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「発達障害支援医学研修」に参加する1 2016年7月6日(水)

  最近僕が子どもの診療に取り組んでいることはこのブログにも何度も書いてきました。球磨地方に子どもの発達症を専門的に診療する医療機関が従来はなかったため、地域の人たちが困っていたのです。子どもの診療を始めてみると、受診者が多くて驚いています。最近では僕の新規の受診者に小学生が多くなりました。多いときには週に4〜5人といったこともあります(なお「発達症」と「発達障害」は翻訳が違うだけで意味は同じです。僕は本人や家族に伝えやすい「発達症」を使っています)。
  病院に来られるのはいままで受診しないままになっていた比較的重いケースが多いです。発達症がいくつも重なっていたり、さらに別の精神疾患を合併していたり、虐待や貧困など家族背景に難しさがあるものなどです。僕は児童精神医学を専門的に学んできたわけではないですので、いつも「ほんとにこの診療の仕方でいいのか?」という不安があります。ですので自分の診療の土台になるような勉強をしてみたいと思ってきました。
  ちょうどそこに「国立精神・神経医療研究センター」の研修の案内がきました。たくさんの研修のなかには発達症に関連したものも4つあります。その4つの内容は治療についてだけではなく、行政の人が参加するような支援システム作りについての研修もあります。僕の目を引いたのは、「第21回  発達障害支援医学研修」でした。「顕在化しにくい発達障害」として吃音や学習症についての講義があります。吃音も学習症も僕は詳しくないですので、受けてみようと思いました。
  ただこれは県庁の推薦がないと参加できない研修です。県庁の担当の方にお願いしてみると、快く推薦してくださいました。熊本地震の後の大変な時期に、僕の手続きを助けてくださったのです。僕は手続きが苦手で、ギリギリまで気づかずに書類の記入をしないままだったり、一部を空欄にしたまま送ってしまったりしたのですが、県庁の方の尽力のおかげで行けることになりました。
  さてセンターは東京都の小平市と東村山市の境にあります。僕は東村山市には以前行ったことがあります。ハンセン病の療養所である「多摩全生園(たまぜんしょうえん)」があるのです。お休みどころのリーダーだった故・上島聖好さんが元気だったころは、東京に来る度に多摩全生園に泊まっていました。全生園にも優れた語り部の方がおられたのです。きっと精神神経医療研究センターもそんなに離れていないに違いありません。
  朝ホテルを出発して歩いていく道中、「ここは全生園?」と何度も思いました。全生園にあったような、うっそうとして暗めの林(ケヤキやアカマツなど)があちこちにあるのです。太古の時代の深い森を連想させるような、ちょっと恐い感じの暗さです。また自転車に乗った人が多いのも印象的でした。全生園も地面が平らで、道がまっすぐで、地域の人たちが自転車や徒歩で園内の道路を通っていたのです。このあたりの風景には共通性があるのでしょうか? 亡くなってしまった上島さんのこともあわせて思い出しました。
  会場の精神神経医療研究センターも、そんな森のなかにある施設群です。研修が開かれる「教育棟」がなかなか見つからずに一苦労でした。気合いを入れすぎて始まる1時間前くらいに着いてしまいました。しばらく周囲を歩いてみました。大きな樹が建物のそばにたくさんあり、なかには「スズメバチ注意」と張り紙のしてある樹もあります。建物も最新のものに混じって大昔の暗いタイル張りの建物があります。全生園もそうですが、70年ほど前の国立療養所はこんな感じだったのでしょう。当時は結核療養所が多かったようで、ハンセン病療養所とペアであるところもあったそうです。過去と現在を行き来するような、奇妙な感覚を感じました。

 

写真1 国立精神・神経医療研究センターの一角の林。うっそうとしていて暗い雰囲気がある。

 

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「発達障害支援医学研修」に参加する2 2016年7月6日(水)

  研修は60人ほどの参加です。参加者は会で聞いたことに基づいて地域で「かかりつけ医等発達障害対応力向上研修」を開き、要点を伝えるそうです。なので僕も真剣に聞かないといけません。ですが僕が日頃苦労しているような精神症状の強いケースの話は少なかったです。ちょっと拍子抜けでした。小児科のお医者さんが中心で、行政の人たちも来られている会ですから、仕方がなかったのでしょう。比較的淡々と会が進んだこともあって、眠くなってしまった場面もありました。以下に講義ごとの要点をまとめてみます。

.リエンテーション
・参加者は日本全国から。比率は小児科医45%、精神科医23%、行政16%。参加者の学びたい要望は診療技術だけではなく、支援者の支援、教育サポート、保護者支援システム構築、政策の方向など多種多様に渡っている(これは発達症の支援システムがまだ十分できておらず、課題が山積みである現状を反映していると僕は思う)。

厚生労働省の発達障害支援施策(日詰正文)
・「発達障害者支援法」が最近改正された。「社会的障壁の除去」が強調されている。教育上の配慮や地域の事業主の理解促進も明記されている。警察、司法関係者、防災関係者、なども含めての議論の場として「発達障害者支援地域協議会」が設置される。
・「かかりつけ医等発達障害対応力向上研修」は専門医の育成を目指すものではない。一般医の啓発を目指している。一般医が発達障害に気づいたり、専門機関につないだりしやすくなることが目標。また専門機関から紹介された人の継続診療を行えることや、他分野との連携がしやすくなることも目標である。
・「障害者差別解消法」も2016年4月から施行された。発達障害の人たちももちろん対象に含まれる。教育の場や職場で、障害者がそうでない人たちと同等の機会を得るための「合理的配慮」が行われることが要請されている(バリアフリーやコミュニケーションの援助など)。
・親が発達症の子どもへの接し方を学ぶプログラムとして「ペアレントトレーニング」が従来から行われているが、より簡易な「ペアレントプログラム」もあちこちで活用されている。「ペアレントメンター」の育成も行われている。「ペアレントメンター」とは自分自身が発達障害児の親であり、研修を受けたうえで、自分の経験を生かして他の親の相談に乗ったり情報を提供したりする人のことである。
・発達障害を持つ若者の就労支援のために、一部のハローワークに「就職支援ナビゲーター」が置かれている。
・地域連携の促進や困難事例への対応のために、都道府県に「発達障害者地域支援マネジャー」が置かれる。
・発達障害支援に関連した調査や研究も進められている。精神科に関連したものには、「発達障害者の特性をふまえた精神科ショートケア・プログラムの開発と臨床応用(就学・就労支援)に関する研究」や、「児童・思春期精神疾患(発達障害を含む)の薬物治療ガイドライン作成と普及に関する研究」などがある。

