お休みどころ

こころの相談活動を作り続ける
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しずくの誕生1 2017年5月2日(火)

   子どもが生まれるのも3人目となると、親の側の緊迫感も減ってきます。娘のしずくを美紗さんが妊娠してから、特に大きな問題もなく時間が経ちました。「子どもが2人のいまでさえ、家がおもちゃだらけになっているのに、3人になったらどうなるのだろう?」という点だけが心配でした。
   まだ先のことだと思っていたしずくの誕生が、急に現実感を帯びてきたのが、4月26日です。かかりつけの「河野産婦人科医院」を受診したときに、しずくがすでに3300〜3500gぐらい体重があることがわかったのです。出産予定日は5月10日でしたが、前倒しして5月2日に産む予定になりました。ちょうど5月の連休で僕も2日と3日を休めることになっていましたので、都合が良かったでした。
   それからも出産に向けての準備というよりも他のことで忙しかったでした。犬のチビを看取ったり、子どもたちを遊ばせたり、庭の草刈りや整理をしてもらったりで時間が過ぎました。
   前日の5月1日にはやすみと響を保育園に預けて、美紗さんは準備をしました。夕方から入院です。僕は仕事を後回しにして子どもたちを19時に迎えにいきました。それからは夕食を食べさせたり、お風呂に入れたりです。僕だけで子どもたちの世話を長時間することは普段はないので、やはり緊張します。下着などちょっとした物の場所がわからないのです。
   翌日の5月2日はいよいよ当日です。といっても朝から子どもたちの出かける準備でした。ごはんと歯みがきと着替えをしたら、あっという間に8時です。子どもたちが2人で走り回るので、何をするにも時間がかかるのです。
   やすみを保育園に送って、美紗さんの必要物品を取ってから、病院に行きました。さいわい出産はまだでした。子宮の張りを表す数字も100のうちまだ50程度で、美紗さんも普通に話す余裕があります。レンタルしたDVDのことなど、他愛のない話をしました。響も1日ぶりにママに会えて、ひっついています。
   陣痛促進剤(オキシトシン)の点滴の量が徐々に増えていき、13時半ごろから痛みが強くなってきました。14時半には3分おきぐらいになり、いよいよ分娩室に行くのかなと思いました。ところが河野医師の診察では、まだまだ胎児の位置が高くて、子宮口が十分に開いていない、とのことでした。夕方まで陣痛促進剤の投与は続いたのですが、結局陣痛は進みませんでした。
   後で調べてみてわかったのですが、陣痛促進剤を使っても、なかなか陣痛が強まらないというケースもけっこうあるんですね。今日出産という前提で計画していたので、想定外の状況です。僕は美紗さんに付き添って泊まることにし、やすみと響は美紗さんのご両親に家で面倒をみていただくことにしました。お産というのは、こんなに医学が発展したいまになっても、なかなか人間の思わく通りに進まないものなのですね。

 


写真1 一晩ぶりに美紗さんに会った響は美紗さんにまとわりついた。

 

写真2 痛みに耐える美紗さん。でも結局陣痛は弱まってしまった。

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しずくの誕生2 2017年5月3日(水)

   一晩明けました。夜の間には子宮の張りはおさまり、しずくもよく動いていました。お産が近づいている感じはなく、むしろ遠ざかっている気がしました。「もう長期戦だ」「明日もお産が進まなくて退院になるかも知れない」「微弱陣痛で帝王切開になるかも」といったことを美紗さんと話していました。
   ネット上に情報はいろいろありますが、お産は複雑でよくわかりません。調べたところで、結局は河野医師の判断に任せるほかはありません。ただ全てが科学化されたような現代にあって、お産は人間が完全にコントロールはできないものなのだとよくわかりました。お産だけでなく実はたくさんの現象が、人間には管理できないのでしょう。
   陣痛促進剤と子宮口を柔らかくする薬の投与が始まりました。当初はあきらめモードでした。実際に昨日と同じように陣痛が強まる気配は全然ありませんでした。 今日もダメで退院になるかもと美紗さんと話しました。
   ところが10時頃から痛みが強くなってきました。お腹や腰のあたりが痛くて、美紗さんが顔をしかめるようになりました。さらに10時50分には突然に破水したのです。今日出産できるかもという希望が湧いてきました。
   それから分娩室に移りました。僕も最初から付き添えました。ところが分娩室に入ってからすぐに出産かと思いきや、分娩室に入ってからが長いのです。3分おきくらいでグーッと波のような痛みが襲ってきます。美紗さんがウーッと唇をかみしめて耐えることの繰り返しです。不思議なことにはまさに海の波のように、痛みがスーッと引くのです。陣痛の合間には美紗さんも普通に会話できるのでした。お昼ごはんもおにぎりだけですが食べることができました。
   次第次第に痛みが強くなって、陣痛の合間にも美紗さんが苦しそうにするようになりました。酸素マスクをつけても苦しそうです。意識ももうろうとしてきているように見えました。
   毎回立ち会う度に感じることですが、「なんでここまで強度の痛みに耐えながら産まないといけないんだろう?」と思います。看護師さんたちはどなたも「痛みが来ないとお産は進まない」とおっしゃいます。つまり苦しくないと出産できないということです。傍らで見ていると、まるで運命からボコボコに打ちのめされているように見えました。「どうしてここまで?」「これは理不尽だ」と思ってしまいます。しかも僕にできることと言えば、「フッ、フッ、フッ、フッ、フー」という呼吸法のリズムをいっしょにするぐらいしかないのです。そばにいても悲しいぐらいに役に立ちません。
   出産直前の最後には、とうとう美紗さんが苦しさのあまりに声を出してしまいました。「痛い・・・」と泣き出す感じでした。つぶやき程度で叫んだわけではないのですが、それだけに余計に苦しさを感じました。ほんとうに我慢の限界を越えた痛みだというのがわかりました。
   とうとう12時57分、娘のしずくが生まれました。体が白い粉まみれでなくて、肌が赤かったです。生まれてすぐに「オギャア、オギャア」と大きく泣きました。体重は3538gでした。一般的には大きいのですが、4000g近くあるかと思っていたので、意外と小さかったでした。 
   美紗さんは後産(あとざん)の処置のために2時間分娩室にいて、そのあと車いすで部屋に帰ってきました。美紗さんのご両親とやすみと響と僕で迎えました。英雄という言葉がふさわしいのかどうかわかりませんが、まさに大冒険から生還した英雄でした。自分の限界を超える試練に耐え抜いたのです。美紗さんの目にも静かな自信が輝いていました。
   そしていま、夜になりました。お産のあとの出血はありますが、美紗さんの体調はだいぶ改善してきています。やすみとお話したり、しずくの顔を見に行ったりできています。
   そして僕はこの記録を書いています。出産当日の今日でさえ、お産の苦しみを目撃した経験がもう過去のことになりつつあります。それほどに記憶の風化は早く、激烈な体験も日常生活のなかに溶け込んでしまいます。「真実の啓示はほんのいっときのこと」といったことを読んだことがありますが、たしかにあとはいつもの代わりばえのしない生活になるのでしょう。
   いまからは3人の子育てという新たな挑戦が待っています。子育てもまたほとんどの時間はありふれたものであり、何かの変化や困難にぶつかったときにだけ、新しい人生の見方のヒントを得られるのかもしれません。小さな宝石のかけらを集めて装飾品を作ろうとするように、人生の経験のかけらを集めてつなぎあわせることで、未来を生きる人たちへのメッセージを作れればと思います。

