お休みどころ

こころの相談活動を作り続ける
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若い人と話す 2016年12月24日(土)

  子どもの診療を始めたために業務が増え、休日の講演や相談も多くなりました。最近は業務をこなすだけで精いっぱいといった日常で、読書もなかなかできていませんでした。家にいる時も子どもたちと過ごしていると知らず知らずのうちに時間が過ぎてしまいます。
  そんなあわただしい日常のなかに、ゆっくりとかみしめて考えるような時間が舞い降りました。若い友人K君が遊びに来てくれたのです。高校生の人とじっくりと話す機会はふだんはほとんどないです。また勉強だけでなく生き方においても真剣に取り組んでいる人でしたから、話していて楽しかったのでした。
  K君が悩んだり考えたりしている話を聞きながら、僕はそれに近い本を書庫から取り出してきました。相手のイメージしていることや願いに近い本を見つけてきて勧めるのが、僕の癖なのです。K君には3冊の本を持ってきましたが、それでもK君の問いかけは続きました。4冊5冊6冊と僕の持ってきた本が積みあがっていきました。いろいろ持ってきたのですが、ピタッとかみ合うのがなかったのです。
  最終的に見つかったのが、『会話を楽しむ』(加島祥三著、岩波新書、2004年)という本です。これは僕が故・上島聖好さんに勧められて読んだ本で、読んだのはおそらく14年くらい前ではと思います。楽しい会話のタンタン弾みながら進んでいく感じや、「楽しかったという気持ちだけが残って内容は忘れてしまっている」ところなど、なるほどと思うところが多かったでした。また「こんな深い会話を持ちたいなぁ」と憧れたことを思い出します。
  自分が人生の先輩からもらった本を、こんどは自分よりずっと年下の人に渡すのですから、バトンリレーのような感じです。僕はいままでは人生の先生たちから教えをいただくばかりでしたが、今度は自分が手渡していく番なのだなぁと感じました。普段はほとんど使わずに物置のようになっている「ブック・ルーム」ですが、これからは若い人に活用してもらうための「知恵の貯蔵場」にしないといけないですね。
  僕自身の人生のステージも変わったんだと思いました。学び続けるということはいっしょですが、これからは学んだことを伝えるということも意識しないといけないですね。K君にはいろいろ教えたつもりでいて、実は僕自身が教わったのだと気づきました。
  若い人の探求心には勢いがあるので、僕も引っ張ってもらって考えを深めることができればと思います。それが狭いとらわれのなかにある僕自身を教育することなのでしょう。自分の欠点や短所に気付いていくことに鍵があるのだと思います。以前は僕は欠点を隠そうとしていたのに、いまごろになって今度は自分の欠点を探そうとしているのですから、おかしなものですね。

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思春期支援のポイントのメモ書き 2016年12月25日(日)

  子ども支援の仕事をするなかで、支援のポイントの見取り図のようなものがほしくなりました。自分や仲間のためのメモ書きです。航海をする場合の海図のようなものかもしれません。細かいことではなく、大まかな方向を決めるためのものです。以下に書くものはその最初のヴァージョンで、簡単なものです。今後経験を積みながら書き足していきたいと思います。

●原則
〇劼匹發牢靄榲に成長のための力を持っている。
適切な環境を整えれば、自然と状態は改善していく。
成長を邪魔する要因を取り除くことに力を入れる必要がある。

●支援のテーマと関連するキーワード
\鎖西態の安定
    発達症 不登校 引きこもり ゲーム依存 反応性愛着障害
仲間体験が必要
    エリック・エリクソンの発達課題 退行 ギャング・エイジ 集団力動
親離れ・子離れ
    思春期心性 甘えながらの反発 投影 支援者の巻き込まれ体験
づ亶察進路
    支援員 通級指導教室 特別支援学級 特別支援コーディネーター 別室登校
  夜間登校 通信制高校 フリースクール 多良木学園
コ杏機関との連携
    スクールカウンセラー スクールソーシャルワーカー 保健師 療育 放課後等デイサービス 計画相談支援員
  福祉課 子ども対策課
Φ埖團院璽垢悗梁弍
    疑わしい場合はまずは福祉課に通報 要対協で関わっていく 児童相談所が介入できないケースが大半

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2016年12月日録1

12/3(土) 錦町保健センターで開かれた「球磨圏域 親の会 合同研修会」に参加した。保健所と球磨地方の発達症の親の会の皆さんが主催したもので、療育とはどんなものなのかがテーマの講演会だった。話されたのは楠本敬二さん(熊本県こども総合療育センター 地域療育班 療育長)で、理学療法士の立場から熊本県内の療育機関の指導や育成に当たってきた方だ。
  印象的だったのは楠本さんの話し方だ。ゆっくりと、はっきりと、そして相手を傷つけないように細心の注意を払いながら話される。これは楠本さんが意識的にされているというよりも、長年の経験から自然と身についてしまったものなのではないかと感じた。療育の現場に来る子どもたちは、文章理解が苦手だったり、気が散りやすかったり、対人交流が苦手だったりする。そういった子どもたちと接するなかで、あみだされてきた「伝わりやすい話し方」なのだろう。
  大人を相手にする精神科医ももちろん「伝わりやすい話し方」を工夫する。だが小さい子どもへの言葉とは質的に違うと感じた。ゆっくりと、イメージしやすい内容を、繰り返しを含みながら話していかれる感じだ。僕も子どもの診療をすることが増えてきたので、今後は語りかけ方を学んでいきたいと思った。
12/4(日) 人吉市にある多目的アートスペース「ひとよし森のホール」(〒8680058熊本県人吉市駒井田町190-6、電話0966224007、ウェブページ)で開かれた「アンパンマンコンサート」に参加した。熊本の震災復興支援の一環として、演奏家集団である「森田良平ストリングス」が来てくださったそうだ。この日はヴァイオリン2、ヴィオラ1、コントラバス1という編成だった。アニメ「アンパンマン」の曲を中心に、子どもたちにも聞きやすい曲が演奏された。
  すばらしいと思ったのは、乳児から入場可能で、しかも子どもたちが自由に過ごせたことだ。床に寝っ転がる子もいれば、走り回る子もいる。なかには前に行って演奏者の服に触る子どももいた。それでも演奏者の皆さんは笑顔で楽しそうに演奏しておられた。はじめっから動き回る子どもたちを想定されているのがわかった。ずっと椅子に座ってのコンサート鑑賞は、小さい子どもには難しい。「何をしてもいいよ」という雰囲気のあるコンサートがあるのは非常にありがたいことだと思った。
12/6(火) 美紗さんの実家に行った際に、美紗さんのお母さんといっしょに鹿児島市内に出かけた。大都市は子どもの遊び場が充実しているので助かる。やすみは水族館に行きたがっていたので、2日続けて出かけたのだが、残念ながら年に1回だけの掃除のための4日連続休業だった(早めに教えてほしかった)。代わりに公園や観覧車、動物園に行った。子どもの遊び場というのは子ども以外にはあまり役に立たなさそうだが、意外と大人が楽しんでいる。あまりに「有用なもの」ばかりに囲まれて暮らしていると息が詰まるので、「無用なもの」である遊び場が、大人にとってもほっとできる場所なのだと思う。

 

写真1〜2は「アンパンマン コンサート」の際に撮った写真です。「ひとよし森のホール」で開かれました。


写真1 コンサートのなかでコントラバスを弾かせてもらう子ども。

 

