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精神科臨床の現場での決断について 2019年4月6日(土)

   精神科の仕事をしていると、決断に迷うことがあります。難しい状況ではスタッフの意見も割れがちです。結果的に偏った判断をして、他のスタッフからおこられることもあります。関わる誰もが納得のいく判断をするのはなかなかできないです。
   判断に迷う状況として、例えば入院が必要かどうかを決めないといけない場面があります。内科などでは検査データの裏付けがあったうえで、病状が重症な時などに外来治療から入院治療に移行します。ところが精神科では活用できる数値データが少なく、症状の把握にも観察する人(本人・家族・支援者・医療者など)の主観が入りやすいですから、判断が難しいのです。
   発達症+ゲーム障害の子どもの入院についても、簡単な基準はありません。ゲームに依存している度合いだけでなく、昼夜逆転・引きこもり・ゲームを制限されるとカッとなること・生活動作の乱れ(食事をしない、入浴しない)など、総合的に問題点を考えます。また家族がいままでどのように関わってきたのか・どの程度疲弊しているのかなども考慮します。あわせてどのぐらい支援者が関わっているのかや、経済面の状況なども考えます。そのうえで本人・家族・支援者・病院スタッフの意見を参考にして、決断するのです。
   精神科の疾患については、本人の病状に社会的な背景(家族関係・その他の人間関係・学習状況・就労状況・経済面)が大きく関係します。それだけに社会的な背景に目配りすることなく、医療的な観点だけで治療を進めると、失敗することがあります。精神科臨床における決断のためには、ヾ悗錣襪い蹐い蹐平佑琉娶を聞き取れる、⊆匆馘な背景についても考慮できる、それらを総合して落としどころを見つけることができる、の3点が重要だと思います。
   判断に迷う状況の他の例としては、高齢者の入院があります。認知症+問題行動での入院は比較的判断しやすいです。ですが、_搬欧いなかったり、家族関係が悪く、キーパーソンが不在、経済面の課題が大きい、支援の導入に拒否的である、っ楼茲埜瀕している、ト達症などがベースにあり病状が複雑である、などで困難事例化しているケースでは、入院治療を行うことが適切かどうかの判断が難しいです。なぜなら上に挙げたような要因のために、入院後に治療に支障が生じることがよくあるからです。また入院にしてしまうことで、体が弱ってしまう面があったり、地域生活をできる力が弱まってしまう面もあり、むやみに入院にしてしまってはいけないのです。
   僕自身は地域での相談を受け続けてきた結果、なかなか医療につながらない困難事例の支援に多く関わってきました。いまでは診療のなかで次の点をよく意識しています。^緡電な困りごとだけでなく、生活全般にわたる困りごとが何かを聞き取る。△任る限り本人・家族・支援者・病院スタッフでのケース会議を開き、関係者の支援方針を一致させる。今は隠れている重大な問題がないかを常に探し続ける。いい蹐鵑平種の意見を聞き、ひとつの考えだけで進めない。
   それらは経験上大事だと感じてきたことです。ただ一方で困難事例の支援というのはあくまでも医療の応用であって、基本ではありません。僕の気持ちは困難事例の対応に傾き過ぎている面があります。その結果以下のような問題が起きることがあります。^緡典ヾ悗蚤弍できる問題以上の問題を掘り起こしてしまい、診療が混乱する。△気泙兇泙粉愀玄圓琉娶に振り回され過ぎて、診療の一貫性が失われる。困難事例は診療上のエネルギーや時間を取るため、他の患者さんたちに割くべきエネルギーが奪われてしまう。た芭展率が悪く、病院の経営面からみてもプラスにならない。
   そこでもう一度精神科診療の基本に帰ることが必要であると感じています。基本とは以下のような流れを指します。ヾ擬圓気鵑範辰靴覆ら、丹念に精神症状を聴取・観察する。必要に応じて検査を行い、病状を整理する。8住点で推定される疾患を診断する。た巴任亡陲鼎い萄禿挂簑蠅陵彭世鮹蟒个掘医療的に改善できる部分についてのアプローチを患者さんに提案する。ゴ擬圓気鵑箸旅膂佞亡陲鼎い銅N鼎鮨覆瓩襦治療がうまく進まないときには、再度 銑い鮃圓Α
   精神科的な診療の枠内で改善できる問題は、この世界の問題のごくごく一部に過ぎません。ですが僕自身は何にでも関わってしまうところがあります。それは傲慢であり無茶であるのですが、目の前に悩んでいる人がいたら何かしてあげたいと思ってしまいます。しかし自分にできる以上に支援をしようとしてもかえって逆効果です。
   いまの僕に必要なのは「あえてしない」という決断なのだと思います。なにかをしてあげるよりも、何かをあえてしない方がよほど難しい。ぼくはせっかちですので、「動かずに介入のタイミングを待つ」ということがいちばんできないです。精神科臨床における決断のためにもっとも大事なのは、じっと待つことなのかもしれません。急ぎ過ぎない忍耐力を付けることが課題なのでしょう。