H達障害児の感覚評価と支援(岩永竜一郎)
・自閉スペクトラム症を持つ人のほとんどに感覚の問題がみられる。具体的には、「過反応」(刺激に対する過剰な反応、例えば嫌いな音に耳ふさぎをしたり、「雨が痛い」と感じたり、特定の感触の洋服しか着ないなど)。「低反応」(刺激に対する反応が乏しい、例えば呼んでも振り向かないなど)。「感覚探究」(特定の刺激を何度も繰り返し求める、例えばクルクル回り続けたり、壁を叩き続けるなど)がある。
・感覚の問題は行動障害(暴言やパニックなど)を起こす要因の1つである。
・不安が強いときには過反応が強くなる。
・感覚の問題の評価尺度として「感覚プロファイル」がある。
・感覚の問題に有効な薬は見つかっていない。嫌な刺激をできるだけ遠ざけるのが基本的な対応。「防衛グッズ」が役立つ。例えば聴覚過敏ならイヤーマフが有効。

じ穏濂修靴砲い発達障害〜吃音症(菊池良和)
・吃音症は発達障害に含まれる。症状としては音節の繰り返し(連発)、引き伸ばし(伸発)、ブロック(難発)、いっしょにしてしまう動作(随伴症状)などがある。状態には波があり、場面ごとの変動が大きい。吃音を主訴に来院する子どもであっても、一般医との診察室での短い会話だけでは半数ほどは気づかれない。
・100人の子どものうち、だいたい5人が吃音症を発症する。そのうち4人は自然回復するが、1人は症状が長く続く。2〜4歳の発症が多く、発症後3年での回復率は男児6割、女児8割。8歳まで症状がはっきりあるなら、以後も続くことが多い。そのうち半数は社交不安症になり、不登校や引きこもりにつながるケースも多い。
・吃音症の原因は、現在では「体質、脳、DNA、急激な言語発達」などに関連していると考えられている。
・治療的な対応としては、まずは子どもであっても本人に吃音症のことを伝えることがある。本人に自覚してもらい、つきあい方を探してもらうことが大事。ほめることを中心としたプログラムで改善がみられる。薬物はあるが、副作用のために使いにくい。2014年から英検に吃音症の配慮が追加された。吃音があっても生きやすくなるためには、社会が変わっていくことも大事である。

サ埖毀簑蠅鯤える親子への治療と支援(犬塚峰子)
・近年虐待件数はこの25年で80倍と爆発的に増えている(2014年で約89000件)。虐待の定義が広がり、より早期から発見されるようになった面が大きい。現在は「心理的虐待」が一番多い。これは両親間の暴力を目撃することや、兄弟姉妹への親の暴力を目撃することなどを指している。
・親子の分離は7%ほどだけであり、ほとんどは親子が地域で暮らしている。家族支援が大切であるが、まだ十分にはできていない現状である。
・虐待はいくつもの要因が重なって起きることが多い。主な要因には、親族や地域からの孤立、困窮や不和などの家庭生活のストレス、親が精神疾患などで子育てをうまくできないこと、発達症などの子ども側の要因、がある。
・支援機関としては、児童相談所、役場、保健所や保健センター、などと共に「要保護児童対策地域協議会」がある。これは行政・教育・保健・医療・司法などの関係機関で構成されるもので、守秘義務が設けられている。
・虐待支援の基本的な方向性は、親子の関係回復。そのためにまずは親と信頼関係を作り、親の能力を引き出す。最終的には子どもの心に信頼感や自尊感情が育っていくことを目指す。
・虐待を受けた人が親になって虐待をするのは3割弱。被虐待歴のない人の2倍。
・親子関係の再構築のための技法としては、「家族合同グループ心理療法(FJG)」「親子相互交流療法(PCIT)」「家族のための認知行動療法(AF-CBT)」などがある。
・専門的な支援もだが、非専門的な支援も大事である。関係を作ったり、継続的に見まもったり、社会的なサービスを紹介したり。

θ達障害児を持つ保護者へ伝えたいこと(林修)
・世の中には多数派と少数派があり、どうしても多数派向けに制度ができるため、少数派は生きにくくなる。発達障害は「発達的少数派」という面がある。
・幼児期には「言葉の遅れ」を主訴として来院するケースが多い。3歳前後までしゃべらずに、3歳以降に急速に発語が増えることがよくある。
・障害の診断は支援を保証するためのものでないといけない。子どもの無理のない生き方とそれに対する肯定的な理解を確保するために役立つ。
・「言い分を聞く」という当たり前のことが、実は難しい。
・定型発達の子どもとは、学習の仕方にも違いがある。原則→事例→応用、という学び方ではなく、多数の事例→急激に応用可能に、という流れ。

 

写真1 研修のテキスト。

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「発達障害支援医学研修」に参加する3 2016年7月7日(木)

  2日目は慣れてきて、こちらの気持ちにもゆとりが出てきました。講義はためになるものがいくつもあり、「来て良かった」と思いました。子どもたちの長い目で見た成長のためになる治療的な関わりをできればと願います。以下に講義の要点をまとめてみます。

“達障害の薬物療法(宮島祐)
・脳の乾燥重量の約60%を脂質が占めている。向精神薬など脳に作用する薬物は脂溶性である。
・2003年にADHD児の保護者の医療機関への満足度を調べたところ、満足39%、不満足31%であった。不満足の理由としては、「治療が不十分」「短い診察時間」「薬を出すだけの診察」「学校への指導がない」「説明が不十分」などであった。
・発達障害の薬物療法は基本的に対症療法である。処方するにあたっては、薬物が子どもにとっての利点をもたらすかどうかという視点からも検討が必要。子どもの利点とは具体的には、ー最圓梁慮海減ること、⊆言佞気譴訛慮海減ること、E切な対人関係や適切な集団行動の体験が増えること、などである。
・ADHDと自閉スペクトラム症の合併例の子どもへの処方薬物の例としては、以下のようなものがある。
〕鳥期のかんしゃくや乱暴な行動には、漢方薬。
⊂児期〜思春期のいらだちや易怒性には、リスペリドンやアリピプラゾール。
睡眠の問題には、ラメルテオン。
ど埣躇奸β親亜衝動性のために不利益が生じている際には、メチルフェニデート徐放剤やアトモキセチン。
タ欲不振にはモサプリド、スルピリド、六君子湯など。
・    自閉スペクトラム症への薬物療法の例としては以下のようなものがある。
”垈此興奮、自傷などに対しては、リスペリドンなどの抗精神病薬、カルバマゼピンなどの気分調整薬。
強いこだわりに対しては、抗うつ薬、リスペリドン、カルバマゼピンなど。
5な調整作用を期待する場合、抗うつ薬やカルバマゼピンなど。
・チックには抗精神病薬やクロニジンなどが用いられる。