写真2 演奏会のあとで、僕も弾かせてもらえた。弦に軽くさわるだけで音が出るので不思議だった。

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2016年12月日録2

12/13(火) 水上村・湯前町・多良木町は合同で「認知症初期集中支援チーム」を運営している。「なかなか小規模な自治体での認知症初期集中支援チーム設置が進まない」との動機で、厚生労働省の方が視察に来られた。いわゆる官僚かと思い「話しにくそうだな」というイメージを持っていたが、実際に来られたのはもともと保健師の方たちで、話しやすくて安心した。
  認知症初期集中支援チームが機能するためには、いくつか条件があると思う。/邑規模が適切であること。あまりに人口が多いと、件数が多すぎて混乱する。その一方であまりに少なすぎると、会議を開いてもケースが上がらずという状態になってしまう。僕たちの経験からすると、1万人〜1万5千人程度は少なくともあった方がいいのではないかと思う。それ以下の市町村も多いが、ぜひ合同でチームを作るという方向で進めていただきたいと思う。▲繊璽牋のメンバー同士が互いに敬意を持っていること。最低限の構成メンバーは社会福祉士・保健師・医師だが、似ているようで業務が全然違う。特に医師は地域支援に関わらない限り、なかなか保健師や社会福祉士の役割について知る機会が少ないと思う。チーム員研修は医師には必須ではないことになっているが、ぜひチーム員といっしょに研修に参加して交流を深めてほしいと思う。0綮佞仕切り過ぎないこと。医師の頭の中には基本的には「症状把握⇒検査⇒診断⇒治療」という流れがあり、これを暗黙の前提としてしまいがちである。でも地域で支援活動に当たってみてわかることは、「いろんな角度からの情報収集⇒いろんな角度から意見を出し合っての検討⇒多方向からの支援⇒結果的に事態が改善する」というのが実際の流れであることだ。医療モデルにくらべて「あいまいな事態にいろんな角度からアプローチすること」が重要になってくる。この点をよく頭に入れておかないと、医師の前で他のメンバーが誰も意見を言えないという状態になってしまう。っ楼茲隆慙機関の協力を得られること。初期集中支援チームの狭い意味での目的は「適切な支援につなぐ」だが、広い意味での目的は「地域の関連職の連携を強め、全体としてより質の高い支援を提供すること」にあると思う。地域全体が育っていくことを目指して、チーム員が動くことが大切だと思う。
  同年代の友人たちとの小さな食事会が4年前に始まった。ちょうど娘のやすみが産まれる頃だったので、「やすみ=ジャスミン」ということで「ジャスミンの会」という名前になった。友人たちの尽力でいまなお継続・発展し、大きな食事会になっている。初期のメンバー間で必ずしもたくさん話すわけでもなく、ゆるい集まりなのだが、僕にとっては貴重な異業種交流の場となっている。特に教育現場の人たちと話せることがありがたい。
  今月のジャスミンの会のなかでやすみの4歳の誕生日も祝ってくださった。やすみはケーキのろうそくを吹き消したり、プレゼントをいただいたりして興奮していた。家族でもお祝いはするのだが、家族以外の人たちからのお祝いの方がやすみにも深く届くようだ。子どもは両親だけでは育てられない。関わってくれる仲間がいることはほんとうにありがたいことだと思う。
12/14(水) 美紗さんのかかりつけの産婦人科である「河野産婦人科医院」に出かけた。おそらく男の子か女の子かがわかると聞いていたので、ドキドキした。結果は「ほぼ女の子でしょう」とのことだった。以前から美紗さんと「女の子だったら名前はしずくちゃんにしよう」と決めていたので、この瞬間にしずくにすることが決まった。生まれてくる2017年の5月からは、家のなかがいっそう散らかりそうだ。
  仲間たちと療育について話し合う場があるのだが、地域の療育機関のセンターのようなものを吉田病院で立ち上げてもいいんですよと教えてもらった。僕は療育分野には素人なので詳しくわからないが、発達症の症状が強いケースや精神症状の重なっているケースなどでは、精神科病院に療育機関がある方が対処しやすいだろう。漠然とした願いに過ぎないが、「いつか療育センターも作りたい」と心から思った。
12/18(日) 娘のやすみは「さざなみ保育園」に通っている。やすみの初めての「お遊戯音楽発表会」があった。やすみは4月に登園を始めたころ、親から離れるときに泣いていた。また大勢人のいる場で泣くこともあった。「対人緊張が強いのかな?」と思ってきたので、そんなやすみが大勢の観客の前ではたして演技できるのかが心配だった。
  でも実際に見ると、他の子よりも緊張していない感じで歌や踊りをしていた。舞台のうえで演技するのには向き不向きがあると思うが、比較的向いているのだろうと思う。僕は「意外だなぁ」と思ったのだが、隣の美紗さんはやすみの成長にただただ感動しているようだった。まわりの子は一切目に入らず、やすみの動画を撮影するのに必死だったそうだ。同じ親でも、子どもへの思いの深さには大きな違いがあるなぁと感じた。

 

写真3〜4はあさぎり町にあるハワイアンカフェ「525CAFE」(8680408熊本県球磨郡あさぎり町免田1694-17、電話0966451512)で撮った写真です。


写真3 外観。白さが目に留まる。

 

写真4 なかはまさに異国。小さいものにまでこだわって店作りをされている。料理もとてもおいしい。

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2016年12月日録3

12/20(火) 息子の響の1歳8カ月健診があったので、美紗さんと人吉市の保健センターに出かけた。普段幼児と触れ合う機会が少ないので、息子と同じくらいの年頃の子どもたちがどんな感じなのかを知る貴重な機会でもある。ボールを追いかけたり、歩き回ったりして遊ぶ子どもたちを見ているのは楽しかった。「まだ子どもどうしで遊びあう年齢ではなく、基本的には個人個人で遊ぶことが多い」ということもいまでは知っているが、長女のやすみのときには知らなかったので、「対人交流しないんじゃないか?」と心配したことを思い出した。
  検査は医師や歯科医の診察のほかに、精神発達をみる保健師さんの検査もあった。木のキューブを積み重ねたり、枠に丸い板をはめ込んだりする。響は普段は全くしたことがないのに、意外とよくできた。ただできなかった子どもの親御さんは心配そうだった。日常生活とかけ離れた検査の活動を、急に知らない場面で知らない人を相手にするのは、大変なのだなぁとわかった。僕は子どもを相手に検査をすることもあるので、気を付けないといけないと思った。よく知り合ってから、くつろいだ状態のなかでしないと、正確な検査にならないと思う。
  僕は地域で仕事をするようになってから、保健師さんたちの業務の広さと重要性について知った。地域住民の健康問題の窓口としての保健師さんの意義はとてつもなく大きい。保健師さんたちがつないでくれるおかげで、病院の仕事が成り立っているとも言える。その保健師業務のなかでも、乳幼児と保護者への支援はとりわけ重要だと思う。保健師さんが支援に入ってくれていると、学童期・青壮年期・老年期とあとあと支援がスムースに入りやすい。なので健診で伝えるメッセージの第一番目は、「なにかあったら保健師にご相談ください。私たちが応援していますよ」というものであってほしい。発達の度合いをみることも大事だが、それ以上に保健師さんという頼りになる存在がいることを知ってもらうことが重要だと思う。
  子ども支援の仕組み作りにあたっている人たちと話し合う機会があった。発達症の医療的な支援については、残念ながらまだ整然としたシステムができていない。認知症の支援のように、「かかりつけ医(診療所型) ⇒ 認知症疾患医療センター(地域型) ⇒ 拠点病院(基幹型)」と3段階で診療していく仕組みができればいいと思う。そうでないと重症で難しい子どもを診療所で診てしまったり、逆に比較的シンプルな発達症の子どもを拠点病院で診てしまったりすることになる。結果として各施設の持ち味が十分に生かせなくなってしまうと思う。
12/21(水) 相良村の「こころの相談」で保健師さんと訪問相談をした。その人の家に出向いてお話を聞くのは、医療の原点だと思う。もちろん話し合いがうまく進む場合ばかりではないが、少なくとも知り合うことはできる。「あなたのことを心配している人が地域にはいますよ」というメッセージだけでもお伝えできれば成功だと思う。そして病院で仕事をする場合にも同じ気持ちが必要だ。病院にいると「医療システムにうまく乗ってくれない人は面倒だ」といった気持ちになりがちなために、気を付けないといけないと思う。
12/23(金) 美紗さんが子どもたちへのクリスマスプレゼントとして、おもちゃと新しく作った「遊びスペース」を前もって用意してくれていた。朝にサンタさんの格好に着替えて2回でドシンドシンと足踏みをすると、美紗さんと子どもたちが2回に上がってきた。新しく作った遊びの部屋にサンタがいたので、子どもたちはかなりびっくりしていた。以前は「パパがサンタをしている」と言っていたやすみも、ほんとうにサンタが来たと思ったようだ。びっくりさせることができて美紗さんと僕はとてもうれしかった。子どもたちが小さいうちだけにできることだ。大人にできることは、子どもたちが生きている神話的な世界を壊さずに育てる手伝いではないかと思う。

