お休みどころ

こころの相談活動を作り続ける
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台風10号について 2020年9月7日(月)


   鹿児島の病院で働いていたとき、台風対策の入念さにビックリしました。数日前から窓に養生テープを貼るのはもちろん、建物のすき間をテープでふさいだり、飛ばされそうにないものまでも固定していました。歴史的に鹿児島を含めた九州は、台風がしょっちゅう通り、物が壊されたり洪水が起きたりしてきました。その経験から、スタッフが当たり前のように、台風が近づくたびに大げさなくらいの備えをしていたのでした。
   僕が育ったころの京都では、九州で風雨を降り注いだあとの台風が来ていましたので、すでに台風の勢力は弱まっていました。台風の影響も少なかったです。僕の家族も準備は特にはしていませんでした。ニュースでは九州の台風被害を映し出していましたが、他人事でした。僕は傘をさして川の増水を見に行っていたぐらいでした。
   2003年から僕は九州に住むようになりましたが、いままでは深刻な台風は少なかったです。気候変動の影響か、台風は九州をそれて、関西・関東・北海道などで被害を出すことが多くなりました。僕が育った京都の嵐山でも、2018年に大雨で洪水が起きました。たまたまなのですが、僕は自然災害を逃れてきたのでした。2016年の熊本地震でも、幸いなことに人吉市では被害がほとんどありませんでした。
   初めて直面した自然災害が、7月4日の洪水でした。自宅は大丈夫でしたが、職場が僕の腰まで浸かりました。同僚にも自宅が被災した人がたくさんいます。患者さんも避難所生活になった人が少なくありません。もう2ヶ月になり、街並みから洪水の傷跡はかなり消えたものの、人々の生活はまだまだ復興が始まったところです。
   そこに新たな自然災害リスクが発生しました。台風10号です。これもまた気候変動の影響か、観測史上でも最大級の台風です。新型コロナウィルスの流行に加えて、洪水でダメージを受けているところに、またも災害が起こる可能性が高くなったのでした。
   台風が通過する何日も前から、同僚たちとの会話は、台風ばかりになりました。それも「洪水に被災して車を買い変えたのに、また壊れたらどうしよう?」「家も吹き飛ばされるかも」といった、不安に不安を重ねたような会話なのです。洪水が集団トラウマのようになっており、台風の怖さが増幅されるのでした。
   美紗さんと僕も、いままで台風対策は特にはしてきませんでしたが、今回はすることにしました。雨戸を引き出したり、家のまわりの物を自宅に入れたり、ヒモでくくったりしました。念には念を入れて、自宅の外には車とクーラーの室外機とガスボンベ以外はほとんど何もない状態にしました。養生テープは売り切れていますので、水やカップラーメン、そして懐中電灯を買い込みました。全然万全ではありませんが、最低限の準備はできました。
   9月6日の19時ごろから、家のなかにいてもうなるような轟音が聞こえるようになりました。玄関のドアを開けてみると、すごい勢いで風が吹き込んできます。これからはドアを開けてはいけないのだと思いました。いよいよ暴風雨の到来です。
   夜中にもビュービューいう音で何回も目が覚めました。ずっと吹き続けているわけではなくて、強く吹いて、小休止があり、また吹いてくるようです。不安でしたが、静かに待つほかにできることはありません。また眠りにつきましたが、寝たような起きたような状態でした。
   夜が明けました。まだ突風はありますが、停電はしていません。インターネットの記事を見ると、九州で何十万もの家で停電が起こっています。うちは幸いにして被災を逃れたようです。家のまわりを少し見ましたが、ガラスが割れたりもしていません。洪水も起きていないようです。
   とはいえ頭が痛く体もだるいです。台風は通り過ぎたようですが落ち着きません。胸の奥が緊張していて、深く息がつけないです。自分たちがいかに弱いのかを感じました。息をひそめて、台風が過ぎるのを待つしかないのです。
   現代は自然科学が発達し、自然をある程度コントロールできるようになったと思っていました。ですがそれは違いました。予測や情報共有は格段に進んだものの、自然災害の危険と隣り合わせで生きているという点では、昔と変わりありません。自分たちの生活がもろくて壊れうるものだと自覚する必要があります。そして普段からできる備えをしていくしかありません。
   台風については次のことが大切だと思いました。\楸畛に屋外の物をくくったり家に入れたりしないといけない。なので普段から余分な物を屋外に置きすぎない。停電のリスクが高い。懐中電灯・水・保存できる食料などが必要。9真紊篦吐箸離螢好もある。状況しだいで避難する。

 

写真1   雨戸を初めて閉めた。

 

写真2   家の外の物を玄関などに入れた。

 

写真3   庭の見回りをしていると、オクラの花が咲いていた。

 

写真4   夜中。写真には写らないが突風が吹いている。

 

写真5   朝になっても風が強い。

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初めての産山村 2020年9月20日(日)