顕在化しにくい発達障害〜学習障害(小枝達也)
・学習障害については「学校の問題」ととらえられがちであるが、長年の研究の結果、医師が治療する疾患単位としてだんだん整ってきた。
・教育現場での学習障害は「聞く、話す、読む、書く、計算するまたは推論する能力」の6つの能力の問題。だが医学的な学習障害は「読む、書く、計算するまたは推論する」の4つの能力の問題に限定されている。
・「読字障害」と「書字障害」はセットで起こるのが一般的なので、「発達性読み書き障害(Dyslexia)」と呼ぶことが多い。症状には、(源を読んで認識するのが不正確で非常に遅い、∧源をつづることの苦手さ、2仔匹簗枡匹虜櫃法表記と読みを対応させるのが苦手なこと、がある。
・1896年の最初の症例報告以来、さまざまな原因が推測されてきたが、現在では「音韻処理障害」がもっとも確からしい原因と考えられている。音韻処理障害とは、神経学的な原因によって、「聞いた言葉の音のまとまりを認識して操作する能力」が障害されることを指している。
・日本における「発達性読み書き障害」の有病率は2%前後と考えられている。欧米では5%前後とされており、日本の有病率の方が低い。
・「発達性読み書き障害」が気づかれにくい理由には、「本人のカモフラージュ」もある。本人は「ばれるんじゃないかとビクビクしている」ことが多く、「恥ずかしいから」とたいていは隠そうとする。具体的な方法としては、ゞ飢塀颪隆欅典、√般曚鬚茲修う、Eてられそうになったら保健室に行く、ちいで授業を妨害する、などがある。   
・発達性読み書き障害を「字が読めない子」と思っていると、見逃しやすい。「読めるが、極端に遅いし、よく間違える子」と考えるのがより適切。また文字の読み方をあいまいに覚えてしまっていることもよくみられる。例えば「旅行」の文字を、「リョコウ」と「リャコウ」の半々で読んでしまっている子もいる。
・読字には3つの神経回路が関わると考えられている。‘頂側頭部(音韻処理)、後頭側頭部(単語形態)、ブローカ野(構音、音韻処理)。発達性読み書き障害の子どもでは、△鉢の活性が低く、,強まっている。
・音読を速く正確にするには、_鯑匹了愼魁弊騎里気慮上)、△泙箸泙蠧匹澆了愼魁並度の向上)、の2段階でトレーニングするのが有効である。,できる無料のアプリがある。App Storeで「音読指導アプリ」を検索すると、ダウンロードできる。こちらは3週間ほどで効果が出てくる。△呂茲蟷間がかかり、6ヶ月〜1年の継続で効果が出てくる。
・将来も含めた支援としては、パソコン入力の活用がある。
・発達性読み書き障害は他の発達症との合併も多い。ADHDが合併している率は約44%、自閉スペクトラム症は約26%である。
・学習障害には、「算数能力障害」もある。病態の本質は、「数量のイメージと、数字の符号がうまくマッチングしないこと」。脳の頭頂小葉の機能障害が原因と考えられている。
・算数能力障害は「算数の学習がうまくいかないこと」とは別である。
・算数能力障害は医師が治療できる疾患単位としては、まだ十分に整っていない。

H達障害児をもつ母親の養育レジリエンス向上の支援策(稲垣真澄)
・発達障害をもつ子どもの母親にうつ状態がよくみられる。特に自閉スペクトラム症の子どもの母親にうつ病が多い。
・自閉スペクトラム症児の保護者がうつ状態になり、自殺したい気持ちを持つことがある。どんな要因が自殺念慮の有無に関与するのかを調査・分析した。その結果、自殺念慮を促進する要因は「子どもに反抗挑発症があること」だった。抑制する要因は、「保護者自身が父親からのポジティブな養育体験を持っていること」と「子育てについて相談できる友人がいること」だった。
・「レジリエンス」という言葉は「困難な状況においても克服できる力」を指す。
・母親へのインタビューなどを通して、養育レジリエンスを高める因子を調べた。その結果、「親としての意識」「自己効力感」「社会的支援があること」「発達症の特徴理解」「今後の見通しがあること」の5つが抽出された。
・その結果をもとに、養育レジリエンスを評価する質問表を作成した。

