藤田省三さんの追悼文
2011年6月12日(日)
今回は思想史家であった故・藤田省三さん(1927〜2003)のために僕と上島聖好さんが書いた追悼文をご紹介します。出版社の「みすず書房」が発行している雑誌『みすず』2003年10月号に掲載されました。
藤田省三さんは上島さんが師としていた人物で、1つの学問領域にとどまらない巨大な知性を備えた人でした。その主張は常に過激でありましたが、一方で保守派にもファンがいたそうです。派閥に頼らず、自分自身の思索をされていたからでしょう。
僕がお目にかかったのは晩年で、大腸ガン手術の後遺症などでかなり衰弱されていました。やがて転倒骨折を機に寝たきりとなられ、昼夜逆転や不穏や暴言が現れてきました。いまにして思えば「せん妄」状態です。
この時期、僕の医学の勉強のためにとの連れ合いの春子さんのご好意で、省三さんの病室の夜間付き添い介助をしたことがあります。そのときの様子が、僕の文章の内容です。
省三さんが亡くなられたのは、上島さんとグレッグさんと僕がお休みどころを始めた2003年5月1日の4週間後、5月28日でした。そのこともあり、上島さんの文章はお休みどころを作っていく様子が内容となっています。
省三さんが亡くなるまでに、上島さんはたくさんのやり取りを続け、また最後の2年近くは関東在住の友人たちに呼びかけ、省三さんの介護を支援してきていました。いまにして思えば、そういう支援ネット形成の様子も書いておいてほしかったと思います。
藤田先生の言葉を生きる
興野康也+上島聖好
藤田先生は死んでしまったが、先生から言われたことをしばしばおもいだす。先生がどこかにいるような気もちになる。
「君はほんとうにワガママで、運び人にもならないな」「どうして36度8分では熱がないと言いきれるのか」「理由を問うことは相手を規制すること」。2003年3月23日から29日、先生の夜の介助に行かせてもらったとき、病床の先生の言葉は珍妙新鮮で心をとらえられた。先生は完全に昼夜逆転で夜は目がランラン。腸閉塞疑いでなじみの病室を離れ、つねに興奮気味だった。人工肛門のウンチチェックを何度も指示され、深夜に数分に1回同じチェックのくりかえし。僕が閉口していると、先生の怒りの一閃が飛ぶのだった。
「やることが機械的。手続きを飛ばす。非常に危険」。先生が怒って発した言葉は、あとでおもうと当たっている。先生は悪口の達人だったとおもう。
病室を僕が出るとき、先生が敬礼の手つきをしておどろいたことがある。「上官は指先をやや丸く。下の者は指をピンとそらせて敬礼した」となつかしそうに言っておられた。先生ほどの戦争批判者はないと僕はおもってきたが、批判の相手はどこか遠くにいるものではなく、先生自身のからだにしみついたものではなかったのか。
「僕はずるいんだ。保守が必要なときは保守の良さを説き、革新が必要なときは革新の良さを説く」とも言っておられた。ずるさというよりも、先生は何事に対しても批判者だったとおもう。
介助を終えるまえ、「先生の著作を学びます」と言うと、「いやいや、ダメだよ」。たしかに先生の言葉は噛んでも噛んでも奥がある。茶目な先生をおもうとなつかしい。
*
2002年10月の終りに、先生を見舞った。
「先生は野性でもって学者の世界に立ち向かったんですね」というと、「おまえ、よくわかっているじゃないか」とにっこりした。
私は私の中心にでんといすわる野性を、先生になだめられてきた。
「論楽社は相互扶助の場だから」と三度京都にも話しに来ていただいた。
ならば、相互扶助とやらを生きてみよう。
言葉の種はそのときぽかんと私の中に植えつけられた。
だからおつれあいの春子さんが倒れ、先生が入院されたときも、「相互扶助の輪でたすけねば。先生、どこまでやれるか実験させて下さい」と即座におもいたったし、論楽社の相互扶助ハウス「お休みどころ」をこの5月1日、熊本県球磨(くま)郡水上(みずかみ)村に開いたのだった。
トルストイの翻訳者で、徴兵拒否者、北御門二郎(きたみかどじろう)さん(90)の住む平和の地が、ここ水上村。北御門さんから「お休みどころ」にと紹介された家は、球磨川源流近く、長年の廃屋であった。
むかしあったという天然林も杉林に変えられていて、通気も悪い。シカもイノシシも「横行」している。かてて加えて、捨てられた家というものは、再び住むに、じつに、困難である。
たとえば、いまは、ノミ。ノミの大発生。一歩外に出るだけでも、20匹は足にくっついてくる。足元見いみいこわごわと洗濯を干す始末。私は虫アレルギー。赤く腫れて飛火する。ずいぶんノミに血を捧げた。人は「バルサンをたいたらいい」と教えてくれる。
が、ちょっと待とう。
ノミと対峙すること。
困難の正体をみきわめること。
徹底的に困ること。
本や村の人との会話やらそれら言葉のきれぎれをつなぎあわせ、「ノミ忌避剤」をつくってみた。タバコの葉、トウガラシ、ニンニク、ヨモギなどを煮出し、木酢や焼酎を加えた簡単なもの。
結果はいまから。ダメだったら、次の手を考えてみよう。
この二、三日、蚊の多さに困っていたら、きょうは救援隊のヘリコプターのようにトンボが群れとんでいる。そのせいか、蚊も少ない。ノミともそのような接点はないものか。
先生の言葉を、からだを通して味わっている。
(おきのやすなり+うえじましょうこう 論楽社・相互扶助ハウス「お休みどころ」)