   コロナウィルス感染症の流行がひどくなってからは、感染リスクを避けるために、旅行には行けませんでした。いまでもまだ流行はおさまってはいませんが、熊本県では4日連続で新規感染者がゼロになるなど、九州では流行は落ち着きつつあります。ちょうど9月の連休に仕事を休めることになりましたので、熊本県内の阿蘇に久しぶりに家族で旅行をしてみることにしました。
   目的はいつもどおり子どもたちと美紗さんがが喜ぶことです。ですが僕にはもうひとつ目的がありました。産山村(うぶやまむら)の下見をしたかったのです。来年2月に産山村の中学3年生にストレス対処の授業をする予定なのですが、産山村には行ったことがありません。位置的には阿蘇のさらに奥(九州の中央)になり、かなりの山村のようです。人に尋ねると「とてもとても遠い」という返事ばかりです。実際に行ってみないと距離感がよくわからないのでした。
   当日は娘のやすみの小学校の美化活動がありましたので、朝の6時半から8時まで、校庭の側溝の掃除でした。学校のために重労働を進んでする人がこんなにたくさんいるんだと驚きました。自分の子どもが学ぶ場だからこそ、親は力を発揮できるのでしょう。セメントの重たい側溝の蓋をぽんぽん開けていく人を前に、全然持ち上げられない僕は、自分の非力さを痛感していました。
   そのあと阿蘇へ出発です。熊本県の代表的な自然景勝の地であり、かつリゾート地や遊び場でもある阿蘇は、熊本地震で主要道が通行止めになってからは、観光客も減ってしまったと聞いています。たしかに迂回路は阿蘇カルデラの外輪山を大きく登って下りるルートで、時間がかかり、クネクネ道で渋滞にもなりやすく、アクセスは大幅に悪化したのでした。その迂回路を通らずにスムースに阿蘇に入れる道が、やっと来月(10月3日)に開通するそうです。そちらを通ってみたかったのですが、タイミングが合いませんでした。
   産山村へのルートは、外輪山の北側のいちばん高いところを進んでいきます。登山したときに山の尾根歩きをするような感じです。阿蘇の外輪山は野焼きで草地になっています。原野の丘が延々と続いています。標高が高く風が強いこともあって、北海道の美瑛町の景色に近いね、と美紗さんと驚いていました。身近なところに亜寒帯のような景色があったのです。
   道中に見晴らしの良さそうなところがあり、ツーリングのバイクがたくさん止まっています。僕も景色を見たかったので、止まってみることにしました。休憩所でも絶景ですが、少し歩いた先の「スカイライン展望所」に立つと、阿蘇カルデラの半分ぐらいがが一望でき、町並みがはるか下の方に見えます。巨大なクレイターのような、地球のヘソのような、異様な光景です。「ここが世界だ」「地球ってこんなに広いんだ」と息子の響が言います。
   僕は見覚えのある景色のような錯覚を感じていました。自分の人生の原点であるイギリスのハワースの荒野に似ていたのです。寒くて、風が強くて、低木しか育たないようなジメジメした草地の丘が延々と続いていて、歩いて歩いて高みに立つと一気に遠い世界が眺望できる。阿蘇はもう少しサッパリしていますが、重なる光景だったのでした。
   産山村に行くのがますます楽しみになりました。ところがやはり産山村は遠く、そこからも尾根を1時間ほど進まないといけないのでした。まさに「地の果て」です。いまは車で走れますが、昔の人たちはどんなに苦労して移動していたのでしょうか。
   産山村の「うぶやま牧場」に着いた頃には疲れていました。かなり遠かったのに、意外なことにお客さんがとても多く、レストランは混み合っていました。子どもたちは牧場のアスレチックスや動物ふれあいがしたくて、ウズウズしています。それから午後の16時過ぎまで遊んだのですが、帰りたくないと娘のしずくは大泣きしていました。
   手作り感のある遊具も、ヤギやポニーのエサやりもよかったのですが、子どもたちがいちばん興奮したのは、レンタルサイクルでした。本来は自転車で散策するような趣旨なのですが、子どもたちは自転車に乗る練習をしたがったのです。人吉市の自宅は小高い丘の一角にあり、斜面が多いので、普段は自転車に乗る機会がないのです。やすみは玉なしの自転車・響は玉付きの自転車・しずくは三輪車をそれぞれ練習しました。後ろから押していくのは僕にはかなりきつかったのですが、何往復もしていくうちに、だんだん子どもたちが自分の力で進めるようになってきます。鳥の巣立ちの練習のようです。子どもたちが「自分でできる」ようになったときには、顔がバアッと自信に輝きます。普段は泣き虫の響が、ペダルで脛を打ってそうとう痛いはずなのに、「泣かない、がまんする」と言ったのには驚きました。子どもたちが自分の持つ力を確信することには、それだけの成長作用があるのですね。
   産山村の中学校や町並みを見るはずが、結局はうぶやま牧場1ヶ所しか見れませんでした。でもそれでいいのでしょう。残りはまた授業に来るときに残します。少なくとも自分の「人生の居場所」の1つであることはわかりました。どんな子どもたちが育っているのか、会えるのがワクワクです。また来ましょう。

