お休みどころ

こころの相談活動を作り続ける
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京都アニメーションの放火事件について 2019年8月3日(土)

   7月18日に起きたアニメスタジオ「京都アニメーション」の放火事件については、当初は一般的なニュースとして見ていました。最初に強く反応したのは美紗さんで、亡くなられた方の多さ(35人以上)や犯人についての情報などを調べて、僕に教えてくれました。あくまでもインターネット上の情報が主体ですのではっきりしたことはわかりませんが、犯人には精神疾患があった可能性があると思いました。
   昔から言われていることですが、精神疾患のある人たちの犯罪率は一般の人々の犯罪率よりも低いです。ですがニュースに取り上げられる事件のなかには、犯人に精神疾患がありそうだと感じるケースもあります。近年では例えば2016年の「相模原障害者施設殺傷事件」(19人の殺人)や、2018年の鹿児島県日置市での殺人事件(5人の殺人)があります。これらの事件に関しては、精神科の地域支援がもっと手厚ければ防ぎ得たのではないかと感じます。
   精神疾患を持つ人の犯罪率は高くはありませんが、なかには支援が遅れて状態が悪化し、犯罪を犯してしまう人もいます。この問題について、精神科医療の側から対策を打つべきだと思います。実際に犯罪が起きてしまったあとの対処に関しては、「医療観察法」に基づく支援が制度化されており、かなり進歩しています。精神疾患を持つ人が重い犯罪を犯し、医療観察法の枠組みでみていくことになれば、医療と司法の合議体で処遇を決めていくことになります。また専門性の高い病棟に1〜2年ほど入院し、退院後も数年は指定通院医療機関に通院することが義務付けられます。そしてフォローアップ体制を作ったうえで一般的な精神科医療機関に引き継がれることになります。ある程度長い期間、手厚い支援を受けることが公的に保証されるのです。   
   実際に犯罪を犯さなくても、「自傷他害のおそれ」のある状態のときに強制的な入院になる「措置入院」という枠組みも精神科にはあります。こちらは従来は退院したあとの支援は決まっていなかったのですが、「相模原障害者施設殺傷事件」のあとに議論が深まっています。保健所を中心に多職種で会議をしながら支援していく流れになっています。
   このように犯罪やかなり大きな問題行動に至った人たちの支援は手厚くなりつつあるのですが、いちばん大切なのは「そこまでではないが、精神状態や社会生活に問題がある」というケースの支援だと思います。どの地域にも「精神科的な問題があり、明らかに支援も必要だが、支援機関につながっていないケース」というものがあり、保健師さんたちが困っていることが多いです。こういったケースに対して、精神科スタッフは「まずは病院受診をしてもらわないとどうしようもない」というスタンスで対応することが多いのですが、地域で面談したり訪問したり、何らかのアプローチをはかることが大切です。多少でも関わっておけば、状態が悪化した際にも支援が入りやすくなると思うのです。今後はもっと地域での早期支援の枠組みが模索されていくでしょう。
   京都アニメーションに話を戻すと、僕の関西の実家に帰るときに行ってみたいと美紗さんが言いました。行けるチャンスがあるかどうかはわからなかったのですが、友人と京都府の宇治市で夕食会をすることになり、そのあとに急きょ訪問することにしました。最初は間違って本社に行ってしまいました。建物が住宅街のなかにあるのでスタジオという感じがしないです。21時頃でしたが明かりがついていました。寄付だけしてきました。
   そのあと火災にあった第一スタジオに行ってみました。こちらも住宅街のなかの建物です。警察の方が捜査中で近くには行けなかったのですが、燃えてしまった建物が少し見えました。献花の場所が道路沿いにあり、祈っている人たちが見えました。
   関係があるかはわからないのですが、このあと道を間違えてしまい、細くてわかりにくい路地に入り込んでしまいました。さらに道は細くなり、山越えで滋賀県の実家に帰ることになってしまいました。離合が難しい山奥の道が延々と続き、「ほんとうに無事に帰れるのかな」と娘のやすみも不安がっていました。ですがなんとか実家に帰れました。
   数日後、母と話していて、「京都アニメーションのアニメの聖地に行ってみよう」という話になりました。「豊郷(とよさと)小学校旧校舎群」の建物が『けいおん』というアニメの舞台のモデルになったと考えられているそうです。母も含めて家族で出かけたのですが、豊郷町は琵琶湖の北部の田園地帯にあり、かなりのどかです。ここにアニメ好きの人が集まるというのは不思議な気がしました。
   着いてみると、すごく美しい建物です。学校の校舎というと「無機的な箱」のイメージなのですが、別荘や地域のコミュニティ・センターを連想させるような清潔感のあるたたずまいです。あとでわかったのですが、ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(1880〜1964、建築家・社会活動家・宣教師)の設計による建物でした。友人のグレッグさんが研究していた人物ですので、僕も知っていました。滋賀県の近江八幡の地に理想郷を作ろうと奮闘した人で、いまでも多数の建築物や病院・高齢者施設などが残されています。グレッグさんもお休みどころを理想郷にしようと応援してくれましたが、ヴォーリズの活動をイメージしていたのでしょう。「ヴォーリズ自身は自分は(理想郷の建設の)失敗者だと思っていた」とグレッグさんは言っていました。ヴォーリズの理想は実現しなかったのかもしれませんが、人々のためになるものというのは理想が崩れた残骸のなかにあるのかもしれません。
   豊郷小学校は老朽化で閉校になり、いまは地域の公的な建物として使われています。例えば老人会やシルバー人材センターや子育て支援センターなどが入っています。母の話では建物を取り壊すかどうかで地域住民が二分して争ったそうです。そのような苦闘があって、いま残されているわけですが、そこにアニメ好きの人たちがたくさん訪問しています。喫茶店やグッズ販売店まででき、町の主要な観光地になっています。いまにして思えば「なんでこんなに大事なものを壊そうとしたのだろう?」という感じですが、試練があったのですね。
   豊郷小学校の一角の喫茶スペースでお昼を食べました。地域の人の手作りのお寿司やタコライス、バーガーなどがあり、とてもおいしかったです。京都アニメーションの方角に向けて、たくさんの献花が並んでいました。僕たちの滞在中にも、若い女性の方が花束を捧げていかれました。
    僕自身はアニメーションを見て育ってきましたが、これほど深くアニメーションを愛する人たちがいて、「自分がアニメに支えられた」と感じていることに驚きました。京都アニメーションの作品は多くの人にとって心の奥の大事なものになり、地域おこしの方法にまでなっています。これこそ芸術の力だと思いました。科学技術文明が進めば進むほど、人は自分に固有の人生の物語を求めます。アニメーションはその物語を提供できる方法の1つであり、場合によっては「生きる意味」さえも提供できるのでしょう。アニメーションの力がいかに大きいかを人々に知らせたのが、今回の事件にもし意味があるとするなら、そのほんとうの意味なのかもしれません。京都アニメーションのスタッフの皆さんのすばらしい仕事に心から敬意を抱きました。

