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8 フロイト博物館 2012年4月17日(火)

 さて、ウィーン歩きの初日の4月10日にはスィルヴィア・ルブカ(Sylvia Wrbka)さんが「フロイト博物館(Sigmund-Freud-Museum)」に連れていってくれました。ずっと総合的な初期医療をする家庭医としてクリニックを開いてきたスィルヴィアさんは、引退したいま、息子さん一家(かわいい孫のリサちゃんがいます!)の住んでいる福岡との往復で忙しくしています。上品でユーモアを好み、思考も会話も行動もテキパキとした明るい女性です。
 「B&Bハウス」からウィーン中心部に出ていくには路面電車38番をよく使うのですが、フロイト博物館もまた38番の駅のそばにあります。駅から歩いて2、3分の距離です。
 ジークムント・フロイト(Sigmund Freud、1856〜1939)は19世紀末から20世紀初めにかけて活躍した精神科医・研究者です。現代精神医学の基礎となる精神分析学の創始者として有名です。フロイトの理論そのものは精神障害の根底に性的衝動の問題が潜んでいるとするもので、必ずしもそのままの形で現代の精神科医療に活かされているわけではありません。ですがフロイトが精緻に言葉で記述した無意識、つまり人間の心の深みを探求しようとする無数の人がフロイトのあとに続き、さまざまな理論と実践を生み出しました。そこから後続のいろんな考え方が出てきたのです。偉大なるパイオニアと呼ぶべきでしょう。
 僕が勤めていた伊敷病院の精神科医である神田橋條治さんも植村彰さんも、精神分析学を学ぶことで精神科医として出発しました。お2人に学んだ僕としては、フロイトは師匠の師匠の師匠の師匠にあたります。またフロイトやフロイトに続くいろんな精神医学者たちの本も読んできました。ですのでとても興味があるのです。
 ただだからといって新婚旅行の行き先をわざわざフロイトの住んでいたウィーンにしたわけではありません。たまたまブルーノさんとブリギッテさん夫妻の住んでいるウィーンが、フロイトの場所でもあったのです。偶然というにはあまりにもラッキーですね。
 フロイトが当時住んでいた家がそのままフロイト博物館になっています。ただ残念なことに家具などはほとんど残されていません。ユダヤ人だったフロイトは、大規模なユダヤ人虐殺が行われたナチスの時代(オーストリアはナチス・ドイツに併合された)に迫害に会いそうになります。彼は最後までウィーンに留まろうとしたものの、弟子たちの再三の勧めに従って、1938年にイギリスのロンドンに亡命しました。そのときにいろんな家具や資料をいっしょに持っていったのです。(のちに彼の姉妹たちは皆殺されました)。 
 資料のとても少ないフロイト博物館を見ていると、痛々しい限りです。ただ建物の間取りは当時のままです(内装は別)。それを活かして亡命直前の写真を使って当時の待合室や診察室を再構成しています。それを見ると考古学好きだったフロイトは、診察室や自分の机にたくさんの考古学的な出土品や神話的な偶像を並べていたことがわかります。とてもロマンチックでエキゾチックな雰囲気です。おそらく当時のウィーンにそのような空気がみなぎっていて、それを背景にフロイトは自分の仕事をしたのでしょう。 
 家庭医の仕事をしながら精神医学も学ばれたスィルヴィアさんは、各部屋のどこが古くてどこは改装されたものか、とか、この写真に写っているのは誰かとか、詳しく教えてくれます。スィルヴィアさんはフロイトの末娘であり後継者であったアンナ・フロイトの講義に参加したこともあるそうです。いろいろ話したあと、「私はここに座っているから見ていらっしゃい」といい、僕に時間をくれました。
 僕はもう一度部屋を歩いて雰囲気を味わってきました。この2階のワンフロア(10部屋以上ある)を借りきったフロイト家の一角で、巨大な理論が生み出され、仲間たちとの議論がなされたとは、とても信じにくいような普通の家です。大きな創造というのは、必ずしも巨大な施設から始まるとは限らないのですね。 
 フロイトを考えるうえでより大事なのは、この家そのものよりも彼が生きて仕事をしたウィーンの街ではないかと思います。フロイトは元来神経発生学の研究者で、彼自身も常に科学的であろうとしたのですが、不思議なことに彼の仕事は精神医学を文学や芸術や哲学に近づける働きをしました。そのことはウィーンの知的伝統を考えると理解できます。彼の無意識は精神医学を学問的に孤立させずに、他の諸分野と関連させることを望んだのでしょう。 
 結果的にフロイトの世界は科学のような文学のような神話のような不思議なものになりました。そこが科学的な立場からフロイトが批判される理由です。ですが総合的に物事を考えたいという人にとってフロイトの理論が魅力的なのも、同じ理由なのです。 

写真8−1
写真1  ブリギッテさんの親友のスィルヴィア・ルブカ(Sylvia Wrbka)さん。ずっと町のかかりつけ医としてクリニックをされていた。ハキハキテキパキとしていて気持ちのいい方。

写真8−2
写真2  スィルヴィアさんは僕たちをフロイト博物館に案内してくださった。ジークムント・フロイト(1856〜1939)は現代精神医学の基礎を作った人物。

写真8−3
写真3  階段を登った2階がフロイト一家の住んでいた家。フロイトは自宅で開業していた。そのうちの2部屋が待合室と診察室だった。 

写真8−4
写真4  待合室だった部屋。

写真8−5
写真5  かつての診察室。フロイトはユダヤ人だったためナチスの時代に迫害を逃れてイギリスに亡命した。そのときに家具類もいっしょにイギリスに持って行ったため、ほとんど品物が残っていない。主として写真によって当時の様子を知ることができる。考古学的な品物や太古の彫刻などがたくさん飾られたややロマンチックな雰囲気のする部屋だったようである。

写真8−6
写真6  展示物に見入る美紗さん。
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7 ウィーンについて 2012年4月13日(金)

 フロイト博物館のことを書く前に、まずはウィーンがどんな都市かを簡単に記しておきたいと思います。新婚旅行に出かける前、ある人から「ウィーンは市電が周りを走っている小さな町で、歩いて回れるし、2、3日もあれば十分だよ」と聞いていました。でも実際に来てみてそれがとんでもない間違いだとわかりました。
 たしかに路面電車の輪っか(リンク[Ring])のなかに文化財が集中していて見て回りやすいのですが、質・量ともにとてつもないものです。宮殿や歴史的建築物、数多くの美術館や博物館、劇場。その他見る価値のあるものばかりが密集しています。かつての大帝国の首都であり、音楽・芸術・学問が豊かに華開いた都市だけのことはあります。3日どころか最低1年はかけてじっくり味わっていくのがいいような豪華絢爛で厚みのある世界です。
 またこの町では「文化・芸術・学問は互いに融合しあっていて、バラバラではない」ということを強く味わうことができます。例えば学問の殿堂である国立図書館やウィーン大学の建物も宮殿のような壮麗さです。またゴミ焼却場は芸術館のような建築で、そこで発生した熱は科学的に分配されてたくさんの家の暖房を担っています。僕の頭のなかにはどうも「文系と理系」「科学と芸術」などといった対立項があって、いろいろな分野がバラバラになりがちなのですが、「この世界を探求し、よりよい世界を作っていく」という意味ではひとつなのだと自然と感じさせられます。
 実際ウィーンにはあちこちにカフェがあり、ここで昔からさまざまな分野の偉人たちが交遊を深め、刺激しあいながら仕事をなしていったのです。孤立した専門主義ではなく、幅広い総合的な知性を見に付け、さらに人生を楽しむ。そういった気風が空気のように流れています。
 僕たちが普通に観光するだけだったのならウィーンの文化的背景や気風といったことまで考えなかったのでしょうが、ブルーノさんブリギッテさんとあれこれ議論したり生活を共にしていると、彼らが体現しているウィーンの伝統といったものをフッと感じるのです。それが「文化の統合性」ということなのだろうと思います。
 ウィーンで大学生活を送ると楽しいだろうなぁと思います。総合的な人間の厚みを作るにはピッタリの場所です。無数の芸術家および芸術を愛する人たちが新しいものを生み出そうと密かな努力を続けてきた場所の持つ、何か特別な香りのようなものがあるのです。
 また料理もおいしいです。アルプスに近いので肉も野菜もフルーツも新鮮で、乳製品やチーズも豊富です。ウィーンに来て以来食べたものはほとんどおいしく、いまいちと思ったのは「ブルンツェ(Blunze)」という「肉の血でできたソーセージ」だけでした。
 お菓子も有名です。ケーキひとつとっても種類が豊富で量も日本のケーキの1、5倍ほどあり、しかも日本の半額程度(300〜400円)です。上品なものが多く、カフェでコーヒーやケーキをゆっくり味わいながら友人たちと語る、というのはウィーンの最高の贅沢の1つです。
 ただ当然ながらウィーンにも欠点がいろいろあります。僕が一番感じたのは、良くも悪くも人工的な都会の消費文化なのではないかということです。文化遺産の大半が昔の王族や貴族の残したものであり、豪華で洗練されているものの、野生味や素朴さといったものには欠けるのです。田園風景や自然の景色を中心に味わいたいという人にはあまりおすすめできません。
 他の欠点としては物価が高いことがあります。日本の円と単純な比較ができないのですが、東京並みに家賃が高そうでした。またウィーンに限りませんが、冬は長くて暗くて大変そうです。数年住んで慣れるまでは冬のどんよりした空に気が滅入るかも知れませんね。おそらく長く生活するといろいろ不便な点があるのでしょう。 