 

写真1 だいぶ陣痛が強くなってきた。

 

写真2 やっと生まれた。しずくは最初から元気よく泣いた。

 

写真3 新生児室に入ったしずくを見ている響。

 

写真4 しずくは抱かれるのが好き。

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2017年5月日録1

5/5(金) 娘のしずくの生後3日目。もう美紗さんの病室で過ごせるようになった。ミルクを哺乳瓶からグイグイ飲んでくれるので力強さを感じる。しばらくすると、せっかく飲んだミルクが口からもれてくる。赤ちゃんは背中をトントンたたいて「ゲップ抜き」をしてあげないといけないのを思い出した。小さい赤ちゃんの育て方をもう忘れてしまっている。でもいままでの子育て以上に少しの気持ちの余裕を持ってかわいがってあげられそうな気もする。伸び伸び育ってくれればいいなと思う。
5/8(日) 美紗さんと娘のしずくが産婦人科を退院できた。ベビーベッドを作るのが意外と大変で、美紗さんと美紗さんのお父さんと3人がかりでやっとできた。しずくは抱っこされないと嫌なようで、よく泣く。お腹が減ったとき、ウンチをしたとき、眠いときにも泣くようだ。やすみや響も注目してほしくて騒いだり泣いたりするので、あわただしい。子どもが3人になると、子どもたちの動きが複雑になる気がする。美紗さんのご両親に助けてもらえる今週はいいが、そのあとが大変だ。
5/8(月) しずくが夜中に泣いて、目が覚めた。美紗さんはミルクを作り、飲める人肌程度の温度にまで冷やしている。そしておっぱいをあげたり、ミルクをあげたりする。僕にとって眠りが中断されるのは疲れることだが、美紗さんは淡々とこなしている。上の子どもたちのときにもこういう夜があったことを、すっかり忘れていた。しばらくは夜に起きることも増えそうだ。 
5/16(火) 職場のメンタルヘルスの相談を受けた。難しいのは、本人の病状と組織の問題の2つが絡まっているところだ。どちらの比重が大きいかによって対応が異なってくる。医療的には個人の疾患への対応は得意だが、組織の問題への介入は難しい。しかも内部的な対応だけでは、組織の問題は変わりにくい。産業医のような「影響力のある第三者」が必要なのだと思う。

 

写真1 娘のしずくが退院できたので、ベビーベッドを組み立てた。

 

写真2 しずくを抱く渡邉典子さん。

 

