お休みどころ

こころの相談活動を作り続ける
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自宅の掃除 2019年10月13日(日)

   ここ数年は子ども支援の活動が特に忙しくなり、休日にも地域に出かけることが多かったでした。それはいまも変わらないのですが、子ども支援がある程度軌道に乗り、僕にも少し気持ちの余裕ができました。地域の支援者とのつながりが増えると、難しいケースでも多方面から検討できるので、解決していきやすいのです。
   振り返ってみると、出かけるばかりで自宅にいる時間が少なかったので、自宅の掃除が十分にできていませんでした。子どもたちが小さいこともあり、すぐに散らかりやすいのですが、とりあえずの片付けに終始してきた感があります。日常生活に支障はないのですが、大掃除の際にきれいにするような窓や壁や廊下などには全然手が届かないのでした。
   状況が変わったのは、美紗さんがポータブル掃除機を買い換えてくれてからです。以前美紗さんが買ってくれたものは充電器が弱く、ほとんど吸えなくなっていました。そこで新しいものを買ってもらったのです。自宅は子どものおもちゃが散らかっていたり、部屋数が多いこともあって、コードがあるタイプの掃除機は使いにくいです。ポータブル式なら歩きながらあちこち手軽に掃除していけるのでした。
   時間に迫られていない限り、朝に掃除機を1階と2階と一通りかけるのですが、かけてみてわかることもあります。〆舵漾∪面脱衣所、キッチン、寝室などにほこりが多い。長く過ごすところや食べるところ、着替えるところはゴミや毛が落ちやすい。∩歃機をかけても、30分ほどするとまたほこりが落ちている。おそらくほこりは家のなかを常に漂っていて、どんどん落ちてくる。A歃機ですべてきれいにできるわけではない。部屋のすみっこ、障子のさん、窓のまわりなど、細かいところには、綿棒や歯ブラシを使った方が掃除しやすい。ち歃をすればするほど、汚れが見えるようになる。関心を持てば、あちこち汚れている。チ歃をすると、家具の配置や部屋の使い方にも関心が向く。死んでいるスペースなどの存在に気が付く。
   掃除をしていると、いいこともあります。美紗さんがキッチンをきれいにしてくれ、キッチンの机で食事を取れるようになりました。いままではキッチンの雰囲気が古くさくて明るくないので、座敷に運んで食事をしていました。ですが美紗さんのお母さんからのアドヴァイスもあって、変更したのです。あわせて壊れた蛍光灯を変えたり、椅子の配置を変えたりして、よどんだ雰囲気から明るくてさっぱりした雰囲気に変えたのでした。これでお皿を運ぶ手間などがずいぶん省けました。またお祭りの金魚すくいで子どもたちが取った金魚たちを、美紗さんが水槽に入れて食卓の上に置いてくれましたので、きれいでかわいいです。食事がさらに楽しくなったのでした。
   小さな掃除を積み重ねると、意外な大きな変化につながることがあります。これは僕が取り組んでいる精神科の地域支援でも同じことで、うまく支援が進まないケースを1つ1つ整理して解決していくと、意外な大きな変化につながることがあるのです。最近では子ども虐待の地域支援に関して大きな動きがありました。まだ協議中ではありますが、養育困難ケースの解決に向けた実効的なシステムができる可能性があります。これも小さな支援の積み重ねのなかから出てきたことです。
   僕はいきなり新しいシステムを構想するタイプではありません。ですが難しくていまのシステムでは対応困難なケースにあれこれ工夫して取り組んで、そのなかからいまのシステムの不備であったり、もっと必要な体制を考えたりすることは得意です。つまり僕の場合は生産的であるためには、難しいケースにぶつかり続ける必要があるのです。これからも既存の医療・保健・福祉システムに乗らないようなケースへの対応に力を入れようと思います。あわせて自宅の小さな掃除も続けていこうと思います。

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体ほぐしについて 2019年10月16日(水)