 

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やすみの入学式 2019年4月9日(火)

   やすみは6歳になり、3月末に保育園を卒園してから自宅で過ごしていました。保育園のときには朝は6時に2階の寝室から1階に下ろしていたのですが、小学校になると7時に家を出るので、朝は5時半起きになります。僕は早めに5時半に下ろすように切り替えたのですが、下ろしてからもやすみは寝ていました。
   ですが次第に入学式が近づいてきました。大きな変化は近所の6年生の女の子が訪ねてきてくれたことです。集団登校がない代わりに、近くの6年生がお世話係になって、1学期の間は朝に迎えに来てくれるのだそうです。やすみが自分で歩いて登校するのが現実味を帯びてきました。
   実は美紗さんも僕も通学路はよくわかりません。というか学校まで2キロあり、僕たちも歩いたことがないのです。僕からすれば車で行くような距離であり、小学生にしっかり歩けるのかは半信半疑でした。でも近所の女の子は毎日歩いて通っているわけですから、徒歩圏内なのでしょう。
   やすみが通っていたさざなみ保育園は自宅から見て人吉市の反対側に位置しています。なのでやすみと同じ小学校に進学する同級生が誰もいないのです。やすみは「小学生になりたくない」「お友だちが誰もできない」とずっと言っていました。美紗さんや僕が「友だちはすぐにできるよ」と何度も伝えてきたのですが、あまり効果はありませんでした。
   そういうわけでやすみが不安を抱えたまま入学式の日を迎えました。受付を済ませたあとは教室の自分の机に座って待つのですが、やすみは不安そうです。仕方がないとはいえ、僕たちも少し心配でした。
   入学式は固い感じですが、思っていたよりはテンポよく進みました。30分前から先生が教えたように、子どもたちは「ありがとうございます」「よろしくお願いします」といった返事をしていました。集団に入れない子やジッとできない子は目立ちませんでした。とはいえ発達症の子どもたちにとっては、入学式は苦行の場(慣れない場所、先が見えない展開、異様な緊張感、拍手などの騒音、多数の大人からの注視)というのもよくわかりました。
   そのあとクラスに戻って担任の先生からガイダンスがありました。不思議なことに、あれだけ緊張していたやすみが非常に楽しそうにしています。「明日が楽しみ」と何度も言っています。その後写真を撮りに行くときも、家に帰ってからも、何度も「楽しみ」と言っていました。重圧感を乗り越えた喜びでしょうか。不思議なくらいの変わりようでした。
   次の朝は5時半にやすみも起きました。朝の準備も自分からできました。ごはんを食べて準備をして、お世話係の女の子を待ちます。「重いランドセルを背負って、学校まで歩けるのだろうか?」とこちらは心配ですが、女の子といっしょに出かけて行きました。学校からの帰りに迎えに行くと、ちゃんと先生たちといっしょに帰ってこれました。
   やすみは成長のある段階(ゲート)をくぐったんだなぁと感じました。子どもの成長は連続したジワジワとしたものだけではなく、ときには一気にワープするようなことがあるのでしょう。やすみは新しい場所で新しい人間関係を作り、自信を付けていくでしょう。そのぶん親は後ろに引いていかないといけません。少しさみしいですが、仕方がないです。「やすみがチャレンジするのを横で見守る」くらいの気持ちに切り替えていかないといけないですね。

 

写真1 入学式の前。まだやすみは不安を感じている。

 

写真2 入学式のあと。気分が高揚している。

 