ADHD児の診方〜問題行動解決のための面接技法〜(井上祐紀)
・ADHDに対する治療法はある程度確立してきているが、現場で実際に本人と保護者に納得してもらうことは大変なことが多い。なぜならば本人と保護者の持っている発達症の知識も治療への動機も人それぞれだからだ。全く必要性を感じないままに「勧められて受診した」というケースもある。
・なので効果的な治療を行うためには、「本人と保護者とつながっていくための面接技法」が必要になる。 
・ADHDの病態モデルには「Dual Pathway Model」がある。これは「実行機能・抑制機能の障害」と「脳内報酬系の機能障害」の2つがからみあってADHDの症状が引き起こされるという考え方である。
・ADHDの治療は「薬物療法」と「行動療法的な介入」の両面を行うのが一番有効。薬物を処方する際には、薬の見本を実際に手に取ってもらうようにすると、飲んでもらいやすい。
・研究によれば、ADHD児自身も症状に悩んでいる。ADHD児の問題行動の背景には本人の悩みや心配がある。そこを聞きながらつながっていかないと、いい関係を作りにくい。
・「外部から見た症状の有無」を尋ねるのではなく、「本人がその瞬間に体験している気分や身体感覚」について尋ねる。例えば「教室を飛び出すんですか?」と尋ねるのではなく、「教室で体を動かないようにジッとしてるのはすごく疲れる?」と尋ねる。「宿題やらなきゃと思ってるのに、何から始めたらいいかわからないときがある?」や「順番を待つ時間がすご〜く長いよね?」といった質問も子どもが答えやすい。反抗挑発症のある子どもには、「怒りたくないのに怒っちゃうときがある?」と尋ねるのが有効。
・本人にも保護者にも、「強み探し」から面接を始めるのが役立つ。一般的に「問題行動」とだけ見られる事態にも、「隠れた強み」がある。そこに焦点を当てて聞いてみる。
・例外探しも「隠れた強み」を見つけるのに有効。例えばしょっちゅうケンカをしてしまう子には、「この子とはケンカをしないって子がいる?」と聞いてみる。一人遊びの多い子には、「この子となら遊べるって子がいる?」と聞いてみる。 
・「いいことノート」も役に立つ。家族、教員、担当医など本人を支援する人たちが、強みを見つけたときに書き込んでいく。
・「問題解決コラボレーション」という面接技法を応用することもできる。これは「共感ステップ」→「問題定義ステップ」→「提案ステップ」の3段階で、問題の解決を支援していく技法である。
・ADHD単独ならかかりつけ医での対応が可能。(斬絃鼻↓¬簑蟾堝阿侶磴靴機↓5埖圓箍搬欧量簑蝓△覆匹みられるときには、専門医への紹介が望ましい。

 

写真1 公園の樹々。暗がりが濃い。

 

写真2 研修のあった教育棟。

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2016年7月日録1

7/3(日) 僕の精神医学の師である神田橋條治(かんだばし  じょうじ)さんから新しい著書が送られてきた。『治療のための精神分析ノート』(神田橋條治著、創元社、2016年)だ。神田橋さんの学問の出発点は精神分析学にある。80歳近くになられたいま、そこに戻られるのは、自然なことであり、かつすごいことだと思う。原点への回帰であり、また「自分を育ててくれた器へのお礼」でもあるのだろう。
  でも内容的には僕が素直に満足できるものではなかった。なぜなら神田橋さんを刺激して論考を引き出す「異物」の存在を感じられなかったからだ。反論なく神田橋さんが話し続けているような感じで、ファンとしては楽しめるが、ファンでない人には入っていけない世界だと思う。長年の思索を圧縮し過ぎている面もあり、わかりにくさがある。
  弟子としての厳しすぎる意見かも知れないが、神田橋さんを追い詰めるぐらいの相手とやりあってほしかった。違った世界観どおしがぶつかり合ってこそ、「未来をたぐり寄せるヒント」が生まれるのではないだろうか?もっともこう思うのもファン心理なのかも知れない。僕にとってのヒーローである神田橋さんには、どこまでもどこまでも先へ進んでほしいと思ってしまう。 
  僕が憧れた神田橋さんの姿は、「無心に遊ぶ童子」だ。「難しい理論を語る偉い先生」ではない。神田橋さんの天衣無縫な思いつきが自在に繰り広げられる語りの場。深いだけでなく、シャレていたり、意外だったり、ちょっとバカげていたりもする。そういった本を夢見てしまうが、欲張り過ぎだろうか・・・(笑)。いままでの思索の集大成ではなく、いまの自由の境地を形にしていただきたい。 
7/10(日) 娘のやすみが3歳7ヶ月になった。保育園の先生からの手紙によれば、園ではお利口さんのようだ。でも家ではまさに反抗期真っ盛り。何から何まで「イヤ、イヤ」と言う。食べ物やおもちゃの好みなら理解できるが、例えば「出かけた先のショッピングモールで車を1階に停めるか2階に停めるか」のように、全くどうでもいいことにこだわって騒いだり泣いたりする。反抗期とわかっていても、こちらもイライラしてしまう。
  今朝は美紗さんが作ったフレンチトーストを食べずに、「熱い」「他のがいい」「イヤだ」などと文句ばかり言うので、「もう朝ごはんを食べなさんな!」と怒鳴ってしまった。やすみは泣いたり怒ったりした。しばらくしてから、やすみが喉が乾いたと言ったので、僕が飲み物を勧めたら、手で振り払った。その傲慢な態度に腹を立てて、僕はやすみの頭とお尻をたたいてしまった。「もうあっちに行きなさい」と言って2階の部屋に置いてきた。やすみは激しく泣き、美紗さんが迎えに行った。怒ると後味が悪い。子どもの行動や態度がひどすぎる場合、どうすればいいのだろう?1日中そのことを考えていた。

 

写真1 『治療のための精神分析ノート』(神田橋條治著、創元社、2016年)。長年の思索を一気に書いてあるために読み解きにくい面があるが、「治療現場からの哲学」の試論だと思う。

 

写真2〜4は美紗さんのご両親と浅草に行ったときの写真です。

写真2 「浅草寺(せんそうじ)」の参道には土産物屋がたくさん並んでいる。海外からの観光客が非常に多くて驚いた。

 

写真3 着物を買ってもらってやすみはご機嫌。

 