写真3 雨の日に水たまりに小石を投げ入れて遊ぶ響。

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2017年5月日録2

5/16(火)の続き しずくが先天性代謝異常のスクリーニング検査に引っかかったと聞いて、あわててかかりつけの「河野産婦人科医院」を受診した。「フェニルケトン尿症」といった難しい病気なのかもと心配だった。結果的には甲状腺に関係するホルモンが高めという状態とのことだった。仮に病気があっても、治療があるのでホッとした。
子どもたちの健康問題にはほんとうにハラハラさせれれる。やすみと響の耳鼻科通いも続いているが、最近は改善傾向で喜んでいる。病状が悪い時には、聴力への影響が出るのではと心配した。健康でいることは、大変に貴重なことなのだと思う。 
5/17(水) 美紗さんの着物の先生のところに、しずくを見ていただきに訪ねた。先生は聞き上手で、美紗さんの着物への関心を引き出しながら、こちらが話しやすい雰囲気を作ってくださる。僕自身も毎回「楽しく話せたな〜」と帰り際に感じている。着物というと「決まりがたくさんあって細かそう」というイメージを持っていたが、先生はきちきちした感じが全然ない。どの分野でも優れた人には「押し付けのなさ」があるんだなぁと美紗さんと話した。
   子ども支援についての会議に参加した。地域の支援システムは充実してきているが、まだ課題はたくさんある。例えば、以下のようなものがある。^きこもりの子どもへの支援。不登校の子どもの学習の場を確保すること。6軌蕕販徹蕕力携。な欅蕷燹ν鎮娜→学校→成人の支援のバトンリレー。これらの課題を解決するのは制度的な問題もあって10年以上かかるかもしれないが、関係者の間で問題意識を共有するだけで改善する部分もある。いろんな立場の人たちと意見を交わしながら、より効果的な支援のあり方を探していきたい。
5/18(木) 今月はお世話になった方たちのところにしずくを連れてご挨拶に行くことが多かった。皆さんもう何年も応援してくださっている。ありがたいことだと改めて感じた。地縁も血縁もない球磨地方で僕たちが生活していけているのは、この方たちのおかげだ。そして皆さん自分なりのやり方でいい地域にしようと活動されている。僕の「知恵深い人生の先輩」であり、「頼りになる仲間」でもある。
5/21(日) しずくも含めて子どもたちを宮崎市にある「フェニックス自然動物園」に連れていった。しずくが泣かないか心配していたが、子どもたちの歓声が心地いいのか、ぐっすりと寝ていた。響も2時間ほどは爆睡していた。大人は動物園や遊園地ではうるさくてとても寝れないが、子どもは違うようだ。「やっぱり人間は群れの動物なんだなぁ」と思った。

 

 

写真4 山江村にある炭火焼きの「地鶏ファーム」にて。山本忠臣・和子さん夫妻はしずくを抱っこしてくださった。

 

写真5 ホテルの写真コーナーでやすみは写真を撮りたがる。

 

写真6〜9は宮崎市の「フェニックス自然動物園」で撮った写真です。


写真6 アジアゾウの「みどり」との写真撮影には大勢の人が並んでいた。

 

写真7 響はインコをずっと見ていた。響は生き物が好きだ。

 

写真8 響はゾウに乗ることもできた。

 

写真9 ヤギへのエサやりをやすみは楽しんだ。

 

写真10 しずくといっしょに寝るやすみと響。

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2017年5月日録3

5/24(水) 子どもたちが中耳炎になり、「豊永耳鼻咽喉科医院」(〒8680037熊本県人吉市南泉田町120、電話0966222031)に通院している。大変に人気のある病院で、朝の6時45分くらいに順番取りに行っても、もう並んでいる人たちがいた(7時から順番を取れる)。お話を聞くと、隣の県から1時間以上かけて来られているそうだ。「遠くても、並んでも、いい病院の方がいいです」「良くない病院に行っても、結局良くならないです」とのことだった。その人があちこちの病院の歴史や医師の特徴に詳しいことに驚かされた。事前に調べたうえで、こんなに大変な思いをして患者さんたちが受診されるのだから、患者さんを大事にしない病院が発展しないのは当たり前だと思えた。
   困難事例のケース会議に参加した。いつも感じることだが、困難事例は「病状が重いケース」ではないことが多い。そうではなくて、「病状はそれほどでもないが、背景が複雑なケース」や「問題が多分野にまたがるケース」であることがほとんどだ。なのでケース会議でうまく役割分担ができれば、自然に解決していくことが多い。困難事例に携わっていると、「連携」や「住み分け」というのはとても難しいと感じる。境目で判断に迷うケースで、地域のネットワークの豊かさが試されるのだと思う。
5/27(土) 発達症の親の会「スマイル君」に誘っていただいて、参加することができた。親の会は全般的に参加者が減ってきていると聞いていたので、スマイル君も数人かと思った。ところが行ってみると、参加者が十人以上あって非常に活気がある。また子どもを連れて参加でき、子どもたちは子どもたちではしゃいで遊んでいる。親たちは親たちで、日頃の苦労について話したり、情報交換ができる。すばらしい会で、今後ますます発展するのは間違いないと思った。
5/29(月) 保育園の保護者たちのビーチバレー大会があるそうで、僕も出場することにした。この日は1回目の練習だった。遊びのムードを予想して行ったが、かなり真剣な練習だった。皆さんすごくうまいのだが、例年は他の保育園に負けているそうだ。みんな勝負事になると負けたくなくなるのだろう。
   僕は何年ぶりかで運動したが、楽しくて夢中になってしまった。体が思いのほか動いたのでうれしかった。精神科の仕事は話したり書いたりばかりなので、たまには体を動かさないと、バランスが取れないのではと思う。でもやはり翌日からは筋肉痛になってしまった。
5/30(火) 僕は4月から「球磨支援学校」の学校医になった。それで発達健診を担当することになった。学校に出かけて子どもたちや先生たちと話しながら問題点がないかをチェックする役割だ。
   子どもたちはさまざまな課題を持っているが、みんなが楽しそうに過ごせていてすばらしいと思った。先生方が丁寧に関わってくださっているのがよくわかった。球磨地方の発達症支援の拠点となる学校だ。 他の学校のバックアップもしてくださっている。いっしょにお仕事できる機会があってうれしく思った。

 

写真11〜14は人吉市にある「人吉鉄道ミュージアムMOZOCAステーション868 」に行ったときの写真です。開設2周年のイベントがありました。


写真11 鉄道のおもちゃを手で押して走らせることができる。

 