 

写真5 錦町にある公園「錦・くらんど公園」にて。池の鯉にエサをやることができる。

 

写真6 鹿児島市にある「中央公園」にて。大きなオブジェが印象的だ。「子どもの遊具があったらいいのにね」と美紗さんと話した。

 

写真7 鹿児島市親子つどいの広場「なかまっち」にて。子どもの遊びのためのスペースであるだけでなく、研修会なども活発に行われている。無料で楽しむことができる。

 

写真8〜9は鹿児島市にある「平川動物公園」に行った際に撮ったものです。


写真8 キリンが間近に来てくれた。キリンの鼻は意外と柔らかかった。

 

写真9 ホワイトタイガーがうなり声を上げながら歩いてくれたので、やすみは大興奮。

 

写真10 あさぎり町にある「岡留(おかどめ)公園」にて。響は小さなすべり台を滑れるようになった。

 

写真11 「ジャスミンの会」にて。友人たちがやすみの誕生日を祝ってくれた。

 

写真12 「さざなみ保育園」の「お遊戯音楽発表会」にて。前列の一番左がやすみ。意外と緊張せずに踊っていた。

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2106年12月日録4

12/27(火) 僕の実家に久しぶりに家族で帰った。父も母も元気で、僕の子どもたちの成長を喜んでくれた。また子どもたちが遊べるようにとあちこち連れていってくれた。子どもたちは大興奮だ。僕は夜にゆっくり寝させてもらった。普段はできないことで、親元のありがたみを感じた。両親は優しくてまめだ。
  毎回感じることだが、父の知性はすばらしい。父の得意な自然科学、工業技術、語学、歴史学を中心に、非常に博学だ。しかもその要点を子どもにも伝わるぐらいわかりやすく話すことができる。今回の滞在中には金属疲労学の歴史、飛行機の機体の金属疲労管理、地震とプレート・テクトニクス、古代の気候変動や地磁気の変動などについて話してくれた。父はいまは研究職になったが、研究や教育の仕事が天職なのだと思う。
12/28(水) 両親が和歌山県にある「海南市わんぱく公園」(〒6420022 和歌山県海南市大野中995-2、電話0734845810、ウェブページ)に連れていってくれた。手作り感のある遊び場で、「凝った遊具のある公園」というよりも「空き地や裏山」に近い。人工的な要素をわざと減らしてあるのだと思う。子どもたちは走り回って遊んでいた。すごく寒い日だったが、気にならないようだった。
12/30(金) 母の案内で滋賀県の近江八幡市に出かけた。お休みどころをいっしょに立ち上げたグレッグさんが日本近代史の研究対象にしていたのがW・M・ヴォーリズ(1880〜1964、建築家、英語教師、実業家、キリスト教伝道者など多彩)で、そのヴォーリズが活動の拠点としたのが近江八幡市だ。グレッグさんから話は聞いていたが実際に行くのは初めてだった。ヴォーリズの設計した建物や学校・病院もチラッとだが見ることができた。グレッグさんの話ではヴォーリズの歴史は挫折の歴史とのことだったが、ヴォーリズの仕事がいまも街に息づいているのを感じた。歴史に残る人というのは、「捨て石になる」ような気持ちで、時代の限界のなかを精一杯もがいた人なのではないかと思った。

 

写真13〜14は和歌山県の海南市(かいなんし)にある「海南市わんぱく公園」で撮った写真です。


写真13 入り口の様子。高速道路のインターを下りて5分もかからないので便利だ。

 

写真14 子どもが体を動かしながら遊べる工夫がいろいろされている。写真はらせん状に続くネット。

 

写真15〜19は滋賀県の近江八幡市(おうみはちまんし)に行った際の写真です。


写真15 W・M・ヴォーリズ(1880〜1964、建築家、英語教師、実業家、キリスト教伝道者など多彩)の銅像。近江八幡市にも彼の設計した建物がたくさん残っている。いっしょにお休みどころを立ち上げたグレッグさんがヴォーリズのことを研究していたので、とても身近に感じた。

 

写真16 「八丁堀り」という水路を舟で移動できる。江戸時代には水運が盛んで、繁栄したそうだ。

 

写真17〜19はお菓子やパンのお店「ラ コリーナ近江八幡」で撮った写真です。


写真17 駐車場から入り口の風景。「お菓子屋さん」というイメージを覆す空間だ。

 

写真18 庭園の大きな石にはドアがある。やすみは出入りを楽しんでいた。

 

写真19 カステラを食べるカフェのコーナーに入ったが、古代的なデザインが取り入れてあり斬新だった。

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児童青年精神医学会総会に参加する1 2016年10月27日(木)

  精神科の診療をするうえで、その分野の新しい知識を得ることは欠かせません。最先端の研究を知ることまでは必要ではないと思いますが、ある程度の「標準的な考え方」は日々の仕事の大枠を定めるものとして不可欠です。僕は子どもの診療を始めましたので、子ども支援の基礎となる知識を得る場を求めてきました。
  そこで「第57回 日本児童青年精神医学会総会」に参加してみることにしました。会長の青木省三さんは著書を読んで尊敬している精神科医です。内容も子どもや発達症に絞ってありますので、僕が求めている知識に近そうです。楽しみにしてきました。
  会場は岡山駅のすぐそばです。新幹線で移動し、開会の2時間前くらいに着きました。会議場のそばに「岡山シティミュージアム」(〒7000024岡山県岡山市北区駅元町15-1、電話0868983000、ウェブページ)があります。せっかくですのでのぞいてみました。岡山市の歴史に焦点を当てた展示で、ジーンズ生産の歴史が特集されていました。岡山は生産がさかんなのだそうです。
  さて学会です。発表はパワーポイントで行われますが、資料が用意してあるわけではありません。ごく一部しかメモを取れませんでした。なので聞いた話のほんの少ししか記録できず残念です(配布資料がもっとほしかったでした)。以下は僕のメモと記憶のなかから印象的だったことをまとめたものです(ご本人の話とズレている可能性もあり、文責は僕にあります)。

