お休みどころ

こころの相談活動を作り続ける
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大雨と洪水 2020年7月4日(土)

   テレビを見ていないこともあり、大雨については全く心配していませんでした。気づいたのは当日の早朝です。朝の4時台に警告音と共にエリアメールが20通以上入ってきました。数十年に1度の大雨で、氾濫のおそれがあるとのことです。たしかに外を見ると強い雨が降っています。
   そのうち人吉市全域に避難指示が出ました。お休みどころは人吉市のはずれの丘の一角にありますので心配はごく少ないです。ですが市の中心部は球磨川のほとりであり、洪水が心配です。朝7時ごろには人吉市の下流の球磨村で洪水が起こったとの報道がありました。ザアザアと雨は降り続けています。
   洪水は僕が人生で経験したことがない状況です。朝に何度も停電が起こりました。テレビ中継で見ると、人吉市の見慣れた川沿いの景色が映り、球磨川の水位がまさに住宅のスレスレまで迫っています。近くに住む人たちは生きた心地がしないでしょう。こちらの気持ちに関係なく、雨は淡々と強く降り続けています。
   ニュースで球磨川上流の市房ダムが放流すると報道されました。ダムの問題点として、大雨の際の放流で下流の洪水が起きてしまうことがあると読んできました。さらに洪水が悪化するのが心配です。また何度も何度も停電しています(放流は結局中止されました)。
   8時過ぎ、人吉市の氾濫の画像がニュースに出ました。見慣れた川沿いの道が濁流に飲まれています。僕は病院に行く時間だったのですが、ルートをよく考えないと洪水のために職場に着けない可能性がありました。
   美紗さんと車で出たのですが、道路が水浸しでバシャバシャ水しぶきが上がります。川のように水が流れていたり、斜面が崩れているところがあり、美紗さんが不安がっています。そのうちとうとう膝まで水に浸かるところがあり、車が止められて引き返さないといけなくなりました。僕はそこからは歩いて病院に行くことにしました。
   長靴をはいていたので、すこしくらいの水なら大丈夫なのですが、太ももくらいまで水がたまっていて、歩けそうにありません。迂回してなんとか病院にたどり着けました。僕よりもずっと早い時間に主要なスタッフが集まっていたので驚きでした。なかには朝5時に出発してきた人もいました。
   万が一の浸水に備えて、外来のカルテを2階に運んだりしたのですが、水位がどんどん上がってきます。さっきまで病院の外の浸水だったのが、外来の待合室に入ってきて、それからさらに水位が膝の高さになり、とうとう腰まで浸かるようになりました。外を見ると濁流がすごい勢いで流れています。映画のようでした。まさかと思っていた病院の浸水が現実に起こったのです。それもあれよあれよという間にあっけなく起こったのでした。
   被害は壊滅的で、何もかもが泥水の下にあります。浮力のために、冷蔵庫がプカプカ浮かんだりしています。もはや物を運ぶ場合ではなく、人命の被害が出ないように、安全なところで待たないといけません。どこまで水位が上がるかわからないので、とても不気味でした。スタッフは悲壮な顔をしているというよりも、あまりのひどさにもはや笑っていました。
   その後、水位が僕の腰になり、ピークに達しました。備蓄食を病棟に運んだり、流れ着いたゴミをどけたり、掃除をしたりして過ごしました。今日は病院から帰れないと思ったのですが、水の引き方は意外と速く、12時ごろには水位が下がってきました。
   水が引いたあとには、一面の泥が残されています。それも戸棚のなかやコピー機のなかのすみずみにまできれいに(?)入り込んでいるのです。午後はひたすら掃除をして過ごしました。「よくこんなに狭いところにまで入り込んだなぁ」と感心というかあきれるほど、汚れています。ただ洪水の記録によくあるような「糞尿まみれの泥水の臭さ」はなかったのが、不幸中の幸いでした。
   もう1つの不幸中の幸いは、土曜日に洪水が起こったことでした。日曜日を掃除にあてられます。平日ならもっと混乱が起きたでしょう。また大雨で道路の寸断や橋の崩壊なども起きていたのに、主要な病院スタッフが病院にたどり着けたことも幸いでした。
   災害はいつの間にかやって来ます。現実味がないままに、ふと気づいたら起こっていたということがありうるのです。そのときにどう立ち向かうかは、普段の組織のあり方が出るのでしょう。危機を成長のチャンスととらえられるか、単なるダメージととらえるかで、成果が全然違ってきます。災害は普段は見えない組織の実相を写し出すのでしょう。
   それにしても災害の前には人間の作り出したものはあっさりと崩されていきます。「浜辺で砂の城を作っているが、海の波に流される」という例えがありますが、人間社会はそんなものなのでしょう。災害が起こったら、ほとんどのものを諦めないといけない。また身一つでゼロからスタートになるのですね。これからもそういう機会があるのだと思います。もう一度振り出しから始めましょう。

 

追記1   亡くなられた方、被災された方にお見舞い申し上げます。

 

追記2   洪水がおさまったあとも雨は降り、何度も球磨川の水位が危険域に入りました。その度に「また洪水が来るのでは」とヒヤヒヤしました。震災の時に余震で不安になったということを聞いていましたが、洪水にもそのような「あとあとまで続く恐怖感」があるのだと知りました。

 

写真1   大雨で庭が水浸しになった。

 

写真2   運転すると激しく水が飛び散る。

 

写真3    ここから先は車で進めなくなった。

 

写真4   道路の上に水があふれていた。

 

写真5   みるみる水位が上がり、濁流のようになった。

 

写真6   泥水の池が残った。

 

写真7   街には至るところにゴミが残った。

 

写真8   数日後でも洪水のあとが生々しく残っている。

 

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植村彰さんについて 2020年7月7日(火)

