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久しぶりに触れた数学 2018年6月3日(日)

  本との出会いには偶然がつきものです。自分が思いもしない形ですばらしい本と出会うことがあります。僕にとっての『いかにして問題をとくか』(G・ポリア著、柿内賢信訳、丸善出版、1954年)との出会いもそうでした。
  きっかけはふいに訪れました。退職する同僚が、最後に蔵書の一部を分けてくれたのです。『いかに問題をとくか』は本が古いこともあり、いただいた何冊もの本のなかでは目立ちませんでした。同僚もこの本をそれほど重視していない様子でした。ですので特に期待はしていなかったのです。
  ところがある日手に取ってみて、たちまち内容に惹き付けられました。僕がいままでの読書のなかで感じているのは、「すばらしい本は、どの一部分をとってみてもすばらしい」です。古典と呼ばれるようになる名著を読むと、ほとんどのページに含蓄があり、僕が感銘を受けた印である赤線と付箋だらけになります。反対に内容が薄くて飾りの多い本では、赤線や付箋はほとんどつきません。なぜなのかはわかりませんが、はっきりと分かれるように感じています。
  『いかにして問題をとくか』にはほとんど無駄なページがありません。数学を題材にした本なのに、数学にとどまらない深みがあるのです。どちらかと言うと、芸術家が自分の創作の過程を精密に書き記した本に近いと思います。それでいて、いろんな分野に応用が効く普遍性があるのです。
  『いかにして問題をとくか』は数学者のポリア(1887〜1985)が、タイトルのとおりに、「われわれがどのようにして問題を探求していけばいいのか?」について述べた本です。数学者としての知識と経験をもとに書いてありますが、数学そのものが著述の目的ではなく、「探求の方法についての学問」が目指されています。創造プロセスの解明を目指しているとも言えるでしょう。
  この本のおもしろいところは、結論が非常に圧縮されていて、裏表紙にまとめて書かれていることです。「第1に、問題を理解しなければならない。第2に、データと未知のものとの関連を見つけなければならない。関連がすぐにわからなければ補助問題を考えなければならない。そうして解答の計画をたてなければならない。第3に、計画を実行せよ。第4に、えられた答えを検討せよ」といった具合です。そして第1から第4がもう少し細かく書かれています。
  これだけなら無味乾燥でおもしろくもなんともないのですが、これをもとに掘り下げたり具体例を出したりしながら、本は展開していきます。まるでいい音楽が、簡単なメロディを基本旋律としているのに、そこから変化しながら豊かに広がっていくのと似ています。そして読み終わってから裏表紙を見てみると、そこには練り上げられた「手探りと客観化の経験」があるのがわかるのです。
  本の途中にも数学の問題例がありますし、最後には20問の問題があります。これらはあくまでも「問題を解決する戦略」の説明のために用意されているのですが、数学の問題としてもとてもおもしろいです。取り組んでみてわかったのは、僕は試行錯誤やアィディア発見は得意だけど、解答を練り上げたり、正しいかどうかを吟味したり、問題をさらに広げて考えてみたりするのは苦手だということです。今も昔もせっかちで、手続きを1つ1つ重ねる忍耐力が不十分ということなのでしょう。
  本を読みながらショックも受けました。僕は中学生や高校生の頃には数学少年でしたので、数学とはずっと一生付き合っていくものだと思ってきました。ところが医学の方向に進んでからは、実はほとんど数学を使うことがなく、忘れてしまっていたのでした。二次方程式の解の公式や、微分積分の基礎、三角関数の公式など、その当時には当たり前だと思っていたことを、ことごとく忘れてしまっていたのです。本を読みながら少しずつ思い出していったのですが、「大事なことでも、日々使わないと忘れてしまう」ということを痛感しました。
  またさらにショックだったのは、数学を深く学んだつもりでいたけれど、実は実生活にほとんどつながらない「机上の論」を学んだに過ぎなかったことです。この本を読むと、数学的な発見法がいかに世界のさまざまなことにつながるかがよくわかります。著者のポリアは数学以外の分野にまで応用が効く問題解決法を見つけていたのです。僕は結局は公式を暗記していただけだったのでした。
  ポリアがどれほど優れた数学者だったかは、本文の問題の解答の仕方を見てもわかります。数学は解答の美を競う面がありますが、ポリアの本はまさにそうです。自然に、シンプルに、肩の力の入らない感じで、さらっと解いてあるのです。しかもより広い範囲に応用が効くような視点から解いてあります。1つの問題を解いておしまいでは、全然ダメなのだとわかりました。
  この本を読みながらいちばん感じたのは、「もう一度初歩から数学を学んでみたいな」ということです。いまの視点で学び直せば、得られるものも大きいだろうなぁと思うのです。ただ読む本は僕の仕事机に山積みですし、読書の時間もほとんどないので、実際にすることはできないです。人生で学べることって、実は限られているんですね。
   でも数学に限定せずに「問題解決法を学ぶ」という視点で見ると、学ぶチャンスは僕の生活のなかに無数にあります。精神科医療に関わる困難事例に日々取り組んでいますから、そこに応用したいと思います。実践で使えそうな教えには例えば以下のものがあります(これは厳密な引用ではなく、僕が本から受け取ったものです)。