   2003年にお休みどころを始めた頃には、心の相談だけでなくて、体をほぐす技法にも関心がありました。精神的な疲れを取るためには、体の緊張を和らげることも大事だと思ったからです。また体をほぐすことで、自然治癒力が高まるのではと思いました。
   まずは自分の体を柔らかくすることから学ぼうということで、故・上島聖好さんが好きだった体ほぐしの哲学「野口体操」の本を読みました。またオステオパシーという技法の達人の本『いのちの輝き  フルフォード博士が語る自然治癒力』(著:ロバート・C・フルフォード&ジーン・ストーン、訳:上野圭一、翔泳社、1997年)を読みました。どちらもとても深い内容で、さらに自分で取り組める柔軟体操も紹介されています。いくつか自分で選んだものを朝にしてみることにしました。ですが僕が体が堅いこともあり、なかなか体がほぐれる成果を感じることはできませんでした。
   その後精神科の仕事が忙しくなると、ストレスのせいかぎっくり腰に2回なりました。整形外科的には大きな異常所見はなく、はっきりした対策もわからないままでした。朝の柔軟体操は続けていたのですが、限界を感じました。そうして体ほぐしへの関心はしだいに薄れていきました。
   変化があったのは、1年ほど前からです。美紗さんが「ストレッチポール」を買ってくれたのでした。これは柔らかめの筒状の道具で、ポールの上に背骨を乗せるようにして仰向けに寝て、体を揺すってほぐします。僕は最初は効果があるのか半信半疑だったのですが、数ヵ月間ストレッチポールを使ううちに、肩甲骨がいままでよりも動くようになったと気がつきました。左右の肩甲骨を背中の真ん中に寄せることができるのです。以前はかばんを肩にかつぐ形で持つときに、急にグキッと痛くなることがありました。ですが肩甲骨の可動範囲が広くなると、なくなりました。何よりも肩こりが減り、さらにストレッチポールでほぐしたあとに床に横になると、気持ちがホッとして休めるのでした。  
   もう1つの変化は、トランポリンを使うようになったことです。息子の響が療育を受けるようになり、体幹を強くするためにトランポリンを買ってくださいと療育施設の方から勧められました。最初のうちは子どもたちが3人とも大喜びでピョンピョン跳んでいましたが、いまでは僕ばかりが使うようになりました。トランポリンは跳んでいるうちに体が揺すられるので、肩こりをほぐす効果が非常に強いのです。またストレッチだけでなく、全身運動にもなりますので、運動不足の僕には健康増進効果もあるはずです。大人になってからは運動をするのは難しいですが、トランポリンは天気に関係なく自宅ででき、かつ時間的にも短時間でできるところが魅力です。
   そういうわけで朝の柔軟体操の前に、まずはトランポリンを250回跳んで、それからストレッチポールを使うのが、僕の日課になりました。朝は起きるのが遅くなったり、子どもたちの世話などがあったりしますから、必ず毎日できるわけではありませんが、できる限りするようにしています。以前は体ほぐしの手応えを感じにくかったのですが、いったん成果を感じ始めると、急にやる気が湧いてきます。体ほぐしについて考えることが増えました。
   肩周辺がほぐれてくると、その影響なのか、骨盤周辺のほぐしが次の課題だと感じるようになりました。おそらく肩がほぐれて姿勢が変わると、その影響が腰にも及ぶのではないかと思います。猫背だったのが少しシャンと立てるようになったせいか、丹田に力が入り、お尻の筋肉が緊張し、股関節の凝りを意識するようになりました。
   体ほぐしの効果については主観的な面が強く、どのくらい一般性があるのかはわかりません。以前お世話になったヨガの先生が、「自分がぎっくり腰になったときにヨガだけで治そうとしたが難しかった」という話をされていました。また以前読んだ『腰痛のエビデンス』(著:菊地臣一、金原出版、2018年)によれば、整体やマッサージなどの代替療法の効果については実証的な根拠が不十分とのことでした。
   それでは意味がないかというと、そうではありません。むしろ気持ちを落ち着けたりリラックスするために役立つと思うのです。ヨガも歴史的には精神修養のために生まれてきました。体が柔らかいか堅いかということは大事ではなく、自分なりにほぐしていくなかで、くつろぎの状態を体験することが大事なはずです。
   現代社会は神経労働が中心になってきており、誰でもが精神的な疲労を抱えやすい状況にあります。日々の精神科の診療のなかでも、患者さんにストレス対処法やリラックス法を見つけてもらうことの重要性を感じる一方です。体ほぐしを続けながら、リラックス法のヒントを探していきたいです。脱力と緊張の両方をできてこそ、創造的な生き方をできるのでしょう。

 

写真1   ストレッチポール。この上に背骨を乗せるようにして仰向けになり、体を揺する。肩のまわりの懲りによく効く。

 

写真2   トランポリン。全身を揺すってほぐす効果があるうえに、運動になる。

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療育センターで話す 2019年10月29日(火)