写真12 2周年のイベントのひとつとして、木の玉をスコップでどれだけ運べるか、という競争があった。やすみも響も参加賞だった。

 

写真13 2階には図書スペースもある。

 

写真14 人吉市のマスコットキャラクターである「ヒットくん」に響は握手をしてもらえた。

 

写真15〜19は八代市にある公園「くま川ワイワイパーク」に行った際の写真です。


写真15 日射しが強かったので、木陰で一休みした。

 

写真16 大人向けの体操コーナーだが、子どもも遊べる。

 

写真17 遊具がたくさんある。

 

 

写真18 わざと靴を脱いで遊んでいる。

 

写真19 しずくはベビーバギーで寝ていた。子どもたちの遊び声が聞こえると安心するようだ。

 

写真20 八代市坂本町にある「坂本温泉センター  クレオン」のレストランにて。温泉も食事もすばらしいが、休憩スペースがとても充実している。「ゆったり休んでください」というスタッフの方たちの気持ちが伝わってくる。地域の人たちの集いの場になっている。

 

写真21 しずくを抱くやすみと響。1ヶ月近くなると、だいぶズッシリと重くなった。

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フランスの医師と話す 2017年4月6日(金)

  僕が勤務している吉田病院には「子ども支援チーム」があります。メンバーは看護師や精神保健福祉士を中心とする多職種です。10人ほどで毎月例会を開いて勉強しています。年に3回ほどは100人規模の講演会も企画しています。
  4月の勉強会では僕が司法面接研修の報告をする予定でした。研修の内容を話すだけでは伝わりにくいので、司法面接のロールプレイをしてみようと思いました。役割設定をして、仲間に段取りをしました。
  ところが2日前になって、急に事態が変わりました。同僚のH看護師さんから、「フランス人のCさん(児童精神科医)が人吉に来ている」と聞いたのです。H看護師さんの親族の友人に当たる方なのだそうです。H看護師さんはアィディアマンで、いつも新しい動きを提案してくれます。
  そんな方のお話を聞ける機会はめったにないので、ぜひ子ども支援チームの例会で話してくださるようにお願いしました。あわせて病院の見学もしていただけたらと思いました。実現するのかどうか、最後の最後までわからなかったのですが、とうとうその日の夕方に実現することになったのです。あとでわかったのですが、翌日にCさんは東京に移動されるとのことでしたので、ギリギリセーフだったのでした。
  Cさんは温厚で話しやすい女性でした。謙虚な方で、勉強会でも自分だけが話すのではなくて、僕たちが日ごろしている活動についても知りたいとおっしゃいます。そこで子ども支援チームの10人ほどで、Cさんに質問をしながら、自分たちの仕事についても話す形にしました。
  話してみてわかったのですが、Cさんは児童精神科医ではなく、総合診療医(General Practioner)でした。イギリスでは地域ごとに総合診療医(かかりつけ医)がいて、どんな病気でもまずはそこを受診し、必要に応じて専門医に紹介されるというシステムになっています。フランスも同じようなシステムだそうで、Cさんは「赤ちゃんから認知症の高齢者まで」なんでも診療するそうです。初期対応のエキスパートということになりますね。
  なおかつCさんは精神科病院で働いていたそうです。なぜそのようになったかというと、精神科病院の患者さんたちに身体合併症を持つ方が多いので、「総合診療医の配置を」と看護師さんたちが声を上げたのだそうです。事情は日本でも全く同じで、僕が働いている吉田病院でも患者層の高齢化とともに、身体疾患の合併症を持つ方が激増しています。吉田病院では内科医の配置がまだできていないのですが、ぜひ実現してほしいなと思いました。
  Cさんのお話の印象的なポイントは以下の通りです。
・フランスの精神科医療政策の考え方は、「患者さんができるだけ病院のなかではなく、在宅または地域で生活できるように」というものである。
・Cさんの病院は150ベッド程度で50万人の地域をカバーしている。この割合で行くと、人口180万人の熊本県には精神科病院が4つぐらいあれば足りることになる。でもいまは50近い精神科病院が熊本県にはある。なのでフランスの精神科病床は、大まかに言って日本の精神科病床の10分の1くらいなのではと推測される。
・フランスの精神科医療システム(病院、クリニック、施設など)はほとんどが公立である。大半が私立の精神科病院である日本とは大きく違う。日本の精神科病床の削減がなかなか進まないのも、ここに起因している。
・150ベッドの精神科病院に、約80人の医師と、約300人の看護師が勤務している。これは日本の配置よりずっと多い。僕の病院は同じ規模だが、医師は非常勤も入れて8人、看護師も100人以下だと思う。なのでフランスの方が日本よりも「病院は少なく、スタッフの配置は多く」なっていると推測される。
・ピアカウンセラー(病気の当事者が支援者になる)も治療チームに加わる形が近年始まった。
・フランスでも医療の地域格差の問題はある。施設の老朽化の問題もある。
・建物よりもスタッフの質が大切だ。
・身体合併症対策が重要である。
・犯罪を犯した精神障がい者への対応が難しい。入院も長期化しがちである。
  話題は多岐に及びましたが、Cさんの姿勢は一貫していて、地域移行を重視しているのが感じ取れました。そしてそここそがまさに日本の精神科医療が困っている点なのです。いろんな要因があるのですが、結局のところ民間病院は経営的に生き残らないといけないですので、入院者数をなかなか減らせないのです。また患者さんを長期間収容することで経営が成り立つという保険点数システムにも問題があります。どんどん改革が進んでいますが、もっともっと外来や訪問を重視する保険点数システムに変えていかないといけないのでしょう。
  一方でCさんと話しながら感じたのは、「国は違えど、直面している課題はあまり変わらないんだな」ということです。子どもの虐待、休職者の復職支援、精神障がい者の就労支援、認知症の問題、身体合併症の問題など、同じような取り組みをしていることが多々ありました。現代では、国家間の医療格差も少なくなっているのではと思います。
  今回Cさんに来ていただいて感じたのは、「自分たちのやっていることを、いろんな角度から照らしなおす必要性」です。日々の仕事ばかりに追われていると、「ほんとうにこれが有効なことなのか?」といった根本的な問題意識が消えてしまい、かわりに「職場がうまく回るためにはどうすればいいか?」といった実用的な思考ばかりになってしまいます。違った立場から精神科の領域に関わっている人をお招きして、自分たちの業務のあり方を考え直してみるのが、ときには必要だと思いました。今後はもっともっと「異質な視点」を持った人をお招きしていきたいと思います。