写真1〜4は今回のウィーン滞在で使った地図です。僕たちは『地球の歩き方』だけしか持って行かなかったのですが、ブルーノさんが他の3種を買ってくれました。それぞれ用途があり、一長一短です。ウィーンのような重厚な都市を観光する場合には、コンパクトで持ち歩ける地図、旅行用ガイドブック、そして歴史的背景の解説書という3種類をそれぞれ用意した方がいいことがわかりました。

写真7−1
写真1  ブルーノさんに買ってもらったガイドブック『日本語版 ウィーン』(Verlag Bauer社発行)。歴史的な背景がよくわかり、ウィーンの全体像をつかむうえで一番役に立った。写真も美しい。 

写真7−2
写真2  日本で買っていった『地球の歩き方 ウィーンとオーストリア』(ダイヤモンド・ビッグ社、2010年)。日本にいる間は内容が細かすぎてあまり読み込んでいなかったが、いざウィーンを歩いてみると、必要な情報が全て書き込まれていることがわかる。バスの乗り方、切符の買い方、おいしいカフェなど情報はとても詳しい。

写真7−3
写真3  ブルーノさんにもらった地図『Staedteatlas Wien mit Grossraum』(freytag&berndt社)。索引に道路の名前の一覧があり、道路名(例えばB&Bハウスのあるフシュカガッセ通り[huschkagasse])からいまいる場所を調べることができる。ウィーンには道路表示が多いので便利。観光地以外の森や都市周辺部を歩くときに役立つ。

写真7−4
写真4  ブルーノさんに買ってもらった地図『Vienna』(Insight社のFleximapsシリーズ)。薄くて軽く、防水加工もされているので常時持ち歩ける。観光名所の索引もありウィーン中心部の観光に便利だが、地名が全てドイツ語なのと地図が小さいのとで、慣れるまでやや使いにくい。

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6 ブルーノさんとブリギッテさんの部屋2 2012年4月13日(金)

 時差の影響もあり、着いた日は夜の20時半に寝て、翌朝は1時に起きてしまいました。時間はウィーンが7時間遅れているのですから、これは日本時間でいうと朝の3時半に寝て8時に起きたことに当たります。体は時差をすぐには理解できず、いままでのペースを保つんですね。1週間弱かけて慣れていくと聞いたことがあります。 
 5時ごろになると朝焼けが窓から鮮やかで、木々が赤く見えます。このあたりは木立ちの多い閑静な住宅街のようです。鳥の声が聞こえてきます。なぜか日本で聞く鳥の声ととても似ています。
 せっかく早く起きたので、ブルーノさんとブリギッテさんの部屋(以下「B&Bハウス」と書きます)のそばを散歩してみることにしました。ブルーノさんたちから「近くにグリンツィング(Grinzing)の古い町並みがあるよ」と聞いていたので、そちらに歩いてみることにしました。
 このときは知らなかったのですが、実はグリンツィングは観光名所の1つです。ワイン酒場であるホイリゲ(Heurige)がたくさんあり、「それらの建物の多くは16〜17世紀のもの。ワイン村の面影をよく残している」とガイドブックにはあります。こんなところへ徒歩5分で行けるのですから、B&Bハウスは素敵な立地ですね。
 またグリンツィングには「路面電車(Tram)38番」の終点の駅や「バス38A」のバス停もあり、なにかと便利なところです。さらに「スパー(Spar)」や「ビラ(Billa)」といったオーストリアの代表的なスーパーマーケットもあり、買いものもできます。ウィーン滞在中、幾度もこのグリンツィングに来て買いものや用事や散歩をすることがありました。 
 さて、話しを戻してこの朝、僕はグリンツィングの古い建物を見たり教会に入ったりしました。30分ほど歩いて帰ってくると、ブルーノさんとブリギッテさんがちょうど来てくれたところでした。いまからみんなで朝ごはんの準備です。 
 ブルーノさんは大変まめな性格で、キッチンの道具のことなどを細かく説明してくれます。搾りたてのオレンジジュースを飲むのが日課だそうで、今日もオレンジを次々に切って電気搾り機にかけていきます。いろいろコツがあるそうで美紗さんは教わっています。 
 ブリギッテさんは簡潔的確にパパッと物事を進めるタイプで、引き出しのなかのナイフやフォーク、お皿などのことを話しながらどんどん食卓を作っていきます。あっという間にパン、ハム、チーズ、ジャム、紅茶、ヨーグルトなどの朝ごはんができました。
 パンは何種類もあり、いろいろ説明してくれたのですが、大半を忘れてしまいました。一つだけ覚えているのが「サイテス・スタンゲル(Seites stangel)」で、これは表明に塩の粒々を降ってある細長いカリッとした塩味パンです。このしょっぱさが肉料理やフルーツと妙によく合います。このあとも各地で食べました。 
 ブルーノさんとブリギッテさんはイギリスが好きで何度も旅行に行っています。朝食のときも「イギリスのケントに画家のシャガールが内装を手がけた教会があるからぜひいつか行くといいよ」といった話が出ました。ヨーロッパはいまではEU連合という1つの国家共同体です。気楽に行き来し、観光したりできるのです。早くアジアもこんな風に楽に移動できるようになってほしいですね。
 さて朝ごはんを食べ終えて10時になると玄関のベルがなりました。2人の友人のスィルヴィア・ルブカ(Sylvia Wrbka)さんがやって来たのです。今日はスィルヴィアさんが僕たちをフロイト博物館に案内してくれる日なのです。

写真6−1
写真1  朝、フックス家の周囲の散歩に出かける。アパートを出たところ。

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写真2  近くの住宅街。

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写真3  フックス家のそばを走る路面電車。この38番電車でウィーン中心部に出ていける。

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写真4  徒歩3分の地域グリンツィングにある古い建物。このときは知らなかったが、グリンツィングは実は観光名所で、16〜17世紀の古い建物を改装したワイン酒場(「ホイリゲ酒場」)が有名なのだそうだ。

写真6−5
写真5  グリンツィングの教会。

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写真6  教会の内部。ひっそりとしていて落ち着く。 

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写真7  朝食のオレンジジュースを作るためにオレンジを切るブルーノさん。

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写真8  ブルーノさんに教わりながらオレンジジュース搾り機を使う美紗さん。文字通り搾りたてのジュースを飲める。 

写真6−9
写真9  朝食のパン。うえにある細長いのがサイテス・スタンゲル。塩味のカリッとしたパンで、切り込みを入れてバターなどを挟んで食べる。下の丸いパンには麻の種がまぶしてある。

写真6−10
写真10  賑やかに朝ごはん。左からブリギッテさん、ブルーノさん、美紗さん。
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5 ブルーノさんとブリギッテさんの部屋1 2012年4月13日(金)

 ウィーンに着いて3日半が経ちました。着く前はブルーノさんとブリギッテさん夫妻にもう一度会えればいい、というだけのつもりでしたが、予想をはるかに超える破格の厚遇を受け、また本格的にウィーンの歴史・芸術・文化・建築・学問さらに自然や食事などについてまで教えてもらうことになりました。
 僕たち2人がこちらでの人との出会い・会話・見学・生活などのリズムにある程度慣れるのに3日半かかりました。英語での生活に急に入って大混乱の美紗さんは「全くわからない…だから言ったじゃない…もう帰りたい…」とホームシック状態でした。最初が大変ですね。
 この3日半は記録を書く余裕がありませんでした。いまから少しずつ振り返って書いてみましょう。
 ウィーン国際空港(Vienna International Airport)に着いた4月9日の夕方、ブルーノ・ブリギッテ夫妻が車で迎えに来てくれました。2年前に会って以来の懐かしい2人。以前と同じく知的で活発で笑いが多いです。2人はウィーン中心部から車で15分ほどのところに住んでいます。30分ほどの運転で、2人のアパート(flat)に着きました。
 すると2人はアパートの入り口や自室の鍵の使い方、寝室・書斎・居間・キッチンの配置、冷蔵庫や湯沸かし器や食器洗い器の使い方、電灯の着け方、窓の明け方、洗面所のシャワーボックスの使い方、さらにはパソコンの立ち上げ方などまで細かく説明してくれました。その細かさにややびっくりしていたのですが、30分ほどして、「じゃあ、これで。ここはいまから君たちの部屋だよ。今夜はゆっくり寝なさい」と言って鍵の束を渡してくれたのです。
 僕たちはポカンとあっけに取られてしまいました。2人の家の1室に泊めてもらえるのだろうと思っていたのですから、びっくりだったのです。彼らは自分たちは徒歩10分ほどの息子一家に移り、僕たちに住まいを譲ってくれたのです。 
 2年前にイギリスで会った日の会話とその後のメールのやり取りで、2人がとても教養があり文学・歴史・芸術にも詳しいということは知っていました。ただ実際に彼らの住まいにいてみると、その教養が頭のなかだけのものではなくて、生活に根差しているのだということがよくわかります。1LDK(各部屋が相当大きい)の住まい全体が美術館(!)や図書館のようなのです。 
 玄関に始まり各部屋には絵や彫刻や工芸品などが所狭しと置かれています。ブルーノさんが何度か行ったというアフリカ(エチオピアなど)の細長い人間像・動物の彫刻・仮面・安楽椅子などが目を引きます。さらに東洋の陶器の小物やヨーロッパの油絵、写真などもたくさんあります。それらが1つ2つではなく、あちこちの壁を埋めつくしている感じなのです。
 もう1つ驚いたのが、床がピカピカなことです。家具がたくさんあるのにどの部屋もチリひとつなく、さらに台所まで整然としているのです。僕たちが来るから掃除をしてくれたのでしょうが、それでもここまで綺麗にするのは大変ではないかと思いました。普段からしていないとできないことです。ブリギッテさんはよほど清潔好きなのでしょう。
 細かな違いもいろいろあります。まずはどうもごみ箱を各部屋に置く習慣がないようなのです。台所のシンク下の棚に生ゴミと一般ゴミのゴミ箱が置いてありますが、他の部屋にはなさそうです。最初は寝室でゴミが出たときどこに捨てようか困りました(結局あとで書斎にも1つ見つかった)。
 また玄関や窓の鍵が2重3重で、さらになぜか鍵を2回まわしてかけることが多いこと(カチッといってからさらにもう1回まわしてカチッといわせ、さらに半周まわすとドアが開く)。厳重です。こちらでは泥棒が多く、ブルーノさんたちの家にも一度入られたことがあったそうです。
 細かい違いはいろいろあります。シャワーの温度設定や水量設定の取っ手が見たことのない形なこと。トイレの便器の形が違い、便の落ちるところに水がたまっていないこと(すぐにウンコで便器が汚れるので、日本の水洗便器の方がいいと思うのですが…)。トイレの水を流すのもレバー式ではなく壁の金属板を押す仕組みなこと。電気のコンセントの形、オーブンのスイッチ、ガラスのコップの大きさ(かなり大きい)、洗濯機や乾燥機の形、洗剤のボトルの違い。などなど挙げだすとキリがありません。
 こういった細かい違いはどうでもよさそうですが、実際に生活するとなると重要なことです。びっくりしたり、あれこれ失敗したり。旅の楽しみの1つとも言えます。いろいろ生活上の小さな違いを味わえたのも、ブルーノさんとブリギッテさんが自分たちのアパートを使わせてくれたおかげです。ホテル生活では味わえない贅沢な混乱ですね。 