 

●「ペアレントメンター研究会の活動について」(井上雅彦)
・発達症の子どもを持つ親の支援が必要である。
・同じ立場の親に相談したいニーズは子どもの年代に関わらず高くある。特に子どもが学童の時期には高い。
・発達症の子どもを持つ親で、一定の研修を受けた人がペアレントメンターである。
・ペアレントメンターの強みは「高い共感性」と「当事者の視点からの情報提供」。でもこれらは逆に「距離が近くなりすぎて互いに傷つく」「ひとりよがりな支援」になってしまう危険があることでもある。
・メンターたちにカウンセリングの基礎を学んでもらう講習会を継続的に開いている。
・バックアップする専門機関との連携が非常に大事である。
・メンターの養成だけをやってもうまくいかない。メンターが有効に機能するためには適切にマッチングをできるコーディネーターが必要。このコーディネーターの養成もしている。
・メンターの活動はヴォランティア。でも「援助者利得」があり、メンター自身の人生の充実につながっているというデータがある。

 

●「私の青年期臨床――これまで、そしてこれから」(青木省三)
・青木さんが思春期外来を立ち上げる頃には、指導者はいなかった。外来に来る高校生たちは「病気にみえなかった」。いつのまにか若い人の担当になっていた。
・診察室でのやり取りだけでなくて、「たまり場」でのやり取りで元気になっていく子どもたちがいた。こちらの方が安全で治療的と思われた。
・引きこもりの高校生が、近所のおじさんの仕事を手伝うことから、変わっていくことがあった。稼ぐ体験は非常に大事だとわかった。
・「稼ぐ喜び」「身体を使う心地よさ」「物を作る充実感」「人の役に立つ実感」を実感することが回復のために重要。
・受診者が増え、1人にかけられる時間は減っていった。全然よくならないと苦情を言う人も増えた。謝るしかなかった。ところが謝られることで元気になっていく子どももいた。
・青木さんの体調を逆に気づかってくれる子どももいた。「どっちが治療者?」と思うこともあった。
・「白旗を上げる」ことが必要な場面がある。
・医師が子どもの人生を進めるわけではなく、結局は子ども自身が立ち向かっていかないといけない。医師の仕事は不安を取り去ることではなく、不安に向き合うその人を応援すること。
・子どもたちといっしょに考え、困り、悩む。「弱い治療者」として支援に当たることにした。相互の支援が大事。
・子どもたちは孤立や孤独に悩んでいる。治療者もまた孤立や孤独に悩んでいるのでは?治療者にも仲間や居場所が必要。
・診察室のなかと外のどちらの体験も大切。対人関係で悩んでいた子どもが、大学生になってサークル内で評価されることで元気になっていったことがあった。
・発達症の青年も人との出会いを求めている。人との出会いで変化していく面が大きい。
・その人が生き生きできるポイントを探す。ポイントをつないでいった先に、仕事などを考えてみる。
・多職種で関わり、複数の場面での様子を統合して考える。支援する職種どおしで「どちらがより理解できているか」の競争をしない。
・行動だけに注目する「外から目線」では、本人の内面を想像しなくなってしまうのでは?内面の理解に立ち返る必要あり。
・発達症の子どもたちを支援するなかで、大人の患者さんたちを見る目も変わっていった。

 

●「診察・病歴の取り方」(山下洋)
・定形発達についてよく学ぶのが基本。
・診断もその一部に含む「総合的な見立て(ケィス・フォーミュレィション)」を得ることが初回面接の意義。
・普遍性(科学的な知見、医学的な診断)と個別性のバランスを取る必要がある。診断名と実際の人とは異なる。
・診断の意義は多々ある。研究目的のクライテリアでもあり、社会的な手続きに必要な面もある。研究のためには手順の厳密さが求められる。臨床ではある程度柔軟な運用が求められる。
・診断分類の妥当性については、疫学、家族性、心理社会的な要因、薬物への反応、認知機能、生物学的所見、長期経過などの視点から検討される。もっとも妥当性が高いのは自閉スペクトラム症。次に統合失調症が続く。
・ケィスの科学的な側面、心理学的な側面、社会的な分脈を総合して考える。なぜ受診に至ったのか?個性、状況。家族の評価、家族の相互作用。
・理論モデルを活用して理解を深める。精神力動的モデル。認知行動モデル。bio-psycho-social-lifestageモデル。レジリエンスモデル(発達特性、内的因子、外的資源)。
・家族機能のアセスメントが必要。養育機能はどの程度か?
・家族への介入。力付ける。見立てにも参加してもらう。
・本人と肯定的な関係を作る。本人と支援システムの共進化の足がかりに。

 

●「診察・病歴の取り方」(井上勝夫)
・精神現在症を取るには以下の観点から評価していく。外観。意識。見当識。知能・記憶。知覚。思考形式。思考内容。思考体験。気分・感情。自我意識。希死念慮。
・例えば子どもの抑うつを診る際には以下のものに注意する必要あり。甲状腺機能。ステロイドなどの薬剤。うつ病。双極性障害。PTSD。適当障害。環境要因。自己効力感の低下。
・小児科の教科書を読むことも参考になる。
・「外因・内因・心因」「国際診断分類ICDのカテゴリーF0からF9」といった枠組みも参考になる。
・診断の伝え方の例としては、以下のものがある。「○○さんの悩みごとを解決していくには、精神医学診断でいう○○が役立つかもしれません。さらに○○かもしれないです」。
・臨床の実際は多層的。〔簑蠹世寮依と意見伝達。⊂鐚嬰・一般的なアドヴァイス。支持的な対応。だ賁臈な助言。セ惻的な介入。支持的精神療法。Ю賁臈な精神療法。薬物療法。
・介入のポイントを探してみる。
・EBMを役立てる。
・主訴とは別に本人・家族の要望を確認する。
・「治療」という日本語で考えると狭くなる。cure、care、support、managementなどの英語の方が柔軟に考えやすい。「治療」という言葉の呪縛から解放される必要あり。
・処方の際にも病名だけでなく標的とする症状まで書く。「ADHDに基づく○○ の軽減のために○○を処方した」。
・個々のケィスに対して「わからない」から始める。「あぁ」と納得がいってそこから理解が始まる。
・本人や家族に恥をかかせないような配慮が必要。
・答えやすい質問から始める。
・傾聴のみは危険。明確化もしながら聞く。
・時間軸に沿って話を整理しながら聞く。
・誤解を招きやすい言葉群に注意。主語を明確に。内容・程度・頻度を明確に。時間単位をはっきりさせる。事実と解釈を区別する。
・診断は変化していっていい。そのつど見直す。

 

