お休みどころ

こころの相談活動を作り続ける
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横川さんの冊子1 2016年10月9日(日)

  お休みどころを始めたときのリーダーであった故・上島聖好さんは大変に友人の多い人でしたが、特に慕っていたのが横川澄夫・みさおさん夫妻でした。上島さんが京都にいた頃から長い交流があったのですが、横川夫妻が宮崎県の高鍋町に移られ、上島さんも熊本県の水上村に移ったものですから、同じ九州南部でまた比較的近くなったのでした。上島さんは亡くなるまでに横川夫妻のところに何度も行きました。僕もいっしょに行きました。
  澄夫さんはキリスト教のバプテスト派の牧師です。教会への寄付だけで生きることをよしとせずに、印刷の仕事をしてこられたと上島さんから聞きました。みさおさんは僕のうろ覚えですが保育園(?)の調理の仕事をされ、そのこともあってとても料理上手です。横川家を訪ねるといつも机いっぱいのごちそうで迎えてくださるのでした。
  澄夫さんは教会史の調査・研究もされており、いままでにも澄夫さんが若い頃にいた長崎県の五島列島の教会史などの本を作ってこられました。澄夫さんの教会での説教を聞いたことがありますが、「歴史を丹念に読み解く」という色合いの強いものだったのを思い出します。それもきれいにわかるシンプルな歴史ではなく、ドロドロした確執なども含む「人の生きざまの複雑な交錯」としての歴史を、澄夫さんは好まれる印象があります。
  上島さんが亡くなって以来、時間と共に行き来が減ってしまったのは残念です。そんなところに久しぶりに郵便が届きました。みさおさんのお手紙と澄夫さんの冊子が入っていました。
  みさおさんのお便りによると、水上村のお休みどころ宛てに2回もお送りくださり、2度とも返送されてしまったそうです(住所変更をお知らせせずにすみません)。その後インターネットを使う息子さん(横川夫妻はネットも携帯も使われないそうです)のところで調べてもらい、やっと僕の手元に届いたのでした。みさおさんは言葉の多い人ではなく、行動で語る人ですが、こうしてお手紙を送ってくださったことのなかに、強い優しさがみえますね。「ほんとうに大切な偉い人はひっそりと人に尽くしていて、自己宣伝をしないので、なかなか多くの人に知られることがない」というジレンマがありますが、みさおさんはその典型のような人です。

 

写真1 澄夫さんの冊子『管見  日本キリシタン史 その1』(横川澄夫著、2016年4月10日)。

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横川さんの冊子2 2016年10月9日(日

  さて澄夫さんの冊子ですが、タイトルは『管見  日本キリシタン史 その1』(横川澄夫著、2016年4月10日)です。「管見(かんけん)」とは僕も知らない言葉でしたが、「自分の狭い見方」という意味だそうです。つまり横川流のキリシタン史ということになります。
  横川さんはキリスト教のなかでもプロテスタントに属する人ですので、基本的にはプロテスタントの教えが日本に伝わった明治期以降のキリスト教史に取り組むのが常識的です。ところが今回は戦国時代にカトリックの教えが伝わった歴史に取り組まれています。僕のようにキリスト教徒でない人間にとってはカトリックとプロテスタントは大きな違いが無さそうに思えますが、歴史のなかで流血の確執を起こしてきたのです。なので澄夫さんがキリシタン史に取り組むこと自体に「人間が作るもろもろの壁を乗り越えたい」というメッセージがあると思いました。
  内容はザヴィエルの日本渡航(1549年)の前史から、以後の後継者の布教(1580年頃まで)についてです。澄夫さんが直接語るのではなく、基本的には当時の書簡などの引用がずっと並んでいます。引用の配列のなかに自分の歴史観をこめるというところが、ちょっと斜めに構えたところのある澄夫さんらしくておかしく思いました。裏を見たりへそ曲がりだったりするところがあって、ストレートに自分の本質を語る人ではないのです。
  フランシスコ・デ・ザヴィエル(1506〜1552)の名前は一般の方には歴史教科書のなかだけのものだと思います。僕の場合は鹿児島市にザヴィエル上陸地の跡があり、見に行ったことがあるので、印象に残っていました。また尊敬する友人(キリスト教徒でない)がザヴィエルに畏敬の念を抱いていると聞きましたので、ますます印象に残っていました。ただならぬ人格力を備えた人だったようです。
  澄夫さんの冊子の前半はザヴィエルが日本にたどり着くまでの覚悟や苦労、そして着いてからの苦闘が刻まれた引用群です。きれいごとだけでよしとしない澄夫さんらしく、当時の布教が国家(ポルトガル)の貿易独占権の根拠であったこと、だからこそ国家が多大な応援をしたことが記されています。新規の土地への布教は莫大な利益をもたらすものでもあったのです。
  ですがそういう前提で読んでも、やはりザヴィエルが次第に「未知の世界」であった日本に渡航する覚悟を強めていくところには胸を打たれるものがあります。なにゆえに命をかけてまで教えを伝えようとしたのでしょう?人々の平安に役立つ真理だと確信していたからこそ、全身全霊で伝導に挑むことができたのでしょう(逆に現代のように比較的簡単に世界を移動できる時代になって、宗教の力が弱まってきているのは皮肉としか言いようがありません)。
  ザヴィエルが日本に着いたあとも順風満帆ではありませんでした。仏教界との対立や緒大名とのやり取り、言葉の面での苦労などどれも大変でした。ですがなんといってもいちばんかわいそうなのが、都への滞在です。ザヴィエルは都で王に会い、布教の許可を得ようと鹿児島からはるばる京都まで移動するのですが、着いてみた京都は焼け野原でした。戦乱である「応仁の乱(おうにんのらん、1467〜1477)」の渦中だったのです。
  これを読んで思ったのが、「ザヴィエルの人生も『敗北』の人生だったんだなぁ・・・」ということです。もちろん後世の目で見ればたくさんの偉業を成し遂げた人なのですが、本人の目線に立てば、うまくいかないことの連続だったに違いありません。思い描いたとおりにいかなかった残骸が「偉業」なのでしょう。「大きなことを成し遂げる人とは、大きな失敗をする人なのかも知れない」と思いました。
  ザヴィエル以後の布教史も、澄夫さんのまとめを読むと「異文化のぶつかり合い」として読めてきます。お互いに理解が難しい状況では、過度に期待したり、誤解したり、過度に憎みあったりすることが起こります。そのなかで争いも避けがたく起こるのです。僕自身がいま実生活のなかで直面している「理解が難しい人とのストレスフルな関係」も、やはり理解に至るための道のりの一部なのだと感じさせられました。
  澄夫さんの冊子は「その1」ですので、まだ完結していません。ですがだいたいの方向性をつかめた気がします。「過去を現在に役立つ形にしてよみがえらせる」というのが澄夫さんにとっての歴史なのでしょう。僕には苦手ですが、「コツコツ根気よく」という姿勢で臨めば、たぶん歴史のなかに「よりよく生きるためのヒント」を無数に見つけられるはずです。知恵の源泉としての歴史をいっしょに味わいたい。そんな誘いかけを澄夫さんの冊子のなかに感じました。