   7月4日に集中豪雨で人吉市で洪水が起きました。その際に停電や断水が起きたのですが、あわせて携帯電話が不通になりました。その後数日間、受信は遅れてできるものの、発信は全くできなくなりました。ですので僕と連絡が取れずに僕の安否を心配してくださる方がたくさんありました。
   植村彰さんもその1人です。植村さんは僕が初めて勤めた伊敷病院の院長でした。植村さんからはカルテの書き方や患者さんとの接し方、病棟でのスタッフへの指示出し、文化祭などの行事への参加、デイケアなどの精神科リハビリテーションなど、精神科診療の基本を全て教わりました。植村さんの振る舞いを後ろから見ていて、「あれはいい」「これはよくない」などと偉そうに考えながら、仕事の仕方を学んでいったのです。
   植村さんのライフワークは精神療法です。現代風に言えばトラウマのケアになります。粘り強く信頼関係を作りながら、少しずつ相手の内面に分けいっていき、過去の心の傷を受け止める力を強めたり、物事の見方を変えていく治療法です。大変に時間とエネルギーと根気を要する治療ですが、植村さんは当たり前のようにこなされていました。ですので僕たち学ぶ者にとっても当たり前だったのです。
   ですが違う病院に移ってみると、当たり前ではなかったことがわかりました。植村さんが作り出していた病院の雰囲気というものがあったのです。例えば以下のようなことです。ヾ擬圓気鵑力辰鬚犬辰り時間をかけて聞くことに理解がある(通常の病院では、収益の構造上、いつの間にか数を速くこなすことに力点が置かれてしまいます)。∧雑な人生史を生きてきた治療が難しい患者さんの診療に理解がある(同じ理由ですが、こなしやすいケースをたくさんこなすようにいつの間にか求められているのです)。K椰佑世韻任覆、家族や関係者の話を聞くことに理解がある(家族や関係者との面談には時間がかかります)。ご擬圓気鵑範辰垢个りでなく、いっしょに作業をしたりスポーツをしたりしながら、信頼関係を作っていくことに理解がある(いずれも収益にはつながりませんが大切なことです)。グ綮佞匹Δ靴気楽に意見交換したりカバーし合える雰囲気がある(医師のプライドは高いので、知らず知らずのうちに、互いに干渉せずという形になりやすい)。
   このように書くと、植村さんが採算を度外視していい医療に力を尽くしたように見えますが、経営者として常に採算の問題には悩まれていました。ただライフワークとしての精神療法に取り組まれていたからこそ、悪い意味の「薬物療法主義」や「経営主義」に陥らずにおられたと思うのです。よほどの信念がないと、「ポンポン薬を出して数をこなす医療」になりやすいです。精神科と言えば患者さんの話をじっくり聞くイメージですが、実はそれを続けていくことは至難の技なのです。
   植村さんは雄弁家ではなく、どちらかと言うと、行動で示すタイプの方です。難しい理屈をこねくり回すよりも、黙々と誠実に関わり続けるところに真骨頂がありました。実際に伊敷病院の難しいケースやこじれたケースは、結局は植村さんが引き受けるところがありました。だからこそ他の医師はのびのびと仕事ができました。ある意味では、植村さんが下支えして、「和気あいあいした医局」というフィクションを作り出していたとも言えます。どれだけ困難なケースに関わり続けられるかという忍耐力には、個人差が大きいからです(胆力や精神的なタフさ、撤退する勇気などが求められる)。
   実践家の植村さんだからこそ、僕にくださるアドヴァイスには、頑張りすぎないことや突き詰めすぎないことを説くものが多かったです。「てげてげ」という鹿児島弁がありますが、「何事もほどほどに」というニュアンスがあります。いつか「てげてげ」の大切さをおっしゃっていたことがありました。病院の運営は理屈で突っ走るだけではうまくいかないのでしょう。
   また「相手の話を聞きすぎないこともケースによっては必要」といったことをおっしゃっていたこともありました。何でもかんでも話を聞けばいいわけではなく、あえて深掘りし過ぎないこともケースによっては必要ということです。話を聞くアプローチを徹底していた植村さんだからこそ説得力があります。
   洪水の経験(いわゆる「86(はちろく)水害」)もあられ、お話してくださいました。「裏庭が崩れて大変でした」「台風の時に自宅が200メートル先に不時着したという先輩の言葉に励まされました」。あっさりとおっしゃいますが、とてつもないご苦労があったことと思います。
   生き方についての植村さんの教えを要約すると「経験に基づいたしたたかな実践知」となるのかもしれません。あるいは「瞬発力よりも粘り強さで勝負」となるのかもしれません。いずれも理論化しにくく派手さはありませんが、実務にはとても力を発揮します。僕自身は植村さんの弟子というにはあまりにも言葉が先走り過ぎますが、粘り強さや誠実さの部分を引き継いでいければと思います。

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災害復興から学ぶこと 2020年7月12日(日)

   7月4日の洪水以来、僕の病院での仕事は災害復興が中心になりました。8日間経ったいまでは、だいぶ通常の業務に戻りつつあります。被災病院の復興に関わった経験から学んだことを、以下に書いてみます。
   なお自分たちが成功したから書いているのではなく、それぞれの項目の背景には、うまくできなかった苦い経験が含まれています。ですので以下の項目の反対を思い浮かべていただくと実態に近いかもしれません(泣)。

 

〆匈寡興は柔軟さを要求する
   医療は専門細分化が進んだ分野です。そのなかでは精神科は比較的トータルに患者さんの生活全般の相談に乗る方ですが、とはいえ精神科医の診療分野もさらに細かく分かれています。児童思春期・気分障害・依存症・認知症・トラウマ関連の問題・摂食障害・睡眠障害・職場のメンタルヘルス・妊産婦のメンタルヘルス・リエゾン精神医学・地域支援などなどです。治療法もさまざまであり、どうしても自分の専門領域だけを見がちになってしまいます。
   ところが災害復興に関わることは、専門性よりも人間の基本力を要求してくるところがあります。例えば平時の病院組織と、災害復興の病院組織は全く違った動き方をします。同じような顔ぶれであっても、指揮系統・伝達・役割・作業が違ってくるのです。平時の医療に関しては医師の裁量が大きいのですが、災害復興に関しては医師だからといって詳しいわけではありませんし、指示を出せるわけでもありません。むしろ平時は裏方の設備や総務のスタッフが前面に出てくるのです。僕も1人の掃除作業員であったり、現場の意見を本部に上げる中間管理職のようであったり、はたまたスタッフのトラウマやストレスのケアに当たる立場であったりしました。ですので平時の自分の立場や役割にこだわらず、いま自分に求められている役割を汲み取って、柔軟にこなしていく必要があります。柔軟さへの要求が平時よりも大きいです。 