より一般化した問題の方が解きやすいことがよくある。特殊なケースだけで考えるよりも、いろんなケース全般に当てはまる法則の方が見つかりやすい。
反例を示すには、特殊な状況のものを探すといい。1つ示せれば、数学的には否定できる。
難しい問題に取り組む場合には、過去に似たような問題を解かなかったかを探してみる。関連がありそうな問題でもいい。その解き方を応用できないか?
問題を解くための前段階として、補助的な問題を作ってみる。いい補助問題が見つかれば、問題への取り組み方の見通しが立つ。
問題の条件を数式で表すことは、言葉を異国語に翻訳するのに似ている。数式はひとつの言語である。
問題に取り組む際には、直感に基づく予想も積極的に活用する。最初から細部を気にしすぎるとうまくいかない。ただし直感は正しいとは限らないので、疑うことは必要である。
解答を仕上げる際には、直感に基づく予想は消えていき、論理的な展開だけが残る。予想は作業を進めるのに必要だが、最終的な結果には残らない。
どんな風に問題を解いたかを振り返り、より簡潔でわかりやすい解答がないかを探してみることは、成長のために大変役立つ。似たような別の問題を作ってみるのも理解に役立つ。
ときには問題を無理に解こうとせず、寝かしておくのがいいこともある。あまりに懸命に取り組みすぎて、迂回路が見つけられないことがある。真剣だけれどもゆったりとした姿勢が大事である。
創造的な解決のためには、「無意識のプロセス」が必要だが、これは簡単には起きない。問題に全身全霊で取り組まないといけない。そうすると不意に問題の核心がわかることがある。
現実の問題では、数学の問題に比べて条件があいまいで複雑なことが多い。解答も厳密な解答ではなく、近似的なものになる。とはいえ数学的な探求法や論証法は、思考の基盤として役に立つ。

  数学のことを語っているのに、人生の奥義書のような趣きがあります。どんな分野でも深く学べば、普遍性に通じるのでしょう。僕も自分の活動を深めて、他の分野にも通じる世界を持てたらと願いました。ポリアは数学者だけを育てたかったわけではなく、創造的な人間を育てたかったのでしょう。この本を通して励ましを受けとる人は多いと思います。

 

写真1 『いかにして問題をとくか』(G・ポリア著、柿内賢信訳、丸善出版、1954年)の表紙。

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2018年6月日録1

6/3(日) 精神科の患者さんには便秘に悩む方が多い。病気そのものでも便秘になるし、精神科の薬にも便秘を促進するものが多い。たいていの方は下剤を出せば改善する。でも長年にわたって強い精神薬を飲んでいる方などの場合、腸が緩んでしまっていて、なかなか下剤が効かないことがよくある。多数の下剤を出しても改善せずに困っている方に、腸内ガスを減らす薬が効くことが何回かあった。腸内ガスも慢性便秘をもたらす要因のひとつなのだろう。便秘が改善することで患者さんの精神状態が改善することもある。便秘の治療は古くて新しいテーマだ。
6/5(火) 市民健診を受けに行った。近くの総合病院の健診センターには朝早くから大勢の人が集まっていた。身長・体重・採血・視力・聴力・・・と流れ作業で進んでいく。おもしろかったのは、受診者をさばくスピードが職員によって明らかに違うことだ。流れ作業と割り切ってドライに接している人は手早い。健診現場をスムースに回すことに集中しているのだろう。一方で1人1人の話をていねいに聞いて、問題点の発見につとめている人は遅い。遅いのだが受診者の健康を第一に考えてくれていることがわかる。
  どちらの考え方も大事なので難しいが、利用者の立場に立ってみれば、速く回してくれる方がありがたい。待たされると疲れるからだ。それに健診は広く浅く見ていくための活動なので、詳しく把握できなくても仕方がない面がある。その意味では、質よりも量が求められる現場なのだと思った。
  現場によって利用者のニーズは違う。僕が働いているのは地域の専門病院の外来なので、見落としは許されないが、数をさばくことも求められている。質と量を半々ぐらいに考えないといけないのだろう。普段僕は時間がかかってもていねいに患者さんと関わることを重視しているが、それだけではなく、「速くこなしてお待たせしない」ということも意識しないといけないのだと思った。
6/6(水) 息子の響については、以前から発達症があるのではと心配してきた。最近でもささいなことにこだわって大泣きをしたり、まだ1歳である妹とおもちゃを取り合って押し倒したり顔を蹴ったりすることがあった。響を見ていると、言葉でうまく言えずに、思い通りにならなくてイライラしているように見える。状況もうまくつかめないので、結果的にずれたことをして怒られてしまう。響のペースに僕たちも合わせないといけないのだが、姉や妹もいるのでどうしても同じ基準で判断してしまう。「響には違いがあると思って接してあげないといけないんだね」と美紗さんと話した。できるだけ誉めてあげたい。
  娘のやすみがテレビコマーシャルを見て泊まりたいと言っていた大分県別府市の「杉乃井ホテル」に泊まった。大きなビルがいくつもある作りになっており、入り口や駐車場、受付は混雑していた。職員の人に聞くと、この日も1800人以上が泊まっているのだそうだ。ただ不思議なことには、館内では1800人がいるような混み具合を感じなかった。食事や温泉だけでなく屋内プールや温水のスパ、イルミネーションなど見所が分散されているせいなのか、それとも他の理由があるのか。よくわからなかったが、混雑を解消する仕組みが何かあり、それが利用者の満足につながっている気がした。