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友田明美さんの講演を聞く 2016年10月15日(土)

  子どもの虐待や愛着障害などについて精力的に研究されている友田明美さん(福井大学子どものこころの発達研究センター教授)の講演を聞くことができました(鹿児島県発達障害治療研究会)。友田さんの名前は専門誌に出されていた論文に感激したことがあって知っていました。ですがそれだけなら、仕事が立て込んでいるので、講演会への参加をあきらめていたでしょう。後押ししてくれたのはなんと僕の職場の村上病院長で、友田さんの同級生なのだそうです。それでどうあっても行こうと心に決め、業務調整などをどうにかして出かけたのでした。
  その甲斐あって、講演は非常にインスピレーションに満ちた内容でした。優れた科学者の方のお話を聞くと、人生の全ての偶然が研究を形作っていくような印象を受けますが、友田さんの場合もまさにそうです。虐待を受けた子どもたちの支援に結び付くように願いながら、長い期間をかけて研究を深めてこられている姿勢に感銘を受けました。
  講演内容はかなり多岐に渡っていますし、僕には理解できない脳科学の話もありました。ですので受け取れた部分はあくまでも一部分です。僕の記憶に残っている範囲で要点を書き出してみると、以下のとおりです。

 

〕田さんのセンターでは心理師を多く置いている。トラウマへの対処のためには必要不可欠。
不適切な養育を受けた子どものケースでは病状が複雑になるので、診断名がたくさん付いてしまうことがよくある。
8什澆両評だけではなくて、小さいときの養育歴の評価が非常に大切。
と達症の病状は発達特性だけで決まるのではなくて、愛着の問題、トラウマ体験、本人のレジリエンス(回復する予備力)なども関わってくる。
ト達症(ADHD)では脳の成長遅延もみられる。
Πγ紂淵▲織奪船瓮鵐函砲箸六劼匹發藩椣藜圓両霆鐡な絆のこと。親が子どもの「安定した心理的な基地」になることであり、子どもの社会情緒性の発達の土台となる。目と目のコンタクト、手と手のつながり、ほほえみなどを通して育まれる。
反応性愛着障害は不適切な養育によって引き起こされる病状であり、感情や行動のコントロールがうまくいかなくなる。他者に不信感を持って関わらなくなる抑制型と、多動や人見知りのなさ、対人トラブルなどが目立つ脱抑制型がある。
反応性愛着障害の有病率は、一般の子どもの1.4〜2.4%、社会的養護(児童相談所の一時保護)を受ける子どもの20〜40%。
友田さんの経験では、不適切な養育の結果視線が合わなかった生後9ヶ月の子どもが、3週間の環境改善と治療の結果、アイコンタクトが取れるようになった。子どもは改善する力も持っている。
反応性愛着障害と特に関連が強いのが、うつ病と薬物依存。不適切な養育を受けると報酬感受性が低下し、薬物乱用の時期が早くなる。
課題に取り組む子どもの脳画像の分析から、ADHDの子どもでは低報酬課題への脳内報酬系の反応が落ちていることがわかった。反応性愛着障害では低報酬か高報酬かに関わりなく反応がかなり低下していた。
反応性愛着障害児の線状体活動の分析から、1歳ごろに虐待やネグレクトを受けた子どもが一番大きなダメージを受けることがわかった。
小児期にトラウマ体験を受けると、心疾患や肺癌にかかるリスクが生涯3倍にも高まり、寿命が20年低下するというデータもある。
2013年の日本の虐待関連の経済的な損失は1兆6千億円と見積もられている。
子育て困難のケースへの早期からの養育者支援が大切。
飴童相談所と医療機関の連携が大切。
曳娠性愛着障害とADHD症状は関連が強い。
欧靴し反応性愛着障害とADHDでは治療への反応性が違う。
拡達症は病名に加えて養育歴や知能面、行動面、コミュニケーション面などの分析を行い、そのうえで個別のケアを行っていけるのが理想的。