 

▲好肇譽溝仆茲求められる
   また平時と違うことは、ストレスがかかるなかで活動していかないといけないところです。洪水についても、幸運なことに1回だけですみはしましたが、何度も水位上昇の注意喚起や避難勧奨のエリアメールがきて、落ち着かなかったりヒヤヒヤしたり、気分が悪くなったりしました。いいコンディションのなかで力を発揮するよりも、悪いコンディションのなかでなんとか耐えながら役割を果たしていく方が難しいです。
   このような状況でつぶれないためには、気持ちの切り換えやストレス発散にたけている必要があります。また自分の弱点や限界を知っておくことも、無理を避けるために必要です。休日を取ること・仲間とのコミュニケーション・家庭でのだんらん・庭仕事など体を動かすこと・ストレッチなどのリラクゼーションなどなど、自分をくつろがせる方法を知っておくことが求められます。復興の作業を効率的に進められるかどうかは、個人個人のストレス対処能力が鍵を握ります。

 

4架討気求められる
   災害時には混乱が生じることは避けがたいです。機能的な災害対応組織になるには、時間がかかります(復興が軌道に乗った頃に、やっと組織が機動的になります)。それまでには指揮系統が混乱したり、伝達がうまくいかなかったり、必要な人員が現場に届かなかったりします。スタッフ間でのもめごとも起きやすいです。「うまくいってはいないけど、災害時には、もめるのがいちばん良くない」と心に言い聞かせて、我慢しないといけないことも多いです。「限界はあっても、とりあえずいま集まったメンバーで、あくまでも自分たちにできることから、少しずつ始めていく」という姿勢が大事でしょう。仲間割れをしてエネルギーを浪費しないためにも、寛容さが求められます。

 

SOSを発信する力が求められる
   さまざまな支援物資をいただき、さまざまなボランティアの方々が来てくださいました。人間の優しさを活かすためには、的確にSOSを発信する力が求められます。漠然とではなく、どこに何が不足していて、どんな力が必要なのかを簡潔に伝えないといけません。場合によっては受け入れのキャパがないのでお断りしないといけないこともあります。それには優れたコミュニケーション力がいります。同じ被災状況でも、発信が上手かどうかによって、復興の進み方は大きく違ってくると思います。

 

ゼ匆颪琉谿だという意識が生じる
   普段僕たちは自分が地域社会の一員だと意識することは少ないです。選挙ですら形骸化している面があります。ところが災害が起きると、急に地域の一員としての動きを求められます。行政の指示で避難したり、近隣で助け合ったり、被災した友人の応援に行ったりします。「個人としての自分」ではなく、「人のつながりのなかでの自分」を強く意識するのです。
   おそらくこれは一時的なことで、時間が経てばすぐに薄れていくのでしょう。ですが自分のなかにも同僚のなかにも、これほどの公共奉仕の気持ちがあることに驚きました。個人としての自分を守ろうとするだけではなくて、患者さんはもちろんのこと、家族や友人や同僚や地域を守ろうとする意識があったのです。体の面で「火事場のくそ力」があるように、気持ちの面でも「火事場の社会奉仕意識」があるのですね。

 

γ昔呂魑瓩瓩蕕譴
   混乱のなかでの決定は確実ではあり得ません。間違いや不合理なことを選んでしまうこともあります。ですが選択しないと前に進みません。復興を進めていくためには、初期には特にリスクを取って選択する胆力が求められます。心配ばかりしている人、保身ばかり考えている人、責任を負うのを嫌う人には復興支援は向きません。組織の中枢に胆力のある人がいるかどうかも、復興の成否を左右するでしょう。たとえ間違った選択であっても、意思決定のプロセスを経ているなら、最終的にはいい方向に進むものです。逆に誰が何を決めたのかがはっきりしない組織だと、いつの間にか間違った方向に進み続けることがあり得ます。厳しいことですが、決定の責任者を明らかにしておく必要があります。それが組織の経験値を高めることにつながるでしょう。 

 

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   災害時には過去のトラウマがよみがえってきやすいようで、患者さんとも同僚ともトラウマについて語ることが増えました。おそらく異常なストレスがかかって、普段は心の奥に蓋をしている恐怖感やストレス・悲しみなどが浮かび上がってくるのでしょう。これは大変な事態ともいえますが、好機とも言えます。しっかり受け止めてトラウマのケアができれば、いままでよりも絆を強めることができるからです。うまくいけばより柔軟で機動的な組織になります。失敗すれば、よりギスギスした組織になります。立ち話をする程度でも十分なことが多いですが、誰かがトラウマケアの担当になる気持ちでいた方がいいでしょう。