 

写真1〜8は滋賀県の豊郷町にある豊郷小学校で撮った写真です。

 


写真1   アニメ『けいおん』に関連するグッズが展示されている。

 

写真2   たくさんの花束やメッセージが京都アニメーションの方角に捧げられていた。

 

写真3   豊郷小学校の校舎。

 

写真4   廊下や階段も広々していて美しい。

 

写真5   講堂。教会を思わせる造りだ。

 

写真6   昔の電話を子どもたちはおもしろがっていた。

 

写真7   池にはコイが泳いでいる。

 

写真8   喫茶スペースでお昼を食べた。手作りのお寿司やタコライス、バーガーがあった。

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2019年8月日録1

8/1(木)   滋賀県の両親宅に滞在した際に、おいやめいといっしょに遊園地「ひらかたパーク」に出かけた。大変な暑さの日で、遊具を回るだけでグッタリきてしまった。午後にはプールに入った。流れるプールやスライダーなどがあり、子どもたちは喜んだ。たまたま急に雷雨が襲い、屋内避難になった。狭い屋内に多数の人々が殺到して、騒然となった。スタッフは慣れていない様子で、動きがバラバラだった。30分ほどで雷雨は去り、晴れ間が戻ったのだが、なかなか再開の判断が下らずにヤキモキさせられた。危機対応に組織の力が表れるのだと感じた。
8/2(金)   兄も両親宅に来てくれて、久しぶりに会った。兄は精神科医をしているが、職業柄とてもサポート的に人と接するところがある。響と遊んでくれたり、響のよくわからない話(ウンコとかオシッコばかり出てくる)に長時間聞き入ってくれたりした。響は「自分の存在が認めてもらえる」と感じたようで、兄から離れなかった。兄が帰ったあとにも響は誇らしそうにしていて、会話内容や行動も前よりも成長している。「相手の存在を肯定する」というのが精神科の仕事の原点であり、そこには成長を促進する力があるのだと思った。
8/4(日)   滋賀県の2つのお菓子屋さん(「たねや」と「叶 匠壽庵」)のそれぞれのテーマパークに行った。たねやは洋菓子中心で、未来的な世界を作り出している。叶 匠壽庵は和菓子中心で、歴史的な和風の庭園を作り出している。お菓子の味にも背景にある思想や芸術性が出てくるのだと思う。お菓子作りはアートなのだ。
   岐阜県恵那市にあるハム工場「山の工房 ゴーバル」には僕も何度か泊めていただいた。人と自然の調和した生き方を探しており、多様な人の集まる場にもなっている。ゴーバルの一員である石原弦くんが養豚を学んで豚の生産をしており、その豚のお肉を使ってハム作りが進んでいる。ところがその豚たちが豚コレラにかかって殺処分になったと友人に教えていただいた。インターネットで調べてみると、岐阜県や愛知県で何千頭も殺処分になってしまった養豚農家の方がたくさんおられるそうだ。豚コレラの感染の広がりはイノシシも関与しているようで、対策は難しいようだ。殺処分にするだけでは不十分とのことだ。抜本的な対策を探してほしい。