 

 

写真1 杉乃井ホテルの「キッズランド」で遊ぶ子どもたち。

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2018年6月日録2

6/8(金) 朝、娘のやすみを抱き上げたときに、ぎっくり腰になってしまった。以前にも1度したことがあり、2回目になる。痛くて腰が伸ばせない。歩くのも手すりをつたってやっと歩く感じだ。
  それからは腰が曲がった状態で、病院でも過ごした。同僚の看護師さんたちは、腰痛経験がある人が多いこともあり、非常に親切だった。痛み止めを分けてもらったり、杖を貸していただいたりした。なによりうれしかったのは、僕の状態をあれこれ話さなくてもパッと理解してもらえたことだ。
  経験を共有していると、互いに配慮することができやすい。共有する部分が少ないと、相手の状態を想像するので精一杯で、「どうしてあげると相手が楽か?」までは思い付きにくい。対人支援職の人は、できるだけいろいろな経験をしておくことが求められるのだろう。また自分の経験を共有可能な形にまで整理しておくことも大事だと思った。
6/9(土) 同僚である臨床心理士のUさんは、トラウマ治療をライフワークとしている。虐待を受けた子どもの治療は、投薬だけでは難しく、心理的なケアが必須になる。僕はUさんに支援をよくお願いする。僕の立場からは、頼りになるありがたい存在だ。
  Uさんの仕事について教わりたいと以前から思っていたが、チャンスが来た。Uさんが学んでいる技法を、僕が患者さんの立場になって体験させてもらえた。体の感覚に焦点を当て、思考が先走らないようにしていくプロセスのように思えた。そして体の声に耳を澄ませる。トラウマ体験の後遺症には、体と心の分裂もあるのだろう。
  僕の場合、「自分がしているいろいろな活動の中心を見つけたい」というのがニーズだったようだ。普段はあまり意識していないことだが、Uさんと話すうちに自然とその話題になった。そして僕の場合、もう少し「地に足をつけて、身の丈に合わせて、現実社会に関心を持って生きる」ことが今後の課題のようだ。
  自分の内なるニーズというのはなかなか自分ではわからない。言葉にならないその響きをうまく引き出して、本人に伝えてあげるというのは大切な役割だ。特に体と心の統一体が失われてしまっている場合には、いっそう大事になる。「心身の一体性」というのが臨床心理士の支援の1つの目標であるのだろう。 
6/10(日) 「錦町キャラバンメイト養成講座」で認知症の基礎知識について話した。キャラバンメイトとは認知症サポーター養成講座の講師のことであり、要するに認知症についての講演を地域住民に対して行える人ということになる。支援の現場にいる人たちが参加者に多く、話しがいがあった。
  支援の要点は他の精神疾患と同じで、「どの程度本人の意思を尊重するのか?」と「どの程度周囲への問題を重く見るのか?」のバランスにある。そのバランスを見極めるには、本人の認識能力の評価が欠かせない。つまり精神科の支援の基礎には、相手の理解力や判断力を把握することがないといけない。ここを的確につかめると、そのまま法律や制度の流れにうまく乗せることができる。気楽に話しながら、相手の認識能力をつかめることが、精神科の支援者の出発点であり目指すものでもあるのだと気づいた。

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2018年6月日録3

6/13(水) 認知症の初期集中支援チームに参加していると、認知症ではなく妄想性障害のケースもよく上がってくる。これは認知機能の低下はみられずに、妄想と妄想に基づく行動が症状の中心である人たちのことだ。妄想とだけ聞くとそんなに深刻でなさそうだが、妄想に基づいて近隣とトラブルになったり、警察に何度も通報したり、迷惑行為に至ってしまうことがよくある。実はとても深刻な病気だ。しかも病状の自覚は低下していることがほとんどで、非常に支援につながりにくい。精神科スタッフも苦労しているところだ。妄想について講義を依頼されたが、ぜひ勉強が必要な分野だと思う。
6/20(水) 役場職員のメンタルヘルス問題の相談を受けた。職場のメンタルヘルス問題全般に当てはまることだが、病院での治療よりも、職場の支援体制作りが成功と失敗を決める。僕たちの仕事も、職場の総務課や所属課の人たちに情報提供したり、支援のポイントを伝えたりすることが大部分だとさえ言える。でも結局「職場がどれだけ生き生きとまとまっているか?」が大事になる。休職者の復職支援も突き詰めていけば、「職場全体を活性化する」ことに行き着くのだと思う。
  子どもたちが3人とも中耳炎になって、耳鼻科に通っている。娘のやすみだけが滲出性中耳炎という難しい中耳炎であり、治りが悪い。週に1回とか通い続けてもなかなか改善しないので、やすみが耳鼻科恐怖症になってしまった。「今日は耳鼻科に行くよ」と話すだけで泣き出してしまう。かわいそうになるが、ネットの情報を見ると、10歳ぐらいまでは通わないといけないこともあるそうだ。難しい病気の場合、親も忍耐を持たないといけない。
6/22(金) 精神科に救急車で運ばれてくるケースにはさまざまなものがある。知的発達症がベースにある場合などでは、些細な症状で救急要請をしたり、夜間帯には順番待ちをしなくていいからと救急車で来られることがある。なかには「タクシーがわり」といった気持ちで呼ばれることすらある。救急医療のシステムが多くの良心的な人に支えられているのを知っているだけに、矛盾を感じる。しかし上記のようなケースは多くの場合、支援者の発達症についてのアセスメント不足が過去にあり、その結果状態が悪化している。「チャンスを逃さずに早く適切な支援が入っていれば」と感じることも多い。発達症の地域支援をコツコツ地道にしていく以外には、解決法はないのだろう。