   子どもの診療をしていてよくご紹介いただくのが療育センターです。熊本県の場合3ヵ所あり、県の南部は宇城市にある療育センターが担当しています。人吉球磨の場合も、未就学児については、保健師さんが健診や発達検査などで受診が必要と考えた場合には、ほとんどを療育センターにつないでいます。結果的に療育センターは新規受診の待ちが長くなり、全国的に半年程度と言われています。
   療育センターのドクターには僕もいろいろお世話になっています。I医師は人吉の発達相談外来をされていましたので、僕は見学して学ばせていただきました。また子ども支援チームの研修会でもお話いただきました。Y医師は地域の支援職とのグループワークに参加してくださいました。他のドクターとも子どもをご紹介いただくときに書面でのやり取りをしています。
   そういうわけでつながりが多く、いつか施設見学をさせていただきたいと思っていました。療育センターは多忙で3ヶ月以上予定が埋まっていますが、お願いしてやっと10月28日に訪問できることになりました。施設を見ることができれば、どんなふうに連携していけばいいのかが見えてくるはずです。
   またY医師から僕の支援活動について小児科のドクターに話してくださいと依頼をいただきました。いろいろ考えたのですが、お休みどころでの相談も含めて精神科の地域支援についてお話し、そのなかで成人の発達症の問題などを取り上げることにしました。お休みどころの活動を正面から講演するのは始めてですし、しかも小児科のドクター相手なので、どんな反応になるかは未知でした。かなり緊張し、資料作りにも時間とエネルギーを要しました。
   当日を迎えました。人吉市と宇城市は比較的近く、しかも療育センターは松橋インターを下りてすぐです。高速道路をかなりゆっくり走っても50分かからずに付きました。玄関でお会いしたY先生は看護師さんたちと熱く議論しておられ、エネルギッシュでした。そのあと互いの課題についてお話したのですが、時間がすぐに過ぎて見学は全くできませんでした(笑)。
   療育センターは県の三次医療機関であり、本来なら「かかりつけの小児科→圏域の二次医療機関→療育センター」という流れでつながるはずなのですが、低年齢の発達症の子どもたちについては、いきなりみんなが療育センターに殺到するために、新規受診の待機期間がなかなか短くなりません。地域の小児科や精神科がもっと診療を行う必要があります。ここが大きな課題で、Y医師も悩んでおられました。
   講演の時間になりました。意外なことに、ドクターだけでなくいろんな立場の職員さんたちが20〜30人ほど集まってくださいました。僕は初めての話なので時間配分がうまくいくかが心配でしたが、ちょうどうまく55分ほどで終わることができました。皆さん聞き入ってくださっているのがわかり、質問もあってうれしかったです。お休みどころの相談活動も肯定的に受け止められたようで、ホッとしました。
   そのあとも小児科のドクターが皆さん集まってくださり、連携のあり方などをお話できました。結局は小児科と精神科の役割分担が必要で、思春期の二次的な問題(暴力・ゲーム依存・引きこもり・自傷行為や自殺企図・窃盗・わいせつ行為など)については入院可能な精神科でないと難しいとのお話でした。療育センターのドクターたちから頼りにされていると思うと、とてもやりがいを感じます。
   施設見学は次回になりましたが、今度は病院の同僚たちと訪問させていただくことになりました。療育センターとのつながりが強まり、うれしい限りです。発達症の支援は1つの医療機関にとどまるものではなく、社会的な課題です。協力できる支援機関を増やして、多面的な支援をしていけるように努めたいと思います。

 


写真1   療育センターの外観。

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2019年10月日録1

10/1(火)   美紗さんは水槽3つで金魚を飼っているが、そのなかの1つの水槽が2匹だけで少しさみしかった。そこで熊本県熊本市にある「江藤養魚場 」に出かけた。鯉と金魚の卸売りをされており、一般向けの販売もされている。粒ぞろいの金魚たちがおり、しかも買ってかえった金魚たちがよく定着しているので、美紗さんは喜ぶ。お店の方もさいしょはぶっきらぼうかと思ったのだが、実はとても親切であり、尋ねれば的確なアドヴァイスをくださる。いままで何軒か行った金魚屋さんに共通しているのは、店主さんがシャイで口数が多くないことだ。金魚の養育はきめ細かな管理が必要であり、かなり忍耐強い人でないとつとまらないのだろう。
   友人のSさんと食事をした。建設業をされているが、それだけにとどまらない越境の精神を持っておられる。会うたびに僕はSさんのエネルギーに刺激を受けている。最近は地域活性化に集中的に取り組まれている。仲間たちと議論をされる部屋を見せてもらったが、場に活気を感じて気持ち良かった。現代のような転換期には、いままでの流れどおりに仕事をするだけでは先細りであり、人々のニーズを汲み取って新しい分野を模索していく人が成功するのだろう。Sさんはまさに時代が求めている人であり、建設という枠を越えた公共性の高い事業を実現していくのだろう。
10/3(木)   吉田病院の子ども支援チームでは年に数回「発達症勉強会」を開催している。体制の変更があったため、今年はやっと1回目を実現できた。開催は遅れたが、たくさんの同僚が動いてくれて、チーム力の高まりを感じられた。
   友人の社会福祉士である堂本英文さんが児童虐待の問題について話してくださった。実際に現場で支援に当たっている人の言葉には含蓄があり、総論的な話であったのにも関わらず、リアリティーを感じた。一人親・貧困・親の精神疾患などいくつかの要因が組み合わさり、養育が困難になり、その結果虐待の状態に至っているケースが多い。なので親の子育て支援を手厚くすることが、児童虐待を減らしていく上でもっとも大事なことだ。さまざまな実験を地域でしていく必要がある。
10/6(日)   息子の響が通うさざなみ保育園の運動会だった。毎週のように台風が来るが、その合間にうまく当たり、晴天だった。年少児だった去年は、まわりの動きについていけていない感じだった。今年はどうかと心配していたが、まわりにあわせて動けていたのでうれしかった。走りがゆっくりだったり、ダンスが不器用だったりはするが、問題ではない。響が力を出せて、喜びを感じているのがわかった。すごく成長している。
   また保育園の運動会のプログラムもとてもよくできていた。発達症の子どもは聴覚の過敏さを持つことがよくあり、運動会のピストルの音は不快さや恐怖を与える。ピストルではなく笛のような音がスタート音になっていた。さらに保護者が参加できるプログラムが多く、3世代リレーや玉入れなどに美紗さんの両親も参加できた。やすみやしずくが参加できるものもあった。美紗さんはPTA役員なので運営側で参加したが、PTA役員が参加できるものまであった。できるだけ来た人みんなに楽しんでもらいたいという運営の精神を強く感じ、幸せな気持ちで帰れた。