 

  僕自身も不適切な養育のケースに関わることがときどきあります。そのたびに痛感するのが多職種支援の必要性で、福祉課や児童相談所などの公的な機関からの福祉的な支援が特に重要です。精神科病院でできることには限りがあります。ですが医療機関による診立てと支援の方向性の提示が、チームで統一感のある関わりをしていくためにはどうしても不可欠です。友田さんに教わった愛着障害の視点を踏まえつつ、虐待事例の支援に関わっていきたいと思いました。また今後は児童相談所との協力関係も強めていきたいです。

 

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2016年10月日録1

10/2(日) やすみが認定こども園である「さざなみ保育園」に通いだして半年になる。最初の1〜2ヶ月は朝行くときに泣いていたが、いまでは迎えに行くと「もっと遊びたい」と残りたがって泣くようになった。お友だちも増えてきて、いっしょに遊べるのがうれしそうだ。はじめは「ほんとうにやすみが通えるのかな?」と心配していたが、僕が心配しすぎだったようだ。
  今日は初めての運動会だった。僕たちには段取りが全くわからなかった。美紗さんのご両親がお弁当作りや響の世話の応援に来てくれた。それでもやすみが朝にグズグズしていたり、出かけるときに上着を置き忘れるハプニングがあったりして、集合時間の8時半にやすみを連れていくのがギリギリだった。
  すでに多くの園児の家族が集まっていて、座る場所を確保していた。僕はたまたま空いている一角を見つけることができてラッキーだった。立ち見の人もたくさん出ていた。運動会にかける家族の気合いはすごいのだとわかった。 
  やすみはかけっこは速くない。いや、かなり遅かった。短距離走が遅くて運動会が好きになれなかった僕の学生時代を思い出した。でもやすみは僕のように投げやりになるわけではなく、一生懸命に走っていた。ダンスやマーチングもあったが、こちらは明らかに得意そうで、音楽に合わせて体を動かしていた。僕にとってはやすみが組織だった動きをできること自体が驚きだった。通いだして半年でこんなに変わるんだなぁとやすみの成長にビックリした。保育園の先生たちがとても丁寧に関わってくださっているおかげだと思い、ありがたかった。
10/4(火) 運動会でがんばって疲れたのか、昨日の朝も今朝もやすみが「保育園に行きたくない」と言って泣く。グズグズしてごはんを食べなかったり、服を着替えなかったり、歯を磨かなかったりする。何度言っても準備をしないので、遅刻するのではとこちらもイライラしてくる。どなっても言うことをきかないので、無理やり車に乗せる。美紗さんはかわいそうだと言う。行きの車中でもやすみは泣いていた。
  「保育園に1日や2日行かなかったとしても大したことじゃないよ」と多くの人は思うだろう。僕が仮に友人から「登園しぶり」の悩みを聞いても、そう思うに違いない。ところが自分が親の立場になってみると、事情は全然違う。すごく動揺するし、自分の行動が正しいのかもわからず、後味が悪い。どんなに小さな危機であっても、当事者になると大変だ。危機の抜け方には正解はなく、戸惑いながら道を探すほかないのだろう。

 

写真1 さざなみ保育園の運動会で走るやすみ。

 