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2018年6月日録4

6/24(日) 子どもたちが遊べるように「霧島神話の里公園」(〒8994201鹿児島県霧島市霧島田口2583-22、電話0995571711)に連れて行った。公園自体がかなり標高の高いところにあるうえに、さらに園内バスやロープウェイを使って登っていく。霧島連山を含めて周囲が一望できるので、迫力がある。景色を見ながら、古代にはどんなにか森が深かったんだろうと想像した。現在でも山また山で緑が深いのだから、太古はすごかったことだろう。残念ながら人間が活動すればするほど天然の森林が減っていく状況がある。現代の世界は「いかにして人間が活動しながら森林を増やしていくか?」という難問に直面しているのだと思った。
  次にレストラン・販売所である「キッチンガーデン夢見が丘」(〒8850223宮崎県都城市吉之元町5265-51、電話0986332773)に行った。中にボルダリングがあり、子どもたちがやりたがった。驚いたことには、普段は少し歩くと「抱っこして」と言う息子の響が、必死に取っ手につかまって、壁を登りきった。姉のやすみも高いところまで何度も登ることができた。その場にいた他の子どもたちも夢中になって次々と壁を登っていた。
  ボルダリングを見て思うのは、人間には「障害物を乗り越えて進みたい」という本能があるということだ。冷静に見れば壁を登るだけのことなのだが、子どもたちは全力以上の力を出し切って挑んでいる。その姿を見るとこちらの心も動く。人間が生きているのには困難が付き物であり、それを乗り越えていけるように僕たちには自然と力が備わっているのだろう。虐待を受けた子どもたちには自分の力を信じれなくて苦しんでいる子が多いが、「ちゃんと力は備わっているんだよ」と信じて見守ってあげる存在が必要なのではないかと思った。
  日本精神神経学会のeラーニングで「差別の論理と精神科医療」(岡田靖雄)を見た。演者の独特な屈折した人柄も感じられたが、指摘されていることは鋭く、また丹念な歴史調査に基づくものなので反論が難しいと思われた。衝撃的だったのは、精神科の患者さんたちを差別から守るのが精神科医の第一の使命なのに、学会は負の歴史がたくさんあるということだった。差別を促進するような優性保護法などに対して反対の声をあげた人は少なかったことがわかる。現代においては社会における精神科医療の位置付けもずいぶん変わったと思うが、差別的な法制度は存在する。現場で格闘しながら、より公正な法制度を夢見ていくのを自分の仕事と考えないといけないと思った。
6/26(火) 上球磨地域の認知症初期集中支援チームの会議に参加した。このチームは参加者に熱意ある方が多く、具体的なケースの支援に努力するだけではなくて、より効果的な支援体制作りも話題になる。介護保険など大きな仕組みは国レベルの話になるが、市町村の支援担当者の工夫で変えられることもたくさんある。優秀な人は目の前の個別の案件に取り組むだけでなく、より大きな視点でシステムを作り変えていく。結果的にはそれがいちばん地域住民のためになるからだ。
6/27(水) 病院スタッフと地域の中学校に訪問した。通院したり入院したりしている子どもたちのケアについて話し合うのが目的だったが、他にも子ども支援全般の話し合いができた。特に情報共有や意見交換の仕組みについて話せたのがありがたかった。子どもの治療をする場合、学校から情報をいただいたり、学校に教育面での配慮をお願いする機会が多い。継続的に学校と連携できる体制が作れれば、それだけで状態が改善するケースがたくさん出てくるだろう。

 

写真2〜5は鹿児島県にある「霧島神話の里公園」で撮った写真です。


写真2 かなり標高が高い所にあり、周囲が一望できる。古代の風景を想像させる。

 

写真3 ロープウェイを使ってさらり高い所に登る。

 

写真4 スライダーを使って降りてこられる。けっこうスピードが出る。

 

写真5 落書きしていいバスの置き物。海外の人の書き込みもたくさんある。

 

写真6 鹿児島県の高千穂牧場にて。子羊へのエサやりができる。

 

写真7 レストラン・販売所「キッチンガーデン夢見が丘」。ボルダリングが子どもたちに大人気だった。やすみも響も通常では考えられないような力を出して登っていた。

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種子島への旅 2018年5月2日(水)