●「私説  児童精神医学の歴史」(清水將之)
・あらゆる歴史は私説である。
・子どもの生存権の問題→暮らしの問題→しつけや教育の問題、と注目される点が変わってきた。
・教育についての先駆者にはロック、ルソー、ペスタロッチ、セガン、モンテッソーリなどがいる。
・子どもの精神病理に関心が向くためには、‘児死亡率の低下。⊇学が義務化。世が平和である。などの条件が必要であった。
・本格的な児童精神医学の歴史はエミングハウス・Hから始めることが多い。1887年に体系的な教科書を作った。
・ホフマン・Hから始める意見もあるが、体系的な分析をしたとは言えない。
・アメリカの児童精神医学の歴史のポイントには以下のものがある。
1848、知的障害児学校ができた。
19世紀の終わり、マイヤー・Aが子どもの精神病理を重視した。
1908、ビアーズが子どもを重視。
1917、ヒーリーが非行相談を始める。
20世紀の始め、医師とソーシャルワーカー、心理士の協働がスタンダードに。1935、カナー・Lが英語で初の児童精神医学の教科書を書く。
1962、米国児童精神医学会が設立。
・ナチス・ドイツからの亡命者が活躍した時代があった。アメリカでは、スピッツ、ビューラー、マーラー、ベッテルハイム、エリクソン、ブロス。イギリスではクラインやフロイト。
・日本では1936年に名大に「児童治療教育相談室」が開設された。
・あまり知られていないが偉大な先達に三田谷啓(さんだや ひらく)がいる。1915、知力検査法を作成。1916、子ども虐待について医師として初めて記載。1918、大阪市社会部に児童課を開設。初代所長に。1919、大阪市立の産院、乳児院、児童相談所を作る。1927、退職後、私財を投じて「三田谷治療教育院」を作る。
・児童精神医療が成り立つためには以下の土台が必要。子ども医療、保健、教育、福祉。これらが積み重なって初めて子どもの育ちにつながる診療ができる。
・児童精神医学の対象も乳児期・周産期・胎児期や年長児へと広がってきている。
・児童精神科医は発達という視点を成人の精神科医に伝える役割がある。また虐待などのケィスでは生涯にわたって支援していく必要がある。
・子どもの臨床に求められる用件は、惻隠(そくいん、思いやりやあわれみ)と温籍(うんしゃ、態度が穏やかでゆったりとしていること)がある。
・新しいまなざしで子どもを見つめるところに発見がある。


写真1 学会の冊子

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児童青年精神医学会総会に参加する2 2016年10月28日(金)

  2日目は朝から夜まで講義が続きました。大変でしたが、勉強になりました。以下は僕のメモに書き足したものです。あくまでも僕がメモした範囲だけですので、実際に話されたことの一部でしかなかったり、趣旨がずれていたりする可能性があります(文責は僕にあります)。専門性が高すぎる部分については読み飛ばしてください。

 

●臨床に活かすウェクスラー式知能検査(糸井岳史)
・多くの心理検査はパーソナリティーのアセスメントのためのもの。知的能力や認知面の包括的なアセスメントに使える検査はいまのところウェクスラー式だけしかない。
・2005年頃から発達症に対する検査として一気に普及したが、逆に本人の状態像とずれたレポートが多くなっている。
・発達症に知能検査を使う場合に起きやすい問題には以下のものがある。
・知能検査の解釈をめぐる問題。‖電性の低い解釈。解釈が本人の状態像と一致しない。個別的な特徴の把握の失敗。一般的な指摘にとどまり、個別的な特徴の把握に至らない。C稜集〆困凌量的プロフィールによる解釈と診断。誤診につながる。
・知能検査の結果の反治療的なフィードバック(分析結果を本人に伝えること)による問題。‐態像と異なる解釈のフィードバック。本人の自己理解の混乱につながる。∨椰佑亮己肯定感を破壊するフィードバック。本人の自尊心の低下につながる。
・これらの問題を防ぐためには、以下の2点が大事になる。.ΕДスラー法で何を測定していて、何を測定できていないのかを意識する。▲ΕДスラー法は「構造化」の強い検査法であることを意識する(構造化とは前もって質問の内容や順序がきっちり決まっていることを指す)。
・ウェクスラー法では、現代最も妥当とされている知能理論「CHC理論」の知能因子16項目のなかの5項目だけを測定している。WISC-犬任蓮結晶性知能、流動性知能、視覚処理、短期記憶、処理速度。
・ウェクスラー法で測定できない能力で、かつ発達症のアセスメントに必要な能力には、実行機能(将来の目標に向かって適切な問題解決の態度を持続させる能力)がある。なかでも企画能力(いくつもの活動を計画的に行う戦略を立てる能力)の測定は困難。
・ウェクスラー法は構造化の強い検査法である。刺激の少ない検査室で行われる。明確で手がかりの多い教示がある。課題は社会的分脈から切り離されていて、特定の認知機能のみに負荷がかかるようにできている。課題は1つ1つ順に提示される。これらの特徴は自閉スペクトラム症の人に有利にはたらく。
・一方生活場面での課題には以下の特徴がある。構造化は弱く、刺激は多い。課題には曖昧さがあり、社会的分脈に埋め込まれている。いくつもの課題の並列処理も求められる。このために生活場面の課題の方が難しくなることがある。
・併存障害によって知能検査のプロフィールが変化することがあるので注意が必要。PTSD、物質依存症、統合失調症。頭部外傷、身体疾患(糖尿病など)。
・被虐待経験があると全検査IQで15ぐらい低下する。
・知的発達症のない成人の自閉スペクトラム症では、処理速度の低下がみられた。
・処理速度は自閉スペクトラム症で低下しやすい。ADHDでも下がるが、衝動性優位の場合には逆に上がることあり。
・作動記憶の低下はADHDで顕著。ADHDではパフォーマンスが安定しない面がある。またADHDでは言語理解は高くならないことが多い。
・知能検査から何がわかるのか?|療能力のレベル(個人間差)。知的能力のバランス(個人内差)。H達的な特性(認知の特性、行動上の特性)。これらをどのように臨床に活かすか?
・知的能力の低下を認めたら、〕廾の検討、回復の可能性の検討、を行うことが必要。
・知的能力のレベルと、日頃の様子にギャップがある場合がある。例1、IQが非常に高値な子どもの学校不適応。例2、IQは平均的なのに仕事や片付けが全然できない。これらの場合には環境調整の検討が必要。
・視覚映像優位型に合いやすい職業の例。デザイナー、建築士、システムエンジニア、ゲームソフト開発技術者、パティシエ、物づくり職人。
・聴覚言語優位型に合いやすい職業の例。弁護士、公務員、コピーライター、編集者、翻訳者、予備校講師。
・知能検査のフィードバックは与えるインパクトが強い。ていねいに行うべき。フィードバックの機能は自己理解と自己肯定。結果だけを言うことではない。
・フィードバックに必要なこと。)椰佑亮臍覆抜慙付ける。¬簑蠅陵廾となるクライエントの特徴は具体的・限定的にとらえる。L簑蟾酩の資源となる特徴を把握する。ぅライエントにとって価値のある特徴をフィードバックする。ザ饌療な問題解決の方法と見通しを示す。

 

●臨床と日々の生活を貫くもの――生きている全体としてのこころ――(村瀬嘉代子)
・心理的支援に際して生活を視野に入れることが大切。そのことで支援の幅が広がり、本人の生活の質の向上につながることがある。
・生き難さを作っている問題は複合的。
・家裁調査官補の体験から得た課題。二律背反状況にあったり対立している当事者から、いかにバランス感覚をもってコミュニケーションをつむぐか?資料を読み込む。ジェネラルアーツ。根拠のある想像力。自分の感情に素直に正直に。相手のこころに届く言葉や行動とは?
・  精神科病院などでの経験から得た課題。支援者との関わり以外の事象が持つ影響力の大きさ。
・民事鑑定、重度聴覚障害者施設での経験から得た課題。本人の自尊心の回復の大切さ。
・一人称的理解(身を沿わせ、相手の世界を思い描き、追体験する)と三人称的理解(客観的に公共性のある表現で記述)のバランスを取ることが大切。
・わからないと感じたことを大切に考えていく。
・コミュニケーションが生じるプロセス。〜澗両況を視野に入れた多焦点での観察。微少な手がかりをもとに知見を総動員。根拠にそって想像力を働かせる。B慮垣こΔ鯀杼。自分の内面に浮かぶ感情・思考を正直に認識する。て伴性があり、平易で明確な言葉を。ゥ灰潺絅縫院璽轡腑鵑始まる。
・小さなことから想像力を働かせる。
・人として遇する。立場や地位にとらわれない。
・家族を安易に加害者と見ない。
・不確実な状況に耐える力、新しいことに開かれている態度が大事。
・援助を受ける人の内心の痛みに思いをいたす。
・心理援助の力量に上限はない。常に学ぶ過程にある。