写真2 ディズニーのキャラクターの服を着てやすみはごきげん。

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2016年10月日録2

10/4(火) 職場のメンタルヘルスに関する打ち合わせや面談が何件かあった。球磨地方でもうつ病などの不調者や休職者が増えているが、それに対応するシステムがまだできていない職場が多い。なので熱心な一部の職員だけで対応しており、その人たちに負担がかかりがちな現実がある。従来の支援システムは身体面の不調や職場環境の問題(化学物質への暴露など)に対応したものであるので、少し変形させて精神面の不調にも対応できるようにしていくのが必要だと思う。当面は手探りが続きそうだ。
10/5(水) お休みどころで発達症の相談を2件受けた。発達症に関して痛感するのは、小さいうちの方が支援しやすいということだ。小中学生のうちなら特別支援教育もあるし、通常学級でも支援員が付いてくれる可能性もある。スクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカーなどの支援職もいるし、放課後等デイサービスなどの療育機関も必要なら使える。そういうわけでいろいろ対応できる可能性がある。
  ところが高校生になるとこういった支援がほとんど使えない。単位を取れないと留年になってしまうので、引きこもってしまった子どもは退学に至ってしまうことも多い。そのあと通信制の高校に入っても、続くかどうかは未知数だ。不登校になった高校生の支援策を充実させることが急務だと思う。また小・中・高校と継続的に関わる「学童支援の中心機関」を定めることが必要だ。
10/6(木) 吉田病院の子ども支援チーム主催の発達勉強会で、小児科医の伊藤薫さんに話していただいた。伊藤さんは研究から臨床、小児科から児童精神科まで幅広い経験と学識をお持ちの方だ。ところが全く威圧感や重々しさを感じさせない非常に謙虚な方でもあり、ケース会議などにも気軽に参加してくださるフットワークの軽さもお持ちだ。「いろんなドクターがいるが、こんなに偉ぶらない方もいるんだ」と会う度にこちらが驚かされる。
  伊藤さんのお話は所属されている「熊本県こども総合療育センター」の実践に関するものだったが、あわせて現代の子ども診療の課題もお話くださり、非常に興味深かった。僕の記憶している範囲でだが、以下のようなものだったと思う。
“達症の急増と療育の利用者の増加。
家庭環境の変化。
支援現場の実情に法制度が十分に追いついていない面と、法制度の理念に実践が追いついていない面がある。
た靴靴っ慮に基づく診療スタイルの確立が必要。
テ所者の減少と通所者の増加。
θ達症のグレーゾーンの人が多い(診断を受ける人よりも多い)。
Щ抉腓里燭瓩糧達特性の把握法。簡単でかつ有益なものが必要。
┿劼匹發良郎の┐両緇此
教育と医療・福祉の連携が不可欠。
  いずれも大きな問題だが、まとめると「発達症の多職種支援システム」を作ることが求められているのだと思う。顔の見える関係を作るうえでは僕の住んでいる球磨地方のような人口規模の小さいエリア(8万人ほど)の方がやりやすい面もある。将来の整然とした支援を夢見ながら、支援システムの骨格を手探りしていきたいと思った。

 

写真3 吉田病院子ども支援チーム主催の発達勉強会の様子。伊藤薫さんのお話は子ども支援の未来を予見させるものだった。

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2016年10月日録3

10/10(月) 祝日で休みが取れたので、子どもたちを公園に連れていくことにした。鹿児島県伊佐市は人吉市のすぐ隣だが、「湯之尾滝(ゆのおだき)ガラッパ公園」(8952812鹿児島県伊佐市菱刈川南1416、参考ウェブページ)に行くのは初めてだった。カッパをイメージした巨大な遊具があり、たくさんの子どもと親で賑わっていた。優れた遊具はアート作品に近いものがある。
   汗をかいたので、帰りに温泉に入ることにした。美紗さんがネット検索で見つけたのが、「針持温泉つるつる美肌美人の湯」(〒8952442鹿児島県伊佐市大口針持1235-8、電話0995252828)。貸切温泉(家族湯)の露天風呂が岩風呂のような感じになっていて、子どもたちが岩の上を歩いたりして楽しんでいた。遊びの要素も家族風呂には大切だと思う。
10/12(水) 子どもの発達症支援の話し合いに参加した。いつも感じることだが、子ども支援は関連機関の数がとても多くて、それぞれの役割分担がいまいち明確でない部分がある。将来的にはもっとすっきりした支援システムが作られることと思うが、現段階でも可能な限り整理することが望ましい。あと就学前・小中学校・高校・大学・成人というそれぞれのステージごとに、中核となって情報を集約する機関を決めておくのが理想的だと思う。
10/13(木) 熊本県宇城市に行く用事があったので、比較的近い御船町に足を伸ばした。「御船町恐竜博物館」(〒8613207熊本県上益城郡御船町大字御船995-6、電話0962824051、ウェブページ)は展示の迫力がすばらしい。まるで生きている恐竜に出くわしたかのように、化石がすぐそばまで迫ってくる。まだ言葉も話せない息子の響が、「ア、ア」と指さして恐竜の展示からなかなか離れないのには驚いた。幼児でもいいものはわかるのだと思った。

 