  偶然なのですが、5月の連休に休みが取れました。休みは取れてもどう使うかが難しいのですが、美紗さんの案で僕の両親を誘って旅行に行くことにしました。実は僕たちが両親を旅行に誘うのは初めてです。いままでは僕たちが実家に行ったときに、両親があちこち連れていってくれる形だったのでした。今年は両親が共に喜寿になることもあり、お祝いをかねて旅にご招待することにしたのです。
  子連れでの移動は大変なので、行き先は九州から近いところにしようと両親が言ってくれました。当初は屋久島を考えたのですが、連休には大混雑するそうです。そこで種子島(たねがしま)にすることにしました。美紗さんも僕も両親も、鹿児島県の離島には行ったことがなかったのです。
  父は長年エンジニアとして働いてきました。父は宇宙船の開発にも関心が深いです。なのでロケット発射施設「種子島宇宙センター」には前から行きたかったそうです。またあとからわかったのですが、種子島には日本最古の遺跡もあるそうです(約3万年前のもの)。考古学にも父は関心があるので、ちょうど良かったのでした。
  鹿児島空港で両親と待ち合わせて、飛行機で種子島に向かいました。所要時間は40分と短いのですが、小さなプロペラ機ですのですぐに揺れます。僕たちが出かけた日は悪天候で出発が大幅に遅れるぐらいでしたので、かなり揺れました。飛行場で数時間待たされたのと、揺れたことで、いきなり美紗さんは参ってしまいました。
  ですが着いてみた種子島はすばらしく自然度の高い場所でした。天然に近い森が一面に覆っていて、海岸はどこでもヴューポイントになりそうなほど広々としています。海の色はエメラルドグリーンで、非常に澄んでいます。北から順に「西之表市(にしのおもてし)」「中種子町(なかたねまち)」「南種子町(みなみたねまち)」という3つの市町村でできているのですが、町の中心部以外は林の合間に人家があるような感じです。わかりやすく言えば田舎なのですが、人間が少ないというだけではなくて、自然の景観を活かしながら地域の人々が生活しているのを感じました。すごくゆったりした時間の流れがあるのです。
  僕の感覚に過ぎませんが、都市部に行くほど時間の流れが速く、お金で消費することが思考の中心に出てくる気がします。逆に自然度の高い場所ではゆったりした感覚があり、人とのつながりが前面に出てきやすい気がします。もちろん田舎に住んでみると田舎の嫌らしさもあるのですが、都市部からたまに来るぶんには田舎の良さを味わいやすいです。だからこそ自然度の高い場所には休養場所としての役割が求められると思うのです。
  子どもたちは毎日海に入って遊びました。「風が強いので足先をつけるだけだよ」と何度も言ったのですが、ちょっとずつ海に入るうちに、やがてしゃがみだし、そのうちに寝そべって波が打ち寄せるのを楽しむようになります。サンゴのかけらが集まった白いサラサラの砂浜ですし、海水があまりにも透明ですから、入りたくなるのもわかるのです。そして波遊びは何の道具も要らないいちばんシンプルな遊びなのでした。五感を総動員するので教育効果も高いと思うのです。
  自然に近いと不便な点がたくさんあります。虫や獣が出たり、天候に振り回されたり、草刈りに終われたり、などです。自然を管理するのは難しく、そこがいちばん面倒な点です。ですが自然が刻々と変化するからこそ時間の流れを感じられるのだと思うのです。その意味では僕たちは生活のなかにある程度「自分の思い通りにならない抵抗」がないと、充実できないのかもしれません。
  さて種子島に戻ると、滞在中に風が非常に強くて寒かった以外には、大きな問題なく過ごせました。種子島にいると、普段の僕のセカセカした生活が、何かにとりつかれていたように感じられます。そして普段は予定を詰め込んで充実させようとし過ぎていると思いました。とりたてて何もしないような時間の方が、かえって豊かになるから不思議でした。子どもたちも僕の両親とたくさん過ごせました。
  結果的にですが、種子島は家族旅行に最適の地でした。家族旅行の目的は、結局のところ家族で過ごすことだけです。いかに濃密な時間のなかで家族と過ごすかが問題なのですが、種子島にはその濃密さがありました。両親が元気なうちに「子や孫と過ごす時間」を提供できて良かったです。両親にもいままで走り続けてきたぶん、ときにはゆっくりしてもらいたいです。僕自身も空白の時間をときどき持てるようでありたいと思いました。

 

写真1 飛行機にかなり揺られてやっと種子島空港に着いた。

 

写真2 宿泊した民宿「珊瑚礁」の前にはアコウの大樹があった。

 

写真3 子どもたちは全身ビショビショになって海で遊んだ。

 

写真4 写真ではわかりにくいが、滞在中にはかなりの突風が吹いていて寒かった。

 

写真5 種子島にはマングローブの北限の自生地がある。水際には陸地と海という異なる環境の両面があるので、多様な生き物が生息できる。

 

写真6 種子島空港センターの案内ツァーでは、ロケットの実物を間近で見ることができる。

 

写真7 宇宙センターのそばの海でも子どもたちは遊んだ。

 

写真8 子どもの公園である「あっぽーらんど」。「あっぽー」は方言で「遊ぼう」の意味。海賊船など凝った遊具があり大人気だった。

 

写真9 観光名所である「千倉の岩屋(ちくらのいわや)」へ。この洞窟は満潮のときは海に沈み、干潮のときのみ入ることができる。

 

写真10 洞窟のなかは意外に広い。

 

写真11 ここでも子どもたちは海に入った。

 

写真12 ハマヒルガオの花。故・島田等さんが書いてくださった詩を思い出した。自然の方を見なくなると人間はどこかおかしくなってしまう。

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Kくんとのやり取り2 2018年5月6日(日)