 

写真1   阿蘇の外輪山を登っていくと、荒野の風景になってきた。

 

写真2   休憩所から「スカイライン展望所」への遊歩道。

 

写真3   「ここが世界だ」と響が言う。

 

写真4   産山村の「うぶやま牧場」に着いた。

 

写真5   手作り感のあるアスレチックス。木が朽ちてきていたりするので、真剣に登らないといけない。

 

 

写真6   ポニーのエサやりもできる。「ヘイキューブ」という干し草を固めたものを与えている。

 

写真7   子どもたちは自転車の練習をできた。普段見ないような挑戦心が出てきてうれしかった。

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2020年9月日録1

9/1(火)   虐待を受けた子どものなかでも、性虐待を受けた子どもは、特に予後が悪いとされる。たしかに児童養護施設から僕の病院に入院になるのも、性虐待を受けた子どもが多い。対人不信感が強くなり、仲間ができずに社会的サポートを受けにくくなったり、精神疾患を合併しやすくなったり、自殺や衝動行為に至りやすくなったりする。性虐待が発生する背景として、家族メンバーに課題が多いのに、支援が入らずに置き去りにされていることがよくある。虐待の問題は児童相談所の対応力強化も大事だが、リスクの高い家族への早期支援はもっと大事だと思う。つまり虐待の予防だけでなくて、もっと広く養育困難の予防につとめるのが、遠回りのようで近道だ。
9/2(水)   水上村の教育支援委員会の面談に参加した。福祉・教育・医療の立場の調査員チームで、子どもと家族と面談し、来年度の教育支援について考える。チームの息が合うと、子どもの就学から将来の就労までを考える内容の濃い面談になる。子どもは社会の宝であり、子どもの支援は小さいうちにできるだけしておくことが理想的だ。多職種で取り組めることに、やりがいを感じる。
9/8(火)   市町村の広報誌のための取材を受けた。新型コロナウィルス感染症や洪水などの社会的ストレスが続き、精神面の不調をきたしやすい状況になっている。そこで不調を予防したり、早期発見して対策を打つためのヒントを探したい、というのが取材の意図だった。聞き手の質問が上手なので、普段考えてきたことのまとめのような話ができた。改めて思ったのだが、精神科医療は病院だけでできるものではない。地域の保健師の支援がどのくらい浸透しているかが決定的に重要だ。そして保健師に心配なケースの情報が上がるためには、地域に民生委員のような「まわりの人たちのことをよく見ていて、必要ならサポートに入れる存在」が必要だ。なので結局、精神科医療が機能するためには、地域の団結や助け合いの精神が必要なことになる。簡単なことではないが、逆にひとたび機能し出せば地域力が高まっていくことにもなる。今後はますます、地域でどのくらい困っている人たちに助けの手を差し伸べられるかが問われる時代になるだろう。
9/9(水)   療育機関の会議に参加した。新型コロナウィルス感染症や洪水・台風と予期せぬ事態が続いているが、療育機関がどのような影響を受けていて、どのような対策を取っているかに興味が湧く。今後はどの分野でも突発事態への対応力を求められるだろう。