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犬のチビについて 2017年4月23日(日)

  犬のチビについてはこのブログ記事のなかでも何度も触れてきました。水上村にお休みどころを開設した2003年の秋ごろに迷い込んできて以来、お休みどころに居ついてしまった犬なのです。その後にも犬のソラとテンが迷い込んできましたが、テンはある時期にいなくなり、ソラは去年2016年の3月に亡くなってしまいました。いまではお休みどころの犬はチビだけになりました。
  そのチビもかなり高齢です。2003年に迷い込んできたころに生後半年ぐらいだったとすると、もう14歳です。ネット上の記事によると、これは人間の88歳に相当するそうです。体が弱って当たり前なのですが、なんとか持ちこたえていました。去年の夏も弱っていましたが、乗り越えました。
  ですがしだいにチビの体が痩せてきました。エサを食べさせても、どんどん痩せていくのです。「体のどこかにガンがあって、栄養分を奪っていっているんじゃないか?」と思うほどでした。
  さらに最近は足が弱ってきて、散歩をしたがらなくなりました。以前は息子の響といっしょにチビの散歩に行っていたのですが、今年の3月ぐらいからはそれができなくなりました。ヨロヨロしたり、坂道を登れなかったりするようになったのです。
  とうとう犬小屋のなかからも出てこれなくなってしまいました。エサを犬小屋のなかにもっていきました。昨日4月22日には小屋のなかでフンをしているのを美紗さんが見つけ、小屋から出れなくなっていることがわかりました。いよいよ立てなくなったのです。
  今日4月23日には、犬小屋からなんとか這い出してきたようで、小屋の前に寝ていました。水もバケツから飲めないでしょうから、エサといっしょに水も低い器であげました。その後夜になっても小屋に帰れないので、美紗さんが毛布をかけてあげました。
  食欲がまだあるのが幸いですが、もうあまり生きれないでしょう。チビとは長い付き合いで、十分生きてくれたと思います。それでもお休みどころの歴史をいっしょに背負ってきてくれた仲間がいなくなってしまうのは寂しいことです。
  チビはもともと気が強い犬でした。気位が高くて、主人である僕の言うことは聞くのですが、他の人の言うことは聞きませんでした。散歩も聖好さんやグレッグさんが連れて行こうとしても、足を止めて動かなかったことを思い出します。
  ほかの犬たちに対してもそうで、ソラとテンに対しても「上から目線(?)」のような様子がありました。犬は上下関係が厳格と聞きますが、リーダーとしてふるまっていたのだと思います。
  ただ人は好きで、お休みどころのお客さんに対してもとても愛想が良かったでした。チビを覚えて懐かしんでくださる方も大勢おられたのを思い出します。犬が苦手な子がチビを触れるようになったり、アニマルセラピー的な活動をしてもいました。
  友人の阿部さんがドッグランを作ってくれましたが、チビは頭が良くて、何回も脱走していました。こちらの考えを読んでしまうようなところがありました。
  そんなチビも年とともに体力の衰えが出てきました。走りがやや遅くなったあるころ、ドッグランのなかでチビとソラが大ゲンカをしました。もうソラの方が圧倒的に動きが早くなっていたので、すぐにチビは押さえ込まれて、耳などを噛みつかれました。それでもチビはケンカをやめませんでした。ソラもやめません。僕が何度叱っても、ケンカが続き、「チビが死ぬんじゃないか」と心配になりました。このときを境に地位が逆転し、チビはめっきりおとなしくなりました。
  そんなソラが先に死に、チビはひとりになってしまいました。犬は集団の動物ですので、2匹と1匹では全然違います。ですがお休みどころを人吉に移して毎日チビの様子をみれるようになったこともあり、エサもよく食べて元気にしていました。子どもたちもチビが好きで、裏庭のチビのところで遊ぶことがよくありました。
  しだいに弱っていくのは生き物の本質であり、どうしようもできないことなのでしょう。家族や仲間が弱っていくのを見ることはつらいことです。チビのこともかわいそうに思います。
  これからあと何日チビが生きられるのかわかりません。ですが最後まで生きて静かに亡くなっていくのでしょう。人間と違って思い悩んだりせずに、生命力の尽きるまでただ生きるのだと思います。
  僕がお休みどころを始める前や始めてからお世話になった方々も、ずいぶんがあの世に逝かれてしまいました。みんなどこかに生きておられるような気がしますが、会えなくなってしまったのも現実です。時間が過ぎるごとに、僕自身も少しずつあの世に近づいていっているのでしょう。
  生きていることははかないです。その限られた時間のなかで、いっしょに思い出を分かち合える家族や友人がいることは幸せなことです。お休みどころの活動も、そこから派生する形で、ずいぶんと社会的な支援システムとして動けるようになってきました。この流れを押し進めて、僕が死ぬ頃には、他の人たちも使えるような支援システムやネットワークの模型ができていればと思います。