  昔出会った友人のKくんが21年ぶりに連絡をくれ、やり取りが始まりました。Kくんはフランスの詩人による芸術批評を専門的に学んできた人ですので、僕へも深い問いかけを与えてくれました。以下は僕の応答の続きです。Kくんとやり取りしていると、複雑な物事の核心を射抜くのが批評なのだとわかります。

  K君、すばらしいメールをありがとうございました。一生かかって返事をしないといけない問いかけですが、とりあえずいま浮かんできたことを書いてみますね。
  すっかり忘れていたのですが、僕もずっと自分の中心を探していたことを思い出しました。「原点」「自分のなかにある太古的な記憶」「余分なものを切り落とす」「野性的な直観」といったことをいつも考えていたと思います。別の言葉で言えば、自分の生きていく方向性を見つけようとしていました。外的な手さぐりよりも、自分の内部に沈潜し、大事なものを探すことを優先していたように思います。
  ただ難しいのは、自分の内部というのはあってないようなものなので、はっきりとは見えないということです。内的探求には客観的な指標がないため、方向性を見失ったり、実生活とのつながりが切れてしまったり、感情に流され過ぎたりします。実際に内的探求が神秘主義的になりすぎたり、快楽主義的になってしまったり、暴力的になってしまった例もたくさんあるのではないでしょうか?
  僕自身もいろいろありましたが、手応えのある答えはなかなか得られませんでした。ですが転機がありました。イギリスのハワースに行ったのです。これも強く望んだわけではなく、他に計画していたことが全部ダメになって、仕方なく行ったような感じでした。期待も、自分の支えとなるような概念もないまま出かけたのです。
  ところが行った先では非常に豊かな体験が待っていました。この旅で得られた自分の中心は以下の3つです。
(婉の荒れ野に立つ。
⊃佑暴于颪ぢ海韻襦
自然や人がもたらしてくれたものを言葉で記録する。
  振り返ってみれば、この旅以前も 銑をしていたし、いまもしています。その都度出会う自然や人は移り変わっていくのですが、していることはあまり変わっていないです。ある意味では進歩がないですね(苦笑)。
  K君も僕のもとに、先生として現れてくれました。これだけ深い語りかけをしてくれる人は長らくなかったです。ありがとう。K君は人を育てる才能がありますよ。

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2018年5月日録1

5/1(火) 美紗さんが家でする用事があったので、娘のしずくを連れて「ほっとステーション九ちゃんクラブ」、〒8680004熊本県人吉市九日町16 1F、電話0966329566)に出かけた。3歳以下の子どもと親が集まれる場所で、遊びのスペースとおもちゃがあり、保育士などのスタッフがいてくださる。親にとってはありがたい施設だ。
  しずくはあまり人見知りせず、他の子どもにも関心を示すので、安心して見ていられる。スタッフの方たちと話していると、「子育てが大変なのは自分だけじゃないんだな」と思えてホッとする。子どもを遊ばせるために来るのだが、安らげるのは親の方だと感じた。
  お昼を食べにカフェレストラン「Farmer's Cafe Sakuri 咲莉(さくり)」(〒8680302熊本県球磨郡錦町一武4018、電話0966380390)に出かけた。何度も行ったことがあるが、何度来てもすてきな場所だ。レンガづくりの大きなピザ窯が美しいし、実際に焼いたピザも非常においしい。空間自体に落ち着いた明るさがあって、座っているだけで落ち着く。運営されているご夫婦の飾らない人柄もすばらしい。食事どころなのだが、瞑想的な場所でもあると思う。
  精神疾患の背景にトラウマの問題があると、病状が複雑化してつかみどころがなくなりやすい。しかもトラウマの問題があるということを患者さんもなかなか話せないし、治療者もなかなか気づきにくい。何年も経ってから、偶然のきっかけで「トラウマの問題があったんだ」とわかることがある。それはまるで推理小説のようで、あとから見るといたるところに「犯人はトラウマだ」というヒントがあったはずなのに、気づけていなかった。あるいは気づいているようでいて、目をそらしていたというようなこともある。つらすぎる体験を消化して自分の一部にするには年月がかかるし、回復の過程に終わりはないのかもしれない。でも何かのきっかけで回復の過程が動き始めると、あとはゆっくりとであっても進んでいくのだと思う。 
5/5(土) たまたま宮崎市に行くことがあり、たまたま「みやざきナイトマーケット」を通りがかった。専門店でない市民の方たちが食べもの・小物類・衣類・植物などさまざまな出店を出していた。ダンスなどのパフォーマンスもあった。行政と民間が連携しての「手づくりのお祭り」だ。現代は地域の交流というのがほとんどない。なのでこのようなイヴェントをとおして地域の凝集性を高めていくことが必要なのだと思う。
5/7(月) 娘のしずくは1歳になったばかりだ。つかまり立ちは以前からしていたが、数日前からひとりで立つ練習を急にするようになった。何度も何度も繰り返して、とうとう支えなしで数秒だが立てるようになった。まるでスイッチが入ったように、子どもは時期がくれば成長していく。シマウマの赤ちゃんが生まれてすぐに立とうとするように、人間にも成長への促しが内的にセットされているのだろう。僕たちは自分で考えて行動しているように思うが、実際のところ自由意思は案外少ないんではないかと思った。
5/8(火) 多良木町に家族で出かける機会があった。「どこか新しいお店がないかな?」と思ってインターネットを検索して、出てきたのが「カフェ ロージー」(〒8680501 熊本県球磨郡多良木町 多良木96-1、電話0966328478)だ。行ってみると倉庫風の建物で、なかに美的な空間が作られている。食事も良かったが、空間の雰囲気が好きでお客さんたちも集まっているようだった。人々は「芸術的なもの」に触れたいと感じている。カフェやレストランもいままで以上に空間作りが求められるのだろう。
  上球磨地域の認知症初期集中支援チームの懇親会に参加した。普段は専門職を中心に認知症の困難事例対応を議論しているチームだが、懇親会にはさらに行政や関連職の方も参加した。チームから離れていく人の送別会もあった。「連携して多角的に支援策を探る」という姿勢を持った方が行政のいろんな分野にいてくださると、生き生きした地域に確実に近づく。認知症初期集中支援チームは教育的な意義が大きいと思った。