写真3 いまから学校に歩いていく。

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2019年4月日録1

4/1(月) 昨日は子どもたちを遊ばせに、八代市坂本町にある公園「くま川ワイワイパーク」に出かけた。人吉市から球磨川に沿った道を下っていくのだが、道路脇の桜が満開で、「花の道」になっていた。バイクや車で来る人が多く、道の駅もごった返していた。公園もまた子どもで溢れていた。斜面を利用したかなり高いスライダーがあるが、やすみと響は何回も登って滑っていた。しずくはまだ1歳なのに、姉や兄と同じことをしないと気がすまないようだった。公園にも桜が咲いており、華やかだった。
4/2(火) 響は乳幼児健診で指摘を受け、眼科に通っている。日常生活では視力の問題を感じることはないのだが、検査をすると乱視があるそうだ。病院側は視力検査をしながら経過観察をしているだけなのだが、親としては心配になる。自分が子どもを受診させる立場になると、医療機関には親の不安を和らげる工夫が求められることがよくわかる。特に「いまどんな状況で、今後どうなっていくと予測されるか」という見通しを伝えることが大切だと思う。
   そのあと熊本県荒尾市にある遊園地「グリーンランド」に子どもたちを連れていった。グリーンランドは敷地が広大であり、アトラクションの数も日本一だ。いまは特定のテーマに沿ったテーマパークが多いが、グリーンランドは「親子で楽しめる」というシンプルなテーマだけを追求しているように見える。その意味では古風な遊園地だ。だがネットやゲームで屋内で遊ぶ子が多い現代においては、身体や感覚をフルに使って屋外で遊べる貴重な場所になっている。遊園地はそもそもは娯楽のための施設だったわけが、子どもが野山や空き地で遊ぶ機会がないので、それを補うような意味が出てきていると思う。
4/7(日) 精神科のいちばん大きな学会である日本精神神経学会のホームページには、eラーニングがある。精神科のさまざまな話題についての専門医の講演を視聴できるので、非常に助かる。子どもの診療をしていると、予想以上に性別違和の問題で悩んでいるケースが多く、対応の土台がほしかった。「セクシュアリティについて知っておくべきこと」(康純、2018年)はまさにそんな内容で、患者さんと接する際の前提となる視点を教えてもらえた。
   eラーニングのシステムが普及してきているのは精神科だけではない。いろんな専門分野で自分の居場所から最先端の学びをできるようになるだろう。その結果、施設間の診療技術の格差は小さくなっていく。知識がすぐに行き渡るからだ。
   では将来的には何が精神科診療の施設間の差になっていくのだろう?おそらくどの程度難しいケースに取り組んでいくかという姿勢や意欲が差を作るのではないか。またどの程度社会的な貢献に取り組むかも差を作ると思われる。医療は志という古い考え方が、今後は大事になるだろう。

 

写真1 球磨村にある鍾乳洞「球泉洞(きゅうせんどう)」にて。やすみが寄りたいと言ったので寄ってみたが、階段を使ってのアップダウンが激しかった。

 

写真2 「道の駅坂本」は球磨川のほとりにある。桜が満開だった。

 

写真3 八代市坂本町にある「くま川ワイワイパーク」。いろいろな遊具がある。

 

写真4 熊本県荒尾市の遊園地「グリーンランド」。子どもから大人までが楽しめるアトラクションがある。体の鍛練にもなる。

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2019年4月日録2

4/8(月) どういう治療薬や支援をすれば患者さんのためになるのかについて、最近同僚と議論になることが続いた。個々のケースで問題点は違うのだが、結論的には「僕がせっかち過ぎるのを、回りがいさめる」という形が多い。もともと僕には「段取りや手続きをすっ飛ばして結論を求める」というところがあるが、受け持ちの患者数が増えてストレスがかかると、ますますそうなってしまうようだ。指摘を受けるときにはイライラする。でも僕を止めてくれる人が回りにいることはありがたいことなのだろう。
4/10(水) 認知症の初期集中支援チームに参加した。認知症や精神疾患だけでなくて、家族背景の課題が大きいケースが増えてきている。もともとあった課題が加齢や認知症で露呈するわけなので、短期間の介入での解決が難しいことも多い。結局は地域での予防活動や早期支援がどのぐらいうまくいっているかが大事だ。医療や福祉を突き詰めていくと、必ず地域作りの課題にぶつかる。生き生きした地域なしには、いい医療はありえないということだろう。
4/11(木) 発達症の子どもの相談を受けた。子ども自身が困っているケースもあるが、多いのは親が困っているケースだ。その場合には、その子の特性や支援方針をどのようにした親に伝えるかがポイントになる。「発達症について知ってはいても、わが子の支援になるとうまくいかない」という状況もよくある。僕自身も日々経験しているところだ。子育ての問題を親だけの力で解決することは難しく、ときには第三者のアドヴァイスをもらうことが必要なのだろう。
4/13(土) 「医療現場の倫理的意思決定」(門岡康弘)という講演を聞いた。医療倫理とはあまり聞きなれない言葉だが、診療現場では判断に迷うような場面がよくあり、その際にどう判断するかを基礎づける学問なのだそうだ。以下は僕が聞き取ったポイントだ。^絣愿な知識や技術だけでは判断できないような状況がたくさんある。患者さんの生命を救うという医療の目的が、患者さんの意思に反してしまう状況もある(延命処置を希望されない場合など)。「医療的に正しいか?」だけではなくて、もっと多角的に検討することが必要である。の冤的な検討の流れは以下の通りである。ヂ進面から多職種で情報を収集する。Α峇擬圓気鵑琉媚廚鉾燭靴討泙捻簗申菽屬鬚垢戮だろうか?」のように課題を書き出してみる。するとどの原理とどの原理がぶつかっているのかがわかる(患者さんの意思の尊重と、患者さんの生命を守ること)。Я択肢をなるべく多く出し、それぞれについて批判的に検討する。┫蕎霤な選択、習慣的な選択、権威に従うだけの選択、直感的過ぎる選択などは避け、できるだけ合理的な選択を心がける。最終的に医療的な判断を下す。