追記
  4月25日の早朝、夜にクンクンなくので玄関に移す。昼間、ウンチにまみれてしまったので、体を洗う。
  4月27日、エサを食べなくなる。
  4月28日の朝、息を引き取っていた。最後は体が動かずに歯がゆかったと思うが、よく生きてくれたと感謝した。
  でも僕は知らなかったが、遺体を葬儀場に連れていった美紗さんによれば、すでにウジ虫がわき始めていたそうだ。寂しがる暇もなく、自然現象は進んでいく。
  チビ、ずっとコンビを組めて楽しかったです。ありがとう。またいつかいっしょに散歩に行きましょう。

 

写真1 2月の散歩の際の写真。かなり痩せてはいるが、このころは散歩に出かけられていた。

 

写真2 4月12日。足がよろけて散歩に行けなくなってしまった。

 

写真3 裏庭に寝転んで動けなくなってしまった。響も心配している。

 


写真4 4月16日。散歩はできないが、犬小屋の外でエサは食べれていた。

 

写真5 4月19日。犬小屋から出てこれなくなり、なかでエサをあげた。

 


写真6 4月23日。小屋の外には出てきたが、立ち上がれない。

 

写真7 4月25日、小屋に入れないので、夜は玄関のそばに寝かせることにした。

 

写真8 立ち上がれないので、ウンチが体についてしまう。体を洗った。

 

写真9 4月27日、最後にやすみと響といっしょに。

 

写真10 4月28日、朝、息を引き取っていた。

 

写真11 チビの骨つぼを持つ響。

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2017年4月日録1

4/5(水) 用事が終わって次の用事までの時間があったので、息子の響を連れて宮崎県の「えびの市」に行ってみた。人吉市とは隣どおしであり、高速道路を使えば20〜30分で行ける。それなのに僕たちはえびの市に行くことがいままでは少なかった。県をまたぐとなると、無意識のうちになんとなく遠い気がしてしまうのかもしれない。
  車のなかで響が寝だしたので、美紗さんといっしょに「えびの市民図書館」(〒8894311宮崎県えびの市大明司2146-2、電話0984350242、ウェブページ)に行くことができた。いい図書館に入ると自然といろんな本を見て歩いたり手に取ったりしたくなるが、えびの市民図書館はまさにそうだ。資料が充実しているのに、本の山の圧迫感がない。空間づくりに曲線が生かしてあり、来館者がくつろげるように「余白のスペース」があちこちに用意されているからだろう。
  そのうちに響が起きたので、いっしょに絵本コーナーに行った。偶然手に取った絵本が『シェイカー通りの人びと』(アリス&マーティン・プロベンセン作、江國香織訳、ほるぷ出版、1999年)だった。田舎の素朴さをそのまま表したような絵が素敵だ。たいした出来事が起こらないで、こまごまとした街の様子が続くのだが、登場人物たちにまるで生きているような個性があって惹き付けられる。派手なドラマはないのに最後にジーンとくるのは、やはり絵の力が大きいのだろう。
4/11(火)上球磨認知症初期集中支援チームの会議のあとに、交流のための食事会があった。普段お会いできない行政の方や警察の方も来てくださり、お話できてうれしかった。認知症の困難事例にはDV、虐待、犯罪、貧困、家族機能の低下などが関わっていることが多く、医療や介護のアプローチだけではうまく支援が進まない。ぜひ行政や警察の方たちにも会議に参加していただいて、支援の幅を広げていけたらと思う。
4/14(金)お休みどころで相談を1件受けた。病院での仕事と違って、家族同伴で相談に来る人たちの場合には、「何のために行くのか聞いていない」ということがよくある。また相手が僕のことを全然知らないこともよくある。「誰が、何のために、ここで、何をしているのか」がはっきりしていないわけであり、お互い手さぐりでの対話となる(精神科の専門用語で言えば、「非常に構造化されていない面接」だ)。
  相談の骨格がはっきりしていないため、話がどこに行くかとか、先がどうなるのかが読みにくい。浮遊するような感じで相談が進む。なので不安定感を感じながらの会話になる。
  一方で、話の展開が決まりきっていないため、うまくいけば非常に的を得た面談になる。また相手がいちばん困っている点を見つけて関われるため、やりがいがある。互いに協力しながら答えを見つけていく「共働の意識」も持ちやすい。
  相談や面談をする場合には、会話の自由度を意識して臨むのが大事だ。自由度が高ければ、一般人どおしの会話に近くなる。自由度が低ければ、専門家と相談者のやり取りに近くなる。相談や面談の目的に応じて、会話の自由度を調整する練習が必要だ。今回の相談は非常に自由度が高かったので、勉強になった。
4/16(土)子どもたちを連れて映画『モアナと伝説の海』(原題Moana、監督:ロン・クレメンツとジョン・マスカー、2016年、アメリカ)を見に行った。いままでは子どもたちが退屈して落ち着かなくなったり、泣き出したりして、じっくりとは映画が見れなかった。今回は最初に響が泣いたり、途中でやすみがポップコーンをほしいと言い張ったりはしたが、なんとか最後まで見れた。それも子どもたちがある程度内容をわかって、かつおもしろがっているようだったからうれしかった。
  美紗さんがディズニー映画を好きなので僕も観るようになったが、ディズニーのアニメ映画はどれも質が高くて驚かされる。歌、音楽、映像、キャラクターのいずれもが優れていて、娯楽でありながら総合芸術も目指しているのが伝わってくる。ストーリーの深みもあり、「現代の神話」といった感じだ。ディズニー作品を人生のバックボーンにしていく子どもたちも多いのではと思う。
  僕が共感できたのは、主人公のモアナが「自分に課せられた運命」に気づいて、引き受けていくところだ。「なんで私が?」というのがキーフレーズの1つだが、それは考えても答えの出ないことであって、結局は「持って生まれた力をどうやって活用すれば人々のためになるのか?」という問いに変わっていく。そのプロセスは僕たち1人1人に重なるところがあるのではと思った。
  一方でいわゆるサクセスストーリーになりすぎているような気もした。モアナは挫折や失敗もするのだが、本質的な敗北ではなく、あくまでもアクセントとしての「一歩後退」に過ぎない気がした。「自分の限界を知る」といった要素も、もっと設けてほしかった。