 

写真1〜2は熊本県の益城町にある中華料理店「ドラゴンキッチン」で撮った写真です。


写真1   お昼時には駐車場にとめきれなくなる。

 

写真2   子連れで行っても配慮があって過ごしやすい。

 

写真3   「イオン錦店」のフードコートで、たこ焼きを食べながらごきげんのしずく。

 

写真4   保育園の運動会で走る響。去年よりも走れるようになっていた。

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2019年10月日録2

10/8(火)   上球磨の認知症初期集中支援チームに参加した。参加メンバーに熱心な支援者が多いので、個々のケースの解決法を検討するなかで、自然と地域課題が見えてくる。既存の医療・保健・福祉・介護などのシステムではうまく対応できないような困難事例も、「こういうふうにいまのシステムでは足りないんだ」と見抜けると、解決法が見えてくる。ただやみくもに支援しようとすることよりも、「なぜこのケースが支援困難になっているのか?」をじっくり考える方が、結果的にはケースへの支援になるところがおもしろいところだ。困難なケースほど、本質を突いた見立てが役に立つ。
   お休みどころで相談を受けた。仕事や生活の大きな変更を含む「人生の岐路」では、先が見えないので視野が狭くなりやすい。少し大きな視点で見てみると、目の前に意外なチャンスがいくつもあることが多い。迷いの場面ほど、視点の切り替えのための時間や仲間が必要なのだと思う。
10/9(水)   人吉市にある青井阿蘇神社のお祭りである「おくんち祭(まつり)」があった。平日なので僕は祭りのことを忘れていて、普通に午前午後に地域支援の仕事を入れていた。でも人吉市内は小学校も休みになり、子どもたちは参加を楽しみにしていたので、昼の合間に家族でお祭りに出かけた。出店で買ったものを食べたりするくらいなのだが、人が多くて活気があるので、子どもたちは高揚していた。お祭りは地域の人々の凝集性を高める古くからの仕組みなのだろう。どうやって現代人の心にも響くお祭りを作るかは、地域活性化のための大きなテーマなのではないだろうか?
10/12(土)   日本自閉症協会が発行している冊子『いとしご 178号』(日本自閉症協会発行、2019.9.8)が届いた。特集が「お金と幸せ 〜親なき後の子どもの幸せについて〜」となっていて、成年後見制度のいい面と悪い面について親と支援者の双方の立場から議論されていた。いい面としては、親が亡くなっても子どもが金銭管理や手続き代行をしてもらえることがある。つまり生活の根幹は守られる。一方で悪い面としては、いまの後見制度は財産保護に力点がありすぎて、「お金を積極的に使って本人が幸せを味わう」という視点に欠けていることがあるそうだ。つまり今後は本人の幸福度をどうやって高めていくかを制度の目標に置かないといけない。精神科の支援においても最近は本人の幸福度を高めることが目標になりつつある。現代においては「幸福とは何か?」「それをどうやって実現するか?」を考えることが大事なテーマなのだろう。
   山形県の農民詩人である齋藤たきちさんが亡くなられた。妻の幸子さんがギリギリまで自宅でお世話をされていた。たきちさんが愛した富神山(とがみやま)の麓の地で、ゆっくり過ごされた時間は、働きづくめだったたきちさんへのご褒美だったのかもしれない。農協から自立した果樹農家として、産直のすばらしい果物を届け続けられた。それに加えて文学・芸術・歴史・教育などの分野で活動された。交友も大変広く、たくさんの優れた若い人を励まされていた。僕の先生に当たる人がまた亡くなられてしまった。政治などに絶望しながらも、いつも若い人たちに期待されていた。たきちさんの後を受けて、地方から世界を変えるような新しい視点が生まれるのではないか。
10/13(日)   球磨支援学校の文化祭である「くましえん祭」に家族で出かけた。例年参加しているが、ますます参加者が多くなっており、ややパニックに近いぐらいの混雑ぶりであった。販売もゲームも生徒たちが案内する形であったが、人が多すぎて落ち着かなくなる子もいた。カレンダーなど紙作品もほとんど売り切れていた。地域の発達症支援のセンター的な役割が支援学校には期待されている。文化祭の活気は、ニーズの高まりを反映しているのではないかと感じた。