写真4〜5は「湯之尾滝(ゆのおだき)ガラッパ公園」で撮った写真です。


写真4 カッパをモチーフにした遊具。アート的な要素が強い。

 

写真5 橋の向こう側にも遊具がある。かつてはこっちがガラッパ公園の中心だった。いまでは寂しそうだ。

 

写真6〜9は鹿児島県伊佐市にある「曽木(そぎ)の滝」に行ったときの写真です。


写真6 遊具の数は少ないが、子どもが楽しめるように工夫されている。

 

写真7 たまたま猿廻しをしていたので見てみた。猿を近くに連れてきてくれた。

 

写真8 曽木の滝。豪快な滝で、しかも幅が広い。

 

写真9 近くにあった「福姫かっぱのかっぱ茶屋」。暑かったので、飲みもので一息入れられて良かった。かかっていた蜂谷清香さんの

音楽(「それゆけケメ子」)は個性が強くて耳に残った。

 

写真10〜11は鹿児島県伊佐市にある「針持温泉つるつる美肌美人の湯」で撮った写真です。


写真10 家族風呂がたくさんある。

 

写真11 露天風呂が岩場のようになっていて、子どもたちは大喜びだ。

 

写真12 娘のやすみは朝のごみ出しをしたがるようになった。軽い袋しか持てないが、手伝ってくれるとやはりありがたい。

 

写真13〜14は熊本県御船町にあるロシア料理屋さん「ゆう和」で撮った写真です。


写真13 お店の外観。回りには震災で被災してブルーシートを屋根にかけてある家がたくさんある。

 

写真14 店内の雰囲気が非常にくつろげるし、味も大変においしい。また行きたくなるお店だ。

 

写真15〜17は熊本県御船町にある「御船町恐竜博物館」で撮った写真です。


写真15 響は「ア、ア」と言って恐竜の模型を指差して離れようとしない。

 

写真16 化石のレプリカの展示がド迫力で迫ってくる。

 

写真17 鳥類の祖先の模型。たまに動いて声を出すので、子どもたちは興味津々だ。

 

写真18 恐竜博物館の近くにあった「福永幸山堂  御船ギャラリー」にて。店主のラーさんはタイから来た人で、活発でかつ知恵深い。

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2016年10月日録4

10/19(水) 昨日と今日で発達症の困難事例のケース会議4件に参加した。気づいた点は以下のとおりだ。
)椰佑良他だけでなくて、家族の不安定な状態も加わって、事態の混乱を招いていることが多い。
判断や意志決定をしてくれるキーパーソンが、家族内に見つからないことも多い。
6眩管理の問題が出てくることも多い。逆にお金の流れをきちんと定めておけば、生活が安定し、結果として病状も安定することが多い。
ずて饂例は単独の支援者だけでの解決は難しいことが多く、支援者は無力感を抱きやすい。
ヂ真種チームで話し合いを重ねると、思わぬ方向から進展することが多い。まずは支援者が希望を持つことが大事。
困難事例への対応には、「診断→治療」という医療モデルにこだわらず、使えるあらゆる支援法でアプローチすることが必要。
10/23(日) 僕が勤務している吉田病院の年1回のお祭りが「紅葉祭(こうようさい)」だ。例年も出店や出し物があるが、加えて今年は同僚たちが新しい企画にいくつも取り組んだ。ドクターを囲んでの茶話会もその1つだ。
   僕は発達症をテーマにした茶話会の担当だった。本人、家族、支援スタッフが集まってくれた。話してみてわかったことは、皆さんいろんな経験をしてきていて、僕の方が教わることが多いということだった。
  例えば自閉スペクトラム症の子どもは感覚の過敏さがあり、「のどに引っかかりそう」といった恐怖から固形物が食べられなくなることがある。参加者の方の子どもにも「牛乳しか飲めなくなった」「お菓子しか食べれなくなった」といった時期があったそうだ。でも成長と共に食べれるものの範囲が広がっていったそうだ。
  こういうことを知っておくと、別の患者さんの子どもが似たような状態になったときにアドヴァイスしやすくなる。やはり当事者や家族の声は貴重だし、診察室では聞けないことがたくさんある。気楽な茶話会形式の「お話の場」を作れたらいいなと思った。
10/25(火) 人吉市にあるパン屋さん「パンとお菓子の工房ナチュラル 人吉店」(〒8680025熊本県人吉市瓦屋町1151-1、電話0966227189、ウェブページ)の新店舗ができたので行ってみた。工房がかなり大きくなり、大勢が働いているので驚いた。パンやお菓子を買って店内で食べられるスペースも広くなっている。友人が働いているので、店舗の移転がうまくいくか心配していたが、順調でなによりだった。
10/26(水) さざなみ保育園地域子育て支援センター「さざなみ☆うぉ〜むはあと」(連絡先はさざなみ保育園、〒8680077熊本県人吉市下戸超町1632-1、電話0966227177、メール、ブログ、ウェブページ)は親子で参加して遊べる場だ。保育園や幼稚園に行く前の子どもたちを対象に、保育士の方たちが塗り絵や小物作りやプールなど毎回メニューを考えて遊んでくださる。息子の響が普段同年代の子どもたちと遊ぶ機会がなかなかないので、僕たちもよく参加している。
  この日は友人の犬童畔(ほとり)さんのエッグアート制作体験だった。畔さんはさまざまな動物の卵のからを素材に使い、シンデレラの馬車のような華やかな作品を作る方だ。ただ繊細な作業なので、子どもたちがいっしょで大丈夫なのか心配していた。
  予想どおりに動き回る子どもたちが多かったので、美紗さんに制作は任せて、僕は響の相手をしていた。参加者は8人ほどだったが、みんな制作に没頭していた。卵のからに穴をあけたりする下ごしらえは畔さんが全部してくださっていて、参加者は色づけやシール張りをしたのだが、それぞれ違う模様と雰囲気になるからおもしろかった。アートは個性を際立たせる。