 

写真1   公園で子どもたちはずぶ濡れになって遊ぶ。

 

写真2   京都駅の駅ビル。斬新な建築だが、建物を見ている人はあまりいなかった。

 

写真3   やすみはボルダリングが好きだ。

 

写真4   両親と子どもたちといっしょに花火もできた。

 

写真5   滋賀県大津市の和菓子屋さん「叶 匠壽庵」にあるカフェにて。写真ではわかりにくいが、空間が美的で安らぐ。

 

写真6   伊丹空港のキッズスペース。空港では子どもたちが退屈するので、子どもの遊び場があると親はありがたい。

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2019年8月日録2

8/7(水)   子ども支援の活動をしていると、親に精神疾患があって、育児に苦戦しているケースに遭遇することがよくある。特に発達症のある人は複数課題の同時処理が苦手なことが多いが、家事や育児はバランスを見ながら同時並行でいくつものことを進めていかないといけない。さらに幼児は気持ちを言葉でうまく伝えられないので、親は子どもの様子を見ながら子どもの要望を推測しないといけないが、発達症のある人はそれが苦手なことが多い。精神疾患を持つ人の育児支援に精神科スタッフはもっと力を入れないといけない。
8/10(土)   おいの颯馬くんとめいの「こはるちゃん」が遊びに来てくれた。わが家の子どもたちは3人でも騒がしいが、そこに2人加わるとお祭り状態だ。遊び方は年々変わり、成長と共に複雑になっている。颯馬くんは小学6年生なので思春期に入りつつあり、徐々に反抗期や体の変化なども始まっている。いまからは複雑な時期になり、家族のなかだけでは満足せずに、仲間や師を求めていくのだろう。颯馬くんを見ていると、自分の思春期を追体験しているような気持ちになる。時間をさかのぼれるなら戻って謝りたいこともいろいろあった。
   日本精神神経学会のてんかんの講義で、お勧めと聞いた『ここに目をつける! 脳波判読ナビ』(飛松省三著、南山堂、2016年)を読んだ。脳波の判読は「職人芸」的な要素が多く、難しい。この本で著者はその「職人芸」をできるだけ少なくし、「きちんと判読できるための手順」を提示しようとしている。いままで読んだ類書に比べて、‖召慮〆宰,箸隆愀犬つかめる、医療全体のなかで脳波が関われる範囲がつかめる、D彰僂任呂覆所見の積み重ねで判定できることがわかる、といった特徴がある。とはいえやはり脳波は奥が深く、読んでいてわからないところも多々あった。よりわかりやすくなるためには、脳波という検査法自体の進歩が望まれる。
8/13(火)   精神科医療はもともとは成人の診療が中心だった。高齢者の支援や子どもの支援はあとから活発化してきた分野だ。ところが地域の支援機関との連携については、高齢者や子どもの分野の方が進んでおり、成人の精神医療が取り残されている感がある。高齢者であれば地域包括支援センター・役場の高齢者支援課・介護施設・ケアマネージャーなどとの連携が不可欠で当たり前になっている。子どもであれば学校・教育委員会・スクールソーシャルワーカーなどの支援職・療育・役場の福祉課・児童相談所・児童養護施設などとの連携が不可欠だ。高齢者と子どもについては医療機関だけでできることが限られているので、かえって連携体制が進んだ。今後は成人の診療においても地域の保健師・役場の福祉課・通所施設・職場関係者などとの連携を強化していく必要がある。
8/14(水)   おいの颯馬くんとめいのこはるちゃん、それに子どもたちを連れて、球磨村の鍾乳洞「球泉洞(きゅうせんどう)」に出かけた。球泉洞には「通常コース」以外に「探検コース」があり、ハシゴを使って約40メートル下まで降りていくことができる。子どもたちは前日には「怖い」「行きたくない」と話していたが、実際に行ってみると、しばらくで慣れ、あとは脳を全開にして楽しんでいた。地底の滝や川も探検できるが、好奇心の喜びの声をあげていた。大人と違って子どもは未知の状況にどんどん適応していける。子どものうちにたくさん冒険をして、経験や感情の幅を広げておくことが、成長にとっていちばん大切なのだろう。

 

写真7   山江村にあるレストラン「時代(とき)の駅 むらやくば」。地域の取れ立ての野菜を使った日替わりランチが目玉だ。

 

写真8   『ここに目をつける! 脳波判読ナビ』(飛松省三著、南山堂、2016年)。脳波の判読は難しいが、よりわかりやすく使いやすくするための工夫がたくさん盛り込まれている。

 

写真9   おいの颯馬くんとめいのこはるちゃんといっしょに玄関の掃除をする子どもたち。

 