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2020年7月日録1

7/1(水)   子どもの相談・保護者の相談・学校の先生の相談・支援職の相談が1日にあった。感じたのは、支援する側の相談を受ける方が、ずっと疲れるということだ。別の言い方をすると、支援職の方が、子どもや保護者よりも行き詰まり感や絶望を感じやすい。さまざまな支援方法を試みてもどうしても前に進まないケースが相談にあがってくるので、支援職は疲れきっており、しかも職業柄それを表現することもできない。なので支援職の相談を受けることには大きな社会的な意義がある。支援職のバックアップをできるようでありたいと思った。
7/7(火)   洪水被害からの復旧作業が病院で続いているが、異様な事態なので、スタッフはどうしてもイライラしたり疲れたりしやすい。掃除などの基礎的な作業が一段落してくると、さらに精神的なストレスが増えると予想される。今後必要なのはスタッフの気持ちのガス抜きだ。僕もゆったりした受容的な気持ちでいるように心がけないといけない。
7/10(金)   僕が師と仰いでいる精神科医の小林幹穂さんにはやや偏屈(?)な面があり、なかなかお会いする機会がない。ところが洪水支援のDPAT(ディーパット、災害派遣精神医療チーム)の本部長として人吉市にいらしてくださった。病院に訪ねてきてくださり、やっとお会いできた。東日本大震災の支援にもずっと行かれており、災害支援の経験が多くあられる。小林さんの関心はただ精神科診療をするだけではなくて、「精神科診療の手の届かない人たちへの支援」にある。その点が僕と重なるところであり、尊敬してやまない点だ。災害は「支援ニーズがあって、支援が届いていない地域の人たち」の存在を浮かび上がらせるところがある。精神科の立場からの災害支援の本質は、「普段は医療につながらなかった人たちへの、医療からのアプローチ」にあるのだと思う。
7/12(日)   吉田病院の洪水復旧を応援してくださっているのが、産婦人科医の蓮田健さんだ。疲労しているスタッフのために食事やお菓子を届けてくださり、さらに患者さんたちのためにも疲労回復の食事提供を計画してくださった。僕の段取りが悪くてこの食事提供は実現せず、蓮田さんには大迷惑をおかけした。それにも関わらず再度吉田病院のスタッフや患者さんにとお菓子を持っていらしてくださった。蓮田さんは当たり前のように人助けの行動をされる。スタッフには大きな追い風だ(蓮田さんからの患者さんたちへのおいしい備蓄食の提供は結局実現した)。
   以前から僕は蓮田さんの病院のこころの相談をお手伝いしていて、僕は慈恵病院の様子を見せていただくことがある。一方で蓮田さんには吉田病院の様子を見ていただくことがなかった。そこで見学していただき、病棟のスタッフも見ていただいた。産婦人科と精神科の現場は全然違い、意思疎通に知らず知らずにズレが生じやすい。互いの仕事について理解しあえれば、連携支援がもっとやりやすくなるだろう。そして精神科ならではの役割が何なのかも、もっと見えてくると思う。

 

写真1   山江村にある「時代(とき)の駅 むらやくば」。手作りの日替わりランチには暖かみがある。

 

写真2   いただいたゴーヤの苗を庭で育てることにした。

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2020年7月日録2

7/13(月)   子どもの診療をしていると、愛着の問題を抱える子と出会うことがときどきある。難しいのは子どもの病状が重いケースよりも、実は親が愛着の問題を抱えていて、それが子どもに影響しているケースの方だ。最初から親の課題を見抜ければいいが、難しいことが多い。それどころか例えば父親に愛着の問題があるのに、子どもの受診は母親だけしか来ないといったように、病院に来ない家族に治療の鍵があるということもよくある。本人の病状ばかりを聞くだけではダメで、はじめから家族全体の様子をていねいに聞き取っておく必要がある。愛着の問題は投薬中心の治療だけでは良くならず、的確な見立てを得ることが決定的に重要だ。見立てさえ間違っていなければ、いつか信頼関係を築き直せるチャンスが来る。見立てを間違えばチャンスを逃してしまう。
7/14(火)   息子の受診で熊本県こども療育センターに出かけた。今日は作業療法士の方の検査があった。息子の体の使い方についてのきめ細やかな評価ののちに、全体をまとめると「低緊張」だとお話があった。手先の不器用さやバランスの悪さもそこに由来するのだそうだ。また日常生活動作についても息子には一般以上の負荷がかかっており、かなり頑張って過ごしているのだと説明があった。息子を普段見ているだけでは、「運動が苦手だ」「どんくさい」ぐらいはわかっても、「低緊張」という考えには至らない。楽をしようとして怠けているのではなく、努力しているのだとわかり、親として大きな安心を感じた。息子に対して抱いていた漠然とした不安が、専門家の介入で、より精密な共感に変わっていく。専門家はすごいと思った。
7/15(水)   人吉市の西瀬橋が洪水で崩れてしまったので、子どもたちを保育園に送る際に迂回路を使うことになった。迂回路は普段は使わない林のなかの道なので、細いしカーブが多く、しかも一部が崩れている。また通る車が急に増えたので、交通が詰まりやすい。この迂回路に限らず、人吉市内は渋滞がひどくなっている(特に人吉インター周辺)。工事や支援やゴミの除去などさまざまな目的のために交通量が増えているのだろう。特に朝の8〜9時ごろがひどい。洪水はさまざまな影響を地域にあとまで及ぼす。
7/19(日)   災害対応で疲弊して病院に緊急受診する人が増えてきた。もちろん以前から通院されている方にも被災して避難所生活になり、調子を崩している方がたくさんいる。被災してしばらくは泥掃除などで気が張っているが、しだいに精神面に疲労の影響が出てきやすい。いまからは受診・入院する人がさらに増えるはずなので、病院は備えないといけない。 
7/21(火)   錦町の小学校の5・6年生にゲーム症の授業をした。子どもたちはすなおに感じたままの質問を出してくれるので、こちらも巣のままに戻される。いい質問がたくさん出たので驚いた。思い出せるだけでも以下のものがある(質問は意訳してあります)。
.押璽爐鬚靴燭蘰辰卜匹ない時間帯はいつですか?(→夜です。脳が興奮して十分に眠れなくなるのが心配です)。
普通のゲームとオンラインゲームでは、どちらがゲーム症になりやすいですか?(→ゲーム症のほぼ全てと言っていいぐらいがオンラインゲームへの依存です)。
ゲームの世界と現実の区別がつかなくなるのは、重症ですか?軽症ですか?(→ゲームの世界の比重が増すほど心配です。また現実の学校生活で孤立していたり、家庭がうまくいっていない子どもほど、ゲーム症の危険が増すそうです)。
ぅ押璽牋奮阿砲皸預絃匹呂△蠅泙垢?(→アルコール・ニコチン・ギャンブル・ドラッグ・買い物・恋愛など無数にあります。厳密に言えばあらゆる快楽に依存症の危険があります)。
ゥ罅璽船紂璽弌爾魯優奪醗預犬砲賄たらないんですか?(→当たります。悪影響も起こります。僕は実際にプロのゲーマーをしていた方の話を聞いたことがありますが、1日に10時間以上ゲームの練習をしないといけないなど心身共にかなり過酷な生活です。体調や精神面も不調をきたしやすいですので、お勧めしません)。
Ε押璽爐これだけ有害なのに、なぜ売られているんですか?(→ゲーム会社は売り上げを上げたいからです。医療者とゲーム会社の対立があり、ゲームの社会的な規制はなかなか進まないと聞いています)。
Г覆執畧邯だけがゲーム規制の条例を作ったんですか?(→先駆的な試みです。賛否両論あり、子どもの権利の侵害だという意見もあります。現場の医師としては賛成です)。
┘押璽爐琶拔できる教材があるなど、ゲームにもいい面があるんじゃないでしょうか?(→たしかにそうですね。薬に作用と副作用があるように、ゲームにもいい面と悪い面があります。どう付き合っていくかですね)。