 

写真1 人吉市にある「村山公園」にて。岩のうえに乗った響はおたけびを上げる。

 

写真2 球磨川のほとりを歩く響。川と同じ高さに下りると、景色の自然度が高くて気持ちがいい。

 

写真3 春になって、次々と庭に花が咲いている。

 

写真4〜6は水上村にある公園「水上カントリーパーク ほいほい広場」で撮った写真です。

写真4 響は必死で遊具を登ろうとする。

 

写真5〜6はほいほい広場にある「ギャラリー&カフェ宙(sora)」で撮った写真です。

写真5 天体観測所がアートカフェになっている。

 

写真6 創作アート作品がたくさん売られている。店長の宇井恭子さんの料理も個性的でおいしい。

 

写真7〜8は宮崎県えびの市にある「えびの市民図書館」で撮った写真です。

写真7 保健センターや資料館などの集まった一角にある。

 

写真8 絵本『シェイカー通りの人びと』(アリス&マーティン・プロベンセン作、江國香織訳、ほるぷ出版、1999年)。ドラマティックでないごくありふれた光景の積み重ねが、かえって感情を呼び起こす。 

 

写真9〜12は宮崎県えびの市にある「古民家カフェ 田の神さぁ(たのかんさぁ)」で撮った写真です。

写真9 鳥居がある不思議な建物に入ると・・・。

 

写真10 おしゃれなカフェレストランになっていた。お客さんが多くて驚いた。

 

写真11 ポニーや引退した競走馬が飼われている。

 

写真12 鹿もいた。

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2017年4月日録2

4/18(火)山江村役場の衛生委員会に参加した。職員の皆さんの健康問題に対して支援を行ったり、予防や健康増進の手だてを考えたりする。村長さんをはじめ参加者の皆さんの意識が高く、どんどん議論が発展するので、参加していて楽しい。山江村役場ではもともと職員の健康管理が非常にうまくいっているが、さらなる健康増進に向けての試みを探していけたらと思う。
  山江村にある「時代(とき)の駅 むらやくば」(8680092熊本県球磨郡山江村山田甲1415、電話0966357000、ブログ)に出かけた。昔の役場の建物(木造)をリフォームした場所で、小さな美術館に来たような雰囲気がある。1階は農村レストラン「やまえのまんま」になっている。NPO法人が運営しているだけあって、営利目的の食堂とは違い、山江村の良さを味わってもらいたいというのが活動の根幹なのだとわかる。地元の野菜やタケノコなどを活かした日替わり定食はお腹いっぱいになってしかもヘルシーだ。響にも子ども用のミニ定食をいただいたりして、ありがたかった。
4/23(日)昨夜は家族で映画を観に行き、夜遅かったので宇土市の「米屋旅館」(〒8690431熊本県宇土市本町4-32、電話0964220261)に泊まった。小さいけれど内装がとてもきれいで、職員さんも非常に親切な旅館だ。朝食後に「近くに子どもを遊ばせる場所はないですか?」と尋ねたら、「子どもの遊び場ではないですが」と前置きをされたうえで、「轟(とどろき)水源」(〒8690457熊本県宇土市宮庄町)のことを教えてくださった。「朝のさわやかな雰囲気に合う」のだそうだ。
  さっそく出かけてみた。里山の農村風景のなかに、突然小さな池のようなものがある。それが水源だった。近所のおばあちゃんが2人おられたのでお話を聞いてみたが、ずっと以前から水がわき続けているのだそうだ。夏には子どもの水遊びで賑わうとのことだった。
  すごいと思ったのは、地域のおじいちゃん・おばあちゃんたちや、若い人たちが、次々と集まってきたことだ。特に用事があるようにも見えず、なんとなくのんびりしたり、おしゃべりしたりされているようだった。水源のまわりには明るさと涼しさがあり、気持ちがほっとする。こういうのを「パワースポット」と言うんだろうなと思った。何とも言えず気持ちよくなる場所というのがあるのだ。
  次に氷川町(ひかわちょう)にある「竜北公園」(〒8694804熊本県八代郡氷川町大野919、電話0965535388)に出かけた。以前同僚から勧めてもらって行こうとしたが、別の公園に行ってしまい、結局行けなかったことがある。長い滑り台があるというのをネット記事でも読んでいた。今度こそはぜひ行ってみたかった。
  いざ着いてみると、以前来たことのある「道の駅竜北」の道路をはさんだ向かい側だった。そのときは公園があると気づかなかったのだった。加えて意外だったのは、かなり急な斜面に沿って公園が広がっていることだ。平地に広場や遊具がある光景を予想していたので、びっくりだった。
斜面や階段を登っていくので、妊婦の美紗さんにはかなり大変だった。しかも公園についてから、スライダーの乗り口までにさらに登り坂が続いている。それでも滑り始めると子どもたちが大喜びして叫び声をあげた。やすみも響も5回も滑った。響が自分で滑れるのが意外だった。アスレチックなどの際にも感じたが、響の腕力や脚力はかなり強くなっている。
  一方で響の言葉の発達は遅く、ミミズを「ワンワン」と言ったり、他の子どもの父親を「パパ」と言ったりする。1歳半健診でも「言葉が遅い」と指摘を受けているだけに心配だ。3歳半健診でも指摘を受けたら、専門的な医療機関に連れて行った方がいいかもしれない。響は明るかったり人当たりが良かったりするのでそっちの心配は全くないのだが、言葉については心配だ。