写真4 ヨチヨチで危ないのに、響も歩きたがる。

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2016年7月日録2

7/10(日)の続き 雨降りが続いて子どもたちを遊びに連れていける場所がなかった。ショッピングモールである「イオン八代店」には小さなプレイエリアがある。また美紗さんが好きなマッサージを受けられるお店もあるので、家族で出かけてみることにした。
  行ってみて驚いたのは、大きな子どもの遊び場ができていたことだ。「Kid's US.LAND イオン八代店」( 8660013熊本県八代市 沖町六番割3987-3 1階、電話07054659548)が新設されていた。有料だが比較的安く、かつ長く使える。結局僕たちも半日近くいた。やすみが帰りたがらなくて大変だった。子どもにとっては遊ぶことは生きることなんだとわかった。ただぼんやりと見守り続ける大人の立場から言えば、何もせずにいるのはすごく疲れて大変だ(笑)。
7/12(火) 7月1日で美紗さんと結婚して丸5年になった。5周年のお祝いをすることにした。美紗さんの実家でやすみを預かってもらい、2人で思い出の場所に食事に行った。僕たちの結婚披露パーティーの料理を担当してくださったフランス料理店「ミディソレイユ」だ(〒8920814鹿児島市本港新町5-4 ドルフィンポート2F、電話0992215888、Fax0992215802、ウェブページ)。
  元・総支配人の鎗水浩治さんがこの日も接客してくださった。鎗水さんはいつお会いしても「楽しさのオーラ」のようなものに溢れていて、こちらまでがウキウキとしてくる。僕たちは食事を食べに行っているというよりも鎗水さんに会いに行っている感じだ。鎗水さんの修行時代のお話は興味深いし、チャレンジしたことがうまくいかなくても常に謙虚に学んでいかれる姿勢がすごいと思った。お客さんに気持ちよく過ごしていただくための仕事というのは終わりがなく、どこまでも工夫と改善が必要なのだとわかった。
7/13(水) 以前僕が7年間働いた精神科病院である「伊敷(いしき)病院」の職員研修に招いていただいた。僕が精神科の勉強をゼロからさせていただいた場所なので、親元に帰るような懐かしさと照れくささがある。僕は「発達症の困難事例の支援」について話した。医師の仕事の話というよりも、いかに多職種とつながりあって事態を好転させるかというコーディネートの話題が多くなってしまった。なので学問的な感じではなかったと思うが、皆さん熱心に聞いてくださった。僕の主たる関心は支援ネットワーク作りなのだと思う。
  そのあと医局長の八木義人さんが中心になって食事会を開いてくださった。懐かしい人も新しく知り合う人もいた。皆さんそれぞれに社会制度の限界のなかで、精一杯患者さんたちに寄り添おうと奮闘していた。「やっぱり精神科の仕事っていいな」と思った。限界のなかでもがきながら、未来を探していけるからだ。

 

写真5〜7は屋内遊園地「Kid's US.LAND イオン八代店」で撮った写真です。  

 

写真5 いろいろな遊具がある。

 

写真6 響も歩き回ったり座ったりして過ごしている。

 

写真7 ボールプールもある。

 

写真8〜9は鹿児島市にあるフランス料理店「ミディソレイユ」で撮った写真です。


写真8 食事もすばらしいが鎗水さんの接客がすばらしい。決して偉ぶらず、人に敬意を持って接する方だ。

 

写真9 結婚5周年を祝ってくださった。

 

 

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2016年7月日録3

7/15(金) 美紗さんの弟の圭悟さんが遊びに来てくれた。配送業に従事している圭悟さんは、いまは県の仕事として熊本地震の避難所に物資を届けている。配送業はそもそも直接的に人の役に立つ仕事だが、困っている人たちの支援に当たっている圭悟さんは、いつもよりもさらに生き生きして見える。専門性を生かして被災者支援に関われることをうらやましく思った。
7/16(土) 球磨地方の福祉系の多職種連携団体に「FAN(ファン)」(人吉球磨地域保健医療福祉活動ネットワーク、事務局はすずらん総合在宅支援センター内、電話0966243501、ブログ)がある。そのFANの連続講演会「困り感を抱える子どもを多職種で支える」の第3回として、森司朗さん(鹿屋体育大学教授)の講演会が開かれた。僕は参加できなかったが、打ち上げの席にだけ行かせていただいた。
  森さんは温厚な人柄の方で、かつて生徒だった人たちからいまも慕われている。子どもの運動発達の研究をされ、その結果をもとに子どもたちが伸び伸びと育てる環境を作ろうとされている。また自閉症を持つ子どもたちのキャンプも長年続けておられる。研究者であることに加えて、発達支援の実践者に近い立ち位置も持つ方だ。
  打ち上げの場にはFANの中心的なメンバーたちが集まっていたが、その1人が福山幸義さん(社会福祉士)だ。福山さんは介護事業所「すずらん」を運営するかたわら、スクールソーシャルワーカーとして働かれている。地域の高齢者支援と子ども支援の両面に関わっておられる。なので見識が広く、「外部からの目」を持って子ども支援の現状を見ておられる。
  福山さんのお話から学んだ点は、主に以下の点だ。 嵒堙亶擦凌瑤鮓困蕕后廚箸いμ槁言瀋蠅任六劼匹盪抉腓呂Δ泙いかない。△修了劼鳳じた学びの場所ややり方を見つけていくのが大事。3惱の道のりは多様であっていい。せ劼匹盪抉腓鮓果的に行うためには、家族の状態も見る必要がある。ジ充造砲浪搬欧陵椣薺’修低下しているケースも多い。Σ搬音抉腓盥腓錣擦胴圓辰討いためには、福祉との連携が必須。発達症の問題を持つ子どもや家族を支援していくには、保健や医療との連携も必要。┳愼犬了抉腓砲和真種での関わりが必要。多職種連携のコーディネート役としてのスクールソーシャルワーカーの存在は、学校教育が機能するために不可欠である。スクールソーシャルワーカーの身分保証も大切であ
る。 
7/18(月) 祝日で仕事が休みだったので、家族で海水浴に出かけることにした。とは言うものの人吉市から行きやすい海水浴場がどこなのかを知らない。インターネットで検索し、水俣市の「湯の児(ゆのこ)海水浴場」に行ってみることにした。水俣市には何度か出かけたことがあるが、のんびりしている場所なので、きっとゴミゴミしていないだろう。
  人吉市から伊佐市を経由して水俣市に向かう。山また山のなかを細い道路が続いていく。ドライブには最適な道だが、先人が道路を作るのは大変だったことだろう。やがて水俣市の中心街と有明海が見えてきた。来るたびに思うのだが、こんなに自然が豊かなところで巨大な公害問題である水俣病事件が起きたとは信じられない。
  水俣市街から丘を越えた向こうに湯の児温泉街があり、その奥が海水浴場になっている。比較的小さめの海水浴場なのだが、天気が良かったこともあって、多数の人々が殺到していた。駐車場がすでに埋まっていて、引き返す車と新しく来る車が押し合い圧し合いの状態だ。僕らは引き返して運良く手前の有料駐車場に入ることができた。
  海水浴場の海はとてもきれいで、小さな魚が砂浜のすぐそばまで来ている。やすみは慣れているので浮き輪で喜んで海に入ったが、響が最初は怖がって泣いてしまった。響はいったんは砂浜で遊ばせることにした。砂浜の砂を掘っていくと、水溜まりができる。水溜まりのなかにも小さな貝がいる。水溜まりにつかって遊んでいるうちに水に慣れて、響は海にも入れるようになった。少し時間を取って慣れさせてあげると、子どもは新しい環境にも適応できる。
  大混雑で、おまけに体を洗うシャワーが故障していた。なので海から上がってから着替えるまでが大変だった。僕はサンダルを持っていくのを忘れていたので、焼けたアスファルトで足の裏を焼かれた。準備は大切だ。
  お昼ごはんを「スペイン村」で食べたあと、温泉に入りに行った。インターネットで見つけた温泉旅館「平野屋」の家族風呂に入ることにした。まさに天然に湧き出したお湯という感じで、薬湯と呼ぶのがふさわしい。たくさん汗をかいてしまった。体の芯に熱気が伝わっていくのを感じた。