 

写真3   絵を描いて遊ぶ子どもたち。やすみは絵画教室に行くのを楽しみにしている。

 

写真4   まだまだ人吉市内は復旧の途上だ。

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2020年7月日録3

7/19(火)の続き   息子の響が療育センターで作業療法を受けるので、連れていった。作業療法士の方は、いわゆるトレーニングではなくて、遊びのなかで訓練していくことを重視されており、子どもが楽しめる雰囲気を作ることに注力されていた。主に上肢のトレーニングだったが、台車にうつぶせに乗って両手の力で進んだり、ターザンのようにロープにつかまってボールを蹴ってボーリングのピンを倒したり、趣向がこらされていた。療育は小さいうちが勝負だが、小さい子どもほど、強制ではなくて自発的な遊びのなかでこそ、成長できるのだろう。
7/20(水)錦町にあるピザレストラン「Farmer’s Cafe SAKURI(咲莉)」は、広々した田園地帯のなかにある。高い場所にあるので洪水の被害は受けなかったと思っていたが、局所的に水路があふれて床下まで浸水したそうだ。洪水の影響はかなり広く及んでいる。自家菜園でとれた野菜を活かしたパスタ、そしてレンガのピザ釜で焼き上げたピザは、いずれも絶品だ。おいしいものを作り続ける意思力に驚く。
7/21(木)   来年の2月に熊本県の産山村(うぶやまむら)の中学校に授業に行くことになった。産山村が人口1000人台の小さな村であること、阿蘇のさらに奥(大分県側)に位置していること、そして村に高校がないので子どもたちは高校に行くために村を出るということを聞いた。以前僕が住んでいた水上村に近い状況だとは思うが、イメージしにくい。そこで阿蘇に旅行に行き、あわせて産山村に行ってみることにした(結局は豪雨で産山村には行けなかった)。
   高森町にある「南阿蘇ふれあい動物園  フェアリーテール」は、家庭牧場(?)といった雰囲気で、通常の動物園よりも動物たちとの距離感がずっと近い。子どもが望めばさまざまな動物との触れあいが楽しめる。例えば大型犬たちとじゃれあったりできる。ヤギ・カメ・ブタ・ひつじ・ウサギ・カモなどが敷地内をかなり自由に動いている。服に犬の毛がついたり汚れたりするが、はじめからそのつもりで行けば、思い出をたくさん作れる場所だ。
   健康のテーマパーク「阿蘇ファームランド」には以前から何度も行っている。震災で傷ついたときにも行ったので、いまの復興した姿を見ると胸がいっぱいになる。復興を通じて、ますます健康を重視した施設になってきている。「健康チャレンジ館」などでの運動・低温サウナ「健康十三窯」や大温泉などでのリラックス・健康的な食事が組み合わさっている。テーマパークと言えば暴飲暴食や浪費をして楽しむ場所というイメージだが、楽しんでより健康になるために行く場所になっていくのだろう。現在だけでなくて未来を感じられる場所だ。
7/28(火)   美紗さんとマッサージに出かけた。美紗さんは以前からマッサージが好きだが、僕はどちらかと言えば緊張するので苦手だった。でもトラウマを抱えた患者さんはいつも心が緊張しており、ほぐしてもらうためにはこちらがリラックスしていないといけない。最近自分自身がリラックスする大切さを痛感しており、それにつれてマッサージが好きになった。体をほぐすことは気持ちをほぐすことにつながる。気持ちを緩めることを学んでいきたい。
7/29(水)   息子の響が療育センターで検査や診断を受けた。診断を受けるまではなんとなく怖い気がしたが、いざ受けてみると関わり方の指針が見えてきて、逆に落ち着いた。親だけでは子どものことはわからないので、アドバイスや励ましが必要だ。医療機関はその役割の一端を担うことができる。まずは「問題をいっしょに考えてくれて相談できる先があるんだよ」と伝えることが大事だと思う。

 

写真5   錦町にあるピザレストラン「Farmer’s Cafe SAKURI(咲莉)」。手作りのレンガのピザ釜で焼き上げたピザは、ピザ好きの美紗さんも絶賛だ。

 

写真6   熊本県の高森町にある「南阿蘇ふれあい動物園  フェアリーテール」にて。生まれて3ヶ月の子やぎのミルクやりを体験させてもらえた。

 

写真7   熊本県の南阿蘇村にある「阿蘇ファームランド」にて。子どもの運動発達にいい遊びがたくさん用意されている。

 

写真8   あさぎり町にある「をかし屋・トゴエル」にて。 お菓子を通して人と人がつながりあえる場を目指している。

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『てんかん学ハンドブック』を読む 2020年6月3日(水)