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2019年4月日録3

4/14(日) 子どもたちを連れて「宮崎市フェニックス自然動物園」に出かけた。動物園と遊園地が一体になっており、子どもたちは両方を楽しめる。幼児に乗りやすい遊具が多いので助かる。園内で感じたのだが、やすみが小学生になってから急成長している。下の子たちを乗せたカートを引っ張ってくれたり、ある程度面倒を見てくれる。響も言葉が上手になり活発になったので、やすみと響で遊具に乗ったりできる。しずくも上の子たちを真似している。いままでよりも子どもたちに手がかからなくなったのを感じる(少しさみしいような気もする)。響はウンチもほとんどできるようになったので、あとはしずくのオムツが外れれば、家族で出かけるのもずっと楽になるだろう。
   社会福祉士のYさんから連絡があった。Yさんは総合病院で働いているが、精神保健福祉士の資格も持っている。一般科と精神科をつなぐ橋渡しのような存在だ。以前困難事例の支援をいっしょにしたことから仲良くなった。僕のように精神科だけの病院で働いていると、患者さんが身体面の不調をきたしたときに困ってしまいやすい。Yさんがいてくださることで、困ったときにも助けてもらえる安心感がある。Yさんとのつながりから発展して、病院どおしのつながりも強まってきている。いい仲間が見つかることは、支援をしやすくしてくれる。
4/16(火) 人吉市の健康推進員の方たちから地域住民への健康教室で講演をするように依頼を受けた。その打ち合わせに3人の方が来られた。皆さん活発でとても楽しかった。「現代は地域のつながりが求められている」「そのための新しい仕組みが必要である」との意見で一致した。いい地域でないと、いい医療もできない。コミュニティーのために働こうという気持ちのある人をどう集めるかが大切だと思う。
4/17(水) 水俣市にある児童擁護施設「光明童園(ひかりどうえん)」の施設見学に出かけた。僕は児童擁護施設を見たことがなかったので、どんなところに子どもたちが入所しているのかに関心があった。ところが施設の職員さんたちが僕を囲んでの研修会を開いてくださり、それだけで時間が過ぎてしまった。非常に熱心な職員さんが多く、やりがいを持って仕事されているのがわかった。その一方で非常に難しい分野であり、精神科の医療機関(特に児童思春期の入院を受け入れている病院)の助けを切実に求めておられるのもわかった。熊本県の南部には児童思春期の入院施設がほとんどないこともあり、困っておられる。僕も応援していきたい。

 

写真5〜7は宮崎県宮崎市にある「宮崎市フェニックス自然動物園」で撮った写真です。


写真5 やすみがカートを引っ張ってくれるようになった。

 

写真6 怖い乗り物にも子どもたちだけで乗れる。

 

写真7 3人でウサギをなでることができた。

 

写真8〜9は水上村の古屋敷郵便局で撮った写真です。


写真8 古屋敷郵便局。やすみの入学祝いをくださるとのことで、やすみを連れて久しぶりに出かけた。

 

写真9 古屋敷。懐かしい風景だが、過疎化の波が押し寄せている。

 