 

写真1 「ほっとステーション九ちゃんクラブ」で遊ぶしずく。広い空間があるので子どもはのびのびできる。

 

写真2 カフェレストラン「Farmer's Cafe Sakuri 咲莉(さくり)」。レンガづくりのピザ窯で焼いたピザはモッチリしている。

 

写真3〜4は多良木町にある「カフェ ロージー」で撮った写真です。

写真3 大きな倉庫のような店内で、美的な日用品も販売されている。

 

写真4 ランチは野菜中心でおいしいが、店内の雰囲気もおいしい。

 

写真5 湯前町にある創作ケーキ屋さん「おかしのいえ」。ここで娘のしずくの誕生日ケーキを依頼した。

 

写真6 しずくが好きな子供番組のキャラクター「わんわん」のケーキで、1歳をお祝いできた。

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2018年5月日録2

5/9(水) 最近力を抜くということを考えることが多くなった。自分の成長の方向が、いままでは「より新しいことをできる」だったのが、「よりリラックスして振る舞える」に変わってきたのかもしれない。ひとたびそう思ってみると、「いままでの自分は何にとりつかれていたのだろう?」と思えてくる。生活や仕事で僕に求められるものも、「ガンガン進む」から「ゆったりと見渡して進む方向を探す」に変わってきたのだろう。子育てについても、「なんでも指示して手取り足取り助ける」から、「話しながら必要に応じて助ける」に変わってきている。人生のステージが変わると求められる行動も変わるので、ついていくのが大変だ。
5/12(土) 僕が仕事で美紗さんも出かけないといけない時間が発生したので、市のファミリーサポート事業を利用させていただいた。毎回子どもたちを預かっていただくHさん一家に今回もお願いし、僕が仕事のあとに子どもたちを引き取りに行った。驚いたのはHさん夫妻は共に保育士であり、さらに薬剤師や学校支援員などとしても活動されているということだ。ファミリーサポート事業はそもそも営利とは縁遠いものなので、参加されている方はよほど子どもが好きだったり、親のサポートを通して社会貢献をしたいと考えている方たちなのだろう。地域にはさまざまなヴォランティア精神を持った方たちがおられるのだと知って、うれしくなった。
  夜に美紗さんは家族の女性陣とともに、ヘアメイクアップアーティストのIKKOさんのディナーショーに出かけた。帰ってきての感想は「サービス精神がすごい」。美容師の修行から出発し、下積み時代があった方だそうだから、客席への配慮も行き届くのだろう。ハグまでさせてくれて非常に楽しかったそうだ。明るく多彩なキャラクターで、性の多様性の理解促進にも貢献しているし、ネット上の情報によれば日韓関係の改善にまで貢献しているそうだ。僕はほとんど知らない人だが、美紗さんと家族(母、姉、義妹)を大喜びさせてくださったことに感謝した。
5/13(日) 美紗さんの実家に行った際に、甥の加藤颯馬くんがどこか温泉に行きたいと言った。近くて行きやすく、家族風呂のある温泉を調べてみると、「中山(ちゅうざん)温泉」(〒8910105鹿児島県鹿児島市中山町1390、電話0992601126)が見つかった。設備の面などは行ってみないとわからないので賭けだったが、実際に行ってみると非常にきれいで大人気の温泉だった。颯馬くんといっしょに温泉に入れて子どもたちは大喜びだった。さらに座敷でのランチバイキングがあった。地域の野菜を豊富に使った料理で、手作り感がある。子どものためのお菓子までバイキングに含んでくださっているところがありがたかった。
  最近「自分で自分がわからない」と感じることが増えた。思わぬ暴言(?)を会話の流れで言ってしまい、びっくりすることがよくある。自分の真実の気持ちでもあり言い放てることでストレス解消になるのだが、「理性で抑制している感じ」は減っている。一から十まで頭でコントロールするよりも、あまり心身を絞めつけずに、その場の流れで行動することが多い。以前よりもリラックスできていて健康にはいいと感じるのだが、頭が悪くなったような感じもする。もともと僕は理屈の構築には向いていないし、ハチャメチャな方が好きなので、自分を型にはめない方が居心地がいいのだろう。感覚的には頭にあった司令塔が溶けて、胸に降りてきたような感じだ。「人間の心が胸にある」という古代の人の感覚には違和感があったが、やっぱり感覚的には頭よりも胸に人間の中心がある方が自然なのだと感じるようになった。

 

 