   「てんかん」は代表的な神経疾患の1つです。症状としてはけいれんが有名ですが、他にもさまざまな症状が出現します。世界的には現代では神経内科や脳神経外科が中心になって診療していますが、かつては精神科が診療していました。日本はこの「精神科がてんかんを診療する伝統」が現代にも生きている唯一の国だと聞いたことがあります。
   てんかんの患者さんが外来に来られるので、精神科医になった当初からてんかんには関心を持ってきました。ただ患者さんの数が多くはなく、また診療内容も「けいれんを薬で抑えればいい」というだけのイメージでしたので、興味が深まることはありませんでした。精神科のなかでは「たまに診るぐらいで、他の精神科疾患に比べると重要性は低い」と感じていたのです。
   そんな気持ちが大きく変わるきっかけは、発達症の診療に携わることになったことです。子どもでも成人でも同じなのですが、発達症にはさまざまな精神疾患が合併することがあります。うつ病や双極性障害、不安症、不眠症、摂食障害、依存症、統合失調症など精神疾患の多くが起こりえます。ですがその疾患の枠組みだけでは理解できないようなかんしゃく・食欲低下・頑固な不眠・非定型的な気分変動・非定型的な幻覚妄想・突発的な自殺企図などが起こってくるのです。
   精神科医としては当然ながら精神疾患を診断することで患者さんの状態を把握しようとします。診断が成功すれば、患者さんの現状だけでなく、いままでの経過やこれから起こりうる問題なども見えてくるものなのです。ところが発達症の人たちに二次的に起こってくる問題については、全然先が読めませんでした。急な病状の変化に翻弄されたり、いくら投薬しても改善がみられなかったりして、無力感を抱くことがしばしばでした。そもそも正確に診断できないような状態の患者さんが多かったのです。
    児童思春期の入院治療を始めてからも同じような状況で、暴力行為が続いて改善がみられないケース・病状が複雑で診断をうまくつけられないケース・気分の落ち込みや自殺行動がやまないケース・不眠が改善しないケースなどが多かったです。外来でもなかなか良くならない患者さんが多く、診療時間が長くかかって、患者さんが診察までに2〜3時間待たされてしまうようなことも起こりました。タンタンと流れに乗って診療していくことができなかったのです。
   そのようにして全然改善せずに何度も入退院を繰り返すケースに対して試行錯誤するうちに、問題の背景にてんかんがあるのではと思うようになりました。あまりけいれんを起こさないてんかん(側頭葉てんかんなど)が発達症に合併し、そこからかんしゃくや不眠や食欲低下や自殺行動などが起こってきていると考えられるのです。また脳波検査をしても異常所見があるケースが非常に多く、さらに抗てんかん薬で症状が落ち着くケースがとても多いです。このようにして僕の入院治療にも外来治療にも流れができてきました。秩序が見えてきたのです。
   いまになって考えてみると、発達症とてんかんの関係の深さは昔から知られていました。知的発達症については病状が重くなるごとにてんかんの合併率が上がることが以前から知られています。また自閉スペクトラム症の重症の方についても3割といった高率にてんかんの合併があるとされています。ですので当たり前と言えば当たり前なのですが、,茲蠏攵匹僻達症の方にも合併がよくあること、△韻い譴鵑鬚たさない焦点てんかんが多いこと、の2点になかなか気づかなかったのです。
   そのようにしててんかんを意識してみると、他の精神疾患の改善がみられないケースについても、背景のてんかんを見落としていることが多いのではと思えてきました。うつ病・双極性障害・統合失調症・不安症・解離症など実に多くの精神疾患にてんかんが関連していることがあるのです。いまでは困難事例を見た時に探る要因として、ヾ超や社会背景の問題、⊃祐峇愀犬箘γ紊量簑蝓△塙腓錣擦董↓1れているてんかん、がないかを疑ってみるのが日常になりました。
   学会でもてんかんのセッションに参加したり、てんかんに関する本を読むようになりました。そんななかで僕に感動を与えてくれたのが、『てんかん学ハンドブック 第4版』(著:兼本浩祐、医学書院、2018年)です。著者の兼本さんのことは学会のeラーニングで講演を視聴したりして知っていました。複雑な物事に対して、スパッと考え方の原理や自分なりの視点を提示される方で、気持ちのよさがあります。
   『てんかん学ハンドブック』は徹底的に臨床家に寄り添った本です。研究者としての厳密性よりも、診療の現場ですぐに役立つ実践知の提供を目指しています。ですのでてんかんについての体系的な知識を網羅してあるというよりも、ー分なりに診断して治療の見通しを立てるための知識、患者さんや家族に説明できるためのわかりやすい考え方、専門家に判断を仰いだ方がいいケースの見分け方、などが示されています。この3つがわかれば、診療していくうえでの怖さは大幅に減るのです。
   僕からすると、非常に頼りになる博士が同伴してくれているような感じです。迷ってもこの本を見ると、たいていのことには方針が示してくれてあるのです。あるいは冒険するための地図のような感じです。それがあれば大きな間違いは犯さずに進んでいけるのです。
   さらに文学的なおもしろさまであります。自然科学の本というのはデータの羅列になりやすく、無味乾燥だと感じさせることが多いです。ところがこの本には生きて血が脈打っているような感じがあります。さらにどのページにも読みごたえがあるのです。これは著者の文筆力のなせる業で、読者はいつのまにか「実践現場に著者といっしょにいるような気持ち」になっています。臨場感があるのです。
   精神疾患というのは大部分が慢性疾患であり、簡単には治らず、だらだらと再発を繰り返すものが多いです。また社会的な影響が大きく、病気のために就労がうまくできなかったり、家族関係が悪化したり、社会的に孤立したりといったことがしばしば起こります。自殺や犯罪といった甚大な結果をもたらすことすらあるのです。ですので精神科関係者は無力感を抱いたり、治療にモチベーションを持てなくなったり、自分たちのやっていることに自信が持てなくなったりしやすいです。
   そのようななかでも、率直かつ誠実にできることをやっていこう呼びかけがこの本にはあります。てんかんはタイプにもよりますが、発達症に伴いやすい「年齢非依存性焦点てんかん群」では、症状が消失するのは半数以下というものも多いです。患者さんはなんらかの意味で症状を抱えながら生きていくことになります。それはとても大変なことで、医師としても責任を大きく感じるところです。
   それでもできることをやっていくことには意味があります。仮に状態が大きく改善しないとしても、寄り添って改善をはかり続けるだけでも患者さんや家族の支えになることがあるのです。「限界はあっても、出来る限りのことをする」という姿勢を持ち続けられることが大事です。
   『てんかん学ハンドブック』には、多くの治療困難事例に寄り添ったうえで、さらに前向きな姿勢を持ちうることが示されています。自分の治療がうまくいかずに責められることがあっても、限界を提示して謝ることも含めて、治療です。現代医療の限界のなかで、「相手のためになるとは?」を模索することが診療の意味であり、その模索を助けてくれるのが『てんかん学ハンドブック』だと思います。

 

写真1   『てんかん学ハンドブック 第4版』(著:兼本浩祐、医学書院、2018年)。実践家の手元で役立つことが目指されており、非常にわかりやすい。さらにてんかん診療から見た人間学といった文学的な深みもある。