写真10 多良木町にある公園「ファミリーパーク宇宙ランド」にて。クルクル回る遊具に乗るやすみとしずく。僕は見ているだけで目が回りそうだが、子どもは強い。

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2019年4月日録4

4/23(火) 娘のやすみはお世話係の小学6年生の女の子に先導してもらって登校している。その子が体調不良になったので、僕がやすみといっしょに登校した。僕はいままで通学路を知らなかったので、知ってみたい気持ちもあった。実際に歩いてみると、行きが35分、帰りが25分かかった。約2キロの道のりで、大人でも大変だ。よく歩いているなぁと感心した。お休みどころは人吉市のはずれにあり、他の子どもたちはあまりいないのではと思っていたのに、通学路を歩く子どもの数がとても多かった。やすみが終始1人で歩くわけではないので、そこは安心できた。通学路は車通りを避けて裏道が多く、分かりにくかった。たまにはいっしょに登校してみないといけないとわからないことがあると思う。
4/28(日) やすみの保育園時代の同級生が遊びに来てくれた。ちょうど息子の響が「日本百名城 人吉お城祭り」でダンスに参加するので、みんなで見に行った。去年もお城祭りには来たが、参加者がずっと増えていた。お祭りは人の密集感があってこそ盛り上がるので、うれしく思った。子どもが遊べるブースもたくさんあり、地域の高校生が乗馬体験や機械体験のコーナーをもうけていた。やすみは保育園時代の同級生たちに何人も会えて喜んでいた。僕自身は引っ越しをしたこともあって幼稚園時代の友人はいないが、やすみにとっては自分を支える仲間たちなのだろう。
   やすみが小学生になったのに伴い、地域の子ども会に入ることになった。総会があったので、僕が行ってみた。正直言ってつまらない集まりではと予想していたが、かなり熱気のある場で驚いた。当たり前かも知れないが子どもの養育に強い関心があり、なおかつヴォランティア精神もある方たちがそろっている。行事も多く、皆さん休みを都合して参加されているそうだ。あとで聞いたところでは、子ども会活動にはかなり地域差があるが、この町では盛り上がっているのだそうだ。メンバーが多彩なので、まとまっていくのは大変だと思う。懇親会にも参加したが、話していて勉強になる方が何人もおられた。美紗さんや僕も関わっていけそうだと感じた。
4/29(月) 「ジブリの大博覧会」と「恐竜キングダム」という2つの人気イヴェントに子どもたちを連れていった。すごい数の人たちが集まるので行列していて、入場するまでに2時間かかったり大変だった。でも子どもたちはよく待っていた。というか普段よりもずっと忍耐強く待てていた。価値あるもののためなら、子どもたちはがんばれるんだとわかった。子どもの人生にとって、目標があるかないかは大きい。僕が診療している子どもたちには前向きな目標を持てていない子どもたちも多く、そのためにがまんできなかったり感情が不安定になっているのかもしれない。虐待のいちばんの後遺症が前向きな未来を思い描けないことだと聞いたことがある。人間にとって目指すべきものを心に持てることは人生を左右するくらい大事なことなのだろう。

 

写真11 やすみの通学路の一部。車を避けるためにこういう細い路地を通る。

 

写真12 あさぎり町にある美容室「レッドヘア」にて。しずくの髪がモシャモシャになっていたので切ってもらう。

 

写真13 やすみが蒔いたアサガオの種から芽が出た。

 

写真14 「日本百名城 人吉お城祭り」。子どもが遊べるコーナーがたくさんあった。写真はくま川鉄道の方たちがされていたミニトレインに乗るやすみたち。

 

写真15 福岡市博物館で開かれていた「ジブリの大博覧会」。大変な混雑だったが、展示品の質が高くて満足した。優れた芸術作品は時間が経つとともにますます価値が高まっていく。

 

写真16 熊本県上益城郡で開かれていた「恐竜キングダム」。こちらも大変な人混みだったが、展示の質が高いので、待たされても子どもたちは満足していた。

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精神科スタッフの雰囲気について 2019年3月6日(水)