写真10   球磨村にある鍾乳洞「球泉洞(きゅうせんどう)」。子どもたちは地下深くに降りていく「探検コース」に参加した。はじめは怖がっていたが、乗り越えると自信と達成感がみなぎっていた。 

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2019年8月日録3

8/21(水)   夏休み期間に子どもたちを遊園地に連れていくことが何度もあった。遊園地は子どもが楽しむための場所だが、親の立場になると、子どもを楽しませるのにはかなり体力がいる。園内を歩き回らないといけないし、疲れた子どもを抱っこしないといけない。外気温とアトラクション内の冷房では温度差が大きい。人が混雑していて騒がしい。アトラクションは大音量で刺激が強く、すごく怖いものもある。肉体的にも精神的にも普段の限界を超えることになる。なので自分の方が体調を崩して、イライラして子どもに当たり散らしてしまいやすい。親として学べるのは、ストレス下にあっていかに気力や体力のバランスを取っていけるかということだ。そして親の喜びは「子どもが楽しんでいる」ということだけであり、献身の精神がないと自分を保てない。遊園地はまさに「子育て」というものの縮図なのだろう。
   遊園地に行くと、子どもが遊ぶのを見守ったり待っていたりする時間が多くなる。言わば暇な時間が多くなるのだが、それを無駄とばかりは思わなくなった。以前は人生になるべく意味を持たせたいと思っていたが、そのためにはあまりにも「意義のあること」ばかりを追求していてはダメだと思うようになった。1つの考え方ばかりで人生を塗りつぶすのではなく、いろんな考え方が入り交じることが大切だ。少なくとも精神科の現場では、なにかの考えにこだわり過ぎて困っている人が多いので、支援者はこだわりすぎない心の遊びを持つことが求められると思う。
8/25(日)   雨が降っていたので、屋内で楽しめる「出の山淡水魚水族館」に子どもたちと出かけた。宮崎県小林市の湧き水の池のほとりにある。きれいな水だからこそ飼育できる魚も多いのだろう。美紗さんが金魚の飼育に苦戦しているのを見ているので、たくさんの種類の魚を育てていくことは神業に思える。夏休みなこともあり、館内は子ども連れで賑わっていた。響はカメやオオサンショウウオに興味を持っていた。生き物に関心を持つことは、あらゆる学問の土台になる経験だ。自然を感じる機会が多いことは、地方に住む良さだと思う。 
8/27(火)   若い友人が遊びに来てくれた。医学性なので僕の職場を見学してもらい、職員さんたちと話してもらった。現場の苦労や、医師以外にもいろんな職種が共同作業をしている様子が伝わったらうれしい。
   そのあとに彼の話を聞いた。普段の生活は充実しているそうだが、残念なことに興味深い人との出会いが少ないとのことだった。僕自身も大学では刺激的な出会いは少なかった。同級生にこだわらず、大学以外のいろんな場で出会いを探してくれればいいのだと思う。
   可能性に満ちた若い人と会うと、応援したくなる。僕自身もたくさんの方によくしていただいたから。少しでも恩返しになればいい。
8/28(水)   地域の心の相談では、精神科領域の病気なのか、他科の病気なのかがよくわからないまま相談を受けることもある。そうなると僕の役目は、「どの診療科の病気がいちばん疑われるか?」を推定し、受診につなげることになる。脳神経系の診療科だけでも脳神経外科・神経内科・精神科の3つがあり、ある程度の「住み分け」がある。3つともが関わる「はざまの疾患」には例えばてんかんや高次脳機能障害があり、振り分けに注意を要する。僕は精神科の病気にしか診療経験がないが、他科の扱う病気についてもある程度知っておかないと、「住み分け」がうまくいかない。自分の知識を拡げていく必要性を感じている。
8/30(金)   精神科の現場にいると、トラウマの影響の大きさを感じることが多い。トラウマが関わってくると病状がつかみにくくなり、患者さんとの関係も不安定になりやすい。なのでトラウマからの回復を促進できるほど、診療がシンプルになり効率的に進みやすい。トラウマの悪影響を抱えた患者さんを早く見抜き、手立てを行っていくことは、精神科診療の成功・不成功を左右する重大なポイントだ。
   患者さんだけでなく、同僚にも「トラウマの悪影響にほんろうされているのではないか?」と感じることがある。そしてトラウマの影響が少なくなっていくと、その人が自然体で素のままにいれるので、いっしょに仕事がしやすくなる。結果的には仕事がより効率よく進む。よい組織作りのためにも、トラウマからの回復支援のスキルは役に立つと思う。

 

写真11   遊園地で遊ぶ子どもたち。

 

写真12〜13は宮崎県小林市にある「出の山淡水魚水族館」で撮った写真です。


写真12   カメを見る子どもたち。

 

写真13   水族館の前の池でコイのエサやりをできる。湧き水なので透明度が非常に高い。

 

写真14   裏庭の木で捕まえたカブトムシとクワガタの飼育ケースが4つになった。

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ゲーム症の授業をする 2019年7月11日(木)