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写真1  ウィーンのフックス夫妻宅にて。左からブリギッテ・フックス(Brigitte Fux)さん、僕、ブルーノ・フックス(Bruno Fux)さん。お2人は息子さん宅に泊まり、自分たちのアパートを僕たちのために提供してくださった。ウィーン滞在中、お世話になりっぱなしだった。

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写真2  居間。さまざまな芸術・工芸品が飾られている。ブルーノさんと息子さんが行ったアフリカの木の彫刻もたくさんある。 

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写真3  書斎。本がいっぱい。ブルーノさんは第2次世界大戦中のナチス・ドイツ支配下に、他国に亡命して書き続けた作家たちの作品をたくさん所蔵している。 

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写真4  キッチン。ピカピカに片付いている。

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写真5  フックス家から見える朝焼け。家の周りには木々が見える。鳥たちの声は日本で聞くのとよく似ていた。

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写真6  お庭の様子。

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写真7  洗面所。シャワーボックス(?)がおもしろい。周囲に水がこぼれず便利。

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写真8  玄関にも絵など芸術品がたくさん。

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4 オーストリアへの移動2 2012年4月12日(木)

 やっとロンドンのヒースロー空港に着きました。ここで乗り継いでオーストリアのウィーンに向かうのです。ヒースロー空港は巨大でわかりづらいと聞いていましたので、緊張して臨みました。ですが通路も表示もシンプルで、ちょっと安心しました。
 ですが楽なことばかりではありません。しばらく進むと、EU連合内に入る際の厳しいチェックがありました。ボディチェックもあります。ジャケットや靴も脱がないといけません。職員が英語で「危険物はありませんか?」といったことを聞いてくるのですが、聞き取れなかった美紗さんは、ベルトを付けていたためにゲートで「ブーッ」と音がして引っかかりました。そしてさらにはリュックサックの化粧品が液体なので「危険物の可能性あり」とされ、手荷物全てを開けて調べられることになりました。
 リュックの中身を取り出すよう求められ、さらに金属探知機をリュックに入れて調べられます。最初は「何かヤバイことになったか」と慌てました。ですが検査が一段落したあと周囲を見回すと、同じようにたくさんの人がチェックを受けていました。それを見て「現地の人でも引っかかるんだなぁ…」と思い、変に安心(?)しました。 
 ヒースロー空港にはターミナルが5つあり、それぞれがバスで連絡されています。ターミナル5から3へ移動しないといけなかったので「大丈夫かな…」と思っていました。ですがバスに関しては意外と簡単でした。ヒースロー空港は近年シンプルに建て替えられたようです。他国からの旅行者にとって、空港はシンプルなのが一番です。
 次はウィーン行きの「ブリティッシュ・エアウェイズ704便」に乗らないといけません。ところが日本とは違って、何番ゲートに行けばいいのかがなかなか電光掲示パネルに表示されないのです。待てども待てども出発の40分くらい前になるまでは出発ゲートがわかりません。仕方がないので免税店などがたくさんあるロビーをウロウロすることにしました。 
 すると「あれ?」。またさっきの伊東さんと会えました。伊東さんの乗るポルトガルのリスボン行きの飛行機も、同じターミナルだったのです。せっかくですからいっしょに一服することにして、スターバックスの飲み物とお菓子を買いました。 
 伊東さんにも美紗さんは「英語が心配で…」と相談しました。すると意外なことに伊東さんの答えは「僕もほとんどわかんないんですよね〜」。旅の達人の伊東さんはなんと片言の英語でどこにでも行ってしまうそうです。そしてやはり先ほどのEUの検査ゲートで引っかかったそうです(笑)。 
 伊東さんによると結局旅のコツは「回数と慣れ」だそうです。語学も大事ですが、「まずは行ってみよ」なのですね。伊東さんのリラックスした雰囲気も、数多くの経験のたまものなのでしょう。 
 さあ、時間です。伊東さんとも「またFacebookで連絡します」と約束し、お別れしました。最初の1日の宿を取ってあるだけであとは予定は白紙(!)という伊東さんの旅行(放浪?)がどうなるのか楽しみですね。 
 ロンドンからオーストリアのウィーンへはプロペラ機で2時間です。淡々と機内に座ったままの忍耐の時間が過ぎていきました。ウィーン国際空港に着いたあと、スーツケースがなかなか出てこなかったのでちょっと慌てましたが、他はスムーズに進めました。そして到着出口をくぐるとと、そこにはブルーノ・フックス(Bruno・Fux)さんとブリギッテ・フックス(Brightte・Fux)さん夫妻が笑顔で待っていてくれていました。

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写真1 ロンドンのヒースロー空港では、バスでターミナル5から3へ移動。

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写真2 ヒースロー空港のターミナルの様子。すっきりとしたモダンな建築。 

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写真3 飛行場。この日は小雨だった。 

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写真4 ヒースロー空港のターミナル3のラウンジにて。電光掲示板に飛行機の発着状況が映し出される。40分ほど前までウィーン行きの出発ゲートが何番かがわからなかったので、やや焦った。

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写真5 鼻水がひどかった美紗さんはティッシュペーパーをお買いもの。初めて1人で英語で買いものができた!

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写真6 飛行機を待つあいだ、伊東則雄さんとお茶をする(伊東さんはスターバックスのアイスティー、僕たちはチャイラッテ)。国内・海外両方の旅の達人である伊東さんの広大な旅行遍歴には驚かされる。伊東さんはこのあとポルトガルのリスボンへ旅だって行った。

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写真7 発着ゲート前でウィーン行きの便を待つ。
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3 オーストリアへの移動1 2012年4月12日(木)

