする」と吐き気のある美紗さんも完食。
写真36 疲れ果ててベンチで寝る。
写真37 人吉市の部屋に帰ってきた。また引っ越しの片付けを再開しないと。
写真38 美紗さんと僕のスーツケース。僕のは車輪の走りが悪くなっている。旅の間がんばってくれた。
写真39 Bさんからいただいた資料。左から漫画『マウス(Maus)』、トーマス・ベルンハルトの小説『ウィットゲンシュタインの甥』、そしてモーツァルトのフリーメイソン音楽を集めたCD。これから少しずつ勉強していかないと。
写真40 ピーターさんが加工して作ってくれた写真。ロンドンのブルームズベリーで撮った写真だが、青い丸のなかが変えてある。内容は「興野康也、1976年7月14日生まれ、よい人々に囲まれて2012年4月にここを訪問する」。ちなみに僕の誕生日は7月15日だ(笑)。