   子どもの診療とゲームの問題は切っても切れません。「ゲームの問題に悩む子どもや親がここまで多いのか!」というのが正直な実感です。発達症があるとゲーム症のリスクが高まりますから、精神科を受診する子どもたちにはどうしても多くなります。さらに不登校やいじめ・学習困難・ネグレクトといったケースでは、大半でゲーム症・引きこもり・昼夜逆転がつきまといます。かなり深刻な問題だと感じてきました。
   たまたまなのですが、人吉市内の2つの小学校から同じ時期にゲーム・ネット依存の問題について講演をしてほしいと依頼がありました。ただ教員が対象ではなく、小学4〜6年の生徒や保護者に向けての講演でした。僕はいままでいちばん小さくても小学6年生にまでしか授業で話したことがありません。もっと小さな子どもたちですので、僕の話にどのぐらい興味を持ってくれるかが心配でした。
   ちょうど手元に届いた児童青年精神医学会の学会誌『児童青年精神医学とその近接領域2019/vol.60/No.1』のなかにシンポジウム「インターネット依存の現在」(岡田俊、堀内史枝ほか)があり、その内容を引用させていただきました。子どもたちにも伝わるようにできるだけわかりやすい資料にしようと、美紗さんに頼んでパワーポイントの使い方(講演資料作成の方法)の本を注文してもらいました。ですが結局は読む時間がなく、いつもと大差ない資料になってしまいました。ですのでうまくいくのかは未知数でした。
   一校目では5・6年生と保護者に向けた講演でした。ゲームの話題となると思いのほか子どもたちの食いつきがよく、僕が質問をしても手を挙げて答えてくれました。時間配分も心配でしたが、子どもたちが質問する時間も取れました。子どもたちがシーンとするのがいちばん心配だったのですが、子どもたちから質問も出してくれました。とりあえず無事に終われただけでもうれしかったでした。
   その翌日が二校目での授業でした。今度は4・5・6年生の生徒だけへのお話です。こちらもどうなるか予測できなかったのですが、結果的にはすごく盛り上がりました。4年生の子どもたちに伝わるのかどうか全くわからなかったのですが、積極的に発言してくれました。また質問も以下のようにおもしろいものが出ました。「ゲーム症になりやすい時間帯はありますか?」「寝るときに音楽を聞くのは依存症ですか?」「依存症は一度なってもよくなるんですか?」。子どもたちが関心を持って聞いてくれているのがわかり、すごくうれしかったです。
   授業がうまくいったのは、どちらの学校も校長先生が問題意識を持って企画してくださったからだと思います。生徒がゲームを長時間していることや、オンラインゲームでのいじめ問題などに危機感を持たれたそうです。また普段から子どもの支援にいっしょに取り組んでいる校長先生たちで、僕と顔なじみになっていることも大きかったと思います。教育と医療のつながりが増えてきたからこそ実現した企画です。
   生徒が抱える問題について教員が関心を持ち、それに詳しい外部講師を招いて授業をするというのは、理想的な教育の流れだと思いました。僕が小さいころには決まった教育課程をこなしていくような授業スタイルだったと思うのですが、いまは問題発見・探求型の授業が増えてきています。時代とともに子どもたちはどんどん変化していきますので、それに応じた教育を探し、医療機関も含めた支援機関を活用していただきたいと思いました。

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外傷体験のある人の治療や支援について 2019年7月13日(土)