   精神科の医療機関にはさまざまな問題や悩みを抱えた方が来られます。幸せな方は少なく、多くは不幸や苦しみの渦中にいる方です。なので受診者は何らかの癒しを求めている方が多く、スタッフは癒しの雰囲気を作ることが求められます。
   これはいたって当たり前なようですが、実は当たり前ではありません。僕が精神科病院に勤務し出した当初の疑問は、「なんで癒しを提供する施設なのに、比較的きついスタッフが多いんだろう?」でした。その後15年目のいまに至るまで、癒しの雰囲気についてスタッフと話すことはあまりありませんでした。
   なぜそうなるのでしょうか? 1つの答えは、「診療の対象としている疾患の種類による」というものです。従来の精神科では、統合失調症の診療が中心でした。統合失調症では、状態が悪化した際には幻覚・妄想・不眠・興奮といった症状がみられることが多く、スタッフに求められることは「まずは余計な脳の刺激を減らすこと」です。脳機能の不調なときには、淡々とした関わりの方が、与える負担が少ないです。親しみや暖かみを中心とした関係をスタッフが提供しようとしても、かえって混乱を招きやすいのです。
   また統合失調症では悪化を繰り返すうちに、人間関係がおっくうになって引きこもりがちになったり、活気が低下してぼんやりしてしまったりすることがあります。その際には、スタッフに求められるのは、「少し背中を押して活動を促してあげること」になります。ただ単に癒しの雰囲気を提供するばかりでは、患者さんが何もせずに時間を過ごしてしまうことにつながりやすいのです。
   さらにごく一部の方ですが、イライラや攻撃性・暴力といった症状がなかなかおさまらない方がいます。精神科病院に長期に渡って入院される方は、どうしてもこのような安定しにくい方が多くなります。するとスタッフも優しく接するだけではダメなことが多く、場合によっては厳しくお話することが求められるのです。
   統合失調症だけでなく、従来の精神科医療で重視されてきた双極性障害・アルコール使用障害・てんかんに伴う精神症状といった疾患でも、似たような状況がありました。そういうわけで、従来の精神科医療のなかでは、緊急時に対処できるピリッとした雰囲気の方が、ゆったりした穏やかな雰囲気よりも重視されてきたきらいがあります。
   では現在はどうでしょうか? 現在では精神科スタッフが統合失調症の治療に悩むことはだいぶ減っていると言えます。理由ははっきりしませんが、世界的な軽症化がみられています。また薬剤の進歩により、昔よりも副作用の少ない飲みやすい薬が多くなり、状態が安定される方が多くなりました。統合失調症に関しては、病状の安定だけではなく、いかにして充実した社会生活(就労・経済的自立・結婚・育児など)を送っていただくかという社会的リハビリテーションの分野に重点が移ってきています。双極性障害についても状況は似ています。
   そして統合失調症については、なぜかはわかりませんが、新規の患者さんが減っています。これは病院の外来にいると顕著に感じられます。幻覚・妄想・興奮などを主訴とする新規受診者が不思議なくらい少ないのです。代わりに多くなっているのが、認知症、うつ病や不安症、発達症です。そしてこれらの疾患は脳の病気でありながらも、対人緊張・不安・ストレスなどに影響される部分が大きく、精神科スタッフは不安の軽減や安心感の提供をより求められるのです。
   ですので現在はスタッフが癒しの雰囲気を持って診療する機運が高まってきています。ですが癒しの雰囲気を持って診療することを妨げるもう1つの問題があります。それは共感の問題です。
   われわれには大なり小なり共感する能力が備わっており、それが患者さんと関わりを作る土台になります。共感できることが、患者さんの脳や心の状態を把握するためのいちばん大事な手段にもなるのです。ですが同じ共感能力のために、スタッフが患者さんの苦悩を、部分的にであれ引き受けてしまうという問題が出てきます。疲れや辛さや不安緊張を含んだ気持ちを、少しずつではあっても受け取ってしまいやすいのです。
   精神科で仕事をし始めて何年かすれば、スタッフには「患者さんとの心の距離を保って、引き受けすぎない」という心構えができてきます。それでも全く共感しないというわけにはいきませんので、徐々に不安・緊張・イライラ・焦り・絶望感・孤独といった苦しさが蓄積していく面があります。ですのでスタッフも知らず知らずピリピリした雰囲気を持ってしまいやすいのです。
   このことは、特に虐待を受けた子どもの治療で顕著になります。虐待を受けた子どもは、関わる人たちを振り回したり、心理的に巻き込んだりすることが多いです。そのなかで支援スタッフも絶望感・人間不信・無意味感などをいつの間にか持ってしまいやすいです。その子を叱っているようで、実は巻き込まれているだけということが多いのです。
   ですので虐待を受けた子どもの治療に関わる際には、こちらがゆったりとした穏やかな気持ちでいることが、決定的に重要になります。子どものことを心配したり、叱ったりしてもいいのですが、我を忘れて感情に振り回されてしまってはいけません。あくまでも穏やかさや安定感がベースにある必要があるのです。
   ですので精神科スタッフは治療のためにもゆったりした穏やかさを持たないといけません。そして自分をリラックスさせることを普段から意識的にしていく必要があります。精神科スタッフは社会を照らす明かりであるべきで、あくまでも明るい雰囲気を持つべきです。僕はいままでがんばることはしてきましたが、自分をくつろがせることは不十分でした。いまからはいかにして自分自身がくつろいで過ごせるかに注目していこうと思います。それが自他双方のためになるからです。