 すごく眠いけどがんばって起きて、羽田空港ホテルの入り口に朝4時過ぎに行ってみると、人がたくさんいます。僕たちが格安航空券会社「H.I.S」を通して予約した「ブリティッシュ・エアウェイズ(British Airways、イギリスの航空会社)008便」は朝の6時25分発と大変不便なのに、乗る人が多くいるようです。チェックインをする航空会社カウンターでも長蛇の列です。早朝なので乗客は少ないだろうと思っていましたのでびっくりでした。 
 検査ゲートをくぐり、出発ゲート前で待っている時間に、また新しい出会いがありました。隣の椅子に座った伊東則雄さんです。パッと見たときから服装も雰囲気も全然「よそ行き感」がなく、「相当旅に慣れた人だろうな」と思ったのですが、やはりそうでした。伊東さんは年に2回は海外旅行をしていて、「アジアはほぼ全域に行き尽くした」ので、今回初めてヨーロッパ(ポルトガル)に行ってみることにしたそうです。すごいキャリアですね!
 海外に行き始める前には、バイクで日本を一周するなど国内をかなり旅行したそうです。鹿児島にも何度も来たことがあるそうで、食事や温泉の情報が細かいのでびっくりしました。旅行は伊東さんの生きがい、あるいは人生の中心になっているんですね。
 好奇心が湧いてきたので、「国内と海外でおすすめの場所はどこですか?」と聞いてみました。国内は北海道の一番北にある利尻島(礼文島の聞き間違いかも知れません)のそばにある小さな島で、テントを張ってのんびりするのがよかったそうです。海外でよかったのがミャンマーで、蜃気楼のような空気の揺らぎのなかで牛車に乗っていると、「フワンフワンと現実なのか非現実なのかわからないの〜んびりとした時間」に入るそうです。さすが情報が細かいですね(笑)。
 それにしても旅の達人の伊東さんがあちこち行った結果、文化財の多い場所ではなく、自然の豊かなくつろげる場所を勧めるのですから、旅行の醍醐味はやはり「くつろぎ感」にあるのかも知れません。伊東さんはピッチリとしたスケジュールをこなすような旅は苦手で、行き帰りの飛行機と最初の1、2日の宿のほかはオープンなまま旅に出るそうです。行き当たりばったりなところが通の楽しみなのでしょうね。 
 さて、いよいよブリティッシュ・エアウェイズの飛行機に乗り込みます。いまから12時間のフライトです。美紗さんともども緊張していたのですが、添乗員の方たちは日本語を話せますし、食事もおいしく、意外と快適でした。
 しばらく寝たあとは眠れなかったので、映画を3本見て過ごしました。『ロッキー』のロボット版のような『リアル・スティール』が単純な話ながらおもしろかったです。『バットマン ダーク・ナイト』は悪役の「ジョーカー」があまりに残忍で、やや悪酔いしてしまうようなところがありました。
 僕たちの隣に座った男性は、後ろの座席の妻と2人の子どもにまめに話しかけ世話をしています。ずっと英語なので海外の方かと思って英語で話しかけたら、「僕、日本語できます」。千葉県の出身なのだそうです。お話を聞いてみると18歳で日本を出て、ドイツで3年、イギリスで18年の生活。ロンドンの方と結婚し、3歳と5歳の子どもがいます。
 「ロンドンのいいところは?」と尋ねてみると、「緑の多いところ」だそうです。ロンドンの冬の長〜い夜の暗さや、日本ほど豊富ではない食事のことなど、いろいろ教えてもらいました。当たり前のことですが、いいところばかりではないんですね。
 たまたま隣に座った方が親切な方で運がよかったです。人と話して気持ちが通じると疲労が軽減します。12時間以上のフライトでしたが、疲れと腰の痛さで不快になるのは最後の2時間くらいですみました。それにしても長いですが…。
 何度経験しても、飛行機での長時間の移動だけはコリゴリです。でもこれに我慢しないとヨーロッパに行けないのですから、耐えないといけませんね。旅は忍耐です!

写真3−1
写真1 朝4:20のバスで羽田空港の国際線ターミナルに出発。
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2 東京への移動 2012年4月12日(木)

 4月8日の朝7時半、やっと人吉市の部屋を出ました。いまからは準備ではなく旅の本番です。といってもこの日は羽田空港への移動日。ヨーロッパに向かう飛行機が明日の朝の6時40分発なので、前日のうちに羽田に行っておかないといけないのです。
 人吉インターから高速バスで鹿児島空港へ。鹿児島空港では1つやりたいことがありました。伊敷病院の同僚から「幼なじみの田中敬子ちゃんの写真を見てみてください」と頼まれていたのです。田中さんは写真が好きで、何時間も山の風景を撮るために待ったり、花のそばで1日過ごしたり、打ち込みようがすごいそうです。
 空港をウロウロしてようやく3階廊下の展示場を見つけました。「第8回きりしまフォトコンテスト」には入賞した田中敬子さんの作品(水溜まりに写ったプロペラ機の写真)をはじめ、飛行機や空港に関連した写真がいろいろ展示されています。写真も絵画と同じで、いいものはそれ自体の世界に僕たちを連れ去ります。「写真っていいなぁ…」と思いながら飛行機の待ち時間を過ごしました。 
 皆さんご存知の通り飛行機に乗っている時間は退屈なものです。鹿児島・東京間の2時間のフライトもほとんどは何もすることなく過ぎていきました。ただ最後の30分になって思いがけないワクワクすることがありました。
 「皆様の前方左手に富士山が見えます」という機内アナウンスを機に、「あ、あそこに見えますね」と隣に座っている女性の方に話しかけてみたのです。静かで穏やかで見るからに人の良さそうなその方は、鶴田直子さんといい、鹿児島に住んでいるそうです。また世界一周の船旅に参加するなど旅好きだそうです。
 「言葉の壁が心配で…」と美紗さんが海外でのコミュニケーションについて質問しました。すると「最後は結局日本語が出ます。押し売りしてくる人に英語で答えるうちはダメでしたが、怒って日本語が出てしまったら去っていきました(笑)」と教えてくれました。そして…。
 なんと僕が働いていた伊敷病院の院長婦人と友人なのだそうです! これにはびっくりしました。全くお互い知らずに乗った飛行機なのに、すごいご縁ですね。世界は狭い。 
 残念ながら話しだしてからしばらくして羽田空港に着いてしまいました。なので「Facebookの友だちリクエストを送りますね」とだけ約束して別れました。スーツケースが運ばれて来るのを待って到着ロビーに歩いていくと、「あれ?」。鶴田さんが「ようこそ〜」と笑顔で手を振ってくれています。そうです。ツァー添乗員をされている鶴田さんは飛行機を降りてすぐに仕事の開始なのでした(笑)。 
 午後から時間があったので、明日の出発に備えて国際線ターミナルの下見に行きました。空港の作りは以外と簡単で、すぐに下見は終わりました。オーストリアのユーロ、イギリスのポンドへのお金の両替も済ませました。
 まだまだ時間があったので国際線ターミナルのお店をブラブラしてみました。「Starry Cafe」という喫茶店の奥にプラネタリウムがあり、興味が湧いたので入ってみました。「春の夜空の星座案内」という意外なほどオーソドックスで真面目な内容でした。
 15時ごろには羽田空港のホテルに帰りました。明日は朝の3時起きなのです。疲れたので今夜は早く寝よう。ホテルの部屋では特にやることもないので、20時頃には布団に入りました。

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写真1 人吉インターの高速バス乗り場でバスを待つ美紗さん。いよいよ旅が始まる。 

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写真2 鹿児島空港にて。「第8回きりしまフォトコンテスト」に入賞した田中敬子さんの作品。田中さんは僕の同僚の友人で、「空港に行ったらぜひ見て」と頼まれていた。

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写真3 手荷物検査場に向かう美紗さん。

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写真4 空港屋上の展望デッキで。

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写真5 羽田空港に到着。機中で隣に座って仲良くなった鶴田直子さんと。ツァー旅行の添乗員をされている。 

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写真6 羽田空港国際線ターミナルの下見。「Starry Cafe」というお店でパスタを食べる。店の奥にはプラネタリウムがある。 

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写真7 上映前のプラネタリウム。画面いっぱいに春の夜空の星たちが映し出される。
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1 旅の準備 2012年4月10日(火)

 いまとなってはどんな風に決めたか覚えていませんが、美紗さんと僕は新婚旅行をオーストリアとイギリスに行くことにしました。僕が相当強く主張したに違いありません。一昨年のイギリス旅行で知り合った友人たちともう一度会いたかったのです。
 逆に美紗さんは「言葉の壁が…」と海外旅行には消極的で、どちらかというと2月の東京旅行を新婚旅行として楽しんでいました。ですので僕たちは日本版と海外版の新婚旅行をしたような感じです。 
 それからもう1つ美紗さんには大きな心配がありました。僕が立てた旅の計画ですが、オーストリアのフックス家とイギリスのデュポン家へのホームステイが中心だったのです。僕は友人たちと少しでも長く接して話したかったので泊めてもらえればと思ったのですが、「1週間以上も泊めてもらって…。そんなの気を使うよ…」と美紗さんはため息をついています。
 そこでブルーノ&ブリギッテ・フックス夫妻とピーター・デュポンさんにメールで滞在先を相談してみると、数時間のうちに「もちろんうちに泊まって!」という返事が届きました。僕は運よくとても温かい心の人たちと知り合えたのです。彼らの返事のおかげで美紗さんも納得(?)してくれました。
 ただ美紗さんのおもしろいところは僕と違ってすごく実務的なところで、旅行に消極的なはずだったのに、荷造りや携帯電話の海外利用の確認、お土産の購入、クレジットカード利用額の上限の確認など、サクサクと行動していきます。飛行機チケットを取るまでがんばっただけで、あとはあまり動かなかった僕とは大違いです。現地で着る服のことや洗濯の用意、ビニール袋やティッシュなど、細かく準備しています。旅行の準備ひとつとっても考える視点がずいぶん違いますね(笑)。
 4月8日が旅行のスタートだったのですが、それまでにいろいろ僕たちは忙しくなりました。3月31日で僕は7年勤めた伊敷病院(愛すべき病院です!)を退職。翌日の4月1日には鹿児島市内の部屋から人吉市へ引っ越し。その後も僕が新婚旅行の後に新たに勤務する吉田病院での話し合いがありました。
 そんなわけで人吉市の新居(3DKのマンション)いっぱいに並んだ荷物の詰まった段ボール箱を解体して、電気、ガス、食事や洗濯など生活の基本体制を作るのが、まずやるべきことでした。本格的に旅のパッキングを美紗さんが始めたのは出発2日前の6日。でも詰めるものはあらかた用意してあったので、7日の夕方には準備が完了しました。
 明日は朝の6時起きで、7時過ぎに家を出ます。「今夜は早く寝ようね」と美紗さんと話したのですが、なかなかうまくいきません。美紗さんは部屋の片付け、僕はブログの記事の作成をして、結局いつもと同じように0時を過ぎてから寝たのでした。