 

●治すことができなかった子どもたち(細谷亮太)
・小児がんの有病率は100万人に対して160人。大人のがんとは比較にならないほど少ない。大人に多い肺がん、胃がん、乳がんなどの上皮性腫瘍はほとんどない。白血病やリンパ系の腫瘍、脳腫瘍などが多い。
・子どものがんは発生時に7〜8割に微小転移がある。化学療法が効果的になるまでは、ほとんど治らない病気だった。
・病名の告知のポイントは、[梢討砲修蹐辰突茲討發蕕Α⇒遒礎紊場所で。4望を持ってもらえるように。だ騎里幣霾鵑髻
・病気の子どもへ話すときのポイント。,Δ修鬚弔ない。△錣るように。あとのことを考えて。
・子ども本人に告知した方が、化学療法後も安定しているというデータあり。
・ここ100年ほどの死亡統計を見ると、子どもの死亡率は激減している。しかしそれでも死なないといけない子どもたちがいるのは変わらない。

 

●自閉スペクトラム症の早期療育と長期予後(本田秀夫)
・発達症は学齢児の少なくとも10%。なかでも一番多いのが自閉スペクトラム症。
・診断率には地域差あり。
・早期療育の長期予後は?
・早期療育のポイント。(欷酖で構造化された環境。得意なことを十分にさせてあげる。I堝整佞覆海箸剖貅螳媼韻鮖たせないように。ぢ膺佑冒蠱未靴椴匹なったという経験をしてもらう。ァ峭膂奸廚キーコンセプト。なにごとも提示して子どもの同意を得てから行う。
・子どもの支援も重要だが、保護者支援はもっと重要。「子ども2に対して保護者8」と言う専門家もいる。
・ある年に横浜で生まれた4千数百人の子どものなかの、1歳半健診で見つかったIQ85以上の自閉スペクトラム症15人の長期予後を追跡した。12人が追跡可能であった。一般就労1人、大学1人、福祉的就労・サポートが10人であった。社会適応の状態は、良好2人、まあまあ8人、不良2人であった。
・早期療育の推進地域では、成人の自閉症の社会適応が改善している可能性がある。
・学齢期以降に医療を中断した例に予後不良が偏っている可能性がある。

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児童青年精神医学会総会に参加する3 2016年10月28日(金)

  学会2日目の後半と3日目です。僕は疲れが出てしまいました。ですが内容は充実していました。繰り返しになりますが、あくまでも僕のメモですので、講義の内容の一部分に過ぎなかったり、趣旨がずれていたりする可能性があります。また専門的過ぎてわかりにくい部分については読み飛ばしていただければと思います。

 

●江戸の子どもたち――いのちを繋ぐ(沢山美果子)
・先人が命をつないできたありようを、歴史の現場に立って考える必要がある。
・江戸時代には5歳までの死亡率が20〜25%だったと考えられている。成人まで生きる子どもは約半分だけだった。
・出産による妊産婦の死亡も多かった。出産可能年齢の女性の死因の4分の1以上と見積もられている。
・つまり「子のない母」も「母のいない子」も多かったことになる。
・捨て子もたくさんあった。当時の絵を見ると、捨て子がどんなふうにされたかがわかる。夜の役人の巡回に合わせて、かごに入った赤ちゃんが道に置かれている。
・捨て子が政治の課題となったのは、1687年の「生類憐み令(しょうるいあわれみのれい)」から。「生類」には犬などの動物だけでなく病人、乳幼児、入牢者も含まれていた。
・捨て子があった場の者が介抱・養育し、望む者があれば養子にすることが規定された。
・捨て子救済システムができることで、逆に捨て子が増えてしまうという矛盾があった。
・捨て子に物(無事に成長するようにとの祈願)を添えることもあった。添えられた手紙を読むと迷いやためらいがあったことがわかる。捨て子をくるむ着物にも長生きしている家の端切れなどがパッチワークされてあり、祈りがこもっている。子どもが「えた・非人」の身分を脱することができるようにとの捨て子もあった。
・捨て子にする大きな理由の1つが「乳がない」ことであった。乳の確保は大問題であった。
・江戸の文献には乳の記載はあっても「母乳」という言葉がない。
・大正時代になると授乳は「賢母の象徴」といった広告がある。授乳は母だけのものになる。
・浮世絵では人前でも乳房を出して授乳する姿が頻回に登場する。現代日本の親子画では激減している。
・江戸時代の農民は、赤ちゃんは胎内でも「乳綱」を通して乳を飲んでいると思っていた。
・江戸時代の日本全体の人口はほぼ横ばいだったが、東北、北関東、岡山藩の津山などでは人口が減った。人口が減ると藩の年貢収入が減るので、藩は妊娠出産の管理をした。東北では子どもがいる家族に手当てを与えている。津山では堕胎などを取り締まっている。
・農民には乳が不足していた。また農繁期などでは朝と昼と夜にしか授乳できなかった。仙台藩では乳泉散(にゅうせんさん)を配布した。
・堕胎が取り締まられたので、どうして死産になったのかを書いて出す必要があった。多くは「母が転び、そのときに胎児が乳綱を離してしまったから」と書いている。医師は乳綱を否定したが、農民は納得しなかった。
・20歳から40歳の女性の死亡率は男性の倍だった。
・都市では「乳持ち奉公」が職業化し、乳が売買の対象となった。乳持ち奉公は割が良かったので、自分の子どもは置いて奉公に出た。
・当時の武士の日記を読むと以下の様子がわかる。乳が出るか出ないかはすごく不安定だった。乳が出なくなったときには、以下で対応した。”雹涼膣屬僕蠅鵑任痢屬發蕕て」。乳の代用品。乳の粉。これは高価だった。神頼み。
・子どもの命が危ういから乳を長く(3年以上?)与えていた。またバース・コントロールのためにも長く乳を飲ませていたと考えられる。
・近代になると「乳=母乳」となった。
・子どもは母1人では守れない。たくさんのネットワークで守っていく必要がある。

 

●性的虐待の被害児童を支援する〜福祉・医療がすべきこと〜(田崎みどり、仲真紀子、亀岡智美、藤林武史)

〇題名を記録していませんでした(田崎みどり)
・虐待の件数については、アメリカは日本の約34倍。
・性的虐待は1.5%。割合としては少ない。
・心理的虐待 > 身体的虐待 > ネグレクト ≫ 性的虐待 の順に多い。
・本人が打ち明けるプロセスのなかには否認やためらいがあるのが普通。
・発見される時期は中学生時が最も多く、小学校高学年時がそれに次ぐ。被害の開始時期は就学前や小学低学年時のことも多い。
・誘導しない話の聞き方の技法にRIFCR(リフカー)がある。
・早期に非加害親(例えば父親が加害者であるときの母親など)の支援を開始することが大事。子どもと親の両方を支援する。
・被害確認面接には警察や検察も入ってもらう。そのことで何度も繰り返し聞くことを減らすことができる。
・系統的全身診察、訴えることができることの説明、弁護士の紹介、今後の安全の確保なども行う。
・トラウマ症状の評価、心理教育、必要に応じて治療の導入も行う。
・課題としては以下のことがある。〇劼匹發ら何度も話を聞き取ってしまうことがある。非加害親の協力がないと告訴できないケースも多い。トラウマへの対応。
・性的虐待が疑われるケースがあった場合、「誰が何をした」ということだけを聞いて、あとは児童相談所につないでほしい。