 

写真5   人吉市の青井阿蘇神社の「おくんち祭」にて。子どもたちはおみくじを引いた。

 

写真6   お祭りの金魚すくいで子どもたちが取ってきた金魚を、美紗さんは水槽に入れてキッチンに置いた。

 

写真7   人吉球磨の秋から冬の朝は、霧が濃くなる。

 

写真8   冊子『いとしご 178号』(日本自閉症協会発行、2019.9.8)。特集「お金と幸せ 〜親なき後の子どもの幸せについて〜」がとても充実していた。本人の幸せにつながる金銭管理とは何か?

 

写真9   球磨支援学校の文化祭「くましえん祭」。写真には写っていないが、大変な混雑ぶりだった。

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2019年10月日録3

10/16(水)   地域産業保健センターの産業医として、3つの事業所を訪問した。下水処理関係やコンクリート製造関係の事業所だったが、従業員の数も事業所の広さもさまざまで、「地域には自分の知らない仕事がたくさんあるんだ」と感じた。従業員が50人以下の事業所では産業医を専任する義務がなく、産業医が支援に入れる機会はほとんどない。また従業員の健康管理をどのくらいするかは、事業所によってかなり温度差があるのが実状だ。産業医の訪問を依頼してくださる事業所はありがたい。「来てもらって良かった」と感じていただけるように、産業保健の実践的な知識を持たないといけない。
10/18(金)   息子の響が「危険生物」にはまっている。特にクモやワニが好きだ。毒ヘビにも関心があるので、実際に見せてあげたいが、爬虫類の展示は動物園でも比較的少ない。情報を探していると、群馬県に「ジャパン・スネークセンター」があることがわかった。ホームページを見てみると、響の好きなブラックマンバなど珍しい毒へびも展示されているそうだ。また『ヘビの世界』(発行:日本蛇族学術研究所、2005年)という冊子も注文できるそうなので、さっそくホームページに書き込んで注文した。すると4歳の子どもには『ヘビのひみつ』(著:内山りゅう、ポプラ社、2009年)の方が合うのでは、とアドヴァイスをくださった。応対の丁寧さに感銘を受け、『ヘビの世界』も注文した。学術的な内容になっているが、響は喜んで持ち歩いている。ヘビ好きな人たちの熱いサークルがあるんだと知った。いつかスネークセンターに響を連れていってあげたい。
10/19(土)   やすみが朝の7時過ぎに小学校に出発する。僕は近くまで送りに行くが、響としずくもいっしょに行くようになった。そのまま近所を歩いて、朝の散歩にしている。ミンキーという人懐こい犬を撫でたり、ジョロウグモの巣を見つけたりしている。栗園で収穫しているおじいさんから、子どもたちが栗の実をいただいたこともあった。きつい登り坂が帰りにあるのだが、響は僕に競争しようと言ってくる。走りは決して速くはないが、ずいぶん体力がついた。毎日のささやかな散歩だが、近所の人たちと顔なじみになれたり、得るものが大きい。散歩には運動になる以上に、地域とつながる効果がある。
10/21(月)   美紗さんのお姉さん宅に遊びに行かせてもらった。お姉さん夫婦は共に子ども好きで、やすみたち3人をかわいがってくださる。子どもたちにとって、いっしょに遊んでもらえる大人の存在ほどうれしいものはないし、親にとっても非常にありがたい。普段会わない人と遊ぶなかでこそ、社会性が育つからだ。
   翌日にはお姉さんといっしょに鹿児島市の「平川動物公園」に出かけた。響がワニやカバを見れてとても喜んでいた。ただ動物を見ること以上に、美紗さんのお姉さんといっしょに楽しいことをしたということがうれしいようだった。家族だけで動物園に行くのとは全く違う。いっしょに遊んでくれたり、見守ってくれる大人がいてこそ、子どもたちは成長できるのだろう。
10/30(水)   市町村のこころの相談と認知症初期集中支援チームに参加した。どちらも保健師さんと相談しながら困難事例に取り組むのだが、これが自分の原点なんだと思う。困ったケースの支援に取り組むと、自然といまの支援システムの限界が見えてくる。そうすると「こうなればいいのだが」という理想の未来像も見えてくる。難しいケースに当たれば当たるほど、知恵が湧いてくる。未来に向けて少しずつでも踏み出すためには、困難事例と出会うことが必要だ。

 

写真10   多良木町の公園で他の子と遊ぶ子どもたち。みんなで協力して大きな石を土のなかから掘り出した。

 

写真11   人吉市の村山公園にて。子どもたちは高い斜面を登れるようになった。

 

写真12   朝の散歩。人吉市の中心部を見下ろせる。

 