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2020年9月日録2

9/10(木)   同僚たちとの子ども支援の勉強会があった。愛着障害の入院患者さんの治療の振り返りだったが、直接治療したスタッフ以外の意見を聞けたのがよかった。経過の見方は多様だし、患者さんとの関わり方にも「ただひとつの正解」はない。特に愛着障害の患者さんの場合には、決まりきった理論の枠組みで治療を進めることが難しく、手探りの部分が多くなる。結局のところ、支援の鍵になるのは、スタッフ1人1人それぞれの人間性や感情経験の豊かさであるような気がする。そして等身大の自分を提示できるかどうかも大事だ。
   僕も含めたスタッフも、患者さんの言葉で揺らいだり傷ついたりする。そういった生身のやり取りを患者さんは求めているのではないかと思う。ずっと傷ついてきたぶん、まわりを傷つけないと、愛着障害は回復していかない部分もあるのかもしれない。あるいはお互いをたたいたり物を取ったりする「子どものケンカや遊び」のようなやり取りが必要なのかもしれない。僕自身も患者さんの批判を受けて悩んできた。でも同僚たちから、僕ができない部分も「役割分担ですから、大丈夫です」と言ってもらえて、安心できた。僕がどれだけ頑張っても完璧なケアはできないし、する必要もない。多様なスタッフが力を合わせてこそ、十分なケアができるのだろう。
9/13(日)   久しぶりに子どもたちを映画館に連れていった。新型コロナウィルスの流行が始まってからは、映画どころか外出もままならなかったので、うれしく思う。映画館はガラガラかと思ったが、子連れのお客さんで賑わっていた。熊本県では新規感染者が日に一桁だからこれが成り立つが、人口の大きな都市部ではまだまだ難しいだろう。感染リスクを考えると、人が集まること自体が、しにくくなっている。
   『クレヨンしんちゃん 激突! ラクガキングダムとほぼ四人の勇者』(監督:京極尚彦、2020年、日本)は、落書きの大事さがテーマだった。あらゆる漫画やアニメは落書きから始まったのだろうし、人間の文化全体が遊びの創造性から始まったのだろう。遊びの大切さはいくら強調してもしたりないが、社会的な制約を受け入れながら、しかも自由であることが難しい。子どもたちが遊んでいるときのような無心さを、少しでも持つことができれば、幸せなことなのだろう。 
9/15(火)   息子が来年度から小学校で特別支援学級を利用するので、見学をさせてもらった。少人数で個別のペースに配慮してもらっての授業が行われていた。特別支援学級は、落ち着いていると、子どもの学習や生活の支援にとても有効だ。ただ家庭背景の課題や情緒面の不安定さを持つ子どもがいると、特別支援学級の学級崩壊が起こり、機能しなくなることがある。そのときこそが精神科の出番だ。学校教育のバックアップをできるようでありたいと思う。
   水上村のこころの相談に出かけた。高齢者と子どものてんかんのケースだった。てんかんに伴うかんしゃく・不眠・頭痛・ムカムカ・もうろう状態などは、早く気づいて治療しないと、まわりの人が疲弊しやすい。住民が保健師に相談し、保健師がこころの相談につなぐ仕組みは、とても有効だ。

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2020年9月日録3

9/16(水)   子どもたちが飼いたがったので、うちにはカエルが7匹いる(おそらくアマガエル・ツチガエル・トノサマガエル)。カエルたちのエサになる虫を、朝の散歩で捕まえる。初夏の頃はダンゴムシや小さなバッタ、シデムシなどが多く、簡単にたくさん捕まえられた。ところが夏の終わりになってくると、虫の数がめっきり少なくなった。たまたま家で育てているオクラにイモムシがいっぱいいて、葉を食べてしまい困っていたので、カエルに与えてみた。するとカエルの前に置いたとたん、食べつくような状態で、次々食べてくれる。以前はオクラにイモムシがついているのを見るのが苦痛だったが、いまでは楽しみにイモムシを探すようになった。カエルは両生類で感情などはほとんどないと思うが、なついてくるとかわいく感じる。
9/21(月)   熊本県阿蘇市にあるふれあい型の動物園「カドリー・ドミニオン」に行った。新型コロナウィルスの流行があり長期間行けなかったが、混み合っていた。熊本県内の新規感染者がゼロになり、急に客数が増えたそうだ。アトラクションは混んでいてあまり利用できないので、ヘリコプターに乗ることにした。やすみ以外の子どもたちには初めての経験だが、僕よりもずっと怖がっていないのに驚いた。子どもは適応が早い。いまからは僕の方が子どもたちについていけなくなるのだろう。
9/22(火)   「阿蘇ファームランド」には体を動かす遊びがたくさんある。子どもたちは午前中に難しいアスレチックスを体力の限界以上にやって、泣いたりぐずったりした。でもしばらく休むと、また午後には体力トレーニングに打ち込んでいた。子どもたちは遊びとなると、どれだけでもやれる。強制されればできない。子どもの教育法はいろいろあるが、いかに「遊びの感覚」を取り入れるかが最大のポイントなのだろう。
9/29(火)   美容室「レッドヘア」に出かけた。美容師の林田直樹さんが静かに仕事をする一方で、お母さんの咲子さんは場に明るさをもたらしてくださる。咲子さんにはお会いする度に、人柄の高貴さに驚かされてきた。でもあまりにも気さくで話しやすいので、どこがどうすごいのかを説明するのが難しい。ただわざわざ説明する必要もないのかもしれない。身近な人を支えたり励ましたり、苦しみがあれば寄り添う。ほんとうの「癒し人」である人は世のなかのあちこちにひっそりといるはずだ。そういう人は自分を偉いとも思っていないし、当たり前のことをしているだけだと思っている。咲子さんも時間のある限り、そういう風に生きていかれるのだろう。

 

写真1   阿蘇市にある公園「阿蘇内牧ファミリーパーク あそ・ビバ」にて。デザインがすばらしい。

 

写真2   阿蘇市にある動物園「カドリー・ドミニオン」にて。ヘリコプターで阿蘇山の火山の火口を見れる。

 

写真3   阿蘇市にある健康のテーマパーク「阿蘇ファームランド」にて。子どもたちは体力の限界を越えても遊ぼうとする。

 

写真4   あさぎり町にある美容室「レッドヘア」にて。咲子さんは場に明るさをもたらしてくださる方だ。

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ストレス対処についての授業 2020年8月5日(水)