   精神科で診療していると、子どもでも大人でも外傷体験を受けて育ってきた人たちとよく関わります。明らかな虐待を受けてきた人から、明らかではなくても家族の課題がいろいろあり、幼少期から非常に気を使って生きてきた人までを含みます。外傷体験がさまざまな精神疾患だけでなく、行動の問題(依存症など)や対人関係の問題、身体疾患などまで起こしやすくするというのが近年わかってきています。
   外傷体験が重度である人の治療はもちろん難しいです。決定打となるような治療はいまのところまだないと思いますので、年単位で焦らずにサポートしていくことが求められます。ですがもっと難しいのは、本人も周囲も外傷体験を認識していない場合です。はっきりした外傷体験があることが事前にわかっていればこちらもそのつもりで臨みますし、ある程度「関係がこじれても驚かない」という心づもりがあります。ところが治療を受けている本人ではなく、実は家族が外傷体験のある人であったりすると、こちらにそのつもりがないので、治療の見立てを間違ってしまうことが多いです。あとになって「実は支援をいちばん必要としていたのはこの人だったんだ」をわかることが多いのです。
   さらに複雑なのは、入院している患者さんどうしが影響しあって、ある人の外傷体験の後遺症が別の人にあらわれてくるような場合です。こうなると事前に予測することは難しく、治療中に「あれ?」「なんで?」という思いを繰り返しながら、気づいていくことになります。子どもは大人に比べて集団の相互作用が強く出る印象があります。そのぶん治療の流れも複雑になりやすいです。
   最近もそんな経験がありました。いままでは「この人が家族にいるせいで治療がうまくいかない」と思ってきた人が、「おそらく背景に外傷体験があり、いちばん支援を必要としている人だったんだ」と気づけたのです。ただ多くの場合にそうなのですが、こちらが痛い目にあわされるなかで気づく場合が多いです(泣)。良かれと思って支援しているその手を振り払われるようなことが多いのです。
   ここが外傷体験のある人の支援の難しいところで、最後まで円満な関係で進むことは少なく、途中に「対決」するような場面があったり、相手の嫌なことを伝えないといけなかったり、こちらの心が折られたり、こちらの思い通りにいかないことを受け入れないと前に進まないような場面があることが多いのです。設定した流れとおりに治療が進まないことが多く、せっかく取り決めてきた枠組みが崩れてしまうこともあります。
   つまりこちらが振り回されたり、悩んだり、困らされたり、いらだったり、なんらかの不愉快な経験をしないままにスムースに治療が進むことは期待しにくいのです。当たり前と言えば当たり前なのですが、外傷体験のある人は対人関係に困難さを抱くことが多く、回復もまた対人関係の揺れ動きのなかで進んでいきます。過度に信頼されたり、不信感を抱かれたりするので、治療する側は「振り回される」と感じてしまいます。ですが本人は辛い記憶を反復しながら徐々に記憶の質が変わっていくのに耐えているのですから、一貫していなくても当たり前なのでしょう。
   このプロセスは治療者と患者さんの間だけで進むものではありません。同僚との関わりのなかでも、ときどき「もしかして外傷体験があったんじゃないか?」と感じることがあります。科学的ではない言い方なのですが、その人になんらかの影やモヤモヤしたものがつきまとっているように感じるのです。あれこれやり取りをしながら、だんだんとその人がほっとしているのを感じられるようになっていきます。外傷体験が残すものとは絶えざる過度の緊張や不安であり、その回復とはホッとできることなのかもしれません。
   外傷体験の治療というのは、積極的に確実に狙ってできるものではなく、あれこれしているうちにいつしか成立しているという面があります。その意味では外傷体験のある人に少しでも関われることは、人生の幸運と呼ぶべきでしょう。治療者の役割とは相手の踏み台になることであり、治療者自身が幸せになることではありません。普段から自分の精神面の安定感を培い、精神の揺れに耐えられるしなやかさを持つことが、精神科スタッフとしての技量であり資質なのではないでしょうか。くつろげる雰囲気にこそ精神科治療の秘密があるのだと思います。

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2019年7月日録1

7/2(火)   金魚たちに病気が流行って次々に死んでしまった。かわいい金魚ほど環境変化に弱く(水温・細菌環境など)、季節の変わり目などに病気になってしまう。また一匹が病気になると、次々と連鎖してしまう。金魚はまさに「生きた宝石」であって、お世話をするのは大変だ。美紗さんはガックリきているが、失敗しないと前に進まない。
   息子の響の眼科受診のために熊本県の御船町に行くことがあり、比較的近くにある「江藤養魚場」に寄ってみた。さまざまな種類の金魚がたくさん泳いでおり、見ているだけでワクワクしてくる。美紗さんはじっくり選んで、「桜錦」という種類の金魚を買った。今度こそ死んでしまわないように、工夫を考えないといけない。水槽の大きさや配置、温度管理などが鍵になる。
7/3(水)   大雨の心配が強く、人吉球磨でも避難勧告や指示が出ていた。学校も休校になった。そんなときに急に家の電気が消えた。いつものブレーカーを上げても電気がつかない。僕は知らなかったのだが「漏電ブレーカー」というものがあり、それが落ちていたのだった。あとで調べるとエアコンが原因だった。またそれとは別に大雨による停電も重なり、不安感が強まった。災害のときには自分たちが電気に依存して生活していることがよくわかる。便利なものは、それに頼ってしまうので、不調になると困ってしまう。
7/5(金)   先月拾ったイシガメだったが、ずっと野生で生きてきたせいか、僕たちに全くなつかない。エサも食べず、僕たちを見るとバタバタと逃げようとすることを繰り返していた。次第に活気が減ってきていたので、うちで飼い続けるのは難しいと思うようになった。子どもたちは嫌がったが、安全な場所に放すことにした。車にひかれないかがいちばん心配なところなので、道路から離れたところに放した。意外なことにすごく速く歩いていく。陸生の強いイシガメは足が速いのだと知った。
7/7(日)   熊本県水俣市の「湯の児(ゆのこ)海水浴場」に子どもたちを連れて出かけた。梅雨の晴れ間だったこともあり、人が多くなくて助かった。波打ち際まで小魚が泳ぎに来ている。手ですくおうとするが、すばやく逃げてしまう。水俣は海の幸が豊かなところだと聞くが、たしかに魚が非常に多いのだとわかる。水俣の地域学の雑誌にも水や山や川や海など自然資源の豊かさが強調されている。水俣も「お休みどころ」を作るのにふさわしい場所の1つだと思った。これから世界のあちこちの安息の場がますます必要とされるはずだ。