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写真1 人吉市の部屋で旅の準備をする美紗さん。

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写真2 旅の直前も部屋には引っ越し荷物の段ボール箱がいっぱい。

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4月通信 日録

4/1(日) 鹿児島市内の部屋を引き払い、人吉市内のマンションに引っ越しをする。以前から美紗さんが着実に準備を進めてきていたが、やはり荷詰めは大変で、前日も夜の2時まで、当日も朝6時から2人でパッキング作業。朝8時に引っ越し屋さんが来る直前になんとか荷造りを終える。
 引っ越し屋さん4人に加えて美紗さんと僕も運び出し作業に加勢。かなり速く終わるかと思ったが、途中ソファーやテーブルの足がつっかえて廊下を通らなかったりして苦戦。結局10時半まで2時間半の作業になった。
 ちょっと作業しただけで僕は腰が痛くなる。自分の非力さを実感。引っ越し屋さんたちは体幹部の筋肉の付きが違う。鍛えられていて頑強な体なんだなぁ…。おじさんたちに感謝をこめて美紗さんは飲み物とお菓子の差し入れをする。
 引っ越し屋さんが出発してから大家さん(85歳、元気で米作りをされている、言葉が知恵深い)にご挨拶をし、最後の部屋掃除をする。2人で住むには小さかったけど、光がよく入り、便利な場所にあって住みやすい部屋だった。美紗さんは汚れがないか最後まで気にしている。
 13時からは人吉市のマンションの部屋への運び入れ作業。こちらは玄関や廊下が広いこともあってかなり気楽な作業になる。ひたすら段ボールの山が積み上がっていくばかりで片付いたわけではないのだが、「やった〜」という気分になる。ぐちゃぐちゃだけど新しく部屋ができていく。
 作業中、友人たちが差し入れをしてくださる。鶴上うしをさんはサンドイッチ、谷口博文さんと睦代さんは花束。知らない町で一人ぼっちで生活を始めるのとは違い、友人たちがついていてくれるので心強い。
 2時間ほどで作業が終わり、ひとまず急須と湯呑みでお茶を一服。お花と食糧とは一番ありがたい差し入れだった。とりあえず休憩しないと前に進めない。
 夜まで片付けを続けてクタクタ。とりあえず近くで何か食べようとフラフラと歩いていくと、150mほどで飲食喫茶店「プリンス」(〒868-0005人吉市上青井町140-20、0966-23-4978)が見つかる。木肌の黒が中心の落ち着いた内装で、おいしいコーヒーを出す昔ながらの喫茶店といった雰囲気。時間がスローで気持ちがゆったりとする。
 美紗さんは「ミートドリア」、僕は「ミックスピザ」を食べる。おいしくてさらに「ペペロンチーノ」を注文してしまった。シェフの太田さん夫妻の息子さんが鹿児島市の方と結婚されたそうで、そんなことからシェフのお話を聞くことになる。18歳のときからもう44年もお店を続けておられるそうだ。シェフはフォークソングがお好きで、歌手を招いて店内でライヴを開いておられる。5/28(月)の19時からもライヴがあるという。この店で聞くと音楽と雰囲気が一体となって心を溶かすだろうなぁ…。
4/2(月) 新婚旅行に出かける前の最後の英会話レッスン。湯前町の古民家レストラン「Wabi-Sabi」で、ジミーくんから教えていただく。天気がよかったのでレッスン前にお庭でランチをいただく。外に並べられた石のテーブルセットからは湯前町の平野の広がりと取り巻く山々の両方が不思議なくらいに見渡せる。
 ジミーくんの母・ラッセル光子さん手製のお好み焼きをいただく。お好み焼きといってもラッセル家風の個性的なもので、小麦粉ではなくヤマイモが中心になっている。やや広島焼きに近いが、お焼きのイメージがなく、「光子焼き」といった方が適切な気がする。カリッと焼けたお肉とたっぷり入った細麺をヤマイモの風味が包んでいて滋味。
 今回のジミーくんのレッスンではScrabble(スクラブル、何かを探して動き回る、などの意)という英単語ゲームをする。ボード上に並んだアルファベットの駒に、手持ちのアルファベットの駒を付け加えて英単語を作り、得点を競う知的なゲーム。英単語を身につける練習になるかと思っていたがかなり難しく、いろんな単語を知っていないとやや遊びにくい。逆に語彙が豊富だと手持ちの7つのアルファベットと盤上の駒を使ってさまざまな単語を組み立てることができ、どの単語が一番高得点かを考えて駒を打てるので、高度に戦略的なゲームになる。やっているうちにいつの間にか夢中になり、頭が痛くなるほど一生懸命に考えていた。
4/3(火) 朝起きるとまるで空から砂利が落ちてきているかのような大雨。屋根からバラバラ音が走ってくる。ザーッと降り、ちょっと休んでまたザーッと、というように間を挟んで発作的に雨が降る。いまでは大して驚かないが、お休みどころに移り住んだ当初は平地との雨の質の違いにハラハラさせられた。
 伊敷病院を辞めて3日目。根っこを抜かれた植物のような、心のどこかが風にさらされている感じがする。僕の精神医学の師であった神田橋條治さんや植村彰院長に頼っていた部分が大きかったんだと離れてみて感じる。特に植村院長には自分の父を重ね合わせていたところがあり、寂しいような、でも無事に働き終えられてよかったような、でも期待に応えられず申し訳ないような、悲喜こもごもな気持ちが湧き起こる。優れた医師たちの多い環境で、自分のねじくれた心も知らず知らずに治療していただいていたのだろう。
 お休みどころから人吉市に向かう道中、水上村のカフェレストラン「kitchen cafe奥球磨だんだん」で休憩する。頼んだのは「だんだんクレープ」。オレンジのソースとアイスクリームともっちりした生地の組み合わせがとてもいい。いつもながらお座敷のたたずまいもスッキリと美しい。
 料理人の吉田和江さんは小さいころ画家になる夢を持っていたという。その夢がいまになり形を変えて、料理の色合いや盛り付け、味わいのセンスとして活かされているのだろう。
 美紗さんの住所変更や家具の購入、海外での携帯電話使用の確認などいくつか用事を済ませるともう夜になってしまった。また人吉の部屋の近くにあるお店に入ることにした。青井阿蘇神社のすぐ隣に偶然見つけたのがイタリア料理店「Taverna da Mizumoto(タベルナ・ダ・ミズモト)」(〒868-0005熊本県人吉市上青井町120-5、電話0966-22-3471)。非常に個性があって入ってとてもよかったと思える店だった。
 清潔で小さな店内だが、黒板に(おそらくイタリア語の)メニューがたくさん書いてある。冊子のメニューにも(コース料理の説明がある以外は)黒板で選んでくださいと書いてある(笑)。シェフに詳しく聞こうと思っても、頑固一徹で無口な職人肌の方のよう。よくわからないのでパスタコースを注文した。
 サービスのいい店とはいえないが、なぜかこのときすごくおいしいんじゃないかという予感がした。実際にそうであった。サラダ、パン3種、前菜3品、スパゲティー、デザートと出てくるそれぞれが素晴らしく、既製品にはない手作りの旨味のようなものがあった。この「ダシ」は何なのだろう?と何度も感じた。
 味よりも接客を期待する人には不向きだと思うが、こだわり抜いた素材と調理でうならせる職人の店といった感じで、美紗さんも僕も大満足。量的にも豊富だ。いつか友人が人吉に来てくれたらぜひいっしょに行ってみたいと思った。
4/4(水) ジミーくんはピザ窯を庭に自分で作りたいと思っている。参考のために、鶴上うしをさんの案内で、あさぎり町在住の久保田さん(シイタケ栽培)の森を5人で訪ね、ピザ窯を見せていただく。僕の背丈ほどもありそうな立派なもので、大きな石を積み上げて作ってある。焚き木を燃やす部分のうえに厚い鉄板で囲ったスペースがあり、そこがピザを焼くスペース。炎と煙が鉄板の回りを巡って暖め、鉄板の放散する熱でピザが焼けるようになっている。だから焦げないまま、しっかり水気を飛ばして焼けるのだろう。 
 見学時にはお留守だった久保田さんがその後帰って来られ、お話を4人(ジミーくん、ラッセル光子さん、美紗さんと僕)で聞く。好奇心とチャレンジ精神が旺盛な久保田さんは、なんでも手作りの人。山小屋も燻製窯もピザ窯も自分で作られたのだそう。「まずは火に強い石を集めておくことです」という一言に始まって、ダーッと知識の奔流が始まる。「尊敬すべき人がいるわね…!」と光子さんも感嘆。頼りになる先生が見つかってジミーくんも少し安心したようだった。
4/6(金) 杉山さつきさんは美紗さんの高校同級生で親友。そのさつきさんが僕たちの新居を見に来たいとのことだったので、鹿児島市まで迎えに行き、いっしょに人吉を回る。人吉・鹿児島間は高速道路で1時間20分ほどであり、お休みどころから鹿児島に行くことを思うとずいぶん楽になった。
 まずは人吉の部屋で一服。まだ段ボール箱があちこちに広げてあるなか紅茶とお菓子をいただく。「玄関が広いね〜」「部屋も広くて明るいね!」とさつきさん。確かに玄関は幅に余裕があって使いやすい。そして南側いっぱいに大きな窓があって明るい。
 人吉の部屋の目の前には青井阿蘇神社と蓮池がある。蓮池には散った桜の花びらがいっぱい浮いていて花吹雪のよう。朱色の小さな橋もいっそう引き立って見える。鯉や鴨たちの姿が見え、ほのぼのとした景色である。
 神社にお参りしたあと徒歩1分の「町屋ギャラリー 立山」(〒868-0008熊本県人吉市中青井町311、電話0966-24-0866)へ。古民家を利用した喫茶・展示・販売スペースだ。いつも迎えてくださっていた永田勝康・洋子さん夫妻がお辞めになったと聞き大変残念。勝康さんのスケールの大きな文化論や洋子さんの鋭い審美観について聞かせていただくのが楽しみだった。でも店内にはいまも変わらず美と実用を兼ねた生活用品が所狭しと並び、ひと安心。永田夫妻の息子さんの木工作品も展示されていて豪華であった。
 お昼を球磨盆地を一望できる「Kura 倉 Cafe(くらくらかふぇ)」(〒868-0022熊本県人吉市願成寺町1007-20、電話0966-28-3080)でいただいたあとは、人吉観光の定番であるくま川下りと球泉洞。くま川下りの「急流コース」に乗船するのは初めてだったが、所々にある流れの速い瀬を通るときがスリリング。流れが穏やかでまったりうとうとするときと、流れが速くて水しぶきが上がるときの緩急の差がおもしろかった。この日は海外の方も多く乗船していたので、いつか日本語だけでなく英語での解説放送も付けていただけるとありがたい。
 くま川下りの終点からはリフトを使って球泉洞の入り口へ(子どもたちはリフトが大好き!)。3人で「探検コース」に入る。探検コースに入るのはもう美紗さんと僕は5回目くらいだが、ガイドの大瀬さんは初めて。いままで行ったことのないところを見せてくださったり飽きることがない。初めて球泉洞に入るさつきさんにとってすごいインパクトがあったのはもちろんである。声を大にしておすすめしたい自然体験スポットである。
4/7(土) 人吉の部屋からお休みどころに行き、明日からの新婚旅行に向けての用意をする。ふと見ると置き手紙がある。「文学仲間と水上村に北御門二郎さんの調査に来ました。ひょっとして会えるかな…と思い寄ってみました…」。なんと鹿児島から友人の小原裕子さんたちが訪ねてくださったのだった。お会いできずに残念。お休みどころを始めて最初の数年間、集中的に助けていただいた方なので、いまの新しくなったお休みどころをいっぱい味わっていただきたかった。ぜひまたおいでいただきたい。
 人吉市の部屋で新婚旅行のパッキング。ぎりぎり夜までかかる。美紗さんもくたくたである。夕食は徒歩3分の「好来らーめん(はおらいらーめん)」(熊本県人吉市下青井町76、電話0966-23-3330)で食べる。店内にメニュー表はなくラーメンのみ。豚骨スープの効いた大盛り麺で一杯550円。店内には次々とお客さんたちが入ってきて淡々と食べていく。皆さん満足そうである。学生さんでも来れる安くておいしい元気の出るお店である。
4/8(日)〜5/15(火)、オーストリアとイギリスへ新婚旅行。