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2020年6月日録1

6/1(月)   メチルフェニデート徐放製剤というADHD治療薬を僕はよく処方している。日本で最初に承認されたADHDの薬であり、十分な効果(特に眠気を覚ます覚醒作用)があり、しかも飲んだその日に効くという速効性があるので、患者さんも手応えを感じやすい。副作用も食欲低下などあるが、比較的軽い。治療薬としては非常に優秀なのだが、有効成分が覚醒剤にやや近いという難点がある。メチルフェニデート徐放製剤そのものは安全にできており、依存性もほぼないのだが、乱用や闇での売買などがあったらしく、規制が強化された。医師は本人確認をしたり、処方をオンラインで登録したりしないといけない。このような事務的な作業は僕のもっとも苦手とするところだが、「その限界を越えないといけない」と同僚に諭された。たしかに医師の役割は患者さんの苦しみに寄り添うことだけではなく、行政官に近いような社会制度の遂行も含む。たとえ自分が苦手なことでも、社会的な役割なのでやらないといけない。
   子どもたちが成長してきて少し時間の余裕ができたので、美紗さんが人吉市のプールの体験に出かけた。インストラクターの指導のもとで、水中で歩いたり体操したりすることが中心だが、美紗さんがすごく生き生きしているのが、遠くから見ているだけでもわかった。定期的な運動の習慣が美紗さんにはなかったが、今後は心身の健康のためにも必要だ。僕自身も朝の簡単なトレーニングはしているものの、体を動かす機会を作らないといけない。気持ちだけでは健康にはなれず、肉体の活動を含む生活に切り換えないといけない。
6/2(火)   市町村のこころの相談・お休みどころへの訪問相談・電話での相談が1日にあった。それぞれのメリットとデメリットがある。市町村のこころの相談は、保健師さんが困難事例をあげてくださるので、多問題で支援の手が入りにくいケースに有効だ。一方で人手や予算が準備がいる。お休みどころの相談はどこにつないでいいかわかりにくいケースや、精神科受診の前段階のアセスメントのために有効だ。一方で自宅で相談を受けることもあり、困難事例が受けにくいことや、件数をこなせないことが弱点としてある。電話での相談はもっとも便利で手軽だが、声だけでのやり取りのために表情やしぐさなどが見られない。なので複雑なケースを分析したり、支援方針を探したりするのには向いていない。精神科では検査データが少ないぶん、他の医療以上に「言葉以外のその人の様子」がデータとなるので、直接会って話すことが必要になる。以上をまとめると、地域社会にはさまざまな相談ルートがあった方がいいと思う。
6/4(木)   職場の健診で人間ドックを受けた。健診はたくさんの受診者が病院に押し寄せ、流れ作業のような形で検査を受けていく。以前は「自分の意思と関わりなく流れに乗せられる」という窮屈感でイライラしていたが、今回は「指示されたことさえしていけば、あとはボーッとしていられる」という気持ちで過ごし、待ち時間に休息できた。最後の結果説明では、「あなたは長生きしますよ。だから生きる意味を考えておいてください」というアドバイス(?)をいただいた。病気の可能性ばかりを指摘される健診でおよそ聞きそうにないアドバイスで、聞いた直後はビックリした。でも考えてみれば、現代は長寿社会になっており、生きる意味をどこに見いだすかが最大の課題なのだろう。深いアドバイスだと後から思い直した。

 

写真1   花火をしていると虫がいた。

 

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2020年6月日録2

6/7(日)   息子の響は動物が好きで、たくさんの図鑑を持っている。最近大好きになったのが、『角川まんが科学シリーズ どっちが強い!?   〇〇vs〇〇』(ストーリー:スライウム、メングなど。まんが:ブラックインクチームなど、発行:KADOKAWA)というシリーズ本だ。最初に買ったのは「クモvsハチ」だったが、「ヘビvsワニ」「トラvsライオン」などいくつもある。子ども向けの冒険まんがでありながら、動物学的なデータが豊富に含まれており、専門書と一般書の両面を持っている。僕の小さい頃には動物が羅列してある辞書的な図鑑が多かったと思うが、現在ではテーマを設定した読みもののようなものが増えている。動物のデータそのものはインターネットの検索で比較的簡単に得られるので、より参加型で読書体験を重視する図鑑が増えてきているのだろう。 
6/9(火)   頭部外傷や脳の手術、低酸素状態などで高次脳機能障害になった人の支援に関わってきたが、本人の意欲低下が強くて支援が行き詰まることがよくある。脳のダメージに基づく意欲低下なので、効果的な薬もほとんどない(考えてみれば精神科の薬は鎮静系が多く、意欲を高める薬は少ない)。引きこもりや臥床がちの生活が続くと、廃用症候群になって社会生活の機能が低下していく。かといって通所や日中活動を勧めても、拒否されることが多い。「通院そのものがリハビリになるのでは?」と支援者に教えてもらって合点がいった。たしかに僕の外来にも「引きこもりは改善しないけど、外来通院はできている」という方が何人もいる。通院すること自体もリハビリテーションの一環なのだ。
6/10(水)   人吉球磨にはほたるの名所が多い。同僚から「ほたるを見に行きました」と聞いていた。また別の同僚からも聞き、さらに近所の方からも聞いた。そこで遅ればせながら僕たちも行ってみることにした。
   ところが20時頃に相良村のほたるの名所に着いてみると、横なぐりの雨が降っていた。これは無理だと判断して、人吉市に引き返すことにした。子どもたちがガッカリしているので、「かわりにかき氷でも食べに行こう」と言った。
   人吉市に着いてみると、娘のやすみがシクシク泣いている。どうしてもほたるが見たいとのことだった。「雨の日には光らないんだよ」と言っても変わらなかった。「レインコートを着せて、見せたらいいよ」と美紗さんも言うので、再度相良村に引き返すことになった。
   ほたるの名所に着くと、やはり雨は降っていた。ほたるを見にきた人たちが次々に引き返していた。それでも歩いていくと、せせらぎに沿ってチラリホラリとほたるが光っている。ほたるはあまり人を怖がらないようだし、手に取っても光り続けてくれる。子どもたちは非常に喜んだ。簡単にほたるを見れなかったぶん、よけいに嬉しかったのだろう。
   ところで冷静に見てみると、ほたるの光というのは、あるようなないような、「存在と非存在の間」にあるものだ。真っ暗な道沿いにほたるが光っていると、「あの世」に迎えられている感じがする。あまり長時間見いってはいけない気がした。年に1回ぐらいだけ、そっとのぞき見るくらいがちょうどいいのだろう。