   中学校での授業を依頼されたのはもう4、5年前でしょうか。あさぎり町のあさぎり中学校が最初でした。あさぎり町は5つの町村が合併してできた町です。小学校は元の町村ごとにあって小規模なのに、中学校が1つにまとまったので大集団になり、なじみにくい子どもたちが多くいました。そこでストレス対処の授業をしてもらえないかというのが当初の依頼でした。
   あさぎり中学校ではたしか2、3年度に渡って授業をしたと思います。ストレス要因とストレス対処について、理論的な枠組みをもとに資料を作りました。ただ「大人には興味深いが、子どもたちの悩みには直接響かないのでは?」という現場のM先生の意見があり、内容を大幅に変えました。「児童精神科ってどんなことをしているの?」というタイトルにし、小・中学生の精神科受診者によくみられる疾患を伝えることにしたのです。ストレス対処というのは抽象的なテーマですが、子どもがなりやすい精神科の病気と対策というのはより具体的ですし、僕の日々の仕事そのものですので話しやすいのでした。
   授業をする中学校も増えました。湯前町にも1度行かせてもらいました。相良村・山江村の中学校には継続的に行かせてもらっています。また相良村の中学校では2コマ時間をいただき、グループワークもできるようになりました。最近では五木村の中学校にも呼んでいただきました。
   転機になったのは、熊本県の産山村(うぶやまむら)の役場の方から中学校の授業の依頼を受けたことです。産山村については僕も知らなかったのですが、阿蘇からさらに奥(大分県より)にあり、人口が1000人台の小さな村とのことです。役場のTさんが企画してくださったのですが、村には高校がないので、子どもたちが中学を卒業すると出ていくことになるので、そのときにストレスとうまく付き合っていけるようにアドバイスしてほしい、といったことが依頼でした。
   そうなると、ストレス対処とかSOSの出し方が授業のテーマになります。僕にとってはスタートに戻った感じですが、もう一度資料を作り直してみました。いままでの資料も活かしつつ、SOSを出すことの難しさや、精神的な不調の予防のために身につけてほしい能力といった話題も取り上げました。
   結局学校の先生方が望まれているのは、精神疾患の予防法を子どもたちに伝えることです。精神疾患の予防法は確立したものはありませんが、僕が自分の診療経験を通して言えることだけでも伝えられればと思います。考えてみれば精神疾患がこれだけ増えた現代では、精神科的な予防法や健康法も、一般教養に近い必要性があるのでしょう。精神の安定化作用のある事柄を探し続け、それを伝えていくのが僕の役割なのかなと思いました。

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愛着の問題について話す 2020年8月17日(月)