 

写真1〜2は熊本県熊本市にある鯉や金魚の専門店「江藤養魚場」で撮った写真です。


写真1   お店の外観。一見普通の住宅だが・・・。

 

写真2   たくさんの種類の金魚が泳いでいて、ワクワクする。

 

写真3   イシガメを放した。

 

写真4   熊本県水俣市の「湯の児(ゆのこ)海水浴場」に行った。

 

写真5   近くにある「湯の児スペイン村 福田農場」では地域の魚介類を生かしたランチが食べられる。

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2019年7月日録2

7/9(火)   地域の認知症初期集中支援チームにはさまざまなケースが上がってくるが、認知症の支援だけでは解決しないことが多い。特に家族の課題が大きい場合には、認知症の本人よりも家族に関わらないといけなくなる。現在の行政のサポートは年代別や部門別になっているが、あちこちにまたがる複合的なケースへの支援が弱い面がある。病院に総合診療科ができているように、役場にも総合的な対応をする課が必要になるのではないか?
7/10(水)   娘のやすみの授業参観に行った。僕は初めてだったが、娘はとても緊張したようで、何度も何度もこちらをチラチラ見て、授業には集中できないようだった。道徳の授業だったが、小学1年生とはいえ、かなり高度な命の問題を扱うものだった。積極的に発表する子もいたし、一方で全然手をあげない子もいた。やすみは最初は緊張していたが、後半になって発表できた。多様な子どもたちがいるなかで、みんなに同じペースで理解してもらうのは難しく、授業を進める先生は大変だ。本来なら個別に近い教育が理想だが、限られた教員の人員のなかで、どう実現していくのかが難しいところだ。
   夕方に子どもたち3人を乗せて、ガソリンスタンドに車で行った。小学生への授業がうまくいったこともあり、僕も高揚していた。そのあとツタヤの駐車場内をゆっくり走っていると、グシャリという感覚がした。なんと横から出てきた車と接触していたのだった。僕は接触事故は初めてだったので、どうしていいかよくわからなかった。相手も同じような感じで、とりあえず僕が警察に電話した。警察の方は手早く処理されていたが、テンポが早すぎて子どもたちの年齢などをうまく答えられなかった。動転していると、頭が回らない。結局比較的短い時間で事故処理が終わり、相手の方ともケンカにならずに良かった。ケガもなかった。いままでは交通事故のことを真剣に考えていなかったが、すぐ身近に事故はあるのだと思った。「自分も人も不完全で、事故を起こすことも、事故にあうこともある」ということを意識するのが大事だと思う。
7/15(月)   子どもたちを連れてディズニー映画『トイ・ストーリー4』(ジョシュ・クーリー監督、2019年、アメリカ)を観に行った。トイ・ストーリーは1〜3のそれぞれが渾身の作で、続編を作るのは難しいだろうと思ってきた。どんな物語でも進めば進むほど登場人物の内面が深化していくが、トイ・ストーリーもそうで、冒険・勇気・友情といった従来のテーマに加えて、献身・思いやり・愛情・自分のいるべき場所といった価値観が表れていた。どんな存在でも永遠に若くはいられず、いつかは限られた時間を何に捧げるかの選択を迫られる。何を選ぶかがその存在の人生を作っていくのだろう。

 

写真6   「イオンタウン姶良」のなかにあるボルダリング。響も上まで登れたので驚いた。

 

写真7〜8は熊本県の益城町にある「ドラゴンキッチン 益城本店」で撮った写真です。


写真7   個性的な建物だ。

 

写真8   子連れでも行きやすい。

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2019年7月日録3

7/16(火)   運転免許の更新に運転免許センターに行った。響を保育園に送るときに体操服を忘れて取りに帰ったりしていて、時間がギリギリになり、あと1分遅ければ間に合わなかった。最近小さいながらも事故を2回起こしてしまったので、運転技術について学びたかったが、あっという間に講習は終わってしまった。テキストももらったが、細かすぎて痒いところに手が届かない感じがある。交通事故は年々減っているそうだが、人間が進歩したというよりは機械の進歩の貢献の方が大きいのかもしれない。運転の基本的な部分は人間よりも機械の方がはるかにうまくできるようになるのだろう。人間の出番は複雑な状況判断だけになるのではないか?
7/17(水)   末っ子のしずくが2歳になりおしゃべりができるようになった。何が変わったかといえば、子どもたちが3人でワアワア遊べるようになったことだ。同じように3人でケンカもできるようになった。僕たち大人が入らなくても自分たちで騒いでいる。3人いれば1つの集団なので、刺激があっておもしろいのだろう。僕は兄と2人だったので、違うなぁと感じる。3人いれば複雑だ。
7/18(木)   吉田病院には分野ごとに自主勉強会のようなものがある。僕は「子ども支援チーム」にいつも参加しているが、同僚に誘われて「認知症チーム」に初めて参加してみた。当たり前だが自主的に勉強する人たちはやる気があり、スキルアップを目指している。数は少なくても意志のある人たちが集まれば、組織は変わる。いまのところ依存症・認知症・児童思春期といった分野の学習会があるが、他にも増えていけばいいと思う。少数の人たちが議論を深めていくと、やがて全体に波及するだろう。
7/21(日)   子どもたちが観たいというアニメ「ポケットモンスター」の映画『ミュウツーの逆襲 EVOLUTION』(監督:湯山邦彦、2019年、日本)に行った。子ども向けの映画だけあって、普段はジッとしていられない2歳2ヶ月のしずくでも、後半まで観ることができた。幼児も観れるのに、実は内容は高度で、トラウマ治療のプロセスに近いと感じた。そんなことを子どもたちがわかるわけがないのだが、ポケットモンスターの闘いなどを観て楽しんでいるようだった。子ども向け映画は奥が深くて驚く。大人向けの映画と一見違っていても、本質的には同じだと思う。