写真1
写真1  引っ越し直前。段ボール箱のうえで朝ごはん。

写真2
写真2  引っ越し屋さんたちと運び出し作業。タンスなどをくるむ弾力性のある布(蛇腹)が大活躍。 

写真3
写真3  2時間半ほどで無事に荷物はトラックに積み込まれた。 

写真4
写真4  人吉市の新しい部屋。青井阿蘇神社の蓮池の隣にある。

写真5
写真5  初めての来訪者となった鶴上うしをさん。サンドイッチの差し入れを届けてくださった。

写真6
写真6  引っ越し屋さんが帰ったあと、とりあえずお茶で休憩。谷口博文さん差し入れのお花を飾り、サンドイッチをいただく。

写真7〜9は人吉市の飲食喫茶店「プリンス」で撮った写真です。 
写真7
写真7 店内の様子。木の黒が基調の落ち着いた空間。

写真8
写真8  「ミートドリア」を食べる美紗さん。手前は僕が食べた「ミックスピザ」。味は上質。

写真9
写真9  店主の太田さんと。もう44年続けておられるという。

写真10〜15はジミーくんの英会話レッスンを受けた際に撮った写真です。会場は湯前町の古民家レストラン「Wabi-Sabi」。 
写真10
写真10  Wabi-Sabiのお庭はオシャレ。美紗さんの右にいるのが飼い犬のロッキー。 

写真11
写真11  天気がいいので外でランチをいただく。ジミーくん(左)と美紗さん(右)。食卓と椅子は石でできている。

写真12
写真12  いろいろな木が植わっている。根元には絶滅危惧種のツクシノイバラも育っている。ジミーくんは保護活動に携わっている。 

写真13
写真13  ジミーくんの母であるラッセル光子さん特製のお好み焼き。広島焼きに近く、ヤマイモの風味を味わえる。

写真14
写真14  ボードゲームScrabbleをするジミーくん(左)と美紗さん(右)。盤上に英単語を作っていき得点を競う。かなり頭を使う。

写真15
写真15  結局夕ごはんまでいただけることになった。いつもよくしていただくばかりである。

写真16
写真16  雨の日はどんより。

写真17
写真17  突風のあと。杉の枯れ葉が道路に舞い散っている。

写真18〜23は美紗さんが撮影した水上村の桜です。 
写真18
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写真18〜19  「ほいほい広場」にて。

写真20
写真20  市房ダム湖沿いの道。ずっと桜並木である(1万本)。雨と強い風でだいぶ散ってしまったが、それでもまだまだ華やかであった。

写真21
写真22
写真23
写真21〜23  「桜の里展望所」にて。

写真24
写真24  「桜の里展望所」で撮影しようとしている美紗さん。

写真25〜26は水上村のカフェレストラン「kitchen cafe奥球磨だんだん」で撮った写真です。 
写真25
写真25  お座敷の様子。

写真26
写真26  「だんだんクレープ」。オレンジのソースとアイスともっちりした生地の取り合わせがピッタリ。

写真27〜30はイタリア料理店「Taverna da Mizumoto(タベルナ・ダ・ミズモト)」で撮った写真です。
写真27
写真27  店内の様子。黒板にイタリア語のメニューがいっぱい書いてある。シェフは黙々と調理に励んでいる。

写真28
写真28  サラダ、パン3種、前菜3種。すでにこれだけでもお腹が満ちてくる。貝殻に入ったカキグラタンや小さなピザなど前菜のそれぞれがおいしい。水の入ったビンもおもしろい。

写真29
写真29  パスタ。美紗さんは「サーモンときの子のクリームスパゲッティ」、僕は「カルボナーラ」。かなりお腹いっぱいになる。どちらも既製品のソースにはない微妙で多様な味わいがある。きっと素材の1つ1つを吟味して作ってあるのだろう。 

写真30
写真30  スパゲティーを食べる美紗さん。ウ〜ン、満足。

写真31
写真31  部屋のベランダから見える人吉の朝の風景。

写真32〜34はあさぎり町在住の久保田さんのところで撮った写真です。
写真32
写真32  立派なピザ窯。石板のうえがピザを焼く部屋で、石板の下が焚き木を燃やす部分。ピザを焼く部屋の壁は厚い鉄板でできている。煙はピザを焼く部屋の両脇を巡って熱を伝え、煙突から抜けていく。鉄板から赤外線が放射され、ピザがおいしく焼ける。

写真33
写真33  久保田さんのシイタケ栽培場にて。左からジミーくん、ラッセル光子さん、鶴上うしをさん。猿に取られてしまうので、上までネットで囲んである。原木が整然と並んでいる。 

写真34
写真34  久保田さんのお話を聞く。左からジミーくん、ラッセル光子さん、久保田さん、美紗さん。久保田さんは山小屋も燻製窯もなんでも手作りしてしまう達人。若いころに仕事で身につけた測量の考え方が役に立っていると話される。

写真35
写真35  人吉市の部屋で初めて美紗さんが夕食を作ってくれた。引っ越し荷物の段ボールが少しずつ減るにつれ、ホッとできるスペースになってきた。

写真36〜38は人吉市のマンションの目の前にある青井阿蘇神社の蓮池で撮った写真です。 
写真36
写真36  蓮池にかかる紅い小さな橋で結婚写真を撮るカップル。

写真37
写真37  マンションの方へ歩いていく美紗さん。

写真38
写真38  蓮池でコイのえさを撒いたらコイの代わりに鴨がやってきた。水面には桜の花びらがいっぱい。

写真39〜56は杉山さつきさんの来訪時に撮った写真です。
写真39
写真39  まずは人吉の新居で一服。杉山さつきさん(右)と美紗さん(左)。

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写真40  青井阿蘇神社の境内で大きな「きじ馬」にまたがる美紗さん(左)。きじ馬は球磨地方の郷土玩具で、通常手の平に乗るくらいのサイズ。

写真41
写真41  「町屋ギャラリー 立山」に向かうさつきさん(左)と美紗さん(右)。

写真42
写真42  町屋ギャラリー立山でお買いもの。小物、衣類、陶器、タオル、木工品などいろいろ並んでいる。

写真43
写真43  青井阿蘇神社の蓮池でコイのエサやり。やはり鴨が寄ってくる。水面には桜の花びらがいっぱい。

写真44
写真44  レストラン「Kura 倉 Cafe(くらくらかふぇ)」の庭園。球磨盆地を一望できる。 

写真45
写真45  「Kura 倉 Cafe(くらくらかふぇ)」で食事する美紗さん(左)とさつきさん(右)。

写真46
写真46  くま川下り「急流コース」の出発点にて。川面が光りに輝いている。

写真47 
写真48
写真49
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写真47〜50  くま川下りの様子。