〇性的虐待の調査(司法面接)と多機関連携(仲真紀子)
・性的虐待の発見は難しい。発見されるまでの期間も長い。
・被害児童には精神面の不安定さ(心的外傷体験)と認知面の不安定さ(誘導や暗示にかかりやすい)があることが多い。
・繰り返し聞かれることによる状態悪化も起こりうる(外傷性敏感症状)。
・司法面接の目的は、できるだけ事実をたくさん聞き取り、しかも本人の負担を最低限にすること。
・司法面接の手順としては、‘各・ラポール形成、⊆由報告、質問、ぅロージング、が一般的。
・共同面接。できるだけ事実確認を1回で行う。
・児童相談所と警察と検察の連携には難しさもある。

〇題名を記録していませんでした(亀岡智美)
・TF−CBT(トラウマに焦点化した認知行動療法)にはエビデンスがたくさんある。
・3〜18歳の子どもが対象。週1回で60〜90分。8〜16回で終了。
・PTSDの症状以外の関連症状にも有効。
・医療は児童相談所が虐待認定をしてからでないと動けない面がある。
・非機能的な認知を機能的な認知に置き換えていく。
・いまのところ7割強の子どもで50%以上の症状改善がみられている。

〇題名を記録していませんでした(藤林武史)
・性的虐待に伴い様々な精神症状が出てくる。しかしいずれも非特異的な症状。
・精神症状がしばらく出てこないsleeper効果があることもある。
・性的虐待順応症候群もよくみられる。秘密性、無力感、順応、開示の遅れや矛盾、撤回。
・虐待が開示されにくい心理メカニズムがあることに注意。
・支援者には強引さと寄り添いが求められる。さいしょは感謝されないことが多い。
・長い時間と支援者、当事者グループが必要。
・学校の性教育のあり方を少し変えることで開示しやすくなる可能性がある。

〇討論のなかから
・児童相談所に通告する際には、「誰から何をされたか」を聞き取るだけで十分。あとの調査は児童相談所が行う。
・司法面接を行う前にどういう目的で面接をするかを説明し、納得して受けてもらうことが大切。そうすることで本人の傷付きが減る。
・虐待の認定は児童相談所が行う。
・告発は非加害親を支え励ますなかで進めることが大事。
・子どもの安全確保については多職種で協議する。
・児童相談所は本人だけでなく、同胞の調査も行う。同胞も被害にあっている可能性があるから。

 

●児童福祉臨床の中の児童精神科医ーー施設治療の醍醐味ーー(西田篤)
・「情緒障害短期入所施設」は「児童心理治療施設」へ名称が変わることになった。
・時代のなかで担ってきた役割が違う。非行⇒不登校⇒発達障害や虐待
・全国に45施設がある。入所1264人、通所130人。小学生4割、中学生4割。虐待経験者が7割。
・入所理由では、「対人関係の問題」が減ってきており、「発達症」が増えてきている。
・全体的に重症化の傾向。不登校・虐待・発達症の重なるケースもある。また家族基盤の脆弱なケースが増えている。
・養護施設型(保護)の側面の強い施設もあれば、医療機関型(治療)の側面の強い施設もある。
・施設内に分級や適応指導教室があり、個別の学習支援をしている。
・入所後の経過には大きく分けて、‘各期、佳境、F販期、の段階がある。
・支援のポイントは、.繊璽爐鯀箸燹↓安全の確認、2搬欧悗了抉隋↓に椰佑凌歓箸亮N邸↓サ録を取る、Δ△らめない、こと。
・虐待を受けたケースでは、ヾ愀厳狙の難しさ、攻撃的な言動、再現の傾向、て圧,遼海靴機△覆匹みられやすい。
・情緒障害短期入所施設ではたらくおもしろさには以下の点がある。ーN鼎世韻任覆、生活があること、⊇乎弔あること、B進野協働の支援チームがあること、げ搬殴皀妊襦成長モデルがあること、シ兮嚇に関われること。

 

●貧困と不適切な養育が重なるとき〜家族支援を考える(藤林武史、田中究、松本伊智朗、和田一郎)
○「貧困、子育て、家族」(松本伊智朗)
・貧困を社会学的に定義すると、「社会生活を営むための『必要』を充足するための資源の不足・欠如」。
・さまざまな定義が可能な面があり、「本当の貧困探しのワナ」に気を付ける必要がある。
・「絶対的貧困」とは人間の生理的側面に関係する貧困(例:食事がない)。「相対的貧困」とは社会的・文化的側面からみた貧困(例:葬儀に行くのに礼服が買えない)。
・資源には時間・制度・情報・知識・支援的社会関係・貨幣などが含まれる。
・行使のためには資源の調達と編成が必要。能力・健康・代替性・複数性などがいる。
・子育ての家族だけへの集中・依存が孤立を生んでいる面がある。核家族・親族網の減少・地域とのつながりの減少。
・子育ての目標には不確実さがある。比較と競争に走りやすい。終わりが見えない。
・子どもを持つことが選択的な行為になったのは人類の歴史の中で最近のこと。それが親の責任を強めている面あり。
・子育ての市場化で、家計負担が増加している。
・再分配や社会福祉の後退もある。「子どもにかかるお金は親が出せ」がベースになっている。
・貧困 ⇒ 対応可能性の制約 ⇒ 子育て困難
・支援の方向性は、‖弍可能性の拡大、∋勸蕕討硫搬屋預犬隆墨臓
・虐待対策には「生活面の安定」という視点が必要。
・貧困は「尊重されることのはく奪」をもたらす。
・ジェンダー視点からの分析も必要。

〇「社会的擁護と家族支援」(藤林武史)
・養護施設・乳児院・情緒障害児短期治療施設・ファミリーホームなどを利用している子どもたちが約4万人いる。
・虐待・親の精神疾患・経済的要因などが入所理由として多い。
・施設入所の措置を取ることは支援のゴールではない。
・家庭復帰が不適切なら、別の養育先を確保することが必要(代替養育)。
・日本は社会的擁護の比率が10万人に17人。先進諸国の中でもっとも少ない。十分に活用されていない面がある?
・真に安心安全な家庭に復帰しているのか?50〜60%は問題のある家庭への復帰。
・虐待の再発はないのか?11〜14%ほど再発している。
・社会的擁護は安心安全な環境と言えるか?施設85%、里親15%。大規模施設が多い。職員の配置が少ない。イギリスではサイズが小さく、入所児童3人程度の施設が多い。
・長期措置が多いのでは?本来は一時的なもので家庭復帰が目標。
福岡市の入退所調査では、入所理由はネグレクトが多い。親の精神疾患もそれに次ぐ。ネグレクト・困窮・ひとり親が重なっているケースが多い。
・3年以上の入所が57%。乳児院からの継続も多い。
・家族がうつ病のケースでは3年以内の入所が多い。家族が依存症のケースでは3年以上の入所が多い。
・3年以上入所しているケースでは、家族の面会交流が年に1日以下の場合が多い。
・予防のためには、経済面の支援・ホームヘルプ・親支援・保育所などのサービスなどが求められる。
・長期入所予防のためのマネージメントには社会福祉士が必要。地域サービスの向上が不可欠。