 

写真10〜12は人吉市にある「さざなみ保育園」の夏祭りで撮った写真です。


写真10 親子踊り。曲は「ひよこ音頭」だった。ピヨピヨピ〜。

 

写真11 やすみと響を遊ばせてくださる圭悟さん。圭悟さんは美紗さんの弟だ。

 

写真12 串焼きにかぶりつく響。離乳してからは「食の権化」だ(「権化ベビー」と美紗さんは呼んでいる)。

 

写真13〜15は熊本県水俣市にある「湯の児(ゆのこ)海水浴場」で撮った写真です。


写真13 やすみは慣れていて浮き輪を使って遊んだ。

 

 

写真14 響は初めてで泣いてしまったので、いったん浜辺で遊んだ。

 

 

写真15 最後には響も海で遊べるようになった。

 

写真16〜17は「湯の児スペイン村・福田農場」で撮った写真です。


写真16 スペイン風の建物が並ぶ。

 

写真17 地元の食材を使ったパエリアがおいしい。

 

写真18 「湯の児公園」の遊具。海や船をイメージさせるデザインで、独創性を感じた。子どもたちも喜んで遊んでいた。

 

 

写真19 温泉旅館「平野屋」の家族風呂。浴槽のなかは一面に硫黄は結晶で覆われている。天然度の高い源泉だ。

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2016年7月日録4

7/20(水) 友人のラッセル光子さん宅に訪ねたときに、靴箱が必要と聞いた。
そこで光子さんと靴箱を探しに出かけた。まず行ったのが人吉市にある木工作品店「村右衛門クラフト 樹想館(じゅそうかん)」(〒8680024熊本県人吉市鶴田町31-6、電話Fax0966357070、参考ウェブページ)。木工作品だけでなく子どものおもちゃや地域の食品、工芸品などが並んでいる。運営されている永田さん母子は光子さんと僕の共通の友人だ。お話していると楽しくて時間が速く過ぎる。
  そこへたまたま住吉則昭さん(通称「定吉(さだきち)さん」)が注文に来られた。定吉さんは人吉市の文化財の掃除や観光案内、観光客のお出迎えなどを長年にわたって自発的にされている方だ。いつしか仲間が自然と集まり、とうとう去年「吉組(きちぐみ)」というグループを作ることになったそうだ。いまでは200人以上の会員がいるそうだ。
  定吉さんの活動もどんどん広がり、地域での映画撮影への協力や、被災者支援などもされているそうだ。定吉さんは誰とでも打ち解けられる気さくさをお持ちで、僕も初対面なのに以前からの知りあいのように感じた。定吉さんのすばらしいところは、活動の全てが自発的なところだ。地域おこしというのは定吉さんのような個人が立ち上がってこそ広がりを持つのだろう。
7/24(日) 「人吉球磨成年後見センター」が主催する「成年後見人養成事業」で話させていただいた。「成年後見人」とは、判断能力が低下している人の財産管理や契約などを法的に支え補助する人のことだ。判断能力の低下の主な要因には認知症、発達症、その他の精神障がいなどがある。なので精神科医療とは切っても切れない関係にある制度だ。 
  日本中で認知症の人が激増しているいま、後見制度の必要性が高まっている。家族が認知症の本人を支えられればそれが一番いいのだが、そうはいかないケースがたくさんあるからだ。家庭裁判所を通して後見人を選任してもらう法定後見では、従来は弁護士や司法書士の方たちが後見人になることが多かった。でもそれだけではさばききれないくらいに件数が多くなっているので、今後は市民後見人が増えていくそうだ。
  今回の研修も市民後見人の育成の一環だそうだ。恥ずかしながら研修の趣旨をよく知らないままに講演に出かけた。でもこれはとても大切なテーマだ。自分自身がもっと勉強していきたいと思った。
7/26(火) 人吉市の雉(きじ)料理店「きじや」(〒8680063熊本県人吉市木地屋町2522、電話0966290401)がテレビに出ているのを美紗さんが見た。雉とは鳥のキジのことだ。キジの料理なんて僕は食べたことがなかった。いつか行ってみようと話していた。今日チャンスがやって来たので、家族で出かけた。
  人吉市の中心部付近から胸川という川をさかのぼる形でどんどん山奥に向かっていく。車で20分ほど登ったところに「きじや」はある。川岸に沿って細長く建物が続いている。手作りの大きな水車が駐車場のそばで回っていたり、のんびりとした雰囲気だ。
  お店の入り口からさらに階段を下ったところにある桟敷席が食事をするところだ。川の流れがすぐ目の前に見える。食事をするというよりも、川の流れといっしょにたたずむ感じだ。川はいっときも同じ姿をしていない。それでいながら同じような感じで流れている。川のことを考え出すと、哲学的というか文学的になる。
  料理は雉づくしだった。刺身も焼き肉もある。雉の肉は牛肉と違って、焼くとすぐに固くなる。きっと古代の人たちもいまよりずっと固い肉を食べていたんだろうと想像した。牛肉と比べて野性味の高い、引き締まった身だ。まだ生きていたときの姿が彷彿とした。「食べること」の意味を考えさせられる。天然素朴なお店のたたずまいが、「人間は自然のなかで生きている」ということを意識させるのかもしれない。

 

写真20 人吉市にある木工作品店「村右衛門クラフト 樹想館(じゅそうかん)」にて。住吉則昭さん(通称「定吉」(さだきち)さん)とであった(写真右奥)。

 

写真21 「人吉球磨成年後見センター」が主催する「成年後見人養成事業」の様子。僕に与えられたテーマは「認知症高齢者の支援」だったが、皆さん熱心に聞いてくださった。