写真51
写真51  くま川下りの終点から乗るリフト。

写真52
写真53
写真54
写真55
写真56
写真52〜56  鍾乳洞「球泉洞(きゅうせんどう)」の「探検コース」の様子。何度行っても楽しい。 

写真57
写真57  夜遅くまで新婚旅行の荷造りをする美紗さん。

写真58
写真58  人吉の部屋はまだ段ボール箱がいっぱい。

写真59
写真59  「好来(はおらい)ラーメン」の店内の様子。

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写真60  ラーメン。一杯550円と安く、しかもすごく大盛り。豚骨スープが効いていておいしい。 
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お休みどころ 2012年3月23日(金) ジミーくんの英会話レッスン

 皆さんは湯前町(ゆのまえまち)にある「Wabi-Sabi」(わびさび、〒868-0623熊本県球磨郡湯前町2324、電話0966-43-2080)という古民家風レストランをご存知でしょうか? 1日1組だけをお迎えする完全予約制のお店で、ラッセル光子さんが1人で運営されています。外見はシブい古民家ですが、中身はものすごくオシャレに改装されていて、そこで光子さんのおいしい手料理を楽しむことができます。食事のおいしさもさることながら、なによりも洗練された美的空間の豊かさを堪能できる場所です。 
 湯前町はお休みどころのある水上村(みずかみむら)の隣町で、車で30分ぐらいの距離です。オープンして1年ほどのこのレストランに行くことができたのは、友人の鶴上うしをさんのおかげでした。いつだったか鶴上夫妻宅をお訪ねしたときに「今度いっしょに食べに行こう」と誘ってくださったのです。鶴上夫妻、鶴上夫妻の友人のAさん、そして美紗さんと僕の計5人で、1月23日現地で待ち合わせをしました。 
 うしをさんが誘ってくださったのはもちろん食事を楽しむためですが、他にも目的がありました。光子さんの息子のジミーくん(通称、本名はジェイムズ・ラッセルさん)に会うことです。僕より1つ年上のジミーくんは「Wabi-Sabi」の運営を助けながら、数ヶ所で英会話レッスンを開いています。Aさんは英語が好きですし、美紗さんは4月からの新婚旅行(オーストリア、イギリス)のために英会話を勉強する必要があります。もしジミーくんの都合がよければ英会話レッスンを僕たち3人で受けれたらいいね、となったのです。
 毎週月曜日の13時から、1回3時間。この日程で幸いなことにジミーくんのOKをもらえました。ただジミーくんが気にしていたのは日程のことではなくて、「はたして自分のレッスンで十分満足してもらえるだろうか?」ということでした。英語はジミーくんの母語であり、日本語も(漢字の読み書きを除いて)完璧なのに、よほど謙虚な(控え目でおとなしい?)方なのですね。「それは絶対に大丈夫です」とお伝えしました。
 こうして2月6日からのレッスンが始まりました。残念ながら事情があってAさんが参加できなくなりましたので、いまのところ美紗さんと僕だけで参加しています(初回には美紗さんの姉の令紗さんも来てくれました)。2人だけでネイティブの方から直接指導を受けられるなんてものすごく贅沢なことです。参加人数が多いほど、自分の練習の機会は減るのですから。英語の学習環境としては間違いなく最高です。
 会場ですが、第1回目には鶴上夫妻宅の離れである「太陽の家」を使わせていただき、以後はお休みどころか「Wabi-Sabi」で開いています。Wabi-Sabiでレッスンを受けるときには光子さんのご好意でランチやディナーまでごちそうなり、またお話も聞かせていただいています。放射線医学の研究者であったウォルター・ラッセルさん(故人)と結婚し、ウォルターさんの故郷であるアメリカのシアトルで20年以上生活されていた光子さんのお話は、語学・文化論・人生談をいろいろ含んでいてためになるのです。 
 ジミーくんの指導法は徹底して対話スタイルです。リスニング、発音、文章構成、そして便利な言い回し。相手の言葉を聞いたうえで自分の意見や思いを言えるようになるのが目標です。特にジミーくんは発音には細かいです。単語のアクセント、日本語にない母音、r音とl音、th音とs音とsh音、b音とv音の区別などです。正確に発音しないとなかなか言いたいことが伝わらないし、僕たちには同じに思える音でも全く違う意味を表すことがあるからです。 
 初めはジミーくんの会話スピードの速さと発音の難しさに圧倒されっぱなしであった美紗さんも、回を重ねるごとにだんだん慣れ、自主的・自発的になってきました。自分から積極的に求めて学んでいくのです。電子辞書を買ったり、参考書を買ったり、友人からいただいた学習DVDを使ったり。その過程はこのブログの今月の日録に書いた通りです。学習の目的は知識の獲得もさることながら、学びの能動性の獲得にあるのですね。
 さて、そんなジミーくんの月曜レッスンですが、今月に入って1回番外編がありました。3月11〜12日、ジミーくんと3人で鹿児島に出かけたのです。第1の目的は僕の伊敷病院の同僚2人のためにレッスンを開いてもらうこと。第2の目的はジミーくんに鹿児島の自然を味わってもらうことでした。 
 レッスンを受けてもらったのは僕が伊敷病院で開いている英会話サークルの仲間2人です。毎週金曜日に昼休みの30分弱を利用して始めた超初級の英会話学習(中1英語)でしたが、初めは10人ほどいた仲間も時と共に減り、いまではRさんとYさんの2人だけになってしまいました。最後までめげずに忙しいなか通ってくださった2人に、総まとめの特別レッスンをプレゼントしたかったのです。ジミーくんがその願いをかなえてくれました。 
 3月11日(日)の朝8時にジミーくんをWabi-Sabiで車で拾い、一路鹿児島へ。12時に鹿児島市内の美紗さんの部屋に全員が集合しました。そこから和やかにレッスンの開始です。初めは自己紹介や家族構成や趣味といった互いを少しずつ知るための会話の練習。YさんとRさんはやはりジミーくんの速さと発音についていくのが大変でした。たとえ文法的にはわかる文章であっても、いざ目の前の人から本当の発音で聞くと大混乱です。助け船が要ります。 
 また相手の言いたいことや聞きたいことがわかったとしても、さらに自分たちの言いたいことを英語で言うプロセスが残っています。これがまた難しく、なかなかとっさに思い浮かばず口から出てこない。慣れないと頭が真っ白になってしまうのです。こちらも2人とも悪戦苦闘でした。
 ただうれしかったのは大変ななかでも2人が懸命にコミュニケーションしようとしてくれたことです。意味が通じても通じなくても、コミュニケーションの意欲と努力があるかないかは一目でわかります。一生懸命言おうとすれば、相手も聞こうとするものです。2人が全力を尽くしているのが十二分にわかるものですから、ジミーくんも忍耐強く2人の言わんとするところを汲み取ってあげようとしています。以心伝心です。 
 合間に美紗さんの手料理を食べて休憩。さらにRさん手作りのチーズケーキをおやつに食べたりしながらレッスンは続きました。後半には英語で尻取りをしたり、隣の人に指定された単語で例文を作るゲームをしたり、遊びも取り入れました。この方がRさんYさんもリラックスしてのぞめるようです。
 そうこうしていると、もう4時間が経っていました。みんなまだまだやれるといった風でしたが、ジミーくんと僕たちには次の場所への移動があります。「今度はぜひWabi-Sabiに食事に行って、レッスンも受けてくださいね」と2人に伝え、終了としました。喜んでもらえてよかったです。「すごい楽しかったです」と言ってYさんはバイクで、Rさんは車で帰っていきました。(余談ですがこんなにがんばってくれたのに、ジミーくんは謝礼も受け取ってくれませんでした)。 
 さて、これでジミーくんの仕事は終わり。いまからは観光です。ジミーくんの希望は「自然の景色の豊かなところ」でしたので、海の水と海岸沿いの景色が綺麗だと聞く笠沙(かささ、薩摩半島の西南端)に行くことにしました。何人もの友人たちから話しに聞いていた「笠沙恵比寿」(かささえびす、〒897-1301鹿児島県南さつま市笠沙町片浦14847-1、電話0993-59-5020、ホームページhttp://www2.synapse.ne.jp/kasasaebisu/)という素敵な宿泊施設があるのです。
 鹿児島市内から笠沙へはおもしろいドライブです。始めは都市部、次に薩摩半島中央部の山地を抜けて、次第に海の近くへ降りていきます。山も海も(火山も島も)豊かにあるというのが僕が好きになった鹿児島ですが、まさにそのことを体感できる道路です。
 自然たっぷりのなかを通っていくのですが、それでも笠沙の入り江に着いたときにはジミーくんも僕たちも思わず「おおっ!」と声を上げました。海と空と、波と風と、海岸沿いの崖の入り組みようと。とにかくナマの風景がすぐそばにリアルにあるのです。
 この夕方は突風が吹いていて寒くて数分しか車の外に出れませんでしたが、その間みんなで風景に見入り、写真を撮っていました。都会でも空や海を見ているはずなのですが、これほどありありと感じることはありません。なぜなのでしょうか?やはりその場に行かないと見たり感じたりできないものがあるのでしょうね。
 そこからさらに海岸沿いの細い道を15分ほど進むと笠沙恵比寿があります。「こんな小さな海辺の集落に、なぜこんな現代都市的な建築が…?」と思うほど斬新な構造です。九州新幹線をデザインした方の設計だそうで、そう言われると確かに建物全体が電車の車両の連なったような形に見えてきます。お部屋もロフト付き和室とおもしろく、海辺の景色も窓から大きく見えます。海鮮イタリアンの夕食も初めて食べるものばかりでした。まるで美術館に泊まったような、アートの魔法にひたる体験でした。 
 次の朝、もし時間と天気に恵まれていたらシーカヤック半日コースやクルージングなどをして近辺の海を体で味わってみたかったです。でも残念ながらまたしても曇りと小雨と突風でした。海面には波が大きく立っていて、海遊びどころか景色を見るのも大丈夫かと危ぶまれました(結局午後になるにつれ天気はよくなっていきました)。縁がなかったのでしょう。
 ジミーくんの希望はあくまで雄大な景色でしたから、海岸沿いを車で坊津(ぼうのつ)の方に走っていきながら、時々綺麗なところで止まって眺めることにしました。ジミーくんが十分に楽しんでくれるか、退屈しないかと心配したのですが、全く不要でした。これでもかとばかりに絶景スポットが続くのです。1つを超えてしばらくクネクネ道を進むとまた次が出てきます。
 同じような入り江の景色ばかりなのになんでこんなに1つ1つが新鮮なんだろう。それが不思議でした。坊津はリアス式海岸で名高いです。リアス式海岸はフラクタル図形と似ている、と以前聞いたか読んだかした気がします。つまり通常人間が書ける直線や曲線の組み合わせよりも複雑さの度合いのはるかに高い景色なのです(アート的?)。だからいくつ見ても新たな鮮やかさで感じられるのかなと思いました。自然の魔法はアートの魔法に近いのかも知れません。 
 「坊津美術館」(無料)に寄って学芸員の石原さんから近くの無人島について説明を受けたり(沖秋目島、1950年代まで人が住んでいた!)、海岸沿いの大きな岩によじ登ったりしながら、ドライブは続いていきました。坊津を抜けて枕崎市に入ってくるとまた都市部の風景に帰ってきます。ここから次の目的地である桜島まで1時間ほど。またしても山地を抜ける走行です。 
 「桜島を見たい」というのもジミーくんの希望でした。美紗さんの案で、桜島フェリーに乗って海を渡り(10分ほど)、そこから海沿いに半周ほど走って、そのまま陸伝いに帰ることになりました(桜島はかつて「島」でしたが、1914年の噴火の結果、いまでは陸地とつながっているのです)。桜島は亡くなった美紗さんのおばあちゃんが住んでいたところです。
 ここ数年桜島の噴火回数が多いことを皆さんはご存知でしょうか?鹿児島県に住んだことのない方にとっては、「火山の噴火」といってもピンときにくい話題だと思います。ところが桜島周囲30キロ圏内に住む人たちにとっては大いに関心のある話題なのです。なにせ桜島の噴煙が風に乗って広がって「灰」(濃いグレーの土埃のようなもの、以前は「石」も直接降ってきたそうだ!)として降ってくると、目に入って痛いし、髪はバサバサになるし、車は泥だらけのように汚れ、洗濯物は黒くなるので外に干せません。おまけに灰の降るときはしばしば雨も伴い、「灰雨」は衣服を汚します(ただのドロより落ちにくいそうです)。「灰」は粒子が細かいので、窓を閉めていても入りこんだりします。厄介極まりないものなのです(健康被害はないそうです。念のため)。
 ニュースでも桜島周囲の風向きが報道されているくらい、灰の動きは人々の生活に直結しています。もし皆さんの周囲に鹿児島市などの出身の方がおられたら、灰についていろいろ語れる人である可能性が高いです。ただ僕が驚いたのは、鹿児島市の人たちは灰の文句を言いながらも、「それはそれ」としてあっさりと受け入れながら暮らしている、という事実でした。灰は面倒ではあるけれど、「それも生活の一部」といった感じなのです。人間っていろんなことに適応する(慣れる)ことができるんですね。
 桜島の噴火や灰に話題が逸れました。鹿児島市で生活するうえで最も興味深い自然現象です(ぜひ1度味わいにいらしてください!)。ともかくそういうわけでジミーくんと3人で桜島フェリーに乗りました。この日も桜島は絶好調で、フェリーが出港する前からさっそく噴火していました。台形のような火山(御岳、標高1117m)の9合目あたりから、斜め上に向かってキノコのようにモリモリと噴煙が立ち上っていきます。そして徐々に平べったくなりながら雨雲のように拡散していき、どこか一帯にに降り注ぐというわけです。
 桜島に渡ってから、僕たちはまずはお昼ごはんを食べ(物産館が休みだったので国民宿舎「レインボー桜島」で)、そのあと御岳の中腹にある「湯之平展望台」に行きました。行くまでのクネクネ道の両脇にあるのは、ゴツゴツした溶岩が積み重なっている合間にマツの低木ばかりが生えている光景です。展望台より上のレベルになると、草一本生えていなそうな岩地(崩れやすそう)です。 生物の繁茂を拒む荒れ果てた領域です。
 残念ながら僕たちが展望台にいる間には噴火しなかったのですが、下り始めて1、2分後、再び煙が上がっていることにジミーくんが気づきました。ほんとにすぐ近くでキノコ雲がどんどん伸びていきます。見ていておもしろいのですが、同時に「自然は恐ろしいもの」といった気もしてきます。火山のこの強烈なパワーが、もし破壊のエネルギーに回ったら、とんでもないことになるでしょうから。 
 そのあと桜島の名物温泉(「ふるさと観光ホテル」の「龍神露天風呂」)に入り体を流したあと、「有村溶岩展望所」を歩き回るのは諦めて、車から下りずに帰路につきました。いまにも灰が降ってきそうだったんです。
 というわけでそれから3時間ほどドライブして、帰り着いたWabi-Sabiで夕食までごちそうになって、2日間の小旅行は終わりました。いっしょにいてよくわかったのですが、ジミーくんは基本的には静かでおとなしい人です。旅のルートについてもほとんど僕らにお任せ。ジミーくんが強い関心と鋭い好奇心を示すのは自然(アメリカのカリフォルニア州のシャスタ火山が大好き)、食べ物の味わい、音楽(ハードロックが好き!)といったことです。繊細な感受性を持つ人が好きになりそうな分野ばかりですね。美紗さんと趣味の重なるところがあり、2人の間で議論が発展していました。 
 感覚が敏感で一度何かにハマると徹底して追求するジミーくんには、「陶器を黙々と作り続ける職人」といったイメージが合います。職人肌なんですね。こだわってきちんとした仕事をする完璧主義的な性格です。
 いままでアメリカと日本で経験してきたいろいろな仕事や活動が、何かの道に打ち込むなかで総合される。そんなことがジミーくんに起こればいいな、と友人として思います。新婚旅行までジミーくんのレッスンもあと2回。僕たちが英語を教わるのと同時に、僕たちからジミーくんの人生のヒントになる何かを提供できたらいいな。そんな願いを持ちながら、レッスンを楽しみたいと思います。 
        興野康也