〇「性虐待と家族」(田中究)
・性虐待の被害児は家族のもとに戻らないこともある。
・自立支援ホームへ入所できる年齢を22歳まで伸ばすことが必要。
・自立のためには彼らが頼れる場所を増やすことが必要。でないと孤立してしまう。
〇「子どもの社会保障」(和田一郎)
・貧困を減らせばヘルスケアや教育が向上し、ストレスが軽減するデータあり。
・貧困とネグレクトは結びつきが強い。
・貧困の予測因子には、母親の雇用状況がある。
・虐待の社会的リスクを概算すると、直接的なもの1000億円、間接的なもの1.5兆円。海外よりはずっと少ない。
・虐待による学歴低下だけで算出しても、所得が42兆9000億円減り、収入が15兆9000億円減ると見積もられる。
・ユニセフのデータでは、精神的虐待だけで2兆円の損失あるとされている。
・日本のデータは少ない。新たに貧困研究が始まっている。

 

●学校精神保健
・養護教諭やスクールカウンセラーは精神疾患の理解に意欲的であり、精神科医による連続研修会を行ったところ好評であった。
・東京都では公立の小中学校の教員からの相談ニーズがある。「こころの相談室」という仕組みで、相談に乗ったり、医療機関につないだり、学校訪問をして教員とのケース会議に参加したりしている。
・提供しているものは主に、〇例の見立て、教員への助言で安心感、親への対応の助言、など。
・教育ですること、医療ですること、協力してすること、の3つの明確化を心がけている。
・東京都では2003年より公立高校への精神科と産婦人科の専門医派遣事業が行われてきた。さらに2014年より公立高校の精神科学校医が誕生した。
・学校医はケース会議への出席や研修会で話すことなどが主な業務。直接面談をすることもある。診療につなぐことは比較的少ない。
・校内連携を促進することも学校医の役割である。
・海外への修学旅行が増えているが、精神疾患を持っている子どものケースではリスクもある。海外旅行保険も万能ではない。事前に主治医と教員と本人・家族での話し合いが必要。

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武南克子さんと会う 2016年10月29日(土)

  武南克子さんは長い友人です。お休みどころのリーダーだった故・上島聖好さんがもともとは文通をしていた方で、僕自身も手紙のやり取りをとおして知り合いました。克子さんの手紙は文面も字もやわらかく暖かい感じで、思いやりのある人柄が一目で感じ取れます。
  知り合って20年ぐらいになるにも関わらず、お会いしたことはたしかいままで1,2回しかありません。一度だけ上島さんといっしょに克子さんのお宅を訪ねたことがありました。まだお休みどころを始める前の時期で、僕自身も「こころの相談ヴォランティアをしたい」という漠然とした思いしかありませんでした。精神科医である克子さんは知的障がい者施設での勤務の様子などを教えてくださいました。
  このときとても印象的だったのは、克子さんのお連れ合いが話してくださったことでした。内科医をされているお連れ合いは、医療現場にはきれいごとだけで済まない修羅場があること、その現実に立ち向かう技術と覚悟が必要なことを説いてくださったのです。「ドロドロした現実のなかでもがくことをしないと、何もできないよ」という教えだったと思います。
  「人の役に立つ」というのは、実行するのはとても難しいことなのだとわかりました。僕は何をしていくのか、この時点では答えは出ませんでしたが、そのあと紆余曲折があって、僕の師である神田橋條治さんと出会うことができました。神田橋さんのもとで学ぶことも克子さんは勧めてくれました。精神科の道に進むことができたのは、克子さんご夫妻のおかげだと思います。
  前回お会いしてから13年以上経ったいまになって、克子さんとお会いできるチャンスが偶然舞い込みました。僕の参加する学会の開催地が岡山市だったのです。克子さんは個人で女性のためのクリニックを開かれていますが、たしか岡山駅のそばだと聞いていました。もしかして会えるかもしれません。
  メールしてみると、運良くお会いできることになりました。克子さんのクリニックでお昼ごはんをごちそうしてくださるそうです。うれしくなりました。
  待ち合わせ場所に行ったのですが、僕はすぐに克子さんとはわからず、克子さんの方が気づいてくださいました。以前は跳び跳ねる小鹿のように軽快で元気そうなイメージでしたが、いま会う克子さんはややおとなしそうな印象でした。暖かで思いやりのある雰囲気は変わりませんが、少し疲れておられる感じでした。それだけ時間が経ったということなのでしょう。僕の方も変わったはずです。
  「たけなみクリニック」(〒7000901岡山県岡山市北区本町10-22 本町ビルディング6F、電話0862215513、心療内科)はJR岡山駅から徒歩3分ぐらいのビル街にありました。克子さんのお話のとおりに、入り口だけを見れば、普通のマンションの1室です。ですがなかに入ると窓の大きな明るい部屋が待っていました。ここが診察室で、丸テーブルを囲んでお話するそうです。壁には淡い色合いの絵がかかっています。窓からはビル街の上に広がる青空が見えます。診察室というよりも相談スペースです。克子さんはお休みどころを参考にクリニックを開設されたと聞いていましたが、まさに「お休みどころ」を作られているんだと感激しました。
  お昼を食べながら克子さんとお話しました。この十数年の間に、克子さんは失われるものが多かったそうです。大切な人生の師が亡くなられたり、大切なワンちゃんが亡くなったり。克子さんと悲しみというのは以前は全く合わない組み合わせでしたが、いろいろ悲しい思いをされたことが伝わってきました。克子さんもおっしゃっていましたが、人生の課題は変わるんですね。
  ですがお話するうちに、克子さんが次の段階の活躍をされる姿がイメージできてきました。もともと内面性が深く芸術性が高い克子さんは、絵や文章をかかれていました。特にアウグスティヌス(354〜430、キリスト教神学者)の言葉をモチーフに書かれたエッセイが僕の記憶に残っています。「希望の見えない時代のなかで、絶望せずに進んでいこう」というメッセージがありました。克子さんには生まれ持った明るさがありますし、やはり希望を語る人なのです。
  僕の勝手な予感に過ぎませんが、今後は以前出会われた本や芸術作品と再会される気がします。大変な読書家で、芸術性も高い克子さんは、精神科医としてだけでなく、教養人としても社会に発信していかれると思うのです。派手なやり方ではなくてひっそりと、地域文化の土台を支える活動をされていく気がします。
  また若い方にいままでの学びを伝えていかれるのではとも思います。僕自身もそうですが、克子さんもたくさんの先生たちから学ばれてきたはずです。それを次の世代に伝えることは必要ですし、そうしないとあまりにももったいないと思います。どこかから種が飛んできて芽吹くように、思わぬところから克子さんの志を受け取る人が現れるのではないでしょうか。
  人生は不思議で、しょっちゅう会っても仲良くならない人もあれば、ほとんど会わないのに心の支えになるような人もいます。克子さんと次にお会いできる機会があるのかないのかわかりませんが、会えばいつでも打ち解けて話せる気がします。時間を超えた「たましいのきょうだい」のような人がいて、まれに出会えることがあるのでしょう。お互いにまだ生きているのに、「あの世でも会えそうだなぁ」と考えるから奇妙ですね(笑)。僕にとっては存在がありがたい人です。そこにはぬくもりと懐かしさがあるからです。

 

写真1 「たけなみクリニック」の入り口。普通のマンションの1室のような感じだ。

 

写真2 診察室でお昼をいただいた。逆光で暗く写っているが、実際には明るい。

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