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2019年3月日録1

3/2(土) 美紗さんの弟一家が泊まりがけで遊びに来てくれた。子どもたちは大興奮だ。特に甥のそうちゃんは、なついてくれているのでかわいい。僕たちがよく出かけるボウリング場に行ったり、よく食べに行くネパール料理店「エベレストキッチン」に行ったりした。普段行く場所でも、違ったメンバーで行くと、全く新しい経験になる。心を許せる親族や友だちがいることは、なんと大きな財産なのだろう。一方で精神科に来られる方には孤独に苦しむ方も多く、とても気の毒に思った。
3/3(日) 美紗さんの弟一家といっしょに、観光列車「田園シンフォニー」に乗った。これは「くま川鉄道」の特別便なのだが、車内や到着する駅でいろんなイベントやサービスがある。以前くま川鉄道で通勤していたときにも、ゆったりした田園風景をぼんやり眺めるのが癒しの時間だった。人吉駅から湯前駅まで、不思議なくらいに農村風景ばかりが続いている。人吉球磨は癒しの里に向く地域だと改めて思った。
   やすみの保育園の同級生2人が遊びに来てくれた。同級生が自宅に来てくれるのは初めてで、やすみは異常なくらいにはしゃいでいた。まもなく保育園を卒園するので、やすみはさみしそうだ。人生には別れが多く、なかなかずっと続く友情は少ない。やすみもいまから苦労していくのだろう。
3/5(火) 療育を行う通所施設である児童発達支援センター「スイスイなかま」の健診に出かけた。通所する子どもたち(保育園年中や年長)の簡単な診察をしたあとに、保護者の方たちとお話した。心配として多いのは、「この先どうなっていくんだろう?」とか「将来自立できるようになるんだろうか?」などだ。僕は学生時代に起こりうる課題や成人後に起こりうる課題などについてお話した。また将来に備えるためにいちばん大切なのは、その子の得意なところや強みをできるだけ探していくことだ。発達症の子どもは得意不得意が激しいことが多く、進路選択がうまくいくかが通常以上に大事になる。その子がどんな分野に向いているのかをいっしょに探してあげるのが、親の大事な役割だと思う。
3/7(水) 吉田病院の子ども支援チームの例会で、看護師さんたちが研修会の内容を復講してくださった。「児童精神分野で働くスタッフとしての心得」(大嶋正浩)という講演だ。僕も子ども支援に関わっているので、うなずける内容が多かった。僕が受け取ったポイントは以下の通りだ。‖真種での支援が基本。∪鍵蚓鬚箍搬歌鬚鮟纏襪垢襦ケースカンファレンスを繰り返して、医師だけでなく全てのスタッフがケースの見立てを持てるようにする。ぐ緡鼎畔〇磴鯤けずに一体のものとしてとらえる。

 

写真1 人吉市にあるボウリング場「人吉スターレーン」にて。美紗さんの弟一家とボウリングをした。子どもたちも甥や姪といっしょにボウリングをしたのだが、普段よりもずっと集中が続いていた。

 

写真2〜3は観光列車「田園シンフォニー」に乗った際の写真です。

写真2 地域の電車である「くま川鉄道」の特別便になる。止まる駅で次々とイベントがある。

 

写真3 電車のいちばん前には子どもが座れる座席がある。

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2019年3月日録2

3/9(土) しずくが急に泣き出したと美紗さんから電話があった。顎が痛いようだという。僕はちょうど夜勤が終わるところだったので、かかりつけの小児科に連れていった。耳下腺の腫れはあったが、おたふく風邪ではないとのことだった。小さい子どもは急に状態が悪化しやすいから、ハラハラさせられる。
   「かかりつけ医等発達障がい対応力向上研修」に主催者側で参加した。専門医が診療してある程度状態が落ち着いた方などを、かかりつけ医にフォローしていただけるようにしたいというのが研修会の趣旨だ。背景には発達症の問題に関われる小児科や児童精神科が圧倒的に不足している現実がある。専門機関だけではパンクしてしまうので、もっと幅広い医療機関に関わっていただく必要がある。専門的な医療機関は都市部に集中していることが多いので、特に地方では診療できる医療機関を増やしていくことが必要だ。県単位で見た場合、医師の配置は大学病院の事情に左右されやすく、人々のニーズとずれてしまいやすい。僕自身はあくまでも人吉球磨の人々のニーズを優先して考えていきたい。
3/10(日) 熊本市にある「水の科学館」に出かけた。一般的な水の科学よりも、「熊本市の人たちが飲んだり使ったりする水」についての情報にしぼって展示してある。熊本市は地理的に阿蘇山に近い。阿蘇に降った雨が地下水になって、数十年後に井戸水として利用されていることがよくわかる。生活排水を川や海に戻すのにも、莫大な量の水が必要なこともわかる。水は生活にもっとも必要なもので、水の貴重さをもっと意識しないといけないのだろう。
   やすみの希望で映画『ドラえもん  のび太の月面探査記』(八鍬新之介監督、2019年、日本)を観た。「ドラえもん」と言えば、僕が小さい頃からズッと続いているアニメだ。映画もたくさんあり、僕も以前にも観たことがあるが、おもしろかった記憶がある。今回もそう感じたが、ドラえもんの映画はアニメの延長というよりも、普遍的な英雄神話になっている。ただ主人公の「のび太」が強い英雄ではなくて、「みんなが助けたくなる存在」であるところが、おもしろいところだ。人から応援されるということが、もっとも強いことなのだろう。
3/12(火) お休みどころで子どもと成人の発達症の相談を受けた。どちらももう少し早く特性がわかっていたら、もっと対策を打てただろうにと思わせるケースだった。特性を正しく把握しないと、対人職(特に営業職)など自分に向かない進路や職業を選んでしまいやすい。発達症の人は一般の人以上に得意不得意の差が激しいので、進路選択が通常以上に重要になる。人の向き不向きを考えたり、潜在力を見抜いたりする役割が、ますます重要になると思う。