 

写真13〜15は山江村にある「丸岡公園」で撮った写真です。ちょうど桜が満開で、お花見に来た人がたくさんいました。


写真13 桜の花のゲートをくぐっていく。

 

写真14 桜の木の下でピクニックをした。

 

 

写真15 響はゴムボールを持って何回も何回もこの石の台に登った。

 

写真16 山江村の「つつじ祭り」。若い人が多く集まっていて活気があった。

 

 

写真17 山江村の農村レストラン「やまえのまんま」にて。地域の食材を活用した健康食だ。

 

写真18〜20は宇土市にある「轟(とどろき)水源」で撮った写真です。


写真18 里山の風景のなかにいきなり湧水の池がある。涼しい風がわたる。

 

写真19 やすみも響も遊びたがった。水遊びの用意をしていっていなかったのが残念だった。

 

写真20 水源の裏側が小さな森になっていて、その向こうに菖蒲園があった。

 

写真21〜26は氷川町にある「竜北公園」で撮った写真です。


写真21 傾斜地にある公園なので、登りの階段が多い。

 

写真22 100数十メートルの長い滑り台(ロゥラー・スライダー)がある。

 

写真23 スライダーにたどり着くまでにさらに階段がある。きついはずだが子どもたちはよく登った。

 

写真24 いよいよ滑れるときだ。二人で最後まで滑れたので驚いた。

 

写真25 もみくちゃになりながら登ろうとする。結局二人とも一番上には行けないのだが、何度でも登ろうとするから不思議だ。どこからそのエネルギーがわいてくるのか…。

 

写真26 木陰でピクニックをした。

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2017年4月日録3

4/25(火)人吉市保健センターの保健師さんたちと話す機会があった。皆さん僕とは顔なじみで、いままでにも会議などでお会いすることがあった。ただ正面切って子どもの支援システムなどをお話する機会はなかった。痛感したことは、子ども支援の体制はまだまだ本質的に不充分な点が多々あり、熱心な保健師さんほど限界や矛盾に直面してしまうということだ。なのでまずは子ども・発達症の支援に関わるさまざまな職種で集まって、現時点の支援システムでどんな問題が起きているのかを、率直に語り合うのが必要なのではないかと思った。完璧な制度はないが、現場の支援者が知恵を出し合うことで、改良していける余地はたくさんあると思う。
4/29(土)子どもたちを遊ばせるために、宮崎市にある遊園地「こどものくに」(〒8892162宮崎県宮崎市青島1-1-1、電話0985651111)に出かけた。ところが着いてみると、以前の遊園地はスワンボートを除いて撤去される工事が行われていた。芝生の公園になるそうだ。とても残念だった。でも子どもたちは残された滑り台とアスレティック、ツリーハウスで数時間たっぷり遊んで満足そうだった。
4/30(日)「宮崎市フェニックス自然動物園」(〒8800122宮崎県宮崎市塩路浜山3083-42、電話0985391306)に出かけた。以前来たときには気づかなかったが、動物園と一体化する形で遊園地があり、子どもの乗り物がたくさんある。動物たちを見る前にやすみは遊園地に夢中になってしまった。
  それならと乗り放題の券を買ったのだが、今度は響が眠り出した。やすみはやすみで、売店のなかにあるゲームをしたいと言い出した。子どもの注意はころころ変わるので、親はついていくのが大変だ。でも子どもが楽しめばそれでいいので、目的は達成できて良かった。2日後に次の娘のしずくが生まれたらしずくが中心の生活になるので、それまでに楽しませてあげたかった。

 

写真27 球磨川の川べりを散歩する。響は川のスレスレに行きたがる。

 

写真28と29は宮崎市にある遊園地「こどものくに」で撮った写真です。遊園地の部分はなくなり、スワンボートとアスレティックだけになってしまいました。


写真28 アスレティックは充実している。網のトンネルを響はくぐれた。

 

写真29 川にも飛び石がある。

 

写真30 日南市の通りがかった海岸にて。波が高く、サーフィンをする人たちでいっぱいだった。

 

写真31〜32は宮崎県日南市にある「太陽と南洋のパーク サンメッセ日南」で撮った写真です。


写真31 急な斜面に沿ってアートパークのような施設が広がっている。カートで移動できる。

 

写真32 カートを降りてからの移動だけでもきつい。でも後ろを振り返ると、海の広大さを体感できる。

 

写真33は「宮崎市フェニックス自然動物園」で撮った写真です。動物園のなかに遊園地もあります。


写真33 ジェットコースターなどではやすみよりも僕たち大人の方が怖がってしまう。

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