 

写真22〜24は人吉市の雉(きじ)料理店「きじや」で撮った写真です。


写真22 入り口の様子。川に向かって下っていくとお店がある。

 

写真23 食事をする桟敷席からは川がすぐそばに見える。

 

写真24 料理は雉づくしだ。雉の肉は牛肉と違って、焼くとすぐに固くなる。古代の焼き肉の風景を想像した。

 

写真25 響は歩いて犬の散歩についてこれるようになった。ヨタヨタしているが、歩くのが楽しそうだ。

 

写真26〜30はあさぎり町にある特別養護老人ホーム「鐘ヶ丘ホーム」で撮った写真です。

 
写真26 鐘ヶ丘ホームの外観。「オレンジカフェOPEN」の看板が見える。

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2016年7月日録5

7/27(水) 認知症の人たちが住みやすい地域を作っていくための試みの1つに、「オレンジカフェ」がある。認知症の人でもそうでない人でも気楽に行けるカフェを作ろうという動きだ。毎日の開催は大変なので、週に1回とか月に1回とかのペースで開くところが多い。認知症の当事者と支援者とその他の人が出会う広場になっている。
    球磨地方にもオレンジカフェがいくつかある。あさぎり町では特別養護老人ホーム「鐘ヶ丘ホーム」(〒8680424熊本県球磨郡あさぎり町上西835、電話0966456777、Fax0966456221)で開かれている。「鐘ヶ丘ホーム」の総施設長の永田美樹さんとは友人なので、僕は応援する気持ちを持ってきた。だが開催日が僕の勤務日に重なるので、なかなか参加できなかった。永田さんから開催を知らせていただき、やっとこの日に参加できることになった。
  まず驚いたのは「鐘ヶ丘ホーム」のくつろいだ雰囲気だ。入り口のそばに駄菓子屋さんコーナーがある。高齢者施設と駄菓子屋さんは普通は結び付かないイメージだ。でも考えてみれば認知症の人たちに必要なのは「なじみのある環境」なので、昔ながらの駄菓子屋さんのようなスペースがある方が、皆さん安心されるのだろう。たったそれだけのことが、全然違った空気を作る。
  オレンジカフェはにぎわっていた。その場に10人くらいは利用者がいた。地域から毎回楽しみにこられる方もいるそうだ。1人200円で飲み物とケーキがいただける。おかわりもいただけるのだからありがたい。
  さらにイヴェントがいろいろある。うちわ作り、朗読会などがあったそうだ。僕のいるときにはちょうど嚥下体操が始まった。ほっぺたを膨らませたり舌を動かしたりして、口の回りの筋肉がかなり疲れる。もっと楽なものかと思っていたので意外だった。
  認知症の人たちが住みやすい地域を作るためには、施設の数が足りていることだけでは十分ではない。「認知症でもできること」がいろいろあって、選択できることが大切だろう。普段と違う場所でカフェの雰囲気を味わえたら、当事者の方たちにもおもしろいはずだ。認知症の人たちの活動範囲が広がるような新しい試みがさらにいろいろ出てくればいいと思う。
  あさぎり町には虐待などの難しい福祉問題に関わる多職種の組織がある。「あさぎり町ささえ愛福祉ネットワーク連絡会」だ。主な構成機関だけでも保育園、学校、障がい者施設、高齢者施設、民生委員、保健師、役場、警察など多岐にわたる。そして問題が起こったときには構成員の人たちがケースごとの多職種チームを作って対応している。
  このネットワーク連絡会の代表者会議で話させていただいた。タイトルは「地域支援の重要性   『精神科病院まかせ』ではないアプローチ」にした。僕は病院の中と外の両方で支援にあたっているが、痛感しているのが「病院だけでできる支援には限りがある」ということだ。精神科領域は対応に難しさがあるので、どうしても「専門機関で対応を」となってしまいやすいが、実際には病院につなぐ前や、つないだあとに地域の支援グループがどう動くかで大きな違いが生まれる。病院だけの支援では、問題が起きてからの後手後手の対応になってしまいやすい。 地域の支援を厚くしていくことが、「病気や障がいがあっても住みやすい地域」を作ることにいちばんつながるのだと思う。

 

写真27 総施設長の永田美樹さんの娘さん「よっちゃん」。明るくて人懐っこいよっちゃんは、足こぎ式の車椅子について教えてくれた。認知症高齢者の下肢筋力の強化に役立つそうだ。

 

写真28 鐘ヶ丘ホームの入り口の近くにある駄菓子屋さんコーナー。この一角があることで、ホーム全体の印象が親しみやすく変わった。

 

写真29 響はオレンジカフェの床をのしのし歩いた。

 

写真30 「よっちゃん」はうちわ作りを教えてくれた(撮影は永田美樹さん)。

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光岡さんとの再会1 2016年6月22日(水)