写真13   『ヘビの世界』(発行:日本蛇族学術研究所、2005年)。「ジャパン・スネークセンター」に注文すると送ってもらえる。学術的な内容がわかりやすく書かれている。

 

写真14   鹿児島県鹿児島市の「平川動物公園」にて。モイスチャーミストの前で遊ぶ子どもたち。

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看護学校の講義を準備する 2019年9月8日(日)

   もともと学ぶことも教えることも僕は好きです。子どものころに小学校で学ぶことも基本的には好きでしたし、中学校のころは塾で学ぶのが楽しかったので、塾の先生になりたいと思っていました。自然科学が好きでしたので、高校を卒業する頃には自然科学の先生になろうかと思いました。大学生のときには教員過程を受けようかと考えたのですが、なぜか受けませんでした。そしていまに至っています。
   ただ教えるのがうまいかと言われれば、あまりうまくないと思います。塾での個人指導の経験が少しだけあるのですが、受験勉強の成績が上がったと言われたことはありませんでした。ですが教えるなかで、相手が自分のほんとうにやりたかったことを見つけて進路変更することはよくありました。ですので僕は受験勉強のような決まった枠組みのなかで教えることよりも、相手を刺激して創造的に考えてもらうことの方に向いているのではと思います。
   さて、精神科医になってからは教える機会はないと思っていましたが、意外なことにそうではありませんでした。鹿児島の伊敷病院に勤めていたときには、2つの看護学校に精神科の講義に行きました。どちらも教えがいがあり、生徒さんたちも質問をたくさん出してくれました。卒業してから精神科に進んだという人たちのことも聞き、うれしく思っていました。
   人吉市の吉田病院で働くようになってからは看護学校に行く機会はありませんでしたが、地域で講演をするたくさんの機会に恵まれました。これも広い意味での教育活動で、結果的に地域に支援者の仲間がたくさん増えました。聞き手が一般の方か専門職かで話の細かさは変わるのですが、内容は本質的には変わりません。地域で人々がどんなことに困っていて、それに対して精神科の分野からはどんな支援ができるのか?ということをさまざまな切り口から話すだけなのですが、やってもやってもまだ奥の深さや広がりがあるのでした。背景には、現代が精神科への社会的ニーズが非常に増大している時代であることがあると思います。
   そこへまた、看護学校で講義してほしいとの依頼が舞い込みました。僕が鹿児島で初めて講義に行った学校で、10年以上ぶりになります。美紗さんの友人が教員として勤めているので、推薦してくれたそうです。とてもうれしく思いました。
   ただ一方で、鹿児島で教えに来てくれる精神科医が見つからないということでもありますから、寂しいことでもあります。教えることは自分の知識や経験を体系付け、客観的に見直す機会を与えてくれますので、診療の実力向上に必ずつながります。また教えるための資料を作る際にはいろいろ調べますので、勉強になります。というか教えないと忙しさに流されて全く勉強しないというのが実情です。ぜひ教えることに興味を持つ精神科医に増えてほしいと思います。
   残念なことに教えるコマ数は減っており、以前は8回ぐらいで話していたところを、5回で話さないといけなくなりました。通常精神科の講義は、歴史から始まり、精神症状や症候群、検査、疾患、治療、その他の支援、社会的な課題と進んでいきます。ですが5回ではとても話せませんので、いま精神科での支援が社会に必要とされている分野にしぼることにしました。
   具体的には,Δ追造反場のメンタルヘルス、認知症とその困難事例、H達症と子ども支援、ぐ預絃匹伴匆駝簑蝓↓ヅ合失調症と精神科リハビリテーション、の5つです。これらは比較的新しい分野であり、まさにいま支援体制ができつつあるところです。精神科という分野が社会問題に直接関与できること、また生きて変化を続けていることを感じてもらいたいです。
   講義をするだけでは生徒さんたちとほとんど触れあえませんが、生徒さんたちの関心や考え方を聞いてみたい気持ちもあります。普段10代後半から20代の人と話すことは多くありませんので、興味があります。学ぶ意欲がある人は誰でも精神科分野に来てほしいです。そして議論しながら仕事ができればうれしいです。ぜひいっしょに盛り上げていきましょう。

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自分の気質について 2019年9月10日(火)