   子どもの精神科診療をしていると、なかなか治療がうまくいかないケースに多く出会います。どうにか診療のめどが立たないかともがいてきましたが、そのなかで、発達症・てんかん・愛着の問題の3点に注目することがポイントになることがわかりました。細かい症状まで考えると無数にバリエーションがあるのですが、診療に最低限の秩序をもたらすには、この3点のケアが中心になるのです。
   極端なかんしゃく・暴言・暴力・器物破損・気分変動・自殺行動・不眠などは、てんかんのコントロールをはかることで、ある程度減っていきます。そのあとに目立ってくるのが愛着の問題で、この改善には時間がかかります。地道な信頼関係作りや、集団のなかでもまれながら考えてもらうこと、過去の振りかえりや未来に向けてのイメージ作りなどをしていくなかで、少しずつ自己像が変化したり、感情コントロールが上手になったり、対人交流が安定したりするのです。
   ただ愛着の問題は軽度から重度まで幅が広く、また症状も多彩なので概念化しづらい面があります。さらに関わる相手に応じて症状が変化するので、支援するスタッフの間で意見が割れて混乱しやすいです。さらに子ども本人の問題というよりも、家族の問題や養育環境の問題が中心ということも多く、家族や学校などにはたらきかけていかないと前進しないこともしばしばです。ケースによっては施設入所が求められるなど、そもそも医療だけで解決できる問題ではないのです。
   そういうわけで愛着の問題は客観的に説明するのが難しく、僕もいままで講演で中心的に取り上げることはありませんでした。コツのような形でなら伝えることができるのですが、体系的な記述になじみにくいのです。また症状の悪化や回復を示す客観的な指標に乏しく、主観的な印象で語る形になってしまい、独りよがりとなりかねない不安があるのでした。
   ですが愛着の問題について話さないといけない機会がやってきました。湯出(ゆで)小学校のセミナーに招かれたのです。熊本県水俣市にある湯出小学校は児童擁護施設「湯出光明童園(ゆでひかりどうえん)」のそばにあるのですが、地域の子どもが減ってきた結果、湯出光明童園の子どもたちが生徒の大半を占める状況になっています(現在でも6分の5)。入所している子どもたちは愛着の問題を抱えていることが多いので、学校の先生たちも愛着の問題について学ばざるをえない状況があるのでした。セミナーでも愛着の問題をテーマにしてくださいと依頼されました。
   ただ愛着の問題だけではわかりにくくなると思い、虐待事案や多問題家族の支援をテーマにして、そのなかで愛着の問題も扱うことにしました。過去の講演資料に加筆して作ろうとしたのですが、結果的にはほとんど新しく作ることになりました。新しいことを話すときにはいつもそうですが、時間配分がうまくいくかとか、聞き手の反応があるかとか、いろいろ心配になります。ですが担当の湯出小学校のM先生が非常に熱心で、たくさんやり取りをしながらの作業でしたので、会が盛り上がるのだけは間違いないとわかっていました。
   緊張する一方でとても楽しみでもあったので、前の日も眠りにくく、当日も朝早く起きました。先月の洪水のために通常通る国道219号線が通りにくいと予測されましたので、鹿児島県の伊佐市を経由するルートで湯出に行くことにしました。1時間半くらいかかるようでしたので、2時間前に出発しましたが、ちょうど1時間半で着きました。
   セミナーには小学校の先生たちと、湯出光明童園の職員さんたち、そして地域の支援者が、全部で20人ほど参加してくださいました。皆さんの聞き入る真剣さがすごく、こちらは話しながら次々と余談を思いつきました。いつも思うのですが、成功する講演は即興演奏のようで、事前の資料に加えて当日その場で生まれた話が多くなるのです。
   質疑応答でも参加者からいろいろな意見が出ました。思い出せる質問には以下のものがあります。,覆宍埖圓鮗けた子どもは性的行動に走りやすくなるのでしょうか?(→まだわかりませんが、記憶の問題に関連しているのではと推測しています。人間の脳の特徴は記憶と情動が強くつながっているところだそうで、おそらく記憶の問題が情動の問題に波及するのかもしれません)。間欠爆発症の診断とてんかんの診断の関係は?(→精神科的な診断は、現時点では検査所見よりも心理・行動面の症状で分類されています。ですので精神科的にはうつ病と診断されていても、その背景に脳炎などの脳神経系の疾患や身体面の病気が隠れていることもよくあるのです。同じように精神科的に間欠爆発症と診断されていても、背景にてんかんが隠れていることも多いです)。てんかんの診断はどのようにしますか?(→特徴的な臨床症状のていねいな聞き取りが基本であり、さらに脳波で異常所見を確認します。ですが明らかなてんかん発作が複数会起きているような場合など、治療を優先する場合もあります)。と達症の診断の告知はどのようにしますか?(→基本的に全員に診断時に伝えています。医師の考えを伝えることよりも、本人が自分の特性を知って、将来生きやすくなることを目標にしています。子どもにだけ関わっていると、「病名のレッテル張りをして本人のためになるのか?」という疑問が浮かびますが、成人の支援をしていると、「診断をきちんと伝えられていたら、こんな苦労はせずにすんだのに・・・」と残念な思いをすることが多く、診断告知は本人のためにきわめて重要だと感じます。社会的なサービスを受けるためにも診断は大事です)。ザ淑海祁磴靴暴れたり泣きわめいている子どもへの対応は?(→クールダウンできる環境を作って見守るのが基本です。ですが自傷他害の危険がある場合には制止することも必要で、精神科スタッフはCVPPPを学んでいます。ですがそもそもそこまで病状が重い子どもを施設の人員体制でみていくことには無理があります。本人やまわりの子ども、スタッフがケガをしうる状況なら精神科への入院を勧めます。本来なら医療機関と施設が合体したような支援の場が必要です)。
   質問からは現場の状況の深刻さが伝わってきます。施設に入所した子どもは手厚くケアされますが、それでも落ち着かないことも多いのです。今後は医療機関ももっと施設と連携して、不穏の強い子どもたちの支援に当たるべきでしょう。そして学校と支援と医療機関がつながりあってこそ、子どもたちの安定と成長に寄与できると思うのです。