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2019年3月日録3

3/14(木) 息子の響はなかなかオムツが取れない状態が続いている。オシッコはトイレでできるが、ウンチが難しい。この朝、自分から「ウンチをしたい」と言って、トイレでウンチをできた。美紗さんや僕はもちろんほめたのだが、響は非常にうれしそうな顔をした。いままで人に頼らないといけなかったことを自分でできるようになる。それは子どもにとってすごく自信になることなのだ。
3/16(土) 美紗さんの同級生2人が家族連れで1泊で遊びに来てくれた。3家族で子どもが合計8人になるので、特別な遊びがなくてもお祭り騒ぎになる。僕は初日の夜から参加したのだが、他の2人が子煩悩なパパたちなことが印象的だった。2日間ずっと子どもたちを楽しませるために行動されていた。僕なら少しぐらいは大人のためのスケジュールも取りたいと思うが、結局最後まで公園などで子どもたちを遊ばせることに終始した。それだけ大人が精神的に満たされているのだろう。
3/18(月) 「精神科スタッフの第一の仕事は、患者さんを偏見から守ることだ」。この教えは精神科で働きだしたときから胸にあった。しかし現代は精神科への理解が進んできている時代であり、この15年であまり偏見と直接にぶつかるようなことはなかった。
   ところが強い偏見に基づく排除行動をした教育機関があり、僕も抗議の電話をしてやり合うことがあった。とてもモヤモヤした嫌な気持ちが残ったが、わかったことが1つある。それは「偏見のもとには、よくわからない物事への過剰な恐怖心や拒否感がある」ということだ。あまりにも恐れるために、独断に基づく極端な排除に走ってしまうことになる。
  逆に言えば、精神疾患の特徴や対応法を人々に知ってもらえば、偏見は減ることになる。特に知識だけでなくて具体的な精神科スタッフの人柄を知ってもらうことが効果的だ。結局のところ、人々が困ったときにどの程度精神科スタッフに相談してくださるかが鍵を握っている。専門家に相談しながら対応する文化があれば、大きな偏見の発生する余地がない。僕自身は地域での啓発活動にもよく参加しているが、その大事さを改めて感じた。
3/19(火)相良村の「こころの相談」で発達症の相談を2件受けた。若い成人と高齢者のケースだった。子どもの場合と違って、成人の場合は就労・金銭管理・結婚や育児・近隣との関係・家族関係などが問題になる。うまく乗りきっていくためには、ー分の得意・不得意をよく知る、∈い辰燭箸に人にSOSを出せる、といったことが大切だ。早めに生活全体を見て支援に入る人がいれば、こうはならなかったのにと思うことが多い。
   相良村の中学1年生に授業をした。もう5年目になり、僕の話は内容が固まってきている。一方でグループワークはまだ2年目なこともあり、内容は保健師さんや学校の先生とやり取りしながら決まったものだ。うまくいくのかはわからない面があった。休日の時間をさいて参加してくださった病院スタッフが各グループに入り、生徒さんたちが議論するのをうまく促進してくれた。ストレス対処や苦しんでいる子への接し方がテーマだったが、深く掘り下げて考えてくれていた。「思いやりをもって人に接するためには、相手がどうしてほしいのかを見抜く必要がある。それはとても難しい」ということが、グループごとの発表をとおして明らかになった。中学生たちの考えが深くて、感銘を受けた。

 

写真4〜6は美紗さんの同級生2人が家族連れで遊びに来てくれたときの写真です。


写真4 ゆのまえグリーンパレス。子どもたちは草スキーをした。

 

写真5 水上村にある市房ダム湖。噴水の舞い上がった水が霧雨のようになって降り注ぐ。このあと風向きが変わって、子どもたちに水がかかった。

 

写真6 人吉市の石野公園。クモの巣を登るような遊具で、ユラユラ揺れるので子どもたちがこわがっていた。

 

写真7 春になり庭に咲く花が増えてきた。

 

写真8 響が自分なりに勉強するようになった。

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