   光岡さんとの交流はかれこれ何年になるんでしょうか?僕が京都のサークル「論楽社(ろんがくしゃ)」に出入りしていた頃ですから、もう15〜20年くらいになると思います。期間は長いんですが、会った回数が多いわけではありません。大部分は手紙のやり取りであったり、光岡さんが手製のお菓子やパンを送ってくださったりといった、直接会わない交流だったのです。
   ですが時間の積み重ねが信頼感を育てていくということがあります。光岡さんの手紙はいつも短く、要点のみが書かれています。そしていつも誰かの支援にあたっておられることが文面の向こうに感じられるのでした。障がい者のヘルパーをされていることもありました。
   光岡さんは「お休みどころ祭り」に遠路はるばる来てくださったことがあります。またお休みどころのリーダーだった上島さんが亡くなってしまったときにも、根掘り葉掘り聞くわけでもなく、淡々といつもの光岡さんのままで支えてくださいました。こちらが動揺しているときには、「普段のままでいてくださる人」はとてもありがたいのだと知りました。
   北海道におられた光岡さんから突然「種子島(たねがしま)に移りました」とメールが来たのは1年前くらいだったでしょうか。大きな距離の転居でしたので驚きましたが、どこか「光岡さんならありかも」とも思いました。光岡さんは世界のどこででも生活していける人ですが、その一方で世界のどこにいても「その場だけにとどまらない要素」があるのです。どこか別の次元がある感じでしょうか。お互いによく知っているようでいて、知らない部分もあるような、「奥行きを感じさせる人」です。
   さて先月のある日、光岡さんから「お休みどころに行っていいですか?」とメールが来ました。友人と徳之島(とくのしま、種子島と同じく鹿児島県の離島)で会われるので、その足で鹿児島市に来るそうです。お休みどころのある人吉市まで来られるのは大変ですから、鹿児島空港まで僕たちが行くことにしました。そしてそのあと鹿児島市などをご案内してホテルまでお送りする計画です。
   せっかくですので観光もされたらいいかと思い、「鹿児島市で行きたいところはありませんか?」と尋ねてみました。ですが光岡さんは特に行きたいところはないそうです。「年とともに行きたい場所はなくなります。ですが子どもたちと会いたい気持ちは大きくなります」とのお返事でした。子どもたちや病気の人たち、障がいを持つ人たちに寄り添ってきた光岡さんさんらしい言葉だなぁと思いました。
   そこで美紗さんと相談しながら光岡さんといっしょにやることの計画を立てました。鹿児島空港から比較的近いところに、縄文時代の遺跡である「上の原遺跡」があります。「古代料理体験」のプログラムを予約しました。また鹿児島市にある「ザビエル上陸地」にも行ってみることにしました。日本に初めてキリスト教を伝えた宣教師であるフランシスコ・デ・ザビエル(1506〜1552)に関わる場所は、鹿児島の観光スポットになっています。
   この計画は直感と偶然で立てたものですが、あとで考えてみると光岡さんに合っていそうです。まずは古代料理ですが、光岡さんは料理やお菓子作りが上手ですし、なにか古代人の感覚のようなもの(システム化されていない知恵?)をお持ちな気もします。次にザビエルです。ザビエルは大変な苦労をして日本にたどり着いたわけですが、そういった「遠い異国で人のために働く」精神を光岡さんもお持ちな気がします。
   旅のスケジュールは偶然に決まっていくものですが、結果的にその人を反映することがあります。外面的な行動が、内面を表すんですね。

 

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光岡さんとの再会2 2016年6月22日(水)

   せっかく光岡さんとの小旅行の計画を立てていましたが、予想外なことが起こりました。九州の集中豪雨です。熊本地震の被害地では土砂崩れが起き、亡くなる方も出てしまいました。球磨地方では幸いにして大きな被害は起きませんでしたが、すさまじい雨の降り方でした。光岡さんからは「計画を中止してちょっと会うだけにしましょう」とメールが来ました。僕と美紗さんは「明日まで様子を見させてください」と書きました。多少の雨でも行こうと思ったからです。
   次の日、朝起きると天気は曇りでした。なんとかなるかと思ったんですが、鹿児島空港に向かう道中でも場所によっては強い雨でした。光岡さんに会ってからも状況は変わらず、結局「上の原遺跡」に行くことはできませんでした。予定を変更して鹿児島市にある「いおワールドかごしま水族館」に向かいました。
   久しぶりに会う光岡さんは髪が白くなられた気がしました。そして自分でおっしゃっていましたが、「以前よりもおしゃべりに」なられていました。といっても平均的な人よりも話されないほうです(笑)。以前はよほど無口だったんだなぁと思いました。
   さて「かごしま水族館」に付き、娘のやすみはお土産コーナーでおもちゃを買いたいと言ったり、勝手にサッサと進んだり、やりたい放題です。光岡さんはニコニコして子どもたちの遊びに付き合ってくださいます。今回初めて知ったんですが、光岡さんは保育士の資格を持たれていて、2歳児のクラスを担当したこともあるそうです。
   また水族館を回りながら、光岡さんの人生の端々を聞かせていただきました。修道院に入る直前までいきながら、どうしても心が受け入れなくて、無所属のキリスト者になったこと。岐阜県にあるハム作り共同体「ゴーバル」での日々の労働が光岡さんを育てたこと。うつに苦しまれた時期もあること。あちこちに移り住まれてきたこと。子や孫のような人たちがあちこちにいること。
   聞けば聞くほど、「無所属の」人です。ですが「世捨て人」のようなすねた感じでもなく、「さ迷い人」のようなさびしい感じもありません。友人もたくさん持たれています。「物を多く持たず、将来を考えすぎず、淡々とするべきことをする」といった雰囲気は、やはり光岡さんの信仰から出てくるものなのでしょう。
   普段僕は信仰一般に対してどちらかと言うと批判的に見ています。教義の固さや異教への不寛容などを見聞きするからです。ただ「宗教ぶっていない方」の背景としての信仰はすばらしいと思います。押し付けがなく、謙虚さと穏やかな明るさと「一歩踏み出す力」の元になっていることがわかるからです。光岡さんと接していると、信仰の力というのを感じます。
   水族館の次にはキリスト教系の書店に行きました。こちらは店員さんが「お説教」する感じの場所でした。僕はイライラしてしまいましたが、光岡さんが丁寧に話を聞かれているのが印象的でした。光岡さんの方が僕よりもずっと寛容だということですね。
   ホテルにお送りして、あっさりと光岡さんとの小旅行は終わりました。光岡さんの明日からがどういうふうに展開していくのか、僕には全然予想できません。また予想などを越えたおもしろい働きをきっと無意識のうちにされていくのでしょう。そよ風のように。
   光岡さんが笑いながらおっしゃっていたことなのですが、すでに墓石に名前が刻まれているそうです。この世はあくまでも「つかの間の滞在」と意識して、準備されているそうです。不思議なことに、光岡さんからはあまり「死への恐怖」を感じません。というか「あの世でも会えそうな感じ」なのです(笑)。実に不思議なことですが、この世だけに所属されているのではないのでしょう。かといって幽霊めいているわけではないのですが(笑)。
   あえて言うなら精霊に近い方なのかもしれませんね。全然会わないでいても、会えばすぐに近しくなれるような。もしかして今回が光岡さんと会う最後になるかもしれません。それでもまたいつかどこかで会えそうな感じです。どんな形で次の機会がやって来るのか楽しみです。それまで僕は僕で精一杯生きましょう。この絆に感謝しながら。

 

写真1〜3は鹿児島市にある「いおワールドかごしま水族館」で撮ったものです。 


写真1 大水槽に見入る。


写真2 響と遊んでくださる光岡さん。


写真3 やすみはタッチプールで大はしゃぎ。

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