 

 

写真19 人吉市にある「青井阿蘇神社」の蓮池にて。以前は蓮池のほとりに住んでいたので、毎日のようにコイはエサやりに来ていた。

 

写真20〜21は鹿児島県鹿児島市にある「かごしま水族館」で撮った写真です。

写真20 香港から来た夫妻と立ち話をした。甥の加藤颯馬くんは勇気を出して「ニィハォ」と挨拶をしていた。

 

写真21 タッチングプールが子どもたちは大好きだ。

 

写真22〜24は「パンとお菓子の工房ナチュラル人吉店」で撮った写真です。今月新店舗ができました。

写真22 外観。だんだん建物の前の木々が賑やかになっていきそうだ。

 

写真23 パンやお菓子もたくさん売られている。

 

写真24 イート・イン・スペースも充実。

 

写真25 お友だちのマコトくんと公園で出会った。

 

写真26〜27は犬童畔(ほとり)さんのエッグアート制作体験の際に撮った写真です。さざなみ保育園地域子育て支援センター「さざなみ☆うぉ〜むはあと」の一環として開かれました。

写真26 犬童畔さん(左側)に教えてもらう美紗さん。畔さんの指導はすごく丁寧だ。

 

写真27 クリスマスの飾りができた。

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初めての台湾旅行1 2016年8月30日(火)

  今回の台湾旅行は偶然と言えば偶然に決まったものでした。夏の休暇に家族でどこかに出かけようという話は以前からしていたのですが、行き先がなかなか決まりませんでした。美紗さんは子連れで大変だからと国内旅行をしたがっていました。特に美紗さんが行ったことのない北海道や沖縄に行ってみたいという気持ちがありました。僕は海外に行ってみたい気持ちが強かったでした。韓国のソウルや台湾、中国などには僕は行ったことがありませんので、新しい場所を知ってみたかったのです。そういうわけでなかなか話が進みませんでした。
  美紗さんが「子連れで行きやすい場所をインターネットで調べてみたら?」と思い付いたことで、話が進み始めました。海外なら飛行時間の比較的短いソウル、台湾、香港、グアムなどがお勧めになっていました。美紗さんが韓国ドラマを好きなので、ソウルがいいのではと方針が決まってきました。また僕たちの休暇は8月末から9月始めでしたので、台風の危険が大きい沖縄は難しくなりました。
  ここからがふしぎなところなのですが、今年の6月に友人と鹿児島市の水族館に行った際に、隣の席の若者2人がやすみに「かわいいね」と声をかけてくれました。それがきっかけで英語と筆談混じりで会話をしたのです。香港出身の「白茶花」さんと、台湾出身の「江柏慶(チァン・プー・チン)」さんです。江(チァン)さんは英語が苦手のようで漢字の筆談中心のやりとりでしたが、人柄の誠実さが感じられました。それで僕は思わず「この夏に台北に行くかもしれないので、そのときは会いましょう」と言いました。それで台湾の台北に行くことにしたのです(笑)。
  もっとも香港に行ったときに会ったスィンディーさんは台北出身ですが、スィンディーさんから「台北は香港よりもずっと料理がおいしいし、ヘルシー」と聞いていたのも行きたい理由の1つでした。また台湾の観光地「九份」がジブリ映画の舞台のモデルになったということで、美紗さんが行きたがってもいました。理由はいくつもあるのですが、決定打になったのは人との出会いでした。旅先に知っている人が1人でもいると、その土地に近づけるので旅が深まりますよね。観光を越えるものをくれるのは、現地の人との交流なのではと思います。

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初めての台湾旅行2 2016年9月1日(木)