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2020年8月日録1

8/2(日)   医療現場に限らないが、仕事ではうまくいかないことが多い。業務量が多くて手が回らなかったり、治療の効果が出なかったり、見立てが間違っていたり、医療ミスが起こることもある。その際に大事なのはいかに早く率直に謝れるかだが、これが難しい。特に僕は負けず嫌いな性格が強く、言い訳がましい謝り方になってしまい、かえって逆効果になりやすい。自分にできることと、頑張ってもできないことを見極め、できないことについては頭を下げることが、何よりも必要なことだ。謝ること・SOSを出すこと・人を信頼して役割分担をすること、これらはひとつながりになっており、全てが僕の課題だ。
   患者さんから「精神科の基本に戻って学び直したら?」と批判されることがあった。しばらくは意味がわからなかったが、こういうことかも知れない。
   もともと僕は心の相談活動をするところから出発している。相談活動とは、相手の悩みに対して的確にアドバイスすることでもあるが、その前にまずは相手の悲しみや苦しみにしみじみと共感することであるはずだ。ところが病院で共感困難な重症の方と接したり、せき立てられるように仕事をしているうちに、いつの間にか相手の話を聞き流して要点のみに応答するスタイルになってしまっている。もう一度振り出しに戻って、ゆったりと相手の語りに耳を傾けることをやるべきだ。いくら時間がなくても、少なくともしようと意識すべきだ。
   またこういう意味かも知れない。僕は患者さんの心に寄り添うべき精神科の仕事をしているのに、悲しみの感情がわからない。いつの間にか抑えてしまっていて、自分が悲しいときにもじんわりと悲しむことができず、まるで悲しくないかのように気持ちを切り換えてしまう。なので患者さんが悲しいときにも寄り添うことができない。なぜ悲しめないのかをすなおに表出すべきではないのか?
   愛着の問題のある人は、こちらの弱点を鋭く見抜いて突いてくるところがある。僕の場合、共感性の低さなのだろう。すなおに指摘を受け取って、悲しみの情感を耕していくべきだ。
8/4(火)   役場職員の方たちも災害対応で疲弊しており、精神的に不調をきたす方もある。災害が起こると、一時的には張りつめて対応できるが、だんだんエネルギーが切れてくる。洪水から1ヶ月が経ったいまごろから、落ち込んだりぼんやりしたりする人が増えてくるはずだ。精神科は災害の直接支援にはあまり関われないが、後方支援のような形では関われる。いまからが勝負だ。
8/5(水)   五木中学校でストレスとのつきあい方の授業をした。ストレス対処はSOSの出し方と深い関連がある。そしてSOSを出せるかは、弱みを見せることとつながっている。結局のところ、勇気を出して自分の弱みを開示する練習が、ストレス対処の核心にあるのではないかと思う。難しいことだが、ぜひ子どもたちに学んでほしいことでもある。子どもたちが自分なりのストレス対処法を考えていることがわかり、うれしかった。

 

写真1   あさぎり町にあるカフェ「La・Porta(ラポルタ)」。アートのセンスのある人は物の配置でどんな空間でも美的にしてしまうことがわかる。

 

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2020年8月日録2

8/6(木)   人吉市でも再度新型コロナウィルス感染症による死者と感染者が出た。病院も感染対策が強まった。僕もほとんど全て予定(旅行・講演など)をキャンセルせざるをえなくなった。感染対策というのは地道な保清や外出制限などが大事で、理屈は簡単だが実行は大変だ。新型コロナウィルス感染症の実態がわかるためには、年月がかかるだろう。在宅生活を基本とする社会というのは、どんな社会なのだろう?意外と昔の暮らしに近いかも知れず、歴史にヒントがありそうな気がする。
8/9(日)   ストレッチポールは何年か前に美紗さんが買ってくれた柔軟運動の道具だ。ストレッチポールの上に仰向けに横たわって、手や足を動かすことで、肩甲骨や骨盤をやわらかくできる。一時期は毎日使っていたし、最近でも週に1〜2回は使っている。最初に感じた劇的な効果は感じなくなったが、やはり心のストレスをほぐす作用は大きいと思う。
   ふと思い立って、ストレッチポールの使い方を検索してみた。するとさまざまな動き方が紹介されている。多くは僕が数年使っていても思いつきもしなかったものだ。そして僕の弱点である骨盤まわりをほぐす動きが予想外にあった。やはり自分だけで試行錯誤することには限界がある。試行錯誤しながら、一方で人から教わることが大事なのだろう。
   水上村の金崎三重子さんのお宅に遊びに行った。三重子さんは商店をされていて、僕が水上村に住んでいたときに郵便配達に来てくださっていた方だ。話しかけやすい人柄なので、いつも誰かが訪ねてきている印象がある。地域のおばあちゃんたちと「おたけさん まんじゅう」を作ってもいる。最近はなかなかお訪ねする機会がないが、会ってみればいつものほがらかな三重子さんで安心した。子どもたちはお宅のなかをドタバタ走り回って遊んだので、物が壊れないか心配だったが、三重子さんは全く気にしない。むしろうちの子どもたちがケガをしないかを心配していただいた。親しみやすさ、思いやり、人とつながる力、忍耐心などさまざまな徳を備えておられるが、あまりに「当たり前」な感じでおられるので、こちらが意識しにくい。ほんとうに偉い人は飾らないので、言葉になじみにくいところがある。
8/11(火)   山形市に住む齋藤幸子さんがブドウを送ってくださった。幸子さんは自身が山形の豪雨で最近まで避難していたのに、こちらを気づかってくださり驚きだ。幸子さんは人生の大先輩であり、「こんな風であれたら」という僕の理想になっている。ご病気もたくさんされているが、精神的な生命力を感じる。8月6日にいただいたメールも祈りのようだった。「今晩は 今日は 広島へ原爆が 投下された日ですね わたしは 小学三年生 びい29が 頭上を飛んでいくときの恐ろしさをいも 忘れられません 山形も 飛んだのです 戦争のない地球にしたいと 祈ります 少しでもながくいえが 無事だといいです ご心配いたたいて ありがとう😊ございます 暑い毎日 やすみちゃんたち みんなでお元気で ありがとう😊ございます!!」。