   精神科の診療をしていると、自分自身も精神疾患があるのではと感じることがよくあります。僕は自己暗示にかかりやすいようで、そのときどきに熱心に診療している精神疾患が自分にもあると思ってきました。ある時期には統合失調症、別の時期には摂食障害、さらに別の時期には境界性パーソナリティー障害という具合です。たしかに自分にも共通する要素はあることはあるのですが、それ以上の発見には至らず、時期が過ぎれば忘れてしまうのでした。
   ところがADHD(注意欠如多動症)については「いままでとは違う」と感じています。自分の性質をよく説明できるのです。さらに自分が抱えやすいストレスや、その対処法まで理解することができます。つまり自分の性質をより包括的に理解できるのです。なので僕の本質にはADHDの傾向があるのだろうと思っています。また職場の同僚も強くそう思っているようです(笑)。 
   ADHDは「神経発達症」と呼ばれる精神疾患のグループの代表的なもので、子どもに多くみられます。気が散りやすかったり片付けが苦手だったりする「不注意」、ジッとするのが苦手で待つのを嫌う「多動」、思い付いたらすぐにしてしまい対人トラブルになりやすい「衝動性」が中心となる症状です。一般的には年齢と共に軽減していくことが多いのですが、なかには大人になってからも症状で困られている方もあります(うっかり間違いが多い、整理整頓が苦手、頻回の転居・転職・交際変更、カッとなりやすいなど)。薬物療法の有効性が高く、学校での課題が大きいときなどに投薬も行われます。
   ADHDに限らず発達症全般に言えることですが、診断基準でスッパリと病気のあるなしが分けられず、病気の重い人から軽い人まで連続的に存在しています。なので「傾向はあるけど、診断までには至らない」というグレーゾーンのケースが多数おられることになります。病状が軽い方については、病気というよりも性格として考えられることが多く、病気と性格の間にもはっきりした一線を引くのが難しい面があります。なので適切に考えれば自分の性格と考えていたものを掘り下げるきっかけになりますが、いい加減に議論すればてきとうな「占い」めいたものにもなりかねません。そこが難しいところです。あくまでも臨床経験が豊富で、かつ相手のためになる文脈で考える専門家が、分析することが大切だと思います。
   さて僕自身にどのあたりが当てはまるかということですが、以下の点です。々ゴ饋瓦強くてチャレンジを好む。型にはめられるのを嫌い、特にていねいに手続きを踏むのが苦手。ジッとしているのを好まず、動きながら考えることが多い。ぢ犇を非常に嫌い、刺激を求める。チ蠎蠅話しているときに話を割って始めてしまうことがよくある。ΔΔ辰り間違いが多い。忘れ物や無くしものをしやすい。
   そして上記のような特徴に対する対処法も以前から自分なりに工夫してきています。〇廚ど佞い燭海箸簍兒は、極力その時に済ます。後回しにすると忘れやすいため。⇒縦蠅篭卜詫縦衂修暴颪込んだり、メモに書く。財布や携帯、鍵などの大事なものは、定位置を決めて、いつもそこに戻す。す岷蕕了駑塑遒蠅覆匹呂任るだけ早めに済ませる。ゥ好肇譽垢録佑墨辰靴燭蟒颪い燭蠅靴董△覆襪戮発散する。ΔΔ辰り間違いをした際にはすぐに謝る。Г任るだけ余分なものは持たない。┸佑諒が上手なことは人に頼む。手続きやお金の管理も苦手なので妻に助けてもらう。
   別にADHDがあろうとなかろうと同じなのですが、「自分の得意・不得意を把握して、得意なところは伸ばし、苦手なところは人に助けてもらう」ことが大事だと思います。僕の悪いところはせっかちなことで、すぐに結論を出したがるところです。公私ともに「急がずに待つ」ことを求められる局面があるのですが、そこは家族や同僚・友人と話しながら自分を抑えています。
   結局どんな性格傾向であっても、まわりの人の意見を参考にできれば、大きな問題にはつながりにくいのではないでしょうか。逆に話したり相談することが苦手だったり、またそういう相手がいなかったりする人の場合、窮地に陥りやすいのではと思います。僕は精神科の立場から、相談相手になれればと思います。相談して客観的に見た意見をもらえれば、窮地を脱却できることも多いと思うのです。