写真7〜8は鹿児島市にある「中山(ちゅうざん)温泉」で撮った写真です。

写真7 家族風呂には座敷が付いており、快適だ。

 

写真8 ランチバイキングがあった。地域の素材を活用した料理であり、甥の加藤颯馬くんもいっぱい食べた。

 

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2018年5月日録3

5/15(火) 「保育士キャリアアップ研修」で講師をした。ご近所の本村さん(保育園長)が企画運営され、球磨郡の保育士さん60人ほどが集まっていた。講義だけでなく、90分かけて2ケースのグループワークをできたのが良かった。参加している保育士さんは、保育園スタッフのなかで発達症支援のリーダーになることを求められている。難しいケースを早めに見つけて、ケース会議を開いたり、他機関と連携しながら支援に当たる調整力が必要だ。そのためには_歛蠅鮴依して、緊急性の優先順位をつけられる能力、△匹了抉腓ら優先的に取り組んでいくのかを決める判断力、どの支援機関を巻き込んでいくかを考えられる能力、などがないといけない。力を付けていただくために、毎回違ったメンバーとのグループワークをしてもらおうと思う。実践力を高めるにはグループワークは最良の方法だ。
5/16(水) 娘のしずくは同年代の子どもと遊ぶ機会がなかなかない。親子で参加できるさざなみ保育園地域子育て支援センター「さざなみ☆うぉ〜むはあと」(連絡先はさざなみ保育園、〒8680077熊本県人吉市下戸超町1632-1、電話0966227177)に出かけた。音楽遊び、屋外での遊び、手形押しなどがあった。しずくは普段から姉や兄と遊んでいるせいか、違和感なくほかの親子と混じっていた。
  保育園の様子を見ていて気づいたのだが、子どもたちがしていることは大半が芸術的な活動(絵・歌・工作など)と体を動かす活動(外遊び・農園など)だ。つまり机に座っての学問よりも、芸術やスポーツの方が人間の原初的な活動だということになる。芸術は一部の特殊な人たちが関わることではなく、人間の基本的な活動の1つと考えないといけない。教育のなかでももっと大きく取り上げないといけないのではと思った。
  午後は教育事務所のサポートチームの皆さんと話したり、ケース会議をしたりした。子どもの支援は関わる機関が多いので、どうやって情報を共有し、共通の方向に支援していけるかが問題になる。どこかがコーディネート役をして、情報を集約したうえで関連機関に伝える必要がある。いまはまだそのシステムができあがっていないが、夢を描くことは大切だ。その夢にやがて現実が近づいていく。
5/20(日) 子どもたちが虫取りをしたいと言った。網やカゴは買ってある。虫取りをできそうな場所はどこがあるのか?美紗さんと話しているうちに五木村の公園が思い浮かんだ。そこで家族で出かけてみた。
  五木村に入るためには手前の相良村を川辺川沿いに進むのだが、五木村に近づくにつれ川の水面からはるか高くに道路が上がっていく。ダム建設のために人工的に作られた道路なので、本来道があるはずがないような高みにある。結果として遠くまで延々と続く山並みが見渡せる。すさまじいほどの山・山・山だ。その隙間にある谷間に人間が住んでいる。五木村が「五木谷」と呼ばれていたのもうなづける。
  公園「五木源(ごきげん)パーク」につくと、まだ春のせいかバッタやセミなどの虫はあまりいなかった。でもウマオイやてんとう虫、てんとう虫の幼虫、カタツムリなどを見つけることができた。美紗さんは網を振ってチョウを何匹かつかまえた。
  つかまえてカゴに入れるたびに子どもたちが歓声をあげる。しだいに僕と美紗さんの方が夢中になった。僕は小さいときに虫取りが好きだったが、いまやっても虫取りはおもしろい。自然に溶け込んで、五感をフルに使って、獲物を探すからだ。まるで狩りのようだ。未知の分野に分け入って大事なものがないか探す活動は、虫取りと似ていると思う。
  友人に勧められた映画『グラン・ブルー』(原題Le Grand Bleu、監督:リュック・ベッソン、フランス・イタリア、1988年)を観た。実生活の視点から観ると、生活力のないバカな人の話になり、全くおもしろくない。ところがこれを精神的な探求の象徴として観ると、深い意味が出てくる。ある原理に忠実であることと、現実に折り合いを付けることの、葛藤が主題として見えてくる。
  僕たちは知らないうちに「絶対に〜である」「〜以外ではいけない」といった固い考えを持つ。持たないことは不可能であり、なんらかの偏りは避けがたい。無自覚の考えにとらわれすぎると無理が来るのだが、軌道修正するのはとても難しい。生き方において柔軟であることがいかに難しいかということを映画を観ながら考えた。

 

写真9 「保育士キャリアアップ研修」が行われたあさぎり町の「せきれい館」。参加者が熱心で話していて楽しかった。

 

写真10 さざなみ保育園地域子育て支援センター「さざなみ☆うぉ〜むはあと」の様子。遊び道具がたくさんあり、しずくは楽しんでいた。

 

写真11 ボウリング場での様子。響はなぜかボウリングが好きだ。

 

写真12〜14は五木村の公園「五木源(ごきげん)パーク」で撮った写真です。


写真12 草むらで虫取りをした。

 

写真13と14 遊具で遊ぶ子どもたち。

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