 

写真9   買ってきた金魚の稚魚たちを水槽に放した。

 

写真10   熊本県人吉市の「喫茶アンダンテ」にて。障害者福祉施設「地域生活支援センター 翠」の一角にある。パンは創意工夫があって、安くておいしい。

 

写真11   熊本県人吉市の屋内遊園地「Kid's US.LAND(キッズユーエスランド) ゆめマート人吉店」にて。子どもたちが3人で遊べるので、僕はほとんど見まもらなくてもよくなった。成長を感じる。

 

写真12   やすみの希望で、庭で花火をした。

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2019年7月日録4

7/23(火)   昨日から響の頭痛と発熱がひどくなっていた。小児科に行くと採血検査でCRPが高かったので、総合病院に紹介された。総合病院ではひとまず抗菌薬で経過を見るとの判断だったが、状態が悪化すれば入院の可能性があるということだった。週末から関西の僕の実家に家族で行く計画を立てていたので、「なんでこの時期に発熱するか」と思い、頭が真っ白になった。幸い解熱したから良かったが、悪化する可能性もあった。子どもが病気をすると親は疲弊する。
   夜に子どもたちが通っている「さざなみ保育園」の先生たちへの研修に行った。普段お世話になっている先生たちに講演するので、立場が逆転したような奇妙さがあった。先生方が熱心に聞いてくださるので、いつも以上に脱線が多くなった。でも脱線というのはその場で1回限りの即興演奏のようなものであり、聞き手と話し手が一体になって初めて生じる。脱線にこそ講演の命が宿るのではないか。
7/25(木)   庭の草刈りや庭木の剪定をお願いしている坂田さんが、裏庭の木にクワガタがいるよと捕まえてくださった。そこで美紗さんは子どもたちのためにクワガタを飼うことにしたが、「オス1匹だけでなくメスもいたらいいのに」と思った。美紗さんの案で夜に裏庭の木を見に行ってみると、カブトムシが2匹もいた。あまりに身近なところにカブトムシがいたので驚いた。他にも近所の栗の木などを探してみたが、見つからなかった。剪定した木から樹液が出るので、それに集まってくるようだ。子どもたちはカブトムシを触ったりして非常に喜んだ。虫と触れあえる機会が多いことは、田舎に住んでいる良さだろう。
7/27(土)   僕は地域の医療機関が取り組めていない分野を発見して取り組むところがある。最近取り組んでいるのがてんかんの診療だ。何年も悩んできたケースがいくつもてんかんだったことがわかり、ビックリしている。てんかんはけいれんだけでなくさまざまな症状を伴うが、幻覚・妄想・うつ・解離・不機嫌など精神面の症状を示すことも多い。発達症にはてんかんが合併しやすいので、診る機会が多くなった。てんかんについても地域の二次医療機関になれたらと思う。
7/28(日)   フリースクール「学びの杜学園」の親の会に参加した。早期療育の専門家のお話のあとに、僕は発達症の二次障害をテーマにお話した。参加者は多彩で、不登校の子をもつ親の他にも教員を目指す学生や医学生、ソーシャルワーカーなども来られていた。いまは教員不足が深刻だが、真剣に学ぶ若い人たちの姿を見ると励まされる。教育と療育・福祉・医療といった周辺分野との垣根は低くなってきている。
7/30(火)   長年の友人Uさんに誘ってもらい、互いの子どもを連れて食事をした。Uさんは新しく見つけたバーベキューのできる公園でごちそうしてくれた。Uさんとは大した話はしなかったが、互いの生き方の方向性を確認した感じがある。僕よりも鋭く実験精神が強いUさんは、どこにいても社会の課題を見つけ出さずにいないところがある。鋭すぎて空回りしないかが心配なところだが、自分の生活の現場から変革しようとしている。Uさんと会うと「もっと挑戦しなさい」という励ましをもらう。

 

写真13   庭でつかまえたカブトムシとクワガタを飼育箱に入れた。

 

写真14   フリースクール「学びの杜学園」の親の会の勉強会。多彩な参加者があり、主催者の熱意を感じた。

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