写真1
写真1 鹿児島市内の城山展望台に向かう。ジミーくん(左)と美紗さん(右)。 

写真2
写真2 あいにく霞で桜島は見えなかった。 

写真3
写真3 一路笠沙に向かう。 

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写真4 笠沙では風が強かった。ジミーくん(左)と美紗さん(右)。 

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写真5 泊まった「笠沙恵比寿(かささえびす)」。デザインが斬新。

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写真6 笠沙恵比寿の室内。ロフトにベッドがある。

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写真7 海を見ながら朝食。ジミーくん(左)と美紗さん。

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写真8 翌朝も風が強かった。 

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写真9 笠沙美術館の石原さん(右)。美術館の作品だけでなく、笠沙の自然や観光についても教えてくださった。石原さんによれば、後ろに見える「沖秋目島」には1950年代まで人が住んでいたという。絶対無人島だろうと思っていたのでびっくり。 

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写真10〜12 坊津(ぼうのつ)の景色。複雑に入り組んだ入江と多彩に変化する海の色(緑に近い)がいくつもの絶景を作り出す。 

写真13
写真13 桜島フェリー(チェリークイーン号)の甲板で。桜島が噴火して煙が上がっている。

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写真14 御岳の中腹にある湯之平展望台。間近に火山の様子が見える。 展望台のなかには桜島についての説明がある。26000年前に姶良カルデラの一角にできたこと、北側と南側の2つの火口が合わさっているので平べったく見えること、など興味深い事実が記してある。

写真15
写真15 湯之平展望台を少し下ったとき、桜島がまた爆発した。噴煙がリアルに見える。

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写真16 「ふるさと観光ホテル」の「龍神露天風呂」。男女混浴で浴衣を着て入る。 

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写真18
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写真17〜19 すぐ向こうには海がある。お湯につかれば熱くなり、岩の上に上がれば風に吹かれて寒くなる。ともかく異様な景観である。 

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写真20 大きなアコウの樹の根元に近づくジミーくん。

写真21
写真21 最後にかかり湯で。お茶目なジミーくん。

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