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2019年9月日録1

9/1(日)   週末はずっと病院勤務だった。疲れるが、教科書を読んだり、講演の資料を作ったりする貴重な機会でもある。病院での治療も、地域で講演することも、たえず新しい知識を要求するので、本を読んだり調べたりしないとクリアできない。学ぶことと、実際に治療することと、人に教えることが同時進行で回っていく。難しいケースを担当したり、いままでしたことのない講演を依頼されたりしないと、僕は勉強しないので、追いたてられるのもありがたいことだ。趣味の時間が取れなくて残念だが、僕にはちょうどいいのかもしれない。 
9/3(火)   娘のやすみが「短歌を作る」という宿題を持ってきた。やすみが作れるようにサンプルを作って説明した。「朝ごはん   パパが横から   うるさいな   ペチャペチャしないで   肘つかないで」。実際に感じたことを言葉の形にするのは、昆虫の標本作りのようでおもしろい。でもやすみは人生を言葉にすることよりも、生きることそのものの方がおもしろいようだ。「やすみちゃん   朝の坂道   駆け出した   競争しようよ   パパ早くおいで」。
   僕が嘱託医をしている児童発達支援センター「スイスイなかま」の健診に行った。慣れにくさ・対人緊張・言葉の理解の苦手さ・集団活動の苦手さなどを持つ子どもが多く、プログラムは個別での活動が中心になっている。印象的だったのは、子どもの支援に積極的な保護者が多かったことだ。たしかに療育機関の数が少なく、質もまちまちなので、いい療育を受けられることは、贅沢という面がある。療育は発達症を持つ子どもたちの将来の学習・生活・就労につながることなので、公共性が高い活動だ。ただスタンダードがはっきりしていない面があるので、費用対効果についての研究が進むといいと思う。
9/4(水)   映画『ヴァレリアン  千の惑星の救世主』(監督:リュック・ベッソン、2017年、フランス)のDVDを観た。とてもおもしろかった。ただストーリーはありがちなものの組み合わせだし、陳腐と言えば陳腐だ。コンピューター・グラフィックがすごいが、それだけではつまらないだろう。おもしろいと感じさせるものは何なのだろう?やはり作り手の情念のようなものが映像ににじみ出ていて、それがこちらの気持ちをつかむのではないだろうか?創作の秘密は「作者が心の底から作りたいものかどうか?」というところにあるのではないか?
9/8(日)   あさぎり町にある美容室「レッドヘア」に家族で髪を切りに行った。2ヶ月に1回くらいしか行けないので、髪がだいぶ伸びている。美容師の林田直樹さんは淡々とした人柄だが、芸術性が高い方なので、毎回家族それぞれの印象が変わる。美容師には人間の雰囲気を作り出す力があるのだとわかる。お母様の咲子さんが子どもたちを遊ばせてくださるので、子どもたちも楽しみにしている。僕にとっては疲れを出して力を抜いて過ごせる「お休みどころ」だ。くつろがせてもらえる場所は貴重だ。自分がリセットされる気がする。

 

写真1   あさぎり町にある美容室「レッドヘア」にて。美容師の林田直樹さんに髪を切ってもらう響。

 

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2019年9月日録2

9/10(火)   認知症の困難事例の支援チームで話していると、本人の病状や家族の状況に加えて、地域の助け合いの文化力が状況を左右するとよく感じる。この助け合いの文化力はなかなか数値化することが難しいが、地域住民が病気や災害など困った状況に陥ったときに、どのぐらい安心して過ごせるかに直結する。僕が住んでいる人吉球磨地域は平均所得などで見ると生活水準が低い地域だが、セイフティネットの力は大きな地域で、文化度も高い。今後は目に見えない助け合いの力が地域社会の盛衰を決める要因になると思う。
9/11(水)   息子の響は好きなことに没頭するところがあり、最近はクモにはまっている。普段から図鑑をよく見ており、寝るときも図鑑を枕元に持っていくぐらいである。まさに「クモ博士」だ。自宅の庭や近所で見かけるジョロウグモやオニグモを熱心に見ている。クモの名前を覚えることからカタカナを覚えたりしているので、熱中するのはいいことだ。人はそれぞれ自分なりの学び方があるし、好きなことを集中的に学ぶのがいちばん身に付くのだろう。
9/13(金)   娘のしずくは2歳だが、「なんで?なんで?」の時期になった。例えばバッタの話をしたときにも、「バッタってなんの意味?」と聞いてくる。「ピョーンって飛ぶ虫だよ」と言うと、「ピョーンってなんの意味?」と返ってくる。そうすると、ささいな質問でもどんどん哲学的になり、答えるのが難しくなる。「なんで?」と繰り返し考えていくだけで深みに至るから驚きだ。もちろんしずくは意味はよくわからずに質問をしているのだが、疑問を持つことは学ぶことの核心だ。僕たちは普段は気づかないが、いろんなことをはっきりとは知らないままに過ごしている。疑問は自分がいかに知らないかを明らかにしてくれる。娘の言うことに教えられている。
9/17(火)   認知症の初期集中支援チームの懇親会があった。人吉市の場合、医療スタッフ以外には、主に地域包括支援センター・社会福祉協議会・警察が参加している。精神科病院と警察の接点は年々増えているが、普段スタッフどうしで話す機会はほとんどない。話してみてわかったことは、警察の業務でも予防的な早期支援の重要性が高まっているということだ。犯罪が起きてから取り締まるだけではなく、犯罪につながりうる状況を発見したら、問題を整理したり支援機関につないだりする。それが結果的には大きな犯罪の減少につながる。医療においても司法においても、予防や早期介入が求められているところは同じなのだと思った。

 

写真2   自宅でゴムボールで遊ぶ響。

 

写真3   宮崎県都城市のボルダリング店でけんめいに登るやすみ。1時間も挑戦し続けられたので驚きだ。

 

写真4   人吉市にある「人吉鉄道ミュージアムMOZOCAステーション868」で遊ぶしずく。子どもが遊べる場だが、内装がとても美しいので大人も安らげる。

 

写真5   熊本市にあるボルダリング店「クライミング・パーク」にて。やすみは喜んだ。

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