 

写真2   ストレッチポール。いたってシンプルなものだが、体ほぐしには強力な道具だ。

 

写真3   水上村の金崎三重子さん宅のそばのせせらぎで魚をとろうとする子どもたち。

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2020年8月日録3

8/12(水)   最近は医師としての責任の重さを感じる。僕の気力や体力には限界があるが、受け持ちの患者さんはどんどん増えていく。いつかは破綻することが目に見えているが、止めることは難しい。新規の患者さんを診療するペースを減らせばいいが、そうするといまでも受診3ヶ月待ちなのに、さらに長くなってしまう。突発的な緊急ケースもあり、それは診ないといけない。一方で自分の限界を越えてやり過ぎると、ミスや事故につながる。自分のコンディションを良く保ちながら、生産性も上げる。バランス能力が求められている。 
   美紗さんの友人Kさんが子どもを連れて遊びに来てくれた。いっしょにピザ屋さんである「ファーマーズカフェ 咲莉(さくり)」に出かけた。お店の人が手作りのピザ釜に薪をくべ、ピザを焼く工程に、子どもたちは食い入るように見入っていた。Kさんもわが家と同じく3人の子育てをしているが、肩に力の入らない自然体でこなしておられ、すごいと思う。子どもたちがどのぐらい伸び伸びしているかを見れば、親の包容力が見える。また子どもたちがどのぐらい「それぞれに個性的」であるかも、子育ての仕方を反映すると思う。
8/15(土)   娘のやすみは人吉市の絵画教室「アートラボ」に通っている。毎週土曜日にレッスンがあるので僕は見に行けなかったが、休みだったので初めて行けた。教室というよりも工房に近く、師匠が製作する傍らで弟子が学んでいく雰囲気がある。子どもたちを単なる生徒として扱うのではなく、「自分たちと同じく創作する人」と見なして指導されているのが伝わった。芸術には肩書きをはぎとりその人そのものにする作用があるのだろう。
   アートラボで指導者の息子さんと話すなかで、ヴィクトール・E・フランクル(1905〜1997、精神科医・心理学者)の話題が出てきた。僕も一時期フランクルの本を何冊か読んだが、忘れてしまっていた。フランクルの主著は『夜と霧』(原著は1946年発行、日本語訳が複数あり)で、これはナチスドイツの強制収容所に送られたフランクルが生還するまでの記録だ。名前で呼ばれることもなく、存在が「囚人◯◯番」と記号化され、強制労働に明け暮れながら、ただ死ぬ順番を待つだけの日々。生きる意味を徹底的に剥ぎ取られたうえでも人間は生きる意味を見いだせるのかがフランクルの基本的な問いだ。
   フランクルの意図とは違うと思うが、深刻なトラウマを抱える人は「生きる意味を見いだせないこと」に苦しむ。治療する側も「はたして生きる意味などあるのか?」と不安になる。フランクルはどんな人生にも生きる意味は見いだしうると言う。僕たちも自分なりの答えを見つけないといけないのだろう。 
8/16(日)   娘のやすみが行きたがったので、錦町にある「山の中の海軍の町  にしき  ひみつ基地ミュージアム」に出かけた。地下施設と聞いていたので、地下室に入るのかと思っていたが、全然違った。ミュージアムの場所は資料が置かれているだけであって、見学の中心はフィールドワークだ。車で少し移動すると、田園風景の一角に洞窟のような場所があり、そこが戦争中は魚雷調整場だったと説明される。なかに飛行機があったり魚雷があったりしていた様子が、資料でわかる範囲でだが聞ける。身近な風景のなかに軍事施設があったと知ると、風景が一変する。戦争がすぐそばにあったことがわかる。

 

写真4   錦町にあるピザ屋さん「ファーマーズカフェ 咲莉(さくり)」。手作りの窯で焼かれたピザは香ばしい。

 

写真5   息子の響は療育センターで教わったノコギリ切りをしている。子どもの作業療法はあらゆる動きをトレーニングの素材にしている。

 

写真6〜9は錦町にある「山の中の海軍の町  にしき  ひみつ基地ミュージアム」で撮った写真です。


写真6   建物から車で少し移動すると、道端に洞窟のようなところがあった。

 

写真7   戦時中は軍事施設であった。このような手堀りのトンネルのなかで作業が行われていた。

 

写真8   魚雷の調整場であった。魚雷はかなり重そうで、コントロールも難しそうだ。

 

写真9   ミュージアムから見た周囲の風景。とても平らなこと、地理的な特性、風がよく吹くことなどから飛行場が作られたそうだ。身近な風景が戦場の風景に変わって見えてくる。

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