  台湾の首都は台北(タイペイ)です。九州から台北の桃園(タァォ・ユゥェン)空港への飛行機は鹿児島空港など各地から出ていますが、1日1便ぐらいなので時間が限定されてしまいます。それで僕たちは福岡空港から出発することにしました。福岡空港は大きくて、国内線のターミナルが3つと国際線のターミナルが1つあります。駐車場を借りる際に国内線のそばの駐車場にしてしまったので、国際線ターミナルまでの移動が大変だったというハプニングはありましたが、他はおおむね順調に進みました。
  驚いたのは台湾の近さです。飛行機の機内の表示で見ると、西表島のすぐ隣です。時間も3〜4時間かかると想像していたのですが、実際には台北へはたったの2時間で、機内で映画を見る暇もありませんでした。これなら九州から東京に行くのとあまり変わりません。この近さが人気の秘密なのかなと思いました。
  くわえて台湾の人たちは親切です。特に子どもを大事にしてくれるので、非常に助かります。まずは空港の荷物受取場でスーツケースとベビーバギーを受けとるときに、近くにいた女性が手伝ってくれました。寝ているやすみを美紗さんが抱き、響を僕が背負っていたので手が足りなかったのです。お礼を言う間もなく、その方はあっさりと行ってしまいました。その後もレストランではすぐにベビーチェアを出してくれたり、飲みものにはストローを付けてくれたり、こぼしても「大丈夫」と日本語で言ってくれたりしました。ショッピングをするところでもベビーバギーを貸してくれました。それも嫌な顔をせずにしてくれるのです。
  今回は子どもたちがいて荷物も多いので、ホテルへの送迎サービスを使いました。他のツァーの人たちといっしょになったのですが、ガイドさんはやはり親切でした。一般的な説明のあとに個人個人の相談を受けてくれたり、「困ったことがあったらいつでも電話をください」と電話番号を教えてくれたりしました。僕はツァーは好きではないのですが、やはり初めての滞在ではこういったサポートがある方が旅がしやすくなりますね。
  さてホテルに着いてしばらく休んでから、近くを散策してみることにしました。ガイドブックによれば台湾では「九州ぐらいの大きさの島に九州の倍の人が住んでいる」とのことで、九州よりも人口密度が高いのは予想していました。加えて台北は大都会です。空港からのバスの窓から見ると、高層マンションが市内から周辺に向けてどんどん新しく建っている感じで、規模で言えば福岡市よりももっと大きいと感じます。人口は270万人ほどだそうです。ただ極端に古くて汚れたビルもたくさん残っていて、いままさに発展し続けているように思えます。
  都会のまん中にホテルがあるのですが、幸いなことにホテルのすぐそばに公園(林森(リンシン)公園)がありました。子どもたちを遊ばせるために、まずはそこに行きました。広い公園の一角に、遊具は少ないですが子どもを遊ばせるエリアがあります。やすみと同じくらいの年の女の子もすべり台で遊ぼうとしています。ですがその子は怖がってすべれないようで、やすみと響がどんどんすべっていました。
  この子どもエリアで印象的だったことは、お母さんたちが自分の子どもでなくても必要に応じて声をかけてくれていたことでした。例えばやすみが他の男の子にちょっかいを出されて泣いたときにも、お母さんはその子とやすみの両方に話しかけていました(もちろん中国語なのでやすみはわかりませんが)。響がすべり台の高いところから降りようとしたり、地面に落ちている「踏みつぶされたスナック菓子のかけら」を食べようとしたときにも、他のお母さんが止めてくれました。「子どもはみんなで育てる」という感覚が台北ではまだ生きているんだなぁと新鮮に感じました。日本ではこういうことはきわめて稀です。口を出しすぎるのはいけないと思いますが、多少あやしたり危ないときに声かけしたりするぐらいは正しいはずです。「トラブルを怖れてよその子どもにうかつに声をかけられない」という日本の状況は、仕方がないのかもしれませんが、行き過ぎなのではないかと思いました。

 

写真1 台北の「桃園空港」に着いた。

 

写真2 ホテルのそばの「林森公園」に出かけた。

 

写真3 遊具があった。夕方になると大勢の子どもが遊びに来ていた。

 

写真4 近くのお店で初めての夕食を食べた。大変な人気店で、僕たちのいたフロアは日本人客ばかりだった。

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初めての台湾旅行3 2016年9月1日(木)