 

写真2   『角川まんが科学シリーズA1 どっちが強い!? ライオンvsトラ 陸の最強王者バトル』(ストーリー:スライウム、メング。まんが:ブラックインクチーム、発行:KADOKAWA、2016年)。冒険物語と動物図鑑が融合しており、年齢を問わず楽しめる。

 

写真3   温泉からの帰り道、歩いて帰った。水を張られたばかりの田んぼではカエルの鳴き声がすごい。

 

写真4   朝に娘のやすみを送ったあと、子どもたちと近くを散歩する。梅雨なのでジメジメしている。

 


写真5   美紗さんの新しい金魚水槽が届いた。広い方が金魚たちものびのびしている。

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2020年6月日録3

6/16(火)   知的発達症を持つ子どもたちの入所施設の健診に行った。多くの子どもたちは年々成長し落ち着いてきているが、不安定さや衝動的な行動が激しくなっていく子どもも一部いる。「年齢と共に落ち着いていく不安定さ」と「年齢と共に悪化していく不安定さ」をどうやって見分けて、早期にケアをするかが大事なポイントだ。以前はさっぱりわからなかったが、てんかんの有無が状況を大きく左右することがわかってきた。早いうちからてんかんの徴候に注意し、脳波を行って診断確定していくことが大事だ。
6/17(水)   友人にオクラやゴーヤの苗をいただいた。プランターで育てることを勧められたので、美紗さんとホームセンターに出かけた。ホームセンターでは安価で土や砂利や肥料が手に入る。農家の方や園芸を楽しむ人が多いのだろう。自宅に戻り、子どもたちといっしょに苗を植えつけた。オクラの苗が余ったので、裏庭の一角に植えることにした。もともと畑だった場所なので、土がフカフカだ。わが家ではいまでは生き物をたくさん(金魚・メダカ・カエル・おたまじゃくし・クワガタ・ダンゴムシ)飼っているが、オクラやゴーヤも仲間に加わった。大家族(?)のような気分だ。
6/21(日)   小学2年の娘のやすみが持って帰ってきた宿題に、なぞなぞがあった。それがとても難しい。例えば「逆さにして、アイロンをかけたら消えてしまう鳥は?」。アイロンをかけたら消えるのはシワで、逆さまにするとワシ、だから答えはワシだ。なぞなぞの問題というのは連想ゲームと語呂遊びが組合わさっている。どちらも僕は苦手だったが、「物事を角度を変えて見てみる」というメタ認知の訓練になる。いまの自分の見方にこだわっていてはダメで、「違った解釈や考え方があるのでは?」と考え続ける必要がある。なぞなぞは奥が深いし、掘り下げれば脳の象徴機能につながる。
6/24(水)   友人のパティシエ・鳥原真琴さんがあさぎり町で「をかし屋・トゴエル」を開業している。美紗さんと寄ってみた。やって来るお客さんの人柄や人生を知り、相手の望んでいるものにお菓子作りを通して応えようとする「物語を紡ぐお菓子」というのが真琴さんの理想に見える。たしかにお菓子はホッとした一瞬を作ることで、人をくつろがせたり楽しませたりすることができる。真琴さんのお姉さんもおられたのでいっしょに話したが、「2人とも欲のない人だ」と美紗さんは言う。たしかに富や名声・華やかな暮らしなどを求めているようには全然見えない。だが自分の潜在力を発揮したいという自己実現の欲求は2人とも激しいものがある。パティシエは表面の姿で、内面は求道者のようだと感じた。 
6/25(木)   同僚や友人と話すときに、時々だが「まだ本来のその人の姿ではない」と感じることがある。トラウマや対人関係の苦労など何らかの外力が積み重なって、持っている力が抑え込まれていたりねじれていたりするようだ。そういうときに、「その人の花開いた姿は何だろう?」と考えるようになった。考えるといっても頭でわかることではなくて、何げないやり取りのなかで、いつの間にか「その人のあるべき姿」を、共同で実演してしまっていることが多い。急ぎすぎず、「その人の小さな未来の芽」をすくいあげることが大事なのではないか。 
6/28(日)   久しぶりに熊本県の遊園地「グリーンランド」に出かけた。前日が警報が出るような激しい雨で、悪天候を心配したが、当日はなぜか晴れていた(逆に晴れて暑くなりすぎて脱水予防が大変だった)。コロナウィルスの流行で人が少ないかと思ったが、以前ほどではないものの、お客さんは多かった。外出制限が解除されたこともあり、解放感を感じている人が多いのだろう。グリーンランドは比較的古風な遊園地であり、ジェットコースターやゴーカート、迷路やトランポリンのように屋外で体を使うタイプの遊具が多い。子どもたちには遊びだが、大人には全身の筋肉トレーニングになる。遊びを追求すると、「冒険を通じての成長や健康増進」に行き着く。年々子どもたちが成長して、新しいアトラクションに取り組めるようになっているので、グリーンランドをより広く感じている。いずれは子どもたちだけで来るようになるのだろう。

 

写真6   いただいたオクラとゴーヤの苗を植え付けた。

 

写真7   裏庭にも余った苗を植えた。土がフカフカだった。

 

写真8   大きなツチガエル2匹を捕まえて喜ぶ子どもたち。

 

 

写真9   父の日に子どもたちが本のしおりを作ってくれた。

 

写真10   人吉市にある「レストラン正鈴」。お店の前に船があるが、海産物に限らずいろいろ食べられる。あたたかみを感じる。

 

写真11   あさぎり町にある「をかし屋・トゴエル」。友人の鳥原真琴さんが運営している。お客さんの求めるものに応えるお菓子屋さんとは?原点を探ろうとしている。

 

写真12   熊本県の遊園地「グリーンランド」にて。宇宙空間をテーマにした新アトラクション「コズミック・メイズ」に何度も子どもたちは入った。

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