  台風の襲来も心配していましたが、幸いにして天気がいいです。体力のある早いうちに遠出をすることにしました。美紗さんが行きたがっていた「九份(ジゥフェン)」です。九份は台北市内からかなり遠く、高速バスで1時間半、もしくは電車1時間+バス・タクシー20分といった距離です。高速バスで行くか電車で行くか迷ったのですが、ホテルの位置からして電車で行こうと決めました。ですがホテルのフロントで尋ねてみると、貸し切りタクシーの方が便利ですよとのことでしたので、一応貸し切りタクシーにしてみました。
  結果的にはこれが正解で、‘擦諒雑さ、⊇襪機陛然ですが暑さは九州以上で、常時汗をかいてしまいます)、2拱があること(子どものオムツや飲みもの、買ったものなど)、せ劼匹發燭舛鯤っこして移動しないといけないこと、などのために電車やバスでは大変だっただろうことが想像されます。大人だけなら大丈夫ですが、小さい子どもがいる場合には移動は無理をせずに、便利な方法を使うのがいいと思いました。
  タクシーのガイドさんが黄一聰(ホァン・イー・ツン)さんです。ホァンさんは日本語も英語もあいさつ程度で、主として中国語です。僕は中国語はあいさつ程度ですから、筆談中心でやりとりしました。ホァンさんは大変親切で、身ぶり手振りを交えながら、「道中の写真をあとでラインで送ってあげる」と伝えてくれました。通じるような通じないような感じですが、だからこそ通じるとうれしいものがあります。
  ホァンさんは運転手歴32年です。子どもが3人いて、一番上の男の子が漢方医(中医)になったそうです。日本にも4回来たことがあるそうです。台湾の人は家族愛が強いとインターネット上に書いてありますが、ホァンさんもまさにそうで、奥さんとの写真を見せてくれたり、子どもさんの話をしたりしてくれました。
  僕が一番気になっていたのは、台湾の人たちは過去の日本統治(1895〜1945年と50年に渡るそうです)についてどう思っているのかということでした。ホァンさんに尋ねてみると、たしかに日本に嫌な思いがあるそうです。ですがそれは「年代之事(過去の時代のこと)」であって、いま「我们共同努力(私たちは力を合わせて働いている)」とのことでした。ホァンさんの率直な思いを感じてうれしくなりましたし、ありがたく思いホッとしました。
  さて小旅行に話を戻すと、ホァンさんは九份の前に「十分(シーフェン)」に連れていってくれました。ここは山また山を登っていった奥地の小さな町で、単線の電車の駅が観光名所になっています。カラフルな電車も名物なのですが、それ以上に「天燈」というものが名物のようです。僕たちはわけがわからないうちにホァンさんの勧めでやってみたのですが、大変お勧めです。
  簡単に言えば、和紙でできた小さな熱気球に願い事を書いて、それを空に飛ばすのです。筆に墨を付けて願い事を書くのがまずはおもしろく、やすみもやりたがりましたし、響までがやりたがりました。僕たちの気球は文字は多くなくてメチャクチャな絵(?)のようになってしまいましたが、それでも満足しました。それから線路の上で気球に点火してもらって放します。線路の上というのが変わっていますね。
    気球がどこまでもどこまでも空高く上がっていくのは、魂が地上の生から解放されて天国に行くような爽快な感じでした。その一方でどこかもの淋しい感じもしました。飛んでいった天燈がゴミになってしまうのではと心配にもなりました。30kmぐらい先まで飛んでいくのだそうです。旅立つ人を見送るような感じもしました。自分たちの願いが昇華されて、ほんの1滴であっても世界の平和につながればいいのですが・・・。
  次に九份に向かいました。こちらはさらに登っていったところで、想像以上にど田舎というか山のなかでした。登りの道から細い路地に入ると、突如として「京都の清水寺の参道のように細い道に沿ってお店がズラーッと並んでいる光景」が出現しました。もちろん山奥ですから急斜面で、アップダウンがすごくあります。そこも清水寺の参道と似ています。
  非常に多くの店があったのですが、お菓子屋さん、下駄屋さん、果物ジュース屋さん、小物屋さんなどに、美紗さんとやすみは寄りました。僕とホァンさんは店の外で待っていました。まだ午前中なのでギュウギュウというほどではありませんが、観光客がたくさんいます。夕方にかけてどんどん混んでいくそうです。
  九份を見終わったあとには台北市内の子どもの公園に行く予定でした。ですがとにかく蒸し暑くて、もうヘトヘトにバテてしまいました。帰りにはタクシーに乗り込むだけで精一杯でした。暑さに体が慣れるのに、やはりしばらくかかるようです。ホテルに着いて、ホァンさんに感謝して別れました。あとでホァンさんはたくさんの写真を1枚1枚送ってくれました。

 


写真1 十分にて。「天燈」に筆で願いごとを書く。

 

写真2 カラフルな電車がやって来た。この電車も名物なようだ。

 

写真3 線路のうえで天燈に点火してもらう。

 

写真4 はるかかなたに上がっていった。

 

写真5 「十分」の駅。ほんとうに山のなかだ。

 

写真6 プラットホームに猫がいて、やすみが喜んだ。

 

写真7 「九份」へはさらに山道を登っていく。

 

写真8 まだ午前中だったので、比較的すいていた(だんだん人が増えていった)。

 

写真9 美紗さんが行きたかった下駄屋さんにて。柄を選ぶと下駄を作ってもらえる。やすみもほしがったので、作ってもらった。

 

写真10 ホァンさんといっしょに。

 

写真11 独特の雰囲気がある。ただ急な階段を子どもたちを抱いて歩くのは大変だった。

 

写真12 お昼ごはん。いっときでも暑さから逃れられてホッとした。

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